ヤ「面白そうじゃねーか、虐殺の文法とやらを俺にも掛けてみろよ」「はい、掛けます」10;…ぎゃわー10;10;「だいたい、あいつら文法以前に言葉も通じないし、言語もない、原生生物みたいな脳してるんじゃよ」— kash06(ジュスト) (@kash06) 2015, 8月 17
記号的な差別はしないけど、話してわかる人とわかんない人の区別はするよ?話してもわかんない人に説明するのは誠意ではなく、不毛なだけだから。— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2015, 8月 20
最初はある思想から発言していても、敵対する論者の中で極論を言う人間を見つけては嘲笑するという楽しさにどんどんのめり込んでいくと、だんだん思想関係なく、この嘲笑行為が楽しくなってしまうという— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 8月 20
昔はてなダイアリーで、時事ニュースやネットで話題になった事件について、ずっと言及している人がいたんだけど、っていうとそういう人は別にいっぱいいそうだが、当人の生活や趣味の話はほぼなく、とにかくダイアリーでニュースなどをずっと批判しているだけだったのが印象的だったのだ。もぐもぐさんが言うような「ずっと怒っている人」である。毎日、自分が怒りたくなるようなニュースを探しているみたいだけど、疲れないのだろうか…?と疑問に思っていたのだが、ある時疲れたのか、プライベートモードになった。と思ったら、その後、はてなハイクで似たようなことをやっていた。調べたら、東日本大震災のあと、しばらく続けていたが、震災から半年ぐらいでやめていた。Twitterも併行してやっていたが、そちらもやめたらしい。現在はそういうネット活動に飽きたのか、それともTwitterなどサービスを変えて同じようなことをやっているか…。それはわからない。浅羽通明氏が、湾岸戦争の時の新聞投稿欄を元に「新聞投書に見る『発言したい欲望』という記事を書いているのだが、昔ならこういう人は新聞投書をしたのかも知れない。ブログという没のない新聞投書欄を得て、「ずっと怒っている人」は可視化される。
虐殺の文法とは