はてなキーワード: 荻上チキとは
正直に言おう。ベッキーが不倫をしたとき、舛添が責められたとき、「いいぞ! もっとやれ!」と思った。それは、彼/彼女らが十分に強者だとおもったから。あいつらはいくらでも矢を浴びていい、ざまあみろと思った。
いまは、ちきりんがイジメられていたという一点だけで、あまり彼を責めないでほしいとさえ思っている。
頑張れチキりん!!!!
ベッキーの不倫騒動を皮切りに、著名人の不倫が文春や新潮に次々に暴かれて少々食傷気味だったのだが、昨日の評論家の荻上チキ氏の不倫には誰もが驚いたのではないだろうか。
「あの真面目な荻上さんが、どうして?」
と私も思った。
彼のような真摯な人間がするのならば、誰だってする可能性がある。
既婚者である自分が、不倫を絶対にしてはならない、と気持ちを引き締めた時に、ふとひらめいたのが冒頭の標語である。
ヘロインや覚醒剤の害悪が知れ渡っているのに、それでも人がドラッグに手を染めるのは、極上の快感を得られるから。
『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』
『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』
だという。
覚醒剤も、ヘロインよりも劣るとはいえ通常のセックスの数十倍の快感を得られるらしい。
だから、常習者はやめられない。
不倫(結婚後の愛人との性交渉)も、浮気(彼氏彼女以外の人との性交渉)も、常習性が高いことはよく知られている。
なぜなら不倫も浮気も、通常の恋愛よりも気持ちがいいからだ。楽しいからだ。快感が増すからだ。
特に不倫は、背徳感でセックスの快感が倍増し、脳内麻薬がドバドバ出るらしい。
たいていの場合、不倫がばれたあとに離婚となるのだが、不倫相手とそのあと結婚したとしても、だいたい数年でわかれるパターンが多い。
元々背徳感があったから快感を得ていたのであって、それが日常のものとなったら、一気に感情が醒めるからだろう。
特に愛人だった側の気持ちが一気に醒めるらしく、そうなると不倫をするような貞操観念も道徳規範もないような人間だから、すぐに愛想をつかして、再びの快感を求めてほかの人間へと走る。
幸せを失わないためにも、不倫や浮気はヘロインや覚醒剤と同じくらい、危険なものだ、という強い危機感を持ってもらいたいとおもう。
なお、そのあとに続く言葉として、
という言葉も考えた。
「不倫や浮気はダメだが、風俗はあくまで遊び。大麻と同じで、世間は騒ぐが実は常習性もなく健全な薬物」
これはある。もう消されてしまったが事件直後まで生存していた以下の記事(アウトランダーPHEVのタイアップ記事)でも、「コメンテーターとして気をつけていること」を聞かれ、「一般人の代表者としてなるべく中立的な立場からためになるコメントすること」を心がけており、そのために「具体的な数字を出すこと」は大事だと言っている。
時間を我が物にする/東洋経済オンライン(削除済み)
コメンテーターを担当するにあたって彼はそれなりにその分野の知識を調べようとしてきたのだろう。入門書やネット記事を探して読むくらいのことはやってたはずだ。
といっても「概説」以上の域を出ていたとは言いがたい。
具体的な数字(だいたいはパーセンテージ)や専門的な単語(だいたいは横文字)だけを拾い、一般論的な文章の単語と矢継ぎ早に置き換えていくことで、「それっぽい」雰囲気を出していたにすぎない。
一部のラジオリスナーからは「話が明晰」「わかりやすい」などといった擁護意見が出ていたが、元となる文章が平易なのだからあたりまえだ。
それをあの低音ボイスで述べるものだから、なんとなく説得的でプロっぽく聞こえていただけだ。
気位の高いラジオリスナー、特に政治経済チャンネルを聞いている奴らほどチョロい人種はいない。俺もセッション22で紹介された本はだいたい買ってる。
反面、彼の「聞く技術」はラジオパーソナリティとしては基本に忠実かつ理想的だ。
彼は担当している番組上、学者などの専門家的な人々とトークする機会が多い。
MCとゲストの専門家なら、MCは「生徒役」として聞き手に回る。あたりまえの話なように思えるかもしれないがショーンKはこれが徹底できている。徹底せざるを得ない、と言ってもいいかもしれない。
ラジオパーソナリティというのはその人物がインテリであればあるほど、大なり小なり「自分を」喋りたがる。
ゲストが筋道だててきっちり話しているのに、余計な単語を拾ってそこから脇道へそれてしまうテレビのバラエティショー的な愚を犯すMCも多い。
そうでなくても、たとえば荻上チキりんなどは普段はそういう欲求をおさえて話に耳を傾けるタイプなのだが、ゲストはポリティカル・コレクトネスやファクトに反した発言したさいは絶対に看過しない。
彼はゲストだけでなく、オーディエンスに対してより誠実であろうとしているのだろう。
MCは難しい。相槌ひとつうつのでも、頭が良すぎたら「ああ、言いたいことを我慢してるんだな」と、ちゃらんぽらんすぎたら「ああ、話に興味ない/理解してないんだな」ということをゲストにも視聴者にも悟られてしまう。
ショーンKは見事にその間を取る。
相槌を打つべきときはそれに徹し、何かリアクションを求められたり話が途切れたりしたときは即席で憶えた単語をパッチワークし、「それっぽい」コメントでつなげることはできる。
ゲストというのは自分の言いたいことを言うことにしか興味ない素人だ。なので、「それっぽい」コメントの内容が多少薄かったりおかしかったりしても、あまりに気にしない。かといって、相手にあんまりにポケーッとされるのも不快に感じる。適度に理解しつつ、俺の話の邪魔はしないでほしい。わがままな人種なのだ。大学教授なんかに多いタイプだ。
ショーンKはその手の人らの話を聞く技術に長けている。男向けホストの技術と呼んでもいいかもしれない。
相槌をうつタイミングと聞く態度と低音ヴォイスと理解度三十パーセントくらいのリアクション。
ベテランのラジオパーソナリティにしか身につかない呼吸を、ベテランのラジオパーソナリティゆえに修得している。
しかし、「気持よく他人に話をしてあげさせる」プロとしては超一流だ。
これは日本社会において、なかなかに有用な専門技術であるように思われる。
願わくば、彼に復帰の機会があたえられんことを。
1.結局この番組は個々人の意見の是非云々より、何故それを今話に出すのだ、どういう話の流れにしたいんだ?という事の方が目に付いてしまう。たとえば、三浦氏は「何故そういう現象が起きるのか」というのをちょっと引いた視点から説明するという意味でバックグラウンドがしっかりしていると思うし(アカデミアだから当然だろうが)、逆に自民や民主の政治家は主張を繰り返して非難合戦しているばかりだし、荻原って人はむやみやたらにどれだけ重要な意味があるのか分からない話を広げて闇雲にしゃべっている印象を感じるし、駒崎氏は自分の活動に関してプロフェッショナルだという自負があるからか専門外のことには進んで発言機会を適切な人に譲る。古市氏はまた三浦氏と違ってアカデミアではかなり発言がライト寄な気がする。というかバックグラウンドが余り見えてこないタイプの発言をする。総じて感じたのは、人の言っていることをちゃんと理解しようとしている人は発言自体も筋が通っているし(今日で言えば学者系、実務系)、そうではない人は自分自身の意見も訳が分からない(政治家系、"文化人"系)、ということかもしれない。
2.
正規vs非正規かという議論は、そもそも何故非正規に付く人が増えたのか、というところの検証を広くしないと意味が無いのにそこを避けてばかり。企業としては正規にしても非正規にしても、利益がある方を選ぶだけの話で、じゃあ企業にとって正規という投資をする人材が労働市場にいないのか、もしくはそういう人材のリターンが技術や市場の変化で減ってきたのか、など色々外的要因があるのにもかかわらず企業の倫理の問題ばかりにしている。
ちなみに1と関連するが、ここでも三浦氏はユニクロとローソンの話で業種によって外的要因が異なるという話をしていて(ロジック的に正しかったのかよく分からないことは留保しつつも)重要なポイントだと思ったが、執拗にローソンの話をする荻原氏は若干滑稽に映った。また介護士の話の時にも、介護士の賃金をどうやって上げるか、税金をどれだけ突っ込むか、財源はどうするかと言った話に場は終始していたが、三浦氏は現状の競争が抑えられたスキームのせいで労働市場がゆがんでおりそのせいで賃金を上がっていないのかもしれないので、もう一回規制緩和などで業界ルールを設定しなおして自然と賃金が上がるようにしていくことを検討すべきだ、という傾聴に値する、少しメタ的な話をしてたが、荻原氏は規制緩和という言葉だけを捉えてか何を言っているの?という態度で、意見の是非の前に全く話が通じていなかったようだ。荻原氏はテレビに良く出る人ではあるらしいが、今回の番組を見る限り個人的には知的能力に疑問を持たざるを得なかったし、そういう人が出演し続ける番組にもあまり良いイメージは持てない。
3
こういう不毛なプロレス合戦はもう良いし、田原氏もそうは長くないと思われるので、そろそろ荻上チキ氏が仕切る大型討論番組を見てみたい。
清教徒革命→庶民から伸長した富裕層の不満と王の経済政策における失錯
アメリカ独立戦争→事実上、一大国家が樹立されてんのにガキ扱いされて代表送れないとかおかしいじゃん?という全国民的な不満がボストン港をティーポットに
フランス革命→飢えた庶民を知識層が煽っていたらコントロールできなくなった
ロシア革命→産革以降の資本主義のひずみに対応できなかったことによる庶民の貧困と不満
このうち庶民のデモや暴動から直接革命に繋がったのは、米独立戦争、フランス革命、ロシア革命、イラン革命。
特にフランス革命やロシア革命は、腹減ったからパンよこせデモから始まってるんだよね。
この前、選挙学者?の西田亮介が出演したラジオ番組で安保デモを評して、「ああいう日常とかけ離れたイシューでやるよりは、もっと生活に密着したことでデモやるほうがいいんじゃねえかな」などとぼんやりした発言して荻上チキりんやtwitterのみなさまから鋭いツッコミを受けてたけど、彼は彼なりにこういう背景を踏まえたうえで言ってたんじゃないかと思う。
デモが本当に革命を起こすとしたら、現体制の代替となる思想が広まったときではなく、大多数の都市部貧困層が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき(あるいは思想信条宗教的に同様の状況に立たされたとき)しかない。
その切実さは今の日本には、もちろんない。
歴史的に言って、革命とは「やりたいから」起こるのではなくて、「必要だから」起こる。外圧とか白色テロル的な場合を除けばね。
しかしまあ、SEALsの人がこの前の小林よしのりとの対談で言ってたとおり、いまどき誰も「デモで革命」なんて求めてないんだろうけれど。
彼の看板番組『session-22』では毎回各分野の専門家を招いておもしろ生トークを行っている。
で、この「専門家」たちが曲者で、要するにオタクという生き物は何かと無神経だ。
彼らの無神経さが特に発揮されるのが、内輪ギャグを言おうとするとき。
専門家の内輪ギャグとは即ち業界ジョークであり、パンピーの視聴者には面白い面白くない以前に理解不能であることが多い。
しかし専門家はそのへんの機微がわからないので、ついついサービス精神から内輪ギャグを口走ってしまう。そして、往々にして内輪ギャグは「不謹慎」「無神経」になりがちだ。
それをチキさんは軽やかにスルーする。ノリが軽めのセッションの場合は受けに回ることも多いが、政治ネタなどの真面目なトーンのときはギャグをギャグと理解できないフリしてスルーする。『session-22』に出る人はたいがい頭のよろしい知識人様どもでありますから、「スルーされること」で次から気をつけるように鳴る。(時に相手が明らかに配慮の足りない発言をした場合はチキりんりん直々に注意が飛ぶこともある)
あまりに自然にスルーので聴いてるほうで「あ、これはスルーしたな」と察知するまで少しラグが生じ、気づいたころにはもう次の話題に移っているので気にしてる暇がない。頭の回転と口のまわりの早いチキりん一流のトーク術がさりげなく発揮されているのである。
ところで、ここで確認しておきたいのだが、内輪ギャグそのものが政治的に正しくない発言を生むわけではない。「内輪ギャグを言ってもいい雰囲気」、狭いサークル内で誰かによっかかれる雰囲気というのが政治的に正しくない発言を生むのだ。
おやじ社員のセクハラはその時代の雰囲気、その社内の雰囲気がセクハラを許容する(と本人がみなしている)から発生してしまうのだ。
その雰囲気を確認する手段が寄っかかりである。内輪ギャグを対面の相手に振ることで「内輪」の流れを作り出し、政治的に正しくない土壌を耕すのである。人によってはこれを「マウンティング」と呼称するかもしれない。
チキりんりんさん氏はこの流れをせき止める。峻拒する。飲み会でやれば親父を「なんだこの空気の読めない若造は」と鼻白ませる行為であるが、『session-22』はチキチキマシーンりんりんさん氏の番組であり、場の空気とは彼のことだ。彼が気に入らないと言えば、それは通らない。
彼が徹底的につまらない内輪ギャグをスルー、あるいは叱責することで『session-22』はリベラル番組として、政治的な正しさを担保している。しかも決して攻撃的ではない形で、上品な形で、である。右といえば極右、左と言えば極左にドリフトをキメてしまいがちな生まれついての走り屋人種日本人にあって、このバランス感覚は稀有といってもいい。(ただしイケボにかぎる)
ポリティカル・コレクト的に正しいトークがなんたるかを知りたい人はTBSラジオ『session-22』を聴こう!
http://news.livedoor.com/article/detail/10211795/
平沢氏によると、現在、南シナ海に中国が進出してきているという。そのために、日米同盟の信頼関係を強化して、中国への抑止力を高めることが、安全保障関連法案の目的であることを主張した。
その後、司会の荻上チキ氏がリスナーからの「平沢勝栄氏が出演されるということなので、中国の脅威を”過度”に象徴してこの法案の必要性を説くだろうと思います。聞きたいのは、中国の脅威に対する、今回のの安保法制の具体的な必要性はなんなのでしょうか」という質問を紹介した。
質問を受けて、平沢氏は「『過度に』って言ってましたけどね、どうかしてるんじゃないですか。今の南シナ海の現実を、この方はあまりにも知らなすぎます」と強い口調で反論した。
平沢氏は、第2次世界対戦後から中国は南シナ海に進出してきていることを説明し、歴史的にもさまざまな国で大国が去った後に進出していることを力説した。
一方、安部首相はホルムズ海峡の話しかしておらず、中国については触れないスタンスであるらしい。
政府としては首相だけがかしこまっていれば済む話なんだろうか。
そもそもどういう仕組になっているのかよくわからない。
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
キートン増田「ギリシア・ローマ時代、競技は生死を賭けた神聖な戦いだったのです……
これが賭博の起源ですね。賭博は今日、遊戯として発展し、一方ではネットサービスになった。
一定期間内に、言及先が燃えるか燃えないかに魂を賭け合うサービス……
すなわちはてなブックマークです」
キートン増田「やめておけ。本ブログで発表したほうが、増田より伸びると思っているんだろう。
思ったより読まれないかもしれないし、思い通りの読者層にリーチするとは限らん。
トピ主「あんた、あたしがうす汚いブロガーだから、ブクマする気もしない…そうよね!?
自分をウォッチャーだと思って、そこから単著を出そうとする奴は、ウォッチャーとは言わない!
それはアルファブロガーだ」
何もかも許して、生きてゆけるような気がする……」
guldeen「いや、申し訳ない。悪いのはこの星なんだ。
kanose「増田さんはあのシロクマを見て、どう思いますか?」
増田「世界一、幸せなシロクマだ。安定した職業、贅沢な知名度、酒、ネットの友人たちからの畏敬。そして極上のキャラ付け……」
kanose「私は不幸なクマだと思いました。ネットに退屈しきっている。感動もない。そして……自分でそのことを知っている」
xevra「匿名にクセのない文体、それにうんこネタは、実際には特定を避けやすく、ウケもいい。
知ってやっているとすれば、あの男、ただ者ではない……」
xevra「……プリントアウトしてやれ!
orangestar「子供の頃、どうしてidはたくさんあるのって、シナモンに聞いたの。
ラノベ天狗「子供の頃、よくついたらを狩りにいった…最初の獲物はラノベ叩きだった。
私の打ったRTは、炎上好きの琴線に触れた…叩き屋は足をひきずって逃げていった。
ただしさを失った本読みは、生きているより不幸だ…だが、私は何もしなかった。
はてなにいた頃はツッコミどころ満載の記事でブックマークを荒稼ぎした。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が250万部超の大ヒットとなり、はてな村民を土下座に追い込む。
当時からライター、小説家として活躍。「ロスト・ケア」「絶叫」はこのミスなどでも高く評価される。
小説家として「虐殺器官」「ハーモニー」などを送り出し、日本SF界に多大な影響を与えるも夭折。
ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」。
はてなの取締役として積極的にブログを更新し、また一般にもWeb2.0の伝道師として名を上げる。
映画評論家。雑誌「映画秘宝」を創刊。実写映画「進撃の巨人」の脚本を執筆。
ブログは「【A面】犬にかぶらせろ!」。