はてなキーワード: 吉本とは
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
いうほど増えるのか? 言ったって、ひと昔前は吉本に入りたいとか演劇で食べていきたいとか言ってた連中がYouTubeでやるだけのことだろ。
「絶対的な権力を持った人物がそれを悪用して私欲を満たす」なんて、本来はてサ的にはめっちゃおいしい案件のはずじゃん
まさに全く同じ理屈でもっていつものアベ叩きに使えちゃうんだから
というか実際やってきたよね、意地でもそっちにこじつけてきたじゃん、日大の時も相撲の時も吉本の時も、他の似たような事件も全部さあ
なんで外国人の時に限って、日頃気に食わない奴相手にはむしろ自ら否定してかかる推定無罪の原則を持ち出し、人質司法は問題だーみたいなツラまでしてしまうのか
これ以上ない絶好のチャンスをグッとこらえて見送るしかないくらいに、彼らの中では外国人バッシングというのは御法度なんだろうか?
無名コンビによる歴代最高得点、同じくほぼ無名による最後の直線からのまさかのマクリで和牛敗退とドラマチックにも程がある今年のM-1だった。どの組も大きくスベることもなく、去年のギスギス状態に比べ-たらまさにお祭り会場の楽しさ。心配してたテンポの悪さも改善されてた。そんな中で平場適性の高さを見せた東京吉本のエース、ニューヨークがネタ以外の本戦MVP。最悪や!は確実に番組にエンジンかけてくれたと思う。
笑い飯哲夫「角刈りとかまだ全然処理できてない(ミルクボーイ)」、パンブー佐藤「印象以上にテクニカル(かまいたち)」等々、興味深い分析が山盛りだったが省略。散々言われてた「反省会面白いけどファイナリストへの負担が大きすぎる」問題を中継でつなぐことで改善しようとしたっぽいね。一昨年の福徳、去年の川瀬と追い詰められた芸人の生き様は見応えあったけど可哀想になってくるからなー。小籔の司会は陰気臭いけど論理的で良かった。ここはMVP選出なしで。
相変わらず後輩たちに優しく、かつ納得感あるコメント多数の千鳥はすごいね。抜き出しはしなかったがぺこぱは2人とも平場がわりとナチュラルで、それがむしろ地肩の強さを感じさせる。ネタも実はキャラの前にシステムありきだからキャラ薄くしても笑えるし平場での応用もきくという。そんな中とにかく運が悪いというお笑い的強運を引き続けたオズワルドに打ち上げMVPを進呈したい。YouTube版ではちゃんと補完されてて良かった。
個人的に敗者復活戦だけは微妙なとこあったけど、それ以外は大満足のドラマチックな大会だった。とにかくすごい逆転劇を見させてもらったという感想。
去年に引き続き勝手にMVPとか偉そうでごめん。お笑い分析自体が寒いのも分かってるんだが語りたくて。増田で1万字近く書くとは思わなかった。
なにはともあれミルクボーイおめでとう!!
ネタの感想はいろんな人が書いてるので、それ以外の部分で面白かったとこを。去年のはこっち。
今年ちょっと長すぎたので2分割した。この記事は抽選会〜敗者復活戦。
全体的に走ってて笑いどころ少ないな。16組もいるんだし、せめてあと10分長くても良かったような。見てるこっちもなぜか気持ちが焦った。
そんな中でも悲哀とともに抜群のセンスを見せつけたロコディ堂前がMVP。座王では毎回安定感ある強さなので、もっといろんな番組で見たいコンビ。
視聴者投票になってからの敗者復活が実質的に人気・知名度投票になってるのは仕方ない部分もある。熱狂的なファンだけじゃなく大抵の視聴者は新しいものより見慣れてるものを好み、それを「面白い」と認識する。だからいくら「ネタ見て面白いと思ったところに入れろ」と呼びかけたって、普段から有名無名問わずネタばっか見てるお笑い大好きマン以外は人気や知名度あるところにしか投票しない。
そういう状況なのは仕方ないとして、番組が後押しすんのはどうなの?って話。流れで多少偏ったレベルじゃなく、普段から露出多くて人気ある組ばかり取り上げて無名どころは存在すら無視。売れてない組はああいう扱いされても仕方ない、売れて見返せみたいなのも言い訳だよな。それそのまま視聴者に見せて面白がると思ってんの?ちゃんとイジリとして仕上がってれば文句ないが、ただの手抜きだから批判してる。
本戦〜1回戦の審査員審査では当然ネタのみで審査するのが正しい。でも視聴者投票である今の敗者復活戦なら、普段テレビでは見られない無名コンビを盛り上げてやって平場での印象で票数にブーストかけてやるくらいでもいいんじゃないのか。せめて普段から露出の多い人気組でも出ジロは無名と同量にするのが公平ってもんだろう。
人気者を盛り上げて敗者復活させればみんな喜んで番組大成功なんてのは大間違いだと今回のM-1は証明した。M-1をここまでの一大事業に育て上げた一番の功労者は人気も知名度もなかった芸人たちだってことは忘れてほしくない。
敗者復活戦・ネタ以外のMVPはラストイヤーの意地を見せた囲碁将棋で。テントパートで2回もウケ取ってたのはさすがの一言。根建の顔芸と文田のコメント両方で成立するコンビ芸なのも良かった。新生いごしょの誕生を見た。
私もピンチのときに素直に助けを求めるのはアホだと思う。例え美味しい店であっても、あまりにもガラガラで客の気配を感じないと「この店大丈夫なの?」とか思うので、「お願いですから食べにきてくたさい」アピールされると、「この店は味で勝負できない店なんだな」と判断して行きたくなくなる。逆に行列ができる店だと、実際の味はどうあれ、「これだけ人気があるなら食べてみたい」と思う。
飲食以外のジャンルでも、極端に安かったりタダだったりすると品質が保証されてるのか心配になる。個人的にアホだと思うのは週末に「無料のお笑いライブやってます!」と宣伝している若者たち。プロの芸人目指して修行中の連中なのかも知れないけど、「タダにしてもらえないと客が来てくれない→つまらないライブなんだ」と予想してしまうぞ。吉本の劇場とかよりは安くした方がいいとは思うが、多少なりとも金を取れ。その方が面白いものが見られそうな気がして客が入ると思うんだが。
島田紳助「売れだすと、劇場に女の子キャーキャー来よんねん。 で、これが邪魔やねんな。こいつらが俺たちをダメにしていくから。
あの、いっつも相方に言うてたけど、この、こいつらはキャーキャー言うてくれて
俺たちを追いかけてくれて、人気のあるような感じを作ってくれてると。
で、こいつらを俺らにとって、すっごい必要や、すっごい必要やねんけど、めちゃめちゃ邪魔やと、で、こいつらが俺らをダメにしよると。
なんでか言うたら、こいつらを笑わすことが、簡単やから、 こいつらを笑わしにかかってまう。
で、こいつらを笑わしにかかった瞬間に俺たちはすべて終わってしまうと。
だから、テレビでも、カメラの奥で、コタツで見てる兄ちゃんがおもろいと思ってくれる
だから、今でも劇場あるやんか。吉本のちっちゃい劇場、女の子来るやん。もうついてる。
女の子はあの女の子笑わしたらええけど、男はああいう女の子を笑わしてたら、もう絶対無理。うん。
あいつらは笑えば笑うほど、一番後ろで見てる俺たちが一番笑わしたい人たちが、何やってるんこいつらと。うん。
・「ネットにおけるステマ」の話だから、テレビ雑誌その他の広告基準を持ち出すのは変。
ネットはコンテンツと広告の区別がつきにくいという前提がある。
・それに、テレビでも「有名人のドキュメンタリーだと思ったら青汁の広告」だったCMは批判を集めたし、
雑誌等でも、本編と誤認しかねない広告コンテンツには「提供・協力」などの注意書きがある。
(すべてではないが)
他のメディアでも(わかりにくい場合には)表記しているのだから、コンテンツと広告の区別がつきにくいネットでは、
さらに「意図的にPR表記させなかった」「試写会への招待を隠させた」という部分も併せて考えれば、
「ユーザーが作品の感想をツイートしたらオマケが当たる」ようなキャンペーンについては、確かにそれ自体は問題がないかもしれない。
元のキャンペーン自体にもPR表記をさせるのも解決策のひとつだと思う。
吉本の件は知らん。
吉本芸人と京都市のPRツイートや、ディズニーのアナ雪2のPR漫画、
京都市もディズニーも揃って「ステマではない」と説明しているのは、
そこにある問題意識が「ステマだとバレたから謝罪しなきゃ」ではなく、
「ステマということにされそうだから弁解しなきゃ」だからである。
というのはむしろ逆だろう。
テレビCM、新聞や雑誌の広告、看板広告など、現実の広告にPR表記は無いことのほうが多い。
それでも問題がないのは「テレビ番組の合間に流れるのは広告だ」などといった共通認識があるからだ。
この点において、ネット広告は多種多様で、「広告」と「非広告」の境界が曖昧である。
Twitterにしても、公式の広告機能では「プロモーション」表記がされている一方で、
「ユーザーが作品の感想をツイートしたらオマケが当たる」ようなキャンペーンも行われている。
そのユーザーが投稿する感想ツイートにはもちろん「PR」表記は無い。
アナ雪2と何が違うのだろう?
つまり、これは「どこまでPR表記をすべきか」という問題であって「ステマ」の問題ではない。
ネットにはなんでも区別せず「ステマ」だと糾弾する人が多いが、
きちんと問題を切り分けて捉えるべきだと思う。
追記。