はてなキーワード: 無意識とは
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
"ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣"を読んだ。
小さい習慣を積み重ねることで大きな目標を達成することができるという内容だ。
小さな習慣を積み重ね無意識化することで作業の取り掛かりと負担を少なくしリソースの消費を抑えられる。
パソコンつけたら無条件でち○んこを触る習慣が身についてしまっていた。
パソコンはネットサーフィン、YouTube、作業などに加えおかずビューワーとしても使っている。
パソコン = おかずビューワー という認識が無意識のうちに身についているようで、パソコンつけるだけで股間がうずいて股間を触っていることに気がついてしまった。
タワマン・マウンティングのはてぶトップコメントがlady_joke氏。(2022年1月23日20:00現在)
さて最近のlady_joker氏のはてぶは・・・とlady_joke氏の名前のところをクリックしてみると・・・
lady_joker でなく lady_joke
だった(アイコンは全く同じか、ほぼ同じ)
これは
1.全くの別人がlady_joker氏のはてぶ内知名度を利用して注目を浴びようとしている、
もしくはlady_joker氏の人格を棄損しようとしている。
2.lady_joker氏の心に潜むダークサイドを具現化させたのがlady_jokeというアカウント。
本人は無意識のうちにやっているに違いない!
色々ストレスひどいのか、机に向かって作業をしていると無意識に必ずやってしまう。
やめたくてもやめられなくて、どうしたらいいのか。
やめようと思ううちはやめられないのはわかっているのだ。でも血が出るまでかいちゃうからやめないとまずい。
皮膚科に行くべきだろうか。同じような人いないかな。あとやめようって思い他のことに目を向けても、今度は血が出るまで耳かきしちゃう……。かさぶたフェチなのかな
ちなみにアトピーもちです。アトピーもちって言うと「うそー!」って驚かれるくらいには症状軽めだけど、子供の頃はケロイドレベルでひどかったし、皮膚に対するアレルギーもすごい多い気がする(このせいか?)
女性研究者が男性研究者に比べて苦労するのは由々しき問題だし、セクハラはアカデミアに限らず絶対に許せない問題だ。
ただ、それと呉座氏の問題を接続してしまうのはちょっと安易すぎる。
きっと自分の抱えている苦しみに近いキーワードだけ見て無意識に「いつものやつだ」って思い込んでしまったんだろう。
普段は冷静なid:font-da先生だって自分の苦悩に関することでは判断を誤る。
だが、ちょっと待ってほしい。呉座氏の発言で「セクハラ」の定義に該当するものがあっただろうか。
個人に向けた悪口はあったし、ミソジニー的な発言もあった。だから名誉毀損は疑いようがない。
しかしこれも、普段から各方面特に男性へ向けた暴論をネットで発している相手に対して
正面立って批判をすると総力戦になってしまうので、それを避けてこっそり揶揄したという経緯がある。
この呉座氏の行動はしょうもないし、卑怯だし、非難されても仕方がないけれど、その程度のことだ。
決してアカデミアに根付く男尊女卑の悪意から発せられたものでないことは明らかだ。
今起こっていることは、悪口の被害者が批判されているのではない。
その被害を盾に、謝罪し和解して終わったはずのことに、後から明らかなオーバーキルの攻撃を続け
その正義と私怨を混同したやりすぎの部分や雑な運用が批判されていることを
id:font-da先生はどうか持ち前の冷静さとバランス感覚で理解してほしい。
部下の人の報告が毎回
「〜の件ですけど、いわゆるそのー、まあ、クレームといいますか、いわゆるそのートラブルが起こってまして、どういうことかと言うと、いわゆるそのー、まあ、資料の日付がそのー、実態と言いますか、それがまずいということで、いわゆる空白が良いとのことで、差し戻しといいますか、まあ、クレームではないんですけれども、」
と要領を得ないので少し困っている。
上記の話は「取引先から、文書の発行日付を空欄で再提出して欲しい、と要望された」というありふれた話だった。
自分は気が短い「いらち」な方だが、イライラして「何を言っているの?」とか「もうちょっと自分の中で整理してから喋ろう?」などとリアクションすると、今後たぶん自分に報告するのを怖がったり億劫になったりしちゃうので、意識して辛抱強く頷きながら聞くようにしている。
頭の回転の速い遅いよりも、喋ることを頭の中で事前に推敲できてないことが原因なように思う。
彼はむしろ頭の回転が速い方で、その速さゆえにいま喋ってる内容を、しばしば頭の回転が追い越し過ぎているように見える。
この部下の人を昇格するところまで持っていくのも自分の仕事なので、いかに簡潔にわかりやすく他人に説明する能力を身につけてもらうべきかと、少々悩ましい。
彼の今のトークは、大きな会議の場での説明や幹部にレクチャーするポジションにあまりにも向かず、また昇格の面談においても不利すぎる。
また、いわゆる「怒られ」を回避したい気持ちが「まあ、そのー」などの無駄な言葉を多用させるのには自分も身に覚えがあり、
自分が「怒りそうなオーラ」を無意識に出して彼を萎縮させているのが原因なのかもしれない、とも思う。
ただでさえ多忙な彼にあえて「報告前に要点を箇条書きで整理するようにしよう」などと指導するべきなんだろうか。
似たような悩みを克服した人がいたら、どうやって克服したかぜひ教えてほしい。
応募した理由は、テレビとかでインタビューされた人が語るような、キラキラした理由とかではなく
ただなんとなく、やったらなんか楽しいかな、面白いかなと思っただけ。
ほんとにこれだけ。だから受かるなんてこれっっっっぽっちも思っていなかった。
オリエンテーリングのときに軽い面接があったが、同じグループの人がキラキラしながら志望理由を言っていて、ああ落ちたなと思っていた。
だからその後の連絡は全く期待していなかった。
研修の知らせが来たときはマジでびっくりした。まじかーーーーーーーーーーだった。
そのあと研修に行き、E-ラーニングをやり、会場と役割が決まったあとに、延期が決まった。
延期が決まった後は連絡がくるまで何も気にしなかった。
2021年の年明けくらいからzoomでオンライン講習が始まった。
希望制だったが、せっかく参加するならと色々受けてみた。
LGBTやオリンピックの歴史、障がい者スポーツ、英語など、受けてみては、ほーーーーーんと思った、
そうして4月にようやくシフトがきた。
思ったよりもハードではなく、これなら全部いけるなという感じだった。
よくよく考えてみたら、この会場の競技日全部にシフトが入っているだけだった。
そして簡単だった。
5月に会場の近くでユニフォームを受け取った。
初めて会場まで行った。
意外に行けるなぁと思った。
話はそれるが、私は数年前に仕事を辞めている。
知人は「運が悪かったんだよ」や「あなたの入った部署はおかしい」などとフォローしてくれたが、
私はそうは思えなかった。
最も、辞めた直後は、かなり精神的にやられていて、無意識に家から飛び出してしまい、同居人に探されることもあったくらいだが。
今はだいぶ落ち着いて、慣れたところでアルバイトができるくらいまでになった。
でも人が多いとこは怖いのだ。
また、そうなったらどうしよーーーーなんて思っていた。
7月になり会場での研修があった、
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
専門家でも何でもないからわかった風なことを言うべきではないとは思うんだけど、でも。
それに対して傷ついた、傷ついていると言葉にし文字に起こすのは大変だったと思う。
でも今それをして、もしかしたらだけど無意識に自分を客観視しているのかな、なんて素人分析しちゃった。
アダルトチルドレン関連のサイトや書籍って沢山あるし、きっとしんどいかもしれないけれど、
でも少し心の余裕が持てそうなときに眺めてみたらどうだろう。
読んでいるだけで胸が痛んだんだから、元増田氏の心の傷は想像もできないくらいだと思う。
もし可能ならカウンセリングやセラピーなど受けて、心の平安を取り戻せたらと祈ります。
他のコメントにもあるように認知行動療法やジャーナリング、ナラティブセラピー等々色々あるし
自助グループ的なものを探したり、(自分だけじゃないんだ!仲間がいる!って、実感できて個人的にはとても癒された)そんな方法もあるだろうし。
まずはアダルトチルドレンを検索してみることを勧めさせてほしい。
既知だったら本当ごめんなさい。
とにもかくにも今まで31年間も頑張ってきたことに胸を張ってください。
ゆっくりせめて心だけでも休めてね。
タイトル通り。どうすればいいんだろう。
新婚さんいらっしゃいを見ながら恋人に「いつ結婚する?」と聞いたら「え、結婚する気ないよ」と言われた。
めちゃめちゃびっくりして、きょどりながら「なんで?」って聞いたら理由は自分の浮気だった。
頭が真っ白になった。
次に出た「なんで」は無意識だった。「なにが」と聞かれ、なにを聞きたいのか考えなければならなくなって、言葉がすぐには出てこなかった。
「なんで言わなかったの」
「なんで別れなかったの」
「付き合ってるの楽だし他に探すの面倒だから」
「ごめん」
「謝らなくていいよ、それより結婚する気あったんだ」
何も言えなかった。
そのあと「結婚したいなら他の人を探してね」と言われて会話は終わった。
1か月くらいしてから婚活のためにマッチングアプリに登録した。
数十人の人とメッセージを交わして、何人かの人とは会ってお茶もした。
けれど恋人と比べてしまって、ふとした瞬間に冷めてしまう自分がいる。
恋人は今でも優しい。
好きなものも嫌いなものもお互いに分かっていて、会話のテンポも心地よくて、同じテレビや映画を見て一緒に楽しめる。
自分はどうすればいいんだろう。
まず釣りスレに釣りだとコメントするやつも釣られていることを自覚しろ。
別に相談に乗ってほしくて書いたわけじゃない、自分が100%悪いのは分かってるよ、ただの日記で自問自答でチラ裏の落書きだよ。
恋人はもう3年させてくれない。ずっと誘ってたけど。
でもそれでも楽しかったから付き合ってたし結婚したいとも思ってた、自分は子供いらないから求められなくて楽だとも思ってたし。
>増田の不安はいつかあっさりと乗り換えられてなおかつあっさりと忘れ去られる恐怖なんだろうなあ
今は恋人が一緒にいてくれるからいいけど、歳取ってからふらっと消えられてしまいそうで怖い。
将来ずっと独身でいるなんて考えたらゾッとする。
>性別を書くと男だからダメとか女だから許さんとかそういう性別を前提としたコメントになるので増田では性別は書かない方がいいんだよ。
自分はフェミもアンフェも大嫌いでお前らのオナニーに使われるなんてまっぴらごめんなんだよ。まさかこんなにコメント付くとは思ってなかったけどさ。
>居心地のいいぬるま湯でゆるやかに縛り付けてると思うとなかなか狡い。それも報復の一つの形?
でも時間が経ったり他にいいひと現れたら捨てられるよね。
>素直に結婚する気ないと答えるなんて優しい。復讐しようと思えばもっと引き伸ばしたり婚約だけして浮気の証拠押さえて慰謝料請求とかもできたのでは。
子供の頃、ずっとお気に入りのタオルを手放せなかった。不安な時にはすぐタオルの端を握ったり擦ったりしていた。親には大きくなるにつれて親な顔をされていた。
大人になって今、再びタオルを触ることにハマっているが、これは手汗のせいだと気づいた。
不安になったりストレスがかかると手汗が出る。タオルを指の股に通して手汗を吸収させる。タオルの素材が冷たい物であれば尚気持ちが良い。
多汗症や不安障害の毛があるお子さんはもしかして無意識にタオルで手汗を拭っているのかも。
自分は大人になってこの理屈に初めて気づいたし、子供の頃説明も出来なかったと思う。
もしお子さんに同様の癖があったら、タオルを取り上げないで欲しいし、多汗症や不安、ストレスのケアが必要ないかみてあげてほしい。
なるとかならないとかいうことではなくて、「そういえば」などという枕言葉を使って後から切り出すという行為そのものが、こちらの心理を一方的に推定したということを意味しているわけで、そのこと自体がキモいと感じるということ。
それを俺自身の問題だと言うのは、推定が正しくなるような標準的な心理状態を持っていないことを持って問題と言っているわけで、そのように社会の側から勝手に基準を適用されることがキモいのだ。
しかも、勝手に推測した側はクソほど的外れなのにも関わらず自分は絶対に正しいと信じて疑わない目をして「ふつうはわざとらしくならない」とか言ってくるわけじゃん。意識的だか無意識だか知らないけど「まずは寄り添って慰めてから本題に入るとよい」とかコールセンターのマニュアルだかみたいに思考して、ほらこうすればあなたの気持ちも軽くなったでしょ?とばかりにかましてくるわけじゃん。おめーはマジで何様なんだよって思うよね。
否定的な両親に育てられ、いわゆる自己肯定感の低い人間でしたが、結構な時間をかけ、わりと努力して、自己肯定感が高くなった者です。
昨今、自己肯定感は高いほうが良いと言われてますが、元低い人間にとっては一概にそう言えないと感じているので共有できれば....。
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低い→高いのデメリット、それはコミュニケーション能力低下という副作用が発症することです。
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自己肯定感が高くなったことで、自分に自信が持てるようになり、人との会話で自分の意見をはっきり言えるようになります。
しかし、悔しいですが無意識のうちに話し方などが親に似ます。子どもの頃にされて嫌だった、否定的・高圧的な話し方に私はなっていたんです。
似るというのは、遺伝子の問題ではなく、親と接した時間が長い=無意識のうちに強い影響を受けるという意味です。
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何度も何度も後から気づいて後悔するのですが、すべて後の祭りです。
とても親しい友人や家族以外、上手く話せなくなってしまいました。仕事も同様です。
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最近は常に「私はダメな人間だ、人様に教えていただいてなんとか生きていける程度のダメな人間なんだ」と言い聞かせて、必死に自己肯定しないように心がけています。
高いところから低くするのは難しく、苦悩の日々です。
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もちろんですが、自己肯定感は高いほうがいいです。
以前の私は、希死念慮に苦しみつつ、生きることも死ぬことも人様に迷惑がかかってしまうからと板挟みで死にそうでした。
何をしても楽しくない、この世の全てが憎く、そのくせ生きている自分を殺したくてしようがなかったです。
あの頃に比べて、現在は仕事以外は全て楽しいので普通の生活なのかもしれません。贅沢な悩みですよね。
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イラスト系サイトのマネタイズ化を目指す日曜起業スタッフみたいな人達の素朴なお話(Twitter Space)を聴いたのだけど、知識や感覚が素朴なだけに「(市井の)日本人が描くイラストはクォリティが高い」=「技術的に精密性が高い」という感じがした。諸外国に比べて、日本人はクォリティの高いイラスト技術を持つというよく語られてる話なんだけれども。もちろん技術だけではない「自分は今売れている新規クリエイターの作品をいいとは思わない」感覚的な話もあったけれど、それらは「それまであった常識がメディアや技術によって変容した」程度の話でしかない。その中に潜む連綿と紡がれてきた日本の(有り体に言えば日本の漫画・ゲーム・アニメ・映画など)倒錯性とその許容には全く興味がなさそうと言うか、自分が無意識に許容している戦後日本(戦後だけじゃないと思うが)かなり歪んだ個人的欲望・暴力性みたいな表現は意識的かつ無意識的(脱知識的)に忘れ去られて、あえて「じぶんのすきなものはきれいなもの」に仕立て上げられているのではないか。鬼滅の刃みたいなスラッシュホラーを現在国民的作品として当たり前のように消化している状況を、それほど不可解には感じてないように見える。あんなのアメリカ行ったらある程度知名度のあるパブリッシャーでもホラーやバイオレンス中心のインディペンデント系出版社くらいでしかできないと思われる。素朴さは素朴さであっていいんだけど、それをメディア的なものとして過剰に広い範囲で適用されると多分コンフリクトが起こるんだろうなあと思う。
You Tube見ないはもう言ってると思う。
あと、「ネトフリ見ない」っていうより「イカゲーム見ない」とか、ネトフリ限定コンテンツに対しては言ってそう。
自分もサブスク色々課金してるけど何も見ていない。私のアカウントで母親が死ぬほどドラマを見ているから無駄にはなっていないが。
関係ないが、自分は韓国モノを無意識に避けてしまうためドラマもアイドルも流行っているものが全く分からない状態になっている。
が、特に困らない。
You Tubeに関しても「流行っている動画」を見ているわけではなく、好きなASMR動画を見ているだけなのでやっぱり流行りものが分からない。
が、特に困らない。
勿論tiktokとかも見ない。見せられても面白いと感じない。感性が時代に追いついていないのだろう。
が、特に困らない。
人はこうして年を取っていくんだなあ。
でも「自分が見たいものだけ見れる(要らない情報は淘汰されて必要なものだけ入ってくる)」世の中になったのに、なんで好き好んで人様と同じもの見てるの?って思う。