はてなキーワード: 言論の自由とは
なんか急にリベラル様が「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言っている。
日本で最高の知能が集まるリベラル様が間違いを言ってるはずがないので、自分の記憶が間違ってないか調べてみることにした。一般人から政党まで、いろいろとね。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-03/12_01faq.html
また、憲法九条は、紛争を平和的に解決するという考えを、多くの国民に定着させてきました。こうして、他国に軍事介入しない、紛争の原因をつくらないということが、他国による日本侵略の要因をつくらず、平和を守ることにつながってきました。
http://blog.livedoor.jp/taro_scrambled_eggs_26/archives/50106425.html
「攻め込まれたらどうするの?」
「攻め込まれる」というのは、例えば日本が「侵略される」ということなのでしょうか?。
僕は日本の島国という国土の特徴上、他国が方策として採用するとは思えないと思っています(一時的に国会・内閣府が占拠されるということはあり得るでしょうけど、それへの対処は9条は関係ありません)。
ですから、それに対する答えは「攻め込まれない」です(ちなみにテロ部隊などには警察力の強化で対応することができますし、それ自体はやった方がいいと思います)。
http://www.magazine9.jp/juku/010/index.html
それは日本を軍事的に攻撃する根拠にはなりません。たかが、(あえて、たかがと言いますが)ガス油田の権益を守るために、外国からの投資熱を一気に冷まし、最大の貿易相手国との関係を断つ、せっかく勝ち取ったオリンピックや万博をなげうっても、日本を軍事的に攻撃して自国の主張を通そうと中国首脳が考える蓋然性が、どれほどあるでしょうか。
https://togetter.com/li/1552407
どこからどう見ても、中国には日本を侵略征服支配して得られるメリットなんか
全 く 無 い し 。
そんな余計な事して自滅して、それこそまた米国一人勝ちみたいになっちゃうのは、中国は元より米国自身も含めて誰も望んではいないし。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-545.html
私自身は、憲法9条がある以上、自衛隊は憲法違反として、縮小、解散すべきと思います。いじめ問題やセクハラ問題が一向に解決できないような自衛隊組織では、もはや軍隊としての役割も果たせないでしょう。解散してしまったらよいのです。
しかも、現状において、ロシア、北朝鮮、中国が日本国領土に武力侵攻してくるとは到底、思われません。北朝鮮には外国の領土に軍隊を侵攻させるほどの国力などありません。せいぜいミサイルでしょうが、今の自衛隊にも打ち落とすだけの力量もないのですから、ミサイル攻撃を受けたらどうするんだなどと騒いでみても意味がありません。
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/8180/1/fujii21_13-32.pdf
それこそがまさに憲法9条の平和主義の立場であろう。かかる立場に徹するならば、日本は世界中の国々から感謝と尊敬を集め、決してどこの国からも侵略されることはないであろう。もし日本が他国から攻められれば、ほとんどの国は日本を助けてくれるはずである。
https://www.s-mataichi.com/message/20060200.html
3年前の有事法制審議の際、私が「憲法で戦争放棄を宣言している平和国家・日本を一方的に攻めようとすれば、世界中を敵に回し、その国自らが滅亡する覚悟が必要だ。そのような愚かな国があるのか」と小泉首相を追及した際、「備えあれば憂いなし」としか答えられませんでした。つまり憲法9条によって、日本が挑発しない限り、他国から攻撃される要件はないのです。
「でも朝鮮が危ない」という宣伝がありますが、自ら滅亡することを承知の上で攻撃するほど朝鮮も愚かではありません。これは、一昔前の反ソ連・反中国宣伝と同じです。日本がいま朝鮮となすべきは、過去の侵略戦争と植民地支配の誠実な謝罪と補償を行い、国交を正常化して敵対国から友好国へ転換することです。もちろん、拉致事件は許されざる人権侵害の国家犯罪ですから、当然抗議し謝罪と真相解明を求めることも、同時並行で進めるべきです。
とりあえず、軽くググった結果だけど、以上となります。こういった証拠を元に「私達は9条があれば平和は守れるなんて言ってない! 9条は日本を縛るためのものと言ったことはあるけど!」「だから侵略させないためには、別に手を尽くす必要がある」と言えるのであれば、それもまた「表現の自由」「言論の自由」でありましょう。
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベルの馬鹿だった。
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
日本を社会主義国家、になったとはいわない。見事に「社会主義の国」になれたんだ。ほんとすごいことをやってのけた
だから、社会主義国家を理想に掲げている社民党は、もう必要ないから議席数もなくなったわけさ
年収は低いけどさ、大量生産の適度な食品や品物が手に入るから生活にも困らない
国民皆保険制度、生活保護もあるし、過去のどんな社会主義国家よりも理想的な「社会主義の国」だよな
そのうえで、言論の自由もあるし、投票も誰に気兼ねなくできるし、しなくてもいい。徴兵制もないんだぜ
もう、日本共産党も解党しちゃえ。いらないよ。あんたらの方法論とは違うけど、あんたらの目指す理想よりはいい国になったんだから
niwakano18124 地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・ 社会 行政
pinkyblue 議員の公権力と言うならそれは立法や条例制定であって、これは法案・条例案でも何でもないあくまで抗議声明の域を出ないと思うんだが、フェミ議連の声ってそんなに強制的な影響力あるの?
esbee 自称オタク兼フェミニストとしては、抗議もまた表現のひとつだからね?と。抗議自体を表現規制と言ったら言論の自由に反するわけで、問題は反論せず取り下げた松戸警察だし、採用した責任持って妥協点探れよという
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210910031736
softstone 議員連盟が警察の決定を変更する権力があるとするなら、このオタク議員集団の権力で再度公開するよう圧力をかければ良いのでは。それが出来ないなら、公権力による圧力で削除されたのではない証左になる。
esbee 議員連盟=公的権力と考える側にズレがあるよなー。憲法前文にも『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動』とあって、議員の行動は市民の行動とイコールになると思うのだが…… フェミニズム表現規制興味深い
RRD まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配と服従の関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員が警察を支配してるとか爆笑もんの話。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210912075351
Sometako 地方議員による実力組織への抗議をアプリオリに「弾圧」「圧力」とする法文上の優越性ってなんだろ?/追)入管の非人道性を国会議員が批判したら弾圧になるんだろか?/追)あっ!!まんだらけの件は警察による弾圧だろか? 性差別 考え方 フェミニズム
saiyu99sp 毎度面倒な目に遭いたくないから警察も引っ込めたんだよね。そうする力を権力というのかは知らん。おぎの議員は警察に面倒かけるな!という立ち位置なんじゃないの?
RRD 権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsudosimasuda/status/1439747781795606529
usi4444 地方議員がどういう力を使って警察を従わせたと萌えオタは考えてるの?この手のマスコットはゆるくないと万人受けせず、外部からの指摘でトゲがあることに気付き警察が自身の判断で削除したと考えるのが妥当。 警察増田政治社会
https://note.com/mshin0621/n/n7330a7f9f398
”悪しき文化から脱却しようと主張しているが、その悪しき文化とは何なのかについての説明が明瞭でない。
題目は「女性差別的な文化を脱するために」(OL)だが、本文では女性差別だけでなくマイノリティ差別全般も問題にされており、その差別にしても単体でなく繰り返し「中傷と差別的発言」「中傷や差別的言動」(OL)というように中傷と並列され、最後は「女性差別的な文化」でなくより広い「中傷や差別的言動を生み出す文化」(OL)から脱しようという一文で締め括られている。
また、中傷と差別が並列されているのだから両者は別個のもののようだが、しかし中傷は差別の一部であるかのような「中傷を含む性差別的な発言」(OL)という表現もあって、やはりよく分からない。
先日来、OLが何を言って何を言わなかったのかについて、ああでもないこうでもないと意見が飛び交わされている。
そういう混乱が生じている原因は、読んだ人たちの読解力以前に、公表された文章にあったと考えるべきだろう。”
もちろん、私も今年4月の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その2)」で書いたように、女性蔑視は深刻な問題だ。
女性は全人口の半数を占めているが、「日本のアカデミア」(OL)では今なおマイノリティであることが多い、などについても異論はない。
だが呉座たちは、有名大学教授や政治家、資産家などのことも、自分たちの気に食わなければ男性だろうと手当たり次第に、「フォロワーたちとのあいだで交わされる「会話」やパターン化された「かけあい」の中で」「「お決まりの遊び」として仲間うちで」(OL)誹謗中傷揶揄罵倒していた。
呉座はOLが出る前にystk氏と北守氏に謝罪しており、男性被害者が複数いることは明らかだった。
OLはわざわざ「このような呼びかけに対しては、発言の萎縮を招き言論の自由を脅かすものであるいう懸念を持つ方もいるかもしれません」(OL、「あるいう」ママ)と言及してそのような懸念の払拭に努めたのだから、男性被害者の存在にも言及するとか、マイノリティ差別だけが問題でないと表明するとかのことはあってよかっただろう。
率直に言って、私がこのOLを読んだ時、「私のような男性被害者のことはどうでもいいんですか」という疑問が浮かばなかったと言えば嘘になる。”
”以上の2つは、文章に少し言葉足らずなところがあったというだけのことで、あまりとやかく言うべきではないのかも知れない。”
”私がOLを実にクソだと思う理由は、何よりもその的外れな再発防止策にある。”
”日文研が今年10月15日付で公表した「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」にしてもそうだ。
全教職員に教育プログラムを受講させ、本センターの所信を周知徹底させると言っているだけで、日文研はあれだけの大事件があったのに未だ教職員の鍵垢利用について規制を設けておらず、通報窓口すら見当たらないままだ。
仮に今も呉座のような有力研究者から鍵垢で誹謗中傷揶揄罵倒され、悩み苦しんでいる学生がいたら、一体どう声を掛けるつもりなのだろうか。
もしかして、「多くの人が何らかの形で「距離を取る」ことを表明し実践するようになると、いつかこういうこともなくなるよね」だろうか。
鍵垢で不適切なTWを繰り返すような教員はどこの大学、どこの研究機関にいてもおかしくない。”
”このままではいつか第2、第3の呉座界隈問題が起こるだろうと思っている。
その時、もし誰かが「どうしてあのOLを出したのに同じような問題が繰り返されてしまうんだ」と嘆いたら、私は「どうしてって、そりゃああのOLを出すくらいしかしなかったからでしょ」と思うだろう。”
さえぼー氏が批判されていたのは事実だが自分からすれば安倍晋三やドナルド・トランプや川谷絵音より批判されているとは思わなかった
だがさえぼー氏は相当ショックを受けているらしい
さえぼー氏は北海道の新聞社の創業一族の一人として生まれ東大へ入りロンドンへ留学しシェイクスピアの論文を書いて大学で講師として働いている
これほど優秀な人がこの程度の批判で騒ぎ出すのは自分は違和感がある
違和感としては2つ
一つは言論の自由を認める以上相手の言い分にも一定の理を認めるられなさそうなところ
2つ目はそこまで勉強を重ねていても言論の自由の大切さを理解していなさそうなところ
さえぼー氏程の人間でもこの程度で大騒ぎするなら
大元の増田は「削除要求があったから削除した」と証言しているのに
はてなブックマークコメントは「言及された当事者が削除申立てを行ったに違いない。言論の自由侵害だ!暴挙だ」と
「言及された当事者」を一斉に罵倒する、誹謗中傷ブコメを大人数で行っていたので、これは決して小さな問題ではない
はてな匿名ダイアリーの削除に関する運用ルール上
そういうの無しに削除が行われるわけ
こんな基本的なことも踏まえずに、大人数で謂れなき誹謗中傷行為を行う
ブクマカ大丈夫か?と批判されるのは当然で、逆ギレはみっともない
私がここでしたのと同じような意見を、私とは別のブクマカがした際についた反論(とは言い難い無理筋)コメントだったわけで
だから何言ってんだ?とつっこませてもらったのだ
人は誰しもダブルスタンダードを使い分けて都合よく生きている。というより、現実は数学と違って「どちらとも言えない」ものが沢山あるため、そうせざるを得ない場面がある。
例えば「人間は殺してはいけないが、動物は殺しても良い」というのはある意味ダブルスタンダードなのだろう。キメラのような中間の存在は今のところ発見されていないが、仮に発見されたとすれば、それを人間とするか動物とするかで議論は別れるだろう。人間のように思考し、言葉を発するゴキブリがいたら、あなたはそれを殺せるだろうか?
saebou氏に対する誹謗中傷で呉座勇一氏が批判されることについて、「批判されて当然だろう」という気持ちと、薄らとした違和感が、私の中に同時にある。
もしもこれが、会社の同僚に対する誹謗中傷という話であれば、多くの人は「批判されて当然だろう」と言うだろう。私も全く同じ気持ちである。
一方で、これが例えば百田直樹氏のようなメディアにも出演する言論人と、特に名もない一般人であれば、あの程度の「批難」を「誹謗中傷」として扱うのは、政治的言論の自由を著しく脅かすことになるのではないかと思う。これもまた多くの人が同じように感じるだろう。
では、saebou氏と呉座勇一氏の場合、どちらにあてはまるのだろうか?
彼らは会社の同僚などではない。しかし、研究者界隈というのは狭いもので、彼ら程度の分野の隔たりであれば、「同僚」と呼べる関係にそこそこ近いというのも事実だろう。
saebou氏はメディアにも出演する言論人である。しかし、それを言うなら呉座勇一氏も同様だろう。ただし全く同等とも言えず、saebou氏の方が「活動家」としての顔を若干広めに持ち合わせているだろう。
「どちらでもある」し、「どちらでもない」というのが、本件の実態ではないだろうか。少なくとも、どちらか一方に断定するためには、慎重で繊細な議論が必要になるだろう。
人は誰しもダブルスタンダードを使い分けて都合よく生きている。それはもう人間が生まれた時から抱える原罪だと思う。白黒つけられない灰色を、白だ黒だと振り分けることを、(政治的)イデオロギーと呼ぶのだろう。それ自体は何も悪くない。必要なのは、それぞれが自身の政治的偏りを自覚し、互いに歩み寄ることでは無いだろうか?