はてなキーワード: 物自体とは
そもそも物を集める、物自体に価値があるって時代が終わってる。
漫画や曲なんてのは中身だけが大事であって物質的価値はあまりない。
物を買うのはコレクターだけ、物を物として認識して集めたい人だけになってきてる。
衣食住以外だと、
③誰かと一緒に共有出来る空間
このあたりに金を出すのでは?
②で、物質系以外で自分の感情が動くものとなると体験型の何かになる。
それがないと金を使わない。もはやそこにしか金を出す価値をみんな感じていない。
(映画自体を1人で見に行く場合は、映画館ならではの迫力や音響などが②に当たる。)
誰かと行くと、あとで振り返ってあーあの時一緒に見たよねーってなる。②+③。
それこそが金を出す価値。
人と一緒じゃないと本当に金使わない。
1人だと何も買わなくても事足りるもん。
キッチンで料理しようと思って、砂糖を探したら4種類も砂糖があった。あんまり自炊しないって言ってたのに、なんなんだ??黒糖とかグラニュー糖とか使わないでしょ!!
<追記>
ブコメで、なんで聞かないの?って意見を見て、それもそうかと思ったのでさっきLINEで聞いてみました。
私「こないだ行った時、砂糖4種類あったけどなんで?」
彼「4種類あった?」
私「シンクの奥の砂糖あるって教えてくれたところに、上白糖とグラニュー糖と三温糖と黒糖。料理しないって言ってなかったっけ?」
ここで返信が2時間くらい止まる。
彼「あー、ごめん。それ多分元彼女が置いていったやつだわ。ごめんなさい。」
私「とても気持ち悪いので元彼女が揃えた調味料、次の時までに捨てておいてください。」
なんか、変だなーと思ったんだよね。
最近買ったものじゃないっぽいし、容器に移してるとかじゃなくて袋のまま。
うー。気持ち悪っ。
<追記2>
私、あまりに叩かれまくっててウケる。さっき、ちゃんと彼氏と話してきました。
私が伝えたのは以下のこと
・前の彼女から貰ったものを全部捨てろってことではなく、彼にとって使わない(そして私も使わない)「砂糖」を取っておいていることが嫌だということ。つまり、その物自体が彼女の象徴のように感じちゃうんです。ということ。
・元彼女という言葉を信じるけど、状況的には二股かけられてるって私が思ってもしょうがないということ。
・私は料理、そんなに上手じゃない。前の彼女は上手だったという風に言ってるように思えてしまうということ。
気づいたらちょっと泣いてた。
彼はとにかく謝ってくれたので、仲直りしました。
勉強とは何か、何のためなのか、何かいいことがあるのか、どうやってするのか。これがわからなくなったことのある全ての人へ。
まず、勉強は「技能の習得」「概念の習得」の二つに分類できる。
「勉強をする」と聞いて大半の人が思い浮かべるのはこっちだろう。問題を解くために勉強する。テストの点を取るために勉強する。資格試験に合格するために勉強する。絵の描き方を勉強する。必要な目的を満たすため必要な技能を習得する。
大事なのは、意味を理解している必要なんてないってこと。例えば数学のテストなら、何書いてるか自分でわかってなくても求められている答えを書けばそれで正解する。意味がわかっている人との差はない。もちろん理解が必要なこともあるし、それなら必要なだけ理解すればいい。
人は、物自体を認識することはできない。何を見るときも概念を経由している。自分の知らないものは認識ができない。そんな「世界を認識するための概念を習得すること」が勉強だ。あるいは「認識の壁を破壊すること」と言ってもいいかもしれない。人一人に見えている世界には制限がある。その制限を壊すために勉強をする。
「勉強」をそんな二つに分類できたが、もちろんこの二つはお互い影響し合っている。実際のところ全く「概念」を理解せずに「技能」を習得することは難しいだろう。「技能」の習得という作業なしに「概念」を手に入れることは難しいだろう。
しかし、この二つは別のことだ。概念の勉強だけでは技能は付かないし、その逆も同じ。重要なポイントだ。
『勉強をするときは「技能と概念のどっちが目的で」「今はどっちを勉強しているか」。これをしっかり意識しよう。』
・「なんで勉強しなきゃいけないの?」
技能の習得と概念の習得でだいぶ意味合いが違う質問だ。技能の習得はどうだろうか。テストの点とか。いい大学行っていい就職先が欲しいならそりゃ勉強するべきだ。他にも、役に立つと思うならやればいい。技能を習得するだけの勉強なんてただのコツだし、そんなのが壁になって生き方が制限されるのは損だぞ。
概念の習得はどうだろう。こっちが色々難しい。この「勉強」は、それなりに生きる上で根本的にはいらないものだ。具体的に役に立つことはなかなかない。そして、楽しいことでもない。目的は知らないことを知ることだ。知らないものは自分にない概念なので、怖い。わからない。つらい。でも、する意味はある。思うに、これは一つの手段だ。例えば本を読むだけなら、誰でも手軽に、いつでもいくらでもできる。それで見える世界が少しだけ変わるのだ。もしかしたら、何もしないよりは楽しい世界が見えるかもしれない。たとえ見えなくても、役にも立たなくても、その勉強すること自体が生きる手段になってくれるかもしれない。楽しくなくても。
・勉強することって何を選べばいいんだろうか?
概念を勉強しろって言われても、何を勉強するのさと思うかもしれない。選定基準はこの辺だろうか。
「やりたいこと」「興味があること」「面白いこと」「役に立つこと」
なかった?勉強したいこととかない?
ならよかった、上記の基準は全部忘れてください。新基準がこちら。
「やりたくないこと」「興味がないこと」「面白くないこと」「役に立たないこと」
ここから選んでね!
知ろうと思う範囲に基準を持つのは制限にしかならない。その上で行動できる人間ならいいけど、「興味ないから」って言った結果として何もしないでしょキミ。なら、その制限を取っ払おう。ほんの少しでも興味を持てたらそれでいいし、なくてもいい。もちろん興味があるならそれが一番強い。
・ランダム性を持とう
知っていることだけ知っても勉強にはならない。知らないことを知るべきだ。
でも、知らない概念はそもそも認識できないので、選定候補にできないというジレンマがある。じゃあ、どうやって知らないものを選ぶのか?学生ならすっごい簡単だ。学校行くじゃん?興味ない授業があるじゃん?たまにはその授業をまともに聞いてみよう。これで知らないことを知れた。
学生以外でも、たまたま目に入ったものについて知ってみよう。目に留まった本を、手に取ればいいのだ。そういう意味では本屋と図書館は最強。
全てを自分から「勉強」にして、認識の範囲を広げていく。楽しい楽しくないを理由にして選ばない。こう書けば、生きる手段としての「勉強」、それなりにありな気がしてこない?
もちろん、概念の習得に絞る必要はない。自分は頭が悪いから…、英語は読めないから…、絵は全く描けないから…。技能がないことで、無意識に壁ができているかもしれない。
もし興味が少しでもあるのなら、いやなくても、その技能習得してみない?
・おわりに
勉強なんて世界を認識する一手段でしかないし、世界なんて認識する必要もない。
でも、自分の認識できていない”何か”が壁になって、そのせいで何もしないよりは、ひょっとしたら楽しいかもしれない。
それなりにやっていこう。
3D酔いとは、ゲームをはじめとするバーチャル空間の出来事を視聴している時に乗り物酔いのような状態になることだ。
本当につい先日、とうとうそれを克服することができたのだ。
似ている状況の人は参考にして欲しい。
友人に勧められて初めて家でFPS(ファーストパーソンシューティング、一人称視点)をプレイした時、30分ほどでトイレで吐いた。
その時は理由がわからず風邪でも引いたのかと思っていたが、そのゲームをする度に気持ち悪くなるのでそれが3D酔いだということを知った。
しかし、不思議な事にTPS(サードパーソンシューティング、三人称視点)は酔わなかった。
そのためしばらくはTPSばかり遊んでいたのだが、ある日TPSでも酔ってしまうゲームに出会ってしまった。
なぜ同じTPSなのに酔うものと酔わないものがあるのだろうか。
そこに疑問を持ったことが、自身が3D酔いを克服するに至ったきっかけだ。
実のところ、自分自身の乗り物酔い耐性は非常に強い。
どれくらい強いかというと、車はもちろん揺れる船の上で本を読んでも大丈夫なくらいだ。
もちろんずっと読み続けられるわけではないが、酔いそうだな感じたら中断すればもとの状態に回復することができる。
つまり、3D酔いと乗り物酔いは発生のメカニズムが同じかもしれないが、耐性は別であることがわかった。
つぎに3D酔いするTPSと3D酔いしないTPSとの違いを考えてみると、そこに明確な違いがあることに気付いた。
酔わないTPSは、基本的に通常操作中はキャラクターが画面に固定されているのだ。
カメラで視点を切り替えることができるが、激しいアクションの最中などは大抵画面の同じ場所に同じ比率でキャラクターが表示されていた。
それに対し、酔いやすいTPSは、キャラクターや視点が絶えず動きまわっていた。
三人称視点でありながら、キャラクターを置き去りにしてカメラが激しく動き続けていたのだ。
その記事においては、FPSの画面に鼻をつけると酔いが緩和されるというのだ。
またある記事においては、画面の中心に丸いシールを貼ると同じく酔が緩和されると書いてあった。
そのことを思い出す限り、TPSにおいてキャラクター自体の位置や比率がそれほど激しく変わらなかったことが、酔いを遠ざけていたことに矛盾しないことが分かった。
それからというもの、FPSをプレイする時は画面中央にある照準に常に意識を集中するようにした。
そうすると確かに酔いを感じるまでの時間が僅かに長くなっていくことが分かった。
画面内で動くものを見つけたら視線を動かし、確認したらまた照準に視線を戻すという繰り返しだ。
確かにそれで酔いは遠ざかったし、これで解決かと思われた。
しかし、画面内にある大量の情報を素早く処理しなくてはいけないFPSにおいて、視線を中心に固定することはデメリットでしかなかった。
そこで、自分が乗り物酔いを中和するときの方法を改めて考えなおしてみることにした。
例えば読書中に自分が乗り物酔いの予感を感じた時、まずはそれを回復させるためにはできるだけ乗り物自体の揺れに身を委ねようとすることから始める。
視点を遠くにして近くの物の動きに意識を取られないようにして、身体を揺れに委ねてその乗り物自体が持つ揺れや遠心力を直接感じられるようにするのだ。
そうしていれば自然と酔いは遠ざかっていく。
今まではそれを無意識にやっていたが、つまりそれを言語化して見れば、「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」ということになる。
もしかすると、これが酔わない秘訣といえるのではないだろうか。
画面内に動かない点を作ってそれに集中するということは、本来そこに無い動きに対し、視線か感じる動きをなくそうと言う努力である。
つまりそれも「視覚情報の揺れと身体が直接感じる揺れの差異を無くす」といえる。
ならば次に試すことは、揺れている視覚情報に対し、身体が感じる揺れを近づけるということだ。
そこでまずは自分が座ったままの状態であっても、歩いている時のように画面の動きにあわせて肩を左右に振ってみることにした。
当然顔は正面を向けたままだが、画面が激しく回転すればそれにあわせて肩を反対にひねり、画面が上下に動けば、それに合わせて胸を前後させてみたのだ。
なんと、これが驚くほどに効果があった。
1時間ほどゲームをプレイしてみたが、まったくもって酔わなかったのだ。
これは目からうろこだった。
自分自身が乗り物酔いに強いという自負から酔いへの対策は身体を落ち着かせることだという思い込みがあったが、もともと実際の動きがないゲームに対しは、酔いの対策は視覚にあわせて身体を動かすということだったのだ。
これを改めて分析してみると、TPSは動きの主体やブレがゲーム内のキャラクターにある。だから自分自身が重力や遠心力を感じる必要がなかったのだ。
ところがFPSは視覚情報に対し、自分自身が重力や遠心力を感じる必要がある。だからこそ、身体をその状態に近づけてやることが酔いの対策となり得たということだろう。
例えばこれは、他人が撮影したビデオ映像を見ているときなんかにも役に立つかもしれない。
撮影者の動きをイメージして、それを自分の身体に再現してやればいいのだ。
酔ってしまうTPSにおいても、揺れを再現する対象をゲーム内のキャラクターではなく、それを撮影しているカメラにあると考えれば、理屈では酔いを和らげることができるはずだ。
最初に断ったとおり、もしある程度乗り物酔いに耐性があるという人は是非試して欲しい。
むしろ身体を動かすまいとしていたことが、自分の酔いを早めていたことに気づくはずである。
そして大変申し訳無いが、そもそも酔いに弱い人に対しては効果が期待できないことを断っておく。
ただ、もしその酔いの原因が視覚から得る揺れの情報と身体が感じる本来の揺れとの差異によるなのだとしたら、その差を無くしてやることで酔いを緩和することができるかもしれない。
その時は効果の有無を聞かせてもらえるととてもありがたい。
よし!
これでプロesportsプレイヤーデビューへの第一歩を踏み出せるだ!
VR版書いた
女という生き物自体が、めんどくさくて可愛げが無いんだよ。
(コンテンツに思い入れがなければダメだという日本で商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつの創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。
日本の場合「自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達も自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。
そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。
アメコミのヒーローは社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本にあるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんとアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツの超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。
ドラゴンボールは孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボールを鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体、社会性は得られない、鳥山明の個人的な世界を描いた作品でしかない。日本の作品はそういうものしかないと思われる。
どんなにクールジャパンだとか政策として日本の作品を世界に輸出しようといっても、作られる物自体が社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンやスーパーマンのように80年近く愛されはしない。
日本人が世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデントな作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治や夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的なものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートル先しか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。
クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界、普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウンが国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から、自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。
■写真などのデータを保存しようと我が家のDVDの在庫を確認すると、残り僅かだった。
そのため、アマゾンに発注をかけようとしたが、おなじみの太陽誘電のDVD-Rが軒並み高騰、在庫切れを起こしていた。
半年ほど前、太陽誘電がDVDから撤退すると聞いていたものの、TDKなど代用品があるし楽観視していた。
在庫も当時はあったし、1年は太陽誘電の在庫が持つだろうと楽観視していた。
そのため、今の手持ちが切れたら買いだめする予定だったし、出来なくても他のメディアでなんとかなると思っていた。
だが、考えが甘かった。
TDKの超硬も、That'sも軒並み売り切れ始めていた。どうやら国産品は太陽誘電のOEMだったらしい。
慌てて高めの値段で少し買いだめをした(と言ってもプレ値は回避できた)
■DVDにデータを保存しているのは、10年を超えてデータを保持してる実績があるから。
SSDは即死経験あり、HDDはSSDよりは緩慢な死(カッコン予報)を迎えることが多いものの怖いのは同じ。SSD以下のUSBメディアやSDなんてもってのほかだ
BDはうちでの保存実績がない。また、不織布保存でダメになるなどの噂があり、不安は避けたい。
そしてデータ用BDドライブはDVDドライブのそれと比べると数が少なく、10年、20年後に可動品が適当な値段で入手できない可能性がある。
DVDドライブやBDドライブはPS4が生き残ってるうちはいいが、いまや音楽や映像はネット配信が当たり前。PCゲームはネット配信が普通だ。家庭用ゲームも後を追いかねない
ゲーム機やPCでの採用が減ればプロ用機器の高価な品だけになるだろう。
BD読めるのはDVDも読めるし、データ用DVDドライブの台数は圧倒的である。20年後でも中古品には困らないだろう。
BD普及中にディスクメディアそのものがデータ用としては死に始めたので、もうBDドライブはそう増えないだろうから、BDは怖い。
BDのほうが長期保存に向いてるだの、DVDのほうが向いてるだの議論はあるが、我が家での実績と
将来的な読み取り機器の残存台数の観点からDVDのほうが良しと判断している。
一度に25GBも保存することはないし、DVDの容量で必要十分。
…だったのだが。保存に適したメディアがなければこの(なんの確証もない経験論)俺理論も意味が無い
■M-DISCかクラウドかBDか、台湾製DVDか。結論は数年後に先送り
クラウド 心理的にやだ。いつサービス停止するかもわかんないし個人的な写真とかネットに流したくない。
M-DISC 最近出てきた1000年保存できる(自称)DVD、BD。記録層はそのくらい持つらしい(自称)がポリカ層寿命が先に来るだろとツッコミたい。
書き込みは対応ドライブ、読み込みは通常ドライブで可能とのこと。
以前検討した時は対応ドライブが高価で物自体もマイナーすぎたためやめたが、今は対応ドライブの値段も落ち着いた。
問題はアイ・オー・データ、三菱の出してるメディアがプリンタブル用しか無いこと。
プリンタブルって嫌い。滲んだりベタついたりするし見た目が悪いから。
わざわざプリントしてる人ってそんないるの?いないっしょ?
最大公約数とか機能を詰め込むこと考えてプリンタブルなんだろうが、プリンタブルが嫌な人が考慮に入れられてないような。
すでにThat'sの在庫死亡したのもプリンタブル非対応のもの。コダワリ多い人、買いだめする人がそこに集中してるのでは?
家庭用プリンターを持つ人も減ってるし、そうそういないだろプリントしたい人。
BD 先ほど言ったように保存実績が少なく不安。データ用のBDドライブは少ないから長期保存後の高騰も不安。
結論はいま手持ちのDVDが切れた時。太陽誘電の技術は台湾企業に移譲されたようだから、それで出てきた商品がどうなるか…
そもそも高コストな商品出してくれるのか。光学メディアの役割はもはや長期保存くらいだから品質いいのがほしいんだけどな。
M-DISCも自分の好みの商品が来るかもしれないし。とりあえず買いだめしたおかげで余裕がある。
まだ結論を出す必要はないが、おそらくM-DISCのDVDに決めるだろう。
M-DISCは情報が少ないので我が家の在庫切れまでにある程度情報が出揃って欲しい
追記:台湾から太陽誘電の技術を使ったものがさっそく輸入されるそう
人柱の結果と、DR-47WTY50BNT同等品が輸入されることを祈りたい。
子供の鳴き声。酒臭い人。繰り返し咳をするおっさん。騒ぐ人。人混み。人混み。人混み。
特に通勤時間の満員電車がとてもつらくて、会社に辿り着く前に消耗してしまうのがとてもつらいのです。
そういうわけで最近は通勤に電車を使っていません。すると知らない人に対して神経をすり減らすことがなくなったので、とても快適になりました。ただ、最近気づいたのですが、自分、電車という乗り物自体がすごく嫌なんだということに最近気づきました。
知らない人、どんな人間か分からない人と同じ空間に居合わせる。これって結構苦痛なんですね。平日電車に乗ることがなくなったので、電車に乗ることが余計苦痛になりました。
と思っていたのですが、今日美女が隣に座っていると、とてもテンションが上がることに気づきました。電車は嫌いだけど美女に囲まれるなら悪くないよね、と思うようになったのです。しかし、そんな展開は望むべくもありません。確率が低すぎるのです。と思ったのですが、女性専用車両に乗り込めば、美女に囲まれる確率が上がるのではないか?と思い始めました。とはいえ自分、男です。男が女性専用車両に乗るのは無理です。
そこで考えました。女装したらいいんじゃないか?と。最近男の娘が流行ってますし、女装男子も流行ってますし、バキバキにメイクして除毛してカツラを被ってマスクをつけて女性専用車両に乗り込めば、パラダイスになるんじゃないかな、と思うのです。
皆さんいかがでしょうか。
※
「簡単に言うと」以降の例えにはちょっと納得できない(使うものと見るものは違う)けど、まあ言いたい事は大体わかった。
だけど「俺は絵の具のデコボコが見たいんだよ!物自体の質感ガー!」って人達だけが美術館を存続させているとは、到底思い難い。ニッチとしか思えないんですが、それは俺の認識が甘いのか。
さぁ、そこでして。絵画は文字記号以外の本質も山ほど持っているんじゃないでしょうか。
文字を読むだけでしたらモリサワフォントを上質紙に打ち出したものを読んでも、死ぬ間際に床に書かれた血文字を読んでも、「リンゴ」という文字は「リンゴ」です。
◇◇◇
で、絵画はそうした「手前に描かれている人物は誰々という人で、背景に対してこういう構図にあるから、こういう意味を持っている」という文字的な読み方以外に、
「ちょっとここの絵具がざらついてるのが、超かっけぇ」とか「下地の麻布を消し切らない石膏地がいい」とか「画布の張り方が超几帳面」とかそういう箇所も面白がるやり方もあるのです。
『それは本質じゃない、そんなものは描かれた意味とは別の話だ』という意見もあるかもしれませんが、こうした「物自体の質感」も絵画の本質の一つです。
◇◇◇
簡単に言うと、コンビニでもらうレシートが血文字で書かれてたら怖いでしょ。記述されてる「代金とお釣り」という記述内容が合ってても、血文字だとさすがにちょっとそれ以外の色んなこと考えてしまう。このコンビニ大丈夫か、とか。普通に刑事事件じゃねぇか、とか。
たしかにこれは、「文字的な記述内容」とは別の次元の要素かもしれませんが、古今つうじて絵画のプロは、本気で全力であらゆる手段を使って、何かを表現しようと試みています。それが本質だろうと外道だろうとお構いなしです。
こうした場外乱闘的な工夫はさすがに写真だけでは読み取りにくいです。
◇◇◇
あるいは部屋とも言い換えられるかもしれません。
「ちょっと部屋でも飾りたいな。この棚置いたら、ソファはさすがに革はないな。ヤクザの事務所じゃねぇんだし。カーペットは、あえてなしで行くか」
いうなれば画家はそんな感じの試行錯誤を続けて、いい感じに飾った部屋にお客を招くわけです。
「どう?」と
「いいねぇ。わかってるねぇ。でも俺だったらここに革張りのソファ置いてヤクザの事務所っぽくするけどな!」
ここには文字的な記号のやりとり以外のコミュニケーションがあります。ここではソファの質感や、棚の色、床板の素材、といった要素それ自体が本質です。
◇◇◇
だから、まぁあれです。引っ越しの部屋決めを写真だけで済ますと思わぬ見落としがあったりするものです。実際に現場に足を運ぶと、写真に写ってないものが見えたりするもんです。そして住んでみるとまた違う。
絵画や美術も、きっと似たようなものなのです。そういう需要があるから、美術館てのが存在してるんでしょう。
俺はあんま行かんけどな。
先に男根のメタファーなるものが話題になったが、それでは男根の直喩とはなんだろうか、という疑問が呈された。
考えてみると、画像や映像で「メタファー(隠喩)」という表現は使われるのに直喩はみない。それはどうしてだろうか? また男根の直喩はありうるのか? その場合はどういうものがそれに相当するのか?
比喩とは、異なる2つのものを性質の共通性によって連想(類推)させ、結びつけるものである。
それゆえ比喩は比喩対象(=比喩されるもの。「被比喩物」)、比喩しているもの(比喩対象以外のものであることを要する。「比喩物」)、両者の性質の共通の3点を満たす必要がある(以上を「比喩要件」と呼ぶことにする)。
してみると、隠喩は比喩要件を最小限に満たしたもの、直喩はそれに加えて比喩性を明示したことをいう、と考えられる。
ところで比喩であることを明らかにするには「ようだ」など、比喩性を直接に明示する文言を使うことが一般的である。
辞書の定義には「ようだ」「ごとし」「似たり」などの比喩を表す文言を用いたもの、とまで書くものもある(広辞苑など)。
しかしそれ以外の方法で比喩性を明らかにすることが妨げられないのではないか。比喩であることが明らかなもの、という定義も存在する。大体にして「などの比喩を表す文言」という定義自体、曖昧であり却って議論を混乱させる。本質としては比喩であることが明示されているか否かが重要だろう。
そこで、凡そ一般に比喩性を明らかにすれば、直喩が成立すると考える。
比喩性は比喩要件を満たせば認められるが、同時に我々は比喩要件を満たした表現を見ると、それを比喩であると認識する。
この観点に立つと「ようだ」「ごとし」「似たり」などの文言を使う方法は、比喩要件充足を包括的に示す方法と言える。
それでは「明示」とは何を意味するのか。
これは、受け手に高い蓋然性を以って<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解されるものと考える。
まず比喩要件を各個に検討し摘示するような表現が考えられる。比喩要件を各個に検討し摘示する表現はかなり不自然な表現であるから、<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解される。すなわち、比喩要件充足が明示された、と言える。拙い例で申し訳ないが「あの子は虎だね。強くて大きくて五月蠅いが、それでいて可愛げがある」などの言い方を例にしたい。最初の文単独で見れば隠喩のように見えるが、しかしこの文章全体からしてこの言い回しは直喩である、ということになる。本来受け手の側で「発見」される(後述)性質の共通性をわざわざ述べる不自然さが比喩性を明示するのである。
しかし方法はそれだけか。私はほかに「比喩するものの存在の明示すること、及び比喩対象(被比喩物)の存在が特定できるほどに明確に共通の性質を示す」という方法でも可能ではないかと考える。何故ならそれにより結局比喩物、被比喩物、共通の性質が明示され、比喩要件充足及び比喩要件充足を示そうとしていることが高度の蓋然性を以って理解される、と思うからである。
(またこのほかに、そもそも被比喩物を模したことが公知の事実となっている比喩物というものもある。男根と張型の関係はこれに当たろう)
さて後者の「その他の方法」をわざわざ提示するにはそれなりの理由がある。これは、言語表現以外で比喩性という一種の関係を伝えることには困難が伴うと考えるからである。
詳述するとこういうことである。画像や映像における「メタファー(隠喩)」は言語表現とは異なる。言語表現においてメタファーは比喩物と被比喩物を示し、共通性は読者が発見するという形を採る。なぜ読者がわざわざ発見するのかと言うと、それは比喩物と被比喩物がズレているのにも拘らず、同一性を示す言い回し(AはBだ、が典型)が使われるからである。
映像では被比喩物が示されず、ただ比喩物のみが存在するという場合がある。その代わり、比喩物と被比喩物の関係は共通性が見出しやすいものとなっている。それは同一性に気付く手がかりがないからそのように設定して用いざるを得ないところもあるが、画像や映像は情報量が多いため、共通の性質を見出すことが容易であることも大きな理由であろう。
こういう性質を持つがゆえに、画像や映像において「~のメタファー」なるものは見いだせるのに、直喩は見いだせないのである。しかし、先に示した直喩の考え方によるならば、画像や映像においても辛うじて直喩は認め得るのではないか。映像や画像であれば、似たものを並べれば、それは比喩物、被比喩物、共通の性質を同時に示したことになり、これは「各個の明示」に近い。
またそうでなくとも「その他の方法」によることも可能である。例えば動作を含めれば、共通の性質がより鮮明に打ち出され、それにより被比喩物が特定されるだろう。画像・映像表現ではこちらが使いやすいのではないかとも思われる。
以上より、画像や映像における直喩は成立しうる。そして如上の直喩概念によるならば、男根の直喩とは、例えば次のようなものが考えられる。
張型(物自体)
どういうことが問題なのか、何が問題になっているのか、そういったことを
今回これを作成するにあたった経緯として、刀剣乱舞の二次創作の1つである
【ヘイト創作】の【タグ付け/住み分け問題】なのですが、それ以前に
あまりにも「何故これがだめなの?」「これの何が問題なの?」という方が多く見受けられましたので作成しました。
もっとこれより詳しい内容についてはご自身でピクシブの百科辞典やこれらに関するまとめなどを検索して調べてください。
二次創作とは”1つの作品”を元にして作られらた新しい作品です。
※ここでは【刀剣乱舞というゲームを元にして作られた作品(イラスト、漫画、小説、ゲーム、グッズなど)】が二次創作と呼ばれるものになります。
基本的に二次創作は【違法】です。しかし【悪意や作者への損害がない場合】は黙認されることがあります。
→何故か?
ファン活動の一環であると黙認されていたり、ファン活動が盛り上がれば作品の宣伝にもなるからです。
物によっては【作者や公式によっては二次創作をあらかじめ許可している場合】もあります。
ただし【作者や公式がやめろと言えば直ちに二次創作の公開をやめなければなりません】
なので、二次創作をやる時は【作者や公式が不快になったり、被害を受けるような内容はやめましょう】
※作者や公式の作品があっての二次創作です。敬意の念を忘れずに。
→答えは【いいえ】です
刀剣乱舞では【条件付きで二次創作をすることが許されています】
1.創作性があること
2.直接販売であること
今回は【5.その他、絶対的禁止事項に該当しないこと】について説明します。
※他の詳しい条件に付いては【nitro+ 著作物転載ガイドライン】をお読みください。
→【5.その他、絶対的禁止事項に該当しないこと】ってどんな内容?
1.弊社、弊社製品または弊社キャラクターのイメージを著しく損なわないこと
2.利用する作品の著作者ないし弊社の社会的な信用、評価を損なわないこと
3.公序良俗に反しないこと
しかしこれを【破ってしまえば二次創作自体が全面的に禁止される恐れがあります】
→箇条書きで説明するとこうなります
1.愛情表現ではなくアンチ思考や見下し、または面白半分や流行に乗ったなどの安易な理由で
版権キャラクターや実在の人物に暴行、虐待、侮辱(ぶじょく)、誹謗(ひぼう)中傷などを行う
2.二次創作した作品の設定上、都合のいいキャラクターを改悪利用し”汚れ役“のように扱う
もしくは、他キャラクター(主に自分の最愛キャラ/推しキャラ)の引き立て役に使う
3.特定キャラクターに対し、作中で一方的なお説教、断罪、見せしめなどを行い、貶める(おとしめる)
【ヘイト創作】の問題点は【ニトロプラスが出した条件、絶対的禁止事項】に引っかかるのです。
1つめにある【弊社、弊社製品または弊社キャラクターのイメージを著しく損なわないこと】とは
つまり【ニトロプラスや刀剣乱舞、または刀剣男士のイメージを壊したり傷つけたりしないこと】という意味なので
ヘイト創作の【二次創作した作品の設定上、都合のいいキャラクターを改悪利用し”汚れ役“のように扱う】
もしくは【他キャラクター(主に自分の最愛キャラ/推しキャラ)の引き立て役に使う】は刀剣男士のイメージを
壊したり傷つけたりしているので完全にアウトです。
もちろん、隠れてそういった二次創作を楽しむ分には構いません。(人の嗜好はそれぞれです)
しかし以前からヘイト創作に分類されるような小説がランキングに数多くランクインし、ヘイト創作でランキングが埋まってしまう時もありました。
現在はいろんな方のお声かけにより以前より隠れてくださる方が増えてきています。
それが素直に喜べません。確かに人気があるのはいいことではあるのですが
ランキングというものは載ればその作品は必然的にもっと多くの人の目につくようになります。
しかしそれがヘイト創作であれば【他のジャンルの方や、刀剣乱舞を始めようと思っている方にどういったイメージを与えるか】です。
【あそこのジャンルは版権キャラクターに暴行、虐待、侮辱、誹謗中傷をし、”汚れ役“をさせるために公式とかけ離れたものにする】
【汚れ役には一方的なお説教、断罪、見せしめを行ってキャラクターを貶める】
【それがランキングに乗るほど流行っている、あのジャンルの人はこういうものが好きな人しかいないんだ】
【刀剣乱舞は刀剣男士にこういうことをしても大丈夫なんだ、これが公式なのか】
【やだな、こんなゲームなのか。始めるのやめておこうっと】
極端に見えますが事実、こういった誤解を招くことになり、結果的に人が離れてジャンルが衰退してしまうことになります。
更にいえば公式に見つかってしまえば勿論二次創作の全面的な禁止もありえます。
ですので、刀剣乱舞の存続のためにも【隠れて二次創作・ヘイト創作を行っていただきたい】というのが一番のお願いであります。
挙げられるものとしては
・上でも書いたように【刀剣乱舞のファン全てがマナーの悪い集団】というレッテルが張られる
・【元となった作品(刀剣乱舞)やキャラクター(刀剣男士)ごと避けらる】 など
※これに関しては最悪の場合、刀剣男士を描いた絵師さんにも迷惑がかかる恐れがあります
これらを回避するために【二次創作について】や【ガイドライン】は絶対に読んで内容を把握し
十分に注意を払ってファン活動をせねばならないのです。
投稿者の方々からすればそうなのかもしれませんが、上記に箇条書きした通り
やはり版権キャラクターを酷い目に合わせる、特定のキャラクターを都合のいいように”汚れ役“にするということに対し
【不快に思われる方】や【刀剣男士や刀剣乱舞そのものに悪いイメージを抱く方】はいます。
投稿者の方々がどれだけ刀剣男士に愛情をもっていようとも、そういう意図がなかったとしても
【第三者】から見て、それを見ただけで読み取るというのは非常に難しいことなのです。
それについての答えは【いいえ】です。かと言って【タグ付けや住み分けはしなくていい、安易に刀剣男士を酷くあつかっても良いわけではない】です。
そういう性癖や萌え属性があるのも理解しております。文句を言うつもりはありませんし、言う権利はありません。
ただそういった作品は【ニトロプラスや刀剣乱舞、刀剣男士たちのイメージを壊したり傷つけている】
【最悪の場合は刀剣乱舞の二次創作全面禁止になる可能性がある】ということだけは【絶対に忘れないでください】
それについては以下のそれぞれのマナーについてを参考にしてください
・検索避けを徹底する(キャプションやタグ、題名に原作名やキャラ名などを入れない)
・1ページ目に注意書き、あるいは念のために2ページめにワンクッション入れる
(本当によろしいですか?注意書きは読まれましたか?などの再度の確認など)
・内容が非常に過激である、もしくは苦情や批判などを絶対に受け付けないのであれば
(Pixivは個人サイトなどではなく、多くの利用者がいます。嫌なら見るなというのは個人サイトやマイピク限定時にしか使えません)
・タグをコメント欄代わりに使わず、【コメント欄を使いましょう】
・(キャラ名)ざまぁ、(キャラ名)制裁希望などの【貶(けな)しが含まれたタグは、投稿物自体にマイナスイメージを与えてしまう恐れがあります】
(作者さんがタグいじりを望んでいても同様です)
※タグ欄とコメント欄に関しては【タグ欄とコメント欄の使い方を考えてみませんか?】などのマナー投稿文があるのでそちらも参考にしてください
・作者に【メッセージ送信】にて【客観的、冷静かつ礼儀正しい文面で、なるべく一回だけで個別に説得してください】
・また【自分が不愉快に感じたからヘイト創作だ】【ヘイト創作は悪。だから排除するのは二次創作を守る上で必要な正義である】など
このような考えにはなっていませんか?ヘイト創作ではと思った時は【一度その作品を見るのを止めて、考える時間をとる】と良いと思われます
他にも色々と注意する点はあるのですが、それぞれ簡単にまとめさせていただきました
もっと詳しく知っておきたいという方は【ピクシブ百科事典のヘイト創作の記事】をご覧になってください
ここまで読んでくださりありがとうございます
今後とも刀剣乱舞というジャンルの繁栄及びに皆様と楽しくファン活動ができることを願って
・これだけは知っとけ!c著作権(http://chosakuken-kouza.com/kihon/nijitekichosakubutu.html)
・nitro+ 著作物転載ガイドライン(http://www.nitroplus.co.jp/license/)
(ニトロプラス/ニトロプラス キラル作品に関連した同人グッズ、コスプレ、痛車、フィギュア等の二次著作物について)
・ピクシブ百科事典/ヘイト創作(http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E5%89%B5%E4%BD%9C)
「ゼロ」を何を持って言ってるか知らないけど、逆に「ゼロ」から生成してる職業って何?何も無いってこと?
小保方の方は結果自体が偽造。論外。
佐野の場合は物自体、デザイン自体はそこにある。そしてそれに対する「評価」は全く別の話。それの新規性とか優れてるかどうかは今回問題視されてるもとは一切関係ない。
問題はそれがパクリだとか実はコンペで勝ち取った物は全然別のものだった、ということ。
ん?これってそもそもベルギーのデザイナーが、「これ、似てるやん?」って言い出したんじゃなかったでしたっけ?
何か時系列違う?
もし、この「似てるやん」が無かったら別に、ああ、こんなのがエンブレムね、程度で終わってたと思うけど?
誰かが血なまこになって偽造を探したりはしなかったと思うけど?
それを小保方の件で言うなら、他の研究者が行ってた事を密かにパクって結果を出して、その先行研究者の引用も一切せずに
paperにすることと同じだ。
勿論、この場合はすぐにその研究者からケチが付くし、普通は査読の段階で調べが付くだろうが。
大衆が気に入る、気に入らない、ではなくて、単純にこれだけ情報が多く出回っている時代、
何か大きな事を成した時、そこにわずかでもほころびがあったらそこから何か他に出てくるものがないか?と探しているのは常に有ること。
小保方、佐野に関してはここまで大きくなったが、他にも全ての有名人達に対して同じ事が行われてる。
芸能人や政治家に対して過去にまで遡って色々詮索されてるなんて日常茶飯事だろ?
もし仮に、このまま裁判とかまでやって勝ったとしても納得行かない雰囲気は続くし、
海外からもケチが付くし誰も得をしない。(佐野やその周りの利権者以外。)
「デザイン業界がパクリの巣だ」という断罪をする人もいるだろうが、そのパクリの一番の被害者はパクられたデザイナーなのだから、その決着は業界内でどうにかするしかない。いずれにせよ、デザイナーは当分、戦々恐々として怯えながら仕事するしかないのだろう。
ちげーよちげーよアホ
「佐野デザインだ!」って言って買ったのが、そもそもただの監修だったり、それを「業界の常識」とかドヤ顔で言ったり、
まあ、金出してるのもクズみたいな会社側だったりするからホントの被害者はその場合その会社の物を買ってる消費者なんだけどな。
は?なんでだよ?正しい仕事してるなら何も怯える必要ないだろ。