Twitterの検索って結構ガバガバで、全然目当てではないものが引っかかることも多い。
だから先日検索していたら、全然違う話が引っかかってしまった。
「私は自分の絵に自信があるので納得いきません!公式はもっと実力で選んで欲しいです。」
すごい、いったいどんな素晴らしい絵を描く方なんだろうか!!と検索したかったことも忘れてメディア欄に飛んでみると、
いかにも「クラスの絵の上手い女子」概念を固めて作ったような、人型には見えるがへろへろの絵がそこに並んでいた。
どうやら氏は、公式で開催されたイラストコンテスト?に落選してしまったが、自分より画力が低いと思った人は選ばれていてご立腹という事だったようだ。
このパターンは「客観的に見れてないだけで実際には自分の方が画力が低かった」か「向こうが画力以外の付加価値を多く持っていた」のどちらかだ。
ただ一つ言えることは、公式が実力で選んだとしても、その……。
たぶんこの人は実際に未成年というか、現役「クラスの絵の上手い子」なんだろうなと推測できた。
しかし大人でもこういう人は多い気がする。それを裏付けるのがお気持ち長文に代表される、何かにぷんすこしてるオタクたちの存在だ。
この手の、自分が思ったより評価されなかったことに対する不満。
今朝ちょうど相互フォロワーが、昨日描いた絵が頑張ったのに全然評価されないことを嘆いていた。
前提としてこの人はそもそも字書きであって、絵は正直大して上手くない。神絵師がうじゃうじゃいるネットだと下手の部類ですらある。
しかもその絵で描かれているキャラクターも一次創作。そう、伸びる要素がどこにもないのである。
「絵が伸びる」にはいくつかの要素がある。
本人の需要。誰が描いているか。ネームバリューがありフォロワーの多い神絵師であればあるほどよい。
キャラの需要。誰を描いているか。話題性があるキャラクターの方がよい。
美しさの需要。どれぐらい上手く描いているか。画力は高ければ高い方がいい。
今回この相互フォロワーはどれも満たしていない。つまりどう考えても伸びるはずがないのである。
にも関わらず、この人は自分の絵が何故か伸びそうであると、「頑張った」だけを根拠に期待してしまった。
インターネットにおいて、凄いものは評価されるが、逆に言うと残酷にも凄くないものは一切評価されない。
そして勘違いしてはいけないのがここでいう「凄い」とは技術力の問題ではない。
例えばPartyParrot系MAD動画とか、めちゃくちゃ伸びているが技術力の観点で言ったら誰でも作れそうなものばかりだ。
では何が「凄い」のかというと流行に素早く乗った所だ。瞬発力というか。トレンドをおさえる力というか。
評価されてない人ほど自己評価とのギャップに苦しみがち