明日は、父の命日だ。
この時期になると、決まって思い出すのはあの凍えるような日のことである。
その最後は家族に見守られて、幸せそうに見えるものだったろう。だが、私は父の臨終に際して泣き喚く連中に対してこう言った。
「うるさい」
それは、私自身の本心からの気持ちでもあったし、おこがましくもあの時ばかりは父の気持ちが乗り移っていたように感じる。
父は、恐らくは静かに逝きたかった筈である。たった一人きりで。大好きな音楽を聴きながら。大好きなものたちに囲まれながら。一人きりで何にも悩まされることなく、穏やかな気持ちで逝きたかった筈である。
決して大勢の者に無様な姿を見られながら、本心から自分を思っての為では無く、自分を失うことで自身が悲しいだけの人間たちの声を聴きながら、彼岸になどゆきなくなかった筈である。だから、私は泣かなかった。決して声を上げたりしなかった。
せめて、私だけは静かに父を見送りたかったのだ。それが、父に対して出来る最後の最善のことだった自負している。
私と父は、実の家族であるのにほとんど会話らしい会話をした記憶が無い。それは、父がワーカホリックで帰宅時間も遅く、多趣味で休日もほとんど家に居なかったからである。
もう一つの理由は、私たちが仲良くしていると母が機嫌を損ねるからである。今から思えば、一体何を危惧していたのだろう。父を早くに亡くした母は、年の離れた夫に父性を見出し求めていたのかもしれない。ならば、同じ女である私は父を自分から奪う泥棒猫のように見えたのだろう。ゆえに私たちは違うところで繋がる他なかった。私の嗜好するものは、父からの影響も少なくなかった。私たちは一緒に過ごした時間は少ないけれども、確かに繋がっていた筈である。今は、そう信じたい。
人というものは必ず死ぬものであると認識したのは、愚かしくも成人してからである。
焼いてしまった人が、こんなにも軽くなることを知ったのも、大人になってからである。
大柄ではなかったが身長の高かった父の骨は骨壺に入りきらず、斎場の人が潰して入れ込んだ。あの「ぐしゃり」としたなんとも形容しがたい音が、今も耳から離れず時々思い出したかのように耳鳴りがする。ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり。駄洒落ではないが、骨のことは舎利ともいう。ものが潰れるさまという意味らしいが、案外ここから来ているのかも知れないなと思った。
私は時々夢想する。自分の死に際を。自らの葬列を。人の居ない寂しい葬列を。青白い顔に施される薄化粧を。痩せ細った身体に着せられる死に装束を。棺に押し込められた色鮮やかな花々に埋め尽くされる自分を。私は、夢想する。自分の、死ぬ時を。
いつか自分が死に、焼かれた骨が潰される音も、父と同じ音でであると願いたい。
ぐしゃり。また、あの音が聞こえる。明日で、もう四度目だ。
私は小さくそう呟くと、煙草に火を付けた。あの凍える空に昇っていった父の残滓は、今どこに在るのだろう。私は、誰の為か分からない涙を少しだけ流した。