この時期になるとやはり新卒研修として一見意味のないことを強要したり、人格否定する会社が出て来る。
そのような人間と関わると、人生が台無しになり、大切なものを失ってしまう。成長のはずが、大切なものを失ってしまって何も残らないこともある。
私はそのような愚かな人間である。愚かな人間として、思い出したくないのでここに書き捨てておこうと思う。
自分の思い通りにならないだけなのに、「何も考えていない」などの言葉を投げつけてくるケース。
「成長のため」という大義名分のために当たり前のように正論を投げつけてくる。一見正論だが、言うべきタイミングに配慮するべきである。しかしそんなことは気にしない。
完璧な人間などいない。失敗は必ずするだろう。しかし、1つの小さな失敗をひたすら強い口調で責めてくる。
このような攻撃にあうと、ストレスで何かしらの精神疾患を患うこともあるだろう。そういうところをついてくるケース。非常に高いストレスの環境下にいて、上記のようないつでも強い緊張を強いられる場面において、「決める」ことができなくなってくれば、「そうやって黙りこくる」などの言葉を使って更に畳み掛けてくる。
総合すると、人間として非常に弱い部分を狙ってくる人間というのがいる、のである。それを成長という大義名分で何人も潰していく人間がいるのである。
そのような人間が上にいる会社に勤めていたとしても、どんなに頑張っていてもその頑張りは経営陣のフトコロに入るのが関の山で、自分の成長を吸われているようなものである。仮にそのような環境で、成長したいというなら止めはしないけれども、自分が不利になったと感じたらすぐさま逃げるための道を確保しておくべきである。
特に、個人が組織と闘うのは大変に困難である。労働組合などがないのであればなおさらで、何もできることはないので逃げるべきである。
次の転職に不利になると思って1年は耐えようとした結果、取り返しのつかないことになった。労働というものは、日本社会においての義務のうち、納税と強く関わってくるものである。働いていない人間の立場は非常に厳しい。
このような会社に努めて勤めて辞めざるを得なくなった後、数年が経ち、もうそろそろ上記の病気も治りそうではある。とはいえ、この間、誰にもどこにも助けてもらえなかった。その時のことを思い出すたびにあんなところに行かなければよかった、人生を無駄にしたと嘆くばかりである。
それでも、逃げられたのは病気が身体を止めてくれたからである。クリスマスだったり、住んでいた部屋が高層マンションや社宅だったりしたら、一歩間違えれば自分も死んでいた。
人間は成長する生き物であると思う。自分がどのようになりたいのか、何を大切にしているのか、どう大切にするべきなのかを常に意識する必要があったのだろう。頑張る、とか諦めないというのはただの思考停止だったのだ。