自分の学校でイジメが行われている少中高生に届いて欲しいと思って書く。
私は、今話題の不登校小学生YouTuberに関する記事を見る度、思い浮かぶものがある。
かつて自分が加担したイジメによって不登校になったクラスメート達の顔だ。
私がいた小学校では、イジメが行われていた。そして私は、それを止める事はおろか静観する事もなく、自己防衛のためにある種それに加担さえしていた。
「そうしなければ自分が標的になっていた」という自己弁護もできるかも知れないが、大方のイジメはそういった種類の人間によって支えられているものだと思う。
「自分はイジメの首謀者ではない」あの時の誰もがそう言うと思うが、私を含め全員が首謀者であったのだ。
イジメの種類としては、呼び出して暴行を加えたり、どこかに閉じ込めたり、物を隠したりといった積極的なものではなく、
陰で「○○菌」など言って避け、存在を無視するといった、陰湿なものだった。
そしてその標的となったのは2人の女子であった。
そのうち1人はイジメを理由に市内のどこかの小学校へ転校していった。大学生の頃Facebookで見つけたが、楽しい生活を送っているようだった。
それによって私の罪が軽くなる事は決して無いが、非常にホッとしたのを覚えている。実に身勝手な感情だと思う。
もう1人は、不登校になった。正確には覚えていないが、小学校6年間のうち数年間に渡って不登校になった。卒業アルバムの写真は、1人だけスナップ写真が使われていた。
中学に入り、一時期学校に来ていたが、小学校時代ほどあからさまではないものの、本質的には変わらない私達の対応で、またすぐに不登校になった。
小中学校を共に過ごした私達は、中学校を卒業し、各々の学力に応じた高校に散らばった。
過去数年間の学年と比べて高校の進学実績が良かったため、親や教師は「この学年は出来が良い」などと言った。
各々が部活や恋愛で思い出を作り、自分の中学生活を肯定し、晴れやかな顔で卒業式を迎えた。寂しさで涙を流す者もいた。
皆、自分達がその人生を壊した"彼女ら"の存在を、忘れていたり、忘れたフリをしていた。
その後、成人式などの機会で何度か顔を合わせる場があったが、"彼女ら"の事は一度も話題に上がらなかった。
誰もがその話題を避け、決して話そうとしなかった。
私の犯した罪は、15年以上が経った今、どういった手段によっても贖えるものではないだろう。
そして、今私がどういった種類のアクションを起こしても、誰の得にもならないだろう。
だがもし、何かのめぐり合わせで、"彼女ら"と同じ職場になったり、子供同士が同じクラスになったりして、
"彼女ら"と顔を合わせる事があったら、私はどうするだろうか。
きっと、何らかの形でアプローチし、許しを乞うだろう。
許されるはずもないのに、罪の意識に耐えられず、許しを乞うに違いない。
幼いゆえに最も残酷なやり方でもって、"彼女ら"の人生を壊し、「幼いゆえに」という方便を使い、その責任に向き合う事を放棄してきた。
娘ができたからだ。何事もなく成長し、来年には小学校に入学する年になった。
公園で遊ぶ娘の笑顔を見た時、遠い記憶の中の"彼女ら"の顔が、自分の娘の顔に重なった。
その瞬間、身の毛もよだつほど恐ろしくなった。今目の前にいるような少女の人生を、無慈悲に踏みにじり、その事実に目をつぶってきた自分が、酷くおぞましいもののように思えた。
自分には子供を育てる資格はないのでは。いや、幸せになる資格すら無いのでは、と思った。
「未来ある小学生の人生を自分の手で壊した」という否定しようのない事実に、私は今この瞬間も苦しみ続けている。
そして、一生苦しみ続けるべきなんだろうと思う。それしか、私にできる事は無いのだと思う。
もし、これを読んでいるあなたが、イジメに加担しているのならば、
いつか必ず、その罪に向き合わなければならない時が来ます。
そして、その十字架を一生背負って生きていくという重みについて考えてみて欲しい。
その十字架を背負わない為には、今から行動を起こすしかありません。
またもし、これを読んでいるあなたが、イジメを受けているのならば、逃げて下さい。
そして、自分を肯定して下さい。イジメを受けているのはあなたが悪いのではなく、学校やクラスメート等の環境が悪いのです。
転校するのも良いかも知れません。フリースクールに通うのも良いかも知れません。家でできることを探すのも良いかも知れません。
不登校YouTuberの言う通り、不登校は不幸ではありません。学校に通うことは、幸せになる唯一の道ではありません。
うんち
なんで生きてるの?
陶酔感がキモすぎる
人の人生で気持ちよくなるなよ。こいつ思い出したわ。https://anond.hatelabo.jp/20190506013028