はてなキーワード: ながら見とは
しがないOLですけど図らずもいたいけな男の子にウンチをするところを見られて(というか見せつけて)しまいました。
数日前夕方会社の帰り、駅から家に向かう途中、催してしまったので、家まで我慢しようとも思ったのですが、少しヤバそうだったのと、近くに隅に小さな公衆便所がある、人があまり来ない公園があったので、そこで済ませようと思い向かいました。トイレットペーパーがちゃんとあるので定期的に掃除はされている所だとは思うのですが、はっきり言ってあまり綺麗ではない公衆便所です。しかも嫌いな和式なので、その日のようによほど切羽詰らなければ行こうとは思わないトイレでした。
幸い公園にその時人気はなく、トイレに入りました。そこは男女兼用の個室が1室(中には隅に和式便所があり、他に水道と赤ちゃんのオムツ替え用の台がある)と、後は男性マークの付いたさらに狭い個室(チラと見たとき中に男性用の小便器しかありませんでした。)と外に手洗い用の水道があるだけの小さな公衆便所です。形だけ見ればコンビニのトイレみたいな感じです。汚さは比べるべくもありませんが。
わたしは中に入って下着を降ろして和式便所に跨ったのですが、鍵がハンドルのようなものを回して物理的に引っ掛けて鍵にするようなタイプのもので、ちゃんと掛かっていなかったのでしょう、わたしがまさにウンチを出し始めたとき、ガチャリと扉が音を立てて空いてしまったのです。わたしが驚いて首だけ回して入り口を見ると、小学校低学年ぐらいの黒のランドセルを背負った男の子が、こちらを見て固まっていました。その子もおそらくこのトイレを大の方がしたくて利用しにきたのでしょう。私は既に出始めていたウンチを止める事もできず、そのまま勢いよくウンチを和式便器にモリモリと出してしまいました。男の子はショックで固まってしまったのか、逃げ出すタイミングを失ったのかわかりませんが私がウンチを出すのを顔を真っ赤にしながら見ていました。男の子は私がウンチを終えて少しすると、ようやく泣きそうな声でごめんなさいと言った後ドアを閉めて走り去ってしまいました。私は私で、出している間ずっと男の子から視線を外す事もできず、顔もかあっとずっと熱くなっていたのですが、ウンチを人に思い切り見られたといういきなりの出来事で男の子がいなくなった後もしばらく固まっていました。トラウマを植え付けてしまったり、性癖を歪ませてしまったら申し訳ない事をしたと思いますが、実はその時人に見られながらウンチをした事になんとも言えない快感を感じてしまいました。その男の子ともしまた会ってしまったらどうしようと思っている私です...
13話までみた
アイドルものに昼ドラをぶち込んだロボットアニメと教えてくれた増田がいたが、その通りだな
そう思ってみると、「なんだこれ」感はだいぶ軽減されて「そういうものか」と思いながら見れた
しかし、巨人さんの内乱をランカちゃんの歌で鎮めるみたいなシーンは唐突すぎてびっくりした。流石にもうすこし伏線というか序章というか、何かこちら側に受け入れる準備をしてからああいうシーンを入れてほしい。
ランカちゃんは可愛いが、ポニテ男はイマイチ受け付けない。女性受けしそうな設定背負わせたラノベ主人公感は否めない。ポニテ男の後輩と同級生はどちらもなんか気持ち悪い。特に後輩はぶりぶりしてて無理。アレを受け入れられる人は素直に尊敬。
あと、シェリルかランカがピンチ→主人公男が助ける、のパターン多すぎ。そんなに要らない。飽きた。キリトくん的なウザさを感じ始めている。
歌はたしかにとても良い。ランカも可愛い。それ以外は要らなくね。SF世界を背景に歌で戦う女の子の話でいいじゃん。ロボとか飛行士とかゴジラみたいなのとか巨人とか、詰め込めすぎや。特に恋愛要素はセンスを感じないので抜いてほしい。
あれは高校2年の夏前だっただろうか。突如として部活同期の中でスクフェス が流行り始めた。これをやったら色々終わると直感でわかった。でもダメだった。面白そうという誘惑に負け、秋に誰にもバレないようにひっそりと始めた。次の年の節分にはもうバレた。それから年末までイベントは確実に2枚どりできるよう頑張った。大学に入ってからも最低でも4枚、通常は6枚取りを目安にコツコツ続けた。
大学1年の夏にラブライブ!サンシャイン‼︎一期の放送が始まった。無印の方は全く本放送をリアタイ視聴できなかったのでワクワクしながら見た。次の年には高校の部活同期と3人で初めて聖地巡礼をした。
大学2年の秋にサンシャイン二期をみた。もう一度沼津に行った。大学3年の冬には劇場版も見た。一人で函館にも行った。
今日唐突な発表があった。自分の大学の知り合いもtwitter上で戸惑い、歓喜しているようだった。
純粋にμ'sへの思い入れが少なかったからなのだろうか。確かに高校の時みんなで映画を見ようとなった時も断ったしファイナルライブが行われた時もライビュに行くわけでもなかった。ただ大学でラブライブ!を知った人間も今日感情をぐちゃぐちゃにしていたのでそんなのは言い訳に過ぎないだろう。
わからない。何もわからない。こういう風に書けば感情が動かなかった理由がわかると思った。でも何もわからない。
もしかしたら自分はラブライバーではなかったのかもしれない。当日に近づくにつれてじわじわと事の重大さに気づいて感情が大きく揺れ動くようになることを期待して筆を折る。
要は「駅や電車で訳の分からないことを大声で叫んでる関わりたくない人」だろ。今まではこちら側からは関わらず警察も何か事件を起こすまでは放置するしかなかった人もどきが、いよいよ事件を起こしてしまったわけだ。
で、今後どうするのか。これまで通りまた放置するのか。それでまた事件が起きたら?あいつら、周囲からも見放され社会に居場所も無く被害妄想に取り憑かれながら見えない何かと戦い続けてるんだぞ。その矛先が明日は自分に向くかもしれないと考えると怖いわ。
厳しいかもしれないけど、オリンピックも控えている以上そういう人もどきは積極的に排除しないとだめだよね。街中に見えている爆弾を放置し続けるようなもんだろ。今まではなぁなぁと見逃されていたけど、今後はそうもいかんでしょ。
そのアイデアに関連するけど
京急の品川駅なんかで「一つのドアにかたまらずにすいている車両にお周りください」とかいうイラついたアナウンスが流れるんだけど
空いてる車両なんか乗客目線でわかるわけねーだろボケっていつも呆れながら見てるんだよね俺
子どもと一緒に見るようになった幼児用アニメや番組が思っていたよりもずっと面白くて完全にハマってしまった。
まず「おさるのジョージ」。子ザルが色々やって周囲の大人が大騒ぎする話なんだけど、子ザルの保護者の黄色い帽子のおじさんが本当に優しくって懐広くってもう大好き。彼のジョージに対する態度は見習いたい。
「花かっぱ」。頭から花が生える河童の話、っていうとよくわかんないと思うんだけど、軸になるストーリーとして彼の頭に生えるある花を狙っている勢力があって、その勢力のドタバタがとにかく面白い。というかがりぞーとあげるちゃんなんだけど、がりぞーの変装のクオリティが低すぎて「なんでみんな気付かないんだよ!!!!」って子どもと大笑いしてる。
「シャキーン!」。これ、多分昔で言う進め電波少年みたいな立ち位置だと思うんだけど、番組の中の小コーナーのクオリティが超高くてやたら面白い。番組内番組みたいのもあって毎回見逃せない。
「お母さんといっしょ」。これは王道だと思うんだけど、大人としてはむしろうたのお兄さんお姉さんとか体操のお兄さんお姉さんの人間関係の方が気になって、この人たち職場恋愛とかしたら大変なんだろうなーと思いながら見てる。
他にも、ひつじのショーンとかおじゃる丸とかみいつけた!とか、今やってるのもあれば終わっちゃったのも色々あるけど、とにかく幼児用番組面白い。というかEテレが面白い。超楽しい。
滅茶滅茶嵌ったアニメがあった。適当にテレビつけてやってた、やっすいCGのアニメの二話、特に何があるって言うわけじゃないのに、なんか面白くて見終わる頃には連ドラ予約を入れてた。3話4話と続けて見るうちに、とんどん世界観に引き込まれていって5話からはリアタイ視聴。アイスとポテチを用意して、テレビの前で毎週毎週待機するのほど好きなテレビ番組なんて出来たの初めてだった。そのうち、アニメだけじゃ飽き足らずネットでも情報を収集するようになった。こんなアニメの情報あんまりないだろ、と諦めつつ調べたのに、物凄い量の二次創作が出てきてたまげた。何年も見ていなかった2chにも張り付くようになって、ピクシブ、ツイッター、ふたば、ニコ動も週七チェックした。みんなでワイワイコメントし合いながら、大好きなキャラを愛でるのは楽しくて、アニメ本編と同じぐらいファンアートも好きになった。クライマックス11話を見終わった後は放心状態。ナルトのキャラが死んで自殺、なんてニュースを信じられないと思っていた自分が、仕事も手につかないほどそのアニメに引き込まれていた。ついに12話放送の日、最終話は気になるのに、アニメが終わってしまうと思うと見たくなかった。そんなしんどい気持ちで12話を見始めて、終わる頃には涙目。見てよかった。ラストも最高によかった。続きが気になる終わり方。すぐにスマホで「〇〇 2期 いつ」とか検索して。待ちきれないから、友人と1期周回したり、ニコニコの放送でコメ欄眺めてニヤニヤしたり、アニメとコラボしていた商品を買いまくったり。終わったと思っていた1期に監督がおまけ続編を投下してくれたりして、待つのも楽しい初デートみたいなノリに乗った状態だった。
が、まあわかると思うが、2期を楽しみにしていた俺達にきたヒホーは「監督降板」。監督が脚本やってたし、監督の功績が大きかったから、降板はただただ残念だった。俺の好きなキャラも、版権の問題で2期には出ないらしいと言われたし、まさかのおまけで熱狂した12.1話も「監督が暴走して版権無視して作った作品」という扱いになってしまって、好きなものにケチがついて悲しかった。それでも、そのアニメには他にも好きなキャラが沢山いたから、2期はやっぱり心の隅で楽しみにしていた。
んでさあ、アレだった。大好きだったのんびりほんわか時々シュールなアニメは、2期ではなんかギスギスしてた。まあ5話ぐらいまではそれでもよくある子供向けアニメかなって感じだった。6話は本当に酷かった。1期の作中で、主人公達がかなり時間をかけて乗れなくなっていたバスを修理するんだよ。んでそのバスで旅をするのね。最初から最後までずっと乗ってた旅のお供。いろんな思い出の詰まったバス。それが6話では、敵になって襲ってくるの。それを主人公のうち1人がパンチで粉々に砕く。見てて、えっえっ?えっ?あっ…って。あんなに頑張って完成させたバスが一撃で。みんなで完成を喜んでわーいわーいするシーンが俺の中でも1、2を争うほど好きなシーンだったから6話は心底がっかりした。がっかり以上に、心臓がキュッとするぐらい精神的ダメージが大きかった。それでも、一応好きなアニメ「だった」から最後まで見た。見なきゃよかった。どこもいいところがなかった。途中で出てきたちょっと気になるキャラも、健気に主人公を守ろうとしてボロッボロに傷ついてたのに、主人公にガン無視されて放置。2番ちゃんはまだ立ち直れてないので割愛するけど、脚本はなんであんな仕打ちをしたのか。12話で1期のOPが流れた時は急いでチャンネルを変えた。見てられなぐらいストレスだった。本当に訳がわからない酷いアニメだった。
それまで、落ち込むから出来るだけネットは見ないようにしていたが、モヤモヤに耐えきれず、ニコ動を見た。呪詛が作った呪詛動画、2期製作陣が淫夢にクソコラしてある動画、2期主人公が爆発する動画、初めは無感情で見ていたが、ある時から笑えるようになった。例のカエルも嫌悪の対象になっていたが動画で馬鹿にされてると笑えた。2期はダンテ神曲のメタファーだ!主人公はロシアのスパイだ!という動画もゲラゲラ笑いながら見た。カ〇カワには以前から理由があって悪印象を抱いていたので、あの一件で炎上してザマアミロと思った。初めは吉崎観音が炎上に巻き込まれて可哀想だと思っていたが、いつのまにか自分の中で戦犯扱いするようになっていた。嫉妬説の真偽は知らないけど、もうただの嫌悪の対象でしかなくなっていた。
せめて、なぜ監督が降板したのか説明が欲しかった。結局監督降板のちゃんとした理由は明かされなかったし、Twitterでは製作陣の裏垢が暴れてたし、総監督はダンマリだし、訳のわからないまま、前作主人公は消されてバスは破壊されて、焼け野原だけが残った。
一緒にスレやコメントを盛り上げた1期ファンも、クソリプマンになって、信者と呼ばれるようになって、煙たがられたりして、何も望んだ通りにならなかった。
1期が楽しかったのは本当なのに、もうあのアニメの話をしても、炎上のことがついて回るようになった。ファンによる自給自足版や、ケムリクサは確かに大好きだけど、1期も同じくらい好きだった。胸がキュッとなるぐらい好きだったアニメは、今観ると心臓が締め付けられて気持ち悪い。どうしてこんなことになったんだろう。
いきなりすぎて今でも信じられない。
その事実を受け入れた瞬間、すべてが過去になるから受け入れられない、みたいな屁理屈をこねている。
だってもう死ぬまで会えないとか全然信じられない。こーやってぐちゃぐちゃ言ってたら、おーごめん、そんなに心配かけた?とか平気でメッセージ送ってきそう。
だってついさっきまでそこにいたし。ちょっと長い旅に出てるだけで。携帯水没させたとかなんかで連絡取れないだけで。
ふだんべつにいつもその人のことを考えたりしてない。むしろまったく。(ごめん)
たまに会う時、連絡する時、フェイスブックで見かける時とかそのくらい。
でも、他のことも全然考えるし普通に笑えるしごはんも食べれるし夜も寝れる。テレビも面白いしラインだって返せる。
だから。考えるだけ考えて、悼んだら忘れちゃう。それが嫌だから認めて過去のことにしたくない。
過去のことだいたい覚えてられないもん。もう会えなくなる君のことをいつまでもちゃんと覚えてられないと思う、私のちっぽけな脳みそと心じゃ。だってそういう冷たい人間だもん。薄情な友人でごめん。
でも勝手だけどいきなりいなくなった君に責任があると思ってる。いなくならないで欲しかった。おじさんになってお腹出てハゲたりしていくのを見るもんだと思ってた。結婚してこどもの話とかしたりさ。たまーに会って仕事の愚痴とか言って、俺はこう思うよとかさ、まじめに言ってくれたり。バカなことして周りを笑かしたりしてるのを、しょーもないなって笑いながら見てるはずだった。
ずっとそこにいると思ってたから、ただただわがまま言ったり愚痴言ったり振り回したりとかしかしてない。
思い出すのはいつも私が自分勝手なことしてるときそばにいてくれたこと。
不安な時自己嫌悪に陥りまくってる時、無理すんなよとか頑張れ!とか俺は信じてるよ、とかいつもどストレートに言ってくれた。私はただただ自分のことしか考えてなかったけど。そんで、照れ隠しで、いつもまともに受け止めることすらできなかったけど。ありがとう、とか、どれだけ助けてもらったか、嬉しかったかとかちゃんと伝えたこと一度でもあっただろうか。
結局今もなんでかわからない、全然理由も聞かなかったけど、いつも気にかけてくれていたと思う。
適当なやつに見えて、めちゃめちゃ懐が深くて、人に優しくて。案外かなり面倒見が良くて。どんな人でも、なんだかんだまっすぐ向き合ってて。結構いいやつだった、一本筋が通ってて結構かっこよかったの、本当は知ってたのに。面と向かったときは、からかうようなことしか言えなかった気がする。
付き合わない?って言われた時、なんか意味不明な理屈をつけて、ばっさり断ったことがある。
あの時私はそれがお互いのためだと思った。
自分に向けられる好意に戸惑って、調子に乗って、自分が良いように利用する姿しか思いつかなかった。付き合ったりしたら自分が嫌な人間になると思った。好きかどうかわかんなかったけど気になる人もいた。
今でもたぶん出す結論は変わらないけど、それを言ってくれた彼にそもそもちゃんと向き合えてはいなかったんじゃないかと今は思う。自分の恥ずかしさいたたまれなさとか謎のプライドが勝ってて、真正面から気持ちを聞けてなかったんじゃないか。そのあとも、ずっと気づかないふりしたり、向けられてる優しさも誤魔化してはぐらかしたり乱暴な言い方したり。
ずいぶん前のことだから今は付き合ってる人とか好きな人がいたかもしれない。そのあと、付き合っている人がいたのは聞いたし。
でもだからと言って切り捨てたり、気にかかるのをやめたりはしてなかったんじゃないかな。自意識過剰上等。
そう考えてみると、ほんと、実は甘えまくってるよな、としか思えない。
なにひとつ返せてないよ。そもそも返すつもりも、こんなことになるまでなかったけど。
なんかよかったところしか思い出せないのも癪にさわる。
べつに聖人君子でもなんでもなく、普通の生身のただの男の子だったのに。
もっとダメなとこ迷惑かけられたこと思い出すでしょ、ふつう、生きてる人間なら。美化してしまってるとしたら、もう会えないことを認めてるからなんじゃないのか。
恋愛的な意味で好きだったわけではないと思う。でも別に好きな人とか友人とかそういうカテゴリ以前に、君の場所にいれるのは君しかいなかった。しいて言うなら、めちゃくちゃしても最後まで味方してくれる戦友、感情表現が苦手な私が下手くそに甘えられる人、というか。本当、都合のいいことばっかり言ってて自分が嫌になるけど。
あーー生きててお互いもっといろいろあって、そんな過去のことなんてうわーそんなことあったよな、なんでそんなこと言ったかもはや思い出せないわとか言えるくらい風化してどうでもいいことになっててほしかった。むしろお前そんなん気にしてたのかよ、意識しすぎ、今俺めちゃめちゃ好きな人いるし、くらい上から目線で言われるくらいでよかった。
こうやって整理することですっきりなんかしたくない。穴を埋めたりなんかしたくない。
でも吐き出さないとこの複雑な気持ちごと忘れてしまいそうだ。ほんと、薄情な人間すぎるな。
ばーーーか。
早く帰ってこいよ。聞きたいこと話したいことたくさんあったのに。良い話なんかにしたくないんだこっちは。
APEXというFPSゲームがある
一ゲーム長くて20分くらい短ければ数分で終わってしまうお手軽さもいい
メリットとしては3人でお互いを助けながら最後まで生き残りチャンピオンになるもよし
フレ同士2PT横目にソロで全く違う場所へいくのもよし、逆に野良を放置して二人でイチャイチャすることも出来る
ゲーム中相手の攻撃を受けダウンすると仲間がよってきて復活出来るし、死亡した場合タグをもって所定の場所へもっていくと生き返る
前者の場合は武器もアイテムもそのままだが、後者だと身一つになってしまうしそれに所定の場所行くまで時間が掛かる
復活させてもらうまで他人のプレイ視点でゲームを見続けなければならないのだ、うまい人なら関心しながら見てられるが、他人のプレイを見てるなら自分でプレイしたいのが人情
そこで中毒であるけど、プレイ内容に拘りのない人たちはダウンか死亡すると他の二人を置いて即抜けし、新ゲームを始めてしまうのだ
新ゲーム自体悪いことではない、ゲームしたくてゲームしてるのに、復活するまで黙って待つのもつらすぎるし、ゲームシステムで即抜け出来るようになっているし即抜けしても罰則がない
しかし、強度なマナー押し付けプレイヤーは即抜けを許さない、万死に値する行為だと思っているのだ
そんな奴らは、ネットの片隅で即抜けプレイヤーのIDを晒したり、フレンド内でマウンティングしようとしたり、ゲームのマナーにうるさいくせに人のマナーがないという逆転がしてるのだ
熱くなるのはわかるけど、ゲームなんだしうまくなるだけのプレイヤーだけじゃないんだから、もっと広い心を持って楽しんでプレイしてほしい
俺はダウンしたら復活待たずに即抜けするけどな、下手でごめんねーごめんねー
ばあちゃんはもう90近い。
母親と離婚した親父とは定期的に飲んでて、その報告によるとしばらく前にばあちゃんはでかい病気をしてもともと耳が遠かったのに加えて脳もバグってしまい、
いとこの子供(中学生)と中学生のころの俺の区別もよくわかんなくなってんじゃねえかと言っていた。
ばあちゃんは保育園時代、共働きの親のかわりに毎日迎えに来てくれて親が帰ってくるまで面倒を見てくれた。
駄菓子屋に連れてってくれたりスーパーのメダルゲーム(100円で11枚メダルが出てくるジャンケンポンのやつとか)で遊ばせてくれたり卵を落としたサッポロ一番塩らーめん(世界一うまいラーメン)を作ってくれたりした。
小学校で引っ越して会う頻度が減ったけど、大学に入ってまた家が近くなったので久しぶりに会いに行ったら6歳のころと変わらぬ「ちゃん」付けで俺のことを呼んで「大きくなったねえ」と言っていた。
俺はばあちゃんが好きだったので大学時代はちょくちょく会いに行っていたが、行くたびに小遣いで1万円をくれるので正直たまに小遣い目当てで会いに行くようなこともあった。
大学を卒業してまた疎遠になった。その間にばあちゃんはいよいよ耳が2キロくらい遠くなり認知症で誰が誰やらわからなくなったと聞いた。
俺の話をして「中学は行ってるのかい」とか言ってたらしい。親父は「死ぬ前に顔見せとけ」と言った。
そんで今日、会いに行った。一時はちゃんと歩けないレベルだったらしいが最近リハビリを終えて小康状態に入ったらしい。
家に行ったらばあちゃんは寝ていた。
そっと起こして「俺だよ」と言ったらばあちゃんは曖昧な顔で「うん」と言った。耳が聞こえないからだ。
親父たちが筆談用に使っているホワイトボードに俺の名前を書いて見せたら、ばあちゃんは10年前よりくしゃくしゃになった顔をもっとくしゃくしゃにして「大きくなったねえ」と言った。
昔と変わらず世話焼きのばあちゃんは「いらないよ」と言ってる俺を無視して(聞こえないから)、きびきび立ち上がってお茶を入れてくれた。
歯がなくてやわらかいものしか食えないばあちゃんは、お土産のショートケーキをぺろりと食べた。
俺は買ってきた缶ビールを2本とばあちゃんが入れてくれたお茶を飲みながら適当なテレビを見た。
ホワイトボードに「元気?」と書いたら「元気だよ」と言っていた。
「昔はこんなに小さくておぶって駄菓子屋に連れていってね」という10年前にも聞いた昔話を2回くらいしてた。
帰り際、「またおいで」と言われたので「また来るよ」と言った。
多分聞こえていないので肩をポンと叩いた。笑いかけたつもりだけどちゃんと笑えてたかはよくわからない。
10年前、そして30年前と同じようにばあちゃんは家の外に出て手を振りながら見送ってくれた。
また行こうと思う。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。
前期の感想はこっち
https://anond.hatelabo.jp/20190414134246
★★★
三ツ星カラーズの作者カツヲ原作の、三ツ星カラーズの前に描いた漫画
1話それほど好評じゃないっぽいが(卑屈キャラは大体似た反応)、たぶんクラスメイトがいっぱい出てきてからが本番じゃないか?
三ツ星カラーズとみゃー姉が好きな俺はもちろん良かった
声の演技いいね、誰か知らんけど
小首を傾げるところがやばい
ちなみにハッシュタグは#ぼっち生活。◯◯がハッシュ化できないため
★
なんか設定が面白かった
モーションにこだわりを感じる
★
ダイレクトに癒そうとしてくる系、実は苦手なんだけど
「こういうのが良いんだろ?」みたいな
しっぽ作画がすごかった
★★
普通におもしろそうだし、だいぶ端折ってるらしいけどコンパクトにまとめてると思う
この時代のエロゲ主人公は良いね(だがアニメにすると扱いが難しそう。文字媒体だと通る行動とか、画にするとキツイことあるよな)
千代丸は関わってるの?
ジジババがかわいかった
斉木楠雄思い出すわ
化けることに期待
今の所まぁまぁ
主人公が冷静すぎる
ちょっとテンプレすぎる感があるが、コメントによると本番はもう少し先らしいので待つ
妹は可愛い、襲われたい
★★
うひょおおおおおおおおおおおおおお
あ、アニメは作画安定してそうで一安心、一期ほどは期待していないが
なんだこれは
脚本次第かな?
これ1話見た後で、思い切って幼女戦記ちゃんと見直したらとても面白かった
★★
でもこれ原作6巻まで出てるらしいよ
★★★
・八十亀ちゃんかんさつにっき
・淫らな青ちゃんは勉強ができない (勉強できない枠2つめwww)
・マグメル
・すとぱん(え、すとぱん?!)
・われしょ
高速で見た、落選・保留↓
・川柳少女 悪くないんだけど見るモチベが低い。部長が面白いらしいので4話くらい溜まったらまた少しみる
・キャロル&チューズデイ キャラデザが「お前向けではない」とアピールしている、4話まで評判待ち。SFっぽいふんいきはすき
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八月のシンデレラナイン人気なの?か
見てみるか
※★は期待度、最高5
※アニメ1話全作レビュー増田ではありません、私はもっと斜に構えてる俗物です。でも褒める時は絶賛する
※雑感想と言ってるだろう?ガチの感想の時は個別に書く方針 ほぼメモ
※批評のために見る時間なんて存在しない、それよりなら癒し系アニメループする
※フルーツバスケットについて、名作に対して申し訳ないが旧作の時点で自分向けではなかった
ペース配分が怖いと言う噂もあり考慮対象外なんだけど(23巻24話? 封神演義よりきつい)、一応試聴しようかな、少し迷う
積み残しタスク
・どろろ見る(4話~)
・五等分の原作読む
・わたてんの原作読む