はてなキーワード: 自炊とは
(1)母親
時間にルーズで、遠方だった大学の入学式以外、入園・入学式はすべて遅刻した。
(2)夫
子どもが生まれてからマイペースに輪がかかり、一緒にいるだけで苦痛。
どうでもいいことを先にやり、必要なことをしない。
酒を飲む氷の音にイライラする。
常に夕食は自炊しようとし、食器類を洗わないにも関わらず、夜食も別に食べる。
産休育休取得中に半分くらい人員が入れ替わり、今の同僚の大半は、休業中に後から入社した人。
業務の要を把握していた自分と、その業務を引き継いでいた人が退職した状態で
手探りで継承したのは大変だったと思う。
とはいえ、新たに決まったルールは細かすぎて当初は戸惑った。今も納得できない点は多い。
もし、子どもを授からなければ、または0歳ですぐに復帰していれば、
現状は違っていたかもしれない。
つまり、世の中にもっと有益な情報を発信できていたかもしれない。
しかし、多すぎて絞りきれないはず。
ここ数年、全体的にPVが減少傾向で、ひっそりと消えたサイトも多い。
高解像度対応やスマホ対応、アプリ対応も必要で、割に合わなくなっている。
(4)別の部署の考えの合わない人たち
何人かは、育休取得前から勤務している人が残っている。
同様にSNSを中心としたファン化やオーブンデータ化が重要、と訴えても伝わらず。
認めてくれたため、独自にやっていたことが部署全体の方針になっていた。
ただ、それが逆にモチベーションを下げる。
(5)イヤイヤ期の子ども
寒いのにパジャマを着ようとしない。マイペースな夫とともにテレビを見る。
時間関係なく、保育園の玄関に座り込んだり、駐車場で踊ったりする。
そしてよくわからず泣く。2~3歳の間は我慢するしかないのか。
モチベーションのアップダウンはつきものとはいえ、今回は下がりすぎた。
自分と夫の年収は、30代後半の個人年収の平均以下だと知っていたけれど、
かつ今は時間に制約のある勤務(残業ゼロ)であり、上がる見込みはない。
昇給・昇格できれば、世代相応の年収は得られたはずで、要は自分が無能なのだ。
逆に夫は正当に評価されているにも関わらず、昇給しない給与体系なので、
国の「働き方改革」「少子化対策」は、やはりいびつだと感じる。
一部の高スキルの高所得共稼ぎパワーカップル、一馬力高所得者を優遇し、不妊治療をさせても何人も産ませ、
同時に経済観念に乏しいカップルに時間を与えて産ませ、少子化に歯止めをかけようとしていることは確かだ。
そのどちらにもあてはまらない中途半端な層、独身者を切り捨てている。
その吐き捨て先も、もう、ここしかない。
同じ思いを感じている人が集まるかつてのインターネットは救いだった。
モチベーションが下がっても、書き込みを見れば再び前を向いて、がんばろうと思えた。
いまは下がったテンションは、どうすれば上がるのだろう。
いや、あげるために書いているのだけど。
スマートスピーカーが普及すると、ますますブログや口コミの価値は下がる。
今更になって、実家の暮らしを懐かしむようになってきた。しかしそれは厳密に言えば、弟のいる暮らしを懐かしんでいる、という気分である。
そろそろ肌寒いからだろうか。その影響の無い訳ではないと思う。
ましてや雪国の地方都市にある2DKの団地には子どもに個人の部屋の割り当てがなく、弟と二人で万年敷きっぱなしの布団に寝起きしていたことと関係のないわけではあるまい。
布団の調節に難儀するこのくらいの時期であれば、これまでは寒ければくっついて寝るというだけで解決できていたのである。
一人暮らしになって初めて、その癖が付いていたことに気付いた。弟の居ないこの暮らしは、近々私に風邪をひかせる予感をもたらしている。
大学の友人とするゲームは高校の頃の友人としたそれと変わらないが、やはりマリオカートにおけるセンスというものは弟との日常的な手合わせ、日頃の鍛錬においてこそ磨かれるものということも分かった。
過日ようやく手に入れたSwitch版は、やはり場数の不足が目立つプレイングが多いように感じる。これは年末に持ち帰る課題としたい。
自炊のためにスーパーへ出掛ければ、弟の好物が眼に入る。時計が22時を指せば、もう寝たかな?と思う。
次第に慣れて来つつある東京での暮らしで、ふとした拍子に脳裏をよぎるのは父母のことでも郷里のことでもなく、実家で私の遂に成し遂げなかった一人部屋ライフを満喫している弟であったりするのだ。
一人暮らしを始めてから自炊もがんばってるんだけど、3年目にしてようやく心から美味しいと思えるペペロンチーノがつくれた。
レシピはネットに落ちてるやつ色々試して好きなとこどりしていくのがいい。
私はかつて貧乏の中、月の食費1万円で自炊をしてきた。その時の私は間違いなくメシマズだった。
しかし今、普通に食費を使えるようになり、料理の腕が向上したのだけれど、その経験で見えてきた貧乏がメシマズになりやすい原因と、それを踏まえての貧乏でもメシウマを目指せるコツを述べていきたい。
ただ、なるべくお金をかけずにメシウマを目指すが、どうしても必要経費は出てくる。そこを超えてでも美味しいご飯を食べたい人だけ先を読んでほしい。
まず、レシピを見て料理が作れない。なぜなら、貧乏はレシピのために食材を買い揃えるのではなく、買える食材しか買えないからだ。だから、市販のレシピに要求される食材が揃っていることはまずない。なので、適当な食材で適当な料理を作ることしかできないのが、メシマズの一番の原因である。
そして適当にしか料理を作らないので、調味料が揃っていない。というか、調味料の大切さがわかっていない。だから調味料を買わない。高いし。なので、キャベツと玉ねぎを塩コショウで炒めるだけのような料理しかしない。そこに料理酒を小さじ1杯加えるだけではるかに食える炒め物ができるというのに。
この2点が何よりのメシマズの原因だ。
そしてこの原因を解消する手段だが、レシピを見て料理を作るようにするのは却下である。なぜなら、食費に制限がある以上レシピ通りの食材を揃えるコストの高さは許容しがたい。
そこで、調味料を揃え、その使い方を覚えることでメシマズを克服していきたい。
調味料を揃え、その使い方を覚える。それが手っ取り早い貧乏メシウマを目指すコツである。
調味料を揃えるのは高い、と思うかもしれない。が、そのコスパはハンパない。何しろ小さじ1杯程度で断然味が変わるのだ。
そして、その調味料を生かすために、ぜひ計量スプーンと計量カップを用意してほしい。大さじは15mL、小さじは5mL、1カップは200mLだ。調味料は適当に使っていてもその真価を発揮しない。調味料の比率を整えることが大事なのである。また、調味料の無駄遣いを防ぐためにもここはぜひ用意するべきである。
料理酒、醤油、コショウ、顆粒状だし、サラダ油、ごま油、塩、にんにく(チューブ可)、生姜(チューブ可)
みりん、酢、味噌、輪切り唐辛子、片栗粉、顆粒状中華だし、オイスターソース、コンソメ、味ぽん
砂糖、オリーブオイル、小麦粉、バター、マヨネーズ、ウスターソース、めんつゆ、各種ドレッシング、ごま、からし、わさび
普通に持っている調味料は醤油、塩、コショウの3点セットとサラダ油だと思うが、ここに最初に加えるべきは料理酒である。
料理酒には塩が加わっており、炒め物、煮物にコクを出すのにとても向いている。煮物を柔らかく煮込むのにも使える。魚を使うときには臭み取りにも使える。とにかく、これがあるとないとでは断然料理のレベルが違ってくるのだ。是非、買うべきである。
そして、顆粒状だしも大切である。肉、魚類がなくても旨みを出すのにとても有効だからだ。また、メシマズは意外と味噌汁にだしを入れるということを知らない(私も知らなかった。味噌だけで味噌汁になると思ってた)。美味い味噌汁が飲みたかったらだしは是非買うべきである。
それにごま油。これひとつあるだけで料理の風味を簡単に変えることができるくらい強力で頼り甲斐のある調味料だ。これも是非揃えたい。
ニンニク、生姜はかたまりを揃えるのが理想であるが、使い切れずにダメにしてしまっては勿体無いので、チューブを選ぶのも断然ありである。チューブは案外長持ちする。これらも代替が効かない上、あると美味さが断然変わるので揃えるべきだ。
そしてできる限り揃えるものの筆頭はみりんである。これも料理酒同様コクを出すのに有効な調味料だが、甘いというところに違いがある。みりんには本みりんとみりん風調味料があり、前者には結構濃いアルコールが入っていて、後者には入っていない。当然みりんの方が美味しいのだが、値段差が結構あるのでみりん風調味料を買うのも悪くないだろう。
酢は生野菜を美味しく食べるのに重要である。レタスに塩をかけて食べるのと酢をかけて食べるのでは後者の方が断然美味いと思う。サラダ油と酢を1:2の比率で混ぜ、塩胡椒を加えると簡単ドレッシングの出来上がりだ。生野菜にはこれでいい。
味噌は実は、味噌汁には必須なだけでそれ以外ではあまり使わない。味噌炒め、味噌煮を作るときぐらいである。だが、味噌炒めも味噌煮もそれでなくては絶対ダメという味付けではない場合が多い。例えばキャベツは味噌炒めでもいいが塩炒めでも十分だったりするので、もし味噌汁を作らないというのであったら実はいらない調味料に入るかもしれない。
輪切り唐辛子は案外使いでがある調味料である。ナムルにちょっと入れても美味しいし、辛味というのはこれでなくてはなかなか出せないので、できるなら揃えておこう。
片栗粉はせっかくの肉から旨みを逃がさないために重要だったりする。肉炒めを作るときに、肉に片栗粉をまぶしてから作ると断然味が変わったりするのだ。あんかけもこれでなくては作れない。また、ホワイトソースを作る用途以外ではだいたい小麦粉の代用品になるので、小麦粉よりも優先順位は高い。
顆粒状中華だしは中華スープを作るのに向いているだけではなく、野菜炒めに旨みを出すのにも使える。いらないといえばいらないかもしれないが、あると便利ではある。
オイスターソースは案外バカにできない。醤油で代用できるだろ?と思ったりするが、醤油には出せないコクと風味が出る。炒め物をメインに作っていくのならば欲しい調味料だ。
コンソメは洋風スープを作るのに必須である。肉入りスープであればコンソメがなくともギリギリ食えるものが作れるが、野菜のみのスープを作ることも多いだろう。そのときにあるとこんなに心強いものはない。ブロック状と顆粒状があるが、顆粒状の方が量の調整が効きやすく便利である。
味ぽんは時短のために揃えた方がいい。醤油とレモン汁があれば代用になるが、レモン汁はわざわざ買ってもなかなか使い切れない調味料の代表だ。そこにコストをかけるよりは、簡単に使えてドレッシング代わりにもなる味ぽんを買ってしまった方がいいだろう。
実はあんまりいらない食材の最筆頭は砂糖である。甘みというのは案外野菜自身から出たりもするし、みりんを使うという手もある。本当に案外いらなかったりするので、買うのは後回しにしよう。
オリーブオイルもあまりいらない。独特の風味があり美味しいのだが、その風味の強さはごま油ほどではないし、サラダ油と味がはっきり違うオリーブオイルを買うならある程度のお金を出すことが必要だ。安いオリーブオイルはサラダ油と大差ない味なので本当に買う必要はないと思う。
小麦粉も案外いらない。大体は片栗粉で代用がきくし、どうしても小麦粉を使わないと作れないものはホワイトソースぐらいだが、ホワイトソースは他にバターと牛乳が必要で、原価がやや高くつく。どうしてもホワイトソースが食べたくなったのならば買うべきだが、そうでもなければ買う必要はないだろう。もしも買うなら、大きなパックは使い切れないので、小さなボトルに入ったサラサラタイプのものを買おう。
バターも実は案外いらない。コクと塩味がある油という位置付けだが、どうしてもバターじゃないと、という場面は意外となかったりする。ジャガイモを蒸して食べるときくらいか。これも後回しでいい。
マヨネーズは好きなやつだけ買っとけ。
ウスターソースも、オイスターソースとみりんとコショウがあればなんとなく似た味のものが作れるので実はいらなかったりする。
めんつゆは明らかにいらない。めんつゆの代わりなら、顆粒状だしとみりん、醤油があればいい。顆粒状だしで作るだし汁1カップに醤油大さじ2、みりん大さじ2ぐらいで、水で溶いためんつゆと同じような味のものが作れるので、それで十分だろう。
各種ドレッシングもいらない。前述の通りサラダ油と酢と塩コショウでドレッシングは作れる。味ぽんをドレッシングがわりにしてもいい。とにかく、ドレッシングは本当になくても大丈夫。
ごまはあると嬉しいのだが、なかなか使い切れない。半分以上残して賞味期限を切らしてしまうのなら、買わないでおく方が賢いだろう。
からし、わさびもお好きならどうぞといった感じだ。からし酢味噌とか代用のない美味しさだけど、なかなか使いどころがないので本当にお好きなら、といった感じ。わさびは必要になりそうな食材を買ったら大抵小さな使い切りわさびがついてくるので、わざわざ買う必要はないと思う。
とはいうものの、最初の方でも述べたがレシピ通りの食材を揃えられるのならば何も貧乏ではない。だから、ここではレシピというより各種調理法の味付けのコツを述べていきたい。向き不向きはあるものの、どんな食材を使うかは自由だ。特売品でも余り物でも、好きな食材を使って欲しい。
一人分ならサラダ油またはごま油小さじ1をフライパンで熱して、火の通りにくいものから加えて炒めていく。だいたい全部炒まったら料理酒小さじ1、醤油小さじ1、塩コショウを少々で味付けをすればいい。顆粒状中華だしを小さじ1加えても美味しい。にんにく、生姜を入れてもいいが、入れるなら一番最初に入れて油に風味を移すと特に有効。
一人分なら、だし汁1カップと料理酒大さじ1、みりん大さじ1/2くらいを加えて煮る。とにかく煮るものがひたひたになるくらいのだし汁が大事。ここで水を使うとちょっと切なくなるよ。醤油は一通り食材に火が通ってから大さじ1/2くらいを加えるといい。煮物は料理酒と醤油とみりんが2:1:1。これ大事。
葉物野菜が向いている。
もしレンジがあれば、耐熱容器に水で濡らした食材を入れてふんわりとラップをかけて3分前後加熱するといい。レンジがなければ茹でてから冷水にとって冷まして水気を絞ること。
味付けはだし汁と醤油がベーシック。一人分ならだし汁は大さじ1/2に醤油が小さじ1/2。
だし汁と醤油の味付け以外でも、ごま油小さじ1/2と酢大さじ1/2でナムル風にするのも良い。
顆粒状だしを使っておすまし風にしてもいいし、顆粒状中華だしを使って中華風にしてもいいし、コンソメを使って洋風にしてもいい。だしのブレンドもアリアリだったりする。
あとは料理酒と塩、コショウ、醤油あたりを適当に使って好みの味付けをしよう。
本当に調味料が違うだけで料理の味は全然変わってくる。調味料は小さじ1でも充分効果を発揮するものばかりで、はっきり言ってコスパが非常にいい。
そんなに量を使わないからいらない、と思っていても、毎日調味料を使う癖をつければちゃんと使い切れるものだ。ここは騙されたと思って調味料を揃えて、日々の料理を工夫してみて欲しい。以上。
ごめんなさい
ホテルで生活することや、作業場所が変わることなどの、「出張」という行為自体に不安を感じていて、
それがさらに暮らしたことのない知らない土地だというのが怖いのです。
今まさにそこに暮らしている人たちが恐怖に怯えて生活していると思っているわけではありませんし、
きっと僕も暮らしているのであれば、なにも思わなかったと思います。
その、東京という土地に住んでいる人たちが怖そうとか、そういうことを言いたいんでなくて、
もっとこう実利的というかなんというか、その例えば
「三重県四日市市なら石を投げれば当たるぐらいある、おにぎりチェーン店「桃太郎」がない!」とか、
「布団じゃなくてベッドで寝ないといけない!」とか、
「コインランドリーとかあるのかな?」とか、
こういう、ことが怖いんですよ。
東京という土地そのものが怖いわけじゃなくて、自分が今住んでいるところ以外で暮らすことが怖いみたいな話です。
なのでその、とにかくすいません、東京が怖いところと殊更に東京そのものが怖いかのような文章は、間違ってました、ごめんなさい。
確かに、締切破りを治せない人は、子供の頃から時間にルーズというか、計画的に物事を進められない傾向にある。夏休みの宿題という物に関しても、おそらく学校では計画表を作ってみるもののその計画表を実行することはない。だから夏休みの最終日になって、ヒーヒー涙目で、親に怒られ手伝わせ、それでも終わらないから言い訳を考えるしかない……といった悪循環に陥ってしまう。
「まー俺、ガキの頃からクズだからwww」と笑いのネタにできるならまだいいけど、本人も責任感が強いのになぜか期日ギリギリでケツに火がつかないと重い腰をあげられなくて死ぬほど悩んでる人って、そこそこ多いと思うし悩みとしても自分クズですからと笑い飛ばせない位深刻だと思う。
思い出してほしい、子供の時のことを。
夏休みの宿題という、途方もない量のものを与えられて、嫌だー!こんなに沢山あったら終わらないよー!遊べないよー!と絶望しなかっただろうか。ここまではほとんどの人が感じることだからクズでもなんでもない。(勉強が大好きで仕方ない人ならそもそも大量の宿題が苦じゃないけど、そんな人間稀中の稀だから自分がそいじゃないのにそういう人間になる努力は無駄)
ここで選択できる道は2つ。
①見なかったフリして遊ぶ。
そして、②を選べない人、つまり①になった上に本当に夏休み最終日近くまで遊んで過ごせる人には、ひとつ決まった特徴があると思う。
それは、親が怒るだけでなにもしてこないこと。だと思う。
「宿題やんなさい!!やんなかったらご飯抜きね!」とか、「あんたいつ勉強やってんの!もっとしっかりしなさい!」とか「遊んでばっかりいると馬鹿になるよ!」
なんて怒るのだけは立派なんだ。でも、だからって一時間だけでもと机に縛り付けてその時間中後ろから監視して、「ほら、もっとキリキリ手を動かしなさい!」なんてスパルタ教育を受けた覚えはあるだろうか。たぶん、ないと思う。
本来、計画性というものは元来の性格にもよるけど自発的に生まれるものではない。いつまでになにをどのくらいしたらできる、というのは「習慣」だからだ。
その「習慣」を身につけるためにはなにをすべきか教えてくれる人はいただろうか。そして、どうやったら計画を立てられるのかといったところから教えてくれた人はいただろうか。
実は、この部分に教育が必要だと感じてない親ってのが一定数いる。自分の子供に計画性がないのは子供の性格がルーズだからであって、自分のせいではない。自分はきっちりしてるのに子供はだらしないから怒ってしつけてるけどさっぱり言うこときかないし、もういいわ!って感じの親。
確かに親がきっちりしてるのはいい。でも、それは多分親の親がしっかりと計画する、そしてそれをコツコツ重ねることを教えたからであり、自分の親に感謝すべきことではあれど、自分の子供のルーズさを叱る理由にはならない。
ウチの子なーんにもしないのよ!じゃねーんだよ。あんたがなーんにも教えてないんじゃん!って私は思う。そして、それを放置された結果、計画性を身につける機会のないまま子供は大人になり、将来苦労するのだ。
さて、子供の頃から締切破り癖のある人は、そんな親に心当たりはないかな…?だったとしたら、教育が悪かった。そうじゃなかったとしても、どちらにせよ計画性を習慣として身につける機会がなかったわけなので、環境が悪かった。自分がクズだからではないということだけ理解してほしい。
でも、そこで思考を停止させたらクズはクズのままだ。具体的に対策はある。しかもとびっきり簡単な。
それは、前の宿題の例のなかの②…日割りで目標を立てて実行する、これだけだ。
たぶん、これができない人は、おおよそ3つのチェックポイントで躓いている。
③計画通りにいかないときにどう立て直したらいいかわからないから計画立て損
計画を立てられないのは、全体像を把握できてないからだ。つまり、宿題なら何がどのくらい出ていて、ページ数はこのくらい、自分が一時間で出来るのはこのくらい……と、小分類くらいまでは把握する必要がある。
つまり、計画を立てるための時間も実は仕事や宿題のうちなのだ。
適当に感覚でぶっつけ本番で日割りして終わらせられる天才型には確かに無駄な時間なんだけど、そうじゃないから締切を破るんだと自覚したほうがいい。
計画を練ることには練習が必要だし、慣れないうちは難しい。親や身近な人に頼れるんだったら一緒にやったほうがいい。(これは、協力者の意識を協力させる方向に持ってくためにも非常に重要)計画を立てるのを面倒がる、阻止してくるなど厄介な人間しか周りにいないなら恥を忍んででも「それ」を依頼してきた人間に直接相談するのがいい。(宿題だったら先生ね)「終わらせたいと思い計画を立てたのですが無理のないスケジュールでしょうか?」と聞けば誰も嫌な顔をしないはずだ。普通。もし嫌な顔されたり相談乗ってもらえないならそのことは締切破ったときに文句言っても大丈夫。だって計画の立て方わかんないんだもん。やれないよね。
なお、計画するのが面倒だという考えも、計画も宿題のうちだと考えることで解決する。むしろ、計画さえ立ててしまえばあとはその通りやればいいだけなんだから計画が一番の宿題って言ってもいいほど。そこを面倒くさがるからお前は夏休み最終日に苦しむんだ。そこんとこ理解して。
わざわざきっちり計画を立てるのは、「夏休み序盤までにはあそこまで終わってればまぁ大丈夫っしょ」なんてふわっとした計画を頭の中でたてるだけだと実現しないからだ。じゃあそのふわっとした計画はいつどのように実行するんだよ?今?今は忙しい?じゃあいつやるの?やんないでしょ?じゃあ終わらないんですね。つまり何をいつまでにやる、そして何日までにこれが終わるといった明確な筋立てはやはり必要なんですよ。
計画を立てたことのない人はなんでもいいから練習してほしい。自炊の献立表一週間分とかでもいいから。案外時間はかかるし手間もかかるしめんどくさい。でも計画さえ立ってればあとはそれやるだけだから。実行するときにやるべきことを考えなくて済むのは、やるべきことを考えてくれた自分のおかげ。自分にも自信がつく。いいことずくめなんです。
たぶん、続かないのにも2パターンある。
②不測の自体でできない
①の場合、勉強を1日4時間やって一週間で夏休みの宿題を終わらせるなんてアホみたいな計画を立ててるときだ。それでやりきれるなら確かにあとの三週間遊び放題なんだけど、だいたいの人はそもそも1日に4時間も勉強に時間割けないからやめとけって思う。四週間でやりきるなら1日一時間でいい。そのほうがずっと実現可能な目標だ。どうせ締切日は新学期初日だし、早期クリア特典があるわけではないし、そもそも1日一時間なら三週間遊び放題と大差ない。遊びの時間を減らしたくなければ一時間早く起きることで本当に簡単に解決する。毎日俺と同じ時間遊んでるアイツが試験に合格したのなんで!?って驚かれるような人がやってる方法だよね。そういう人は寝てる時間も君と一緒。その一時間を生活に組み込んでるかどうかの違いだけであって、その人だけ1日が30時間もあるわけではない。
なお、続けて習慣化するとなんでもスピードアップしてくるから、最初のころは一時間かかった内容が10分で終わるようになったりということもざらにある。そうなると時間対比でも効率の上でも出来高が6倍になるから、だまされたと思ってやってみてほしい。一時間をクオリティを上げることに使うこともできるし、50分を寝る時間に回すこともできるってこと。徳しかしてない。
②に関しては生きてる以上仕方ない。ライン生産のロボットじゃないんだから必ずどこかで目標までやりきれない日がでてくる。でも毎日不測の事態が起こってるなら、その不測の事態を「起こること」と設定した上で計画を立て直しする必要があるし、不測の事態で1分たりとも自由時間がとれないのなら、提出先に相談する(自分の環境と状況ではできないとはっきり言う)必要もある。1日2日の不測の事態なら、無理のない計画さえ立てていれば他の日ちょっと頑張れば十分挽回可能なのだ。
実行していて時間が足りない、計画が楽観的すぎたと感じることは多々ある。夏休みの宿題だって、人によっては2ヶ月かけないと終わらないものかもしれない。
もちろん早く終わらせる努力は必要だけど、自分の全力を振り絞って、無理のない計画を実行してても終わらないときは終わらない。それは決して自分の能力が低いんじゃなくて、単純に自分のキャパを越えてるのだ。そこは個人差。
宿題なら……たぶん量の問題ではなく、その部分の勉強が理解できてないとかだと思う。それはいくら自分で頑張ったって仕方ない。わからないところを飛ばして、先生やわかる人にアドバイスを求める必要がある。わからないのは恥ではない。理解できないを放棄することのほうが恥。そのために先生は存在しているのだ。
このことに注意してやることで、後天的に計画力を鍛えることは十分に可能。
自分も、親に面倒がられてそのあたりを育てられなかったくちなので、普通の人と比べて苦労した。でも、親の教育を恨んだって仕方ない。自分の人生は自分で作るもの。だからこそ、人に直接害を及ぼしかねない癖は、自分で摘み取るべきなのだ。
ガスなしで袋めんが簡単に作れる
カップめんよりコスパいいし、一緒にキャベツとかもやしも過熱して野菜ラーメン食べれる
オーブンつきだと使いづらいし高くなる
こいつさえあれば冷凍食品でもシリコンスチームでもだいたいあったかい料理食えるしボタンひとつだからめっちゃ大活躍
俺的MVP
冷蔵庫・・・コンビニの近くに住めばいらない。冷蔵庫あると余計な買い物してしまう
洗濯機・・・なくてもコインランドリーでどうにかなった。洗濯物おおいと必須かもだけど自分はいらなかった
で、とりあえず二日で実家にあったFC、SFC、GBを200本ほど読み込んだんだけど、正直いって読み込んでもやらないソフトもあるよね。
ソフトをみたらさ、『ヨッシーの卵』『ドクターマリオ』がFC、GBの両方があったんだよね。
ちょっと悩んだけど、GB版はインストールしませんでした。やりたくなってもFC版で事足りるじゃろ、との判断で。
さらに言えば『ドンキーコング』シリーズがSFC版の1、2、3とあって、GB版も3本くらいあった。
弟が好きだったので僕はやったことないし、内容の差異もわからないけど、一応インストールした。
でも多分GB版はやらんだろ。
『ストⅡ』も弟が好きだったのか、ノーマルからスーパーだターボだダッシュだといろいろあったのだけど、貧乏性で結局全部入れた。これもどれか1本あればよかった気もする。
『カービィ』もさすがにGB版の最初のやつはやらんのじゃないだろうか。昔は夢中になったので思い出票で一応入れたけど。
長らくテレビゲームから離れて、すでにやろうとしても一時間足らずで飽きてしまうし、RPGをやりこむほど熱意もないので、マザーやオウガ、ドラクエなんかの昔夢中になってやったゲームを一覧に並べてとりあえず満足した。
どうせヒダまで味わい尽くす予定も余裕もないのだから、合わせて10本以上あった『ロックマン』シリーズも適当に二本くらいでよかった気もする。
シューティングなんてはなからやらないのに『Rタイプ』シリーズだ『ダイアラス』だ『サラマンダ』だといれても起動はせんだろ。というかなくても困らない。
ちなみに、作業時間は通算六時間ほどだったが、時間の六割はソフトのクリーニングに、二割は箱からの出し入れに使われ、画面を眺めていたのは僅かだった。
読み込み自体は本当に一瞬でびっくりした。
結局、得た知見としては、持ち主不在の実家の祖母の部屋は、網戸が破れているわけでもないのに蚊が頻繁に入ってくるという事実であった。
○朝食:なし
○昼食:シチュー(人参、ジャガイモ、玉ねぎ、マッシュルーム、ひき肉。ひき肉でオリジナリティを出して見たけど、これはかなり合うね。ググったらベタだったみたいだけど、これからシチューを作るときは、ひき肉で作ろう)
○調子
はややー。
いやまあ理由は多分、昨日の夜にファミレスでビールにポテトに唐揚げと豪遊したからだと思うけども。
起きた後は、この間のあまりのシチューの素を使うために、またシチューを作った。
今日はひき肉で作ったのだけど、美味しかった、自炊の定番にしたい。
それから、最近涼しくなってきたので、ラジオを聴きながらの散歩を久しぶりにした。
歩くのはいいですね、こうモヤモヤした気持ちが歩くことで形になる感じがするので、好きです。
おお、ゲームは全くできてないけど、かなり良い休日を過ごせた気がする。
色々あるけど、来週もお仕事がんばるぞいや。
●3DS
○ポケとる
・メインステージの捕獲(ドガース、デンチュラ、ランターンを捕獲)
554ステージまでしか開放してないから、まずはメインステージの攻略自体を先に進めたほうが全体像が見えていいかな。
○黒の令達
そもそもなんだけど、プールイのことを罵る渡辺はマネージャーと表記されてるがマネージャーじゃなくてプロデューサーであるしBiSの所属事務所の社長。クビにしたり今後プールイに関わらないということはなかなか難しい。
BiSは今までもずっと炎上を繰り返してきた。一番最初の炎上でいうと全裸で樹海を走るPV。その後もスク水で客席にダイブするライブをやったり、100キロマラソンをやったり、長いツアー中に炊飯器一つ与えて全部自炊させるツアーをやったり、対面座位になるようなハグ会、メンバー間の争いを全面に出したPV(その後片方が脱退)など枚挙に暇がないくらいの炎上を起こしてきた。
結成当初から解散することを明言してきていた第1期BiSは数々の炎上を糧にして結局横浜アリーナで解散ライブすることが出来た。その解散ライブ前後もメンバー1人1人にAV監督を一人ずつ付けてドキュメンタリーを撮らせている。
去年第2期BiSがはじまり、オーディションの段階からずっとニコ生中継をするなど炎上上等体質は変わっていない。
そのBiSの第1期第2期ともに中心メンバーを務めているのが今回ダイエット企画に失敗したプールイである。プールイはBiSをはじめる前はソロ活動をしていてその時のマネージャーが渡辺でその時からのずっとの付き合いがある。
プールイは全裸のPVのことを話すときに「誰にも見てもらえないことが一番つらい」と言っていた。本人は炎上を繰り返すブロガーと同じメンタル。渡辺とは共犯。
ダイエット企画で失敗して泣いていたけれど、本人はきっとこれで話題になれば美味しいなくらいのスタンスだと思われる。
BiSのファンは今まで数々の仕打ちを知ってからファンになっているので慣れている。慣れているし、こういう炎上を求めてファンをやっている人間も少なくない。アイドルが可哀想な目にあってるのが好きな連中が多い。
AKB総選挙などの残酷リアリティーショーが人気なように、もっと過激なリアリティーを求める人間がBiSに流れ着くのだ。
既存のファンでももう炎上はやめろと思っているかもしれないが、BiSから炎上をとったら失速するのは目に見えている。9割の人が眉をひそめようとも残りの1割が興味を持ち、その中の1割でもファンにすることが出来ればBiSや渡辺の勝ちなのである。
今までの炎上はアイドル個人の話で済んだかもしれないが昨今痩せすぎモデルが問題視されていたり、摂食障害の深刻さが取りあげられている中で過度なダイエット企画で失敗した太っているわけでもない女の子を罵るというのは完全に社会的な悪なのでやらかしちゃったなーとは思う。
もし今回の事件に不満があればとにかく無視することが一番、言及しないことが一番であると思います。
という言及でした。
を本屋で冒頭数ページ読んだら、「『菊と刀』とは、一見繊細で芸術を愛するように見えるのに、ふとした局面に途端に暴力的で強権主義的になる日本人の、二面性の著しさの象徴である」(要約)と書いてあって、もうそれだけで「この人はわかってるなー」と思って買わずに帰ってきたんだけど。
この、70年前の戦争記録から日本人を分析した論文と、ほぼ同じような感想を、現代日本を観察する欧米人の多くも持っていることだろう。日本に生まれ育った俺でさえ、これがまったく不思議でしかたない。
多くの日本人は、俺やこの種の欧米人にとっては当然のように「あわせて備えているもの」と感じられる性質のセットの、どちらかが平気で欠けていたりする。たとえば理系や芸術分野に携わる人間の、社会的理想像の幼稚さ……なんて言うと文系はてなサヨクは小躍りしてそうだそうだと言いそうだが、逆に言えば、歴史や社会を興味対象にする連中の、創造的活動への関心の低さも異常なのである。
「生まれて初めて料理(ハンバーグ)をするために調理器具から小麦粉から買ってきたら1まんえん以上した!自炊は高い!」なんて、冗談としても発想が小学生レベルで稚拙な記事を、いつもは『吾輩は知的である』なんて顔をしてる連中が「そうだ自炊は高いんだ」と拡散したりする。
まず、こんな記事を書けるような年になるまで、本当に一回も料理をしたことがない人間なんて、その時点でただの教育の失敗とは思わないのだろうか。
良い年して現代史もまともに知らず、ネットで感化されて修正史観にハマってしまうネトウヨと、低レベルさにおいて何が違うんだそれは。
欧米の「リベラル」はこんな中庸に欠ける連中ではない。少なくとも、主流の「スタイル」はこれほど低レベルではない。
人権意識を持ち、環境に配慮をし、知的好奇心に溢れるインテリだからこそ、「自分でやる」ことへの情熱を失わない。下手でもDIYや自炊への憧憬を見せる。
一方で、アーティストや職人肌のギークたちが、社会や環境に配慮したものづくりを意識し、積極的にメッセージを発信することも、ごく当然のように行われる。ギーク系のニュースサイトやブログでも、人道/環境配慮や科学技術政策のあり方(政治議論)に、正面から切り込んでいく。
これらは日本ではほとんどみられないものだが、本当にその理想を追求したのなら、人を知ることはものを知ることであり、ものを知ることは人を知ることであるといずれ繋がるのは、このように論理的には必定に思える。欧米では「当然あわせて備えているべきもの」と(少なくとも至上の理想レベルでは)見なされているこの両輪に、何故日本ではこんな断絶があり続けるのだろう?
『菊と刀』の奇妙な同居は、結局のところ、ものごとを薄っぺらな表層レベルでしか装えない、日本人の精神性の貧しさの現れでしかないのではないだろうか。