というのも、数年前。仕事において労働環境がとんでもなく劣悪になり、当時の私は心身共に追い詰められていた。解決したくともメンバーや役割を直ぐに変えられるものでもなし、根本的にマンパワーが足りず。そして今後も補充される予定は無し、あまりに絶望的過ぎてこれは退職しか……と抗うつ剤まで飲んで這いずりながら出勤していた。
それでも夜は眠れず、失禁はする、健啖家だったのだが消化器系に影響が出始め食欲も落ち始めていた。あまりに希死念慮が強くなり、毎朝自殺の名所に寄りたくなったし、事実帰りは毎日寄っていた。
だが、自分が死んだら家庭への収入が絶たれる、今まで家族に迷惑をかけた分を返せていない、心配な妹が残されており心配である。諸々考えるとどうにも死にきれず毎日やり過ごしてしまっていた。
ここまで来て、死んでは元も子もないと考えるようになり初めて退職"願"を書いて提出した。
そこで不思議なことは、提出した後は解放感でも、安堵感でもなく、不安と焦燥感だけが激しく込み上げてきた。自分は逃げた、辛いことから逃げた、金を稼げなくなった、仕事が出来ない、いる価値がない。そんな考えが波のように押し寄せ、眠れない夜は更に続いた。
要はだ。自分は、死にそうになりながら働くことの方がまだ良いと思ったのだ。仕事がなければ自分に価値がないと感じ、無職の自分には何の価値も見出だせず、不安感は増すばかりだという気付きを得ることが出来た。つまり、ニートになるセンスがないのだ。
それに気付いてからは"願"の段階であった為、取り下げてもらい、激しく働かせてもらっている。幸い、あの後メンバー等も変わり労働環境も改善された。有り難い、あの時諦めなくて良かったと本当に思う。
我ながら異常な思考だとは自覚してはいるが、自分の価値がそれしかないと再確認出来たのは良いことだと思っている。
蛇足。家族と生活してはいるのだが、当時、誰一人として私に「仕事を辞めたら?」とすすめてくれる人はいなかった。また、「働かない私に価値はないだろう」と家族に問いかけた際、否定も肯定もされなかったのも中々味わい深い経験だ。自分の家庭内での立ち位置が確認できたとも言える。妹は、所謂「繊細さん」というやつで一時期ニート生活も営んでいたことがある。新卒一年目に。そこも含めてセンスだよなあ、と思うのであった。
労働環境がクソ悪くなった時に過労で鬱になった事を理由に訴えて金取って別の所に転職したら良かったのに