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はてなキーワード: 小学校とは

2022-07-17

anond:20220717024440

小学校くらいからずっと首相だった人って、たぶん刷り込み効果のおかげで「国王」みたいなもんになってると思うんだよね

anond:20220717150933

逃げ道って…川柳基本的作法で、小学校で学ぶ内容だったと記憶しているが。

最悪だった組体操の話をしたい

20代前半の女。

今は身長は170台で小学生当時から背の順は1番後ろだったけど小学6年は伸びが悪くて次に大きい子と3ミリ差とかだった。ちなみに158cm42kgとかの筋力皆無の痩せ型だった。2人前とか余裕で食べてたのに。

自分が通ってたのはお受験が要るような小学校だったんだけど、そこの伝統だった5年6年の組体操がまあ酷かった。というか担任が酷かった。担任に嫌われてたんだと思う。

5年のピラミッドは40人弱のクラスごとで作る。前述の通り身長が高い自分ピラミッドでは「黄金の3列目」って言われてた1番しんどい位置を任されていた。てか男女混合なんだから筋力のある男子に任せろよ。

あ、ちなみにピラミッドの1番しんどい位置っていうのは土台の前から2列目な。3列目って呼ばれてたのは組み上げて行く時に3列目だから。1番前の1番下は意外と土に紛れた石ころの痛さぐらいで大した事ないんだ。1番重さがかかるのが2列目。その中でも左右じゃなくて真ん中が1番力がいる所だった。で、写真にも映らない。辛い。

5年の時は2列目ではあったけど端の方だったのでまだマシだった。しんどかったけどな!

担任にも文句を言ったんだ。「筋力がない自分がこの場所おかしい、しんどい自分身長の変わらない女が最前ニコニコ写真に映ってるのが許せない」って。取り合ってもらえなかった。

問題は6年だ。6年は学年60人弱の男女別でピラミッドを作る。

5年と6年は担任が同じだったので5年で味をしめられたのかまた「黄金の3列目」に選ばれた。クソ。

学年に3クラスあってクラスから2人ずつぐらい黄金の3列目が選ばれたんだけどその中の1人になった。しかクラスが2組みたいな感じだったから真ん中に入れられたんだ。去年よりデカピラミッドなのにもっとしんどいところなんて普通に無理だろ。

最初練習は芝生の上でやったんだけどこれがまあ辛かった。死ぬかと思った。終わった後に校長が隣のガタイのいい子に「君が黄金の3列目の真ん中か!頑張れよ!」と言っていた。偶数だったので自分も真ん中だったのに声はかけてもらえなかった。

マジでマジでマジで死ぬかと思ったのでその場で泣きながら担任に「本当にしんどい、死ぬかと思った、耐えられない」と言ったけど「じゃあ他に誰がやるの?」と取り合ってもらえなかった。は?教育実習生が来てた時期だったんだし最悪そいつらにやらせろよ。こっちは無理だって言ってんだろ。

ちなみになんだかんだ本番はアドレナリンが出て大丈夫なんだけど練習が本当にキツい。

そこからはもう地獄の日々だった。運動会練習なんて毎日のようにあるけどピラミッドをやる日は登校したくなかった。でもピラミッドをやるかは登校しないと分からないので登校せざるを得なかった。

もう一回ぐらい芝生の上で練習があったんだけどその時にもう限界過ぎて四つん這いの腕を曲げようかと思った。そしたら上が崩れて自分のせいになって訴えを聞かなかった担任のせいになるなって思ったり、自分怪我したら組体操出なくて済むなって思ったり。

でも自分にはそんな勇気無かったんだ。せいぜい上に一段組まれてる時に腕をちょっと曲げたり腰を曲げたりしたぐらいで上がおっとっと!ってなるぐらいだった。

毎日練習が終わったら泣いてた。担任は見て見ぬふりをしてた。

自分がなんで勇気が出なかったかもっと他の先生に言えなかったかって伝統だったからなんだ。

サボテンと補助倒立が1組も失敗なしで出来た学年はまだありません!今年こそ!」って紙が張り出されたりするような状況でピラミッドを崩すなんてできなかった。

結局本番はうまくいった。でも自分担任を許していなかったので運動会の作文にもこのことを書いた。まあ何も起こらなかったけど。

組体操のお手本として講習会とかやってるような学校だったけど実情はこんなんだった。今はもう組体操やってないらしい。やらないほうがいいと思うわ。

2022-07-16

山上さん、今ごろどうしてるかな

アルバイト仕事をしながら、小学校からの夢をようやく叶えた、伝説の人。

やっぱり警察関係世間をざわつかせたといえばこの人だし、一世を風靡したと言ってもいい。

実写映画化して欲しいけど、今の時代やっぱり無理かな。

死刑!」とか言っちゃだめだろうし。

調べたら、なんと産経新聞インタビューがあった。よかったら読んでみて欲しい。

https://www.sankei.com/article/20220213-AKKXB3YSLZIO7FVBEPL7YS4EWM/

anond:20220716085918

https://sapporo.vbest.jp/columns/criminal/g_property/768/

https://twitter.com/iJaQ8CiVW6OPN9M/status/1388495345932390400

小学校の大半を無言で過ごし、将来犯罪者になるのではと怯えていた日々を描きました。この頃の自分に、お前は偏差値30の高校に入ることになるけど犯罪者にはなってないよと教えてあげたいです。

教えてあげられなくなってしまう!

健康診断の数値に一喜一憂するのが辛すぎる

https://books.j-cast.com/topics/2020/10/09013190.html

近藤誠和田秀樹の両医師が「緊急告発! 信じてはいけない健康診断」と題して対談。近藤さんは「病院によく行く人ほど、クスリ治療で命を縮めやすい」と話す。がんや生活習慣病の疾患は患者数が膨大なので、データ捏造、都合のよい解釈が繰り返されているという。和田さんも医療業界が結託して「病人」を増やしていると話す。専門分化がいきすぎたことも原因に挙げている。

和田さんはコレステロール値300、中性脂肪値600、血糖値300、最高血圧160~170と基準値をいずれもかなり離れているが、まったく気にしていない。この数値でコントロールする方が調子がいいからだという。基準値内だと健康長生きにつながるというエビデンスはないそうだ。』

近藤誠ってトンデモ扱いされているけれど、正直日本健康診断はやり過ぎなんじゃないかって意見には賛同出来るんだよなあ。

やるにしても小学校の頃の身体測定程度でいいんじゃないかと思うんだけど。

血液検査数字とか、細かすぎでしょ。あそこまで色んな数値があったら一つ残らず正常値って人の方が少なそうだし、ちょっとでも基準からズレたらアウトになるならそのストレス却って健康を害しそうなんだけど…

世の中ストレスストレスがって言われる割には、個人に対してストレスを与えないようにする事はさっぱり考えられてなさそうなのはなんで?ストレスについてはとかく、個人が何とかしてやり過ごす事ばかりが求められているという不思議さ。

<BE>

これも。

https://www.youtube.com/watch?v=1UG4PIkKV6I

#ヒデキとモリヨのお悩み相談 #和田秀樹 #木村もりよ

健康診断無意味って本当?【第71回】

2022-07-15

anond:20220714174429

日本ジェンダーギャップランキング順位先進国•元先進国の中で最悪レベルの116位。

熾烈な女性差別小学校の段階で既に始まっている。

女子の多くが将棋に集中できる環境ではなくなっているのだろう。

麦茶、じゃなくて、麦茶入れて下さいでしょ」「ありがとうは?」…口うるさい躾に賛否の声 「習慣は一生その子を助ける」「大人忖度する子どもに」

麦茶、じゃなくて、麦茶入れて下さいでしょ」とか「ありがとうは?」とか、口うるさく言い過ぎたかな…とか考えた時期もあったけど、先日よその子になにか飲む?と聞いたら顔も向けずに「コーラ」と言われ、コーラを渡したらゲーム片手に無言で取られた時に「間違ってなかったな」と感じた。

写真】実際に投稿されたツイートを見る

さんかく3児ママ(@7Gktm)さんの躾についての投稿話題になりました。ご本人にお話を聞きました。

親が子どもに教えること、伝えることはたくさんあります。そのひとつが、人に対する言葉遣い礼儀。家庭によって、教え方に温度差があるため、「あれ?」「うちではこういう時、ありがとうって言うんだけどな~」などよその子違和感を抱くことも。

小学5年生の男の子、3年生の女の子、そして0歳の男の子を育てるさんかく3児ママさんも、モヤモヤしてしまったひとり。

その思いをSNS吐露すると、さまざまな声が集中。

子育て中と思われる人から共感が多く、

「口うるさいかなって考えていたけど我が子が他所のお家で~くださいとかありがとうごさいますも言わずにいたら嫌だ!嫌すぎる!」

「ままー!お茶ー!と言われたら、お茶がなに? と聞きます! こういうのはクセになるので絶対直した方が良いと思う派」

「うちも同じように言い聞かせてて、言わせてるみたいで良いのかな、、と思うことあるんですけど、ちゃんと躾として続けようと思いました!」

「幼少期に身につけた習慣は、一生その子を助けてくれます

「そういう親の意識言葉子供の中に、貯金のように貯まって“資産運用”されます」と将来を見据えるものもありました。

自分の親は勉強には口出ししなかったのですが、礼儀感謝言葉にすること、言葉遣いなどは厳しく教えてもらいました。今ではすごく感謝しています

24歳の息子から「俺を厳しく指導してくれてありがとう。全く敬語に困らず どんな年代の人とも話せる」と言われます

と成長後の姿を伝えるものもあった一方、

小学校低学年の頃、友達の家にお邪魔したけど、後日、飲みものを出した際にいただきますを言ってなかったねと指摘され、ショックを受けました。礼儀を教えるのは本人が恥をかかないためです」

自分ありがとうを言えない子供で、高校生くらいになってから友達がいなくなりました。働き始めてから先輩たちに「ここはありがとうって言おうよ?」と厳しくしつけられた…しんどかったので、マナー教育は羨ましい」と苦労した経験を打ち明ける人も。

共感の一方で、

「ありがとう」や「ごめんなさい」の強制は、心ない子どもを育てるだけ! 大人忖度する子どもを作るだけ!」

ゲームに集中していたから、その子は精一杯で、コーラ一言で伝えたのかも」

という声も届きました。

anond:20220715100421

そうか。小学校までの教育内容しか把握してないんかw やっぱり小卒なんだなww

まれつき乳首がカチカチだった

普通の服を着てたら乳首絶対に浮くし、集め服を着てもその部分だけ盛り上がってくる

小学校のころからいじめられはじめ、中学サラシを巻くようになったが体育の着替えの時間いじめられ

いまでも妖怪乳首浮きおじさんとして同僚から忌避されている

 

乳首が固い男に人権はない

anond:20220715020200

組織票なんか小学校で教えてねーだろ。お前こそ何人だよ?

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-14

anond:20220714203231

赤・青・黄・緑・紫の5色の色鉛筆が1本ずつ計5本あるとして、

それぞれを全て5等分して25個にバラバラにした後、

ランダムに5つを選んで5/5とした時、

お前がやってるその操作と 5/5 という数式は全く関係ないだろ。

操作現象)と関係ない式を書いたらそりゃ関係ないとしか言いようがない。

掛け算順序にこだわる小学校教育みたいな謎教育だけ受けてそれを内面化するとそういう謎な思考になるんだろうか?

小学校の頃の担任学会員だった。二世ってやつか。そのことは卒業後に知ったけど。

毎日のように授業を1,2時間潰して、文字通り?説教してたよ。

お陰で宗教大嫌いになりましたよありがとう

女性将棋競技人口は実際どれくらい少ないのか

女性棋士が今まで一人も誕生していないのは競技人口が少ないからだ」とよく言われる。

まず前提として、「棋士」(男女問わない)と「女流棋士」(女性のみ)は別の制度である。勿論女流棋士将棋を指して対局料、賞金を得るので「プロである

棋士」になる方法を簡潔に言うと 1)「奨励会」に入会する 2)26歳の年齢制限までに四段に昇段する(1年間で4人) 

ルートの「棋士編入試験」(注1)については一旦置いておく。

奨励会の一番下のクラスが6級で棋力はアマチュア四~五段に相当する。

そして入会者のほとんどは小学校高学年~中学生中学生入会でもやや遅いと言われ、高校生以上から棋士を目指すのは相当に難しい(注2)。

今回は小学生将棋大会奨励会における女性割合を調べてみた。

棋士登竜門と言われる「小学生名人戦」(注3)から見ていく。

小学生名人戦方式は 1)各都道府県で予選を行い 2)各都道府県代表者東西に分かれリーグ戦トーナメント戦を行い各2名が勝ち残り 3)準決勝・決勝が行われる

小学生名人戦 歴代ベスト4

参照元日本将棋連盟 小学生将棋名人戦 https://www.shogi.or.jp/tournament/elementary_school_meijin/index.html

ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%B0%86%E6%A3%8B%E5%90%8D%E4%BA%BA%E6%88%A6


1976年2021年の46年間。184人のうち女性は3人
→全体のうち女性割合は1.63%

小学生名人戦 都道府県代表選手基本的に各都道府県1名)

参照元日本将棋連盟 小学生名人戦代表選手一覧(2011年第36回以降は女子赤字記載されなくなった為集計が難しい)

2002年2010年の9年間。436人のうち女性は18人
→全体のうち女性割合は4.1%

小学生名人戦都道府県大会

都道府県在住の小学生であれば誰でも申し込み、参加することが可能だ。県によっては小学生名人戦代表決定クラス初心者交流戦クラスを設けているところもある。

2022年に行われた静岡県予選大会ニュース記事より

公文小学生将棋 静岡県予選会

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1016393.html

県内小学1~6年生計48人(うち女子6人)が出場。
→全体のうち女性割合12.5%


2019年に行われた千葉県予選大会大会運営関係者ツイートより

小学生名人戦千葉、159人参加でしたが、うち女子は8名。女子率5%。昨年はだいたい1割だったのですが。(後略)

https://twitter.com/doihishako/status/1089452007193104384

データが少なすぎるので女性参加者割合をはっきり言うことができない。上記2例は参考程度に。

追記)つまり小学生名人戦に関して言うと

都道府県大会参加者(0〜2割以下?)→各都道府県代表(4%)→ベスト4以上(1.5%)


出場資格小学生大会小学生名人戦以外にも倉敷王将戦JTこども大会など……。

奨励会

蛸島女流六段が女性として初めて奨励会に入会した1961年以降の奨励会の人数を調べた。

参照元将棋順位戦データベースの各年度奨励会入会者一覧(昭和31年度から)(〜2014年

2014年以降は将棋世界の奨励会のページ(〜2022年8月号)をチェックして人数を加えた。

表にしました→https://i.imgur.com/YmNxtNP.jpg

1961年から2022年7月現在までの62年間で累計奨励会員の人数は約1300人。
62年間で女性の入会者はちょうど20人。
→全体のうち女性割合は1.5%


現役の奨励会員に限ると(https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/

2022年7月現在三段リーグ41人、関東奨励会(二段以下)71人、関西奨励会(二段以下)68人、合計で180人の会員がいる。便宜上4月以降に昇段を決めた新三段も二段以下としてカウント

現役奨励会員180人のうち女性は2人
→全体のうち女性割合は1.1%


なお、奨励会の入会方法は1)毎年8月に行われる「奨励会入会試験」(注4)2)「研修会」(注5)から編入 の2つがある。

8~9割は奨励会入会試験を経て奨励会員となる。人数の上限はなく、年度により入会者数はバラバラ

最初の方でも書いたが奨励会の一番下のクラスの6級の棋力はアマチュア四~五段に相当する。

奨励会には小学生中学生大会で県代表クラスの強豪キッズたちが全国から集まってくる。

最後

ここから個人的な推論

小学校高学年(~中学生)で全国レベルの棋力を持つ女性割合が少ない理由として考えられるのは、

幼稚園小学校低学年の間に将棋を覚える女性が少ない

小学校高学年まで将棋を続ける女性が少ない

さらに言うと

①……親や祖父母女子将棋を教える割合男子に比べ少ないから?

将棋に興味を持つ割合女子男子に比べ少ないから?

②……男子の人数が多い環境だと習い事として続けにくいから?

脚注

1 過去に「編入試験」を受験し四段になった瀬川晶司六段、今泉健司五段、折田翔吾四段、そして今回受験を表明した里見香奈女流四冠の全員が奨励会に在籍経験があり26歳の年齢制限により三段で退会している。

現行の棋士編入試験制度奨励会を経ずアマチュアから棋士になった人は2022年現在は0人。

2 奨励会受験するにあたっても年齢制限があり、16歳は5級受験以上、17歳は4級受験以上と年齢が上がるとハードルが高くなる。

詳しくは→ 日本将棋連盟2022年奨励会入会試験のご案内 https://www.shogi.or.jp/news/2022/07/2022_1.html

2000年以降の入会者のうち5級以上で入会し四段になったのは渡辺正和六段(19歳・初段入会)と竹内雄悟五段(16歳・3級入会)の2人のみ。

残りは全員15歳以下6級で入会している。

3 「小学生名人戦」の歴代優勝者には羽生善治九段渡辺明名人らがいる。

直近の四段昇段者である徳田拳士四段、岡部怜央四段はそれぞれ同大会で優勝、準優勝の経歴がある。

4 「奨励会試験」は受験者同士が対局する一次試験と現役の奨励会員が試験官となって対局する二次試験がある。奨励会試験合格する割合は2~3割と聞いたことがある(この数字不正確)。

5 「研修会」は一般的奨励会下部組織と言われるが、全員がプロ志望とは限らない。一番下のFクラスアマ初段の棋力が必要

2022年現在制度では研修B2女流棋士2級の資格を得る。研修B2は棋力としては奨励会6級相当(ただ奨励会6級受験研修会B1で不合格の例もあれば研修会C2で合格することもあり一概には言えない)。

ーーーーー

追記1961年から2022年7月現在までの奨励会員入会数・昇段者数の表を再掲→https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/

2008年度以降の四段昇段者数の数字に※が付いているのは現役の奨励会員が在籍しているため。

また奨励会退会後編入試験を経て棋士になった人は四段昇段者に含んでいない。

三段リーグが発足した1987年から2007年度までの入会者数は453人、四段昇段者は91人(20.08%)。

奨励会に入会した2割が棋士になっている計算だ。

2022-07-13

もし小学校先生になったら

 もし小学校先生になったら無駄規則を無くしたい。

そのために生徒にどの校則いか無駄かを説明し、学校にとってめんどくさい子どもを増やして反乱勢力として学校の中で戦わせたい。

...という妄想

小学校の頃の話まだしてんのかよってぞっとするんだが

こういうやつが山上神聖視すんだろな

本懐を遂げた!恨みを果たした!って

anond:20220713093642

なんだ、自民党結党以来って言うから

いかと思ったら、俺が小学校のころからじゃん。

民主自由党の合同による「自由民主党」は、とりあえず鳩山一郎緒方竹虎大野伴睦三木武吉の四氏を総裁代行委員として、全国民待望のうちに

昭和三十年十一月十五日、東京神田中央大学講堂において、華々しく結成大会を開き、ここに戦後最大の単一自由民主主義政党として歴史的な発足をみました。

2022-07-12

anond:20220712074512

根本的なことだが、コンピューター人間が作ったものであるのに対して、個人人間が作ったものではない。

この点からコンピューターユーザーが掌握するのと、個人を本人が掌握するのは、だいぶ異なる。

コンピューターの使い方を拡張して人権をどうこういうのは不遜と思う。

「意のままに動かせるから好きにしてよい」という発想は、なるほどハッカー文化的だわ。

思想家ではないので政治経済専門家ほどの知識を持てておらず、おそらくはこれまで語れてきた思想の中にGNU宣言フリーソフトウェア運動を包括する思想概念存在するであろうけれどボクはその思想概念を知らない。

いるよなあこういうもって回った言い方するやつ。

大工じゃないので真っ直ぐ切断できませんが~~みたいなのをよそでも聞くわ。

思想家ではない」ことと「知らない」ことにはあんまし関係ないんだよね。

「知らない」のは概念存在しないか、または不勉強からだ。それだけ。

いいじゃんか知らなくても。知ってる人いたら教えてねって書けばいいじゃんか。

もっと楽にやりなよ。

語れて

ここの送り、今の小学校ではこういう風に教えてるの?

子供ポンコツだと自分ポンコツに合わせないといけないリスクがあるからなあ・・・

小学校自分を戻すことが大人になることと勘違いしてないか

成熟した大人ってなんだ?

30歳を超えたが、いくつになっても「成熟した大人」と言うやつになれている気がしない。

自分お金を稼ぐとか、社会人としての責務を果たすとか、そういう話ではなくて、説明が難しいのだが人間性的なもの

自分にしっかりとした自信があって、堂々と人前で話せて、女性を含め色んな人と適切な関係性をうまく築いていける人間

子供が生まれれば人間的に成長するとか言うけど、全くそんな気がしない。

どうやってなるんだ?生まれ持った性質なのか。それとも何かきっかけのようなものがあるのか、日頃から意識なのか。。。

anond:20220712210339

小学校からしょうがないんだよ

お客さんが「よしよし、汗かいて(無駄なことを)がんばってるんだね」

ってお金くれるってビジネスから・・・

anond:20220712205040

お前んとこの会社、手順書作るのクソすぎない?

なんで、ダブルチェックのため2人作業でやるようにしてるはずなのに、ただ座ってるだけになる手順書作っちゃうんだよお前らは。

自民党の首脳の車を伴走ジョギングするSP

ダメ出しばかりするわけじゃないが、なんで伴走する必要あるんだろうと思った

今日葬儀で。

クルマちゃんと防弾使用だったらいい話で。

なぜ、すべて人力に頼ろうとするのか。

なぜ、「伴走したら安全」と思ってしまうのか。w

これってIT業界でもたまにあるのよ。

Aさんが作業するのをBさんとCさんて横に座って見ていましょう、みたいなw

この小学校ムーブどうにかならん?

それとも伴走には別の意味があったのだろうか。

小学校の頃、怪しい宗教紙芝居とか小冊子配布とかあったよな?

30年前、学校の下校時間になると原っぱで怪しい大人

紙芝居宗教勧誘したり、へんなパンフレット配ったりしてたんだ

今思うと治安悪すぎるな

格付けがであることを受け入れると楽になる


ちっぽけなプライド捨てると人生楽になるよホント


中学高校大学スポーツ推薦で入ってプロ待った無しか大学アキレス腱2回断裂して選手としてプレイしなくなった

(ここまで書くと誰だかわかるかも分からん)

裏方として残る道を勧められて残ったけど、下手なプレイサポートするという事に耐えられなくてスポーツ大学もやめた


地元に帰ってから小学校中学校の部活指導員(無償)をする無職になった

ホントプロになれるような人なんだぞみたいな紹介とかでいい気になってた

大学では下手なプレイを見ると(なんでそんなミスすんだよ馬鹿か)みたいな事を思ってイライラしてたけど

小中学生はできなくて当たり前ってスタンスで動いてたかストレスは溜まらなかった

いや、多分圧倒的な格差がある状態指導する事で自己承認欲求が満たされていただけだとは思う

その頃、何故かわからんが(多分大学高校監督が連絡とってくれたんだと思う)

地元スポーツクラブチームから契約社員で良ければスタッフとして雇用できる旨の連絡が届いた

けど、大学の時に裏方はなぁ・・・ってなった事もあって承諾しなかった


それから無職2年続けた頃、ふとツイッター大学の同期が仕事の事を呟いているのを見て

急に「そうか、あいつら就職してんのか・・・俺、やべーな」ってなって仕事を探した

2年間の無職生活プライドのプの半濁点すら消えているような状態ハロワに駆け込んだ

ハロワの窓口で「辛かったな」って職員の人に言われて、なんでかわからんが涙出てきたのを覚えている

親身に相談に乗ってくれてアキレス腱怪我不安で歩き回ったり立ちっぱなしの仕事はあまりしたくない

という超わがまま要望を叶えてくれる地元中小企業事務職を見つけてくれた。

職員の人は「男性事務受かりづらいからもしダメでも諦めないで頑張ろう」って言ってくれたけど

中小オーナー企業からか「体育会系いいね!」「大学中退か!他所だと高卒扱いだろうけど2年以上いたんだし短大卒扱いにしてやる!」

ってな感じの対応ですんなり受かった。


今は就職して数年経つけど、大学通ってる頃は中小企業wみたいな感じで思ってた

(自分の中ではプロになるか実業団持ってるような大企業に入るもんだとしか思ってなかった)

こないだ大学部活同窓会があり招待されたので参加してきた

皆の就職先はそりゃまぁ大手企業ばっかりだった

(ガス会社とか自動車会社とか旅客会社もいたし石油会社もいたし生命保険会社会社もいた、なんでもいた)

不思議嫉妬心コンプレックスも湧かなかった

こいつらすげーなって素直に思えた

大学辞めた後に無職してたこと、無名無名中小企業に勤めてることを言った時は

露骨に興味無くす奴がいる一方で、リース会社に勤めてるやつが「○○(元請)の○○(製品名)作ってるところ?」

って感じで自分会社が携わってる製品知ってくれてるときは何故かちょっとしかった


中学高校の頃、監督とかが「スポーツだけやってる人間は上手く生きていけない」って言っていた

俺は当時勉強しろって事か~ぐらいに受け止めていたけど本質は違うんだなって最近やっと気づけた

いろんな角度から見ることで物の見方は異なって、一つの事だけやっているとそれに気づけないんだなって

スポーツに集中している時は物の尺度スポーツしかなくて運動できる奴=神 運動できない奴=ゴミ

って勝手に格付けしてた

からスポーツできなくなった時は自分自分ゴミって貼り付けて精神が持たなかったんだと思う

でも今は自分ができない事をできる人=すごい とかいろんな尺度ができて

自分の足りないところに目が行くから何でもかんでも自分が下にできて凄い楽だ

学生の頃にこの心持があればな、とは思うときがあるけど

怪我してふてくされている時期があって、無職の時の俺がいて、それら全部があっての俺だから

何だろう、今をがんばろーってかんじ


綺麗にまとめようと思ったけど疲れたのでおしまい、そんなかんじ

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