はてなキーワード: もっと強くとは
お祈りメールは慣れた。たぶん、社会人になったら自分が一生懸命考えたものでもすぐにダメと言われるんだろうからこれくらいは我慢しないといけないんだと思う。
就活だけしてたいけどそういうわけにもいかない。勉強、卒論、バイトもしなくては。でも3足のワラジほどしんどいものはない。こんなんで音を上げてたら日本の会社じゃ到底働けないのだろうかと考えるものの体力が持たない。
正直ギリギリ。このご時世何十社も落とされるのが当然らしいからこれは普通のことだと思わなければならないのに。
どの企業を見てもやりがい、成長云々…もう十分だと思う。実際会社でどれくらいの人がそれに向けて考えているのか?
haruhiwai18 "ズデーテン地方について、大戦を回避しようとヒトラーに譲歩する中で割譲されたと強調" →"ミュンヘンの教訓"を適応するのはどうかと思 http://p.tl/l5lt/id:cider_kondo氏、御高説拝聴したいので 詳しく解説を願います。
cider_kondo id:haruhiwai18簡潔に。太田氏は間違い。ミュンヘン時点で独の軍備は整っておらず、開戦即敗北と国防軍は認識。ヒトラーの勝利は純粋にブラフの力。結果、ヒトラー威信の上昇と国防軍内の反ヒトラー運動の衰退を招いた
haruhiwai18 id:cider_kondo氏"ミュンヘン時点で独の軍備は整っておらず" →間違っていないと思いますhttp://p.tl/oa_U、http://p.tl/THWOが、最初にIDコールいただいた内容がやはり分かりません。http://p.tl/fPBe/そのうち教えてください。 2014/02/05Add Star不適切なブックマークを通報する
「間違った情報で判断した」
だけである。ヒトラーに間違ったシグナルを出したとかその後のイギリス軍備が間に合ったとかはすべて後解釈である。
もちろん、間違った情報で判断した、も後解釈と言えばそう。違いは「間違った情報しかなかったので誤断した」は繰り返し発生する、極めて理解しやすい歴史の教訓だと言うこと。この点では歴史は繰り返さない、は寝言である。
「チェンバレンが融和策で時間稼ぎをしたからバトルオブブリテンで勝てた」は結果論。
もちろん当時のイギリスの軍備はグダグダ(航空機産業の再編に失敗したフランスよりはマシだったけど)だったから、開戦すれば必敗だ、と当時のイギリス人が思い込んでいたのは事実。これはそう誤断するようにドイツ側が相当に頑張っていたから、まあ、仕方ない面もある。だが「騙されて誤断した」というのが事実なのは揺るがない。
実際にはドイツの戦争準備はまったく整っておらず、チェコが本気で抵抗した場合に勝てたかは謎、というか無理ゲー臭が漂う。
少なくとも、当事者たるドイツ国防軍の中の人達は、現在の自分たちの戦争準備がまったく整っておらず、いざとなったらヒトラーを実力で排除するしかない、と思い切ったことまで考えていた人も少なからずいた。
もちろん、そういう情勢だと分からなかったから、当時の宥和策が間違いではなかった、と主張することはできる。できるが、したところで「正しい情報が無かったから誤断した」から逃れられるわけではない。
結果論で言えば、宥和策でドイツの膨張策を英仏が許容したことで、そのたびにヒトラーの権威は上がり、ヒトラー自身の過信も強まり、反ヒトラー派は弱っていったのは事実。
宥和策がヒトラーに対抗するイギリス軍備を建設する時間をもたらした、は結果論では正しく見えるが、だったらもっと強く出ていたらヒトラーは失脚していたはずだ、も相当に強い。
要するに昨今の一部で見られる
「今までの『ミュンヘンの教訓』は間違っていた」は単に「結果論VS結果論」という同じ穴の狢である。
で、最初に戻ってズデーテンの話。ズデーテンを失ったことで、チェコはヒトラーに対抗するだけの意思と能力の両方を事実上、失った。
アキノ大統領がそこまで踏まえて言っているかいないかまでは元記事では不明だけれども、島嶼国家であるフィリピンが、自国に属する海域をなすすべもなく失うようでは、話にならないのは確かである。
自分で選べば不満がなくなるというが、実際には常に正しい投票をする人と、常に間違った投票をする人に別れるのだから、
自分達の正しい選択が愚民に握りつぶされることに気づいたエリート層が日本を捨てて究極の衆愚政治が完成し、日本は滅ぶ。
もちろん自分達で選んだ道なのだから不満はないはずなのだが、愚民は
「なんでエリートが俺達を導いてくれないんだ!こんな未来望んてなかった!」
とか言い出すから結局今より不満だかけになる。
例えるなら学生時代に親に勉強しろと説教されまくったのに、ぜんぜん言うこときかないで遊んで、
就職してワープワになってから、親にもっと強く説教してくれればよかったのに!と文句を言う感じかな。
リアルだろ?
わたしの心ひとつで今すぐわたしはわたしを救えるんだと思った。
最初はわたしからあの人を奪ったわたしという女が憎くて仕方がなかった。
殺してしまおうと思ったくらい
でも許した
わたしはどこまでいってもわたしだ
わたしはあの人に
今も居て欲しくてどうしようもないよ。
そこからわたしが見える?
まだそんな場所にいるのってあの人は笑うだろうか
それとも振り返りもしないかな
私から遠ざかるためきっとあの人もいろんな覚悟を決めただろう。
あの人はあの人の信じる道をいつも真っ直ぐに走り抜けていく
自分が信じることに誠実で真っ直ぐな愛情を持てるあの人が大好きだ
あの人と別れてもうすぐ三年になる
わたしはここにいて ずっとあの人をおもおうと思う
あの人が言うように他に恋人を作ろうとしたけど他の人ではどうしても無理みたいだし、
あの人を諦めることを諦めてわたしはこれからもここにいる
もっと強くなるよ
もっと優しくなる
ここが愛することの出発点だ
愛が祈りなのだとしたら私はずっと祈っているからこれが間違いなくわたしの愛だよ
これは私が決めた覚悟だよ
愛は祈りだ、僕は祈る
わたしがあの人にはじめて会ったのは13歳の秋だった。
中学の入学祝いに父親からパソコンを送られた私はすぐにインターネットの世界にのめり込んでいった。
友達と放課後にマックに行ったり、クラスの男の子を好きになってすったもんだしてる都会在住の女の子の都会っぽい生活に憧れたり、、
ちょっと不良ちっくな男の子達のリアルな体験談にわくわくした。
わたしは地味で目立たないタイプの中学生で、自分に自信が持てなくてうまく人とコミュニケーションが取れなかったので、今ではよくわからないようなものにまで憧れたりしていた。
というか、クラスに友達がいるっていうだけで、クラスメイトと普通に話せる人だっていうだけで、私にとっては憧れの的だった。
そんな普通に楽しい中学生活を送っている人たちとお話できるのがほんとに楽しかった。
あの人は常連のひとりでいつもロムってるんだけど、
そのくせふとあらわれてなんとなく心に残ることをぐさっと言ってはまたいなくなる、みたいなかんじだった。
毎日入り浸っていたわたしはあの人と自然にあいさつとかするようになった。
あの人はほかの誰とも違う不思議な独特な空気感をまとっていて、
(あとで聞いたらちゃんとキャラ設定があったらしい)
あの人と文字で交わす会話を心地よく感じた。
あの人はいつも真夜中、みんなが落ちていったあとのひと気のないチャットルームに現れた。
いつの間にかあの人と話すことが一日の楽しみになっていた。
あなたはどんな人なんだろう、
どんな生活をしてるんだろう
人望厚く、生徒会長をやってるらしい。
(同じ学校だったら関わることもないだろうなー)
すきなマンガはるろけん。
てゆーかけっこうオタク。
って思っていた。
それは深夜で、チャットルームにはよく顔(?)を合わす女の子二人とあなたとわたしの四人だけで、その話は10代の私にとってはとても重いお話で、
というかまだ恋のなんたるかを知らない私にとっては目の回るような話で、
(確か、好きな女の子がいて両思いだったんだけれど、その女の子につらい思いをさせたまま別れてしまった、みたいな話だったと思う。)
その長いお話が終わる頃にはわたしたちはとてもしんみりしていた。
でもそういう特別なことを共有したことをきっかけに私たち四人はメールアドレスを交換することになった。
私は心の中でその成り行きにガッツポーズを決めていた。
だってずっとアドレスを聞きたかったけど、乙女で内気なわたしにはどうしても言い出せなかったからだ。
そうしてあの人のアドレスをゲットしたわたしは、
使い方が謎すぎて放置していたメーラーの説明書を100万回読んでメールのやり方を会得し、
(メールの画面が夢にまで出てきた)
やっとあの人とのメールのやり取りを開始した。
あの頃の私にとってあの人は遠い(友達いっぱい!楽しい学校生活!リアルではお近づきになれるはずもない人!みたいな笑)夢の世界に住む憧れの人で、
他愛のないお話ばかりをしたと思う。
みたいな見栄もはったきがする。
でもそういうメールのやり取りを繰り返すうちに、
少しずつ少しずつ見えてくるような気がした。
夢の世界に住んでるように思えたあの人にもたくさん悩みや考え事があることを知った。
あの人がどんどん近くなって来るような気がした。
ある日わたしは決心した。
あの人が生活する街を見てみたくなった。
本当は会いたかったけど、言えなかった。
あの人が歩いているだろう道を歩いて、
あの人が買い物をするだろうショッピングセンターに行って映画を観た。
源氏物語みたいなやつ。
今思えば、あの頃のわたしにとってあの人が唯一の友達だったんだと思う。
ではないと思いたい。
そのうちどうしても気持ちを抑えられなくなってわたしはあの人に告白した。
それが本当の好きなのかどうなのかわからなかった。
文字以外のあの人のことを何も知らない、
会ったことも見たこともない。
でも気持ちだけは本当だった。
そしてあの人にはあっさりふられた。
高校生活は最悪だった。
高校生になったわたしはけっこうないじめを受けるようになっていた。
成績もガタ落ちで留年寸前だった。
私は自分の部屋にひとりで閉じこもるようになった。
両親は仕事やまだ小さい兄妹たちの面倒に忙しくて
わたしの苦しさを理解できる余裕はなかったんだと思う。
誰かに理解されたかったんだろうけど、
それをうまく言葉にすることもできなかった。
絶対に来ないと思ってたからかなり驚いた。
どういう話の流れだったのかは思い出せないけど、
たぶん私が言いだしたようなきがする。
心臓が口からまじで飛び出しそうになりながら電話に出たのを覚えてる。
それまでは蒼紫様とゆこ殿、みたいなメルヘンなHNでやりとりしてたの笑
なんか本当に不思議な感じだった。
はじめて聞くあの人の声は上ずったかんじの甘い声でわたしは本当にどきどきした。
なにをあんなに話したんだろう?
たぶんとてもしょーもないことばかり話してたんだろうと思う。
気づくと朝日が昇って、朝になってた。
そしたらあの人は恥ずかしそうに言ったんだよ。
「俺の言いたいことわかる?わかって、テレパシーで。」
「・・・わかんないよ笑」
「・・・すき。」
どういう気持ちの流れがあの人にあってそうなったのかは今でもよくわからない。
たぶんあの人も覚えてないんじゃないかな?笑
でもわたしたちはこの電話をきっかけに付き合いはじめることになった。
携帯の請求がすごいことになってお母さんに何回も怒られた(笑)
会ったこともない人と付き合うなんて浅はかなことだと思うけど、
どうしてもあの人と毎晩長電話するのが辞められなかった。
あの女の子の化粧が濃くてキモイ、とか、モデルの女の子がいてなぜかその子が俺のこと好きっぽい、とか他愛のない話しを!(笑)
それは、仲のいい友達がいたんだけど、その子が亡くなってしまってとてもつらい、それはたぶん自分のせいなんだっていう話し。
それがあったから今は誰かと深く関わるのが怖いんだって話してくれた。
当時のわたしは自分のことを客観的に見る余裕なんか皆無だったからどうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかったんだけど、その話を聞いてものすごく悲しくなった。
今考えるとわかるんだけど、わたしはあの人と深く関わることを望んでたからだと思う。
自分でも訳のわかんない私をあのひとなら理解してくれて助けてくれるような気がしてた。
でもお互いに問題をかかえたままお互いを理解しあえるわけもなく、私たちはすぐに別れてしまったんだ。
本当なら私があの人の傷を癒してあげられたらよかったんだと思うけど、当時のわたしには無理だった。
それを説明することともできなくて、
たぶん相当意味のわかんない理由で別れたと思う。
実はほかの人とのあいだに子供ができて、もうあなたとは一緒に居られません、みたいな出鱈目を言った気がする。
変だよね。(笑)支離滅裂だ。
よくわかんないけどそういう心理だったんじゃないかなーって思う。
やめる前後はピークに荒んでいたけど、
いざ辞めてしまえば私の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。
15歳にして社会の外に放り出されてしまったことは恐怖だったけど、
それは逆にこれからのことを真剣に考える原動力だったような気がする。
それから3カ月。
今度こそ連絡が来ることは2度とないだろうと思っていたところに
冬、連絡をくれたのはあの人の方だった。
ちょうど寮制の定時制高校への受験を決めて一念発起を心に誓った頃だった。
厳しい環境に身を置くことで私は最低な自分から脱出できると思った。
家族とも、育った街とも、この街の人とも、全てに距離をおいて新しい自分を始めるつもりだった。
付き合っていた頃みたいにまた明け方まで電話することも何回かあった。
でもそういう自分の状況をあの人にうまくせる自信がなくて黙っていた。
相変わらずどうでもいいような話しを何時間もしていた。
というか今気づいたけど、わたしどれだけ素直じゃないんだw
わたしは本当はあの人ともう一度お付き合いがしたかった。
あの人が今でも私を好きでいてくれればなって思った。
朝6時に起きて掃除、点呼、先輩の洗濯や食器洗いをすませてから仕事に行って、夕方から学校。
はげしいルーティン。
ここに来たことを後悔してないと言ったら嘘になるけれど、
もちろん携帯電話は禁止。
というわけであの人への連絡手段を失ったわけだけど、
どうしてもくじけそうな時は負けじと寮の公衆電話から10円片手にあの人に電話した。
この公衆電話がまたすっごいの!
長蛇の列に並んでやっとたどり着けるの!
でも時間が決まっていてやっと順番が来たと思ったら1分とかしか話せないこともあるの!!(笑)
そんなわけで満足にあの人ともお話できないし、忙しくて3ヶ月に1回とかしか電話できない時もあったんだけど、
あの人の声を聞くと本当に元気が出たもんでした(笑)
あの人は相も変わらずずっと私の支えだった。
それでも。
地元に帰った時は便利な便利な(笑)家電で思う存分長話をした。
そうだ、手紙も何通か交換したんだ。
今でも大事にとってある。
あの人は字が下手だからってとても恥ずかしがったけど。
(確かにあの人は字がへただった(笑)
あの人と実際に会おうかって話になった。
あの人は大学生になっていて、
せっかくだからついでに会おうよってことになった。
その少し前にわたしたちは小さな喧嘩みたいなことになっていた。
あの人が私のことを何も考えていないただふらふら生きてる奴、
みたいなことを冗談で言ってきて、わたしがそれに反論のメールを送ったんだ。
わたしはわたしなりに色々考えていて、考えた答えには従って生きてる、みたいなメール。
でもあの人が私についてそう思うのは仕方ないことだった。
だって私はあの人に自分についてなんにも話したことがなかったんだから。
と、いうより私は誰にも自分について話したことなんかなかった。
いつも自分が何を考えているのかわかんなかったし、
誰かが自分を理解しようとしてくれるなんて考えたこともなかった。
だから私の気持ちはずっと迷宮をさまよってるみたいな感じだった。
ずっと悩んできた自分の心の暗い淵みたいなものに対する葛藤にも、
なんにも向き合えてなかった。
実際に待ち合わせの場所に着いても私はあの人と会うことをまだ悩んでいた。
会うのが怖かった。
実際に会って本当の自分を見せるのがとっても。
あの時、わたしはもう本当に緊張していた。
心臓爆発だった。
わたしの人生で一番綺麗なあの初夏の日を
わたしは一生忘れないと思う。
あの人は細くて折れそうな体で
外人みたいに彫の深い顔立ちをしてた。
あの人は私に一言、
「でかっ!」
って言ったんだ笑
不思議な感じだった。
はじめて見たあの人は知らない人だったけど、
声はずっと馴染んできてわたしを支てくれたあの声だった。
人見知りな私はあの人をやっぱり人見知ってたけど、
それなのにあの人はずっと昔から一番よく知っている人だった。
綺麗な新緑のさわやかな感じも、
あの人の横顔も
今もあの日のように思い出せるよ。
よく歩いて、よくしゃべった。
わたしは寮生活の話を。
帰りはわたしの近くの駅まであの人が送ってくれた。
手をふりながら猛烈な離れ難さがおそってきたけど、
寮に帰ってからもなんだか夢の中にいるような気分だった。
「楽しかった。また会いたい」って。
私もおなじ気持ちだった。
数日後の5月22日に私たちは付き合いはじめた。
いま考えれば不思議なことはなんにもない。
必然だったと思う。
もう人と深く関わるのが怖いって。
ずっと一人で生きてきたし、これからもそれは変わらないと思うってあの人は言った。
私になにかできることはないのか?って思った。
少しでもあの人の心が軽くなるようになればいいと思った。
あの人が誰にも心を開けなくなってしまったことを、
怖くないって言いたかった。
あの人が本当にわたしを理解しようとしてくれていることが分かって言葉が不思議とすらすら出てきた。
そういうことをちゃんと言葉にするのは生まれて初めてだった。
混沌としていた頭の中が言葉によって整理されていくのがわかった。
私たちはできる限りの言葉をつくして自分たちについて話し合った。
それは数年前の私たちにはできなかったことだ。
今までどうしても踏み込むことができなかった、
でもとても知りたかった、
知って欲しかったことだった。
話しても話しても話したりなかった。
やっとわかりあえた喜びを私は一生忘れない。
ずっとそうしたかったんだと思う。
一生懸命耳を傾けてくれたあの人には感謝してもし尽くせないよ。
あの人が私に言葉をくれたんだ。
本当はわたしは不安だった。
戸惑ってたんだ。
でも私たちはまだ一回しか会ったことがないのにこの気持ちは本物なのか?って。
そのあとに丁寧にロイヤルミルクティーを入れてくれた。
帰る前の日にあの海で撮った写真は今でも宝物だ。
あの日、ホームであの人の手を握りながら本当に離れたくない、
離れたくないってこういう気持ちのことだったのかって思った。
あの人はあなたになら心をひらけるって言ってくれた。
わたしも同じだった。
メールや電話でやりとりをしていた頃はまったく気づかなかったんだけど、
いつもわがままばかり失敗ばかりまぬけばかりの私にきちんと向き合ってくれて、
私に悩み事があれば一緒になって考えてくれた。
私にさえわかんなかったわたしを教えてくれた。
ちゃんとはなしてごらん、ってあの人だけが私に言ってくれたんだ。
お父さんみたいだった。
肉親以上の愛情を注いでくれた。
あの人と一緒にいた数年間は信じられないくらい幸せだった。
思い出が綺麗な綺麗なおとぎ話しみたいだよ。
わたしたちはなにもかもがぴったりだったように思う。
わたしが持っていないものをあの人はちゃんと持っていてあの人が持っていないものをわたしが持っていて嘘みたいだった。
なにもかもが上手く噛み合っていて、あんな風に出会えたことも、こうして一緒にいることも、全部が起こり得ないような奇跡だとおもった。
それはあの人が優しくそう感じさせてくれていただけだったのかもしれないと今になったら思うんだけど、それでも。
真夜中の長電話、一緒に観た何本もの映画、あの人の小さなアパートの部屋、まっすぐに続く海岸沿いの道、
会いたくて我慢できずに何回も最終電車に飛び乗ったこと、旅行に行ったのは神戸と栃木、クリスマスに買いすぎたモスチキン、
大学のピアノがある小さい部屋、高速バスに乗って一緒に出かけたこと、
別れる時に悲しかったぶん会えた時はほんとに嬉しかったこと、あの海辺の夕日、あの人を残してホームから走り出す電車、あの人のかなしそうな顔。
ねえ、わたしはおかしいのかな?
思い出を美化しているだけなのかな?
もしそうだとしても懐かしくて叫び出しそうになるよ。
だからはじめて会ったあの日からずっと離れるのが本当に嫌だったんだ
あの人がいればなんだってできるような気がした
あの人に話してないことがひとつだけある。
わたしはそれでも迷っていたんだ
私は若くて無知だった
本物がどれなのか判別がつかない程に。
奇跡だと思ってた
完璧だと思ってた
わたしは自分があの人を段々大切にできなくなっていってるのを知ってた
いつか自分の未熟さが原因で壊れて終わってしまうだろうと思った
むしろそうなるべきとも思った
そうしたらあの人の本当の大切さがわかるから
早くあの人を大切にできる自分になりたい
いつの間にかあの人にめぐり合うことができた奇跡を当たり前に思い、
あの人がわたしにかけてくれる愛情を当たり前に思い、
あの人に求めてばかりでいつも苛立っているのが苦しかった
わたしはわたしたちの幸せをめちゃくちゃにした
あの人を失ったわたしは
かたずっぽになって
うまく立つことができなくなった
うまく声も出せなった
うまく笑えなくなった
うまく人と話せなくなった
怖くてわたしを押しつぶしてくるの
何時の間にかわたしはあなたに
荷物を預けて楽してたみたいだ
全部がのしかかってきて
息ができなくなった
笑顔は今でも引きつってる気がしてる
それでも
わたしは受け入れていった
考えることをはじめた
どうしてこうなってしまったのか、
ここはどこなのか、
これからどう生きていくべきなのか 、
あの人のことを何度も思った
ずっと考えていて
分かったことはふたつだった。
ひとつめは、
今自分が感謝できることを必死で探してありがとうって思えるように絶対にならなきゃ同じことを繰り返してしまうってこと
どんな幸せを持っていたってそれをわかってなくちゃそれは不幸と一緒だ
ふたつめは、
本当に愛し合える人を見つけられずに死んでしまう人も多いこの世界で、わたしはあなたと出会えたこと、そしてあんな時間を持てたことがすでに奇跡だってこと。
出会えたことがすべてってこと。
でも、心の怪我は簡単には治らないんだね。
じっくり休めばきっと良くなる。だからそのときまでゆっくり安め」
怪我ならいつかは治るかもしれない。
僕もそう信じていた。
でも怪我でもここまで治らないとさすがに心が折れる。
何をするにも気力がわかないんだ。
気力が出ても不安に押しつぶされる。
目の前の小さな不安に押しつぶされた人間はどう生きればいいんだろうか。
でも僕はこんな気持を我慢できる人間には到底なれそうもない。
とあるラッパーが「誰も信じない奴は一度は誰かをギリギリまで信じたはずだ」って言ってたけど、
今考えたら当たってる。男は寡黙で孤独くらいがちょうどいい。人付き合いなんて必要ない。
辛いことが増えるだけだ。
好きな人にも気持ち伝えられなかったな。
昨日行われたAKB48のシングル曲センターを決めるじゃんけん大会で、島崎遥香さんが優勝し、初のセンターを獲得した。
ニックネームは「ぱるる」。正統派アイドルのルックスを持つが、一部のファンからは、その不器用な性格ゆえに「ぽんこつ」とも呼ばれている。
私はここ半年くらいの間に彼女のファンになり、グッズを買ったり、総選挙でも票を投じた。
私が彼女のファンであるのは殆どがその愛くるしいビジュアルによる、と思っていた。
でも、確かに彼女は可愛いが、それよりももっと強く私を惹きつける理由があったことに気がついたのである。
昨日の優勝が決まった瞬間というのは、もう正に夢のようだった。
まさか自分の応援するメンバーが、多人数のグループの頂点に、しかも運の要素の強いじゃんけんで頂点になるとは全く予想していなかったのだ。
自分で夢を叶えたわけでもないのに、夢が叶うとはこういうことなのかと悟ったような気分にさえなった。
そうして、興奮によりあまり寝付けない一夜を過ごし、いつもよりも早起きしてテレビをつける。
今日はテレビも朝から昨日のじゃんけん大会のことで盛り上がっていた。
今まではあまり知られていなかったぱるるが、全国放送でクローズアップされる。
しかも一度では無い。一日を通して、芸能コーナーなどで何度も何度もその話題が放送される。
私は最近ひきこもりに近い生活を送っているので、一日中テレビを見ながらそれらの放送に一通り目を通して、この上ない満足感に浸っていた。
でも、突然、なぜか言い様のない感情が心を支配するようになった。
寂しいような、悲しいような、或いは焦っているような。
とにかく不愉快だった。
なぜだろう。
昨日あんな素晴らしいことがあって、今日も一日中その余韻に浸っている。
それなのに、なぜだろう。
久々に感じる苦痛を前にして、私はどうすることもできなかった。
それから、泣いた。
久しぶりに泣いた。
泣きながら、ようやくわかった気がした。
私は、彼女の顔よりも、彼女の性格、その「ぽんこつ」さに惹かれていたのだ。
人と交わることが苦手で外に出ようとせず、だからといって孤独は苦手で家ではテレビやパソコンを友達にしている。
もし外に出て何かをしようとすれば、おどおどしながら失敗ばかりして、自分が人よりも能力の劣っていることを自覚するだけになる。
だから働くことが怖い。
私は今まで、そんな自分の「ぽんこつ」さを、彼女の性格に重ね合わせていたのだ。
無論私と彼女の「ぽんこつ」は性質が異なり、一緒にすることはできないのかもしれない。
でも、自分と同じような子が、身近なアイドルとして頑張っている姿を見て、一種の安心感を得ていたのである。
それが、彼女は一夜にして有名になり、どこか遠くの存在へと変わってしまった気がした。
阿呆らしいと笑われるかもしれない。
とりあえず、今の自分には外に出てみることが必要なのかもしれない。
また、自分と彼女とを必要以上に重ね合わせることからは卒業するべきなのかもしれない。
今回の涙で色々なことを考えさせられた。
小学生のころ、ドラクエ4が大好きだった。レベル上げが大好きで、中ボスがザコレベルになるまでレベル上げてからフルボッコにしたり、破邪の剣が手に入るまでトルネコのお店を運営したりとかしていた。夜、親が寝静まったころを見計らって、こっそりこっそりゲームを楽しんだ。
帰国子女だった僕は、あまりクラスになじめておらず軽いイジメにあっていた。学校では一緒に遊ぶ友達も居ないので毎日一人で登下校を繰り返した。ドラクエ好きの僕は「この毎日」はレベル上げだと思い込む事にした。
「僕は勇者で、この毎日をクリアした先にはきっと倒すべき魔王がいて、その先にすばらしい世界が待っている」
と信じていた。
中学校に入ると、イジメが酷くなった。女子からは汚物のように扱われ、男子からは意味も無く飛び蹴りを喰らった。上履きが無くなる、机にま○この落書きをされる。ロッカーにゴミを入れられるなどは日常の出来事となった。そして、僕は転校した。
新しい学校で、僕はゲームと同じように「自分の」レベル上げに一生懸命になった。勉強をした。魔法が使えるようになるとは思わなかったが、より難易度の高い高校に入れれば、凄い財宝が手に入ってもっと強くなれるとおもったからだ。
友達とのコミュニケーションの取り方も頑張った。中学生なのに、営業のビジネス本などを読みあさり、人に嫌われない武装をすることにいそしんだ。作り込み続けたゆうしゃは、いつしかクラスの人気者になっていた。
いじめられたく無いために始めた必死の「レベル上げ」は、それなりの高校/大学/企業へと僕を導いた。女子に嫌われた汚物は、過去の話になり、何人かの女性と付き合うという夢も叶った。人に嫌われることに怯えつづける勇者は、他の人から見れば「明るくて、仲間思い」のリア充だったかもしれない。
そして、会社で専務の秘書をやっている高値の花と言われる女性と結婚をした。僕の冒険はついにハッピーエンドになったと確信した。ぼくはついに ゆうしゃになったのだ。
それから1年後、子どもを授かった。生まれて来た娘は本当に可愛かった。仕事もどんどんとアサインされるプロジェクトの規模が大きくなっていった。
しかし仕事にのめり込んだところから、段々と風向きがかわっていった。毎晩遅くなる僕に、まず妻が愛想をつかした。美しかった妻は育児疲れと放りっぱなしにされている淋しさで、やつれていた。でも、僕は自分の楽しさと仕事の忙しさにかまけ見てみぬ振りをした。だって僕はゆうしゃなのだ。魔王と闘うのは僕でなければ駄目なのだ。しかたないだろう。
気付けば妻とは顔をあわせるたびに喧嘩するようになっていた。僕は家だと休まらないので、会社の近くに部屋を借りる事にした。
帰らずに仕事できるようになると、更に仕事の量が増えた。深夜までつづく仕事の山は僕を確実にすり減らしていった。そして、やらかしてはいけないミスを犯した。会社の損失は億単位と上司に言われた。「今日ははやく帰れ」といわれた。おそらく僕に回ってくる仕事はゼロになるだろう。久しぶりに娘の顔を見たくなった。でも家に帰ると、もぬけの殻だった。
机の上に離婚届と「実家に帰る」旨の手紙が置かれていた。手紙の日付は先月だった。
僕は、猛烈に後悔した。
うまれてきた むすめをちゃんと、そだてなかった。
つまをだいじに できなかった。
しごとも しっぱいした。
けいたいをみても、そうだんできる ともだちがいなかった。
なかまおもい なんかではなかった。
たおすべき魔王なんて世の中にはいなかった。エンディングはゲームとちがって、死ぬ瞬間まで訪れないのだ。ただただ、側にいる人を大事にして、本音で向き合える友達をつくって、子どもを愛し、等身大にあった仕事をがんばれば良かった。
ゆうしゃはなにもできなかった。
いわゆるアスペルガー症候群の診断を受けて、6年程。
接客業のアルバイトを6年ほど続けている。自分の場合、本業は制作業なのだけれど、
営業が下手でそれほど仕事を取れないのと、仕事上必要な胆力や対人技能を摩きたいこともあって、苦手を承知で続けてきた。
合間に学校卒業や引越しを挟んで職場は幾つか移っているけれど、「体が動く」スタッフにはなれた、と思う。
ところが最近、体を壊した。
体をっていうと語弊があるな。完解宣告を受けてた、鬱と対人恐怖が再発した。
「人の言葉が聞き取れない」っていうのが、どうも一般の人には物凄く違和感があるらしい。
普段の会話にしろ何にしろ、大抵の場合は文脈や相手の様子から、次の言葉を先読みしながら対応するんだけど、
突然の指示だったり、あとはジョークなんかにも、とっさに対応できなくて訝しがられる。
人の顔が覚えられない。相手に対しての情報が少ないと、皆同じ顔に見えてしまう。
あと、接客というと笑顔が必須なのだけれど、自分の場合、緊張状態が長引くと、表情が無くなる。これもやっぱり不自然に見えるらしい。
最近は人と話すのが怖くなっていて、ホールに出るのも辛くなっていた。
スタッフの仲はいいし、待遇も悪くないし、いい職場なのだけれど、自分の特殊な状態を人に相談することもできない。
そして、一度うまくゆかなくなると、自分の行動の何もかもが不自然に思われてるのかと不安になってくる。
次の次の月までの生活費はかろうじて確保できていたから、解雇されても止むなしと覚悟して、
繁忙期が終わるなり連絡して休みを取らせて貰った。
孤立型に安住できない高機能自閉者の生きる道として導き出される解答なんて限られていて、
「許容される範囲の人間と付き合え」「容易に理解を得られなくとも、コミュニケーションの努力を放棄するな」
このくらいしかない。あとは常に腹を据えておくこと。自分を疑わないこと。わかってるんだけど、
ここ暫くの失敗で落ち込んでいるのにプラスして、無理が祟って今数年ぶりに鬱と対人恐怖がぶり返しているものだから、
人と会うのも話すのも辛いし、どう頑張ってもお先真っ暗みたいに思えてしまう。何を選んでも間違えている気がする。
正しい判断をできる気がしない。母親の、「あんたは何をやっても中途半端なのね」という言葉が脳裏を過ぎる
実際のところ、この言葉は母自身の投影で、私自身、体を壊したときを除けば、一度始めたことは意地でもやり通して、
結果を出してきた筈だ、と自分に言い聞かせる。でも、何か失敗仕掛ける度に聞こえてくる。
まだ不十分なのではないか。まだやれたのではないか。まだがんばれたのではないか。
でも、体がもうついてこない。そうなって、罪悪感を感じながらほっとする。
そして、人と話すのが怖い。たとえば「おかしな人」の話を聞いたり、見たりなんかすると、
ああ自分もこういう風に見えてるんだなって思ってしまう。想起されるのは、これまで経験してきた疎外感。
人の感情なんて水物で、いちいち間に受ける必要もない、って、重々わかってる。
コイツちょっと変じゃないか、と思われても、それこそ子供の苛めと同じで、ちょっとした切掛けで簡単に挽回されたり、
驚くほど親しくなれたりする。……わかってるけど、疎外感にも、努力した分だけの成果を得られないことにも、もう疲れてしまった。
実は今、本業(制作業)のほうで契約社員の求人に応募している。
本業的にはそこそこ経歴があるので、書類は大丈夫だろうな、と思いつつも、
本音、半分腕試しみたいな感じで、今の職場は続けたいな、と考えて。
でも、今回の抑鬱の再発で、自分の仕事のやりかた考え直したほうがいいかもしれないと思い始めている。
今応募中の所がコケたとしても、本業をフリーで続けるのを止めて、
大学時代に一度病気で死に掛けていて、最終学歴は高卒。だから、このご時勢就職なんて無理だって思い込んでた。
営業下手だから専業じゃ厳しいけど…という感じでぽつぽつ仕事を請けてたんだけど。中途採用なんて考えたこともなかった。
接客の仕事も、頭打ちのように感じていたし、無理な副業を続けるくらいなら職場を探したほうが良いのではないか。
今の職場は、せめてスタッフとしては一人前になろうという意識で居たから、中途半端で離れてしまうのは悔しい気持ちもある。
今回の件があって、
二次障害が一度完解して以来、必要ないと思っていた障害者手帳を取得するか迷い中。
アスペルガー症候群は二級か三級(自分の場合、ギリギリ独活してるからおそらく三級)で、大した利益はないらしいけれど、
障害者枠での職は取りやすくなるらしい。ただし、今の流れのまま、制作一本でやれそうならこのアイデアはまた流れてしまうセンが濃厚。
自分、野垂れ死んだほうが人の為になるんじゃないだろうか。ずっと考えていることだけれど、今も考えている。
そのくせ、自分を取り巻く物事は動き続けていて、
バイト先の職場は休んでいるのに、本業の方は稼ぎは少ないけど細々と続いている。
何か起これば粛々と対応している自分が、何か別の生き物のように思える。
こんなんで生きていけるのか。はみ出し者だからこそ、もっと強くならなければいけないのに。
そして、人恋しい。違うな。今、すごく、自分の存在を誰かに許して欲しい。
バイト先の人間関係はマトモに構築できなかったし、本業関係の付き合いはそんなに頻繁に会ったり話したりするものでもない。
友人は居るけど、こっちはマメな人間じゃないから、いきなり寂しいから会って話して、なんて言えない。
両親には、何かあると帰って来いと言われるのがしんどい。相談事なんてできない。
失敗や否定ばかりの毎日に疲れてしまった。なんでこんな不完全な人間が生まれて・生きてるんだろうって思う。
会社の飲み会で、「Aさん」が体を鍛えていると言う話になった。
実際どれくらい腹筋が固いのか調べるために、一人一人Aさんの腹を殴る流れに。
僕はその時点で「えっ」と戸惑った。
Aさんが殴って良いと言ったわけでもないのに、誰も躊躇しないで
順番に腹を殴りだしたのだ。
Aさんは確かに凄い腹筋で、どんなに殴ってもビクともしないし
「全く痛くないから大丈夫」とフォローしてくれたので少し安心はしたものの、
私が殴る番になった時はやっぱり怖くて、ふざける感じで殴ったら
強く殴る振りして手加減したらごまかせたが、私はこの会社がちょっと怖くなった。
殴る理由が全く無いのならなおさら。
腕力が強い社員もいて、腰の入ったパンチを入れていたりもした。
なんというか「殴り慣れている」風だった。
殴り慣れはしたくない。
私も別のグループに移ったため、仕事での関わりは少なくなっていた。
問題の男もプロジェクトを離れ、不穏な噂や彼へのメールもなくなっていた。
彼とは少し時間をおいた方がいいと思っていた私は、仕事以外で自分から彼に連絡しないようにしていたし、
そんな日が2ヶ月ほど続いたある日。
その日は、いつも通り遅くまで残業をしていた。
そんな時突然、携帯が鳴った。彼だった。
急にどうしたんだろう?
気になったものの、後でかけなおせばいいや、と思って電話には出なかった。
さすがにこんな時間に電話するのもなぁ…と思い、翌日電話することにして眠ってしまった。
翌日、何度電話をしても彼が出ることはなかった。
メールも、返ってこなかった。
それから数日して、知らない番号から何度も電話がかかってきた。
井上さん、亡くなったらしいよ。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
すぐに彼に電話をかけたけれど、電源が切れていた。
彼は既に出向期間を終え本社の社員ではなかったため、詳しいことは分からなかった。
分かったのは、亡くなったのは6月25日だったこと。
彼が自ら命を絶ったのは、私に電話をかけてきた2日後だった。
この時の事は、今でもよく思い出せない。
もしも、私が彼の電話に出ていたら、
もしも、すぐにコールバックしていたら、
彼が自ら命を絶った理由が分からなかった。
でも、全く心当たりがなかったわけでもない。
その上、私との間にあんな事があった。
いつもにこにこ笑っていた彼は、次第に笑わなくなっていき、
あまり眠れないということを言うようになっていた。
もしかして、鬱かも。そう思った私は、病院に行くようにすすめていた。
無理矢理にでも連れて行けばよかった。
あの日見送った後姿が、最後になるなんて思ってもみなかった。
落ち着いたら、また会えると思っていた。
もう二度と会えなくなるのが分かっていたら、あんなふうに見送らなかった。
後悔しかなかった。
小町に書くかも迷ったが、あちらの女性方の意見は聞く前からなんとなく想像がつくのでこちらに。
相手はひと回り上の会社員。ネットで知り合って付き合うようになった。
普段から仲が良く、お家デートの時はSEXもしている。頻度は高めだと思う。
それ自体はかまわない。私も相手も好んでしていることなので。
過去につけてしたことはあった。付き合う前に一度した時がそうだった。
だが、付き合ってからは一度もつけてくれたことがない。
やんわりと指摘したことも直接的に指摘したこともあったが、ダメだった。
ゴムをつけてくれないことに関して不快感・不信感を持っていることは伝わったようなのだが、そうすると、
彼なりの話術でゴムなしSEXをすることに対して許可をとらせてきた。
その話術が巧みで、私のM心をくすぐるような言い方というか、
とにかく私に「ノー」と言わせない許可のとり方をしてきた。
その後は当たり前のようにゴムなしでSEXする関係が続いている。
普段からしっかりしており約束もきちんと守るタイプの人なので、
それに、私が大学を出たら一緒に暮らそう、結婚しようと話したこともある。
だが、私はしばらく大学を出ることはない。もし今妊娠してしまっては困る。
相手との間に生まれた子を堕すのは嫌だし、大学はちゃんと4年で卒業したい。
中絶手術をして今後子供ができない体になってしまう恐れがあるのも嫌だ。
もっと強く主張しないと届かないのか。
ゴムをつけないならSEXしない、と強気な態度を取り続けるしかないのか。
正直彼とのSEXはとても気持ちいいので、攻め立てられたらうまく拒みきれず結局受け入れてしまう自分がいるのも事実。理性もっと仕事しろ……。
貧乏学生には痛い出費だが、普段のデート代を出してもらっていることを考えればこれぐらい安いもの、と捉えるべきなのか。
30越えのいい年した大人が、その程度の分別くらいつけておいてくれと願うのは高望みなのだろうか。
あなたの話を聞いてると、父親のせいであなたは自分をブスだと思い込んでいるし、父親のせいで価値観が歪んでると思う
あなたを貶める価値観の人間を信じる必要もないし認める必要もない。
生まれついたあなたの性質を否定する様な人間の言う事を信じてしまっては駄目なんだよ
あなたは今学校と家庭しか社会がなくって学校と家庭の人間の言う事が全てなんだと思う。
中学生、高校生の頃って他人にも自分にも不寛容で自意識過剰で些細なことでも気になってしまう時期だし自分と周囲以外の価値観が存在することを信じていない。
でもね、自分の世界以外にも本当に社会って広くて色々な価値観がある。あなたがありえないと思っている幸せな結婚生活だってびっくりするほど手に届くものなんだよ
顔のせいにするんじゃない。もっと強くなりなさい
ブスって自覚があるんならせめて愛想良くして内面を磨きなさい。
陰鬱にしてたって鬱陶しいだけ。自虐的になったって誰もあなたと友達になりたいと思わないし助けてあげようなんて思わない。ましてや男なんて寄ってくるわけない
ブスならもっと努力して顔以外で魅力的になれる様に努力しなさい。
今考えると
調べる技術、判断する思考力を伸ばす科目はもっと強くするべきだったと思う
情報を正しいと信じ込んで口あけて待ってるんじゃなく色々得て自分で考える癖
2chの情報を自分で選択でき、放射能と聞いてトイレットペーパー買い占めないくらいの情報判断力
これが正しいですではなく、色んなものをあげてそれについて議論できる教育が必要だな
数学は必要だけど、高校までの数学だと実践がないのであれが何の役に立つのか
数学で地力をあげて、経済や科学全般やゲームでそれを実用するという連携がもっと欲しいな
それは英語も同じで、英語ができたところでどんだけ変わるのってのをもっと実践に生かすべきだな
昔と違ってネットありゃそれが安上がりにできるんだし
世の中の金の仕組みがわかるように、アフォみたいな嫌儲を量産しないように社会と経済について
ゴムつけないでセックスしたのを自慢するような奴や、ホメオパシーにはまる奴や、ピザや成人病を増やさないように保健も必要
それらの連携がたりないのかもなー
http://anond.hatelabo.jp/20110807223452
「浮気して子供を作ったらどうする?」というかまかけの質問に加えて、
ICレコーダをしかけられ夫との一連の会話を盗聴されてしまいました。
「俺は堕ろせと言ったのに産んだあの女が悪い」という発言も聞かれてしまいました。
長女が父親と別居したいと言って聞かないので、
養育費や相続などお金の問題もいろいろあるから慎重に判断しなければ、
隠し子との相談も必要だし、と諭したところ、
養育費は払ってもらう、相続のことなどは今はまだどうすべきか考えられないが、
「お宅の旦那様の発言が収録されています。今後の身の振り方を考える際の参考にしてください。」
という添え状とともに、CD-ROMが郵送されてきました。
プレーヤーで再生すると、夫と隠し子の会話が収録されていました。
夫は娘に発覚したことに激昂しており、隠し子に対して罵声を吐き散らしていました。
「お前なんて生まれてこなければよかったんだ、腹でも蹴って流産させていればよかった」
「調停を取り下げろ、そうしなかったら殺してやる」などと。
添え状には「言いたいことがあったら連絡ください」と電話番号が書いてあったので、
話し方は冷静で丁重でした。
どうやって私の実家の住所を調べたのかと聞くと、
「妻子が実家に帰ったと父親から聞き、父親の戸籍謄本に書いてあるあなたの従前本籍地にいるのだろうと思い、試しに送ってみた。」
とのことでした。
子供たちの氏名も知っているが、接触するつもりは今のところない、と言いました。
どういうつもりでこんなデータを送ってきたのか、いつも夫との会話を録音しているのかと聞くと、
「手紙に書いたとおり。調停を起こすことを考え始めてからは録音してきた。」と。
なぜ娘に事の全てが発覚したか、娘の反応はどうだったかと聞かれたのでありのままを伝えると、
声をあげて笑い出し、
「あのクズの子供にしてはまともな反応だ。娘も同じクズなら父親も失うものがなかったのに、皮肉だな。」と言いました。
何が望みかと聞くと、
「父親に私を作ったことへの責任を取らせることと、これまで責任から逃げてきたことの償いをさせること。」
「具体的に形として望んでいるのは認知と出生以降の養育費。それと父親のこれまでの行いを親族会社世間に公表する。
相続については、異母兄弟の半分はもらいたい。あとは、父親の介護や父親に借金があればその連帯保証などの異母兄弟との分担に応じて調整したい。」と。
さらに、
「ただ、娘さんはもう父親の介護をしたくないのでは?
あの発言を娘さんが聞いたらその思いがもっと強くなると思うけど。
父親がDNA鑑定に応じなければあの発言を娘に聞かせる。」
と言ったので、頭に血が上り、
「いい加減に夫を脅迫するのはやめなさい!」と怒鳴ったら、
「脅迫しているのはどっちだ!
旦那がこんな人間だってよくわかっただろ?あんたたち騙されてたんだよ!」と凄まれました。
続きます。
人間、もやもやすることは多い。なんだか落ち込んでるときって、人と話したくなる。とにかく人とちゃんと会話をしないと、不安になる。
そういう不安感を、ネットは解消してしまう。匿名掲示板で何かを書き込むと、反応があってコミュニケーションをとっている実感が得られる。でも、そういうコミュニケーションって、現実世界の友人たちとは違う。現実世界の友人たちは、もっと強く、直接的に関わりあいを持つ。もっと強く、お互いに助けあうことができる。ネットは、危機感を殺してしまう。今日、自分は肝に銘じるべきなんじゃないだろうか。
大学に行けば、いろんな人に会えるけど、ふと気付けば家の周りで遊ぶ人がいない。こういうとき、すぐしゃべることのできる人がいない。友達が多い人、活発な人をみると本当にうらやましい。自分は友達が少ないけど、一人一人のつながりを大事にしてるつもりだった。でも、たぶん違うな。自分は昔から、人を馬鹿にしたり常に打算的に動いていた。それでうまくいくこともあったけど、やっぱりそれは何かを犠牲にしてきた。誠実じゃない人って、みじめだ。誠実な人を見ると、「自分っていったい何なんだ」と、本当に惨めな気持ちになる。プライドが高いというのも諸刃の剣。プライドの高さはいろんなことの原動力になるけど、いろんなことの抑止力にもなる。素直で、真摯な姿勢が学習には必要。自分はそれが足りなくて、ひねくれてしまった。
でも、人って、信じれば何でもできる。努力すれば、こんな自分も変えることができる。今は、こんな自分でも大切に思ってくれる人がいると思う。そういう周りの人のやさしさを、感じることができるようになった。いろいろと、感謝したい。人と人とのつながりを、大事にしたい。これからもっと誠実さを身につけることが、これまで自分の面倒を見てくれた人たちへの恩返しなのだ。
ま、こうして匿名で日記を書いている段階で、誰かに見てもらうってことを意識しつつガス抜きにしてしまっているんだけど、それでもこうして文章に起こすことで、自分への戒めとしたい。
この一連のやり取りを見てなんだか久しぶりにガッカリした。
なんだか本当に辟易してしまった。
十数年ぶりに思い出してしまった感じ。
弱いとか強いとか優しさとか関係ない。
「強く生きよう」と、「カッコよく生きよう」とする姿勢が大事なのだ。
本当に精神的な成熟度というのは年齢に関係ないのだと思い知らされる。
10歳の子供にすら精神的な余裕の無さを見透かされ、尊敬されない大人が大勢いる。
カッコ悪いオトナばかりでごめんなさい、という気持ちにさせられた。
ぼくは、無神経だったことはあやまります(ω)でも、なんだかがっかりしたのも、事実です(ω)世界はもっと強くりりしいと思っていました(ω)
どうにもならない状況になったとき(ω)おとなはどうするのか(ω)ぼくたちにどんな奇跡をみせてくれるのか(ω)ぼくたちは見ています(ω)
部署でどうやったら長く続く(できればすぐ黒字化)WEB系の新規事業って生み出せるでしょうか?
今年の1月に新規事業の立ち上げの部署に配属されました。
どうも技術だけやっているだけでは満足できなくなりビジネス方面
の力をのばしたい、という意識が芽生えてきたため、会社に頼みこんで
開発の部署から、新規事業の立ち上げ部署に移動させてもらったのです。
が、しかし、、、
もう1年もたつのだけど、うちの部署としてほぼ何も新規事業が生まれていない。。。
ブレストやって、複数の新規事業案考えて、良い案がでたかなぁ、と思うと
「いろんな人を巻き込んでお金がかかるから、うかつにはできないよ」
のような結論になって、新規事業たちあげは先送り・・・のようなパターンが
ずっと続いている。
新規事業立ち上げに関わっているメンバーは自分を含めて4、5人程度。
基本的にはほかの仕事はしておらずそれにのみ集中しているのだけど、1年間ほぼ何も生み出していない事になる。
そんななか、新規事業メンバーは切迫感あるのかと思いきや
のほほんとかまえて、旅行のためによく仕事を休んだりとか、切迫感がない雰囲気で
などの会話が繰り広げられている。
※新しいアイデアを出す場合、そういうリラックスした状態なのも確かに大事なんだけど、
ちょっとリラックスしすぎ。
これじゃ、いつまでたっても新規事業が立ち上がる気がしない・・・し
たちあがったとしても、時間かがりすぎる。
自分はというと、部署のシステムの仕事が人が足りなくなりそちらにヘルプをしているため
やりたい新規事業に仕事があまり時間がとれず、悶々とした日々が続いている。
このままじゃ、まず新規事業が生まれないだろう。
生まれたとしても、この部署の体制だとまったく続く気がしない。
■部署として新事業を立ち上げる何か良い方法がないものか
そこで、悶々としながらも自分で
どうやればうちの部署として新規事業を生み出す事ができるのか?
を考えてみた。
※本やらWEBサイトやらで拾ってきた情報なので、ありきたりですが・・・。
市場規模、強み、競合などのマーケティングうんぬんにはふれません。
部署の体制、個人としてどうするべきか、という点に焦点をあてているためです。
そのあたりは、本よめって話でもあるんで。
1.新規事業を生み出す体制
a.情熱を持てる事業案を考える&情熱がある人材を配置する(ここであまり時間かけないようにする)
b.とにかく、最初はお金をなるべくかけないで新規事業を立ち上げる
c.ユーザーに評価してもらい、脈がありそう(PVが順調にのびたり、売り上げ、利益ともに順調だったり)か判断
d.一定期間で、脈がなさそうであれば撤退
を、早いサイクルで繰り返す、もしくは、平行していくつかの新規事業案を進める、ようにしなければ
到底、新事業なんてたちあがらないんじゃないかと。
ただ上記を行うためには、お金をかけないで事業を立ち上げる仕組みを考えなくてはならない。
システム、プロデューサーをそれぞれ一人づつ、新規事業にあたらせる。
基本、この二人で舞わせるようにする。
可能な限り、情熱を持って、やりきれる覚悟がある人
であること。
でなければ、能力があってもおそらく続かないだろうし、良いサービスにならない(と思う)。
2.赤字を垂れ流しているんだぞ、という意識を新規事業たちあげ全員がもっと強く意識する
とにかくリラックスしすぎた今の雰囲気を変える事が必要。
もちろん、自分もだが、上司もだ。やる気があると見せかけるポーズはうんざりだ。
短時間で事業案を実現できるハイスペックな力を、自主的に勉強する、勉強会に参加する
などの文化を作り上げる
■個人としては何をしていくべきか?
新規事業がたちあがらなかったのは、もちろん自分にも原因がある。
ほかの仕事のヘルプをしていた、事業案考える経験がまだあまりない、という
点をさしおいても、この1年間システムを個人で作れるのにも関わらず何も開発
してないのだ。
つくっちゃえばいいじゃん、サイト
業務外の時間使えばつくれるだろ。
がんばれよ、おれ。
いまの状態で仕事してったら、ほんと平凡でおわっちまうぞ、おれ。
考えるのはもうたくさん。行動しないと。
考えるのはもちろん重要。でも、行動しないのは駄目、絶対。
部署で長く続く(できればすぐ黒字化)WEB系の新規事業を生み出せるか?a
の思いを書いてみました。
もっとこう考えたらよいよ?
とか、
その考え方間違ってない?
「結婚ですか?」
「うん」
「したくないってこと?」
「特別、絶対したくない、というわけではないんですが。どちらでもいい、どうでもいいという意見に近いです。」
「なんで?結婚って人生においてもっと重要なことじゃない?どうでもいいことはないでしょ?」
「そうですね。結婚したい人にとっては重要かもしれませんし、いずれ結婚する人にとっては重要でしょうね。」
「じゃあ結婚しないの?」
「おそらく。」
「なんで?」
「なんで、と言われましても。結婚するのに理由はあっても結婚しないのに理由はないでしょう。ただ今のままというだけです。」
「する人は多いかもしれませんね。」
「じゃあなんで結婚しないの?」
「そうですね。強いて言えば、私にとっては結婚は普通のことではありません。少なくとも、今のまま歳を重ねていけば自然に訪れるイベントではありません。」
「なんで?今彼女いないの?」
「いません。」
「過去には?」
「いたこともありました。」
「結婚しようとか思わなかったの?」
「具体的には思ったことはないです。」
「結婚したくなかったの?」
「したいとかしたくないとか、そういうのは漠然としていましたね。あまり真剣に考えたことはないです。」
「なんで?それは若かったから?」
「かも知れません。」
「じゃあこれからは、彼女ができて、結婚するかもしれないじゃん?」
「作ればいいじゃん?欲しくないの?」
「特別欲しいとは思いません。」
「なんで?さびしくないの?」
「さびしいというのがどういう事かいまいちよくわかりません。」
「えー、そんなことないでしょ!ひとりぼっちだと心細いとか、人と触れ合いたいとか、そいうのないの?」
「それがさびしい、ですか。」
「多分」
「そうですね。心細い、ということはないです。人と関わりたいということはあります。何かこう、暇を持て余している時は特にそう思います。ずっと物を相手にしていても変化に欠けますから、やっぱり人と関わらないとつまらないですね。」
「んーーーーそういうのとはちょっと違う気がする」
「違いますか。」
「それは、よくわかりません」
「じゃあさ、性欲はないの?」
「あります。」
「あるの?」
「ありますよ。」
「さびしくて?」
「…えっと、やっぱりいいや、性欲はあるんだよね?」
「はい。」
「性欲があるのに彼女欲しくないの?」
「欲しくない、ですか。難しいですね。」
「難しくないよー彼女欲しいの?欲しくないの?どっち?」
「どちらとは言えないですね。真ん中です。」
「まんなか?なにそれ」
「どちらでもいい、です。」
「ええーーーそんなのあり?」
「ありでしょう。」
「だって性欲あるんでしょ?」
「はい。」
「彼女いたほうがよくない?」
「なぜですか?」
「そうですね。」
「あの、今はとりあえず性欲に限っての話ということでいいんですよね?」
「え?うん」
「わかりました。私の性欲についてですが、彼女がいなくてもどうとでもなります。まず第一に、放っておけば治まります。第二に、治まらなければ自ら処理します。第三に、それでも治まらなければ彼女ではない人でも処理は頼めます。以上の三点から、私に性欲があることが理由で彼女がいたほうが良いことにはまりません。」
「変な喋り方するね…んーでもそれってオナニーとか風俗とかってことだよね?それだとさびしくない?」
「…じゃあ、性欲の話はわかったから、セックスについて、一人でしたり知らない人としたり、お金払ってしたりはさびしくない?」
「それは、何故ですか?よくわかりませんが。」
「よくわからないって?」
「何がって、ほら、そういう事は彼女とかお嫁さんとか相手にしたくない?」
「私には相手がいませんから。」
「それは知ってるけど、そういうのってさびしいと思う」
「そうですか。なぜですか?」
「それは、またなぜ?」
「なぜって、だって愛が無いじゃん?」
「愛?」
「愛って、何を愛とおっしゃるのですか?」
「何をって、相手が好きかどうか」
「すごく難しいことを言われますね。」
「難しくないでしょ!好きな人いないの?」
「それも、よくわかりません。」
「わからない?」
「はい。」
「いえ、好きというのがどういうことか、どの程度か、何を指し示すのか」
「相手を好きって思うことじゃん」
「えっとじゃあさ、今までどうやって付き合ったの?きっかけとかは?」
「きっかけ、ですか。そうですね。例えば、元々知り合いだったのが、付き合うことになったとかでいいんでしょうか?」
「その、元々の知り合いから付き合うにあたって、変化とかなかったの?」
「より親しくはなりましたけど。」
「え、ちょっとまってじゃあ、元々好きだったってこと?」
「それがよくわかりません。」
「でも告白したんでしょ?」
「告白はしてません。」
「相手がしたの?」
「相手もしてません。」
「じゃあどうやって付き合ったの?」
「どうやって、…いつの間にか。」
「はあ?そんなことある?」
「あると思いますけど。」
「信じられない…まあいいや、何の話をしてたっけ」
「じゃあ、順番にまとめていいですか?」
「お、おねがいします」
「1.結婚願望はない
2.さびしくはない
4.愛とか好きとかよくわかっていない」
「どうぞ。」
「ええと、…とてもプライベートなことだけどいい?」
「かまいません。」
「はい。」
「けっこうするの?」
「はい?」
「どれぐらいするの?」
「それは、具体的な回数とかペースのことですか?」
「そんな具体的じゃなくてもいいよ!なんとなく、どれぐらいかなーって」
「どっちが?」
「どっち?ああ、自分でするのは気が向いたら、です。あまりしません。人とすることは滅多にありません。年に1度も無いと思います。」
「そんなに少ないの?」
「少ないかどうかわかりませんけど、だいたいは何もしなくても治まりますから。」
「そうなんだ…」
「はい。」
「性欲薄いんだね」
「薄いんですかね。確かに、そんなに強い衝動に駆られるようなことはありません。」
「へええ…」
「あと、あまり好きではありません。」
「何が?女の人?」
「そうではありません。自慰行為とか性交渉があまり好きではありません。」
「性欲あるのに?」
「そう、性欲はあるのに、です。これはもう動物でありながら理性を持つ人間の不条理でしょうね。」
「なぜか、気分が悪いからです。」
「気分が悪い?気持ち悪いってこと?」
「気持ち悪くはないですけど、すごく無駄な気がするじゃないですか。しませんか?」
「しない」
「そうですか。私はすごく無意味というか、無駄というか、なんというのでしょうね。虚無感とでも言いましょうか。その感覚がいい気分ではないので、好きではありません。」
「だからしないの?」
「そこまで進んではしません。」
「ていうか、してくれる相手いるの?いないから風俗行くんじゃん?」
「そうですね。そのときはそうです。」
「女性に相手にされないってことでしょ?」
「そうですね。相手にはされません。」
「ただモテないだけじゃん?」
「そうかもしれませんね。」
「彼女いらないとか結婚したくないとか、モテないことの言い訳じゃん?」
「言い訳?」
「そーそー、モテないで独りだから強がって彼女いらない!とか結婚したくない!とか言ってるんじゃん?」
「え、何故ですか?」
「努力が怖い?がんばってもモテなかったらどうしよう!とか思っちゃう?だったら俺はがんばらないからモテないだけなんだ!って言い訳を残しておきたい?」
「…ちょっと、待ってください。」
「なに?怒った?」
「怒ってないですけど、」
「バカにされたと思った?」
「それも、別に思ってないです。」
「思ってないの?じゃあなんなの?」
「あなたはですね、何か、男性というものをひどく誤解されているような気がして。」
「誤解?」
「そうです。」
「どんな誤解?」
「この誤解を解くには非常に難しいと思います。事実、あなたが認識されているような男性もいなくはないので、あなたの認識が嘘かといえば、嘘ではありません。しかしながら、あなたの認識が全てに当てはまるかといえばそういうわけでもありません。私もその認識の外の対象になります。そしてその誤解の対象は少なくとも私だけではないと思われます。大多数とは言いませんが。」
「だから、どんな誤解?」
「その、ですね、まず」
「うん」
「まず、これはとても単純ですが、認識を誤ると根本的に話の流れがおかしくなるので大事なことなんですが。」
「なに?」
「はい、我々男性ですが、皆が皆、いろいろな女性から好かれたいなどとは思っていません。」
「そうです。」
「それも強がりでしょ?俺は別にモテなくてもいいんだ!モテたくないんだ!っていうモテない男の言い訳じゃん」
「ええと、ですね。」
「でしょ?」
「ですから、そこの認識を誤ると、全ての話が通じなくなります。」
「なに?どういこと?」
「その根本的な部分を誤解したままだと、何の話も出来ないということです。」
「だって嘘じゃん?モテたくないとか嘘に決まってんじゃん?そんなの信じられないし」
「そこも若干違います。」
「何が?」
「でしょ?自分で認めてんじゃん」
「そうではありません。私の意を正確に表すならば、“色々な人に好かれるのは構わない、しかし、好かれないからといってどうということはない”ということになりましょうか。」
「嫌われたい訳ではないけど、好かれたくもないってこと?」
「そうですね。似たようなものですが、あの、最初の結婚の時にも思ったんですけど、」
「何?何が?」
「はい。あのですね、私に関して言えば、ですが、まずその、気持ち自体がそんなに強くないんです。」
「え?どういうこと?」
「はい。ですから、好かれたい、とか、好かれたくない、とか、付き合いたい、とか、独りでいたい、とか、さびしい、とか、セックスがしたい、とか、そういう全般的なことです。」
「え?え?」
「どういえばいいんでしょうね。簡単に言えば、無関心なのです。私の場合は、何事においてもほとんどが“どちらでもいい”或いは、“どちらかといえば”になります。」
「興味ないってこと?」
「興味無いはちょっと言い過ぎかもしれませんが、どちらにせよその結果を求めるために努力しようなんてバイアスは全くもって働かないんです。」
「??」
「こうなればいいかもしれない、でも、ならなくてもいい、という状況であなたは努力しますか?」
「そうでしょ?そういことです。」
「なんで?それはなに、振られるのが怖いとか?努力して駄目だったら怖いから?彼女いてもめんどくさいとか?束縛されるからとか?結婚のメリットがないからとか?人生の墓場っていうから?」
「違いますね。」
「違うの?ありがちじゃん?今結婚のデメリットとか流行ってるし」
「どこが違うの?」
「はい。まず、結婚のデメリット云々という議論ですが、これは『デメリットばかりで男にとって結婚は損だ』という議論ですね?」
「違います。」
「じゃあなに?」
「はい、このデメリット議論ですが、それはそれで大いに議論してくださって構いません。いろいろな意見があるでしょう。でも、これらの議論は『デメリットが無ければ結婚したい、メリットばかりなら結婚したい、けれどデメリットばかりだから結婚は嫌だ』という原点から、そのデメリットを説明する議論になっています。」
「うーん、そうだね。男にとって結婚は損だから結婚しないなら、得だったら結婚したいの?っていう話だよね。」
「はい。」
「じゃあ得だったら結婚したいの?」
「そう、そこです。そこが違います。」
「違う?」
「はい。違う点はそこです。私は結婚が得であろうが損であろうが関係ありません。そもそもどちらでもいいのです。メリットデメリットは、初めに結婚ありき、の話です。結婚とはどうなんだろう、得するのか、損するのか、損をするなら、やっぱり結婚はしたくない、という議論です。私の中には初めから結婚を考えることがありません。ですから、デメリットなどを考える土台にすら立っていないのです。」
(おまけ追記)
以前に書いたエントリー
両方のエントリーともに思いの外たくさんの方に見てもらえて、ついつい蛇足をつけずにはいらせんでした。御精読頂いた方、長々とありがとうございました。しかし以前のエントリーに比べたら半分以下の長さだと思われます。お目汚しがてら言い訳したいのですが、前回のは4時間ぐらいかけて試行錯誤しながらタイプしてましたが、今回のは1時間もかけずに走り書きです。前回と比べたらめちゃくちゃ荒いです。同じ内容であと3倍ぐらいは書きたかった。ですから、本当は後から加筆修正するつもりだったのですが、思いのほか人に見てもらえたのでめんどくさくなりました。私個人的には、10人しかわからないことを一行で書くよりも、30ページ書いて1000人に理解してもらう、というスタンスですので、どうしても説明文が長くなります。そこまで言わなくてもわかっている、という人もたくさんいらっしゃるでしょう。逆に、コメントを見ていれば、あれだけ回りくどく説明しても文面さえまともに読めない方もいくらかいらっしゃると思います。それは諦めます。現実社会では、そこまで説明することもありません。
これはおまけなので、返って本文を台無しにするかもしれませんが、そんな大層な本文でもありませんので、言わせて頂きます。まず、たくさんいらっしゃった、この“回答者”に共感頂けた人へ。あなたは間違っていないし、おかしくもなければ、独りでもない。多数の共感者がいる。だから、自分について、理解されないからといって、腐らないで欲しい。悲観的にならないで欲しい。誰が何と言おうと、あなたはあなたです。あなたの思うように生きればいい。自信が持てなければ持たなくてもいい。そして、今後僕らの考え方がどのように変わっていくかもわからない。しかし、あなたがあなたであることは忘れないで欲しい。自らを受け止めて、受け入れればいい。自分らしく。
次、共感できなかった人へ。今回のエントリーは、現実では起こりえない対話文となっております。なぜ起こりえないかというと、当然ながら誰もそこまで追求しないし、説明もしないから。ですから、我々が思っていることの一部も、あなたがたは知らないし、今回のように多少知り得たところで共感できないでしょう。しかしながら、我々は基本的に、わからない人たちに対して理解を求めません。いわれの無い非難や誤解に対しても、関心を示しません。なぜなら、それらは幼少期、とうの昔に試みて、対抗して、失敗しているからです。我々は理解を諦めております。ただ、あなた方も我々のような存在があるということを知るのは損にはならないと思います。あなた方の中で、こういう人もいるという視野が少し広がるかもしれません。なぜならそれは、少なくともあなた方が考えていたような人種ではなかったのですから。
この対話文はありとあらゆる予想される問いかけを想定して書いたつもりですが、なにぶん不十分で、思いがけないコメントを頂いて「そういう意見もあるのか」と参考になります。当然、「それに対してはこうです」と返答したい。いろいろなコメントやトラックバックに対してもこの回答者のように一つ一つ返答してはみたいけれど、めんどくさい。けれど、いくらでも返答は出来る気がします。「理解して欲しいわけでは無いなら、なんでこんなことを書いてるの?」とか「何がしたいの?」とか、あるかもしれません。一つ忘れていたのは「経験してみればわかる、君は知らないだけだ」という意見にたいする返答。これぐらいは予想できたはずなのに、何故か抜けてしまいました。