元気なときは自殺するくらいなら今の環境を投げ出して生きればいいじゃんとか、どうせ死ぬなら豪遊とか短絡的に幸せなことをしてからでいいのにとか漠然と思ってたんだけど、現況を壊す勇気がないから自殺するんだなあって。
みんながみんな一緒じゃないと思うけど、俺の場合は自分という存在がかなり不明瞭になっていて、そんな"自分"を保てる唯一のコミュニティに少しばかりの拒絶をタイミング悪く突きつけられた瞬間に『死ぬこと』が気楽な選択肢になった。
俺は小学生中学生の頃に軽いいじめを受けた経験があったり、生涯にわたって自分でやり遂げたものがない。だから常に自分に自信がない人生で、最近とある出来事から少しずつメンタルが壊れていって、その過程で気づいたのがアイデンティティの重要性だった。
俺は、小中学生の自分、高校生の自分、大学生の自分、社会人の自分が少しずつ違う。何かしら鎧をまとい、その場しのぎで自分をこしらえた。その反動は、強い反抗期だったり、落ちぶれそうな同期に対する態度だったり、様々な場面で発露していたと思う。セックスに溺れた時期があったんだけど、それも自分を表現する一環だった。
ただ、そんななか、家族といるときの自分はおそらく"素の自分"だったはずで、壊れかけたメンタルがようやく上昇指向となり、もちろんその根源であり拠り所は家族といるときの自分だったんだけど、日曜日にものすごい勢いで妻に否定されてしまった。
世の中にいるヤバイ奴。暴力的だったり、奇想天外な行動をするやつだったり。それが対外的な行動であるものは全部『自分がここにいること』の証明だ。誰しも拠り所とする"自分"はどこかにあるわけで、大小に関わらず唯一のミュニティから拒絶されることで発狂する。
以上ここまでアルコールにほぼ溺れていない自分が書いた文面で、俺はこれから少しずつ他人を試しつつ、自分に価値がないことを証明しながら自死への扉を開いていくのだろう。今日はその第一夜に過ぎない。はじめてアルコールを含みながらしごとをして、壊れていく自分を見据えながら。