はてなキーワード: 震災とは
http://anond.hatelabo.jp/20150429112654
自分のやりたかった仕事で、年収も希望以上にアップするようで、大満足です。
かなり精神すり減らしてやったので、引き継ぎやりながらゆっくり休みたいなぁって思ってる。
入社3年以内にやめる若者が良く非難されますが、当事者としてちょっと反論したい。
3年前は震災があり、景気も冷え込んでいて、どこの企業も求人を減らしていたので、
おそらく希望と離れていても、しかたなく就職した人が多いということ。
現在アベノミクスで景気も多少上向いてきて、実際に求人も増えてきたため、
第二新卒という中途半端な存在であっても、若手の補充として、欲しがる企業が出てきているということ。
また、実際若手で転職する人はモチベーションや能力が高い人が多いと思う。
現状に満足せず、ただ嫌でやめるんじゃなくて、将来をしっかり見据えている。
まあ、俺もそうだとは言わないけどw
次の職をしっかり見つけた上でやめるのなら、非難されることじゃないと思うんだけどな、、と
ヤ「面白そうじゃねーか、虐殺の文法とやらを俺にも掛けてみろよ」「はい、掛けます」10;…ぎゃわー10;10;「だいたい、あいつら文法以前に言葉も通じないし、言語もない、原生生物みたいな脳してるんじゃよ」— kash06(ジュスト) (@kash06) 2015, 8月 17
記号的な差別はしないけど、話してわかる人とわかんない人の区別はするよ?話してもわかんない人に説明するのは誠意ではなく、不毛なだけだから。— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 8月 20
最初はある思想から発言していても、敵対する論者の中で極論を言う人間を見つけては嘲笑するという楽しさにどんどんのめり込んでいくと、だんだん思想関係なく、この嘲笑行為が楽しくなってしまうという— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 8月 20
昔はてなダイアリーで、時事ニュースやネットで話題になった事件について、ずっと言及している人がいたんだけど、っていうとそういう人は別にいっぱいいそうだが、当人の生活や趣味の話はほぼなく、とにかくダイアリーでニュースなどをずっと批判しているだけだったのが印象的だったのだ。もぐもぐさんが言うような「ずっと怒っている人」である。毎日、自分が怒りたくなるようなニュースを探しているみたいだけど、疲れないのだろうか…?と疑問に思っていたのだが、ある時疲れたのか、プライベートモードになった。と思ったら、その後、はてなハイクで似たようなことをやっていた。調べたら、東日本大震災のあと、しばらく続けていたが、震災から半年ぐらいでやめていた。Twitterも併行してやっていたが、そちらもやめたらしい。現在はそういうネット活動に飽きたのか、それともTwitterなどサービスを変えて同じようなことをやっているか…。それはわからない。浅羽通明氏が、湾岸戦争の時の新聞投稿欄を元に「新聞投書に見る『発言したい欲望』という記事を書いているのだが、昔ならこういう人は新聞投書をしたのかも知れない。ブログという没のない新聞投書欄を得て、「ずっと怒っている人」は可視化される。
虐殺の文法とは
どことは言及しませんけど、ニューストピックで震災のカテゴリに原爆被害について書かれた記事があった。
それに関する問題はないし文句もないんだけど、疑問に思った事を挙げる。
まず、原爆被害は戦争扱いなの?それとも災害ないし防災の扱いなの?ということ。
自分はずっと戦争のカテゴリだと思ってたから被爆というと戦争だと思ってるのね。
で、あるニューストピックでは震災ないし災害のカテゴリに被爆についての記事があったわけです。
やっぱり70年も経つと戦争被害とかいう記述は当時の物からは想像だにしない程緩い描写に書き換えられてしまっているのかもしれない。
もしかしたら、原爆投下という事実でさえ、火山の噴火とか数十年に一度の巨大地震や台風による被災の扱いになってしまっているのかも。
そうだとしたら、段々戦争について語れる人が少なくなってる今、その手の記事を目にするたびに徐々に
国の金使って、元の場所に住む…ための土木工事にドロのようにお金を突っ込んで…本当に無駄。誰も住まない…だだ、死を迎えるだけの未来無い老人のためだけに、あんな金突っ込んで。
国土強靭化の前に津波や地震でも大丈夫な地盤を持つ場所に移転すべきだし、どうせ若い人はいなくなるんだから、変に戸建てじゃなく老人のためにサ高住作るべき。
何より教育に金を落とさないから、地元に残る人は全てマイルドヤンキー、よくて口達者なバカを量産。
で、この前問題になった議員みたいな、マイルドヤンキー上がりの議員が運営する自治体は、食い止められるような人間は皆無。
マスコミなんてそもそも無いから、やりたい放題。コネ、賄賂、なんでも有りの「地域密着経済」
新産業も出ず、ただただグローバル化に飲まれるだけ、工場などの働く場がどんどん失われ、地域経済が崩壊中。
海外のとある街で、深夜にバックをいくつも抱えた旅行中の女の子から道を尋ねられた。
治安の良い場所ではなかったから、駅まで送ってあげることにした。
そして、その途中でギャングに襲われた。
救急車が来るまでの間、警察官からもらったタオルでおびただしく出てくる血を抑えながら、
僕はひたすら彼女に謝りつづけた。
彼女が救急車で運ばれた後、警察とその場所で実況見分が行われた。
テレビ局が来て、僕を間近で投光器で照らしながらカメラを向けた。
僕は血まみれの服のまま殴りかかり、警察に止められた。
僕は安アパートで一晩中血まみれのまま過ごした。
朝まで寝ることは出来なかったが、記憶はない。
僕が体の異変に気付いたのは、それから数か月後の帰国後だった。
深夜に歩いていると心臓がドキドキして、空中から脂汗が出てくる。
その場で民家の塀に背中を押しつけたまま、身構えながらその小学生が通り過ぎるのを待った。
歩いている途中で自分の気持ちがまるで遊園地のバイキングのようにグラングランと大きく揺れ、
その場にしゃがみこんでしまうこともあった。
布団に入って明かりを消すと、後悔と罪の意識が黒い塊となって自分を襲ってくる。
あの時の光景が延々と脳裏に繰り返され、布団の中で何度も叫んだ。
毎日酔いつぶれるまで酒を飲み、明かりを煌々と付けて、ラジオのボリュームを大きくして、
夜がしらじらと明ける頃に、やっと浅い眠りにつくことが出来た。
当時はPTSDという言葉はまだなく、僕はそれを『心の後遺症』と呼んでいた。
もっともひどい状態で約5年。
今、20年以上たっているが、今でも似たような状況の場所と時間は避けて歩く。
何をもって直っていったのかは分からない。
巨大な、でも一粒づつしか落ちない砂時計のように、変化していったとしか言えない。
心療内科にも行っていないから、行った方が良い、行かない方が良い、その両方の助言をすることもできない。
でも、一つだけ。20年以上たって、今でも自分を許すことも出来ないけれど、
そうした事件があったということだけは認めることが出来た。
そして人よりも少しだけ、誰かが傷つくことに繊細になることが出来た。
震災から4年経ち、物理的な復興が進んで世間から忘れられ始めている今でも、
あの震災で僕と同じように、心に傷を負い、人目に付かない場所で苦しんでいる人がいることを想像することが出来た。
今でも定期的にボランティアに行っている。
僕には助言することが出来ない。
失恋した人や仕事で些細な失敗をして落ち込んでいる人にも優しさを向けられる、
そんな心の傷に繊細な人にしてくれる。
そしてそんなあなたの優しさがあなたに帰ってくる時がきっとくる。
少しでも早く良くなってください。
大丈夫。きっと良くなる。
私の年齢は、36歳。丸の内OLとやら言われているが、そんな世間が描く仕事できる系の服で武装しているわけでもない。世間的には、結婚の二文字が親や親戚から突きつけられる年齢だが、わけありの人生を生きている。
震災の時にTwitterを始めた。理由は怖かった。それ以上思い出せない。
最初は、災害情報だった。そればかりだった。周囲の人間とは繋がりたくないのもあり、有名人をフォローしては、返事の無いリプ欄に、こんなもんか…。などとは思いながら、体温を探すように言葉を探した。不思議と、私が一番心地よくも痛みまで包まれる存在は、男性と思しき方だった。
燃え殻さん
( @Pirate_Radio_ ) 職業とかはわからないし、そんなに重要視していない。誰かが言ってようなことを誰かが言ったように話す、そんなことがプロフィール欄にあったけれど、内容は、1人の男性の140文字の短編映画のようで、深くハマってしまった。サブカルチャーの話の一編が分かったりすると、小さくよし!とデスクの下で拳を固める私がいる。たまに話をしてくれる以前の恋は、男性はもっと深く愛してくれるのだと、自分の恋愛の不甲斐なさに気づく。
松岡宏行さん
( @higetch )
YouTubeでも拝見して、この方の話すことに、いちいち膝を叩く自分がいる。恋愛相談を女性から受けたり、日々の出来事に対する考え方言葉が、芯がしっかりして読み応えがある。温かい人間なんだと思います。
田中泰延さん
( @hironobutnk )
フォローする人が必ず既にこの方をフォローしている。ユーモアってこの方のことを指すのかと、読む本が無い時に、地下鉄の途切れ途切れの電波で、言葉をキャッチして密かに微笑んでいた。
クボトモさん
地震が起きた時、ああ揺れましたよ。って、つぶやきが心救われました。この方は、様々な場所から情報を見つけて、わかりやすく不特定な人間と話す軽快さが好きです。やはりもの凄く芯が強いけれど、いい意味でドライな方な感じもします。
砂漠さん
( @kazu2cyan_tv )
この方は、リツイートで知りました。電車のホームでお疲れになっていた時でしょう。小さな男の子に足がはみ出していたのを注意されたという内容でした。少し心配になり、のぞくとくすりと笑えたり、初老とおっしゃるのに、子どもに向けて話すような優しい語り口が、とても好きでした。
私は、この方たちのつぶやきで、地下鉄ハイヒール大戦争も楽しく過ごせました。そして、大学卒業から勤めてきた丸の内を7月末日をもって退職しました。東京で生活して、仕事以外友人もあまり無く、後輩の女の子に震災時に勧められたTwitterで、潤ったり楽しく過ごせました( 無理がありますね。笑 )
もう、アカウントは削除しましたが、スクショが5000枚あります。今度またTwitterを始めた時は、話しかけてみようと思います。
安倍政権が凄まじく叩かれていて、あまりにも不憫なので少し肩を持とうと思う。
これを書いてる自分は、はっきり言うと集団的自衛権に賛成の立場である。
とはいえ、今回の進め方は随分と強引だったというのが印象だ。
で、本題。
なんで憲法9条改正を行う前に集団的自衛権を焦って通したのはなぜか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150721-00047747/
要約するとこうだ。
という話。
ついでを言えば、この理由は「中国ガチでやべえ!」って大手を振って政権がのたまうと、現地の日本企業が村八分というか国八部食らうから。
(というか一部言っちゃったけど安倍さん…)
で、みんな気になる徴兵の話。
結論から言うと、完全な戦時中に突入し、しかも短期で片付かず、世界大戦レベルの泥沼になったらありえる。
というレベルではないかとみてる。
第二次世界大戦時は徴兵始まったのは中盤以降(劣勢に立って以降)なので、かなりの最終手段だったと思われる。
まぁ昔の事なので引き合いに出すのは難しいけど。
ありえるとしか言いようがないでしょう。
もちろん日本近海に石油やメタンハイドレード等はあるとは言われています。
試掘だって始まっていますが、今後急ピッチで進めたとしても、年単位は覚悟が必要です。
思ったよりは進まないでしょう。
http://www.jogmec.go.jp/library/stockpiling_oil_003.html
半年かぁ…賭けですね。
ではそこまでの価値があるのかについて考える。
衣料、医療と様々な加工品も考えれば、どれだけ影響あるか…。
経済的な打撃は非常に大きいハズというか…また震災ばりのパニックで物価の高騰もありえますね。
あの当時好きだったドラマで、NHKでやってた「アリーマイラブ」ってドラマがあったんだけど、
たいした理由の説明もなく、ドラマの中で登場人物の1人が落ち込んで精神を病んでいた
ドラマを見続けて、それが、9.11が原因でナーバスになっているという演出だとわかった時、
彼らの大多数にとっては、9.11は理不尽に全然知らない人から突然殴られたようなもの
しかも、親にも殴られたことないのにー、みたいな国が突然受けた暴力だったのだ
そりゃショックだったんだろうな
日本にいたら、外国であった面白ニュースのひとつでしかなく、9.11の影響は一部的、一時的なものだった
でもまあ確かに、日本でも神戸の震災のあと、震災を扱ったドラマとかやってたし、
今も実はあの当時に家族を亡くしてっていうキャラ付けはあるもんな
きっとそういうことなんだろう
■要旨
人に欠点があっても、それが表面化して問題になるかは状況による
↓
でも問題になる可能性があるなら未然に防ぎたい
↓
↓
■内容
ストーリー進行上の役割だったり、作者の伝えたいメッセージだったりする。
無能な上司がいたら、上司の失敗で主人公が理不尽な状況に追い込まれたり。
噂好きだったり、メディアに踊らされやすかったり、他人への配慮が足りなかったり、
議論好きだったり、マナーを身に着けてなかったり、場の空気が読めなかったり…etc
でも、私たちの欠点は、小説みたいに、何かの役割を持って配置されているわけじゃない。
もしみんなの持っている欠点が原因で必ず問題がおきていたら、毎日大変すぎる。
だいたいの欠点は、大きな問題にならず、なぁなぁで、うまく折り合いを付けて生きるものだ。
また、割れ鍋に綴じ蓋みたいな、欠点を抱えていても、それをフォローしてくれる知り合いがいれば、
欠点を抱えても問題なく毎日を過ごせていたりする。(地図を読めなくても問題ない女性は多い)
会社に遅刻しそうになって急いでいる、みたいな状況を作るために利用されるのだと思う。
でも、現実には私の早起きが苦手な欠点は、フレックスを導入している会社に入っていることで
表面化せず、問題を起こすこともない。
もちろんそれは今だけで、会社が変わったり、休日に待ち合わせしたときなんかは問題になるかもしれない。
その人の持つ欠点が表面化するかどうかは、状況や巡り合わせによる。
私の知り合いの中には、直した方がいいと思う欠点を持っている人がいる。
でもその人たちの欠点も、表面化しなければ、きっと直すことはないのだろうなと思う。
きっと十分に枯れていて、日常生活に必要な欠点は矯正されていると思う。
欠点が表面化するのは、特別なイベントや、非日常の事態のときだと思う。
私は同じ職場のある人に対して「自分での判断力にかけていて、指示待ちしすぎる」という欠点があると思っていた。
ただ、その人は普通に仕事をこなしていて、職場的には特別問題視されていない欠点だった。
でも、大地震のが起きた日と、その後数日、その人は自分でどう対処するか判断できずに、
周りの人に「いったい自分はどう対処すればよいか」を聞いて回っていた。
(業務のことだけではなく、すごくプライベートなことまで)
それから上司による指導など紆余曲折あって、その人の指示待ちの欠点は少し改善した。
実際は表面化しない欠点のほうが多いのではないかと思う。
個人的な反省として、その人の欠点を知っていながら放置していたのを後悔した。
事前にその人の指示待ちの欠点を直せていれば、問題の発生を防げていたんじゃないか、と。
ここで個人的な命題は「どうやって他人に欠点を自覚させて、それが問題となる前に直すよう促すことができるか?」
単純な回答としては直接本人に言うという手段があると思うけど、
他人に対して「あなたはこういう欠点があるから、XXXみたい事態が起きたときに困るから直した方がいいですよ」なんて言えない。
なので個人的な回答として、
そして日頃から品行方正な態度を見せることで、周囲の人を感化する」
というのをやっていこうと思います。
①朝に弱く寝坊する
対策:毎日時間通りに起きれたか記録を付ける。寝坊したら自分にペナルティを与える。
②ゲームや実況動画みたいなくだらないことに時間を使ってしまう
対策:これもまずは記録をつける。毎日、少しずつ時間を減らそうと思う。
対策:思い浮かばない。。話すとき笑顔な人とよく話すようにしようかな。
対策:記録する。まず週1回に減らす。
対策:顔を上げて周囲を見る。アプリアンインストールする。スマホの管理アプリ入れる。
対策:相手に対する尊敬を忘れないように。。。したいな!Team Geek読み返そう。
対策:ミスした事のチェックリスト作って同じミスしないようにします。。。
自分で書いてて悲しくなってきた。寝よう。
面白いから回答してみよう。せっかく増田が見出しをつけてくれたんで、それぞれにツッコミながら
五輪当初、開催計画書に記載されていたコンセプト「環境対策」「世界一コンパクトな大会」「1964年東京五輪の施設の再利用」からだいぶずれているのが気になる。
これがIOCに提出されたのが2009年。新国立競技場の計画が現在の形になった2012年までの間に何かがあったのだろう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4
[参考]
増田がなぜかドルベースで予算を計算しているが、為替が重要なのは費用の大部分を海外から調達した場合のみ
多くの費用が人件費みたいな国内要素だったりすると想像されるので、2012年からの為替変動は無視してもいいんじゃないかと考える。
いや費用のほとんどは材料費で、これが大部分海外から調達だよみたいな話だったら再考する
ザハがアンビルドの女王という呼称で呼ばれ始めたのは1983年の香港の高級クラブの仕事あたりかららしいので
新国立競技場のコンペの時点では相当アンビルドで有名だったはず。
コンペの要件に「まともに建設できること」を加えてなかったことが原因。
ではなぜそんなことになったのか。
「旧国立競技場は、たぶん経年劣化で使えない(取り壊しは恐らく不可避)」
この情報は初耳。ただ、前段の議論で「1964年東京五輪の施設の再利用」みたいなコンセプトは一旦否定されたと見ていいので、
取り壊さずに使うにはどうすればいいかの調査予算すら立てられていなかったと想定される。
増田には現場に近い建築家の権限が弱いことが特筆すべきことのように書かれているけど
コンセプトやら要件定義の段階でいきなり建築家の意見を聞くことはなく、要件が固まってから適切な専門家を選び出すのが普通なんでこれは仕方ないように思える
ここまで考えると、責任者は本当に限られた予算内で作れるものを作ろうと考えていたのかすら怪しくなってくる。
おそらく犯人というか問題点は、2009年から2012年の間に「コンパクト」から「重厚長大」にコンセプトが変化したことだと思う。
多分契機は震災とアベノミクス。震災復興で強制的に予算を注ぎ込んだら思った以上に景気がよくなったんで、
政治のトップの方で緊縮財政派の立場が弱くなって公共事業で景気回復の流れになったんだろう。ここがアベノミクス施行に至る流れで、五輪コンセプトの変化の遠因になったと推理する。
要は新国立競技場は古代エジプトのピラミッドだ。最初から目的は派手にカネを使うことにあったんだと思う。
となると今の方向は特に意図していないものではないということになるんだけど、問題は納税者に何も知らせずに勝手にコンセプトを変更したこと。当初の予算1300億円も黙ってコンセプト変えるための目眩ましにしか見えない。
今一番怒られてるのは多分ここで、有識者は「金ばら撒くなら独断でピラミッド建設業界にばら撒くな。俺らにもよこせ」と主張してる。
「引越しできるメリット」だけに絞って言うなら、引越ししたくなった時にしやすい、ではなく、引越しせざるを得ない状況になった時に対応できる、っていう事。
別に引越ししている全員が、趣味で引っ越してるわけでなし。不測の事態に対応できるって事だよ。
会社で通えない場所に異動になったり、そもそも会社がつぶれたり、親が倒れたり、自分が病気になったり、震災が起きたり、ご近所トラブルがあったり、子供のいじめ問題だったり。近所にでかい工場が出来て環境が変わったり、治安が悪くなったり。
なんとなく気分で、って理由で引っ越そうと思っても、コミュニティ云々で反対されるだろうけど、そうじゃない引越し理由が突然訪れる事くらい、いくらでもある。
奪い続けたのは父親で、奪われたのは母親。あと人間らしい生活。
理解してくれる人なんていなかった。
子供なりに、家の恥を他人にさらす勇気もなくて、なにもないフリをし続けたからね。
でも最悪、命さえ残っていれば、人間なんとかやり直せると思っていた。
成人してから、形だけ残ってた家と、その中身をまるごと捨てたよ。
でも震災で家を失い呆然としている人を見ると、普通の人はこんなにも、失ったり諦めたりすることに慣れてないものかと思った。
奪った相手が自然なら仕方ない。相手が身内の場合、そりゃもう気持ちの中がどろどろだ。
父親にいつ殺されるかわからないから、と思って自室から逃げるルートを考えながら寝た事はないでしょ?
命を失ったのならこの限りではない。
でも生きているなら、たいがいの事はやり直せると思ってる。
あなたのお父さんは命があってよかった。それだけで充分。
ただまあ、別にかわいそうだと思われたいわけでもない。
そこに気がついて、そうだったのか、くらい言ってくれたらいいなあと思う。
震災とかで「家を失くした人達」「住み慣れた思い出の家を失くし」みたいなのがテレビで流れると、それまでは家があるのを当然として暮らししてたんだ、うらやましい
自分なんか失う家も財産も思い出も最初からないわ、「どうしていいかわからない」とか、こっちはそのどうしていいかわからない状態のまま何年も生き延びてるっちゅーの
1
6月11日に、「絶歌」は発売された。その直後、この本の刊行を報道で知った遺族のうちの一人が、遺憾であるとコメントを発表した。
以来、今日に至るまで、様々な人々が—— 専門家、知識人、芸能人、ライター、クリエイター、etc——、この本についてコメントをしたり、記事を発表している。
少しだけ、どこかで見たような光景だな、と俺は思った。
原発だ。
震災以来、原発というのは、賛成だろうと反対だろうと、何かしらの意見を持たなければならないような問題になった。「どうでもいい」「どっちでもいい」というような態度は許されない。誰しもが原発に対して、真剣に考えなければならない(あるいは、そのフリをしなくてはならない)、そんな風潮が蔓延している。
そんな光景に、どこか似ている、と俺は思った。この本の出版に関して、肯定的だろうと否定的だろうと、有名人(というかライターやクリエイター、芸能人)は、何かしらコメントをしなくてはならない。そんな雰囲気が漂っているような気がした。
また、ネットでもあちこちで、この本のことが言及されている。その内容(というか質)も、原発に関するもの似ている。有意義なものあるけれど、ほとんどが似たり寄ったりな退屈な意見で、特にAmazonのレビューに関しては、まぁ、平均的な人間の平均的な意見が読める、という以上の価値はない。
なんというかまさに「脱法ハーブ、握手会、風営法、放射能、ダサい、ダンス、ダウンロードって言ったら負け」状態だ。
2
俺がこの本を読んだ理由は、端的に言えば好奇心だ。この本が発売されると知ったとき、純粋に読みたいと思った。ただの好奇心。
この際だから、書いてしまおう。俺は小説を書いている。ほとんどの人は知らないと思うが、Amazonで販売出できるKDP(Kindle Direct Publishing)で発表もしている。つまり、創作をする人間として、この本に興味を持った。
この本の元になった事件は、説明するまでもなく、後のフィクションに多大な影響を与えている。俺が知っている範囲だけでも、舞城王太郎や佐藤友哉あたりは確実に影響を受けているだろうし(舞城の『阿修羅ガール』に出てくる鬼畜殺人鬼グルグル魔人を知っているか?)、奥浩哉『GANTZ』に出てくる西なんかは、もうまんまだ。他にも探せばたくさん出てくるだろう。
創作をする人間として、そんな風に後のフィクションに、作家たちに影響を与えた事件の当事者が書いた手記に興味を持つことは、そんなに不思議ではない、と思う。だから手に取った。ただ、これは弁解だ、言い訳だ。下世話な好奇心で読んだ、と言われても反論は出来ない。
(これは余談だが、先述したとおり、この本は6月11日に発売された。ニュースになったのも、その二三日前だったと思う。しかし、振り返って見ると、五月の終わりに、この事件をモデルにした窪美澄「さよなら、ニルヴァーナ」が出ているし、そのちょっと前には、34歳になったとある小説家が事件現場を巡礼(?)するという内容の佐藤友哉「ドグマ34」がすばる4月号に掲載されいてる。偶然か? さらに余談だが去年放映されていた、金城一紀脚本のドラマ「ボーダー」の第三話は、殺人を犯した元少年が手記を出版しようとして遺族に殺されてしまう、といった内容だった。まぁ、偶然だろう)
3
事件当時、俺はまだ小学生だった。けれど、この事件のことは、やはり印象に残っている。
俺は子供のころ、モデルガンが好きで、アクション映画などの銃撃戦のシーンを見てはひとり興奮していた。シュワルツェネッガーがバンバン人間を撃ち殺しているのを観ながら熱狂している俺を見て、母親も心配していた。俺も子供心に「自分は人が死ぬことになにも思わないのか」などと普通のことを普通に思っていた。平均的だ。
そしてこの事件以降、子供によるセンセーショナルな事件は、たびたび起こる。「キレる17歳」などいうキャッチコピーがつき、まるで急に少年犯罪が増えたかのように報道された。
フィクションも影響を受ける。バスジャック事件を題材にした青山真治の映画「ユリイカ」などだ。
開き直るわけではないが、俺は上記の作品たちが好きだ。だから作者に興味があるし、その作者に影響を与えた題材、事件にも興味がある。センセーショナルな事件は、良くも悪くも、フィクションに影響を与えているのだ。
ただ、報道のされ方、ニュースの選ばれ方のせいなのか、はたまた「事実は小説より奇なり」なのか、現実では悲惨なニュースが相次ぐ。自然災害は仕方がないにしても、凡人には理解できない理由で、または理解できないほど身勝手な理由で、色々な事件が起こる。無差別殺人、闇サイト、児童虐待。世紀末を過ぎても、この手のニュースには事欠かない。
「近頃はありきたりのリアリズムに追いつかれそうにも見える」
これは、とある賞の選評の一部だ。とある一作品に向けられた言葉ではあるが、なんだかフィクションがひどくしらけてしまうときに、この言葉がふと思い浮かぶ。
我ながらバカなことを書いているな、とは思う。でも、俺は嫌なのだ。俺はフィクションが好きで、物語が好きで、小説が好きなのだ。だから、読むし、書いている。書いては直して、また書いている。
この本が出たときも、似たようなことを思った。批判が溢れ出ているのに、蓋を開ければベストセラーだ。売れているからって、優れたものじゃないってことは判っている。それは音楽も映画も本も同じだ。
4
そして、この本を読んでみた。内心ドキドキしていた。偉そうな事を言っておきながら、日本の犯罪史上稀に見る(仰々しい枕詞だ)事件を起こした、当事者の手記。正直、影響を受けてしまったらどうしようか、とも思った。俺は本を読む以上、どんな本でも最大限影響を受けるつもりで読んでいる(そうでなければ読む意味なんてない)。ただ、この本だけは、少し怖かった。
しかし、どうだろう。前半はネットで揶揄されている通り、自己陶酔しきった糞ポエムだった。ガラガラのライブハウスで演奏しているクソみたいなバンドの歌詞でも、これよりはほんの少しマシだろう。ただ、文章自体は上手いな、とも思った。読ませる文章だ。特に、後半の面会に来た弟のやり取りの場面では、ちょっとぐっと来た。少しだけ泣きそうにもなった。
でもこれは(ここまで書いておいてなんだが)、所謂ただのお涙頂戴話だ。当たり前の反応というか、けして面白かったというわけではない。
そう、端的に言って「つまらなかった」というのが、この本を読んでの感想だ。
一部で神格化、カリスマと化している「殺人鬼」だが、彼はつまらない、ただの普通の人だったのだ。多くのフィクションに影響を与え、ひとたび本を出版すれば大いに話題になる「あの人」は、普通の人間だった。
前半のあの糞ポエムが、それを象徴している気がした。あの稚拙で過剰な修飾表現は恐らくわざとで、そうやって過剰に飾らなければならないほど、内容は、実は普通なのだ。
これについてはロマンポルシェのロマン優光さんが書いた記事に頷ける箇所があった。
“この本には特にそういうところがないのだ。(性的偏向については代入される対象がおかしいだけで数式は同じなので、対象がいくら理解できなくても根本的に理解できないというわけではない。) 普通の人が普通に想像したような話が続くだけである。 ”
http://bucchinews.com/subcul/5203.html
5
少し前になるが、日曜の午前にやっている「ワイドナショー」という番組で、店の商品に爪楊枝を刺す場面をYouTubeに投稿した少年のニュースをやっていた。
それを観た松本人志が、「全然おもしろくない。声も張ってないし」とコメントしていた。他の出演者は「そこですか?w」といった感じだったが、俺は、松ちゃんはこういうコメントをどんどんしていったほうが良い、と思った。
つまり、つまらないものは、つまらないというべきなのだ。そして、松本人志のようなおもしろい人は、こういうくだらないことをする人間に向かって「全然笑えない。おもしろくない」ともっというべきなのだ。
同じ番組で、松ちゃんは、この本は読まない、といっていた。遺族の方がここまで言うのなら、と。立派な態度だと思う。下世話な好奇心で読むヤツに比べたら、遥かにマシな態度だ。
でも、俺は松ちゃんに読んでほしい。この本を読んで、おもしろくない、と言ってほしい。
「俺に影響受けてるのかもしれへんけど、お前の本、つまんなかったで」と言ってほしいのだ。
舞城でもユヤタンでも乙一でも、こんな本より、俺の小説のほうがおもしろいぜって言ってほしい。なにがベストセラーだ!っていってほしい。
だから、俺は敢えて言う。
自分に取っての本当のことを書いたのかもしれないが、ハッキリ言ってフィクションのほうがおもしろいぜ。普通の理由で普通の狂い方をした普通の人間なんかより、グルグル魔人のほうが狂ってるぜ。なんせウンコパン三世〜♫ デレッデレ〜♫ なのだ。
だから俺は、この本を批判するならおもしろい人たちに、「つまらない!」って言葉こそ、声高に叫んで欲しい。
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“結局のところ、人生で起こるすべての本当のことは、陳腐で薄っぺらで通俗的なのだ。そうじゃないことは小説の中にしかない。だから小説の中で、つまんないなあと思うとき、わりとそれが人生の本当のことを書いているってのがあって、だから小説って難しい”(舞城王太郎/パッキャラ魔道)
まったくその通りだ。
そんで、つまんない本のことで、
いちいち騒ぐのはやめようぜ。
おわり。