イラスト系サイトのマネタイズ化を目指す日曜起業スタッフみたいな人達の素朴なお話(Twitter Space)を聴いたのだけど、知識や感覚が素朴なだけに「(市井の)日本人が描くイラストはクォリティが高い」=「技術的に精密性が高い」という感じがした。諸外国に比べて、日本人はクォリティの高いイラスト技術を持つというよく語られてる話なんだけれども。もちろん技術だけではない「自分は今売れている新規クリエイターの作品をいいとは思わない」感覚的な話もあったけれど、それらは「それまであった常識がメディアや技術によって変容した」程度の話でしかない。その中に潜む連綿と紡がれてきた日本の(有り体に言えば日本の漫画・ゲーム・アニメ・映画など)倒錯性とその許容には全く興味がなさそうと言うか、自分が無意識に許容している戦後日本(戦後だけじゃないと思うが)かなり歪んだ個人的欲望・暴力性みたいな表現は意識的かつ無意識的(脱知識的)に忘れ去られて、あえて「じぶんのすきなものはきれいなもの」に仕立て上げられているのではないか。鬼滅の刃みたいなスラッシュホラーを現在国民的作品として当たり前のように消化している状況を、それほど不可解には感じてないように見える。あんなのアメリカ行ったらある程度知名度のあるパブリッシャーでもホラーやバイオレンス中心のインディペンデント系出版社くらいでしかできないと思われる。素朴さは素朴さであっていいんだけど、それをメディア的なものとして過剰に広い範囲で適用されると多分コンフリクトが起こるんだろうなあと思う。
どっちの感覚が正しいのか分からんけど日本にも欧米にもエスノセントリズムはあると思うよ
エスノセントリズム エスノセントリズム エスノセントリズム少年ボウイ
でもアメリカのゲームってゾンビを虐殺するやつと銃で人殺すやつが9割だしなあ 鬼滅程度のグロは可愛いもんよ