はてなキーワード: ラベリングとは
http://mubou.seesaa.net/article/460211645.html
「殺されるに値する発言」というものは、間違いなく世の中に存在しているだろうが、単に法が殺人をNGと言ってるだけだ
法が殺人や暴力をNGだと言ってるから、どれだけ公で罵倒されようが(低能先生やHagex氏のことではない)、殺したり殴ったりしてはならず
「言論()」で返すか、法的手段で訴えるか、管理会社などの枠があれば頼るか、屈辱にまみれて耐えるかなどを選択しなければならない
そうでないと思うなら、アメリカのスラム行って「F○ck you」と言ってみればいい
その大前提を置いたうえで
hagexさんが殺されるに値する発言をしていたかと言えば、私の感性からはNoだと思える
だが、
とまで言われると、首を傾げざるを得ない
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/10/132154
「推論」であるなら、それなりの推論が導ける記述であるが、スルー。
とまでは思えない。
知能の低い追記だなw
表現力の問題は棚上げしても、ラテや週刊誌も同様に内輪で過剰になってるって汎化がどうしてできない?
そっちは問題なくてオタクだけ問題なのか? それは誰が決める?
オマエの日記はな、問題提起にも何にもなってなくて単に「オタクって**なトコあるよねーww」って主観を問題だと嘯いて釣ってるだけなんだよ。
先鋭化だの過剰だのって要するに大ゲサだって言いたいだけだろ? 一部の奴が。そしてそれは オマエが そう感じてるだけだ。
真面目に問題として考えたいのであればそうなっていく経緯や動機を語るべきだし、オマエが「オタクはそうだ」って感じて大ゲサだと断じたところで「だからなんだ?」って話なんだよ。
透けて見えるのはそれを斜に構えて失笑する態度であって、商業広告は批判すらしないで受け入れながら自分で勝手にラベリングした批判対象に更に主観で別のラベルを貼ってそれで何の意味があるのかっつってんだよ。
くだらねえんだよ。
お笑いのツッコミにしても週刊誌の見出しにしても媒体のキャッチとして競合するからオタク的なる表現を排除してるのって気付かねーの? 流行り言葉は平気でパクる癖に。
「俺が流行らせた表現はカッコいい先駆者、オマエのはダセエ法螺」
結局それだけなんだよ。オマエの日記は。
つーても読解力があまりない人に詳細に説明しても、話がくどいって言われるんだよね
ネットでも「三行でまとめろ」って人よくいるじゃん(大抵はネタだけどたまにガチの人がいる)
言葉によるコミュニケーションって自分の文章構成力と、相手の読解力に依存してしまう
口頭の場合はそれに滑舌の良さとか声の大きさ、聴覚の良し悪しも関わってくる
だがコミュニケーションにかかるコストは、その人のコミュニケーション能力によって異なる
挨拶程度で物凄く負担になる人もいれば、全く苦にならない人もいる
増田の例で言うならば、「アレやっといて」で相手が何をして欲しいのか察せるタイプの人もいる
状況判断や、作業内容の整理を脳内でしっかりできてるタイプの人は、「アレ」の一言で全てを察する事ができる
そういう人は自分が指示する時に「アレはアレでしょ? なんで分からないの?」ってなる
能力が高いが故に、相手の事が理解できないって事も往々にしてある
こういった事を考えるとコミュケーションにかかるコストを「均一にする」のはかなり難しいと思う
実現しやすいとしたら、コミュケーションコストを均一に「近づける」って事になると思う
例えば普段よくやる作業を作業A、作業B、作業Cといった感じでラベリングして、それを職場で共有しておく
そうしておくことで「アレやっといて」を「作業Aやっておいて」に置き換える
「アレ」が何を指しているのか共有できてないのが問題なんだから、それを共有された「作業A」にするだけでかなり把握しやすくなる
人がよく入れ替わる職場だと、こういう工夫をしているところが多い
シロクマ先生がFGOにハマってGWを溶かした記事を書いている[1]。
私はアニメ鑑賞と友人とのささやかな旅行でGWが終わってしまったので、このまま明日会社という辛さを紛らわすために総括したい。
このGWは久しぶりにアニメ鑑賞漬けだった。普段仕事していると、隙間にアニメ鑑賞を楽しむというよりは仕事に全部精神を持って行かれてアニメや娯楽を楽しむ余裕がないという感じ。
だからまだ自分が映像作品を見て楽しいと思えることが嬉しかった。意外と引きこもってアニメを見るのも体力いるんだよなあ。
読書もTVバラエティも楽しいけれど、やっぱりアニメが面白い。なんでかなあと思って浮かんだアイデアをメモしておく。
いますぐこの現実から抜け出したい、そんな願望を20分間x12回分だけ叶えてくれる[2]。
制服着た学生が出てくる学園モノも悪くないけど、やっぱりファンタジーとかSFが好き。
こういう作品は今ここにある「日本の村社会」から抜けだしていくような感覚がたまらない。
日常の中では決して触れることの出来ない謎解き、バトル、アクションといった要素がドーパミンを出しているのだと思う。
主人公は大抵「強い」。困難にぶち当たることもあるが、だいたいハードルをあっさりと越えていく。
強い魔術師だったり、特殊な能力が使えたり交換不可能な立場を持っている。
日々日常の中で感じる、会社の中では誰でも交換可能という虚無感から物語の中では無縁で居られる。
ほとんど絶対に主人公はたいした理由もなくヒロインに好意を抱かれている[3]。
好意にも幅があって、現代のテンプレートに則った「恋愛感情」やら「保護欲の発露」とか「優しさへの報酬」であったりする。
小学生男女のような恋愛感情に分化する前の「ふわっとした好意」が私は好きなのだが、素直に言えない系が多いですね。
露骨な恋愛感情の描写は苦手。だって自分にその経験が無いのだから。
とにかく、大事なのは主人公が「ただ存在するだけで好意を抱かれ続ける」という状況であり、それがとっても快感なのだ。
大した理由なく好意を抱かれるのは、自己肯定感の擬似的な充足何じゃないかと思う。
本来誰がなんと言おうとも、自分には価値があると言い張れるヒトが強いんだけど自分はそうじゃない。
アニメはそんな心の隙間を満たしてくれる疑似体験を与えてくれているんだろうと思う[4]。
アニメを心理的に分析して、「承認欲求を満たしたいヒトにはコレ!」「自己肯定感がミルミル満たされる傑作!」みたいなラベリングをしたら面白いと思うんだけどやっている人はいないかな?
こんな感じです。ちなみに私は気が強いけど情け深い感じのお姉さんキャラが好きです。
みなさんはどうですか?
明日からはまた日常が始まるんだけど、疲れない程度に頑張るよ。みなさんもお元気で。
====
普段はゴリゴリの老害思考なんだけど、時折魅せるシロクマ先生の慧眼が光るオタカルチャー考察は好きだ。
まあ、その場合は
二丁目のゲイバーで飲むことがあるんだけど、
お局様丸出しで「私はSだから」みたいなちょっと職場にいたら面倒くさい感じな方。
私自身、あの世界では異物だから、あまり出しゃばらないようにしてるんだけど、
その人は何が目的なのかわからないけどお店で結構傍若無人なふるまいをしていた。
お店の音楽を変えたり、会話の途中で割り込んで、間違った知識を披露したり、
店子さんにハグをもとめたり、あたしバイだから!と同性も抱いたことないし好きになったこともないのに言い出したり…。
少し面倒くさかった。
ああいう方を見るたび、同じ女性である自分も本当はここにいてはいけないんじゃないか?
ゲイの世界はゲイのためのものだから、行かないほうがいいんじゃないか?
そんな感じで少し悩んじゃう。
当該の寿司屋の名前でぐぐりクチコミを見ると、端的に、メイド喫茶の寿司屋版、とラベリングされている。
店舗のHPを見ても「そういう売り方」してる感じが漂ってくるし、4、5年前の古い記事でも「萌えの聖地秋葉原で女だけの寿司屋やったら目立つ、みたいな発想だったみたいだしで、色々的外れなインタビュー記事が哀愁をソソルわけだが、これをフェミニズムの文脈で読んであげてるmasudamasterってまんまと分かりやすい罠に落っこちてる素直で良い子だなって思った。イヤミや冗談ならあんまり上手くないけど。むしろアンチフェミニズム的な何かなのに。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
オレオレ。オレだよ。
「権利獲得からの非対称性を差別って呼んでしまう」増田が愚かすぎるので、俺も増田になってみようと思った。
つーかなんでブックマ100文字なのに、増田の反論は100文字超えてもOKなのよ? 差別じゃね?(笑)
つまりは増田の「権利」なのに「非対称性」だから「差別」って話になるわけ。分かる?
でもさ増田、お前からすれば「バカ言えこっちは増田なんだから100文字で反論する理由がない」だろ?
ソイツはお前からすれば「権利の行使」だが、ブックマカのオレからすりゃ差別なんだよ、お前の論法だとよ。
分かる?
でもオレは差別だなんて言わねぇ。言うわけねぇ。
だってお前の「権利」行使じゃん。なんで言う必要があるわけよ。
で。「女性専用車両」だけどよ。コイツは女性の皆さんと鉄道各社が合意形成して作った「新しい権利」なわけよ。
これまでなかった奴な。
だから増田、お前の論法だと「非対称性だから差別だよ!」ってことになる。
オーケーオーケー。「非対称は差別」。小学校レベルの「ズルイ!」だ。
大人にぶん殴られてろ(屁理屈のバカガキは殴られるべきだ、オレみたいなガキだもの)。
あのな、獲得した権利をどう使おうとソイツらの問題であってソイツらから権利を簒奪したい、廃止したいんだったらそれなりの論法があるだろうよ。
安全圏を獲得する、っていうすげーディフェンシブ、パッシブな権利を「特権」って抜かしてるんだぜ?
その一方、お前には非対称性を解消する運動とか、そういう提言は1個もなかったよな?
「コイツは差別だ。差別というラベリングをしよう。みんなもするべきだ」がお前の増田本文の論旨だよ。
つまりお前は、あの「女性専用車両に乗り込んでギャースカやってる筋悪の連中の仲間」ってことだ。
オレはそう判断したぜ?
もしお前が本気で「俺は差別と戦ってきた」っていうんだったら1個でもいいから、「お前が認定した差別」であるところの「非対称性解消」の動きを教えてみろ。
言っておくがな「抗議しました」とかは戦いじゃねぇんだよ、カス(日本のデモやってりゃ満足のクソサヨク共のせいだよ、本気で)。
「ウチの国らしい働きかけ」つーのは、代議士にコネクション作る、シンポジウムに参加し発言する、権威と権利のあるところに本名で出ていって議論し、話しし、抗議するつーのが「働きかけ」なんだよ。
まさか私企業であるところの鉄道会社に電話しておしまいにしてるんじゃねぇだろうな?そういうのは誰でもできるから「働きかけ」じゃねぇんだ。
お前ももういい歳だろ、実際。無職か有職か、事業主かしらねーけどよ「これは差別です!みんなもそう理解してね!」じゃねぇよ、バカタレ。
なんで「守ってもらう権利」を「差別」扱いするのか。お前が男で守ってもらえねぇからか?しらねーよ。そりゃ「お前のクソみてぇな経験から発露した価値観が絶対」でそれこそ「非対称そのもの」だってことだ。
女性が満員電車で置かれ続けた「非対称性の解消の新しい権利」が「女性専用車両」なだけ。
だから男が言えるのは「同様の非対称性解消の新しい権利を獲得する」であって「女性専用車両の廃止」を目論むのは、違うんだよ。
念のために前置き。まず、痴漢を無くさなきゃならないのは当然の前提。
で、痴漢対策は確かに今の段階では女性専用車の設置は簡便で効果があるのかも知れない。
でも、各アクターの利得を見てみると
鉄道会社:低コストで痴漢問題解消に努力しているというアリバイ作り。
男性乗客:潜在的加害者視されて排除されるが、一人一人のコストは比較的小さい。
不満はあっても、それに抗議するのはブコメのようなラベリングがされるリスクがあるので割に合わない。
結果として、男性乗客にしわ寄せをする形で状況が均衡して、これ以上の変化が起きないようになってしまっている。
差別性がある、ってこと認めれば均衡が動揺するので、この状態を改善できるか、
もっとよい方法はないのかを論じることもできるようになるんだけど
例えば、ブコメにもあったが、監視カメラ増設の「痴漢対策車両」導入したりする方法を鉄道会社に要求するとか。
コストが掛かる以上、鉄道会社は自分からはやろうとはしないわけだし。
痴漢冤罪問題も同じ構造で、いつまで経っても被疑者への駅員の雑な対応が変わらないのは、
男性乗客がびくつきながら乗車する状態を放置して、時に冤罪を作っても、
今の状態で充分に低コストノーリスクで痴漢の被疑者を排除できるわけだから、新しい仕組みを作る気にはならないだろう。
抗議している男性も、この不平等で男性乗客の尊厳を傷つける「均衡状態」に無力感を感じて反発しているのであって、
こんばんは。
性について思う事、早くも4夜目になる。
最初はこんな事を最近訥々と考えるのだ、と云う程度の記載、つまりは日記だった訳だけども。年齢的に老いた所為である。と考えていた。
ちゆ12歳さんも復活したし、牛丼屋コピペも叩かれるこんな時代だ。老兵は消えて行くのだろうがそれでものんびり消えて行こうではないか。
.
店に行くのも楽しいが、ダウンロード販売のお陰でエロゲ―や同人関係が買いやすくなった。
私もダウンロード販売も良く利用するし、ゲームのDLCを購入する場合もある。何せ部屋の本棚や倉庫を圧迫し続ける本やゲーム箱より、形は無いがダウンロード販売でサクッと購入できる方が簡易だし何より場所を取らない。同人誌もビュアーで見れば楽だし本をとっかえひっかえしなくて済む。これ程便利な事は無い。
勿論、対応OSが限られている作品は危険だし、飽きたゲームの売買や本を古本屋やまんだらけに持っていく事は今の所は出来ない。しかしそれも数%しか取り戻せない。
電子データに金を払うのが、と云うか、形の無い物に金を払うのが嫌いな日本人の理屈も理解出来るが利便性もぜひ考慮に入れて欲しい所だ。
・
実際DMMのランキングを見れば上位にある作品はイイ感じにトンガっているし、私が気に入って購入しているサークル作品は現代の奴隷商人と云われているアレだが、ニッチと思っていた(実際絵柄は強烈に人を選ぶ)がランキング上位を占めていた様だ。大変めでたい。
今回はこの性的嗜好の対象。よく言われる性癖について話していこうと思う。
そもそも性癖と云うのはその為人であり、性的嗜好の事ではない。と云うのはご存知の方は多いだろう。しかし言葉の意味は変わる。変わって行く。
結局は大勢の意見が取り入れられ、現在は性的嗜好イコール性癖と言う言葉が指す様になってしまっている。
ここ最近、Twitterマトメで見たのだが、恐らくは男性だろうが。自分に自信が無いと云うか、若い人は賢すぎて感情移入が出来なくなっている者がいる様だ。
つまり、彼の性的嗜好と云うか恋愛の対象は○○と云うキャラクタなのだが、その創作物の登場人物に対して感情移入出来ない。と云う訳だ。
この思考について、私は。
1.二次元キャラクタが興奮している様が見たいだけで、抱きたい訳じゃないから自分以外で想像するね、と。AVやアニメ、創作物を見過ぎて第三者視点で無いと興奮出来ない性的嗜好であり、自分はカメラか壁で。と云う一面。
2.自分自身が嫌い過ぎて、自分よりキャラクタを性的に興奮させてくれるキャラクタを配置する事で、自分自身を精神的に守っているという一面。
3.感情移入先がそのキャラクタ自身なので、相手役は自分ではなれない。
他にもあるだろうが、こういった精神状態なのではないかと仮説を立てた。
1の仮説はあくまでも性的に興奮している様を見たい。映像で無いと興奮しないと云うタイプならこういう思想になるだろうし、2の仮説であれば凌辱物だろうがレイプだろうが、要は自分とはまったく関係なく”曇らせ”る事が出来る。まあこの”曇らせ”も後日調べてみたいと考える性的嗜好ではあるのだが。
3の仮説は男性だろうが女性だろうが起こり得る。まったく性的嗜好では無いタイプの相手役から暴力的に愛されたいと考える事もあるだろうし、好みのタイプを配置する事で疑似的に”愛されて、愛される自分”を構築する事も可能だ。
この様に、同じ様な性的嗜好でも、映像で見たい、感情移入先がヒロイン、自分を創作物の中に置きたくない、置けないタイプと無数にパターンが発生する。
なんだかんだ言いながら、その○○と云うキャラクタをやっぱり愛したいから感情移入先に完璧人間を設置するパターンもあれば、同性愛に走らせる場合もあるだろう。
また、この同性愛も参加したいのか天井裏から見ていないだけなのか。この様に感情移入だけでも無数のラベリングが出来、性的嗜好の対象をどう見たいのかどうさせたいのかととても興味深い。
・
オタクのレパートリーと云うか、賢い、聡明な若い方も増えたし、グローバルと云うか無数のパターンが増えて来た事でラベリングの楽しみは尽きる事無い。
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。
それはとある掲示板に書かれた性的嗜好を読んだ際に何故それで興奮するのか?と考えてしまった事が起因にあたる。
それについては貴方の趣味じゃないんだから放って置いてくれと言われるだろうし、自分の性的嗜好を他人に何故興奮するのか?と聞かれたら困ってしまうだろう。
だけれども、興奮する人がいるからそれが商品になる。勿論そうなのだが、他人の萌えは自分の萎えの様に様々な嗜好があるのは間違いない。
昔からの持論の一つに「男女の性嗜好は何れ大きなジャンルに統合される」というのが私にはある。最終的に男女関係なく性的な情報を見聞きすれば興奮する様になるのでは?
今は女性の水着やヌードを提供している雑誌も最終的には男性のヌードや水着姿を提供する様になるのではないか、と云うのが根本的な発想である。
この個人が性的に興奮するというメカニズム。そしてインターネットが主流の世の中で性的興奮とはどういう進化をして行くのかとても興味深い。
これは私個人の考えであり、この場を借りて健忘禄として記載していく。
これはとても簡単だ、男性の場合は映像や音声等の刺激で興奮するし、女性もソレを見ている自分。というシチュエーションで興奮する様に出来ている。
性的に興奮する。というのも実は単純なメカニズムで、子作りの準備を体が行うと云う物ではある。
人間はDNAを残そうとするのは本能だし、何せ性行為は気持ち良い様になっている。
だが、それはあくまでも自分の行為だし、自分の子供。自分のDNAを残そうと云う行為であるのに、他人のセックスを見るだけでも体が準備を行うのはどういった理由なのだろう。
仮説としては視覚的情報で性的に興奮しているだけであると云う物ではあるが、それは何となくではあるが理解している。
私個人が知りたいのは何故、視覚情報で興奮するのか。そのメカニズムである。
視覚的情報が如何に刺激的であろうとも生き物の本能として性的に興奮するのはまったくお門違いである。それは他人同士のDNAを残す行為であって自分とは関係ない。
しかし興奮するのは自分がその他人の性行為に運よく参加し、性行為を行う事で自分のDNAを残すチャンスがあるのではないか、という本能的な興奮ではないだろうか。
勿論、AVやモニタの向こうで行われる行為は煽情的で見る人間の性的興奮を呼応させる物ではあるが、それに参加する事が出来ないのは一般的な思考を持つ人間であれば分かっている事だ。それは行為の記録であり、今其処に参加する事は出来ない。
だが、人間には想像力がある。記録ではあるがその男女(時には同性の物)の行為を見る事で、どちらに感情移入するかは別として。自分がその記録媒体では無く、今見ている物、つまりあの性行為をしていると想像出来るのだ。
その結果として精神的に興奮し、心に引っ張られる形で体の準備が出来上がる。つまり体は誤認識している訳ではないだろうか。
2.性的嗜好の種類。
性的嗜好には各個人で星の数ほど興奮する要素が違っている。勿論、男女でも違うし世代的な隔たりがあるのではないかと考えている。
ジェネレーションギャップと云う言葉があるが、男性の性的嗜好は比較的似通っている。若くて胸の大きな、肉感的な女性。と云うのが大枠の好みでは無いだろうか。
これは最前記載した様に本能的にDNAを残せる、つまり妊娠可能な女性を指す物ではある。では皆が若い肉感的な女性が好みなのだろうか?
とある作品のセリフに「小さい胸は貴重なのよっ、ステータスなのよっ!?」または「貧乳はステータスだ!希少価値だ!」と言った時の主旨は違うがスレンダーな女性が良いといった意見もある。
他には変化球的ではあるが、男性だが女性の恰好、つまり女装している男の娘でないと興奮しない、ないしは可愛ければ何でも良い。という嗜好もある。
女装ではなく男装の麗人、つまり美人である必要はあるが男性の恰好をしている女性や軍服、メイド姿、女子校生、ビジネススーツ等々。恐らく嗜好というのは数え上げればキリがない上に記載して趣向が混合している事で性的に興奮すると云った意見もある。
つまりラベリングだけでは無理なのだ、飽和状態にある性的嗜好を調べるのには何通りものパターンを周到しなくては認識すら危うい。
女性的な性的嗜好はどちらかと言うとシチュエーションに凝った物となる。つまり視覚情報も重要だが「どうしてそうなった」と云った起承転結がもっとも重要な要因となっており、感情移入の手助けとなる物語自体が嗜好となって之も複雑怪奇な様相になっている。
まず男女物。これは男性の性的嗜好と同じ様に様々なシチュエーションはある物の、最前記載した通りそのシチュエーションが重要であり、視覚的な情報としての性的な描写はさっぱりした物から体液を滴らせた煽情的な内容も様々である。
次に、男性の同性愛に至っては法の様に決め事がきっちりしており、男性のカップリング(CPと以下記載)受け、攻めのパターン(同CPでなくてはならない、同CPでも攻め受けが逆、CPはどうでも良いがどちらかのキャラクターは固定、AとBが居るならAとC、AとDといった具合、要はAが受け(攻め)である)だけでも無数にあり、夫々の趣味、嗜好で住み分けが行われている。
つまり女性の性的嗜好とは動機付けであって視覚情報もそのシチュエーションに沿った物となり易い。
これは女性が共感度が高い事に起因するものではないかと考えるが、実際は男性にもこのシチュエーションが重要と云う人物も少なくはない。
勿論、男女共これに人外(人の姿をしていないもの、獣やファンタジーな怪物、多足多手、無足無手、そもそも形が無い)や年齢差、立場(異星人、貴族、中世ヨーロッパをモチーフにしたファンタジーの登場人物、立憲君主制の王族。富豪、奴隷、使用人)の違い。等も性的嗜好として存在するし、先だって男性の性的嗜好には年齢差が少ないとしたが、男女とも年齢差によって趣味嗜好が変化しており、この度合いを探るのも重要なファクターと成り得る。
之をラベリングするだけでも楽しい作業なのだが、今回は実際資料等を使わずにあくまでも私個人の思った事を記載していくにとどめる。
増田では先のみたいな噛みつきや性別に関することで的はずれなことをコメされたりしますが、そういう場なんだなと思っています。
なるほど、学生時代にやったことあるけど真面目にやらなかったことがここに来て。。余裕があるときに調べてみます。
増田さんが書いてくださった分類でいくと、たしかにマイナー思考(弱者寄り?)で、今の社会に対しておかしいんじゃないのかなと思うことが多い(社会に限らず、組織とかでもそこでは慣習として成り立ってていても他のとこでは通用しないだろと思ったりするともやっとする)のでそのレッテルに繋がったのかなと思いました。
基本はスルーのつもりでいたけど、言われたことの意味がイマイチわかっていなかった。ワープアやらそういう状態の若者の方が積極的に社会へ関心を持てという意見も気にはなっていたけど、社会よりも明日のご飯の方が優先順位が高いわけでその辺を思いつつも社会問題について知らないとなのかなと思って書き込みました。
ひとまず、言葉の本来の意味と、言われた状況やらラベリングについてはなんとなく把握できました。
書き込んでくださってありがとうございます!
昼間定時制高校はどう?
私の通っていた昼間定時制はこんな感じでした。
・通ってる人は、不登校だった人、高校をやめた人、スポーツ選手になろうとして高校に行かなかったが怪我等でリタイアした人。
・年齢層は15歳~22歳くらいが多かった。
・単位制だった。好きな授業を大学のように自分で決めて学習できる。
・時間割を自由に組めたため、週4で通い、週3でフルタイムのバイトすることができた。
・文化祭や運動会はなかった。修学旅行は任意で参加率10%程度。
・定時制なので大学入学資格検定(今はなく高等学校卒業程度認定試験に変わっている)を受験することが出来た。
・大検の合格科目を高校の単位に読み替えできたし、高校の単位を大検の免除科目とすることも出来た。
・昼間通えるので、夜時給の高い仕事ができた。
・男女比率はとんとん。結構可愛い子も多かったし、イケメンも多かった。もちろんアキバ系も。
・私から見てもバカが多かった。英語はアルファベット26文字書く授業から。なお、書けない人もいる・・・。
・それでも、数学3Cとか、保育とか、商業、工業、プログラミングなどなど、特化したければ難易度の高い授業も取れるし、その授業に来る生徒はガチで頭いい。
願書は余裕で間に合うよ。
年齢隠してなかったけど、年齢を知ると、ストレートに大学へ来てる人たちは急に敬語になるし、
先輩ですら、敬語になったりするものだから、必要なければ言わないようになった。
私は2回目の高校休学して、1年予備校通って、大検使って大学進んだけど、
1年で中高6年分の勉強は大変だったけど、予備校前と大学入学後の学力は段違い。
21歳も22歳も変わらないし、一度真面目に学力上げて、できるだけ上の大学狙ってみるのもいいと思うよ。
正直、大卒ってだけで、日本じゃ大分楽になれるからどこでもいいっちゃいいのかもしれないけど、
1つのラベリング効果受けるから、偏差値高い大学のほうが気分も待遇も大分違うはず。
先のこと考えて生きてる人間なんて1割もいないんじゃないかと。
もちろん、考えて生きてる人たちは、ほとんど成功してる人たちだけど。
少なくとも、匿名掲示板でぼやいて、匿名で煽る人たちのネタになって、嫌な思いしてるよりは、
高校受験してみて、失敗したらそれはそれ。
2回目の高校に無事通うことになって、やっぱり気が変わったとしてもそれはそれ。
もちろん、やってよかったと思えたら、大勝利。
とらわれていることがあると人は成長が止まる気がしてる。
まずは、君の視界を晴らそう。