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2024-07-20

anond:20240720172804

動物世界でもメスの個体が美しいと

オスに子育て邪魔される(レイプされる、子供を殺される)

のでメスは地味な色でひたすらデカ個体が残り

 

逆にオスが美しく目立つと他のオスから攻撃対象になるため

美しいオスで尚且つ生き残っているということは強いオスの証となり

クジャクみたいな結果に...

「アブジェクシオン(abjection)」は、フランス哲学者精神分析学者のジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)が提唱した概念

この用語は、汚物死体などの「穢れ」とされるものに対する心理的な反応や、社会から排除メカニズムを指す。

アブジェクシオン自己他者境界を守るために重要役割を果たすが、同時に恐怖や嫌悪感を伴うものである

 

アブジェクシオンは、自己主体)と他者(客体)の境界を保つための心理的な反応。主体自分と異質なもの排除しようとする過程で生じるとされる。

身体的または精神的に「汚い」と感じるもの血液排泄物死体など)に対する反応であり、これらのもの社会的にもタブーとされ、排除対象となる。

クリステヴァは、文学芸術がアブジェクシオン感覚を探求し、表現する場であると考えている。これにより、個人社会無意識の中にある恐怖や嫌悪が表面化されると。

 

この考えの面白いところは、よく起こるWeb炎上説明できること。

たとえばフェミニズムにおけるアブジェクシオンは、女性身体が「汚れた」ものであると扱われたプロセス説明するものだが、トランスジェンダー排除生理的感覚説明するものでもあり得る。

また、性的もの公共から排除したいという感覚や、「美しく無い」現代アートに対する感覚説明するものでもある。

合丼来来(あいどんらいき)伝・2

その人物の名は、「ゆざいちょ」

その人物が初めて世間の一部で有名になったのは、2006年頃の事だった。
2004年ソーシャルネットワークサービス現在ではSNSと略されている物)の一つとして「mixi」がサービスを開始した。

最初は、mixi招待制で、既に登録している人からの招待メールを受け取らなければ
アカウント作成する事ができなかった。

mixiサービスを開始してから1年半ほどが経った頃だろうか、商業で絵を描いている絵描きプロ漫画家の一部の間で

mixiで面識が無いのにマイミク申請をして来る人物がいる、しか相手絵描き
漫画家だと見ると無差別マイミク申請を送って来る上に、一度拒否してもしばらく経つと
またマイミク申請が送られて来る

という噂が流れて来る様になった。

マイミクというのはTwitterで言う所の相互フォロー申請だがmixi場合
承認すると強制的相互フォロー状態になる、という点がTwitterと違っていた。
なので、私などは面識の無い相手から申請は断っていたが、それでもその人物から
マイミク申請は、私には3回来た。

マイミク申請の文面は、下記の様な内容だった。

初めまして、「画力向上ガイド」という、画力向上のために役立つ
技術等を紹介するブログ運営しているゆざいちょと言います

マイミクになって頂けませんでしょうか?

画力向上ガイド
URL

メッセージに添えられているURLを開くと、ペンタブ絵描きノウハウ本を紹介する記事が1日に何本も書かれているブログが開かれた。
しかも、それらの記事はどれもアフィリエイトリンクが貼られていた。

プロフィールには「画材屋をやっている」みたいな事が書かれていた。

正直、開いて「うわあ」と思った。

当時、匿名掲示板の「2ちゃんねる」(現:5ちゃんねる)が広まりだした頃で、
2ちゃんねる」にはインターネット上の関わったら危なそうな人物を観察するための板として「ネットwatch板」というカテゴリ存在した。

私がネットwatch板を試しに検索してみた所、「mixi同人関係の痛い人スレ」みたいなタイトルスレッドで
ゆざいちょは既にwatch対象になっている事を知った。

これは、「ゆざいちょ」と名乗っていた人物が「合丼来来」となりDLsiteに対して訴訟を起こし敗訴するまでの物語

これまでの「合丼来来伝」

合丼来来(あいどんらいき)伝・1

anond:20240720084809

大阪イジメにはユーモア皮肉で返すんですよね

真面目に「こんな嫌がらせされた!!」っていうのは不利になる時はいわない

京都ナチュラル大阪のこと見下してるので

マジで

 

USJ成功インバウンドの盛況もなんもない頃の大阪

とにかく批判対象であり

今よりもっと調子乗ってた京都

2024-07-19

anond:20240719123520

息子ができた後に2.5次元俳優バーイベ行く母親とかも気持ち悪いと思う

対象に男女差はないけど、確かにこの気持ちを抱くこと自体は確かに女性特有なのかも

ちなみにが義姉は義父と縁を切ってる

anond:20240718184734

女の嫉妬対象は大して美人じゃなく下品バカヤンキーだけど働き者で稼いで浮気しない男と結婚した女だよ

20単位で叩かれて既女の嫌いな女殿堂入り工藤静香代表

anond:20240719073452

マンガアニメなどのコンテンツ批判するフェミニストに対して、していいこと、は

その批判を再・批判することなんよ。

大きくなったクレームの声をかき消せなかったら、ポスターとか批判された対象撤去されてしまうこともあるけど、それはポスターを掲げた人たちの判断責任

anond:20240719090839

いや、高校だったら普通に停学処分になるし、大学でも適用されることは少ないとはいえ懲戒処分対象未成年(20歳未満)の飲酒喫煙は入っとるわ。


それをやめろっていってるんだが

未成年喫煙くらい許せよ!警察厳重注意だけで罰則はないだろ!

いや、高校だったら普通に停学処分になるし、大学でも適用されることは少ないとはいえ懲戒処分対象未成年(20歳未満)の飲酒喫煙は入っとるわ。

集団所属するってそういうことだろ。

オリンピック日本代表じゃなくて反グレ集団にでも所属してたら未成年喫煙くらいでとやかく言われんよ。

2024-07-18

暇空の名誉毀損賠償額はもっと取るべき!

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/expert/articles/27604648d47c459e4b6dad18210e984c603326c2

違法デマ拡散で(自称)1億6000万円の収益を獲得した人間に220万では安すぎる。

速報的記事。暇空敗訴は当然の結果だと思うけど、やっぱり名誉毀損って賠償額安すぎるよね。実際の被害考えたらこの額じゃ収まらないだろうに…。この結果を受けて送検済の刑事告訴はどうなるのか、今後にも注目。

1億6000万集めてその上配信で稼いだんなら、220万の賠償なんてほぼノーダメやな

散々誹謗中傷されて迷惑YouTuberを含めて活動邪魔されて賠償額たった220万じゃなあ。相手カンパビジネスで儲けてる訳だし。こんなのを持ち上げといて(https://t.co/lQbTw5sx3vダンマリ卑怯者。

敗訴しても焼け太り。200万円ぽっち痛くもない。"訴訟費用名目2024年6月末までに約1億6000万円以上の「カンパ」を集め、Colaboに言及したYouTube動画や、裁判準備書面を含めた文章note販売するなどして収益を上げて" 暇デマビジネス

やっぱ安すぎるし、カンパ金に応じた額を支払わせるべきだよね。

暇空が言ってることデマばかりなんだから当然の判決。6億くらい払わせたら良いのに

名誉毀損賠償額の相場個人10〜50万、法人50〜100万から見れば高いのだろうけど何の抑止力にもならんな。訴訟大国のアメリカさんだとどんなもんやろと思ったら https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB160PB0W3A211C2000000/

リンク先『元NY市長賠償命令 名誉毀損で210億円』

インターネット拡散力と脅威が当たり前になった今、法律アップデートする必要があると強く思う。懲罰的損害賠償の導入を早くしてほしい。



一般人が一企業相手取った日本国内で騒がれた件でこれだけ言われるのだから

世界的にデマ報道された観光地草津町への損害賠償額や草津町長への名誉毀損賠償額がどんどんアツくなるね!

暇空のカンパ収益ビジネスとするならガチビジネスマスメディアデマ拡散で売り上げた分も当然対象よな

おまけ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/hima_kuuhaku/n/n123fd9c067a8親玉の言い分を盲信して誹謗中傷を続けてきたブクマカ達 / この一連の問題は、草津の件を遥かに超える卑劣で悪質な集団デマ加害事件

どさくさ紛れた草津矮小化が酷すぎてくさ

こんなでもスター集めるんだからこの界隈凄いわ

7月18日

本日は、チャールズ・サンダース・パースプラグマティズム特にその認識論的基盤と論理学的側面に焦点を当てて考察を深めた。

パースプラグマティズムの核心は、彼の提唱した「プラグマティック格率」(pragmatic maxim)にある。この格率は、"Consider what effects, that might conceivably have practical bearings, we conceive the object of our conception to have. Then, our conception of these effects is the whole of our conception of the object."(我々の概念対象が持つと考えられる、実践的な影響を持ちうる効果考察せよ。そうすれば、これらの効果についての我々の概念が、その対象についての我々の概念の全体となる)というものだ。

この格率重要性は、その認識論的含意にある。パースは、概念意味をその実践帰結に求めることで、形而上学的な思弁を排し、経験的に検証可能知識の基盤を提供しようとした。これは、ウィーン学団論理実証主義に先駆けるものであり、20世紀科学哲学の発展に多大な影響を与えた。

パース論理学への貢献も看過できない。彼の提唱した「存在グラフ」(Existential Graphs)は、命題論理と述語論理視覚的に表現する革新的システムであり、現代計算機科学におけるグラフ理論の先駆けとなった。また、パースの「関係論理学」(Logic of Relations)は、フレーゲの述語論理と並んで、現代論理学の基礎を築いたと言える。

さらに、パースの「アブダクション」(abduction)の概念は、科学発見論理を解明する上で極めて重要だ。アブダクションは、演繹帰納とは異なり、新たな仮説を生成する推論形式であり、パースはこれを「驚くべき事実の観察から出発し、この事実説明しうる仮説を形成する」過程定義した。この概念は、後のハンソンの「発見論理」やクーンパラダイム論にも影響を与えている。

パース記号論(semiotics)も、彼のプラグマティズムと密接に関連している。特に、彼の提唱した記号三項関係記号対象解釈項)は、意味の生成過程理解する上で革新的視点提供した。パース記号を、"Something which stands to somebody for something in some respect or capacity"(ある観点能力において、誰かに対して何かを表すもの)と定義し、この定義現代記号論研究の基礎となっている。

また、パースの「連続主義」(synechism)の概念も注目に値する。これは、実在連続的なものとして捉える形而上学立場であり、量子力学における波動関数連続性や、現代複雑系科学における創発現象理解にも通じるものがある。

パースプラグマティズムは、後のジェイムズやデューイらによって発展させられたが、パース自身晩年自身思想を「プラグティシズム」(pragmaticism)と呼び直し、他のプラグマティストたちとの差異を強調した。特にパースは真理の客観性を重視し、単なる有用性や成功還元されない真理概念を追求した点で、ジェイムズらとは一線を画している。

今日考察を通じて、パースプラグマティズムが単なる哲学的学説にとどまらず、論理学記号論科学哲学認識論など、広範な領域に及ぶ包括的思想体系であることを改めて認識した。明日は、パース思想現代認知科学情報理論複雑系科学との接点について、さらに掘り下げて考察を進めたい。

ZFCの哲学

ZFC (Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice) の哲学は、数学基礎論における中心的な位置を占め、その含意は数理論理学モデル理論証明論にまで及ぶ。

ZFCの存在論的基盤は、von Neumann–Bernays–Gödel (NBG) 集合論との比較において明確になる。NBGがクラス概念を導入するのに対し、ZFCは純粋に集合のみを扱う。この違いは、大規模基数の存在に関する議論において重要意味を持つ。例えば、到達不能基数の存在は、ZFCでは公理として追加する必要があるが、NBGではより自然に扱える。

ZFCの哲学重要性は、その一階述語論理に基づく形式化にある。これにより、完全性定理適用可能となり、モデル理論手法を用いた相対的矛盾証明可能になる。特にゲーデルのL構造構成可能全体)とコーエン強制法は、ZFCの独立性結果を示す上で本質的役割を果たす。

ZFCの公理系、特に置換図式の導入は、フレーゲ論理主義崩壊後の数学基礎論の再構築において重要役割を果たした。置換図式は、ラッセルパラドックス回避しつつ、十分な数学対象存在保証する。

選択公理 (AC) の哲学的含意は特に深い。ACは、トポロジーベクトル空間におけるハーン・バナッハの定理や、測度論におけるバナッハ・タルスキのパラドックスなど、数学の広範な領域に影響を及ぼす。ACの非構成性質は、直観主義数学構成数学との緊張関係を生む。

ZFCの哲学は、大規模基数公理研究と密接に関連する。イナクセシブル基数、マーロ基数、超コンパクト基数などの大規模基数の存在は、ZFCの無矛盾性を強化し、数学宇宙階層構造示唆する。これらの基数の存在は、プラトニズム的な数学観を支持するように見えるが、形式主義的解釈可能である

ゲーデル不完全性定理のZFCへの適用は、数学的真理の本質に関する深遠な問いを提起する。特に、第二不完全性定理は、ZFCがその自身の無矛盾性を証明できないことを示し、ヒルベルトプログラム限界を明らかにした。

ZFCの哲学的含意は、数学構造主義との関連でも重要であるブルバキ学派の構造主義的アプローチは、ZFCを基盤として数学構造定義し、分析する。一方、カテゴリー論的基礎づけは、ZFCに代わる代替的なアプローチ提供し、トポス概念を通じて数学宇宙多様性示唆する。

内部モデル理論特にゲーデルのL構造研究は、ZFCの哲学に新たな視点をもたらす。V=L(すべての集合が構成可能である)という仮定は、連続体仮説一般連続体仮説肯定するが、同時に多くの大規模基数の存在否定する。これは、数学宇宙の「薄さ」と「厚さ」の間の哲学的緊張を生む。

結論として、ZFCの哲学は、数学存在論認識論真理論交差点位置し、現代数学の基礎に関する最も深遠な問題を提起する。その影響は、数学哲学にとどまらず、論理学計算理論量子力学の基礎にまで及ぶ。ZFCの哲学探究は、数学知識本質限界に関する我々の理解を深化させ、数学哲学境界を絶えず再定義しているのである

朝日新聞記者がなぜ謝罪しなければならないのかわからない

テレビと違って新聞中立でなければならないなんてことはない

まして新聞社としてではなく個人発言でなぜ?

差別発言なら謝罪は当然だが、そんな要素は無いのでは?

意味がわからない

強いていえば「朝日新聞論調と異なるから」だろうか?

会社方針と異なる発言処分対象になりえる

ただし自民絶賛支持とかしてるわけじゃなく単に蓮舫発言批判しただけでそんなことあり得るのか?

やっぱり意味がわからない

anond:20240718003915

すてられるのがこわいというか、それ以前の問題というか。

そもそもそういう対象に見られてないんだろうなとしか思えなくて…

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-17

anond:20240716212444

1. 定義曖昧さについて

定義曖昧になることで、誰が支援必要としているか不明確になり、支援効果が薄れる可能性があります。明確な定義があることで、具体的な支援対象特定やすくなり、効率的支援可能です。広範な定義は、実際に最も必要とされる支援が届かないリスクを増大させます

2. リソース分散について

リソースは限られているため、分散させると各個人への支援が薄くなり、結果として全体の支援効果が低下します。特定対象に集中した支援必要場合、広範な支援逆効果となる可能性があります。限られたリソースを最も効果的に利用するためには、優先順位を明確にし、特定ニーズに対して重点的に支援することが重要です。

3. ステレオタイプの強化について

概念の拡大により、男性全体が弱者として見られるリスク現実的です。ステレオタイプは根強く、教育や啓発活動だけでは完全に払拭できないことがあります。このような誤解は、支援必要としない男性に対しても偏見を生む可能性があります支援対象を明確にし、誤解を防ぐことが重要です。

4. 他の社会的問題の軽視について

特定問題に焦点を当てすぎると、他の重要社会問題が見過ごされる可能性があります。すべての社会的問題に対してバランスの取れたアプローチ必要であり、特定問題に過度にリソースを投入することは他の問題解決を遅らせる可能性があります。全体的な社会の公正さを追求するためには、優先順位をつけたリソース配分が重要です。

5. 実効性の欠如について

広範な定義に基づく対策実効性に欠けることが多く、具体的な問題対応するためのリソースが不足することがあります。具体的な支援策を講じるためには、明確な問題定義が不可欠です。包括的アプローチでは、特定問題に対する集中した対策が難しくなるため、実際の支援効果が低下するリスクがあります

ありそうでないデスゲーム動機

ジャンクの山を竜巻が通って偶然装置が出来てそこに人が迷い込んだ

・猿がキーボード叩いてたら指示書が出来て、それが偉い人の机の上に混ざった

・始めはちゃんとした企画だったが、荒しによる編集合戦の末にルールがデス化した

価値観の違う異星人が良かれと思ってやった(ありそう……あるだろう)

・何か勘違いした助けた鶴がセッティングした

廃校危機を救うため、デスゲーム部で優勝を狙う(ブコメから

三ツ星デスゲーマーのお父さんに会いたくて

偶然に頼らないとどれもありそうだ。復讐など対象が居る場合と、興味の場合と、誤解と

anond:20240717152451

「私は動作IQが低いので動作IQが高い人尊敬します!」っていう精神的な余裕がある人と、

動作IQなんかが高くてもカスDQNになるだけw」という選民思想orすっぱいぶどうor動作IQ高い奴にいじめられて対象を拡大しながら呪ってる奴らがいる

アンガマネージメントは無価値or非常に効果限定的だけど自分認知を変えるのは効果

でもこれ、一歩間違ったら檻の中だったかも知れないな・・・っていうガチでヤベーやつ以外は、この境地に達しないのよな

(まぁ現状で特に実害ないなら達する必要性特に無いんですけど)

 

この認知を変えるってのは、『穴に落ちる→リスポーン地点に戻る→穴に落ちる』 って今まで無限に繰り返していたのを

単純に『穴に落ちる →リスポーン地点に戻る→ 右に曲がる』にすることにしたって話ですね。<穴がある方が悪い>とするのを辞めたという話です

 

この世の大多数の人は、いくらなんでも2回くらい繰り返したら、右か左に進むと思うので、以下の話もガチでヤベーやつ以外は対象ではありません

 

 

認知を変えたら、穴に落ちないのか?

認知言葉意味は広いので、ここでは物事に対する捉え方・考え方としま

態度と能力は別物なので、罠検知するスキルを会得したとか、完璧ダンジョン地図を獲得したわけじゃないので、穴には何度でも余裕で落ちます

 

 

物事に対する捉え方・考え方を変えたら穴に落ちてもムカつかないのか?

態度と能力は別物なので、<穴がある方が悪い>と言ってる人の3倍以上はブチキレてるんじゃないかなぁと思います

 

 

▼ じゃあ物事に対する捉え方・考え方を変えても意味なくない?

<穴がある方が悪い>というスタイルをやめたので、右に曲がるという建設的なアクションが打てます

『穴に落ちた😡💢』というストレスの総量は別に減っていないんですけど、右に曲がるという建設的なアクションが打てた😶という事実で多少減ります

これを繰り返していけば、いつか常人の怒りの範囲に収まるでしょう。長い長い道のりですけど、他に現実的手段は無いし、目に見えて効果があるのでおすすめです

ヤベーやつは、大多数がキレる事に無関心だったりすることが多いので、ワンチャン常人の怒り以下になる可能性すらあるので、良さそうじゃないですか?

 

 

▼ なぜ穴を掘ったやつのために我慢しないといけないのか?

世の中のまともな大多数の人がそれを口にするならごもっともですけど、ヤベーやつは自覚がないだけで、だいたい穴を掘る側です

誰かが無言で穴を埋めてくれたり、黙って右や左に回避して何も言わないでくれたことに、気付いていないだけです

無言で穴を埋めておくか、黙って右や左に回避しておきましょう

 

 

▼穴を掘ったやつを退治したい

犯罪に該当するなら警察通報で終わりで良いと思います

スタンド使いスタンド使いにひかれ合うかのように、ヤベーやつはヤベーやつとひかれやすいです

ヤベーやつとやべーやつが戦ったら、能力がより高い方のヤベーやつ、物理攻撃特化型のヤベーやつが勝つと思いますけど、

そこに人生賭ける必要性ありそうですか?

 

 

以上、ガチでヤベーやつにしか需要がない話でした

自死した人の無念を晴らす、のはやめて欲しい

兵庫県知事パワハラ有無はちょっと置いておいて

一般的自死した人が主張したことを生きてる人が真剣に取り合うのはやめてほしい

これが広まると自死社会的有効手段として確立してしまうし

自死することがみんなのためになる」

といった同調圧力にもなりかねない

かに殺された人の無念を晴らす、というのは分かるけれど

その対象自死にまで拡張するのは危険だしやめるべき

兵庫県知事については自死とは関係なく淡々百条委員会設置を進めて追及してほしい

anond:20240717001647

まあそれはそう。

その辺はプライドが許さないとかそういう感じだったんだろうなと思う。

まあ気持ちはわかるよ。俺も若い頃はそういう感じだったし。俺の場合は興味ある対象絵描きより1万倍くらい希少価値あったのと時代の流れに乗ったのとでどうにかなったけど。

心ない言葉をなげる人と沼と死

心ない言葉をなげる人は多分自分を守ることを考えている。自分を守ることと他者攻撃することを同一視している。自分が間違っていることを認めてしまうと何もない気がしてしまっているんだと思う。自分が正しいことを示したくて他者攻撃している。自分が正しいということを、その言葉を使って表現したいだけで、その言葉のもの意味はない。自分が正しいことこそ意味があると思っている。

何を期待してその言葉をなげてしまうのか。自分自分の考えの正しさを示したいのか。その正しさのなかに、その行動は含まれているのか。

凡人は空虚な正しさを捨てて一回自分に何もないことを認めて、そこから始めるしかないのだと思う。何が大事で何が大事でないか、何かを持っている状態でなく何も持っていないところから始める。

逆に非凡な人は、何かを持っているからその何か以外のものを持つ必要がないんだな。そういう意味で凡人のことはわからないのかもしれない。

そして私は空っぽになった。でも、この空っぽをどう埋めればいいのか。これを探していくのが人生なのか。だとしたら苦しい。この何もなさとどう付き合っていけばよいのか。

その答えは多分そこなしの沼しかない。

何の見返りもなく愛せるもの無償の愛を送ることのできる対象を見つけるしかない。ただし、他者が絡むのはよくはない。他者への期待が膨み、見返りを求める可能性があるから

人の沼を絶対馬鹿にするな。特に意味など求めるなどもってのほかだ。その人にしかからない意味があるし、その存在意味からだ。そういうものがあることを理解するだけでもいい。それが不可侵ものだと理解してくれれば世界平和だ。

各自自分の沼に浸れているうちは平和だ。その世界では比較など無意味だ。

しかし、この道は孤独に通ずる道でもある。この孤独自分で愛せるようにならないといけない。

この孤独を愛せたら死も楽しみになれるだろうか。

参考文献

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%B0%B4%E3%81%A7%E3%81%99-%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9/dp/4803803536/

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E5%8D%83%E8%91%89-%E9%9B%85%E4%B9%9F/dp/4163918272/

2024-07-16

anond:20240716155929

元増田感覚と同じかどうかは自信はないんだが

子供の頃から同性の友人より異性の友人のほうが多かったんだわ

ちな ワイは男な

思春期になる頃から所謂粗野な男っぽさに嫌悪感があり所謂男っぽい乱暴なこととは真逆な感じだった

で 顔も母親にだったので当然からかい対象になるので余計に同性に嫌悪感を持っていた

更に母親が不治の病気を患っていたので家事も一通りできるようになる

そうこうするうちに大人になるんだが大学に入ると特殊学部のためか年齢が上がったからかは知らないが

からかい対象になることはなくそのまま受け入れてもらって同性の友人も異性の友人くらい多くなった

で ここからが本題なんだが

ワイはどうやら所謂性愛者(アセクシャル)らしいと人から言われるようになる

ワイにとって異性というのは生物学的に体の作りが違うということと言う認識しかなく

異性だから好き 同性だから好き と言う感覚がなく友達として好きか嫌いかしか存在しないことを認識する

なんせ 本人は所謂恋愛感情と言う物自体に全く無縁なので「性」を感じるのはトイレに入る時に間違えない様に気をつけるもの

自分が男だからと言う感覚は多少腕力があるから仕事を率先して引き受けると言う感覚しかなく

もし 吉田沙保里がいたなら自分より力がある人に当然力仕事を任せたいとしか思わない

今は結構いい年したおっさんなんだが

仕事して帰ってきて家事をして飯食って猫撫でて寝ると言う生活でことさら性自認」を感じることはない

元増田アセクシャル可能性があるのかもしれないと思って書いてみた

ちな アセクシャル絶対とは言えないが性同一性障害などの人と比べると悩む人は少ないらしい

昔は好きでもない異性と結婚させられたりで悩んだ人もいたらしいが最近はお一人様が多いので紛れている

anond:20240716205330

1. 定義曖昧さについて

かに範囲が広がることで「弱者男性」という概念曖昧になるリスクがありますしかし、弱者男性問題は多様であり、特定定義に縛られることで重要な側面が見過ごされる危険性もあります定義を広く設定することで、多様な問題に対する包括的アプローチ可能となり、さまざまな背景や状況に応じた柔軟な支援策を講じることができます

2. リソース分散について

リソース分散が生じる可能性はありますが、支援効果を最大化するためには、支援範囲を広げて多様なニーズ対応することが重要です。リソースの配分を工夫し、効率的かつ効果的に支援提供することで、広範な対象に対しても十分な支援を行うことが可能です。また、支援範囲を広げることで、支援必要とする新たな層が見つかり、社会全体の問題解決に貢献することができます

3. ステレオタイプの強化について

弱者男性」という概念を広げることで男性全体が弱者として認識されるリスクはありますが、正しい教育と啓発活動を通じて、そのような誤解を防ぐことができます弱者男性問題を多様な観点から理解し、それぞれの背景や状況に応じた支援を行うことで、ステレオタイプの強化を防ぎ、より公正な社会を実現することができます

4. 他の社会問題の軽視について

弱者男性に焦点を当てることが他の社会問題への関心を薄れさせるリスクはありますが、多様な社会問題に対する包括的アプローチを採ることが重要です。弱者男性問題解決することで、他の社会問題にも波及効果が期待でき、全体的な社会の公正さや平等が向上する可能性があります。つまり弱者男性問題解決することは、他のマイノリティグループ権利向上にもつながるのです。

5. 実効性の欠如について

広範な定義に基づく対策は、具体的な問題対応するのが難しいとされていますが、包括的アプローチを取ることで、個々のケースに対応するための柔軟な戦略政策策定することが可能です。多様な問題対応するための具体的な支援策を講じることで、実効性のある支援可能となります。例えば、支援提供を通じて具体的なニーズを把握し、それに基づいて適切な対策を講じることで、支援効果を高めることができます

結論

弱者男性範囲を広げることで生じるリスク問題点は確かに存在しますが、それ以上に多様な問題に対して包括的支援提供することで、より公正で平等社会を実現する可能性があります定義を広く設定し、柔軟かつ効果的な支援策を講じることで、多様なニーズ対応し、社会全体の問題解決に貢献することができるのです。

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