はてなキーワード: 自己評価とは
私は学生時代に始まり、社会に出てからは職を転々としている(既に4社ほど経験)が、そのどこでも嫌われていた。
嫌われるというのは、あからさまに暴言を吐かれたりするわけではない。他の女性にはちゃん付けなのに私はずっとさん付け、自分だけ気軽に話しかけてもらえない、つまり腫れ物に触るような、遠巻きにするような感じ。
自分が暗そうだからいけないのだと思い笑顔を増やしたりコミュ障なりに自分から話しかける頻度を増やしたりした。その結果「笑顔が素敵な人」と評されたこともあるが対人関係は変わらなかった。
付き合いを深めたあとで嫌われるようになるのではなく、最初から気軽に喋ってもらえなかったりするので、第一印象つまり見てくれが悪いのだ。
私自身は人を容姿で嫌うことはないこともあって一般的な基準はよく分からないが、多少見栄えが悪かろうと、容姿で嫌われている人間はあまり見たことがない。つまり私はそれを実現してしまうほどの稀に見る醜さなんだろう。
そう判断したからには容姿を改善しなければと思って努力は続けているものの、人間関係に改善が見えない。
まだまだ足りないのだ。整形もした。まだ好かれない。
こんな気持ちで長年生きてきたので、自己評価は酷いことになっている。女どころか人間を自称するのも思い上がりな気がして化け物を自称していた。
性的にも全く自信がなく、変質者に遭っても女として見てくれるだけ有り難いと思うくらいだ。
寂しさと自信のなさのあまり、変質者や浮浪者でいいから抱きしめられたいと思うことも少なくない。
焦りから婚活を始めようと思っても、こんなブスをお出ししたら相手が可愛そうだし、反応が怖くてアプリも1日で消してしまった。
けれど、そんな自己評価でありながらたまに思うことがある。「そんなに酷い不細工か?」と。
確かに美人とまではいかないものの、自分の顔がそうギョっとされ顔だけで嫌われるような類には見えず、よくいるブスレベルに見えるのだ。
遠巻きにはされるものの容姿を直接貶されたことは無いし、もう5年以上間が空いてしまっているが告白されて交際したことは複数回ある。少なくとも人間として見てくれる人は確かに存在したのだ。
喋ってもいない人から好かれない時点で、容姿が悪いのはわかっている。
しかしその実態以上に私は、人に好かれない原因を「全て容姿が悪いせい」にすることで、「よくわからないけど人に嫌われる現象の気味の悪さ」から逃れようとしていたのではないか?という疑念が薄々出始めていた。
突然だが私は発達障害(ASD)と診断されている。ASDは人の感情の機微に疎いという特徴があり、私も例に漏れずそれである。
嫌われる理由は、もしかしたら容姿以外にも、雰囲気だとかオーラだとかが何となく良くないのかもしれない。しかし一般人が感じうるかもしれないそういった微細な感覚は私にとって全くの未知の感覚であり、怖いのだ。容姿のようにわかりやすい特徴でなく、「なんとなく嫌」と思われることに言い表せない恐怖がある。未知故に対処できないと思ってしまう。
また、ASDの特徴に思い込みの激しさ、一つの観念に固執するという性質がある。私はこの性質によって必要以上に「全て容姿が悪いせい」に囚われているのではないか?同じような境遇の人を見ても、私ほど延々自己卑下に囚われる人をあまり見かけないので、そのせいなのかもしれないと思った。
それでも今も自己評価を上げることは出来ない。上記のような疑念があっても「嫌われるの容姿のせい説」はもしかしたら正しいかもしれないし、その場合化け物が相応しい自己評価なので、それ以上は驕りのように思えて怖いのだ。
みんな色んなことを言う。あんなに売れてるのに、あんなに人気なのに、あんなにイケメンなのに、あんなに笑顔だったのに。
価値観を鏡のように映している。
売れているのに、という人は、社会的地位が安定して高収入なら人生安泰…と思っているのだろう。
イケメンなのに、は容姿が優れていれば、自己評価も高く異性にもモテて幸せな人生のはず…と思っていて、
先輩や仲間がたくさんいたのに、は信頼できる人に囲まれていれば辛いことがあっても乗り越えられると思っている。多分。
仕事の難易度はそれなりで、残業は少し、ちょっとならサボれたし、怖い上司もいない。
大好きな趣味もいくつかあって、友達と遊ぶ予定もあって、職場でもらったお菓子は美味しいし、今日の晩御飯なにしよっかなーと思いながら仕事終わった1830ぐらいにスーパーうろうろして、
死にたかった。
正確には死につきまとわれていた。
数年前の話。
でも原因となる出来事は何もなかった。(正確には「あった」のだが、これは後述)
将来の心配は多少あったけど、仕事があって友達がいて健康だからそこまで気にしてなかった。
職場の人は、ちょっと感じ悪い人もいるけど別に怒られたりいじめられたりしてない。みんな落ち着いてて、コミュニケーションもちゃんと取っている。
趣味の予定もたくさんあった。(オタクなので、イベントやライブなど…)
生理前にイライラすることが多かったのでたぶんPMSだろうと思って、サプリを飲んだり漢方を試したりした。
不安な気持ちをモノに例えると…、もやもやした雲のような形で、わたしのまわりを漂っていた。
(振り払う方法 好きな音楽を聴いて気分転換、美味しいものを食べる、友達とおしゃべりなど)
たまに濃くなったり重たくなったりするとなかなか動かせない。
(なんとかする方法 ひらすら寝る、長風呂、号泣、怒る、どか食い)
最初は小さくて薄い雲で、大きくなったり小さくなったり、でもうまくコントロールできてると思ってたのに、
だんだん大きくて重い雲の状態が長くなってきて、目の前をふさいだり肩にまとわりついたり、寝てるときに胸の上から押しつぶすように乗っかったりするようになった。
不安の雲に邪魔されることが多くなってきて日常生活に支障が出てきた。
ごはん食べてるときに急に目の前にやってきて、突然不安になる。食事してるだけなのに。
仕事で打ち合わせしてるときにやってきて、なんともないルーチンワークでも不安から焦りが生まれ失敗する。
そんなのが2年くらい続いてた。
だんだん疲れてきた。
ある日(確か金曜だった)仕事から帰ってきて、ごはん食べてお風呂済ませて、明日は休みだから…ってツイッターしながらダラダラしてたら、また大きくて重い不安の雲がやってきて、体を包み込んだ。
耐えかねて、もういい加減にしろよ!なんなんだよお前は!!と叫んだ…と思う。
原因なんてなにもないのに、なんでこんな目に合わなきゃならない。
(引きちぎるのは例えで、不安の正体を考えて、こんがらがった自分の感情をひもといて、自分の感情を認知しようとした。)
雲のまわりのワタを取ったら中に黒いものが入ってた。
これなんだろうと思って覗いてみたら、「死にたい」って書いてあった。
びっくりした。
こわい。死にたくないのに「死にたい」って思ってるの?こわい。
なんで。こっち来ないで。わたしやることいっぱいあるし、やりたいこともいっぱいある。明日休みなのに。なんで。
狂いそうだった。
確かツイッターで「早く人間になりたい」ってつぶやいて、すぐに消した。
不安の雲は私の「死にたい」を隠していたらしく、私はそれを自分で引きちぎって取ってしまった。
次の日からは不安の正体=「死にたい」がそのまま私のまわりをうろつくようになった。
買い物してるとき。
あ、これか、この瞬間か。と思った。
この瞬間に引っ張られちゃうんだ、そうか、みんな大変だ…
できるだけひっそり生きようと思ったけど、日常生活のなかで「死にたい」が叶う瞬間はいっぱいあって、避けて生きるのも限界だと思った。
このままだと私は「死にたい」に殺される。
ゴミ箱に捨てても、山に埋めても、海に流しても
友達とご飯行っても、ライブで感動しても、美味しいもの食べても。これでもう大丈夫!と思ってもしばらくしたら目の前に居る。
こわくてこわくて、半泣きで生活してた。
殺されないために何とかしないといけない。
自分の「死にたい」には一定の周期があって、生理周期と連動している部分があった。
月経がはじまると肉体の猛烈なだるさと痛みが勝り、死にたいが一時的に消える。
(でも肉体の辛さが精神の辛さを上回ってかき消されているだけなので快適ではない…)
この状態から、PMSの悪化版PMDDではないか?と目星をつけた。
うつ病にしては食欲がありすぎるし周期があるし、なにより月経中のだるさと痛みがすごいから、月経不調に詳しい婦人科に行くことにした。
病院選びは今後の人生を決める、慎重に選んだが合わない病院なら即やめて次に行くと考えた。
初診なので電話予約し現状を説明するのだが、絶不調メンタルのしどろもどろの説明でも診察項目に月経不調を掲げているだけあって理解してもらえた。
人気病院だから予約が詰まっていた。直近だと空きがないかも…という状態だったが、
受付の方が「でも辛いでしょう、はやく診てもらいたいよね?時間が調整できないか調べますね」と言ってくれた。
最終的に、ちょっと中途半端な時間だけど…と言って予約を入れてもらえた。
「いま辛いよね」と言ってもらえたのが衝撃的で、電話が終わってから泣いた。会社の休憩室で。(誰もいなくて良かった)この悩みは誰にも話していなかった。
病院では、PMSとPMDDと子宮内膜症について色々説明をうけた。(ただ全部ネットで調べまくった情報と同じで復習の感じだった)
どうしても漢方がいいなら出せるけど、僕はあんまり漢方詳しくないから他院を紹介するね。詳しい先生のほうがいいからね。SSRIは抗うつの薬だけど親御さんが服薬を嫌がることが多いね。あなたお一人で暮らしてるの?それならまあいいね。でもあなたは月経痛も酷いと言うことだから、まずはピルを飲んで頂くのがいいと思います。
ピルも色々種類があるんだけど、うちで取り扱うのはこれ、この表にあるやつ。このなかで一番軽いやつをまず一ヶ月試して、一ヶ月後にまた来て頂くということで。でもこの薬は副作用とか、合わない人もいらっしゃるから。あとでしっかり説明しますから。
あとこの薬はね、これを飲んですぐ健康になるとか、元気なるとか、そういうものじゃないからね。
結果はすぐ出るものじゃないし、様子見て、合わなかったら他のお薬に変えます。
月経困難症の治療薬として低用量ピルを処方され飲むことになった。
先生の説明は今思うと当然だけど、当時はすぐ元気になりたかったから、ちょっと残念だった。
ドラゴンボールの仙豆みたいな薬が欲しかったなあ、ひとくち食べたら疲れも痛みも不安も全部ふっとんで元気になって…
真面目なクリエイターがおくすりやっちゃうのってこういう状況なんだろうか、ちょっとかわいそうだと思った。
その日がちょうど生理が終わったくらいの日で、薬が飲める日までだいたい2~3週間ぐらい。
まだ飲めないのか、早く飲みたい、もう10錠ぐらい一気に飲みたい、でもこれは一日1錠、早く飲みたい…
いや、これを飲めばなんとかなるかもしれない薬をわたしは持っているんだ、前のわたしとか違うんだ…そう思い込んでなんとか乗り切った。
飲み始めて一か月はほとんど変わらなかった。
二か月~三か月くらいでちょっと安定してきた。
半年ぐらいでだいぶ良くなって、一年くらいたつと不安が生まれることがほぼなくなった。
普通に生きられるようになった。突然涙が出ることもなくなって、ライブ中に感受性が突然「無」になることもなくなって、「死にたい」もなくなって、目の前にあることを普通にとらえることができるようになった。
たぶん。
自死を選ぶ直前の人を保護して病院に連れて行ったら、いますぐ治療を開始しましょう!
ってなると思う。だいたいは。
それで治療してお薬飲んで病気が良くなったら、100%元通りまでいかなくても自死は選ばないと思う。
病気じゃなかったらそんなことは選ばない、だから本人の考えや意思じゃない。
ひとりぼっちじゃなかったし、いじめられてなかったし、楽しいこといっぱいあったし、仕事は安定してたし、ちゃんとした収入もあった。
それを伝えたくて書きました。
あなたのせいじゃないです。
私は文章を書くのが上手いと言われて育った子供だった。この場合の文章というのは、いわゆる作文や感想文だ。
最初は単なるリップサービスだと思っていたのだが、小学中学高校と時を重ねていく中で、教師からも同級生からもそう言われ続け、作文コンクールの賞もよく貰っていたので、ああまあ平均よりは書けている方なんだろうな、と思うようになっていった。
誰もが面倒臭がるであろう読書感想文の課題も、面倒くさいとは思っていたが、決して苦痛ではなかった。本を読んで思ったことをそのまま書くだけだったからだ。鉛筆を持って、頭の中に出てきた文字をどんどん書いていけば、気がついたら全体のまとめに入っている。少なくとも、何を書けばいいのか分からなくて手が止まってしまう、という経験はなかった。
ただ、苦手なことが一つあった。それは、作文のタイトルを決めることだ。同級生はみんなタイトルを最初に決めてから本文に入る、もしくは最後にずぱっとすぐタイトルを決めていた。私の場合、本文を書き終えてから最後にうんうん悩んで微妙なタイトルを無理やりひねりだすのが常だった。
「書き終わった文章をざっと読んで、心の中に残った言葉をタイトルに使うといい」とアドバイスも受けたが、私の心の中に残るものは大抵さまざまな要素が複雑に組み合ったモヤモヤしたもので、一つの短い言葉に変換できるようなものではなかった。
「このタイトル、他にもっといいのがあるんじゃない?内容はいいのに」と教師から言われたことも何回かある。
そのような経験があったので、文章は書けるほうかもしれないがネーミングセンスはない人間だと自認していた。
高校に入って、初めて授業という形で文章の書き方を学ぶことになった。「まず」と授業の初めに教師が話しはじめた内容に、私は人生一番の衝撃を受けた。
教師によると、文章を書くときは、書き出す前にまず「書きたいこと」を決め、そしてどういう論理展開でどういう結末に持っていくのかも決めておくものらしい。周囲の同級生たちは全員「だよねー」という顔で頷きながら聞いており、それにも驚いた。私が今までやってきた文の書き方はなんだったんだ。
要するに、それまで私は後先考えずにその場その場、心の内にある思考や感情を原稿用紙にぶつけて文章にしてきていただけだったのだ。書きたい軸の内容を事前に決めることもしていなかった。だからタイトルもなかなかつけられなかった。
本来ならば、もっと早く、義務教育のどこかで論理が破綻しているだの筋がブレブレだのと教師から添削を受けて、直されていくべき悪癖だったのだろう。そうした癖を持つ人々の中で、自分はたまたま「まあまあの外見の文章」を書けていたから、チェックに引っかからなかっただけだった。
その授業を受けて以降、「まあまあ文章が書ける人」から「帳尻合わせがうまい人」へと自己評価が変わった。
改めて書き出してみると、本当に当たり前のことで、よく高校生になるまで気づかなかったなという感想を抱くのだが、当時の自分にとっては世界がひっくり返ったような衝撃だった。
かと言って、構成を決められるようになるわけでもなく。今でもタイトルをつけることも内容構成を事前に決めることもいまいちなままである。
この会社に私は中途採用、彼は新卒で入社した。社員になったのは同時期なのでかれこれ3年ほど一緒に働いている。
他社での勤務経験がある私と初めての社会人をする彼の間には大きな経験値の差がある。
一般的な接客応対や仕事で困ったときにどう上司や同僚にアプローチするかこの3年間私なりに彼に伝えてきたつもりだ。
上司やほかの同僚も丁寧に彼に教え込んできた。
常にお客様の視線がある職場なので把握している限りハラスメントにあたるような強い指導はしていなかったと思う。
だけど彼は一向に仕事が出来ない。
仕事が出来ないは成果を上げられないということではない。何度教えても業務の基本知識を理解できないのだ。
医学に関して門外漢だし、完全に今までの経験や知識で推測しているだけだが
ずっと一緒に働いてきた人たちは彼の話題になると病院に行けばなんらかの診断が下るだろうと思っている人間が大多数いて、
話が逸れるが、私自身ADHDであり現在投薬とカウンセリングを受けている(このことは会社及び職場の人間には周知していない)
診断が下りたからといってすべてが解決するわけではないが治療を受ける前と後では大きく人生が変わった。
私の場合とにかく生きづらさがひどく、ADHDの衝動性や多動に悩まされ、
何年もネット上でどうやったら自分を変えて生きることが出来る方法と必ず死ねる方法を日替わりで検索する日々を送っていた。
だが彼にはそういったところが見られない。
境界領域知能だとそもそも生きづらさを自認出来ない人がいる、ということをネット上で読んだことがあるがそれなんだろうか。
彼は文字を読むことが人の何倍もかかる。
指先が不器用で紙がなかなか捲れないし、お世辞にも字が綺麗とは言えない。
簡単な〇×テスト(例えば「他者のパスワードを使ってPCにログインしてよいか?」)という問題を間違える。
教えられたことを丸写ししたルーズリーフを自宅に持ち帰っては二度と持ってこない
(3年間毎日のように用紙を持ち帰っているので自宅に同じことが書かれた紙が積みあがっているのではないかと心配している)
一般的な入社1年目の子が覚えていることをいまだに習得できていない。お客様との対話がちぐはぐになることが多い。
なにを言われるか。
「3回教えてだめならまた教えればいいじゃない」「いやー、それってちょっと盛ってません?」「悪口参加したくないので」「大変だね」
まぁ、大体こういうことだ。
例えば彼がものすごく恐縮したり、謝ったり、上記をカバーできるような特技があれば彼をフォローする声もあったかもしれない。
でも彼は自分が起こした失態を先輩社員が上司に報告し謝罪していることに気づかず机に座っている
(上司に頭を下げるというアプローチが物事解決にはなんの役に立たなくても人の中で働く際には時には必要だということが理解できない)
クレームに繋がるような行動をどうして取ったのかを問われ彼の中だけの事実を作り出してしまう
(おそらく物事の整合性を合わせるためにその場でつじつま合わせをしようとするため。結果問うた人間には自分の保身に走ったと思われてしまう)
はっきり言って上司が付き添いで病院に相談しに行ってほしい。診断が無かろうとなにがしかの支援が必要なタイプには変わりない。
しかしたまたま同じ会社で勤めているだけ、上司になっただけの人間がそこまでしなくちゃいけない義理があるか?
いや、無い。
私たちは支援員ではない。生活のために偶然同じ会社の社員になっただけなのだ。
彼の人生の支援をする余裕など自分たちの人生を送るのに必死な私たちには無い。
(余談だが関連会社で同じような障害の疑いがある若手社員に対し個室面談でオブラートを何十枚も巻いて受診を促したところ
「そんなことを言うなんて人権侵害だ!(意訳)」と激高した声が社内を駆け巡ったという話があり人事担当は事なかれ主義を取っている)
彼から聞く彼の家族はなんだか彼自身に興味がないようだからそちらからのアプローチも無いだろう
(というかこの状態の彼を今までスルーしてきた家族には最初から期待出来ない)
3年前は新入社員だった。
仕事に関してはなにも知らなくてもおかしくなかったし多少の粗相があっても社内外問わずお目こぼしがあった。だがそれももう限界だ。
「(付いてる社員に対して)あなたも大変ね」「もっとよく教育しといてよ」と対応が厳しくなってきている(その節は本当にご迷惑をおかけしております)
みんな疲弊している。
自分の仕事を抱えてフォローに回る。そうすると自身の仕事にミスや粗がでる確率がぐっと高くなる。残業時間が増える。
フォローをしても想定を超える失敗をするのでフォローをした人間が上役に叱られる。
本来なら下げなくてもいい頭を下げることになる。だれも彼に指導したくなくなり、近くの席に座ることは罰ゲームのような感覚が出来る。
そろそろ20代中盤になろうとしている。彼の後輩はとっくに彼のレベルを飛び越え仕事で結果を残し始めている。
上司はため息交じりに言っていた。「あんなに仕事出来ないのに自己評価は高めなんだよね…」
周りの人間にフォローされていることに気づけないから自己評価が高いのか?
という問題もあるだろう。自己評価が高く生きづらさや困り感が無いのであれば私よりも生きやすい人生を送っているのかもしれない。
そんなところに領域知能や発達障害という診断が下されそれ認識してしまったら社会に沿う形に治療や支援は出来るかもしれないが彼自身はどんどん生きづらくなってしまうのでは。
だが先ほども言ったように自分の人生を生きることが最優先の私たちは彼のその後の人生について考えて支援する余裕はない。
結局のところ今の状態をずるずると続けるしかなく、彼が転勤したら御の字だし、申し訳ないと思いつつも退職して縁が切れればと思ってしまうのだった。
10年同じTwitterアカウントでオタク続けてみろって、自分もこうなるかもって焦ってる20くらいのオタクには、向上心は放棄しろ、32歳腐女子になれって言ってるのと同じだよね。
30くらいのオタクに、今から10年それやれって言うのは現実的か?増田みたいにフォロワーと楽しくやってきて、それでも尚あの文を読んで焦ったアラサーオタクもいるかもしれないけど、それについてはどう思う?増田の将来かもしれないよ
このコメントも、続く文も、「他人の人生に口出しするな」という口出しだと受け取ったんだけど。
“他人の価値観を尊重して、適切な友人関係を構築できる私”との増田の自己評価と、変わんなきゃマズイかもと焦る人へ自分の幸せをマウンティングする増田の他者評価は噛み合わない。
32歳腐女子の文を読んで焦れとは思わないけど、何故この文を残したのか、本当に自分は幸せでよかった!とだけ感じたのか自省してみてはいかがでしょうか。
増田読んでると色んな人の生活とか人生観とか色んなものが見られてすごく面白いから自分もまとめてみた。
正直事務とかふつうの仕事は無理だろうなと高校のころからうすうす思っていた
注意欠陥までいかないと思う…けど、色々と普通のことが普通にできないからだ、銀行とか絶対無理なタイプ
ていうかコンビニバイトも無理だったしスーパーのレジ打ちもおぼつかなかったし後述するけど倫理観がちょっと常人とくらべてガタついてるところもある(あった)おまけにコミュ障すぎずコミュ強でもないが自分はセンスいいと思っている最悪な部類のやつだった
進学高でもなんでもない普通の学校で成績は中の下か下の上だったので受験ははなから選択肢になくなんとなく選んだ専門学校に行ってた。学費免除の特待生は受からなかった。
うだつの上がらないままコネで待遇もよく確認できないまま新卒入社したところは所謂技術職で入った、専門学校で勉強してたのとは全然関係ない仕事だった
初任給10万切ってたけどはじめてお給料もらえた時はめっちゃうれしかった。仕事ぶりはというと今振り返るとはっきり言ってかなり低能で、つかえねー部下だった
生意気な口ばっかりきくし特段仕事ができるわけでもない…人望もない…若いだけのクズ…デブ…ミス多い…でもその割に上司はふつうに接してくれたと思う
激務すぎてやめた、社内のやりたい仕事へのルートすら能力が足らなくて開けないし、かといって激務のなかでこじ開ける努力をするのは困難と感じたのもあった。あとなんか2年目くらいからストレスのせいかめちゃくちゃ太りはじめて怖かった
でも4、5年くらいいたかな…お世話になりました…まじで…10万ちょっとで月400時間くらい働いてたと思うけど…感謝…
こっから流浪の派遣生活が暫くつづく、この期間が暗黒、黒歴史、一番社会人としてやばかったと思う
度を越した長時間労働・低収入だったから派遣になったとたんもらえる賃金と自由に使える時間が爆上がりしやっと一人の人間になれた気がした
それはいいとして、そのうちの一社で業務中に別のことに夢中になってたのがバレて(犯罪行為ではない)即効契約終了になったりしたのも懐かしいが、っていうかほんと今考えるとありえなすぎる
でもこれやりたい!と思うと我慢できなくなっちゃってたんだよな、我ながら怖すぎるだろ
他の就業先でも契約満了になったの直接いわれてないけど業務中のネットサーフィンがどうしてもやめられなくて、あれが原因だったんだろうな
どうも破滅するってわかってるのにそれでもやめられないみたいなところがあり、本当に怖い。今は加齢して枯れたのか人間としてちょっとましになってきたのかここまでやばいことはなくなった
暗黒期はそれなりに長かったが色々あって収入は増えたはずなのに初期はとにかくめちゃくちゃ金がなかった、お金なくて100円の野菜買おうかどうか腕組みして棚の前で15分くらい考えるくらいには金ほんとになかったよ、よく生きてたな実家帰れよって今なら思う。
理不尽なのはそれくらい貧乏だったのにデブはそんなに変わらなかったこと
そっから一応技術的な成長とか将来性とかも考えて直雇用で転職したが…次はまあなんかヤンキー体育会系ベンチャーって感じだった。2年半くらいはいたかな
つるんでる会社もまあ数年前は話題になってたけど近年は資金繰り悪いとかそんなばっかで斜陽、パッとしない感じだった。だっさ…ていうか情弱かよ…?って正直思ったりしていた
なんか体質的に合わねーな、ハッスルハッスルしすぎだろ、ていうのが決め手になってやめた。あんまり自分のスキルアップも見込めなかったし
ベンチャーって社長のワンマンだけど「一緒に目標に向かって頑張りたい」と「なんでお前のキラキラストーリー達成のために自分の時間を搾取されなきゃいかんのだ」の差はどこに出てくるんだろうね
体育会系の方法論って小規模から成長するときには有効というのが傍でみててよくわかった、しかし理解と自分に合うかどうかは別
やめた後も薄目でみるかぎりスケールしてる(っぽい)のは素直に何よりです、みなさまとプロダクトのご多幸を影ながらお祈りしております
やめたあとは半年くらい充電休暇しつつ勉強しつつ転職活動だったがまあ引っかからなかった
今思えばお祈りあたりめーだろ、って感じの間違った自己アピールしてたな。その時採用試験受けて落ちてしまったけど感じのよかった企業は未だに好感度高い
ここで暇だから自宅で筋トレしてデブは脱却した。管理ハイになると体重って結構落ちるね、ほんとハイになりすぎて必要ないとこまで絞ってしまい風邪ひきやすくなったりコスパ悪くなったので計画的に太った。すぐ戻った。BMI31→19.5→23。いまはもうちょっと太ったかもしれない。わからん。体重計乗ってない
話がそれたが手元に残ったのは人材紹介から紹介されたまあ今までの経験は活かせるがガラパゴス業務、母体はでかそうだけど成長につながらなそう…って感じだったのでしかとしてたが、いよいよのっぴきならなくなってきたのでそこに行くことにした
試しに100万弱年収アップ交渉してここは割りたくないって言ったら満額じゃないがまあまあ通っておいおい~まじかよって衝撃だった。逆に元々どんだけもらってなかったんだよってこれまでの自分にちょっと引いた
そんなこんなで最初に配属された部署でいじめにあう、3年間くらいかな
配属されたてのころにここでそんなこと言うなよなってレベルの失言をうっかりしたことがきっかけでまあ詳細は割愛するけど地味なやりかたでいじめられたわけだが逆にここでメンタルは相当鍛えられた
いじめてくるやつの仕事ぶりを見て絶対自分のほうがうまくやれるって思ったし実際自己評価でしかないけど絶対自分のほうがいいものを作れてた
自分もいじめてくるやつも役職なんかついてないヒラで(いじめてくるやつのほうが年上で年次は上だったが)上司は公平でいてくれたのは助かった。技術職は仕事で自己満できるのが相当強いな
でもいじめは理不尽だしつらいし鬱一歩手前で家に帰ると何も手につかず風呂に入れなくなり汚く臭かったので上司面談されたりしてたが
これを念じてたら頑張れた。いじめのせいで仕事休んだことなかったし(休んだりやめたら負けだと思った)仕事をかなり前倒しして仕上げて自己肯定感爆上で帰路につくのが超幸せで、今までで一番万能感に溢れてたな。家につくころには次の日の朝がいやでまたつらさが襲ってきたが。いじめられてて汚いが退社するときはめちゃくちゃ自己肯定感はあるというねじれ構造だった
世間はこれをたぶん自己満て呼ぶんだろうしうるせーなその通りだよ、でもあの時の周りの人たち本当にごめんなさい。意味わからんときに涙だけ出てたりしたしカオスすぎた
ちなみにいじめてた奴はどっかにいるはずだがそれから社内でみることはあんまなかった。今は涙もでないし風呂も入れてる
そんな数年を過ごした後何回か移動もありつつ新しい仕事が降ってきた。自分で色々精査してるうち結構デカい案件に育ちそうだなーって思った。わりに普通の小規模案件として扱われててとくに注力しなそうな感じの雰囲気が漂ってた
適当にまわせばいいから、ってかんじでなんも社内資料とかなくて、まじかよってなりながら時間つかっていい許可もらってめちゃくちゃそのへんを整備した、例の一件で属人化には懲りてたから
(いじめてくるやつがそういうのに関心が低く年次が上のやつが口伝していくみたいなクソ状態だった、今思ったけど自分の地位をキープするためわざとか?!)
そしたらなんかそのへんが評価されたらしく、その案件がでかくなってきたのとまあいい歳だったのもあり管理職になった。なったが、仕事は増えてるのに一向に給料があがんねーーー!!!!バーカバーカ状態
なのでもらってる金以上の仕事はしないっていうのが確固たる信念になってきた
言いかえると会社には何も期待しないし程々手を抜いても回るように整えていくって感じ、逆に効率化重視の動きに割り切れて自分はやりやすくなった
(会社にはめちゃくちゃ自分の就労倫理に基づいてそこまで求めてないやろってくらい根詰めて働く人もいるし、いろんな働き方をする人がいるからいい塩梅で回ってるのかもなって思う事も多々。自分みたいなのばっかりでもダメだしオーバーワークばっかりもだめだろう)
でも管理職ってやってみると結構面白いなと思うようになり、色々好き勝手暴れまわってたら任される仕事が増えてきた。
このへんで給料がぽんと上がりはじめる、管理するようになっておお、って額が昇給してた。おお、は単に今まで塩だった反動ではあるがなんのかんので前のわっしょいベンチャー退職時より1.5倍くらい年収あがったから運がよかったとしかいいようがない
でまあ半年くらい前にもうちょっと上の役職にならんか、と言われた
評価されたのは管理の実績らしく、業務としてはそのへんの割合が増えてくるってかんじらしい。おちんぎんがどうなるかはブラックボックスだって言われた。なんでだよ、最早期待してないからあがるかどうかはどうでもいいがそういう無責任な不透明さが本当に嫌いだよって辟易通り越して悲しくなった
でもなーー、管理もおもろいけどもうちょっとプレイヤーでいたさもあったからスキルの棚卸のついでに転職活動してみようかな、と考え始めた
自社で使ってたBtoBサービスが使いやすくて、最初になんとなくその会社のサイトみてたら募集があって風通し良さそうだなと思ったから
気軽なかんじでオープンポジションで応募したら受かった。面談も自分にフィットしそうな内容で、やっぱ職ある状態の転職活動は御社が転職に値するかこっちも見極めますよ、って側面もあるから楽だった。不採用になっても受けてみてよかったなあと思っておでん食べてたら採用通知が来た。他のところは今回受けてないから転職しよっかなーから採用まで一か月くらいだった。働いてた会社は淡々と退職期間に入ったけど、社交辞令でも最終日に上司や同僚がつらかったら戻ってこいって言ってくれたのは嬉しかった
転職先は新しい領域もいちからはじめないとなのもあり提示された年収だと手取り若干減りそうだけど手当が色々あるらしいからとんとんくらいか、まあ減額でも前職より学習環境は良さそうなので全然メリットある。あとする気ないが今まで見なし含だった残業代が出る。まあ昇給機会が多いそうだから健全な会社ならなんとかなるんじゃね?でもコロナもあったし無理かな、まあいいや程々にやってくぞ、8月からまた1年生だ。
まあダメだったらウバーイーツの配達員とかも楽しそうじゃん。何個か仕事かけもちも良さそうだしご飯ほどほど食べれて雨風しのげればいいよ。
③職歴振り返るとその時周りにいた人に改めてお礼を言いたい気持ちになった
④失言が多いな、気を付ける
⑤文章を書くのは面白い。特に誰にも話せないことを書きちらすのは気持ちいい
⑥働くのは面白い
いい年のわりに未婚で恋人もおらずで友達3人くらいだが今のところそれで自己肯定がそんなに損なわれることはない
とくだん年収がめちゃくちゃいいわけでもなんでもないし子供のころからめちゃくちゃやりたかった仕事でもないしほどほどに会社というものが好きで嫌いだが
低収入だろうがハゲだろうが童貞だろうが処女だろうが空気読めなかろうがギャンブル好きだろうが非正規だろうが正規だろうが
ひとに迷惑かけず犯罪行為もしてなかったら自分がアガってる状態キープできてるなら別に何でもよくない?
そりゃ自己肯定のもとが人によって仕事だったり家庭もつことだったり子供だったり配偶者か自分の稼ぎだったり趣味だったり恋愛だったり、もっと別のことかもしれん。将来の不安する必要がないとか…?他にも色々あると思うけど。
まあでも自分は持ってるスペックにしてはよくやってるよな(他からの評価は知らん)ていうのが強い、結局自己肯定最強だなって振り返りになりました。全部前職でいじめてきたやつのおかげかもしれない。感謝なんか絶対しないが勉強にはなった。
多分積極奇異型で、アスペというのは後々医者の診断くだったのでマジ。
「だから何?」という話を突然延々とはじめるし、呼んでないランチについてくるし
(卵苦手なのに親子丼の専門店ついてきて、完食するまでえらく待たされた)
思考がズレてるのか、着眼点がおかしくて「どうしてそうなったのかな?」という
疑問にはあたふたとよく分からない返答が来て顔を真っ赤にしていた。
電話の応対一つ満足にできないのに自己評価だけは高くやる気満々で
日に日に私のストレスは蓄積されていった。
初めてメンターやったので、本当に自分の教え方が悪いのかと悩んだが
結局3ヶ月で限界がきて上司にパスしたら、上司は2週間しないうちに
「あいつ無理だわ」って根をあげた。は?○すぞ。
当時はアスペの診断出てなかったので、過剰に尻拭いさせられてストレスためて
転職先の会社でもアスペ派遣の担当になり、毎日殺意との戦いだった。
もともと障害者枠の雇用であれば業務内容とかの調整もできたかもしれないが
健常者枠にまぎれこまれると完全アウト。
なお、周囲に理解を示してくれる人がいたが、尻拭いはしなきゃならないので
結局2回目の胃腸炎になった。
それ以来アスペが本当に怖い。
気をつけて生活してる患者には悪いが、坊主憎けりゃ袈裟までで、一切関わりたくない。
それぐらい怖い。
元
https://anond.hatelabo.jp/20200703193938
https://anond.hatelabo.jp/20200704211736
https://anond.hatelabo.jp/20200705112649
これを読んでいつも思っている話が何となくよぎったので少し書いてみる
上のブログでは、「対価システムにとらわれるコミュ障」の話がメインで語られている。非常に面白い考察なので是非とも全編読んで欲しいのだが、簡潔に言うと「自分に自信のないオタクはもともと自己評価が低いために、相手に対価のあるものを提供しようとしてなんとかコミュニケーションをとろうとするが、特に相手はそんなものに興味はなく普通に人間として交流できる人が欲しいため、コミュニケーションをとれずに終わりがち(最悪の場合は相手に対価を求めてすらしまう)」みたいな話である。
自分もこの「対価システムにとらわれるコミュ障」側の人間なので「わかる」という気持ちなのだが、これに加えてこういうタイプの人間には「人間性への興味の欠落」が発生しているのではないかという思いがある。わかりやすく言うと、七瀬は綾瀬の作った作品にしか興味がなく(本人が自覚しているかどうかはともかく)大して綾瀬という人間には興味がもててないのではないか、という話である。
「いや、七瀬は綾瀬のことをかっこいいとか言ってるし、ツイッターでの日常ツイートとか見てるかもしれないだろ」という意見もあるかもしれないが、結局は綾城を「神作品を作ることができるマシーン」としか捉えていない。「神作品を作ることができるマシーン」がどういう日常を送っているかには興味があっても「自分なりの人生を送って、こういう性格をしていてこういうものが好きで、創作をしながらも日常を送っている綾城」に一切の興味がないのである。なんならさらにいえば「自ジャンルの神創作をする綾城」にしか興味がない。いっぽうの中島は、きっかけは綾城が神作品を作ることかもしれないが、きちんと綾城という人間に興味を持っているように見える。だからこそ中島は綾城に一人の創作を楽しむ人間として色々なジャンルをお勧めできてともに楽しむことができるし、友川は綾城を自ジャンルにどうにかして引きずり戻そうとするのである。
自分の観測範囲では、こういう創作者を「創作者」としてとらえて人間性への興味をなかなか持てないタイプの人を特に創作界隈でよく見かける気がしている。(そして私もそうである。)
こういう場合、コミュニケーションが創作を通じてのみになりがちである。具体的に言えば推しの話や創作をする際の悩みの話、そして自分の作品のみでコミュニケーションをとるのである。
もちろん、それが悪いとは言わない。なんなら創作界隈なんぞ「推しの話をせずになんの話するんだ」「ごたごた言わずに作品で語れ」みたいな界隈なのでどこもかしこも大なり小なり上で書いたような空気はあると思う。が、上で言うような人間性への興味がかなり欠落している人は、「それでしか」コミュニケーションをとらないということになってしまいがちなのである。そしてそうなると往々にして息苦しくなることが多い。なぜなら、その界隈での自分の存在意義を「どれだけ良い作品を作れるか」「推しへの熱量」のみによって測るようになってしまうからである。
誰もが常に創作を続けられるわけではない。日常が忙しくなったり、色々なジャンルに興味が出ることもあるだろう。そもそもとして人によって使える時間、お金は違うし、ジャンルにかけることができる熱量も違う。一つのものに熱を注ぐ人もいれば色々なジャンルをくまなく漁る人もいる。にもかかわらず、創作の質や量、そしてジャンルへの熱量のみで自分の存在意義を測るのならば、ちょっと忙しい時期が続いたりスランプに陥ったりするだけであっという間に居づらさを感じることになってしまう。
普段から創作の話やジャンルの話しかせず、リプライも推しの話か創作の悩みの話のみしか交し合わない。それでいて自分がジャンルに時間や熱量を(やむを得ない事情で)あまりかけられなくなると、「自分は界隈での存在意義がない・・・」とか一人で勝手に病みだすのである。傍から見てると自業自得のただの面倒くさいやつである。
こういうことは人間性によってコミュニケーションをとり、関係性を築いてる要素が多少にでもあれば起きづらい。普段から「△△な作品を作る○○さん」ではなく、「○○さん」という形で多少なりとも人とコミュニケーションを取るようにしていれば、創作に多少熱量が避けなくなっても「自分の居場所を失ったように感じる」ことは少ないだろう。なぜなら自分自身の存在が存在価値になっているからである。(もちろん完全に不可分というわけにはいかないと思う。でも、創作をしている自分100:自分自身0という状況に比べれば、90:10とかにしておくだけでもだいぶ変わるだろうという話である)
だが、人間性に興味を持てないオタクはこうすることができない。上で述べたように創作を通じたコミュニケーションしか取れない。そうするとやはり熱量のみでしか存在価値を確保できないし、それが少し減るだけでとあっという間に居場所を失ったように感じるのである。
補足だが、これはすべて自分から見た視点での話である。界隈の他の人が自分を自分自身としてみてくれていてもあまり関係ないのである。大事なのは自分自身が他の人とどういう風にコミュニケーションをとろうとするかである。「創作を通じてのみでコミュニケーションをとろうとしている人間」は「創作ができない自分自身はコミュニケーションをとることができない」と「勝手に自分で感じて」、「勝手に居づらさを感じている」のである。ただただ面倒くさい。
この話は「自分自身という人間に価値を感じることができないので、代わりになんとかして対価を出す」という話と外からは同じように見える。なんとかして対価を出すことによって存在価値のない自分が相手とコミュニケーションをとろうとしているとみることもできれば、相手という人間に興味を持つことができないので、コミュニケーションをとる方法が創作しかない、とみることもできる。おそらく多くのこのタイプの人は両方の側面があって個人個人によってそのウエイトが変わるだけだと思う。あるいは、例えば自分という人間に価値を感じないので、相手という人間に対してどういう風に興味を持てばいいのかわからないのかもしれない(たぶん自分はこれ)。
どうするべきかわかっていれば正直自分もそんなに困っていないので、個人的には結構難しいイメージがある。特に、相手という人間に対して興味がないならば興味を持てるようにすればいいじゃないか、とぃう話にも見えるが人に対して興味が持てるならこんなにこじらせてないし、もっと人生楽に生きることができると思う。相手という人間への興味を持てないからこんなに面倒くさいことになっているし、自分自身の存在を承認してもらい、社会や界隈とどうにかしてコミュニケーションをとるために手を動かし続けているのである。
その中で個人的に大事だと思っているのは、「自分を自分として見てくれる人からの言葉を否定しない」である。創作でしかコミュニケーションをとれず、創作が進まないために人とやり取りできなくなっている時に「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人がいたら、そこで「いや、自分なんてなんにも出せてないし語れないし・・・」と卑屈になるのをぐっとこらえて素直に受け取るようにするのだ。そういうやり取りを少しづつ積み重ねていくと、そのうち「相手が自分のどういう人間であるところに興味を持ってくれているか」がわかるようになってくる。そうすると、今度は自分という人間への興味の持ち方が少しづつわかるようになってくる。そうすると、そのうち相手の人間性に対して興味を持つことが少しづつできるようになると思う。
おけけパワー中島のムーブをぐっとこらえて素直に受け取っておくようにすれば、そのうちおけけパワー中島が自分を救ってくれるかもしれない。
自分の会社の方針、と言うか求められ評価される人間は向上心や積極性がある人。
自ら進んで何かにチャレンジしてそれに対して結果を出せば良いだけのこと。
そんなこと自分の会社だけではなく社会全体での常識だと思ってる。
そしてその「評価」をする当たって立てた目標に対する自己評価をしたり、他者からの行動に関しての評価をまとめたりして定期的に面談が執り行なわれる。
で、ここからは完全に愚痴なんだが、毎回毎回「目標」を立て面談で話すわけで。
それが自分だけなら良いのだが、話を聞けば大半同じようなことをされてるらしい。
直近の行動や目標にはボロクソに言い、代替案も出さずに面談終了。
まぁ勿論それが誤った方向に進む行動となり得るなら芽が出る前に「潰す」のは良いことかも知れないが…
その面談を担当する人間よりさらに上の偉い人に同じ話をすると、賛成する意見をくれたりそれに応じた的確なアドバイスまでくれたりする。
なぜそこで意見の相違が出てしまうのか、これってただのパワハラなんじゃないか?とまで最近思い始めた。
鬼のように厳しくあたり、試行錯誤を繰り返し世間一般で言う「出来る人間」になれってことかも知れないが、あのやり方では誰が何をしようと花開く前に腐ってしまう。
勿論こんなところで愚痴を吐き、人のせいにしてる時点で己の成長につながらないこともわかってる。
生きるってめんどくせえ。
nond:20200630144756書いた増田だけど、俺の主張はそういうこと。