はてなキーワード: 耳鳴りとは
自分は普段そんなに積極的に音楽を聞く方ではなくて、大好きなミュージシャンもおらず、
ですが、なかなか会えない地方在住のドラマーの友達が、東京でライブをやるということなので、
いい機会だと思って渋谷の小さなライブハウスに足を運んでみたのです。
友達の出番はスタートしてから何組かが演奏した後だったのですが、
せっかくなのでライブハウスの空気を味わってみたいと思い、最初から行ってみることにしました。
雑居ビルの地下に降り受付をすませると、薄暗いフロアにはまばらな客、
その誰もが所在無さげに立っていて、気だるい空気が流れていました。
しばらくそんな空気に浸っていると、定刻になり、フロアの照明が落とされました。
そしてたぶん、難聴の原因となったバンドの演奏が始まりました。
そのとき私は運悪く、スピーカーの前に立ってしまっていたのです。
フロアはそんなに混雑していなかったのですが、そのバンドのボーカルは、客の海の中を泳ぐタイプの人だったようでした。
それを知っているらしき人たちが、なんとなくステージ近くのスペースを空ける動きを取りました。
ライブ素人たる私はそれに流されてよくわからないままに移動してしまい、
そして始まった演奏はシャウトの連続。リズムは結構好みでしたが、何を言ってるのかわかりませんでした。
耳がピリピリする感覚。これがライブか、と高揚しつつも、若干の不快感は否めませんでした。
その後友達のバンドの演奏も聞いて(前までのバンドたちと対照的に、落ち着いた曲調でとても良かった)、
ライブハウスを後にしたのですが、その時はまだ耳に異状が生じていることに気づきませんでした。
なぜならライブハウスを出るとそこは休日の渋谷で、ざわざわの嵐だからです。異常な音空間では、耳の異状が際立たないのです。
何も動かない、テレビもラジオもつけていない一人暮らしの家なのに、キーンと響く音。
うるさいところから静かなところに移動したからかな、と考えましたが、一時間、二時間たっても消えません。
不安に思いつつも、とにかく寝れば治るだろうと思い、その日はいつもより早めに床につきました。
危機を感じて、その日は平日でしたが勤め先に一報を入れて、最寄りの病院にかけこみました。
その間は、スマホでライブ後の耳鳴りの意味を調べて戦慄していました。
結果は、まさにライブで爆音にさらされた影響からくる難聴だとのこと。
左耳が、高音域をキャッチできなくなっているようです。詳細は省かれましたが、その影響が耳鳴りという症状で出ているらしい。
とにかく早めの対策が大事だ、と言われて薬を処方されました。血流を良くする顆粒タイプの薬と、ビタミン剤。一日3回。
飲み続けました。良くなると信じて。常に耳の中でキーンと鳴る音を打ち消すために、暑くもないのに、扇風機を回し続けました。
最近やっと落ち着いてきましたが、それでもベッドに入ると気になる時があります。
思うに、あのライブの日は疲れていた気がします。午前中から別の用事で都内を飛び回った挙句のライブ参戦。
いくら無知だったと言っても、スピーカー前にいたら音が大きいことはわかるはずです。そして体力低下。悪い条件が重なりました。
仮に好きなバンドがあったとして、そのライブでこうなっていたら、好きなものを嫌いになるという一番苦しい体験をしてしまうところでした。
●言葉がうまく出てこない
昔からこんなに吃ってたっけってくらい、職場で話すとき言葉が出て来ない。
「すすすすみません、」みたいな
腹痛はありがちだけど、冷や汗が出るなんて知らなかったよ。
●微熱
平熱は36℃代なんだけど、37℃代からずっと引かない。数ヶ月単位で微熱が続く。
●手がふるえる
上司からの圧がすごい日は人から指摘されてしまうほど震えてる。
●過眠・不眠
ずっと眠たくて、正直眠気で仕事が進まない。頭がぼーっとする。
やっとこさ帰っても、次の日が仕事のときはほんとうに寝付きが悪い。
1~2時間くらいで目が覚めてまた寝てを繰り返す。
元々朝は弱いタイプだったんだけど、目覚まし無しで起きれる。身体が起きる時間を覚えてる。
といって、次の日休みで寝ていいときも寝付きが悪くて布団の中で3~4時間ゴロゴロしてる
寝付いたとおもったら14時間以上とか普通にぶっ通しで寝てて、起きたら夕方。やっとこさ掴んだ休日を寝て潰してしまう。
●突然泣く
会社でみんな帰ったあと夜1人とか、
家で布団に入って眠気がくるのを待っている時とか、
あと通勤行き帰りのバスの中とか、夜道を歩いてる時とかの、なんていうか精神的に1人になったときも泣きそうになる。
●趣味がいやになる
結構な映画オタクで、今の仕事につく前は1年間に軽く100本以上は見てた。休日は映画館に通い詰めてた。
今は、例えば伏線バリバリだったり、考えないといけなかったり、
大きな音がしたりとか、必死に何かを成し遂げようとする人が描かれてたりとか
とりあえず映画が全く見れなくなって。
映画館もしばらく行ってないなあ。
でも見たいって気持ちはあるからDVD買って積んでる。いつか見よう。
先日、宇宙に行った友人からその時のレポートをもらったのここに保存しておきます。
前半の文章は宇宙旅行の最中メモしていた文章。後半は地球に戻ってからの感想になります。
----------------------------
11時過ぎ? 半分食べる
13:36 曲は旅への案内人にすぎない
14:03 もう30分たっていることに気づく。まだ典型的な幻覚は現れていない。ただ意識が散漫になっているのはわかる。
とにかく楽しい。ガヴドロでしぬほど笑う。
17時 ナナチでぶっとぶ。宇宙旅行。生と死を超越したなにか強大な物と一体になった。
18時 シアン(SB69)の生ライブに立ち会う。一人称でも三人称でもない不思議な感覚。
18時半 シラフにもどってこれて今これを書いてる。ナナチでぶっとぶという文章でまた死ぬほど笑う
迷惑電話←されてないおそらくdm。ひたすらこの世界を人に勧めたい。
かきとめたいが霧散していく
この文章をすぐにでも発信したいが足がつきそうだなと思うのがループしてる
といってるあいだにも耳ではプラズマジカの生演奏が目の前で繰り広げられている。
またナナチでぶっとべるかためしてみる
19時 ぶっとんでた。まだ30分しかたってないことに驚いている
20時 とりあえずシコる。想像力は普段よりあるがすぐに霧散していくために微妙。出ることは出るが射精の快感より賢者タイムでのミニバッドみたいなのがキツい。←20:24著
20時15 とにかく誰かにこれを伝えたい。罪の意識なのかなんなのか、それもわからない。自分に言い聞かせるようにこれを書いている
もともとの性分もあるのか勘繰りがひどい。最初に飲んだ分が切れつつあるのかもしれない
時系列ではなく箇条書きにすればよかったと反省。瞳孔が開いているためか辛くなってきたのでまたプラズマジカのライブに戻る←この辛くなってきたは画面を見ているのが辛いの意
21時30分 迷惑電話。まるで自分がシラフのように喋っていた
22時 ガヴドロを見る。ひどく集中出来ないが度々ツボにハマる。サターニャがかわいい。シャンビリ(抗鬱剤の離脱作用。めまいと耳鳴りがする。結構ツラい)が辛く感じたのとシラフに戻ったと思い、いつも飲んでいるイフェクサー75を飲む。飲んだ後でまたトビそうになり飲み合わせ等についてググる。後遺症等がとにかく怖くググりまくり、自分が軽くバッドになってることを自覚。デパス1mgとグッドミン(眠剤)を入れて収束にかかる←22:25
22:35 落ち着いてきたような気がする。でもまだラリってるのかもしれない。最初に入れたのが11時過ぎ、次が16時頃? 作用的にはそろそろ切れるはずだし、デパスのおかげか不安がかなり少なくなった。デパスは必需品だとおもった。
後遺症に悩む自分等を妄想して怖くなったりとにかくバッドは地獄だなと思った。多幸もあればその逆もまたしかり。
この文章を少し推敲してしまったのが悔やまれる。そのまま残しておきたかった。なるべく加筆にとどめた。
デパスがきいてきたのかかなりおちついてきた。時間の流れも正常に感じる。
詳しいレポートは起きた時に書く。
――――――――――――
ここまで宇宙旅行中
>13:36 曲は旅への案内人にすぎない
まだぶっとぶ前。少し気持ちいい程度だけど耳は確実に鋭敏になっているため、非常に心地よい。
頭の中で勝手にストーリー展開されていく曲が非常に面白かった。
>14:03 もう30分たっていることに気づく。まだ典型的な幻覚は現れていない。ただ意識が散漫になっているのはわかる。
>とにかく楽しい。ガヴドロでしぬほど笑う。
書いてある通り。とにかく楽しい。楽しくて仕方ない。サターニャが何かやらかすたびにゲラゲラ笑っていた。
特有の幻覚等が無く、案外普通だわと迷惑電話が来た相手と喋る。もう全部いったれとのことで全部食べる
すると、来た。特有のぐんにゃり視界。錯視の動画を見続けてから部屋を見るとぐにゃぐにゃするあの感じ。
アニメを見ても集中力が散漫になるのと、特有のぐにゃぐにゃ感で集中出来ないためベッドに横になる
>17時 ナナチでぶっとぶ。宇宙旅行。生と死を超越したなにか強大な物と一体になった。
目をつぶるとひたすら綺麗な星空が浮かぶ。それに集中していると、勝手に目が開ききってる事に気づいた。
真っ暗な自分の部屋でこれなら、明るい画像ではどうかと、日頃待ち受けにしてるナナチを見た瞬間それは訪れた。
ナナチが3人にも4人にも分身し、綺麗なマーブル模様を形作ったかと思うと、それが万華鏡のようになり、新しい世界になったのだ。
僕はその中を漂流し、体感では何年も何十年もナナチの中でぐにゃぐにゃと一体になっていた。
ふと気が付くと、自分の人生が一本の線になっている事に気づいた。
産まれたときが始点、死んだ時が終点ではなく、とてつもなく長い光、それが自分の人生だと自覚したのはなぜだかわからない。
廻りを見ると、たくさんの光が見えた。カイジの鉄骨渡り編にある、たくさんの人の一生の比喩のように、たくさんの光
それの終点をたどっていくと、光は集まり、一本の巨大な木のようなものがあった。
僕は中学生からかなりタナトフォビア傾向にあり、死についてあまり考察すると怖くて眠れなくなるのだが、
それをみて、死は終わりではなく、輪廻転生やそれに近い何かがあり、決して怖いものではないのだなとその日以来感じるようになった。
>19時 ぶっとんでた。まだ30分しかたってないことに驚いている
相対性理論をひどく感じた。自分の人生で一番長い一日だったのは間違いないが、本当に1年や2年ではない時間を感じた。
あとはシコったらめっちゃ勘繰りひどくなってデパスと眠剤で落としましたとさおしまい。
次の日ちょっと疲れた感じはあったけど後遺症とかもなく元気でやってます。
以上
女のマネジャーに目をつけられ。『私はあなたの為を思ってやっているの!』ってのりでいびってくる。
おかげで精神的にやばくなり、昨日体調を崩し休んだ。
更年期になってしまい毎月3日ほど目眩頭痛腹痛冷えのぼせ耳鳴り下痢に悩まされ休んでしまう。
婦人科でホルモン治療、漢方、ピルなど多種多様に受けたが改善せずほんとに困っている。
毎月女のマネジャーに呼び出されてはネチネチいわれる。
暫く毎月呼び出されて対策していこうと言われたけど、余計プレッシャーで会社に行きたくなくなる。
休む前もわからなかったので手を上げて聞いたら『切り分けができてない』と言われ、履歴を書けば
『これじゃわからない』と言われた。
研修では深く掘り下げて教えないから、独り立ちして実際のケースに触れて質問して覚えていくのに、
萎縮して聞けない状態。
もうやめたほうがいいのか?
30代後半女です。
マジレスさせてください。
軽度の鬱なのかもと思っていましたが
『貯蔵鉄の欠乏による重度の貧血』と診断を受けました。
血中ヘモグロビン濃度ではなく、
フェリチンという、体内に貯蔵されている鉄分の量が極端に少なく
それによって
「疲れやすい」「寝起きが悪い」「すぐ風邪をひく」「神経過敏」
「軽度の鬱のような症状」「立ちくらみ、めまい、耳鳴り」「頭痛」
などが起きているということでした
詳しくはこちらなど。
http://www.tanaka-cl.or.jp/anti-aging/topics/topics37/index.html
おそらく、不妊治療の過程で、貧血の検査もしているとは思うのですが…
ヘモグロビンの数値しか調べていないと、見逃されている場合もあるそうです。
メンタルも安定し、疲れやすさや不眠、頭痛などがかなり改善されました。
奥様が同じ例だとは限りませんが、
もし、心当たりがありましたら、ぜひ一緒にお医者さんに行って、
血液検査を受けてみてください。
……それと。
職場で産休を取った人を妬み、スーパーで子供が走っているのを見るだけで
帰り道に自殺したくなりました。
言葉で何を言っても、たぶん、今の奥様には刺さらないかもしれないです。
私もそうだったので。
でも、数年後に、夫が「子供居なくても2人で幸せだよ」と言ってくれたことを
思い出すことで、スーパーの帰り道に車道に飛び込まなくて済む、
そういうこともあります。
現状を肯定して、その上で、奥様の不調の原因を探ってあげてください。
明日は、父の命日だ。
この時期になると、決まって思い出すのはあの凍えるような日のことである。
その最後は家族に見守られて、幸せそうに見えるものだったろう。だが、私は父の臨終に際して泣き喚く連中に対してこう言った。
「うるさい」
それは、私自身の本心からの気持ちでもあったし、おこがましくもあの時ばかりは父の気持ちが乗り移っていたように感じる。
父は、恐らくは静かに逝きたかった筈である。たった一人きりで。大好きな音楽を聴きながら。大好きなものたちに囲まれながら。一人きりで何にも悩まされることなく、穏やかな気持ちで逝きたかった筈である。
決して大勢の者に無様な姿を見られながら、本心から自分を思っての為では無く、自分を失うことで自身が悲しいだけの人間たちの声を聴きながら、彼岸になどゆきなくなかった筈である。だから、私は泣かなかった。決して声を上げたりしなかった。
せめて、私だけは静かに父を見送りたかったのだ。それが、父に対して出来る最後の最善のことだった自負している。
私と父は、実の家族であるのにほとんど会話らしい会話をした記憶が無い。それは、父がワーカホリックで帰宅時間も遅く、多趣味で休日もほとんど家に居なかったからである。
もう一つの理由は、私たちが仲良くしていると母が機嫌を損ねるからである。今から思えば、一体何を危惧していたのだろう。父を早くに亡くした母は、年の離れた夫に父性を見出し求めていたのかもしれない。ならば、同じ女である私は父を自分から奪う泥棒猫のように見えたのだろう。ゆえに私たちは違うところで繋がる他なかった。私の嗜好するものは、父からの影響も少なくなかった。私たちは一緒に過ごした時間は少ないけれども、確かに繋がっていた筈である。今は、そう信じたい。
人というものは必ず死ぬものであると認識したのは、愚かしくも成人してからである。
焼いてしまった人が、こんなにも軽くなることを知ったのも、大人になってからである。
大柄ではなかったが身長の高かった父の骨は骨壺に入りきらず、斎場の人が潰して入れ込んだ。あの「ぐしゃり」としたなんとも形容しがたい音が、今も耳から離れず時々思い出したかのように耳鳴りがする。ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり。駄洒落ではないが、骨のことは舎利ともいう。ものが潰れるさまという意味らしいが、案外ここから来ているのかも知れないなと思った。
私は時々夢想する。自分の死に際を。自らの葬列を。人の居ない寂しい葬列を。青白い顔に施される薄化粧を。痩せ細った身体に着せられる死に装束を。棺に押し込められた色鮮やかな花々に埋め尽くされる自分を。私は、夢想する。自分の、死ぬ時を。
いつか自分が死に、焼かれた骨が潰される音も、父と同じ音でであると願いたい。
ぐしゃり。また、あの音が聞こえる。明日で、もう四度目だ。
私は小さくそう呟くと、煙草に火を付けた。あの凍える空に昇っていった父の残滓は、今どこに在るのだろう。私は、誰の為か分からない涙を少しだけ流した。
認知症のばあちゃんが蜂の子を飲んだら耳鳴りが治ったらしいんだけど
それから蜂の子を無くした隠されたなどと暴れたり蜂の子がないと耳鳴りがする頭が痛いなどと泣きわめいてヤク中を見てるようで正直笑える。笑ったらもっと暴れるので我慢するけど
ただ、全く効果がないと言う気はないが、ほとんどプラシーボ効果だと思う。少なくとも蜂の子を飲んでないと耳鳴りがするというところは確実に思い込み。蜂の子を飲んですぐ蜂の子を飲まないと耳鳴りがすると言って暴れるので。
何度も飲んだりすぐに紛失するから正直出費もバカにならないけど、ないと暴れるので仕方なく購入を続けている。
宗教系は本人じゃなくて介護に疲れた家族に売り込むらしいが、健康食品を売りつけるときは家族じゃなくて認知症患者本人をターゲットにした方が売れると思う。
こういうのに限って中々忘れないから
「怒らないことはよいこと」
「怒るのは、小さい男」
最後に殴り合いのケンカをした中学生時代からこちら、ずっとそんな風に思い込んで、20年くらい生きてきた。
「それはないだろ」。相手の言動や行動に、反発を感じることは、仕事でも、短かった結婚生活でも、よくあった。
そうなると、すぐに「ま、おこってもしかたない。そういうものだもの」と思い直して、やり過ごしてきた。
でも。
捨てたと思っていた感情は、時に自分に牙を剥く。ひとりの夜に襲ってくる。耳鳴りがして、のどが渇く。それでも、歯を食いしばって布団をかぶり、目をつぶっていると、いつしか眠りが訪れて、僕を救ってくれた。ああ、昨日は寝つきが悪かったなあ。そう、軽く済ます。決まって、そんな夜はシュークリームが食べたくなった。コンビニで買えるような、安いやつ。
でも。
ある日突然、「あ、終わりだ」。
憑き物が落ちたみたいに、情熱を注いだ仕事や愛する人に、何の関心も持てなくなる。胸のつかえがなくなると、また僕はただの陽気な男に戻る。
そんなことを繰り返して、ようやく気づいた。
「僕は怒りかたを、しらないだけなんだ」
怒らないことがいまの僕を、つくってくれた。
怒らないことが僕を、苦しめた。
怖くてしかたがない。
いまのままでいるのも。怒りを抱えてしまうことも。
2週間ほど前に人生二回目のライブハウスに行ったら騒音性難聴になりました。
やっとこ聴力が回復したのでどんな感じだったのレポです。
注意喚起あるいは騒音性難聴になった人の参考にでもなれば嬉しいです。
ついでに嬉し恥ずかし増田デビュー。まあ文章上手くないので箇条書きなんですけど
0日目:
・ライブ終了後,音が聞こえにくい状態に加えスピーカーがあった左側の耳で耳鳴りがする状態に(ピーという高音とノイズのようなシャーシャーした音)
・騒音性難聴は知っていた(http://sauce3.hatenablog.com/entry/2015/05/11/082730)ため,やってしまったかと背筋が冷える
・寝たら治ることにわずかに期待し就寝
1日目:
・午後3時ごろ耳鼻科へ。聴力検査の結果、左耳のみ4000Hzの聞こえが悪い
・あっこのグラフ進○ゼミ(上記のリンク先)で見たことある!状態
・騒音性難聴と診断され、アデホス,メチコバール,プレドニンを1週間分処方される
2~4日目:
・大人しく薬を飲む。ステロイド(プレドニン)は飲み忘れダメゼッタイ
・なるべく早く寝る,なるべく安静にする。安静って何だろうと悩む
・相変わらず耳鳴りはするが,徐々に治まってきているようなそうでもないような
5~7日目:
・このあたりから1日の中での耳鳴り/耳鳴り無しの時間が半々くらいになってくる
8日目:
・再度耳鼻科へ。聴力検査の結果,高音域の聞こえは戻るも何故か左耳のみ低音域の聞こえが悪化
9日目~14日目:
・ステロイドが無くなったため気が抜けて10回に1回ぐらい薬を飲み忘れる
・耳鳴りは完全になくなる
15日目:
というわけでした。自分の場合片耳だけ症状が出ましたが,ぐぐってみると両耳とも症状が出るのが一般的なのか?といった感じ。逆に突発性難聴は片耳だけ症状が出ることが多いらしいですね。
騒音性難聴も突発性難聴も,とにかく早期治療をしないと聴力が回復しなくなってしまうそうなので異変を感じたらさっさと病院行きましょう。音楽聞くのが好きなのに音楽を聞いたせいで音楽が聞けない体になるって悲しすぎますし。
同じ音量を聞いても騒音性難聴になる人ならない人がおり,体質でどうしようもないらしいです。
今回は聴力が戻ったので一安心ですが,これからはライブに行くとき耳栓するマンになります!隣の人が耳栓してても怒らないでやってくれよな!!
ついでに心配な人はぜひライブに耳栓もって行ってください。2000円くらいで見た目も目立たない良いやつ買えます。からだだいじに。
今朝起きると、また耳鳴りが戻ってきていた。これには大いに絶望させられた。
レントゲンを取ると、左側の顎関節が短かった。
つまり、顎が落ちてくる前はこの長さ分を食いしばりにより押しこんでいたという事みたい。
そして、普段から歯を噛み合わせている事によって悪化させる一方だったのだろう。
骨と筋肉が現在の状態から落ち着けば、改善する可能性は大いにあるとの事。
あと、慣れてないからなのか、現在の顎の位置とか顔の筋肉の感じが違和感ありありなのだが、
これは全くもって正常な位置みたい。良かった。
とりあえずは就寝時マウスピースでの様子見となった。
希望は持てそう。
元増田です。
大変な事が起こった。
昨日の書き込みの後、私は出社した。
手の痺れが継続してあった。
昨日からだけど、長年の習慣でどうしても歯を合わせたくなるけど、ひたすら我慢した。
24時間以上やってきた夕方にもなると、かなりリラックスした状態でも、維持できるようになった。
朝に「最近では週に1度か2度鳴ってない日があれば良いという感じだった。」って書いたけど、
これは正しくは「鳴っていると気にしなくても良い日」で、今日のは違う。鳴ってない。
その代わり、今度は右耳に詰まりを感じるようになった。
これが夕方以降、ベッドに入るまでずっと続いた。
やはり、無理な状態で長期間維持されて来たので、歪みが生じているのではないかと思っていた。
昨日殆ど眠れなかったので早めにベッドに入った。
ベッドに入り横になっていると頭痛を感じた。
寝不足もあって、眠りに入ったのは直ぐだったと思う。
急に衝撃を感じて起きた。何か舌が勝手に動いてる。
飛び起きて、何が起きてるのか見るために、洗面所に走った。
自分でも信じられないのだけど、顎が落ちた。
落ちたと言っても外れたのでは無くて、骨格が変わってる。
TCHや食いしばりで、長年をかけて持ち上げられていた顎が、
この30数時間、歯を噛みあわせないようにした事によって元に戻ったみたい。
そういえば、昔こんな顔だったって瞬間的に思った。
何で気づかなかったのかというと、耳鳴りが始まるより前辺りに、2年で7キロ程太ったからだと思う。
徐々に持ち上がったからだろうか、単純に太っただけだと思ってた。
完全に顎がおかしくなっていた事を、周りの人達や自分でさえ気づかなかった。
TCHについては間違いなく遠い昔からやっていたけど、
顎を持ち上げるような食いしばりを行うようになったのは、
もしかすると、右下の親知らずの抜歯がきっかけなんじゃないかと思う。連日痛みが収まらなかったので。
顎に違和感があるけど、外れなくて良かった。
口腔外科はもう予約したので、見てもらおうと思ってる。
今回、TCHの情報を発見していなくても、噛み合わせの事で、口腔外科受診して判明しただろうし、
左側の親知らずを抜く判断でも、同様に口腔外科受診で判明したとは思う。
でも、色々調べてみて本当に良かった。まさかこんな事になっていたとは。
昨日、腰の痛みが消えた事に気付いた時は、正直泣いたけど、
眠気も吹っ飛んで、これを書いた。
まだ、顎が少しおかしいし、耳にも影響が残っているかもしれないので分からないけど、
4年以上も悩んでいた耳鳴りから、本当に開放されるかもしれない。
大変お騒がせしました。
経過はまたいつか、書き込もうと思います。
物心ついた頃からとは本当にきついですね。私と同じ様に、顎関節が耳を圧迫しているか何かで発生している可能性もあるのでは無いでしょうか。
原因はTCH(上下の歯を接触する癖)による、顎関節症から来ていたと考えられる。
私が無知だけなのかもしれないけど、今まで、上下の歯を合わせるのが普通だと思ってた。
少なくとも覚えている限りは、ずっと歯を合わせるようにして来たと思う。
私が調べた限りでは、一般の認知度は高くないみたいだが、様々な症状の原因となるTCHは広く知られるべきだと思う。
耳鳴りから逃れるには死ぬしか無いのかと何度も考えたし、仕事は何とか通常通りする事が出来たけど、
睡眠への影響は本当につらかった。寝付けない、寝た感じがしない、そして悪夢。
耳鳴りの症状としては、朝起きてキーンと鳴っていれば一日中鳴っている感じで、最近では週に1度か2度鳴ってない日があれば良いという感じだった。
今まで、耳鼻科では聴力低下は見られないし内耳に視認できる問題は無いが、メニエール病の恐れありとの診断。
薬を飲み続けるも変化なし。脳神経外科では、MRIなど受けるも異常なしとの診断。
常に背中の痛みもあったので、体の歪みから来ているのかと、時間ができれば整体なども受けようかと考えていた。
最近仕事が落ち着いて来たので、何か別のアプローチで受診できないかと、色々調べていた。
まず、右下の親知らずは歯が押されて痛みがあったので抜いたけど、
そして、同じ歯つながりで噛み合わせは?と考えた。
そういえば、耳鳴りが始まる1年位前?の虫歯治療で噛みあわせが悪くなった気がしていた。
(おそらく、この治療以前は噛み合わせが良くて、TCHでも大丈夫だった?)
顎関節症はかなりの色々な症状を引き起こすみたいで、症状のひとつに耳鳴りもある。
そして、口を開けて閉じるときにカチッと音がする自覚症状があったので間違い無いと思った。
この辺りを、昨日の昼休みに調べて、家に帰ったら良さそうな口腔外科を探そうと決めた。
仕事中に噛み合わせを気にして、カチカチやっていたら、
いつも、歯を合わせる力が強過ぎなのかな?と思って、
「平常時 噛みしめる」とかで調べて、TCHに行き着いた。
そして、昨日の夕方からずっと、歯を合わせないように気にしてた。
寝ようとするも、歯を合わせない事を気にし過ぎてなかなか寝れず。
数回ウトウトして、目が覚めてしまう事を繰り返す。(どれくらい寝れたか不明)
だんだん音が小さくなり、何回目かには今までにない位小さくなった。
でも、たまには音が小さくて気にならない日もあったので、油断はできない。
今現在、音が完全に消えたわけではないけど、
この4年には無い耳の感じだし、顎もまた今までに無い感じ(顎の位置とかが違うからかな?)
寝れないので、書いてみた。
完治するといいな。
愛用5年目の東芝ノーパソのイヤホンジャックが変形してパソコン内蔵スピーカーから音が出なくなった。
原因はベッドの上でするようになったからだと思われる。
ベッドの上でパソコン付けてする事がナニか?という質問は無粋なので割愛させてもらう。
スピーカーを付けるかイヤホンを付けるとかろうじて聴けるのが後で判明した事だが、
といってあの手のイヤホンは高い。
しかし、こうも考えられる。
これは天が与えた音のない世界への第一歩かもしれない。
これがない世界だとどうだろう。
段々無音の世界が楽しくなってくるのだ。
窓を開けて風の音を聞きながら作業。
あと少しで無限の境地に至れそうな気がしなくもないが、
やはり音楽がないと寂しい。
スタバに行くのも悪くないが、考えたら無音のノーパソを持って作業する事自体意識が高いのではないかと思えてきた。
もう無音なしじゃ生きていけないかも。
20歳くらいから、ずっと地震に興味があって、さまざまデータを見たり調べたりしてきました。
途中数年はお休みしましたが、ここ4年くらい、また再開してます。
直前に、体調悪いな、と思った方いたかもしれません。
これなんですけど、世の中には「体感」と呼ばれるものを持つ人がいます。地震の前触れや前兆を無意識に感じます。耳鳴り、めまい、頭痛、フワフワ感が代表的です。震源地の方を向くと耳鳴りがする、と言う人もいます。
なんですが、これらを体感として捉えるのは簡単ではありません。たいていがニセ体感です。
まず大前提として、地震を当てている体感持ちの人の多くは、当日前日ではなく、早ければ10日〜一週間前には体感を得ます。
熟練した人であれば、月単位で推移を見ながら、前兆を察知します。
なので、まずは、その体調変化が当日突然、などの場合は単なる体調不良である可能性の方が圧倒的に高いので、体感と呼ぶにはちょっと時期尚早です。だいたい、今回くらい大きいと、体感持ちではなくても2〜3日前からわりとフワフワしてたりダルかったりするもんです。あと、ソワソワしたり。
で、細かい話です。
その1
地震は、低気圧が去ったあと、高気圧に引っ張られて発生することがよくあります(逆に言うと、低気圧の最中は地震が起きにくい)。「よくある」というだけで、当たり前ですが低気圧は地震前兆ではありません。いわゆる「ニセ体感」はこの低気圧が原因であることがほとんどです。私も今回の地震の日は、一日中えらい頭痛がしましたが、かなりぐーっと気圧が下がっていた日でした。私はこれが体感だとは思いません。
その2
地震発生前に地殻変動が起きることで発生する磁波が体調に影響することもあります。多くは耳鳴りに出るようです。これは体感と呼んでいいと思います。耳鳴りの種類、大小で地域や規模がわかるようです。
が、これも地震由来ではない磁波も多くあるので、よっぽど普段から耳鳴りと地震に意識がない限り、関連付けは難しく、大震災を二回感じればまあ、人に言っていいかな…レベルです。M4程度の磁波からつかんでいたら、多分普通の生活できません。で、ホンモノの体感持ちさんは、普通に生活できていないことも多いのです。
その3
月の満ち欠け。天体の動きは重力に影響するので、当選地震にも影響があると言えます。
が、特にほとんどの女性は月単位で体調が変化します。これはどうしようもないことです。なのでこちらも、月単位での記録をしているなど、よーく精査がされていない限り、ただの毎月の体調変化です。
他にもさまざまあります。
繰り返しますが「今回の地震の前に具合変だった!」ということは体調に敏感な人であれば普通のことです。なので、次、耳鳴りがあったり頭痛があったりしても、普通の体調不良である可能性をしっかり認識して早とちり、思い込みのないようにして欲しく思います。仮にそれが体感であれば、この数日はまともに生活できていないと思いますよ。
なによりも良くないのは、周りに触れ回って他人を不安にさせることです。体感から地震を予知しようと思うなら、数年単位で修行してデータをとって、さらには体感だけではない、科学的・物理的・天文学的に多様な情報を集めて、そのうえでようやく大事な人に言っていい、くらいです。
ちなみに私は、データ取りまくってる人の体感なら信じますが、占い的な人の体感は信じません。こんなふうに、信じる、信じないは自由です。でも、発信する側になるなら、命に関わることだと肝に銘じてやってほしいと強く思います。
死霊術師としてのすべては、今は亡き祖母から伝習した。大学では文学部に進学した。これはもともと歴史学に興味があったことと、死霊術師としていつか遭遇するかも知ない事態に備えるためだった。
大学3年生の終わりころ、死霊術師としていよいよその事態を迎えることになった。
ある日テレビを見ていると、旅番組のようなものがやっていて、滋賀県の西部の山林地帯をいつも見る芸能人が歩いていた。何の変哲もない番組だった。しかし、テレビを介しても充分過ぎるほどに、死者が放つ霊の波動が伝わってきた。もちろん、普段生活していてもその種の死者の波動を感じることはある。霊波は一般に、腐ったり火葬したりして身体が失われると弱まる。またたとえ身体があっても、時間経過によっても霊の波動は弱まる。人間やその他の生き物は、その場にとどまろうという意志を長くはもちえないのだ。恨みだとか、一般に強そうと言われる意志ですらそうだ。こういうのは仏教的に言うと成仏していくってことなんだろう。魂は残らない。めったには。
テレビで知った、滋賀県の霊波は別次元と言えるほど古く、そして強力だった。おそらく、亡骸がある程度そのままの、古い死体があるのだろう。そして、強靭な意志を21世紀でも保っている。
死体と強い意志。これが重要だ。死者蘇生の用件を満たしている。そしてかなり古い。
腕試しにはちょうどいい。見つけてしまったらもう止められない。死霊術の行使者として、その興味関心を止めることはできない。
祖母から習った作法で、霊波の質から霊が生きた(死んだ?)時代のおおよその年代を感じとった。520年+-30年前くらい? 手元の『日本史辞典』を紐解く。室町後期? 手が震える。研究室で『国史大辞典』にかぶりついた。
その頃の近江は一般に長享・延徳の乱と呼ばれる動乱期にあった。守護の六角氏討伐のために将軍足利義尚が長く近江に陣を設けていた。どうやら死体はこの時期のものらしい。
私は大学の研究室の院生の先輩に聴いてその時期の文献を学んだ。また隣りの言語学研究室と国文学研究室に行って、室町時代の言語やその発音について質問した。かなり難しい。筆談の方がいいかもしれない、と祖母のアドバイスを実感をもって思い出した。まさか室町期の死体に会えるなんて。せいぜい行って天保期くらいだと思っていた。古い死体なんてものは時代を遡るにつれて加速度的に少なくなる。祖母は明治4年に死んだ男の死体を蘇生したことがあると言う。これでもだいぶん古い方だ。室町期の死体なんて、祖母からもきいたことがない。後で聞けば、先輩方は私が卒論で室町時代後期を扱うから一生懸命調べていると勘違いしていたそうだ。
春休みに近江に旅した。大きなスーツケースを持って。蓬莱なんてお誂えむけの地名だ。山の方に入っていく。山は静かだった。ほどなくして現場に到着した。霊波は強い耳鳴りのような形で私の身体に具現する。こんな古くて強い霊波、他の死霊術師が気付かなかったのはちょっと不思議だ。まぁ波長が合う、合わない、はかなり厳密だから。私にもってこいのチャンスなのだ。私は女ながらオリエンテーリング部で体を鍛えていたから山歩きは結構得意なのだ。オリエンテーリングなんて全然興味が無かったんだけど、新人歓迎コンパで迎えてくれた先輩方の雰囲気がすごく良かった。サークルでは、大学生なりだけど、人との付き合い方、間の取り方を学べたと思う。高校生の時にはあまり意識できなかった、人間(じんかん)の距離感や発話。
山道から沢に下りる。死体が残った理由が、何となくわかった。日本では死体はすぐ腐って亡くなってしまう。しかし沢下にはぽっかりと、知られざる洞窟が顔をのぞかせていた。多分ここに死体がある。相違ないだろう。もしかしたら近年はずっと埋まっていて、最近になって地震などで再び穴が地表に現れたのかもしれない。だから今まで波動に誰も気づかなかったのかも? 洞窟は沢が近く低温が保たれ死体が保存されたのかも。あるいは永久凍土なんかがあって風穴で涼しいのかも。ま、これを考えても詮無い。とにかく、死体があるのは明らかなのだから。
ひんやりした洞窟に足を踏み入れる。かなり急だ。いよいよだ。震えるほどだ。周囲には驚かれるけれど、死霊術の技術は、実は私にとってはとても簡単なものだ。血も継いでいるし、祖母と言う佳き師もあったから。祖母もいっていたことだが、基本的に死霊術師は技術的な部分はそんなに問題にならない。むしろ重要なのは、死者と会い、契約する時の対話の仕方だ。死者が生きた時代の言語や常識を、こちらが把握してしっかり対話せねばならない。そうしないと蘇生に応じないこともあるだろうし、蘇生したい旨すら伝えられないこともあるだろう。死霊を怒らせてしまっては、あるいは成仏させてしまっては元も子もない。死霊術師の実力はここで決まる。このことを上手くやるために、私は大学では文学部へ行ったのだ。もし死霊術師に生まれなかったら、稲の光合成の研究をしに理学部か農学部へ行きたかった。
洞窟の奥にややひらけた場所があり、その壁によりかかるように木製の箱型の人工物が見える。…ああ、かなり古い牛車だ。小八葉の牛車? 公家が移動手段として用いていたもの。八葉の大きさ、小さい? 大きい? これで身分が大体分かるのだが…肝腎の大きさが、大きいのか小さいのかわからない。そんなの文献に載ってない。牛車なんて初めて見るんだ。そもそも近江に牛車。やや不可解? 足利義尚の近江出陣の際には公家も近江まで出向いたというから牛車できてたのか? それにしたって牛車で近江まで行くの? なにもかも自信が無くなってくる。
これではだめだ。祖母の言によれば、まずはその人をそのまま、そのままに感じるのだ。先入主観は退けるのだ。牛車の文様が大八葉だろうが小八葉だろうが、なかに居る主こそを見るべきなのだ。
精神を澄ませる。霊とは頭の中で会話する。結局、『太平記』のテキストをメインに準備を進めていた。『太平記』は南北朝時代を描いた軍記物で、室町後期には往来物として身分を問わず人々に広まっていた。死体の教養がいかほどであっても『太平記』の語調なら大丈夫ではないか、と考えた。とうぜんテキスト変わっているんだろうけど…。
「私はあなたよりも後世を生きる人間で、その間に人間が語る言葉も変わってしまった。この言葉があなたにどの程度通じるか私にはわからないが、どうか話を聞いてほしい」。ここまでテンプレ。国文学研究室の富田先輩ありがとう。
…牛車がガタガタと動く。御簾が超自然的な動きを示し、内の暗闇をあらわにする。お化けが怖い人はびっくりするんだろうけどもちろん私はそんなことはない。打掛の裾が見える。小袖が二重? そして茶色く干からびた手のひらが…暗くてよく見えない…が、死者に話しかけた段階で幽界との淡いが生起し、この世ならざる強烈なイメージが五感以外から五感を経由し認知される。死体は髪の長い公家の女性が見える。平安時代のオカメで十二単のイメージがあるけど、それより軽装だ。でも相当めかしこんでいる。この時代の人間は小さいしガリガリだな。さぁ、いよいよだ。頑張って蘇生の素体になってくれるよう語りかけよう。
「…私の寂滅からどれくらいの時間が経過しましたか?」むむ、なんとかこれくらいなら聴き取れる。うほっ、「太平記読み」専攻の坂田先輩ありがとう! 高校の非常勤やりながら大変でしょうけど博論頑張ってください。
「五百有余年でございます。『太平記』を読んであなたの時代の言葉を学びました」「…私も『源氏物語』で古の言葉の遣いに触れました。」「実は、…今日はあなたにお話しがあって武蔵国から参ったのです」いよいよ本題だ。
「あなたは強い心をお持ちで五百有余年をお過ごしになられました。そして幸いにしてお体も崩れず残されております。私はあなたの精神と身体とを結び付かせ、再び現し世に復することができます。再び洞窟の外に出て暮らしてみるのはいかがでしょうか」
「たしかに私はまだ黄泉の食物を口にしておりませんね」さすが公家の娘だけある。当意即妙にこたえねば。「私なら黄泉比良坂をあなたを連れて戻ることができます。」「どうして私を選ぶのです」「あなたのように長らく意識と身体とを保つ例はめったにないことなのです。」実はこれはあまり理由になっていない。死霊術師の衝動を説明するには、私には言葉が足りない。彼女が尋ねる。
「当時(筆者注:ここでは現在の事を指す)は死者を供養する作法は未だ仏式を用いますか?」意外な質問だ。自らの供養を望んでいるのか? 「ええ、大分形はかわっておりますが仏の教えは今でも通用しております」「ならば既に死んだ者を私なりのやり方で供養して、意味があるということですね」…あやうく意味を取り損ねるところだった。ちょっと不可解な質問だ。彼女は何を考えているのか。彼女の事を深く知った今になって考えると、これは彼女なりにかなり考え抜かれた、ある種の哲学のようなものだった。彼女の培った供養の作法。そのルールがもし現代で途絶えていたら。つまり仏教が現代に伝わらなくて、もし私たちが何か違う祈りの作法で死者を弔っていたら。きっと彼女は蘇生に応じなかっただろう。彼女の知っているルールで現代でも供養ができる。これが彼女にとって重要だったのだ。
「私は京都の六角富小路に邸宅がある公家(筆者注:ここでは「こうけ」って読んでね!)に生まれました。大乱(筆者注:ここでは応仁の乱を指す)の後の騒擾の世でありますから、私は近江を根拠にする武家の御仁に嫁ぐことになりました。いよいよ渡嫁のとき、牛車が谷に落ちて私は命を落としたのです。嫁ぐことが決まってから、武家奉公人の生活が如何様であるか、主人が如何なる稟性を持つのか。和歌は読めるのか古典は存じているのか。いつも想像していました。」死霊術師の常識から考えれば、それだけでここまで精神は保てない。私はほとんど確信をもって尋ねた。「もちろんそれだけで想いを保つことはできなかったでしょう。どうして。」
彼女はここで初めて表情を私に感じさせた。「実は洛中で一度彼の人をお見かけ申上げたことがあるのです。私の生家は上って四位の家柄ですから、ふらふらと外にでてもあまり咎められることは有りませんでした。ある日京師が物騒になり武家の人が20騎ばかり邸宅の前を過ぎりました。颯爽と武者を連れていたのが、後々判ったことですが我が主人となる方でありました」え? それだけ。うーん恋愛感情ってわからないけど、そんな単純な感情で何百年も持つのかな? 単純だからこそ長持ちする? わからんね。すると彼女が続ける。
「死んだあとはずっと新しい生活の事を考えていました。武家の生活。今まで見知った知識や噂話全てから、ひとつひとつ、未だ来ぬ時の先をずっと、ひとつひとつ限りなく。一日の起きてから寝るまで。衣服の糸先から世情に至るまで。とにかくひとつひとつ。世に現れるであろう現象をすべて想像しうる限り、ひとつひとつ。彼や周囲の人間との交わされたであろう会話をひとつひとつ。彼の人とのありうべき時と出来ごとの全てをひとつひとつ想像していたのです。そうしたら、ええと、五百有余年過ぎ去っていたというわけです。」そうして彼女は莞爾した。私は一発でこの女性を好ましいと思ってしまった。こんな偏執的で叮嚀な思考回路を持った人があるだろうか。この人なら。彼女に21世紀の平成の世の中で夫となるはずだった人の菩提を弔わせたり、あるいは彼の一族についてその後どうなったか調べさせたりすることは、彼女の心性をおそらく負に傾けることはないだろう。ひとつひとつ、彼女には想像したことの自分なりの答え合わせをしてもらえたら。私がそのお手伝いができたら。ちょっと身勝手か。とにかく、この人なら大丈夫だ。
好奇心とイマジネーションとを併せ持って、平成の世まで意識を有した五条顕子姫の死体は、その意識と共に、こうして私の赤羽のマンションにやってきた。
死にたい。いや、死にたくはないんだけど、死んでしまいたいというか、苦しい。頭の中が死にたい一色になってしまうんだよなー。
多分解離性障害なんだと思う。頭の中でずーっと音がする。正確には、耳鳴りと歌が聞こえる。
24.の時の最初の医者から鬱と言われてそのあとの医者で双極性障害と言われたけど、それから10年、
どうも、一時的な鬱→抗鬱剤ドグマチールとパキシル→躁転→躁だから双極性障害2型→パキシル中止してデパケン追加→眠くて仕方ない→やっぱり鬱ってなんなんだよ!12年越しの誤診ってなんなんだよ。
母親との共依存、父親は仕事に逃げてしまい、母親の愚痴をずっと聞かされてた。
小学生の時、借金があると聞かされたし、母親に父親に騙されて結婚した。農業なんてしなくていいって言われてたのに来てみたら家事と牛とで大変で、といわれて、離婚したらどう?って言ったんだよ。帰るところないから離婚できないっていわれたけどさ。
そういう風に自分の奥さんだけはしたくないって思ってたけど、結局結婚できなかった。
仕事は自治体の非正規嘱託。仕事がある分、恵まれてるのだとは思う。
あと、何人か、一緒に遊んでくれる友人がいてくれることもありがたいと思う。
こんな田舎、早く出て一人暮らしして、できれば結婚したい。1年前に別れてしまった彼女とできれば一緒になりたい。
無理だとわかっていても、グダグダ、ありもしない空想ばかり浮かんでくる。
多分体が弱いとか未熟児ギリギリの出産とか学校の勉強はオール5体育だけ1とかから考えてなんらかの発達障害なんだろうな。
吐き出したら、少しは楽になった。少なくとも、今は死にたくない。死にたいなんて思わない。
今の医者は、あなたがやってることは小学生が靴が気に入らないと言って学校に行かなくてただこねてるようなものだ、とっとと学校に行けばいいのに。という。頭を殴られたような感じだった。これが本当の精神療法なんだろう。お説教して診療報酬330点か。今までの医者はなんなんだ?