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はてなキーワード: 部活とは

2019-05-15

anond:20190515085709

そういう学校はむしろ部活の成績ひっさげて推薦入学狙うような所だろ

anond:20190515082746

部活のし過ぎで学力低くなって良い大学に入れず良い就職先にも恵まれなくなっても

他人事からイベント優先しろなんて言えるんだよな。

anond:20190515082746

普通に芸術系高校とかあるんじゃん。

「人数が一番多いから」普通科高校の中だけで競わせ合ってる。 

少子化から全員普通科にきてねっていってるの金あつめたいだけじゃん。

「体育だけやりたくなった」子を「3年間一貫した指導ができないから」転校禁止して普通科部活にとじこめてる。

部活で頭でもうった足でも折ったあげく入院したら、いくら自習しても出席が足りないか卒業させない?

何のための部活なんだ?

世間の人は受け入れ」られるよ。

「受け入れ」は子供がまずして次先生最後世間だろ?

世間むいて教育するから子供に尻向けてるんだろ?

もっとこどもをみろよ。

育成相手事情理解しない自分を「子供わがままは聞く必要がない」でかたづけるなよ。

 

普通科高校STAP細胞だったんだよ

いくら刺激しても万能性なんかなかったんだ

子供は成長したら分化するんだ

まずそこから認めろ

anond:20190515084023

実際は学外のクラブチームが増えて、富裕層上級国民限定課外活動化するんじゃないかな。はてな人達が忌み嫌う格差社会部活にも現れてくるよ

anond:20190515082746

はてな民普通に受け入れそうだが

底辺校だと進学で実績出す事ができないか部活で出すしかないのに

それも出来なくなると何の能力もない子が増えそうだし

就職実績にも影響でそう

あと部活って底辺校だと託児先って意味もあるけど、それも不十分になると悪さしでかす子も増えそう

部活時間制限の影響で各種イベント規模縮小

予測はしていたが

ブラスエキスポという、毎年5月に行われる関西最大の吹奏楽の野外イベントがある。

今年はこのイベントの出場団体数が激減した。一昨年(昨年は雨天中止)は127団体だったが、今年は110団体にとどまった。しかも今年は団体が集まらず、主催者が異例の追加募集をかけた上でだ。

激減理由は、各府県の教育委員会から吹っ掛けられている部活時間制限。このせいでどの学校イベント出演を減らさざるを得なくなり、またイベント当日の準備時間も減らされて「当日リハーサルなしでぶっつけ本番」を強いられ、敬遠する団体が続出したためだ。

これは一例だが、部活時間制限の影響で、いろんなジャンル大会イベントが縮小していくのは確実だ。例えば今後注目を浴びるのは高校野球のイニング数減少。教育委員会要請大会を5イニング制に縮めることを検討する予定と聞いている。

こうなると、次に出てくる影響は、各種イベント大会レベルダウン。練習時間や本番経験が激減するから技術レベルは当然下がる。吹奏楽ならまともにドレミファソラシドが吹けない人ばかりがイベントに出てくるようになるし、高校野球はベイス☆ボール大会に変わる

部活時間制限による教師働き方改革といえば聞こえはいいが、それによる各種イベントの規模縮小やレベルダウンを世間人達は受け入れられるだろうか。

2019-05-14

人生で一度も痩せたことがない

自分ではかなり大層なタイトルではあると思うが、私は一度も痩せたことがない。

正確に言うと、幼稚園の頃から常に何かしらを食べているような子供であったから、ストップがかかることもなく

その年齢帯において周りより数十キロプラス体重であった。

中高生とき運動部に入っていたこともあって、

そこそこの運動量毎日こなしてはいたが

大学受験を堺にして部活をやめ、しかしながら食べる量は減ることはなかったので

体重のみが増え続けもうそろ大台の100キロに乗りつつある。

痩せたい。いつも頭の中には痩せたとき自分の姿を想像している。

たことはないので具体的な姿はわからないけど、、

なぜ痩せないんだろうか本当に不思議でならない。

中途半端デブからだろうか。

デブに突っ切ってるわけでもないし、ぶっちゃけ服を選べばそんなに太ったようには見えないかもしれない。

最近はそうも行かない体型になってきているが)

からこそ「自分はまだそんなに太ってるわけじゃない」と自分を慰めてすぐにダイエットをやめてしまうからのかもしれない。

でも正直もうしんどい。中高の同級生に会うとどうしても体型や顔を比較してしまう。自身が見にくいからこそそういう部分により鋭く反応してしまう。

子供の頃はよく親に、成長期になれば身長が伸びるから大丈夫と言われていたのに今となっては痩せろだのダイエットだのうるさくてしょうがない。そんなことはわかっている。

とりあえずなんだか人生が鬱なのだ。やる気がわかない。もし痩せていたらもっとやる気が湧いているはず。俺がお前らの体型ならそんなに怠けたりはしないとすら思う。

デブデメリットだ。損しかない。何をするにしても制限がかかる。

顔の良し悪しは生まれ持ったものからしょうがないけど、デブは本人が怠けてるだけなんてよく目にする(これも自分デブからよく目に入るだけかもしれない)が、食べる量が同じでも太りやすい体質の人もいるわけで。

とまあ言い訳を並べても結局自分でもわかってるけどな原因は自分しかない。

デブの何が醜いかって、同族嫌悪をしているところなのだ自分と同じ体型の人を見て嫌悪し、自分より太っている人を見て安心する。そうすることでなんとかプライドを保っている。

こんな一般論を俺は語りたいんじゃなくて、

最近人間関係が辛い。正しくは自分相手デブとして認識されて嫌悪感や笑われている、見下されているんじゃないかという被害妄想に追われる。

旧知の仲だとなおさらで、ラインが来ても未読無視ちゃうし、人間との関わりを徐々に断っている気がするのだ。

こうして俺は無事自分クズさをデブという身体的特徴に押し付け責任転嫁してるわけだ。

本当に太っているせいでその人の社会性が損なわれるか検証するので今日からダイエット一日目始めたいと思います

(以下無限ループ

俺を不幸とはカテゴライズ出来ない辛さ

あとがき最初は色々とドラマチックに書こうとしていたが、最終的にただの自分語りになりました。多分タイトルに込めようとした物ほど深い内容は無いです。

まあでも色々とコメント頂けると嬉しいです。もう私の周りに私に背狂してくれる人が居なくなってしまったので。



あとがきあとがき)全部書き終わってみてみたら文章量えげつなくてやばい

誰にも自分の事をちゃんと話したことがないって、悲しいことです。


家もある、定職もある。俺をあやす友人もいる。俺は前よりはずっとまともになったし、人付き合いも随分うまくなった。

これも家族と俺の問題を許してくれた社会の親切な人たちのおかげだ。借金は多分50万くらいあるが、ようやく職にありつけたのでなんとかなるだろう。

商売も学んだ。小銭くらいすぐ稼げるようになった。借金の元はまあ取り返せそうだ。

俺は社会の屑でもド底辺でもない。そうならずに済んだのは全部周りのお陰だ。だから俺はギリギリ畜生になれずにいる。

誇りも倫理も人道も全部捨てた鬼になれずにいる。俺は根っからの善人だと思うが、犯罪者素養はかなりあると思っている。

俺は不幸ではないらしい。俺もそう思う。つらい時期もあったがなんとか脱した。その時につけた知恵は一生モノ

でも幸福とは決して思えない。というか俺の中に幸福基準が一切無いからなんだろうな。こうやって文字にしてみたら尚更不幸だとは思えない。かなり恵まれてる。

今一番の問題は俺が何に対しても幸福感を感じられない感性を持っている事なんだろうか。

自分語りをさせてくれ。Twitterじゃ誰も俺に関心を示さなかった。ここはそういう場所なんだろう?そして出来れば何か一言俺に物申してくれ。

悪口でも何でもいい。学生の頃もっと教師説教をよく聞いておくべきだった。もう俺の年じゃ誰も俺を思って言葉を発さないんだよ。

ちょっとナルシストで無表情で、でも別に特別他者を害したりしないから悪い奴じゃないよねって感じでそっとしておかれるんだよ。

聞いて行ってくれ。頼む。こことTwitterでだけは現実で誰にも見せたことのない俺が出せるんだ。

俺に一言物申してくれ。

遠慮はいらないぞ。多分一瞬ひるんで1日くらい落ち込むだろうが飲み込める。多分。

さて話そう。どこから書こうか。そうだ

俺は典型的アダルトチルドレンで、無関心な父親とやや過保護母親のいる家で育った。

さらアスペバカで、幼少期のころ地主が威張り散らす様な昔ながら土地引っ越してきた。近所にいたのは悪ガキ集団だったが、俺は気が弱い子ちゃんだったので色々あった。

次第に荒れた。すぐキレる。すぐキレる奴で子供はどう遊ぶか?気軽にキレさせて遊ぶ。誰もが何時ものことかと俺を見下した。

しかもすぐキレて暴れる上に好奇心が強くて普段からいたずら好きだったので、あらゆる悪事の容疑は俺にかけられた。ちなみに俺を擁護するやつはいなかった。

俺を憐れんでくれていた同級生ママも、声のでかい性悪親によるつるし上げが怖くて中立未満を決め込む始末。そんな人が居たというだけ気持ちも幾分救われるが。

ちなみに肝心の教師は俺の事を全く信用していなかった。平成といっても初期の初期だからな。SNSも無かったし俺は小さな町でひたすら1つしかないコミュニティ玩具にされていた。

多分いじめられ経験者はそいつらがどんな奴らだったかすぐわかるだろうが、わからない人のために軽く説明すると今で言うとネット暇人どもみたいな奴等だ。

自由に叩いても許される奴を見つけて、居なければ自分たちで罪を被せレッテルを張り、皆で叩いて自分たちの正しさを証明し合うのだ。

今ってネット有名人断罪した気になれるすごい時代からリアルいじめは少なかったりするのかね?どうせなら大物狩ったほうが楽しいよな?

話がそれた。まあそうやってボス猿が獲物を見つけては取り巻きと叩く。猛烈に叩く。ネットリンチはネットから離れれば避けられるが、リアルは違うぞ。しか小学生

不幸中の幸いは俺がバカだったことだな。俺は学校いじめは良くないと聞いたのでみんないじめなんてやらないと思っていた。

なんかよくわからんけど俺だけ怒られるけど、その事に疑問も持たなかった。バカから。当然不登校なんて選択肢にも無い。そんな発想は無かった。

自分他人と違うって悩み始めたのもここ数か月だからな。15年おせーよ。しかし、あの当時何をされてもすぐ忘れる馬鹿さが無ければ今の俺は無かったと思うとアレはアレで幸運だったとは思う。

ちゃんマジでありがとう。1度や2度かあるいはもっと理不尽言葉を投げかけられたが、あの状況で俺を守ってくれてありがとう。これが一番の幸福だった。

父親は何もしなかったからな。若いのにガキ作ってひーこら働く羽目になったってのもあるだろうが。

父親の話もするか。毒親。おわり。

俺と妹が人嫌いになったのはあんたのお陰だよ。もっと言うと祖父あんなんだったかあんたもそうなんだろうがな。多分そのまた親もそうだったんだろう。

だが俺に罪は無い。俺が平均点よりいい点とったんだからせめて貶すな。本人は高学歴で頭がいいつもりかもしれんが子に対する行動言動としては最低だよ。

俺の自己肯定感が皆無なのはこの父親の影響が多分7割くらいあると思う。もっとかな。

まあでも最終的には平和家族になったから良いけどな。これ以上はやめとくか。心配性なのでよくある話にとどめとこう。

次は何を話そうかな。あ、そうだ。部活の話を聞いてくれ。俺は多感な時期にブラック企業みたいな部活に入って心が壊れたんだ。

マインドクラッシュだぜ。心のピースはある程度組み立て終わったが今でも人の心として大事なパーツがいくつか見つからない。

冒頭で言った「比較的まとも」な感性を取り戻したのはつい最近のことだ。気が付いたら青春時代全部消えてたぜ。幸い友人達のお陰でゼロではないがな。

でも俺のあの辛さを共有できる相手は居ない。暗い部屋に毎日押し込めて、朝は早く夕方遅く。自律神経は乱れまくって夜は眠れず次の日の朝は極限状態

それをコーヒーで無理やり動かすのさ。合宿ハードメニューな上に睡眠時間がどう見積もっても5時間未満。眠気覚ましに俺はバカだったので自主ランニングまでやってた。

お陰で若くしてカフェイン中毒さ。あとなんだ?統合失調症的な?数時間だけだが自宅以外のあらゆる場所殺人鬼が潜んでいて俺を殺そうとしていると何故か思い込んでいた時間があった。

幸い次の日が休みだったので朝から夕までたっぷり寝てある程度回復したが。(その晩からはまた不眠ね)

結局その部活は辞めたんだが、後遺症がひどかった。元々多感な時期で、俺はアスペで、最終的に自衛隊に行った上級生が顧問とともに恐怖で支配していた閉鎖空間で。

そりゃあもう俺へのヘイトがやばかった。まただよ。俺はアスペから理解していなかったがな。惜しいことをした。もっと早くこの世の生き方がわかっていれば俺もちょっと楽しい高校生活を送れてたのにな。

まああの経験が無ければ今の俺は無かったわけだが。今では必要経験だったと割り切っている。

で、部活辞めた後の続きね。あ、ちなみにだけどめちゃくちゃ辞める奴が多かったその部活の中で俺はわりとまともな辞め方をしたんだ。

顧問にこの部活あんたらと幹部矛盾だらけって言って、俺はもうあんたらの考えにそぐえないって。全員参加の夏の大会だって価値が見いだせないって。

顧問は俺の事を褒めたよ。男らしいってな。ほかの先生も今どきの生徒にしては自分の考えを持ってるって。

今思えばあの教師たちも昭和犠牲者だった様に思える。その犠牲者の事を思うとできれば死後裁かれてほしいもんだが。生徒を追い詰めてもらった賞と、その時の賞与で買ったロレックスだぞ。

あれも世の中の仕組みに気づくきっかけの一つだったな。

で、そうそう。部活辞めた後。俺は何もしなった。バイトだけ始めた。人手不足の店で優しい社員の元で働いた。彼らもブラック犠牲者しか現在進行形だったので俺の雰囲気から何かを察してくれていたのかもしれない。

ただ客層がクソ過ぎて辞めた。部活の奴らが夏の大会にギスギスしながら取り組む一方で俺は強迫性障害発症した。まだ治ってない。

ちなみに俺が在籍していた2年間で連勝記録が止まったらしいんだが、俺が辞めた年からまた勝ち始めたらしい。なんなんだろうな。同期も結構やめたから俺だけのせいじゃないんだろうが。

次のバイト普通にクソだった。働く奴の人間性がクソだった。

三が日にシフトに入ってしっかり働いたが、確か5時間以上勤務でお正月ボーナスが出るところを1日4時間半だけ3日間全部働かされてキレた覚えがある。

次に務める飲食店にもクソな奴が一人いたが、他は良かったので結構続いた。ちなみにそこの新人離職率は多分8割超えてた。クッソ忙しい上にクソが居たから。

どっちかに耐えられる奴も両方には耐えられない。俺はまだバカだったのと、田舎に他にまともなバイト先が無いと知っていたのでつづけた。

あとは確か大学2年だったか。そこで派遣アルバイトをして色々知ってついに辞めたんだった。で、ようやく趣味に手が付き始めて、それを商売にしてついに短い間だがノーバイト生活を始めた。

話逸れまくってるな。俺がいかに不幸だったかって話をしないと。

部活辞めた後はの流れはこんな感じだった。

高3...マジでなんもしてない。後からネットで知った情報から察するにほとんど鬱だったと思われる。机の前に座って何時間も何もしなかったり、それを父親にいろいろ言われてまたストレスためたりしてた。

高3男子の部屋いきなり開けてんじゃねぇよ。

大学1年...一応ロケットスタートで仲間は探してボッチ回避。俺は行動力があるんだ。でも特に何もしてない。ここでも最初に入った部活でクソ先輩に当たり部活崩壊したりしたが、もういいや話すのもめんどくさい

2年...俺はこの時何もしてないと思っていたが、よく考えれば大学生ってそんなもんだった。サークルに飽きてひたすらゲーム

3年...俺のビジネス前身を始めた。すこし性格が前向きになるも、コミュ障炸裂。あとゲーム

4年...わりと平穏だった。しかし大きな病気をして価値観がいろいろ変わる。さら就活を通じてまたいろいろと学ぶ。ゲームもやらなくなった

今...楽しくないゲーム楽しいゲームに変わった。ようやく遊び方を思いだしたが時すでに遅し。社会人。ただし今までの経験からブラック回避にだけは成功した。



こんな感じ。いやあ上手く立ち直ったねぇ。もうこの辺に関しては納得しちゃったんで今冒頭にあとがきを書き足しておきました。

じゃあ今から俺が不幸ではないにも関わらず何に嘆いているかを書いてみようと思う。

俺は他人が怖い。それはもう俺がアダルトチルドレンからに違いない。

俺は他者を一切信用できない。幼少期に親どころかあらゆる存在から悪意を受けて育った。悪意の中の悪意だからだ。

そのうえ自己肯定感も低い。時々自信満々になるが実際には何となくそんな気分になってるだけ。部活の奴らはもう底辺ルートに入ったが自分にはまだまだ先があるってね。

でも俺は思うんだ。世の中バカばっかりであいつらはドラマで見た様な恋愛ごっこオナホ探し、財布探しに必死。でも普通はそうなんだよ多分。

世の中大半そんなんばっかで俺は面倒くさいから関わりたくない。サルを除いて残った人類は3割くらいとしてみよう。

やつらはまともだ。親に周囲に愛を受けて育ったから、他者と当たり前に愛の交換ができる。愛とは無償の愛の事ね。セックスもまあ間違いではないが。

だが俺はどうだ。俺は他者に借りを作らない。俺はそいつを信用しないからだ。この時点で愛の交換は成り立たない。

俺は何を交換できるか。利害関係。それだけ。だからビジネス脳はすくすくと育っている。

しかし愛だけはどうしても理解できない。どんな善良な人と会っても信用できないし、俺は自分の事をどちらかといえば闇にいる側の人間から彼らを汚してはならないと思ってしまう。

向こうは気にしないようだが、それならなおさら友達にもならない。今の上っ面な世の中で彼らのような存在は貴重だから、俺のような人間が関わってはならないと。

これが俺の一つ目の悩み。いや根源にして最大の悩みか。

どうしても人が怖い。まして裸で抱き合うなんて不用心な交流なんかできる筈もない。

あ、ちょっと話逸れるけどセックスでイけない女の子もわりとこういう側面あると思うんだけどどうなんですかね。その道のプロの方はいらっしゃいますか?

相手のいるなしはさておいて、俺はセックスも怖い。金を払えばどうにでもなるし、童貞食いが趣味上品な奥様とか多分いるだろ。裏垢界隈で学んだ。

あとこういう哀れな男を落とすのが趣味の人とか、ああそうだ多分今の俺ならおとなしいバカは落とせる。いわゆるだメンズウォーカーとかなんだかって人ね。

最近そういう人に会って何となく察してしまった。おれも多分屑だ。でも俺は変に正義感があるからそういう事はできない。基本的に人よしだからな。

じゃなくて。俺は人が怖いか信頼関係の不可欠なセックスはできない。ましてや恋人も作れない。一度だけガチ恋したことがあるが、多分2度とないような気がしている。

最近ラブコメ漫画が好きなんだけど、俺がどっちの立場でも無理。

相手がどれだけ俺を好きでも答えられないと思う。どんな美女がいつの間にか裸で俺のベッドにもぐりこんでいたとしてもセックスはできない気がしている。

そうだな。愛されたいけど愛し返せる自信がまるでないんだな俺は。彼女ができるとしたら俺の事が純粋に好きすぎるメンヘラ相手責任感感じて一緒にいるくらいが限界じゃないのか。

他のパターンが思いつかない。思ったより俺って誠実だな。このパターンでも俺はすごく悩むと思う、、、いや、こういうメンヘラは大体自分問題直視出来てないだけだから多分俺通報するか誰かに押し付けるわ。

なんだ。うまい例が思いつかないけど平成初期くらいのイメージ主人公だけを無条件に愛してくれる系ヒロイン?がいれば少しづつ変われるかも?なるほどなだから流行ったのか。俺みたいな育ち方をした奴ら向けで。

正直2時間くらいぶっ通しで無修正で書いてるからもう自分が何を書いているのかわからなかったりする。

やっぱ俺ってあんまり頭良くないな。誰が読むんだこんな文章。とは思うがたぶん誰かは読むだろうとか打算している俺もいる。頼む俺にコメントくれ。

しかすると俺は俺をよく知る誰かの言葉が欲しかったのかもしれない。正直無限時間があれば半生全部書いてた気がする。

でも議論するなら愛がどうのこうのの下りに絞るべきだったね。明日時間があれば書き直してみようか。

色々冷めて落ち着いたしもう眠いので寝ます

どなか人を愛せなかった自分が変われたって方、是非色々教えてください。

文句言うな甘えんなだって愛されたいって方もどうぞ。他人を見てきた期間が圧倒的に短いのでそういう生の声も聞きたいのです。

しかし一番聞きたいのは自分の愛し方です。誰に褒められてもどこまでも続く上と比べて自分ゴミだと逆に落ち込むような、そんな人間が何をすべきか。

本当に心の支えがない。

2019-05-13

夢を見た。高校時代と今と、なんだか変な土地が混ざった夢。あとカウンセラー。飴玉で歯が欠ける。テスト期間で部活がなかったから、吉野先生にイジられた。

上司や先輩にお前って呼ばれるのがすごく嫌

自分は男なんだけど、体育会系部活とかサークルかに居なかったからなのか、上司先輩に「お前」って言われるのがまったく慣れない。

「お前」って言われるとなんだか怒られている気がしてすごく嫌だ。

親しみを込めて言っているのか、それともマウントを取りたいだけなのか分からないけど、なんかダメ

面と向かって「お前っていうのをやめてもらえます?」っていうのも億劫だし。

どうしたらいいんだろう。

2019-05-12

ドラえもんから卒業

夢の中にドラえもんが出てきた。どんな表情だったかは思い出せない。ただ、子供のころから馴染んだおばあちゃんのような声で、「君ももう僕から卒業しないと」と、彼は言い、僕から去っていった。

起きたら泣いていた。どうしようもなく悲しかった。

僕は30になる。毎週末ドラえもんの、昔の映画を見る。同じ話を繰り返し見て、週が明ける。

小学生のころ、週末はよくドラえもん映画を見た。僕と姉と両親と、母方の祖母とで。見ている最中父はよく居眠りしたし、母は家事のため離席した。姉は中学に上がると部活で家を空けた。そのうちテレビを眺めているのは僕と祖母二人だけになった。幼かった僕は祖母に抱かれながら、飽きもせずドラえもんたちの冒険に心を弾ませていた。

同じ話を繰り返し見る僕に、父も母も呆れていたように思う。それでも僕はドラえもんに釘付けだった。そんな僕に祖母は何も言わず、ただにこにこと笑って頭を撫でた。

ドラえもんが大好きだった。ドラえもんはいつでもポケットの中にいて、ポケットの中で果てしなく広がる世界を、いつでもいっしょに旅してくれる。いつでも僕のそばにいてくれるから

から、話の筋が分かっていようとも、僕は楽しかったし、安心できたんだ。ドラえもんを見ている時間は、何よりも心が安らぐひとときだった。

けれどもその時間は、ずっとは続かなかった。学年が上がるにつれ勉強が忙しくなったし、何より祖母別離することになったためだ。病気を患った僕の伯父、つまり祖母長男と暮らすことになり、祖母は家を出た。それから数年後伯父が亡くなるが、前後して母が亡くなったため、祖母は別の伯父の家に引き取られた。

祖母子供を二人も先に亡くしてどんなに悲しんだことだろう。今でも母の話になると涙ぐむ。僕はそんな祖母と一緒にいられないことが悲しかった。

それでも年の割に体が丈夫だった祖母は、その後もよく家に顔を見せに来た。シルバーパスがあるから、と笑う祖母は、出不精の僕よりもよほど元気だった。ちなみに余談だが、祖母には外来語発音が難しいらしく、パスバスをよく言い間違える。ティッシュのことはテシュという。敵性言語だったから仕方ない。

大抵は益体無い話をするだけだったが、祖母と一緒に「おばあちゃんの思い出」を見たことはよく覚えている。

そう、祖母は元気だった。頭も耳も目もしっかりしていて、90に差し掛かるころには水泳に通っていたほどだ。本人が言うにはプールで歩くだけというが、それでも凄いことだと思う。プールで出来た友達のこともよく話し、みんな自分より二回り若いと笑っていた。

そんな祖母だったから、僕にはどうしても祖母が居なくなることなど考えもつかなかった。永遠に生き続けるのでは、という気がしていた。そんなことはありえない。祖母は今年98だ。まだ頭も耳も目もしっかりしている。だが、足がかなり衰えた。

祖母は今ではいっさい部屋の外から出なくなった。以前とは逆で、僕のほうが祖母を見舞いに行く。するととても喜んでくれて、ベランダに出ては帰路につく僕にずっと手を振ってくれていた。だが、それも今年の初めまでだ。今ではベランダに出るのも難儀らしく、大事に育てていた花壇の花もすっかり萎れてしまっている。

僕は30にもなって、どうしようもなく幼いのだ。昔の思い出を、ただ昔のこととして切り離すことができない。

どうしてドラえもんは、「きみが大人になるまでは」などというのだろう。僕は今でも、バカノロマのび太のままなのに。

おばあちゃんの前では、泣き虫ののびちゃんのままでいたいのに。

マジな話、スポーツってつまんないよな??

特に部活スポーツ

 

スポーツ楽しい

見るのもやるのも楽しい

大人になるとそんな美化された記憶けが残りがちだが

学生の頃はどの部活にも魅力を感じなかった

どのスポーツも退屈すぎる

すぐに習得できてすぐにマンネリ化するものか、習得が困難すぎてスタートラインに立てないものか、対人競技ちょっとやそっとの努力ではまるで勝てないもの、そんなものばかり

まりにもゲームバランスが悪い

ならいざ知らず、現代ではドM専用の競技

たまに面白いという人がいるが、結局それは勝てるから面白いだけで、大して勝てなくなっても面白いという人はいくらいるだろうか

 

観戦の方も正直世間の大部分が見てるのは誰が勝ったとか誰が負けたとか、キャラクターの部分

スポーツ自体はあまり見てない

まあそれはそれでいいんだけど

気持ち悪いと思われたくない

っていうのは、やっぱり自分のことが一番可愛いのだろうか。

好きな人が出来た。

いつもにこやかだけど、真意がつかめない(めちゃくちゃ空気読んでそう、気を遣ってそうなタイプ)。

連絡先も知ってるし、電話したこともあるし、毎月4回くらいは顔を合わせている。ただしプライベートではない。

自分絶望的な出っ歯で、中学校まで矯正をしていた。ニキビがひどく、体はつるぺたガリガリで、髪はへんなショートカット根暗いじめられっ子だった。多分、クラスにいたどんなに優しい女の子にも一度は「出っ歯」あるいはさんまと言われた。あの頃は、で、という音が聞こえるだけで全身に緊張が走ったものだ。この経験があるから、人の外見に言及しないことにしている。また、どんなに良い人でも、ハゲとかデブとか肌荒れすごいとか言っている人は、心の中で静かに締め出すことにしている。

話が逸れてしまった。

あの頃、入った部活で「今日可愛い子誰もいないじゃん!やる気でねぇ〜」とか言われて、その場にいた新入部員全員で萎縮したことがあった。また、先輩に廊下挨拶したら「キモ」と言われたこともあった。また、母と二人で街を歩いていたとき、ウェーイ系の人たちが後ろから来て、自分の顔を見て「うわブスだった!外れ外れ!」といって笑いながら走っていったこともあった。母は若い結構美人で、父も昔はどちらかというと整っている方だったので、なんでこんな糞ブスが産まれちゃったんだろうと申し訳なくて、でも泣きたくなくて辛かった。

高校でもニキビはあったけど、矯正が終わって生理も来て髪を伸ばしたらいきなりモテるようになった。最初は新手のいじめとか、あるいは罰ゲームかと思ったけど違った。一目惚れされたこともあった(自分にはどう見ても美人要素がないので、たぶん趣味が変わっている人だったのだと思う)。

大学女子が少ない学部だったので、そうした環境のおかげでモテた。

しかし、中学校までの負の経験が大きすぎて、人間に期待できなくなっていた。いじめられる前までは、もっと素直に人を信じることができていたと思う。でも、クラスメイトからいじめられ、異性からキモいブスと言われてきたから、

心のどこかにある自分基地みたいなところにいつも片足をつっこんで、人とは半分の自分で接して、傷ついても大丈夫なようにするという処世術をしっかりと身につけてしまった。自分あやし方ばかり上手くなってしまった。

からとある一定以上の親密な関係を築くことができない。親友恋人というのは自分自身をある意味さらけ出す仲だと聞いた。

自分には、人にさらけ出していい中身なんて持ってない。

彼氏とおぼしき人を、エスカレーターに乗りながら振り返って至近距離で見つめたり、電車の中でお互い向き合って顔を寄せ合ったりしている幸福そうな顔をした女の子は、こんなこと思ったりしないんだろうなと考えると苦しくなる。

好きな人はとても優しくて良い人だ。多分、老若男女に優しくすることに慣れているのだという気がする。

さっき書いたように読めないタイプだけど、会う前はすごく緊張するのに、いざ会うと空気みたいで安らいだ気分になって、よく分からないけど満たされたような感じがする。

自分は淋しさというものをずっと感じたことがなかったのだが、ここ最近淋しいということがどういうことか少しわかったような気がしている。うまく言語化はできないけど。

夏目漱石の 「こころ」の先生

“私には、あなたのために、その淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。”

と言っていたけど、

その人は淋しさの原因でもあるのだけど、その淋しさを引き抜いてくれるのではないかと期待してしまうような雰囲気を持っているのだ。

今日は少しでもしゃべろう、雑談みたいなこともしてみよう、私も親しげにしてみよう、バスで乗り合わせたら隣は無理だけどすぐ後ろに座ってちょっとしゃべったりしよう、道を歩いてて遠くにもしその人が見えたら手は振れないけど気づいたよって合図したほうがいいって思うのに、

いざその時になると、いや、気持ち悪くない?馴れ馴れしいって思われたら?勘違いしてて本当は迷惑なんじゃないの?

と誰かが、多分昔の自分がささやいて、私はいつも通り無口になって、ときどきしか笑うことができなくて、用意してた雑談も話せなくて、バスに乗り合わせても遠くに見えても気づかないふりをしてしまう。

あん過去がなかったらこんな風に萎縮しないで済んだのかもしれないな、と思う。キモ根暗なブスだった私が悪いんだけど。キモいとかブスは言われなくなっても、根暗なのは変わってないけど。出っ歯は直ったが、前歯がでかいのは変わってないけど。

そうやって私は何も行動をおこせずに終わってしまうんだと思う。このままでは。

どうやって萎縮する気持ちを持ち直せばいいと思いますか?それとも身の程知らずだからこのまま大人しくしてたほうがよいでしょうか。

2019-05-11

何もかもが辛い

大学勉強大学に行くことも部活も人付き合いもバイトも全てやりたくない。今すぐ放り投げてずっとyoutubeみていたい。

今属している学科の何もかも興味がない。せっかく親がお金を出して、一人暮らしまでさせてもらっているのに大学で何も学んでいない。テスト前日にちょっと勉強するくらいで何も学んでいない。

大学合格当時は輝かしい未来に期待していた。一生懸命勉強して研究者になる夢も持っていた。昔は図書館にこもって将来のためにめちゃくちゃ勉強をしていた。今考えれば本当にバカなのだノーベル賞をとりたいとさえ思っていた時期もある。けど自分にはその能力モチベが欠け落ちていて、高校生の時自分バカにしていた怠惰大学生になっている。

かろうじて授業に参加しているが、何がきっかけで行かなくなるかわからいくら大学に行くのが辛い。何の目的もなくただ授業を聞いているふりをして時間を過ごす。あまりにも虚しすぎるが授業を聞いても外国語のように何を言っているのか全くわからない。人生で躓いたことがほとんどなかったせいで、わからないことのオンパレードで頭が麻痺してしまった。

全てが自分努力不足のせいで、それがたまらなく嫌になるのだがこの状況を抜けるための努力はしないでここでこうして駄文を書いている自分嫌悪を抱く。最近は生きている価値すら見出せない。生きる意味なんてないとよく言われるが、それを言われると絶望して死にたくなる。

高校生自分が見たらなんて言われるのだろうか。あの時は常に何か頑張っていたと思う。勉強しろ部活しろ死ぬ気でやっていた。いやこれも思い出補正で実は自頭に任せて適当勉強していただけかもしれない。もっと身の丈にあったところを受験すればよかった。たまたままれ環境に生まれ育って、平均より少し頭が良くて、受験はほぼ運で受かった。周りは自分と違って超優秀。いつもそういう人たちと比べてしまい鬱になる。周りの人にあれだけ期待されたのに、学校であれだけ優秀と言われたのに、学部の授業で躓いてしま自分が情けない。

でも大学を辞める勇気はないから多分ずっとこのまま何も変わらないで過ごしていくのだと思う。このまま生きていくのは辛すぎる。けどこの状況を変えるのがもっと辛く感じてしまう。辛い。誰かに助けてほしい。

2019-05-09

イジメをした側の苦しみについて

ここを見る小中高生がどれだけ居るのかわからないが、

自分学校イジメが行われている少中高生に届いて欲しいと思って書く。

私は、今話題不登校小学生YouTuberに関する記事を見る度、思い浮かぶものがある。

かつて自分が加担したイジメによって不登校になったクラスメート達の顔だ。

私がいた小学校では、イジメが行われていた。そして私は、それを止める事はおろか静観する事もなく、自己防衛のためにある種それに加担さえしていた。

「そうしなければ自分が標的になっていた」という自己弁護もできるかも知れないが、大方のイジメはそういった種類の人間によって支えられているものだと思う。

自分イジメの首謀者ではない」あの時の誰もがそう言うと思うが、私を含め全員が首謀者であったのだ。

イジメの種類としては、呼び出して暴行を加えたり、どこかに閉じ込めたり、物を隠したりといった積極的ものではなく、

陰で「○○菌」など言って避け、存在無視するといった、陰湿ものだった。

そしてその標的となったのは2人の女子であった。

そのうち1人はイジメ理由に市内のどこかの小学校へ転校していった。大学生の頃Facebookで見つけたが、楽しい生活を送っているようだった。

それによって私の罪が軽くなる事は決して無いが、非常にホッとしたのを覚えている。実に身勝手感情だと思う。

もう1人は、不登校になった。正確には覚えていないが、小学校6年間のうち数年間に渡って不登校になった。卒業アルバム写真は、1人だけスナップ写真が使われていた。

中学に入り、一時期学校に来ていたが、小学校時代ほどあからさまではないものの、本質的には変わらない私達の対応で、またすぐに不登校になった。

その後彼女がどういう人生を歩んでいるかはわからない。

中学校を共に過ごした私達は、中学校を卒業し、各々の学力に応じた高校に散らばった。

過去数年間の学年と比べて高校の進学実績が良かったため、親や教師は「この学年は出来が良い」などと言った。

各々が部活恋愛で思い出を作り、自分中学生活肯定し、晴れやかな顔で卒業式を迎えた。寂しさで涙を流す者もいた。

皆、自分達がその人生を壊した"彼女ら"の存在を、忘れていたり、忘れたフリをしていた。

その後、成人式などの機会で何度か顔を合わせる場があったが、"彼女ら"の事は一度も話題に上がらなかった。

誰もがその話題を避け、決して話そうとしなかった。

私の犯した罪は、15年以上が経った今、どういった手段によっても贖えるものではないだろう。

そして、今私がどういった種類のアクションを起こしても、誰の得にもならないだろう。

だがもし、何かのめぐり合わせで、"彼女ら"と同じ職場になったり、子供同士が同じクラスになったりして、

"彼女ら"と顔を合わせる事があったら、私はどうするだろうか。

きっと、何らかの形でアプローチし、許しを乞うだろう。

許されるはずもないのに、罪の意識に耐えられず、許しを乞うに違いない。

私達は、自らの手で"彼女ら"の人生を壊したのだ。

幼いゆえに最も残酷なやり方でもって、"彼女ら"の人生を壊し、「幼いゆえに」という方便を使い、その責任に向き合う事を放棄してきた。

しかし、私にはその責任に向き合わなければいけない時が来た。

娘ができたからだ。何事もなく成長し、来年には小学校入学する年になった。

公園で遊ぶ娘の笑顔を見た時、遠い記憶の中の"彼女ら"の顔が、自分の娘の顔に重なった。

その瞬間、身の毛もよだつほど恐ろしくなった。今目の前にいるような少女人生を、無慈悲に踏みにじり、その事実に目をつぶってきた自分が、酷くおぞましいもののように思えた。

自分には子供を育てる資格はないのでは。いや、幸せになる資格すら無いのでは、と思った。

その日から小学校時代の夢をよく見るようになった。

未来ある小学生人生自分の手で壊した」という否定しようのない事実に、私は今この瞬間も苦しみ続けている。

そして、一生苦しみ続けるべきなんだろうと思う。それしか、私にできる事は無いのだと思う。

もし、これを読んでいるあなたが、イジメに加担しているのならば、

いつか必ず、その罪に向き合わなければならない時が来ます

そして、その十字架を一生背負って生きていくという重みについて考えてみて欲しい。

その十字架を背負わない為には、今から行動を起こすしかありません。

またもし、これを読んでいるあなたが、イジメを受けているのならば、逃げて下さい。

そして、自分肯定して下さい。イジメを受けているのはあなたが悪いのではなく、学校クラスメート等の環境が悪いのです。

転校するのも良いかも知れません。フリースクールに通うのも良いかも知れません。家でできることを探すのも良いかも知れません。

不登校YouTuberの言う通り、不登校は不幸ではありません。学校に通うことは、幸せになる唯一の道ではありません。

とにかく、信頼できる大人相談して下さい。そしてその大人が助けてくれなくても、別の大人を頼って下さい。

あなたは悪くないのだから

大学生になって1ヶ月半。友達も沢山できたし、座学は楽しくないけど実技の授業があるから高校より苦痛じゃない。

通学は2時間弱。決して近くはない。だけど大好きな小説を読んでればあっという間に感じる。

サークルにも入った。先輩は優しいし面白いご飯ゲームも誘ってくれる。

やばい、今、大学楽しい

でも単位が取れなくなったりしたら大学まらなくなるのかな。先に大学生活を終えた姉に聞くと「楽しいのは最初だけ」って返ってきた。だとしたらすごい怖い。

わたし通信制高校に3年間通ってた。だからこんなに友達が多く出来たり、部活もなかったから先輩に仲良くしてもらったりした記憶中学時代から飛んでる。

もし友達が離れてしまったら?先輩に目をつけられてしまったら?

それを乗り越える術をわたし高校時代に学べた???

楽しいと思ってる大学に、行きたくなくなってしまうのだろうか。それはとても怖い。

怖いと思いながらも、楽しいから今は通うだけ。

単位がそれなり取れて、それなりに楽しい4年間になりますように。

2019-05-08

anond:20190508035136

友達づくりでなやむ大学生に進めたいこと。

文化祭実行委員のような、大学ならではの学生自治会に入るのも良いぞ。「学友会」

など言われているが、サークルのノリについていけなくても入りやすコミュティができる。自前の部室みたいなのもあって居場所ができる。活動内容はお固く感じるかもしれないが、学友会の各委員会を通じて縦横のつながりもできる。

文化祭以外のものって10人くらいの委員会も多いし馴染みやすいし。色々な人がいて、学生自治に真面目に取り組む人もいればサークル感覚の人もいる。それでもみんな大学ちょっとでも良くなればいいなって考えてるから希望があるし。

サークル敷居が高い人は部活でもないそういう場所があるって知っててくれたら嬉しいな。

AVですら体育会系が苦手だと気づく

俺、学校AV好きなのに、無意識部活顧問が生徒と……とか、バスケ部女子更衣隠し撮り!みたいなの避けてたわ。体育会系だと萎える。

2019-05-07

anond:20190507214925

部活ではキャプテンやってクラスでも所謂カースト最上位、大学世間一般では高学歴のとこ入ったワシも、人が怖くなって大学を辞め、なんとか正社員で入った会社も二年半で辞めて今ニートで一日中つべ見て過ごしてるよ。

勉強漬けだろうがそうでなかろうが、コミュ力が無い奴は無いまんまなんじゃないかな。

どうしたもんかね。

自殺を考えた時のこと(結構前のことです。今は自殺しないよ)

勉強しすぎて自殺しそうになった話

自分勉強ができる子だった。 元々頭のいい人ではなかったはずだが、中学1年から 放課後家帰って勉強ばかりの生活してた。中1から受験生かというくらいに勉強してる。

普通の人と違って自分には周りに仲のいい友達がいなかったか勉強ばっかり・・・ それで偏差値高い進学校いけたんだけど

高校行ってから勉強についていけなくなった。偏差値69の世界は辛い。だいたい偏差値70が天才領域、並の人間にはどれだけ勉強してもたどりつけない世界、つまりその一歩手前だろうか   周りは部活の片手間に勉強しながら5教科450点取ってきた人ばっかり、 定期試験大学入試より難しいので平均点40点くらいのことも・・・ ここで自分勉強詰んだ自分には勉強以外に逃げ道がなかった。

まだ高2なのに    毎日10時間勉強してる。 過労死ライン超えてますね。 大学入試より3年制への進級が怪しかった。 得意だったはずの数学0点取ったのが痛い 英語ボロボロ    帰宅部なのに毎日疲れ切って帰りの駅のホーム電車が来ても体が動かず一本後のをまったり・・・   受験生はいいよなぁ 辛くても終わりが見えるから、高2私には最低まだもう1年ある。いやこの成績じゃ2年になってしまいそうだ。気が遠い

今思えば線路に飛び込んでても不思議ではない  でも春まで生きてみることにした。 それより家庭科課題終わらせないと進級できない

もう過労死しそうですね。

高2の3月 保護者呼び出しの元 10人の生徒と補修が始まった。 修了式の日 自分の姿はない 。 自分何悪いことしたんだろう 万引きでもしたか 誰か殴ったのか? いや違う 勉強できなかっただけだ それが自分の罪 万引きしても初犯なら許してもらえるけど 勉強できないのは一発アウトな世界 ここでダメなら 自分線路に飛び込もうか

それでも勉強しなければいけないんだ。 例えば自分には高校やめて暴走族になるなんて道はない そんな友達いないんだ 勉強以外に逃げ道がない、勉強しかしてこなかったってそういうこと

自殺を考える気持ち ちょっと伝わったかな? 自分勉強以外にできることなくて それで勉強ダメになったら どうしていいかからなくなる。それで過労死ライン超えても 体壊してもずっと勉強するしかなくなった。

ーーー補足ーーー

この時期の勉強だが 数学だけは先生に 指数対数 そこわからんなら それ以外で勉強してテストに挑めって言われてその通りにやったら一度ものすごい効果でていい点数取れたり 一応少しの成果はあった。 他はむちゃくちゃ 英語は本文丸覚えしかできないみたい

現代文先生が「勉強法がない」と言ってくれて ノート提出だけで救われた。ノートとっても定期試験ではその文章から問題でないので無意味なのである。   ただ漢字テストもうちょっと点とれと言われた。 でも漢字テストでいつも睡眠バランス崩すんだよねぇ

体育:運動能力クラス最下位だが許しを得た。

結局 全員無事に進級できた。 でもその後 ここまでやってきた勉強社会に出て役立つことは少なかった。

大学入試はいけたが 結局大学自分の居場所はなかったのだ

勉強して役立つこと 

就職時に評価してもらえる   君いい高校行ってるね採用→君の体力じゃ無理かな クビ

また別の企業筆記試験満点取れた 数学だけの筆記試験 センター試験レベルなら自分がつまずいた分野はなく満点取れる よし来たこれ!  →面接の印象が悪かったのだろうか  筆記試験満点だけど不採用だって(笑) 採用担当:(なんか勉強特化の変な奴いたなぁ ハローワークってすげぇ)

失うもの

人間関係 コミュ力  体力  社会性 趣味 その他いろいろ

精神的には勉強付けになる前の小学生の頃のままに近いような状態大人になったんだろうか? 普通の人がどうなのか知らないかわからんけど 今でもアニメとかゲーム好きだったり

小学生の頃の価値観がまだ残ってるかもしれない  ってことで小学生にも人気らしいスプラトゥーンでもやろうぜ

2019-05-05

キャプテン翼っていうアニメが昔あって

主人公中学生なのにボールゴールネットを突き破ったり、激しいタックルで大ケガをするようなシーンがあったりで、サッカーって恐ろしい競技だな、俺には無理か、、って萎えたのを覚えてる。

から中学校部活サッカー部を選ばなかった。

2019-05-03

anond:20190503230350

まず部活犯罪(いじめ万引き等)への対応、進路相談クラスもってる教員やらせ必要ないと思う。

専門家雇うなり、家庭でやるなり、外注した方が良い。

教員は教えることに注力させた方が効率いいと思う。

2019-05-01

anond:20190501135213

昭和平成のほうがモテない男に対する弾圧は厳しかった

今ではヤンキーは持てないし金のない若者ミュージシャンなどゴミ扱いだから若者誰も目指さな

けいおんみたいに部活でやって終了

KKOのKにキモいが含まれているけど実際は金がないおじさんが正解

今は金さえあれば嫁は買える

女も公務員だと言われたら安心してついてくる

親は昭和世代恋愛結婚価値観から昭和世代が若かった時代価値観が逆転してるんだ

岐路につき振り返る

いろいろ区切りがついたので振り返ってみます

自分は人より優れていると思ってました。子供の頃からなんでもそつなくこなし結構うまくやれていたほうだと思っています

勉強はやらなくても授業を聞いてるだけで上位5%くらいの成績は取れていました。運動はみんなで遊ぶとき上手い部類のグループでした。友達もいつも学校の昼休みには毎日みんなとグラウンドで遊び、学校が終わればいつもの奴らとゲームしたりサッカーをしたりして遊んでいました。

ただ、

いつから運動部活を始めると自分以上にできる人間がたくさんいることに気づきました、自分がやせ形な体質で太らない、筋肉がつかないこともあり周りとの差がどんどん開いていくのを感じました。いくら練習を積んでも埋まらない差に毎日悔しさを感じる日々を過ごすようになりました。

いつから自分はみんなとそれなりに仲は良くても特定メンバーで遊んでいるわけではなくその場にいる人間となあなあの関係になっていることに気づきました、いつもの奴らは別の知らないいつもの奴らと遊んでいました、周りを見るといつも同じメンツで遊んでいる仲のよさそうなグループ達があり、そこに自分1人だけ浮いているような感覚を覚えては空虚さを感じる日々を過ごすようになりました。

自分は朝が苦手でした、毎朝遅刻しては教師に「そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。」という言葉を鼻で笑っていました。自分には謎の自信があったのです、他人より優れているのになぜそんなことを気にしなければいけないのかと、その気になれば平気でやっていけると本気で思っていました。

実際はみんなが当たり前のようにできていることをできていないだけのただの劣等生ということを自分は知ろうとしませんでした。今思えばただ目をそらしていただけでした、やろうとしてできていないことをやっていないだけと自分の都合のいいように解釈して、後回しにして逃げていただけでした。

やりたいことも無く漠然と用意されたレールの上をなるべく楽なほうへと進んできた自分社会に出て気づきました。自分落ちこぼれだと。

まりに遅すぎました、会社では当たり前のことで叱られる毎日が過ぎ自らの首を過去自分の過ちが締めるような日々が続きます。疲れて帰った先には疲れをいやしてくれる趣味も無く、労ってくれる友も無く、ただ周りに迷惑をかけ足を引っ張る自分がいて、自分勝手に立ち、周りを見下していた台は張りぼてで出来ていました。本当の自分立ち位置に気づいた頃には周りに手を伸ばそうにもとっくに届かないほどの差ができていました。

文字に起こすと本当に薄っぺら人生で精一杯具体的に書いてもこの程度の人生しか歩んでこなかったわけです。笑えますよね。

本当に愚かな失敗作と呼ぶに相応しい平成人間人生でした。

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