はてなキーワード: 正論とは
本題の前に筆者の話。
鉄道会社勤務、6年目、車両整備担当のぺーぺー、入社前は撮り鉄だったけど、今はカメラは旅行にいくときしか触らない。
私の職場は車両基地という場所ゆえ、地元の方や、写真撮影の方、親子連れの人までさまざな方がまわりから見ていらっしゃる。
そんななか、ずばぬけて、あきらかにマニアが面倒なことをする人が多い。
こっちは仕事だけど、でも昔撮り鉄やってたし鉄道が好きな気持ちはわからくない。好きなことがあるのはいいことだと思う。
たとえば私の仕事場なら、敷地に入らないでくれって看板あるの無視して、撮影する人の多いこと。
そのたびに手を止めて、言いに行かなきゃならない。
「あの~、申し訳ないんですけど、撮影は敷地外からお願いできません?」
ただそんなことわざわざしてたらキリがないし、そんなことの対策に"わざわざ大げさに"お金かけてられない。
たぶん、一般的な教養、常識がある人ならおかしいって思うはずだ。
これが自浄作用、善悪の判断を失った撮り鉄の発言だ。ネタではなく、マジである。
ただ、すべての撮り鉄がすべてこんなのじゃないっていうのも合わせて付け加えておく。
ちゃんとやってはいけないことはもちろんわかってる撮り鉄もいる、それが普通なんだけどね。
だいたいニュースになる撮り鉄の行動・発言はおかしいレベルがずば抜けてる人たち。
自分の欲求(撮りたい理想のアングル)とやってはいけないこと(違法行為)だけは天秤にかけて、行動してもらいたいもの。
なんで、そうなってるんだろう?って考えてほしいよ。
妄想臨時列車の運用ダイヤとか自分のなかで○○所属の車両が××所属かわらないかなぁ~とか、バカみたいな妄想想像話よりいま撮り鉄に対して向けられてることにしっかり目を向けてよ。
話は逸れたが、こんな対応をこまごましているうちに時間はもちろん過ぎてゆく。
規模や内容がひどいとき以外、いちいち上司呼んでられないし、上司に時間割いてもらって下手にほかの作業指示遅れるなら私が対応したほうがまし。
でもどこかで無駄な労力はかかる。
そんな中、マニアが考えてやったことはなんだ?
過去、停車中の貨物列車のブレーキかけて緩まなくして、列車はもちろん普通に走って、あとで怖くなって申告して逮捕された高校生の話。
貨物列車はどうやら貨車1両1両に駅で単独で停車するときにかけるブレーキシステムがあるみたいで、それを触ったのだとか。
同業他社の知り合いの知り合いからちらっと聞いた話だけど、列車は止められて、点検して、車輪がだめになってるから最寄りの駅で貨車を切り離して、代わりの貨車に付け替えて、だめになった貨車から付け替えた貨車に荷物載せなおしたりして、ダイヤ乱れて出てったって。
同じような業界だからこそ、思ったのはたぶんいろんな社員さんが通常業務止めて、緊急対応で出動したり、対応に追われたんだろうなって話。
人身事故とか、不慮の事故とか、偶発的な車両故障とか、仕方ない件ならば、それも仕事なんだしやるんだけど。
他人様の、しかも鉄道が好きって言う人間がやった不始末を後始末しなきゃならないのよ。
尽力された方々、さぞかし今一般人が撮り鉄ウザイって思うよりもっとウザイって思っただろうね。
一人の撮り鉄だろうが、大勢の撮り鉄だろうが、みんなお金払って駅などにいる人たちは、撮り鉄だろうが撮り鉄じゃなかろうが平等なお客様。
撮り鉄が金払って駅入ってもお客様やけど、同じお金払って乗ってるお客様に迷惑かけたら、会社は手を打つよ。
「安全」をお金払って乗ってる人、すべて平等に「安全」なるようにしてるのよ。
さっきの私の仕事場の話ならば、移動してる車両の触車事故なんかされたらたまったもんじゃない。
鉄道は跳ねたらほぼ一発で死ぬことができる。私も移動する車両の横とかに立ってるだけでも怖いし危険。
おわりに。
私も写真撮る機会あるし、撮影機材も写真知らない素人より全然わかる人だからトラバの内容わかるけど。
あなたの機材なんて知ったこっちゃないし、まずは社員の仕事や鉄道で移動してるお客様の邪魔しないで。
別に写真撮るなって言わない。そら写りたくない人とかいたらそれは別だが撮るなと言わないよ、私は。
ただ、いまこの目を向けられてること、考えて。
意識ある人、良識のかけらが残ってる人、ちゃんとマナーや常識ある撮り鉄ライフを送って。
「昔は良かったんだから良いだろ」とすぐ主張する人、現実見て。今は昔じゃない、今に適応して。脳みそ動かして。
仮にものすごくまともな綱領とか体制をつくって旗揚げするだろ、
そうすると、どこにも行き場のなくなった野党の議員連中が寄ってくる。
政治団体って、議員がいないと政党になれないから、旗揚げしたばかりの団体にとって現職議員は魅力。
それがいままでの歴史で起こってきたこと。
トアル村の宿には公衆浴場があり、男湯、女湯、混浴、その他にも色々な専用浴場がある大規模なものであった。
ヴェノラ一行は様々な側面から考え、それらを秤にかけた結果、男女別で入ることを決めたのであった。
リ・イチとウロナは、何らかの効能があるかもしれないし、ないかもしれない温泉で旅の疲れを癒していた。
浴槽の湯が熱めなのか、外界との温度差なのか湯気がすごいことになっていて、あなたたち視聴者には湯気しか見えないかもしれないが。
なお、彼女たちはタオルを湯船につけてしまっているが、これは複数の公序良俗を秤にかけた結果であって、湯船にタオルをつけることを推奨した表現、演出ではございません。
「ウロナ、あなたはとても綺麗な肌ですね」
「それはどうも」
「触ってみてもよろしいですか?」
「そうですね。私が愚かでした。許してください」
「許しましょう」
何たる健全。
一方、ヴェノラたちは……
「隣の浴場から、仲間たちの声が聞こえるな」
「そうだな。周りに迷惑をかけるから、もう少し静かにするべきだ」
ヴェノラがふと辺りを見渡すと、疑わしい行動をする者がいた。
「む、そこのお前。何をしている」
「ノゾキだ」
不届き者の登場に二人は憤る。
「ノゾキはよくないことだぞ」
「なんだテメエ。如何にもノゾキしそうな顔をしているくせに、つまらない正論を吐きやがって」
何たる偏見。
「なんて奴だ。法の裁きを受けよ」
「残念だな。法はあっても、裁くものはなかろう」
「仕方がない、ならば俺がこらしめてやる。溜飲を下げさせてもらう」
改めて説明しなければならない。
「ジャストコーズ、オン!」
ヴェノラには独特のパワーが備わっており、彼は正当な理由があるとき目的を最大限遂行するための力を一時的にその身に宿すことができるのだ。
その正当なる拳の角度と熱さは45度。
「あっちいいいい」
子どもの小学校で知らない間に加入していた「PTA」。もう退会しますって言ったらダメかな?
思いながらきたけど、退会するって決めた。
もうこんな会費払って仕事休んでボランティアして、子どもほったらかして会議いかないといけない、意味不明団体はまっぴらごめんすぎて。
忙しくて寂しい思いをさせている子どもに申し訳ない。PTAには申し訳ないけど、わたしは子どもと家族を支えるために働くのが精いっぱい。ボランティアできるほど、余裕のある過程でも人間でもない。
行きたかったところに連れて行ってあげて、
子どもの話を聞いてあげたい。
しなければならないとも思っている。
申し訳ないけど、
納得いくボランティア団体なら、そこに参加する異議があるけど、PTAは納得いかないことが多い。
どうしてPTAは任意のボランティア団体なのに、強制加入と強制参加なんだ。どこのボランティアでも「強制」はしないんだけど。
うちの学校では、1家庭最低2役以上の活動が義務づけられている。役員ならもっと役割が多い。
それができないときは、PTA会員全員の前で理由を述べて賛同をもらうか、代役を自分で用意しなければならない。
活動は学校周辺や校庭の掃除、PTA協議会かなんかの勉強会とか、行事準備と片づけとかいろいろある。その日はもちろん仕事は休むのが当たり前。介護とかひとり親も「他のひとはできてるから」っていうことで、理由に含まれない。PTA保護者の役割過多がすごい。
PTAにはブラック企業でもなかなかないようなブラックなことが普通にある。普通に考えたら異常な光景だけど、集団になるとそれが当たり前に思える「集団心理」がきっとそこに働いている。気がする。
わざわざ全部保護者にさせんでも、掃除とかパトロールとか、会費で人雇えるところは人雇えばいいじゃん。シルバー人材とかセコムみたいなとこに委託すればいいじゃん。
あそこの家の子と遊んじゃいけないってなる始末。
そして、「子どものために」って言って保護者を洗脳してる感がなんとも。
「子どものためにPTAできないの?」は「お国のためにどうして戦争いかないの?」に近しいものを感じる。
「○○のために」ってつけたら、なんか正義っぽく聞こえる。
けど「○○のために」の使い方を一歩間違えると、第二次世界大戦の特攻隊みたいなことになる。
「お国のために」をつけると、自分の子どもさえも自爆テロさせることが正義になってしまう、集団心理の不思議。本当は異常なのに普通になじんでしまうことがある。
「子どものために」ってつけてPTA活動を強いられても、それで仕事休んで収入減るとか、親が子どもと過ごす時間が減ったりするなら、本末転倒。それを社会教育を主とするボランティア団体が強いるなら、それはもはや異常なのだ。
PTAなんて実態は、ただの上層部のエゴで行っていることにすぎない。
「子どものため」じゃない。
「PTA協議会のえらい人」とか「教育委員会とかのえらい人」のために、保護者がいいように使われてるだけ。PTAの実態は、日本が教育へ税金を捻出できてないから、会費払って保護者が無償労働しているだけなんだから。
PTAの保護者は「誰のために何の活動して会費を払っているのか」今一度考えてみてもいいと思う。
「みんなしてきたことだから」で、何も子どものためになっていない多くの現状がスルーされる。集団と習慣が、異常状態を麻痺させる。
親の時間のなかで、子どもと過ごす時間は教育に大切。親の最大の役割は子育て。
今日明日生きていくのにいっぱいいっぱいな子育て世帯に、ボランティアなんかできたらすごい。
子育ても仕事でも大変なのに、この上多忙なボランティアできたら、神レベル。わたしには無理。
このままじゃ子どもにもよくないし、
わたしにもよくない。
この時期になるとやはり新卒研修として一見意味のないことを強要したり、人格否定する会社が出て来る。
そのような人間と関わると、人生が台無しになり、大切なものを失ってしまう。成長のはずが、大切なものを失ってしまって何も残らないこともある。
私はそのような愚かな人間である。愚かな人間として、思い出したくないのでここに書き捨てておこうと思う。
自分の思い通りにならないだけなのに、「何も考えていない」などの言葉を投げつけてくるケース。
「成長のため」という大義名分のために当たり前のように正論を投げつけてくる。一見正論だが、言うべきタイミングに配慮するべきである。しかしそんなことは気にしない。
完璧な人間などいない。失敗は必ずするだろう。しかし、1つの小さな失敗をひたすら強い口調で責めてくる。
このような攻撃にあうと、ストレスで何かしらの精神疾患を患うこともあるだろう。そういうところをついてくるケース。非常に高いストレスの環境下にいて、上記のようないつでも強い緊張を強いられる場面において、「決める」ことができなくなってくれば、「そうやって黙りこくる」などの言葉を使って更に畳み掛けてくる。
総合すると、人間として非常に弱い部分を狙ってくる人間というのがいる、のである。それを成長という大義名分で何人も潰していく人間がいるのである。
そのような人間が上にいる会社に勤めていたとしても、どんなに頑張っていてもその頑張りは経営陣のフトコロに入るのが関の山で、自分の成長を吸われているようなものである。仮にそのような環境で、成長したいというなら止めはしないけれども、自分が不利になったと感じたらすぐさま逃げるための道を確保しておくべきである。
特に、個人が組織と闘うのは大変に困難である。労働組合などがないのであればなおさらで、何もできることはないので逃げるべきである。
次の転職に不利になると思って1年は耐えようとした結果、取り返しのつかないことになった。労働というものは、日本社会においての義務のうち、納税と強く関わってくるものである。働いていない人間の立場は非常に厳しい。
このような会社に努めて勤めて辞めざるを得なくなった後、数年が経ち、もうそろそろ上記の病気も治りそうではある。とはいえ、この間、誰にもどこにも助けてもらえなかった。その時のことを思い出すたびにあんなところに行かなければよかった、人生を無駄にしたと嘆くばかりである。
それでも、逃げられたのは病気が身体を止めてくれたからである。クリスマスだったり、住んでいた部屋が高層マンションや社宅だったりしたら、一歩間違えれば自分も死んでいた。
人間は成長する生き物であると思う。自分がどのようになりたいのか、何を大切にしているのか、どう大切にするべきなのかを常に意識する必要があったのだろう。頑張る、とか諦めないというのはただの思考停止だったのだ。
http://lullymiura.hatenadiary.jp
そのみうらなんたらはてなブログやってるぞ
ぴゃー
ぴゃー
2014年(平成26年)から『iRONNA』や『文藝春秋』、2015年(平成27年)から『正論』に度々コラムを寄稿している[13][14][15]。
ぴゃー
凄く長くなったので一言でここに表すと努力する力を含め将来への生きる自信がない。
セックスの頻度は週に2〜3回。
旦那はあと数年で精子の劣化が始まる年齢と言われる歳にもなる。二人きりの生活が楽しいので寂しくも感じる。旦那さんは自分の子孫ができることが嬉しいものだと私に説明をしてくれた。発達障害の遺伝の可能性も気にしていないらしい。
旦那の喜びを奪うわけにもいかないが、子供が出来れば家事すらギリギリの不器用な自分に子育てが増える、金銭的負担も増える。寂しいのが建前に見えてしまい悲しくなるほど、自分は子育てなんてキャパオーバーだと嘆いてるのだ。
頼れる家族はいない。親は無自覚だが祖母に入れられた宗教(カルトでない)の思考で出来ており、神の部分を世間や一般人に置き換え整合性の全く人は尊いと言いつつ、家族全体にはモラハラだらけ。私は無意識に罪悪感を感じて生きるようになった。小学校入学頃から対人恐怖になっていた。子供に合わせていい者ではない。旦那の方もよくないようで、酷い過干渉で逃げてきたらしい。
私はわかってくれる旦那一人で満足なのだが、旦那は子もいる家族を作りたいらしい。
子作り目的になってから私は安定剤を漢方薬にしてもらっている。その間に全く関係ないが婦人科に行った時には、排卵されてるのがカメラ?に写っていたが、まだ妊娠しないのである。
こんな時も頭に「貴方がそんな暗いから子供が逃げていくのよ」という母の言いそうな言葉が自動再生されるほど自分はポジティブにならなきゃいけないことに対して異常なノイローゼになり参っている。
自分が変わればいいと頭の声がずっと巡っており、生きてるだけで常に頭に説教めいた言葉が再生されるのだ。頭の中が常に自己啓発本の朗読をしていると言っていいだろう。
カウンセラーも通い、人を変えてみたりも何度かしたが、怒鳴られたり、否定され、その都度話を聞いてもらってるのに我侭だ失礼だと親から冷たく言われ、加えて認知療法しないと一生幸せになれないと脅しのような発言をされたり、治療のことを考えたり行ったりすること、それを思い出すことでより精神的に追い詰められてしまい、もう説教の一言にも耐えられなくなってしまった。
一年前に親から離れたのに今も思い出せば目の前の家事すら手につかなくなる。向上心がなくてはならないと言われる状況なのに、向上心が最も私をパニックに陥れているのだ。
精神医療を先にと提案されることを何度も想像したが、もうどうしたらいいのかよくわからなくなっている。世間的な美徳とされてるものにノイローゼの私には何が落ち着くものになるのだろう。
旦那の幸せを思うと本当に自分は旦那の前から消えなくてはならない。
頭の声を消すために曲を聴けば頭を酷使し、眠れば悪夢を見る。とても一人で生活できる者ではないのは確かだ。こんな自分に悲劇のヒロインぶってると一部増田は言うだろうし、実際昔母に言われた。母が常に一部増田のような発言をする親なのだ。
親の愚痴になりかけているが我慢出来ないことは事実であり非常に情けなく自己嫌。子供の頃から散々自信を持てと言われたが、何かすれば必ずパニックになる私には家事が限界だった。自分の今のポンコツな現状が限界であるし、発達障害の特性だからとか、ベストを尽くしていると医者や旦那は言ってくれる。私はその言葉に甘えているのか?と優しい言葉をかき消すこの正論のような頭の言葉を私はどうしたら良いんだろう。
平日週五で大学に通っている。一緒に住んでいる祖母は脳梗塞を一度患い、
言語に障害がある状態で比較的ボケてはいなかったのだけどボケも始まってきている。
一緒に住み始めてのころは買い物行ってきてーと言われて行ったりしてたんだけど、
しばらくして、ベッドから二・三歩のトイレまで歩けなくなり転倒をするほど悪化した。
体に異常があるのではなくて、日常的な運動が少なくて再発すると医師に言われたので、
家族でデイサービスを探して週五回(平日5日)運動するようにしようとみんなで決めた。
ただ、やはり週五回のリハビリは自由がかなりなくなってしまうので本人はかなり苦痛らしくしばしば休んでいた。
それでもなんとか週四回ぐらい行くように話をしていたし、退院してから治らないと嘆いているのを見ていられなくて、
本人は嫌がったんだけど良くならないと嘆いていたデイサービスのほうで
初めて下肢筋力がついてきたと報告されて効果が出始めたんだな…と思っていたし、本人にもそう話してはいた。
ただ、リハビリとデイサービスをこなすのは相当しんどいようでものすごい暴言を言われてしまった。
効果が出れば少しでも減らせると思ったのだが、話しても伝わらなくなっていった。
その後、言われたことに耐えられなくなってしまったので実家に戻った。
一ヶ月ほど自分が家を空けたがその時は週三回しか行かなかったみたいだった。
帰れと繰り返し言われたので、帰るからと言って準備をし、
これ以上はお互いのためにならないから一旦帰るねと冷静に伝えたが、
さっさと帰れという素振りを見せるだけで話を聞いてはくれなかった。
その後に母とデイサービスの視察にまた行き、細かくどれくらいの距離をやってるのかを記録して欲しいとお願いしにいったり、
風呂が狭くて嫌だと聞いていたので別の所に行けないか?と自分と母とケアマネージャーと話をしたりした。
その間も、しばらく帰らない方がお互いの関係のためでもあるし、自分の体は自分が一番わかっていて管理ができているというのが口癖だったので
しばらく経過を見ておこうと思っていたので二週間ほど戻らなかった。
その後、母と一緒に祖母の元に行く機会があったのだけど早く戻っておいでと言われた。
その時に、以前の暴言を言われたことを忘れられないのでもうしばらく戻らないと一度断ったが、
その時にお互いに尊重しよう、酷いことお互いに言わないようにしよう、週4回とりあえず行って少しずつ減らしていこうと話をした。
お互い納得の上生活してたんだけど、自分の大学が始まってバタバタし始めた。
帰ってきて行ってるかどうか忙しくて聞けなかった。
月曜日は行ったのだけど、こけてあざができたらしく火曜日、水曜日と休んでいたので
木曜日は行くように話をした。しかし、デイサービスの人が迎えに来なかった。
ヒステリックになりながら何故かわからないわたしが知りたいと言ったのだけど後々調べてみると
こけてあざができたから今週は行かないと電話をしていたというのを後で聞いた。
今まで、祖母に寝たきりになって欲しくないし、入院の時はずっと弱気なことを言っていたので入院もしないようにと思ってきた。
(血尿は入院していたときに一度だけで二度病院に車に乗せて行っている。
腎臓の石は年による小さいのがたくさんあって、直ちに問題はないとのことだった。)
と言って休み、それを言うとお前たちに言われたくないやここを往復している(狭い家の中を数回)と言うだけで全く聞いてくれなかった。
困り果てていたのですが、衰えを実感したのか話を聞いてくれる傾向が出てきていた。
そこで話をして母とも連携し、お風呂を変える、ヘルパー(家事をやってくれる家政婦さん)を週一回呼ぶという話が進み始めた。
その矢先に気が大きくなったのか私のことをグチグチと言ったり、行かないと駄目だよという言葉に反論しだしたりして正直困り果てている。
祖母に負担が大きいのは理解しようと努めていますし、大学にも毎日通っている。しかし、落ち着いてから仕事をしようと考えていても
仕事をしないことをなじられたりすることに関してはやはり納得が行かない。
効果がないとデイサービスに関して文句を私に言うのですが、その割には他のデイサービスの体験や話を熱心に聞いたりもせずなのでこちらも
母はもう言わなくていいよ。自分がしんどいことと嫌われる役をやるからと言ってくれるのですが一緒に食事する際にずっと愚痴を聞かされてしまい
リハビリに行かないのでどうしても話をせざるを得ない状況が続いている。
どうしたらうまくやっていけるでしょうか。正直2日に一回ほど1時間話をしたりして疲弊しています。
言ってもわからないので入院して歩行が回復してから戻ってきてもらうのが最善策なのかなとも思っています。
アドバイスを頂けると嬉しいです。
もう見てる方いないとは思いますがコメントとブックマークありがとうございました。
しんどいなと感じていたので助かりました。
親に任せて親の愚痴を聞いてあげるのがベストだね → はい。言葉はきついですが言ってることは正論だなぁと。
最善策 → 自分は母と意見交換しますが自分の意見が100%通るわけでも何でもないので勝手に思ってるだけですね。
親が無能 → 自分よりはるかに立ち回りと関係性作りがうまく、自分とは考えのプロセスなども違うので正直ものすごく尊敬しています。
後々、母の言葉を思い返してみると祖母との関係などに関しても適切な視点と対処策打ってるので自分とは比較にならないです。
まだ中学生の兄弟と関係が冷え込んだ父がいるので少しでも母の力になれたらいいなと思ったのですが、
自分が何かしても力になれないどころかこじれさせてしまうだけかもしれません。
悪化した時点で気づいてあげるべきだった → 本当にそのとおりなのですが、悪化し始めたときに気づくのって難しいと思うんですよね。
自分は専門家でもないですし、祖母の病気も全ては把握できていませんでしたし。
80代とうまくやっていける大学生の方が普通じゃねーわ 生きた時代が違いすぎるやん → ほんとにそうなんですよね。話題が乏しくなって愚痴を言ってたのかなぁとも考えています。
id:aoi-sora ありがとうございます。認めてもらえたのは率直にありがたいなと。
第一はオカルトというか、聞くに値しないと判断しました。北朝鮮がいくら馬鹿でも軍事に関してそんな楽観主義じゃあり得ないと思うんだよ。実際にミサイルで人が死んだらタダではすまないことぐらいわかるでしょ。あと、関係ないけど日本は唯一戦略爆撃のみ云々は幾ら何でも信じられないよ。
第二はごもっとも。多分アメリカが日本に核攻撃されようが核攻撃での報復はしないだろうって考えるよね。北朝鮮は別に石油産出国でもなければ植民地化したところで韓国とアメリカがさらに仲良くなるくらいのメリットしかないしね。しかも核なんて撃った日には中国とロシアが黙ってるはずないし、デメリットを考慮するとまずはない。というのは正論の気がする。
第三、これもよくわかんないね。
まとめると、まず後背地と言っても、日本はすでにあからさまに北朝鮮とは対立してる訳で、北朝鮮と対立するかどうか決めあぐねてる国と違うんじゃないかな。韓国と日本が仲良くなる事はまず無いとしても、北朝鮮との対立がミサイル1発で変わるっていうのは本気で核を東京に撃つぐらいの事が起きない限り想定できないんじゃ無いかなと思いました。そういう意味でなんの宣誓も無しにいきなりミサイルを日本に撃ち込むのはもう最後の捨て身であって、戦略もクソもないと判断するしかないし、今のところ北朝鮮政府がそこまでヤケクソだとも思えませんね。
管楽器を吹いてる人の後ろから押すのは危ないだろうし、それを指摘するのも分かるけど、ただ中止する程のことなのかなと。
「昨今管楽器を吹いてる人を後ろから押して怪我をさせる時間や事故が多発している」
という中でこのCM作ったら問題だろうけど、製作側にそんな意図は無いだろうし。
だからといって、ここで三ツ矢が
今回放送されたCMは青春の一ページを表現したものですが、ご指摘の通り演奏中の管楽器奏者背中を押す事は大変危険なので、今後の放送にはテロップを追加いたします
とかでもまた批判きただろうし。
創作物の設定に完璧を求め過ぎなのでは?と思う。何か1つ落ち度があったら皆でフルボッコにする。そして製作中止。
だから一番最初に指摘した人に対して思うのは、放送中止ではなくテロップ対応を求める位にしてほしかったな。
なんでもかんでも批判して中止にする流れは誰の為にもならないよ。つまらないやつばかり製造されるし、正論をぶらさげて指摘しまくるウンコ市民がどんどん出てくるよ。
たーくさん星が付いてるブコメ上位2つがこちら
id:wackunnpapa 注意喚起の記事すら全文が読めない朝日新聞。
id:kogumaneko335 注意喚起の記事くらい全文で読めるようにしてほしい
そりゃ新聞ってのは広く社会に対して呼びかける意義みたいなもんを持ってるんだろうし
食中毒の注意喚起って意味じゃ詳しい内容が多くの人に届いたほうがいいのは分かるんだけどさ
さらには校閲して図表入れてネット用に修正してとかアップするまでに色んな人が働いてるんだろうよ
そうして作られた記事に対して「注意喚起なんだから全文読ませろ」ってのはちょっと勝手なんじゃねーの
無料登録すりゃ読めますよ、でも無料分超えちゃったらお金払ってねってのはそんなに否定されるものかね?
国や地方自治体のサイトなら怒られるだろうけど新聞社だって民間企業なんだから当たり前の話だと思うんだが
「イラストレーターが安い金でイラスト描かされてる」とかいう話題だと「タダ働きさせるな」って怒るし
漫画や映画の違法アップロードに対しては「コンテンツには正当な対価払うのが当然」って正論言う人達が
確か10年ほど前に、ACが「電車はあなたの部屋ではありません」みたいなメッセージを打ち出したCMが流れていた。
部屋でヘッドホンをつけて音楽を大音量で流しながら、ハンバーガーを食べている青年だったが、実は部屋ではなくて電車内でそれをやっていた、という演出。
個々での認識としては以前からそれなりにあったと思うが、そのCMが流れて周知のものとなったということを考慮すると10年前くらいになると思う。
というか、この手の社会通念は、大体ACとかの公共広告機構が一枚噛んでいる気がする。
まあ、マナーとかの社会通念は咎める側も守らない側も主観が入り込む余地が多くて、そもそも理由自体が合理性を欠くというケースも少なくないからね~。
だからケースバイケースみたいな陳腐な結論にならざるを得ないというか。
マナーを謳う多くの人は「何となく不快だから」位にしか認識してなくて、それを正論に摩り替えて、大義名分に仕立て上げているだけだと思う。
でも、そういった感覚的なものの最大公約数として出来たマナーに関していうなら、理由が何であれ社会の均衡を保つ一助になるのも確か。
「自由」と「勝手」は違うわけだけど、まあ自分の行為が他人の許容だとか順応をアテにしたものでないのならば「自由」の範疇と捉えて、今後も享受していっても問題ないとは思うよ。
男性同士のカップルが里子を養育することになったというニュースを聞いた。子供を引き取って育てる、いいことだと思う。これがニュースにならない世界になればもっといいんだろうなと思う。
それはそれとして、SNSで勝手なことを言う人たちに、なぜだかどうしようもなく腹が立った。それをうまく言語化できずにいたのだけど、なんとなくまとまってきたので、今回書いてみようと思います。
私は母子家庭育ちだ。実の父親の顔も名前も人柄も生死も知らないし、自分のルーツへの興味もあんまりない。母は聡明で美しく、私を中高、そして現在大学四年生になるまで私学に入れて育ててくれた立派な女性だ。母に恋人がいても、私が「今さら父親はいらないから会う気はない。親の都合で苗字が変わるのも耐えられない」と突っぱねたのを母は尊重してくれたので、知らない男に家庭へ介入されることはなく現在まで育った。だから家をいやだと思ったこともなければ、自分を不幸だと思ったこともない。また、私の時代にはシングルマザーというものは既にそれなりにいたのもあってか、母子家庭だからといっていじめられたり偏見を持たれたりしたこともない。
今回の件で「子供がいじめられそう」「かわいそう」という意見に対して「かわいそうなんて視野狭窄」「いじめる方が悪い」というツイートがたくさんされていた。それは正論だと思った。私は悪意に満ちた人間なので、この人たち正論ふりかざして「自分は理解がありますよ」って顔して気持ち良いんだろうなとも思った。
いじめも偏見もないほうがいいし、あってはならない。けれどもこの人たちは、いじめと偏見さえ取り除けば子供が不幸にならないと思っているように見えた。そんなことはないだろう。いじめと偏見だけが子供を傷つける。その浅はかさと想像力の欠如に私は腹を立てているのだと思う。
私は同性カップルに育てられたわけではないから実際のところ何が起きるのかはわからないけれど、少なくとも母子家庭育ちで惨めな思いをすることはあった。「どうしてお父さんがいないの?」となんの悪意もない同級生に聞かれたことは一度や二度ではない。私は自分に父親がいない理由は知らないから答えようがないので、そういう時は内心「こっちが知りたいなあ」と思いつつ、いつも曖昧な笑みを浮かべていた。「お父さんがいない」って言うと面倒なことになるから、お父さんは遠くで働いてることにしようとたかだか5歳の子供の浅知恵で嘘をついたこともあった。それが嘘だとばれたときの気まずさといったらなかった。「お父さんについて作文を書きましょう」と言われた時に「お父さんがいません」と言い、仕方なくお母さんについて書き、発表したこともある。そういう時、私はどうしようもなく惨めな気持ちだった。そういうことまで想像した上で、いじめや偏見がどうこうあなたたちは言ったんですか。いじめられたわけでもなく偏見を持たれたことがなくても、ちょっと他の子とは違う家庭で育った子供が傷つく機会なんて、あなたたちが思っている以上にある。子供時代ってそんなに単純じゃないよ。
「お母さんは立派にあなたを育ててくれたんだし、お父さんがいないことを恥ずかしがる必要ないよ」と言う人がいる。はい。正論ですね。でもうるせーよ。お前は私じゃないんだから、私が何かを思う自由くらい持たせてくれよ。
同性カップルの子にも、そういう圧がかかったらそれこそかわいそうだと思う。たとえばその子がいじめられたとして「どっちもお父さんなのはべつに変なことじゃない。胸を張りなさい」みたいなこと言う人、いるだろう絶対。は? お前に関係ねえだろ。その子が何を思って、どうするかはその子の自由だ。胸を張りたいならお父さんたちと一緒に胸を張ったらいいし、家庭の事情を隠しておきたいならそれだって全然責められることじゃない。私は、必要に迫られた場面以外では母子家庭ですなんて絶対に言わないで生きてきた。
そもそもなんだけど、どうして同性カップルの子供だったら幸せなんだろう。「同性カップルなら」ってそれがすでにあらゆる方向への差別なので、そういうことを言ってる人を見ると片腹痛い。すべての家庭には色々な問題や不幸が多少はあって当然で、同性カップルの家だろうと何だろうとまったく同じだと思う。同性カップルの家だったら365日24時間幸せというほうがよっぽど怖い。大体「いじめられそうって言うやつは視野狭窄!」「かわいそうじゃない!」と主張しているあなたたちは一体何? 子供自身でもないどころか、子供が大人たちの好奇の目にさらされても、無邪気な同級生に家庭について聞かれて傷ついても「それは間違ってる! 差別はなくなるべき!」とせいぜいSNSで言うだけで実際にはなんの責任もとれないくせに、ずいぶん簡単に言うじゃないか。
同性カップルとその子供はべつに日本国内のセクシャル・マイノリティ問題が一歩前進したことの象徴としてあるわけじゃない。ただの家庭の一つでしかない。おおきく取り上げてSNSであーだこーだ騒ぐ。結局それが差別になってんじゃん。自分は誰も差別しないって言うなら、同性カップルが里子もらうなんてフツーだよって顔しとけよ。
ただまあ、顔も名前も知らないカップルとそこに里子に行った子が幸せになったらいいなというのには同意する。まわりが何を言ってきても、自分たちが納得する形で生きていけたらそれがいい。ということで終わります。
就活で40社落ちた某ファッションブロガーがパリに行くためにクラウドファンディングに挑戦中らしい。
別に甘かろうと甘くなかろうとどうでもいいのだが、少し言いたいことがあるからこうやって書いている。
お前の挑戦には賛否両論あるが、お前は否定的な意見に対してあまりにも無頓着すぎじゃねーか。
気にして病めと言っているわけじゃないが、良くも悪くも意見している人間はお前に興味があるんだよ。
なのにあからさまに「否定的な意見は聞く気がありません」みたいな態度。
お前はこれから、いろんな人に叩かれていくんだ。そう考えると受け流すスキルは必要かもしれないが、それじゃ誰も協力したくなくなるわ。
誰とも関わらずに、ブログで思いをただ書き殴って金稼ぎたいわけじゃねーだろ?
そのうち仕事とかでリアルの人間と関わることだってたくさん出てくるはずだ。
いろんな人に支えられないとどんな仕事だって成り立たねーんだよ。
だけどさ、お前のことを見てる人間に対してあまりにも不誠実だ。
プロになりてーんだろ?
だったらせめて「こいつは甘ちゃんだけど応援したくなるわ」って思わせるような態度取れや。
正論は正しいけど、それをそのまんま、感情のまんまぶつけて、別の誰か傷つけて。
お前のこの間のクラウドファンディングに支援したが、ああいうことを感情的に言ってしまうのはあまりにも浅はかだ。
正直俺はお金を返してほしいと思ったくらいだ。
正しくないことを正しいと言ったり、適当に濁せと言っているわけではない。
ただ、お前は人と関わって生きていくんだろ?