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2023-03-29

まーた兵庫

ええかげんにせえよホンマ

大阪京都奈良とくらべて明らかにおかし場所

おなじ関西人として恥ずかしいんだが。

 

一度大掛かりな厄落とし?みたいな行事やれよ

松明で山を焼くとか、神事で30日祈るとかさあ

2013年、神戸市にある北須磨訪問看護リハビリセンター患者宅での訪問看護を終えて事業所に戻ってきた30代の女性看護師は、いつもと明らかに様子が違っていた。酒に酔ったような足取りで室内を歩き回り、上機嫌で職員に話しかける。ふざけているのだろうと初めは笑って見ていた所長の藤田愛さん(57)だったが、かみ合わない会話に「クスリをやられた」と直感した。

 在宅医療を担う医療従事者が、訪問先の患者から暴力ハラスメントを受けている。その被害は深刻だ。2022年1月には、医師埼玉県ふじみ野市にある住宅に呼び出され、担当していた高齢女性の息子に散弾銃で撃たれて死亡している。医療従事者の安全をどう守るべきか。長年、この問題に取り組んできた所長の藤田さんに、現状と課題を聞いた。(共同通信=櫛部紗永)

 ▽訪問先で執拗に勧められたお茶

 様子がおかしくなった女性看護師は、その患者宅を半年から訪問していた。実は、訪問を始めてから半年間にも体調の異変はあった。藤田さんは他の職員から看護師の様子がおかしい」と連絡を受けていた。看護師確認すると、返答は「風邪気味だから大丈夫です」。口調も明るい。休養するよう伝えたが、それ以上のリスク予測できなかった。担当の変更などはせず、この日も看護師をそのまま送り出していた。

医師射殺立てこもり事件起訴された渡辺被告

 看護師に後で確認したところ、訪問先で夫婦家族だという男性からお茶を出され、飲んだという。規定では訪問先で出された飲食物を口にしてはいけないとなっている。看護師もいったんは断ったものの、温め直しをされ、何度も勧められていた。季節は冬。「相手を傷つけてしまうかもしれない」。せっかくの厚意をむげにできなかったという。

 戻ってきた看護師は、意識障害を起こして緊急入院となった。点滴を打ったが、目を覚ましては起き上がろうとしたり、幻覚のせいか手を振り回して暴れたりした。「休んでいて」と落ち着かせたが、「所長すみません」とろれつが回らないまま、うわごとのように繰り返した。

 センターに対する説明では、この住宅訪問介護を利用する妻と、夫の2人暮らしのはず。お茶を勧めた男性が同居していることは知らされていなかった。初回訪問時も姿は確認できていない。警察通報したが、治療の後だったため証拠が足りず立件には至らなかった。この男性違法薬物を取り扱ったとする罪で執行猶予中だったことを警察から聞いたのは、ずいぶん後のことだ。

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-02-28

anond:20230228133515

神戸市の山のほうって人の手が入ってる感じする。

京都市右京区は本当に山の中なので怖い。

anond:20230228133515

仙台市 785.8 km²

札幌市1,121 km²

神戸市イノシシが出るのは有名だが

神戸市兵庫区でも仙台市でも札幌市でもクマがでる(政令指定都市で言えば相模原市も)

ちなみに大阪府日本一狭いのでそりゃ大阪市は狭いだろ

anond:20230228133902

神戸市はみんなが思ってるよりも「田舎」の占有率が高いんだよ。

しろ都会の割合が小さすぎる。

神戸市は広いんだ

神戸市は実はクソ広い

いわゆる名前を聞いて「地方大都市っぽいな」と思う場所の中では相当広い。

 

大阪市:223 km²

名古屋326 km²

福岡市:343 km²

横浜市:437 km²

 

神戸市:552 km²

 

大阪市の2.5倍くらい広い。

なので神戸市内と言っても、マジでピンキリ

 

神戸市地図で見てもらうとわかるんだが、南側は海に面していて平たく拓けているが

北側の半分以上は六甲山脈に食い込んでいる。

ベイサイドエリアはいわゆる「神戸」っぽいイメージに近いものがあるが、

山手方面はもう完全に「田舎」、奈良とかと比べてもそん色ない。

まぁ、言うてほぼほぼ山田死ね

anond:20230228131918

宇垣ちゃん、何一つ地獄みとらんやん

2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代音楽会にてピアノ演奏2004年4月神戸市立歌敷山中学校入学中学時代学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長多忙中学生活を過ごした。

2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミ旅行として赴いた経験がある[11]。*元来は文書執筆が得意だったこともあり、テレビ局報道政治部記者の職を志望していたが、大学セミナー記者向けのゼミが見つけられなかった。

同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、

宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。

2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。

anond:20230228114620

若者が車買ってないってのを主語首都圏(または大都市圏中心地)で話すのをやめろと言ったトラバに殴りこんでくる神戸市民さんさあ……

anond:20230228114158

北区はど田舎というより車がないと生きていけないタイプ場所じゃん

同じクッソど田舎神戸市内でも兵庫区東灘区なら車なしが多い

2023-01-31

anond:20230131070531

ガチでこれじゃん。嘘松認定ガイジの謝罪まだ?

https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553759348/

28日未明神戸市山陽自動車道トラックが、渋滞の車の列に追突し、

乗用車に乗っていたいずれも大学の友人どうしの1人が死亡し、3人がけがしました。

4人は、車で日帰り旅行に出かけた帰りだったということです。

28日午前0時すぎ、神戸市北区の山陽自動車道下り線で、渋滞で止まっていた車の列に

トラックが追突し、最後尾の乗用車が前の大型トラックとの間に挟まれて大きく壊れました。

警察によりますと、この事故乗用車に乗っていた男子学生4人が病院に運ばれ、

後部座席に座っていた、たつの市野口大貴さん(20)が体を強く打って死亡し、

20歳から21歳までの3人が重軽傷を負いました。

4人はいずれも兵庫県内の同じ大学に通う友人どうしで、

三重県に日帰り旅行に出かけた帰りだったということです。

現場は、片側3車線の直線道路の真ん中の車線で、警察によりますと、

当時、4キロほど先で起きた別の事故の影響で渋滞していたということです。

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追記

ブコメが何言ってるかマジでわからん

俺はなんとなく目についた「嘘松認定ガイジ」ってフレーズが良いなと思って拝借はしたが、これ以前にこの記事についてのトラバは書いてないぞ

2023-01-18

阪神淡路大震災当日に産まれ

今日阪神淡路大震災の日を神戸で過ごした方の投稿を見てふと思い出したことがある。

私は1995年1月17日阪神淡路大震災の当日に産まれた。

ただ、産まれ場所東京でその後12年間を都内で過ごした。

12歳になった頃、親の転勤で兵庫県神戸市に引っ越した。

メアド交換をする際にアドレス帳誕生日登録することがよくあったり、赤外線通信メアドを交換すると自分で設定した誕生日がそのまま向こうにも登録されることから相手自分誕生日が伝わることが多々あったのだけれど、私が1995年1月17日に産まれたことを伝えると、皆口を揃えて「震災の日!?」と驚いたような反応をしていた。

その後驚きは好奇心に変わるようで、どんな状況で産まれてどうやって震災を乗り越えたのかを矢継ぎ早に聞いてきた。

私はその度に申し訳ない気持ちになりながら「産まれ神戸じゃないんです、東京なんです。」と答えていた。

すると相手は突然興味を失い「そうなんや」とか「なんや」とか言ってこの話を終わらせた。

他の誕生日の人は「〇〇と誕生日近いやん!」とか「有名人で誰と誕生日一緒?」とか言われてるのを見ていたから、中学生だったこともあって毎度少しへこんだ。

これは大人たちも同様いやむしろ私にしてみればもっと冷たく感じられて、私が誕生日を伝えたあとに東京出身であることを伝えると、「じゃあよかったな」のような、震災過酷さを身をもって知っているからこそ、知らない者を部外者として扱うようなニュアンスの反応がよく返ってきていた。

どう表現したらいいかからないがとりあえず、私の身を案じて「危ない目に遭わずに産まれることができてよかったね」と言ってくれている感じではなかったのだった。


さっき読んだ投稿にもあった「しあわせはこべるように」という曲は転校先の学校でも毎年歌われており、その後黙祷を捧げるのがお決まりだった。

そんな空気から、登校しても他の友人たちと全く同じようには祝ってもらえず、なんかしんみりした誕生日を毎年過ごした。

もちろん、誕生日ではなくて私自身の問題で友人たちのように祝ってもらえなかった可能性もあるかもしれないけれど、、、

それにしても、12歳になるまでの誕生日は周囲からの邪気のない祝福も含めてクリスマスと同じくらい明るく楽しい日だったのに、12からの数年間は全く違うものになってしまったと感じていた。

こんな体験を重ねるうちに、私は極力誕生日他人に伝えないようになっていった。

最初から東京で産まれたので震災とは関係ありません」と言えればいいのだが、誕生日を聞かれただけなのに「東京まれであることも自分から伝えるのは嫌な奴だと思われそうでできなかった。

当時すでに、阪神淡路大震災被災者のことを思えばこんな感情を周囲に吐露することも憚られるだろうという分別も流石につく年頃だったので、今までずっと誰にも話さずに生きてきた。

18歳からまた東京に戻ってきたので、しばらくそんなことも忘れていた。

今日読んだ投稿で当時のことを思い出し、「震災がなければ一緒に大人になっていたかもしれない人の存在をふと思うことがある」といった主旨の文言を見て、「あの時の大人は私との会話の中でそういった人たちを思い浮かべてたんだろうなあ」とひとり合点した。

なんとなく書き留めておく。

2023-01-14

anond:20230114003427

兵庫出身という方はたぶん神戸市出身じゃないけれど

イメージ神戸になっていますね。最近姫路明石も知られてきたけれど。

2023-01-11

今日、30歳になった

私は、1993年1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地優雅建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町長田六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。

私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパス自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校勉強するのかな、なんて思っていたものだ。

私が小学校にあがる前のある日、父とふたり大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれ名前の中には、地元教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。

小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生お話を聞いた。ある年の学校新聞1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。

高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。

高校卒業すると、私は自分実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっとたかもしれないな」と思った。

大学卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。

ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。

その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西から、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。

彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校社会教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。

私は今、違う場所暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビル2021年高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダン茶色ファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。

私は今日、30歳になった。平成初期に生まれ私たちは、阪神淡路大震災記憶とともに生きる「最後世代」だと言われている。確かに地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっとたかもしれない。地元同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。

記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これから阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。

2023-01-04

キメセク牧師記事消えていたり神戸市説明要求していたり

割と大変だねぇ

2023-01-03

UCA News牧師逮捕デマ

anond:20230103135608

牧師覚せい剤使用の疑いで逮捕されたのであって、"若い女性をレイプする目的違法薬物を使用した疑いで拘束" はデマだと思います

When charity becomes business in Japan

https://www.ucanews.com/news/when-charity-becomes-business-in-japan/99800

As described in an earlier article, Kobe police recently detained pastor Yasuhiko Mori, founder of the Kobe Disciple Church and Hosanna House, a non-profit that helps troubled young women, on suspicion of using illegal drugs for the purpose of raping young women.

以前の記事説明したように、神戸警察最近問題を抱えた若い女性を支援する非営利団体神戸弟子教会」と「ホサナハウス」の創設者である森泰彦牧師を、若い女性をレイプする目的違法薬物を使用した疑いで拘束しました。

元組員の牧師覚醒剤疑い、兵庫県警逮捕

https://www.sankei.com/article/20221208-ILAMV4RPVRNRFJPCK2SF34JBXE

兵庫県警薬物銃器対策課は8日、覚醒剤取締法違反使用)の疑いで、神戸灘区牧師、森康彦容疑者(64)を逮捕した。「全く思い当たりません」と容疑を否認している。

2022-12-11

anond:20221210205932

神戸市教会の64歳の牧師覚醒剤使用したとして、警察逮捕されました。

調べに対し、「全く思い当たりません」と容疑を否認しているということです。

この牧師さん、経歴がアレだけに覚せい剤やってた少年少女の更生にも積極的で、

いまさら覚せい剤をやるとは考えにくいのだよね。

正直、誰かに嵌められたとしか思えない。

https://kobe-desi.jimdofree.com/

神戸弟子教会担任牧師森 康彦が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕された件におきまして、皆様に大変なご迷惑とご心配ををおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます

森 康彦の処遇は本件の裁判が終了するまで牧師職務休職します。

なお、今後の進退につきましては裁判判決をもちまして決議させていただきます

本人の事を良く知ってる教会の反応が一番まとも。

2022-12-09

何故か地方少女にColaboを勧めるYahoo知恵袋が怖い

地方で悩む女子に対して、長距離バスに乗ってでもColaboに来いと勧める人たち。

Colabo関係者かどうか不明だけど純粋に怖い。

これはほんの一例でYahoo知恵袋で、「colabo-official」と検索したら、何故かまずColaboを勧める投稿が大量に出てくる。

いや、まず児相とかじゃねーの?

相談1)

もしも高校3年生の18歳の女の子地方から東京家出したら、どんな未来が待っていると思いますか。

また、どんな行動を取ると思いますか。

条件

夜行バスで7時間以上の距離

(略)

(回答1)

Colaboがシェルター保護

してくれるので

7/7(水)を目指して東京

https://colabo-official.net/projects/

(略)

相談2)

高一女子です

家にいるのが怖いです。親に殺されるんじゃないか不安で常に怯えています学校も無理してキャラを作って疲れました。(略)

(回答2)

怖い想いしてるんですね

家出=命を守る行動です

児童相談所拒否反応

示すと思うんで以下の

提案します。

貴女が住んでる地域

関東関西?その他?

10無料夜カフェ

《Tsubomi Cafe

https://colabo-official.net/projects/tsubomicafe/

家出家を出る時は

下着洋服2日ぶん

マイナンバー

キャッシュカード

●通帳●保険証印鑑

住民票1通

どこの地域かは分からない

けど地元から夜行バス

有るかな?

http://shinjuku-busterminal.co.jp/search/

相談3)

2万円ちょっと家出をしたいです

中3 14歳 家庭に問題あり 泊まれる所がない

友達はいますが泊まれません(略)

(回答3)

どこ住んでる?女性

東京に出ておいで

●colabo 東京

(水)バスカフェ

https://colabo-official.net/projects/tsubomicafe/

シェルター

https://colabo-official.net/projects/

福祉↑寝泊まりできるよ。

明日、泊まりにくる?

そういえばColaboで嫌な目にあったという報告が何故か関西NPOから出てましたね

中谷梨帆(Riho Nakatani) @n__riho__

もう少し書かさせてもらうなら仁藤さんの過激政治に対する発言で怖がってる10代の女の子達の声もたくさん聞いてきた。

中谷梨帆(Riho Nakatani)@n__riho__

(略)10代の女性支援(ピアサポーター) ジェンダー問題に取り組んでいます。 #支援から教育へ 「関西で居場所作り運営活動拠点関西福岡在住。

追記

関西というと、Colaboを支える会の方が覚醒剤使用容疑で逮捕されてましたね

否認されているようなので本当かはわかりませんが、所持ではなく使用場合誤認逮捕ほとんどありませんね。

この方も少年少女保護していたらしいですね。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASQD86263QD8PIHB016.html

兵庫県警は8日、神戸市灘区田町5丁目の牧師、森康彦容疑者(64)を覚醒剤取締法違反使用)の疑いで緊急逮捕し、発表した。「全く思い当たりません」と容疑を否認しているという。

(略)

神戸弟子教会ホームページなどによると、森容疑者は元暴力団構成員で、同教会担任牧師2011年非行少年少女の立ち直りを支援するNPO法人「ホザナ・ハウス」を立ち上げていた。

追記2)

ホナザハウスには仁藤さんも少女を紹介していたようですね。

仁藤さんも知らなかったはずなので可哀想

https://mobile.twitter.com/colabo_yumeno/status/937923339045052416

仁藤夢乃 Yumeno Nito@colabo_yumeno

神戸周辺の女の子たちの近くに頼れるところがないかなと思っていたときに教えてもらい、お会いしたいと思っていた森牧師記事

ホザナハウス http://hozana-house.com

https://mobile.twitter.com/colabo_yumeno/status/1042968169340534784

仁藤夢乃 Yumeno Nito@colabo_yumeno

神戸での企画展・講演に来てくれた女の子たち。再会嬉しかった😊ありがとう!ホザナハウスの自立援助ホームで暮らす少年少女や、作業所お仕事されているメンバーの方々などもお手伝いしてくださって、感謝です!神戸での企画展今日まで。

追記3)

ピント外れなブコメがついてたので反論しておこう。

Yahoo知恵袋で、「colabo-official」と検索したら、何故かまずColaboを勧める投稿が大量に出てくる” そりゃcolaboで検索したらcolaboが出てくるのは当たり前だよ……。

そりゃ保護活動しているんだからうちに来いって言ってたとしても極めて普通活動だろ。逆に児童相談所がこういうところにリーチ出来ていないのが問題だとは思うが。

なんでいきなりColaboなんだ?

東京団体が、遠方の相談者に対していきなり長距離バスに乗れと。これを変と感じない感覚は怖い。

2022-11-23

から答えても許される市

から答えても許される市

札幌市 仙台市 千葉市 横浜市 名古屋市 京都市 大阪市 神戸市 広島市 福岡市 那覇市

都道府県と同名なのでお目溢しで市から答えても許される市

青森市 秋田市 山形市 福島市 さいたま市 新潟市 富山市 福井市 長野市 岐阜市 静岡市 奈良市 和歌山市 鳥取市 岡山市 山口市 徳島市 高知市 佐賀市 長崎市 熊本市 大分市 宮崎市 鹿児島市

グレーゾーンな市

盛岡市 水戸市 宇都宮市 金沢市 甲府市

必ず都道府県から答えましょうな市

前橋市 津市 大津市 松江市 高松市 松山市


出身地所在地などを聞かれた際には上記の一覧を参考に答えると混乱がなくスムーズである

なお当記事では代表的ものとして県庁所在地のみを取り上げたが、これら以外の市は必ず都道府県から答えましょう

2022-11-08

栗花落カナヲと、蛇の話

 前回、虹とヘビとウナギの話を書いた(anond:20221107182649)が、その際『蛇の宇宙誌』(東京美術)を読み返していたところ、意図せずして漫画鬼滅の刃』に関連しそうな小ネタを見つけてしまったので、ここで書き留めておくことにした。なお、漫画鬼滅の刃』のラストに触れているので、未読でネタバレが嫌だと言う人は、この文章を読むのはここで止めにして、まず漫画鬼滅の刃』を読み終えてからにした方が良い。

 どのページを開いても面白い名著『蛇の宇宙誌』であるが、その第4章は、ズバリ「栗花落左衛門(つゆざえもん)の蛇性―日本水神としての蛇信仰―」と題されている。余計なことを書くのは止めにして、この章の冒頭から引用する。

引用ここから

 「栗花落」と書いてツユと読む。栗の花の落ちるころが、ちょうど梅雨の時期になる。それでこの当て字がある。後の兵庫県武庫郡山田村原野(神戸市兵庫区山田町原野)、昔の摂津国矢田部郡の丹生山田庄原野村の栗花落(つゆ)理左衛門屋敷に「梅雨井(つゆい)」と呼ばれる井戸があった。昭和七年ごろまでは、原野には、壊れかけた白滝明神の社祠と、白滝姫の墓という墓石が残っていたそうである。栗花落(つゆ)の井戸は社の前にあった。いつもは水が干からびているが、栗の花が落ちる五月ごろには、こんこんと水が湧き、附近八町歩の水田をうるおすと伝えていた。

(中略)

 岡田ケイ(注:彳に奚)志の『摂陽群談』(一七〇一年刊)巻八には、この「梅雨井」のことがくわしく見えている。(中略)地主の姓もツユといい、世間では栗花落左衛門(つゆざえもん)と称したとある

 この不思議井戸について、栗花落家には伝えがある。始祖の山田左衛門尉真勝は、淳仁天皇(四十七代)の時代に、朝廷に仕えていた。そのとき真勝は、横荻右大臣豊成の息女白滝姫に恋をする。姫と歌の贈答があって、真勝の真心を知った姫は、その妻になる。やがて姫は亡くなるが、それが五月であった。屋敷の東の境に葬り、叢祠を建てて弁財天をまつった。そこから水が湧き、今に至るまで、その水が梅雨を知らせるという。この弁財天社が白滝明神であろう。

 島根県出雲地方とその周辺には、栗花落左衛門と同名のツユザエモンと呼ばれる蛇の伝えがある。ふだんは岩肌の割れ目などに姿を隠している蛇が、梅雨の期間中には、かならず胴体を現わすという。分布は、出雲から備後比婆郡双三郡石見安濃郡邑智郡一帯と、広島県北部から島根県西部に及んでいる。斐伊川沿いの地方では、これをツユジンと呼んでいる。ツユ神(じん)と解釈しているが、出雲能義郡ではツユザイと称しているから、ツユジンもツユザエモンから転訛であろう。

(中略)

 蛇はしばしば水の神の姿である梅雨期に蛇の挙動に注意したのは、稲田を耕作する農民にとって、水の恵みが一番気になる季節だからであろう。(中略)ツユザエモンが梅雨の時期を示すという観念は、水と蛇の違いはあるが、摂津の栗花落左衛門とまったく同じである

(後略)

引用ここまで―

 引用したとおり、本来の『栗花落』の読みは「ツユ」であって「ツユリ」ではないと考えられる。しかし、摂津梅雨井があった屋敷の所有者の名前が「栗花落理左衛門(つゆ・りざえもん?)」なのである。これは私の個人的な推測でしかないのだが、竈門炭治郎の彼女・栗花落カナヲの姓を「ツユリ」と読ませる設定にしたのは、作者・吾峠呼世晴による元ネタ示唆なのではないだろうか。

 そして、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒した後日談で、伊黒小芭内の遺した愛蛇・鏑丸(かぶらまる)を、栗花落カナヲが受け継ぐ流れになっているのも、水神・雨神である蛇神をツユザエモンと称する歴史的民俗的事例と関係しているのではないだろうか。

 最終的には日の呼吸を使うようになったとはいえ竈門炭治郎は水の呼吸を使っていたのだから、その彼女である栗花落カナヲが、水神と縁の深い蛇(それも白蛇!)を受け継ぐのは似合っていると思える。

2022-08-14

[]かわいいねぇおじさん(神戸市東灘区深江南町)

つきまとい事案の発生(8月12日・東灘)

8月11日(木)午後7時30分頃、神戸市東灘区深江南町2丁目12番付近の路上において、つきまとい事案が発生しました(警察認知〜8月11日)。

徒歩で母親と通行中の男子幼児に対して、かわいいねぇ」と声をかけ頭を撫でながら約20メートルつきまとったもので、不審に思った母親幼児とともに立ち止まったところ、南方向へと立ち去りました。


つきまとったのは、40〜50歳位、身長170センチ位、あご髭、眼鏡キャップ帽、上衣半袖、オレンジ色ハーフパンツ着用の男です。

https://www.gaccom.jp/safety/detail-926984

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