はてなキーワード: 叱咤とは
やっぱその程度の支える人がいないと漫画とか文章に昇華できないのかね
「よし、漫画にしよう…!」という域に達しなかった屍の山みたいなのがあるんじゃないかって思っちゃうんだよね
先月会社の同期にグループLINEで「あいつ躁鬱病だから頭おかしいwwwww」って書かれて
うーわキッツ…なんかもうイライラして咄嗟に出てくる言葉がそれって怖、呼び方も古いし診断降りてないし双極性にも幅があるのに精神疾患全部一括りに入れてるんだろうなあ…しんど…って。
ちょうど座間とか息子殺しとか某議員の診断書提出とかあったから頭おかしいとか絶対精神病だろとか不良品だなんだ色んな言葉が散らかっていて、一緒にしちゃいけないと頭でわかっていても1つにまとまって殴りかかってくるわけで。
「ああ私は現場がしんどくて半日ばかし部分的に身体が動かなくなって数ヶ月休んだだけで精神病ってカテゴリで一生間接殴打されていくのか」と憂鬱になった。テレビはとっくの前に切ってる。それでも記事となって目に入ってしまったけど。
それに伴い現状を知ってほしい〜〜と漫画が流れてきたけどやっぱりいるんだよなあ、理解者。
家族もそんなに心配かけたくないし重たい話のためにわざわざ周りに声をかけるのは気が遅れるし、乗ってくる奴がいてもただの面白サンプルとしか思ってなさそうだし、どんな拍子で傷つくかわからないし先生は2週に1回だし
全部話してたら相手が潰れるから使い分けてると思うけど、それでも自分をほぼ確実に肯定してくれるひとがいますって超でかいじゃん、十分じゃんとか思っちゃう。8ページ目ぐらいに出てくるのほほんデフォルメのあいつくれよ。いつも離れず後ろに書き込まれてるあいつ。途中から「この病気はこう大変なんです」じゃなくて「こんなに支えてくれるひとたちがいるんです〜」とアピールしてるような気になってくる。んなわけないんだけど。やっぱそういう存在がいないと救いがなさ過ぎとかシビアすぎて商業化できないのかな。そんなの売れないもんね。
バカはバカと割り切れと言われたし当然自分にも言い聞かせつつ、未だに2日に1回以上は思い出す。1人で処理してる。薬も適度に飲みつつ。
相手は覚えてないだろうね。そういや身体が動かなくなる前の週かな
「現場厳しいから異動したい、人間的な生活の遅れるおすすめの非現場教えてくれ」と尋ねた時も「知らん。非現場もしんどいからそんな異動をするなら辞めた方がマシ」って1時間ぐらい叱咤されたな。あのとき私が飄々としてたから後から躁だと思ったのかな。数ヶ月して非現場で普通に働いてるのが気に入らないのかな。病んだ人のイメージにそぐわなかったのかなあ。「切り替え早すぎ」みたいな。
そりゃ話すころには頭の中でまとまってるしオチもつけるし聞ける程度にはユーモアも挟みますよ。にしても休んでる間も誰とも連絡してないのに内示すぐ広まって気持ち悪かったなあ。死んでおけば良かったのかしら。死なないけど。
一般的には結構なフィルターがかけたつもりなんだけどこれでダメだったから、どこまでのひとが同じようなことを言えちゃうのか全く見分けがつかん。それを探るのもしんどいし、そういうことがあるかもと前提にして態度や発言に細心の注意を払うのも無意味な気がする。
さて、寝るか。
おっす、おら大企業。
ひょんなことから地元へのUターンを画策してるんだが、転職活動きっつー。
研究開発一筋10年のキャリア、弊社でしか通用しませんです!という現実を突きつけられ途方に暮れています。
ブクマカ及び増田の諸兄におかれましては、何か叱咤激励罵詈雑言お願いしたく(ちなみに日立社員ではない)。
そもそもね、おらの地元にゃ同業や関連事業の研究開発拠点などない。それは仕方ない、地元悪くない。
やむなしやむなしと、経歴・スキルを生かせなくもなさそうな求人ポチっとな→「ここに年収550万円の求人があるじゃろ?福利厚生も良いぞ」…きっつー、年収大幅ダウンかつ良いと言ってる福利厚生も現職対比悪化。甘えんな?希望するのは私の自由だ。
…くっ、未経験職種でも頑張ります!→「ちっす、年収400万~っす!」→ははは、そだよね。
お!未経験可!しかも年収700万円!→「初任地選択可、全国47都道府県転勤」「きみもツーブロゴリラと契約して不動産を売ろうよ☆」→はあああああ?????死ぬ。
地方は年収低すぎ今すぐ死ぬ!って話じゃないのよ。要は大企業でタコツボスキルしか身に付けてこなかった人間≒俺!は、一蓮托生の思いで現職にコミットし続けるしかないってことよ。昔はそれでよかったけれど、今は45歳でご退場なディストピアなわけで。
このあと益々タコツボに深くハマる未来が見えているのに、のほほんと過ごしていきたくないのですよ、私は。
自分が築きたいキャリアに合っていて、かつ、この年齢で未経験OKな会社にどうにかこうにか潜り込み、レベル上げて地元企業や地方支社を物理で殴って再転職、がベターかしらねぇ。
うちの妻は元々の食が細かったこともあり、思うように体重が増えていない。
医師は「エコーも問題ないし、個人差があるから気にしすぎないように」と言ってはくれているが、
妊娠6ヶ月にもなってお腹の目立たない妻を見て、「おなかの赤ちゃん、ちゃんと育ってる?」などと心無い言葉を投げかける親戚もいた。
妊婦体験の時間で、着衣でもひと目で妊婦と分かるお腹を抱えた奥様方が、こんなに重いんだよ、大変なんだよ、と腹に重りをつけた夫を叱咤している。
しかし私も妻もなんだかバツが悪く、いたたまれない気持ちでいた。だって、妻の体重はそんなに増えていない。
割り当てられたその重りをつける気にもなれず呆けている私達を、助産師が目ざとく見つけて近づいてきた。
どうしたの
なにやってるの
まずはお母さんが自覚を持たないと
妊娠初期と勘違いしたのだろう。これから起こる体の変化について滔々と説明を始めた助産師は、私の手から重りを奪い取り、妻に押し付けた。
ありがとうございます、やってみます、と受け取る妻の手が震えているのに気がついて、こみ上げてきたのは怒りだった。
私は重りを奪い返して装着し、その場で腹筋をして見せた。たしか、重さなんか問題じゃない。7kgくらい楽勝だ。というようなことを言った。
皆の注目がこちらに集まった。吃音もちの私は元々目立つのが苦手で、とたんに恥ずかしさがこみ上げてきた。
怒りとか、悲しみとか、恥ずかしさとか、色んな感情がないまぜになって、泣き笑いで、自分が何を言っているかもわからないような感じになってしまった。
重さや大きさなんて関係ない。自分ではない命をそこに抱える責任、プレッシャー、辛さの話をしたかったが、うまく伝えることができなかったと思う。
大丈夫だから、もう帰ろう。と手をひく妻のおかげで我に帰り、私達はすごすごと退散した。
なんとなく早足で保健センターを離れた後、手をつないで川沿いを歩いた。
双子を乗せたベビーカーとすれ違った後、妻は、帰りにスーパーに寄って帰ろう、と言った。
ごめん、と謝る私の手を、何も言わずやさしく握りなおした妻の手は、もう震えていなかった。
まず大きな組織になると長く場に勤めた人が実権を握り権力をかざすイメージがあった。昨晩、Aさんという職人に会う機会があったので飲みに誘ったついでに聞いてみた。
だが意外回答、新参や部外から怒られる(?)事もしばしばあるらしい。Aさんも権力もあり班の仕事を仕切る立場であり社長にも発言力もあり賞状も得ている。
言っちゃ悪いけどヤクザの組員みたいな顔つきで、その班を完全に支配している風貌だった。
最初は酔っているのかと思ってだが派閥争いやら臭い話が匂ったのでそれ以外聞くのはやめた。相手が暴力団だろうとキレて胸ぐら掴んで叱咤激励する謎のパワーが『働く』という行為に発生するらしい。(正直わからん)
まあ会社の職人界によって異なるが経験や実績で権力や実権が握れない可能性もあり正攻法や正論じみて仕事しても、よくわからん所から滅茶苦茶に怒られることも多いのだ。色々と記事をまとめている途中だが本当に働くのは難しい…
そういう短絡的で努力の足りない連中に品質の低いものを自由な発想で作ってもらっても
仕事として成り立たないので出ていってろと言っているのだから氷河期にもなろう
だからといって任せると外国人いれようやとか税金いらんことに使おうやとか
それを経済や経営を教えてなかったし学びに痛みが伴わないと慎重さにかけるとしても
我が子可愛さでなぐるなほめろで痛みも知らず責任の必要な業務に直面すると
だれかに任せようとして結果働きもしなくなる
外国のように無法地帯が発生したり低い品質を使いまわす貧乏人が大半をしめたり
事業主と虚業で人気商売がほぼ同率の富裕層になるなどあるだろうけど
叱咤して品質を保ってもらいたいのはもう老齢のたたき上げだけだよ
だいぶ年下の同僚の誕生日に、おめでとうと言った。本人がこの日が誕生日です!!とめっちゃアピールしていたので、気楽におめでとうを言うモブの一人としてである。24歳になったそうだ。
「24歳か。たった一歳の違いだけど23歳よりも大人って感じだよね」
と私が言ったら、
「いやいやいや、いやー、遂に24歳になってしまいましたよ、あっという間っす!」
と彼は言った。
「高校を卒業したら時間の流れがもう本当に速くって、そうこうしているうちにこんな歳になってしまいました」
「月並みな事をいうと、三十路になったらもっとスピードアップするからね。そりゃもう怒濤のごとくに。今年だってつい最近正月になったかと思ったのにもう3月も後半に差し掛かってますよ」
「俺も気付いたら30になっちゃってるのかなぁ」
「そうだね、きっとね」
私が24歳の時、歳上の人達は若いんだから可能性無限大!もっと日々を大切に生きろと叱咤激励してきて、それが出来ない私って無能なのかなぁと思って一人で落ち込んでいた。
けどやっぱり、若くたって中々自分の力で道を切り開くなんて難しくって、否応なしに遅い来る奔流に流されてあっぷあっぷしているうちに、いつの間にか歳を取ってしまうというのは普通なのかもしれない。それはべつに責められる事ではないのだろう、と思いたい。
目まぐるしい日々だけど、いいことあるといいよね。
許斐先生がTwitter始めてから盲信して崇めてる人ばっかりになってつまらないよね。
「昔はみんなたしけ(笑)って言ってたのに最近はそういうの言えない。昔のTwitterは楽しかった」
「たしけ()」呼びとか空耳テニミュとか、楽しみたい人は楽しめば良いよ。
馬鹿にするような呼び方や違法アップロードして笑いものにするのは正直不快だったけど、それも先生が拒んでないなら良いよ。
好きにすればいい。
でもその「おふざけ」を私たちにまで強要しないでくれ。私たちにまでたしけ()呼びを強要しないでくれ。
去年のサマバレやディナーや、最近だとカップヌードル関連のこととか、先生の言動を不審に思うこともあるだろう。
先生のファンである私でも「そこはちょっと別の言い方した方が良かったんじゃないかな」と思うことは時々ある。
私たちは今までテニスの王子様にたくさんのものを貰った。色んなハッピーを貰ってる。
99のハッピーを貰っておいて、1過失があったら「こんなことをするコンテンツは信頼ならない。もう嫌い。でも今まで関わった時間がもったいなくて腹立たしいから黙って離れたりなんかしないで叩いてアンチ活動する」っておかしいよ。
そこは「今までありがとう。ばいばい」か「そこは訂正した方がいいよ!」となって欲しい。
たしけ()呼びも空耳も好きにすればいいし、先生批判も作品批判も好きにすればいい。
でもずっと黙って我慢してた私たちが「実はたしけ呼びも空耳も嫌いなんだ」って呟くことくらい許して欲しい。
「昔はみんな楽しくたしけ()って呼んでたのに」じゃなくて「ふざけた愛称でもそこに何がしかの愛があるのは分かっていたから黙って我慢していた人が我慢せずに済むようになった」だけなんだよ。あなたの楽しさは誰かの我慢の上に成り立っていたものなんだってことわかって欲しい。
極端な例えになってしまうけど、18歳まで優しく厳しく健康的に育ててくれた親が18歳の誕生日に「選挙権持てたね!じゃあ次の選挙山田さんに投票して!お父さんが世話になってるから!」と言った時に『選挙法違反だ。こんな親に育てられて恥ずかしい。こんな親嫌いだ。こんな親とは二度と連絡を取らないし、選管に通報してSNSで晒して他の知り合いにも教えて社会的にバッシングして孤立させよう』って発想にならないと思う。
悪いところは注意しようor考え方が合わないからちょっと距離をおこうorそこは賛同できないけどこれまで受けた恩は返す。というあたりが妥当でしょ。
2~3年の通り過ぎて消えていくコンテンツじゃないんだよ。約20年お世話になり、またこれからも続いて欲しいコンテンツの生みの親なんだよ。
貶し愛みたいな愛があるの分かるよ。私はそれをしたいとは思わないけど、そういう身内ノリ的なものが楽しいことは理解出来る。
ただ、貶し愛がストレートなファン心理より上だとは思わないで欲しい。もちろんストレートなファン心理が貶し愛より上ってこともない。ただ愛の表現方法が違うだけだ。
「たしけ()って呼ぶ人がいなくなって窮屈」「駄目なことをしても擁護意見ばっかりで反吐が出る」
そう思うのは自由だけど、どうして呼ばないのか、どうして擁護意見が多いように見えるのか考えて欲しい。
もちろん盲目的に許斐先生を盲信して先生がおっしゃることは100%正しい!とか言う人もいる。そういう人はどうかと私も思ってるよ。
でも、ただ「貶し愛が得意ではない」「悪いことは悪い。毎日美味しいご飯を作ってもらってるのに味噌汁の味が1回濃かったくらいでちゃぶ台ひっくり返すみたいな恩知らずなことをしたくない」という人の方がずっと多いと思う(私の周囲の体感でしかないけど)
今日の味噌汁は味が濃いね。次から気を付けてね(指摘)とか、お湯少し足していい?(サポート)とか、味噌汁作るの苦手ならインスタントも美味しいよ(作品外のことは編集その他に任せる提案)とか、そういう当たり前の意見が突飛な熱烈信者やアンチに押されて見えなくなってしまっている。
要は
(1):たしけ()呼びが許されなくなったわけじゃない。我慢していた人たちが嫌だと言える世界になっただけ。呼びたければ呼べばいい。これ以上こちらに我慢を強いないでくれれば良い。
(2):20年も世話になってるコンテンツには多大な恩がある。一緒になって叩かない人を全て一律に『盲信的な擁護』と思わないで欲しい。間違いに対する対処は指摘や叱咤、解決策提案、今後の動向見守り等が妥当だと考えているだけ。
ということが言いたかった。
「ミスしたら批判だけでなく叩きも甘んじて受けなければならない」
そういう考え方ももちろんあるだろう。
そうじゃない考え方もあること、知って貰えたらいいな(と思って書いたけどこれをその人たちが見ることはなさそうだなぁ。まあ、テニプリに限らずどのコンテンツでも言えることだと思うので目に止まった誰かの思考材料になれば幸い)
ジョブズってプロダクトをブランディングして売った人なのよね。
つまり掲題の発言の意味するところは、実はブランディングの人とか戦略の人に向けての叱咤激励だったのだ。
的はずれな発言で浅いなあと思っていたが、そう考えるとしっくりくる。俺が浅かったと言わざるを得ない。
んでさらに思うのは、日本には未だ見いだされていないウォズニアックがゴロゴロいるのではないかということだ。
Maker Fairや各地のハッカソンイベントをみても、楽しみながら高度に技術的なことをやっている方々がこんなにいるのかと思わされる。
これはジョブズの役割をやりたいと思う人には好機なのだと言えるかもしれない。
ぜひブランディングの知見や事業戦略で日本のウォズニアックを発掘して欲しい。
以下は別に参考文献ではない:
1990年生まれ現在28歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、最近になってまた戻ってきた話を1年前、はてなで投稿しました。
あれからちょうど1年経ちましたので、改めてまとめようと思いまた記事を書いています。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
1年前、この記事を書いた後、思った以上の反応がありとても驚きました。
まさかあんなにコメントが頂けるとは思っておらず、戸惑いつつも全て読ませていただきました。
私と同じように、夢を追っていたけど諦めた人。
オススメの本を教えてくださった人(全部読みました)。
全てが嬉しくて、おそらくこの記事とコメントがなければ、この1年絵を描けていなかったかもしれません。
1年間何をしていたかと言うと、とりあえずは具体的な目標を立てようと思い、
ピクシブに投稿したりpawooに登録したり、イラスト雑誌に投稿したり
特にコミティアでは、本を出すため仕事の合間を縫ってちまちまと絵を描き、帰宅後すぐ絵を描く日々が続きました。
それでも枚数が少ないためどうにか本の形にするために考えたことは、文章を添えることでした。
絵を描くのをやめてからもあまりに自然な昇華活動として行なっていたために、
自分が文を書くのが趣味ということにも気付いていませんでした。
昔、文章を書いていて同級生にとても馬鹿にされた経験があり、ずっと表には出していなかった趣味でもありました。
思えば長い間、人の目を気にして何もできなくなっていました。
そう思われるのが嫌で、自分をずっと殺していました。
それは絵だけじゃなくて、文章も詩も、着る服も選ぶ小物も言動も、全てそうだったように思います。
目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、
本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。
せっかく恥をかくんだ、どうせなら徹底的に自分が好きなことしかしないでおこうと思い、
知り合いには誰にも見せないようにしながら、好きな題材で絵を描き、好きに文章や詩を書いて絵に添えました。
仕事では「ダサい」と思われるのが嫌で徹底して自分の好きなものを殺して作ってきましたが、もうこの際だと、好きにデザインしました。
普段は絶対使わないけど実は気になっていたフォント。無駄だらけの装飾。自分に浸った言葉の羅列。普段は絶対言わない主張を書いた文章。…
とにかくもう誰の目も気にしないように気をつけながら、自分の好きを探すことからはじめました。
同人イベントにサークル参加すること自体が初めてで、それだけでも緊張していましたが、
不安で吐きそうになりながら、一人でポツンとお客さんを待ちました。
こんなにたくさんの人が居る中、自分の絵なんて、見てくれる人が居るのだろうか。
1冊でも売れるだろうか、いや、1度でも手にとってもらえるんだろうか。
今日、誰も来なくても、誰にも見てもらえなくても全くおかしくないな。なんて、ずっとぐるぐる考えていた気がします。
会場後30分くらい経っても人が来ず、ずっと一人で、泣きそうになりながら机を睨みつけていたら、
ひとりの女性が本を手に取り、しばらく眺めた後
「これ、1冊ください」と、お買い上げくださりました。
あの瞬間のことを多分私はずっと忘れないと思います、
いただいた300円を、しばらく、見つめて
生業であるデザインの仕事では、時には1、2時間の作業で5万円稼ぐこともあります。
時給換算すると本当にちっぽけなものでしたが
私はあんなに大切な300円を今後も知ることがないと思います。
あんなにたくさんのサークルが居る中、私のサークルを見てくれたこと。
涙をこらえながら、何か、今までの全てが溶けたような感覚になりました。
絶対に愛されないと思っていた自分を愛してもらうこと、そんな奇跡を、
その後も、たくさんの人にお買い上げいただき、とても好きな絵柄ですと言っていただいたり
ツイッターではとても好きな絵描きさんと相互フォロワーになれたり、
しかもそれは、取り繕った私ではなく、全面的に自分をさらけ出した正真正銘の私としての結果で
もう好きなことを殺さなくて良いこと。自分を出しても怖くないということ。
良い意味で、作り続けなければいけないという強迫観念がなくなったこと。
今まで自分はスタートラインにすら立っていなかった事に初めて気づきました。
戦わない。比べられる土俵に上がらない。向き合わない。そうして自分を守ってきたつもりだったけど、
裸になって、真正面から「作ること」に向き合い続けたこの1年間で、
「誰か」と比べる必要は全くないこと。自分のことだけ見つめて良いこと。何も怖くないということを知りました。
一歩を踏み出す勇気さえ出せれば、全然違う世界が広がっているということを知りました。
多分それは絵だけじゃない、全てが、少しずつ変わっていくのを感じます。
1年前に比べて、驚くほど自分に対して穏やかになったことを実感しています。
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
もうこのことでは全く悩まないようになりました。
勇気を出してよかったと、この世界は見えていなかったと思います。
「本当の自分」を好きと言ってくれる人がこの世に1人でもいれば
きっとずっと私はものを作れるし、
改めて、1年前コメントをくれたみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまからのコメントがなければ、ここまで勇気を出せなかったと思います。
これからは気の赴くままに、頑張ったり頑張らなかったりしながら
アラサーになって、ようやく、ファザコンであることに気づいた。ネットでぐぐってみたところ、隠れファザコンというやつらしい。もやもやしてまとまらなかったので吐きだす。
父親との仲は、悪くはないけれど良くもなかった。思春期の頃には、父親のような人とは結婚しないと何度も強く思ったことをよく覚えている。父は機嫌が悪くなると物にあたり怒鳴り散らす人だった。日曜の朝は母親を叱咤する父親の怒鳴り声で目覚めるなんてこともあった。口答えすると、誰のおかげで飯食えてると思っているんだ、その服は、この家は。そんな口を聞くなら、今すぐでていけと、当たり前の生活を、当たり前に享受できない気分にさせる人だった。今の生活の安定はみせかけで、父の気分ひとつで崩れてしまうんだと感じさせる人だった。きっと、そんなことはないのだろうけど。頭に血がのぼってしまうと、もう手がつけられなかった。
母には、50キロを超えたら女じゃないから離婚すると平然とのたまう人だった。女は賢くなったら面倒くさいから、だしても短大まで、という人だった。一昔前の日本の男性はみんなこうだったんだろうか。身の回りの友だちの父親とは、ちょっと違うように思えた。
10代の頃から、恋愛対象は、年上の男性だった。それも、ひとつふたつではなくて、ひと回り以上も年上の人を好きになることがよくあった。そのことに違和感を感じたことはなかった。同級生は子どもっぽく思えたし、そもそも恋愛に慣れていなくて、惹かれる人がたまたま年上なのだと思っていた。けれど、アラサーともなれば、どんなに鈍かろうがさすがに、年上を選り好んで恋愛をしていることに気づく。あと、ひと回りも上の男性は無理、っていう子が多いことにも気づく。
あれ、わたしってちょっとおかしいんだって、ほんとうに、アラサーにもなってようやく気がついた。自覚がなかったことが恥ずかしい。
ファザコンは、父親のことが大好きで父親のような人を求めてしまう人だと思っていたけれど、理想の父親の姿を異性に求めてしまう人も同様にファザコンということを知った。確かに、今まで無条件に甘えさせてくれる人、穏やかで怒らない人とばかりお付き合いしていた。
なんで最近になってようやく年上好きを意識することになったかというと、アラサーともなってくると、相手の年齢も、かなりイイ歳になってくるわけで、そうなってくると、四十路だろうが五十路だろうが、子どもっぽい人はずっと子どもっぽいということがわかったから。
別に年をとっているからといって、それだけ大人であるわけではなくて、ただ単純に年をとっている(あるいはとってしまった)という人もいるのか、と。わたしも良い年の取り方をできているわけではないので、どの口でいうんだ、という話なのですが。
ある程度の年齢に達すると、ここまできてしまうと、精神の成熟度は、年齢じゃなくてその人の資質だとか性格だとか積んできた経験によるんだなって思った。じゃあ、年上とわざわざ付き合う理由って何?と考えたところ、わたしは甘えさせてくれる父親を求めていたんだって気づいた。気づくのが遅い、遅いよ…!
なので、これからは、年齢を気にせずに恋愛できたらとおもう。でも、オジサンのちょっと弛んだお腹まわりとか、緩んだ肌の質感だとかは、相変わらずどうしようもなく愛おしく思ってしまうわけですが。これはもう性癖ですよね。でも、同じくらいの年でもいずれはお互い、オジサンオバサンになっていくわけなのだから、熟す楽しみがあるのは、それはそれであり。
なるべく言わないように気をつけたいと思っている言葉が、「自分で選んだことじゃん」ってやつ。
個人的な体験に紐付いてこの言葉をあまり言いたくないと思ったので、簡単な自分語りから始める。
僕は自宅から勤務地までがそこそこ遠い。県を一つまたいで、ドアtoドアで2時間半弱といったところ。
朝は早いし、必ずしも早く帰れるわけでもないので、必然睡眠時間が短くなる。
睡眠時間が短くなると頭は働かないしメンタルの方は弱ってくるしで、泣き言を言いたくなる。
職場まで遠いから寝不足でつらい、と言うわけだけれど、そこで出会ったのが「自分で選んだことじゃん」という言葉だった。
何も間違っていない。間違っていないんだけど、それを言われると本当に立つ瀬が無い。口をつぐむしかない。愚痴くらいは言わせてほしい。
このある種の自己責任論はとても息苦しい。何も言えなくなってしまうな、と思う。
自分の外部の環境に原因を見出して自分は悪くないと言いたくなることや、改善したいからこそ自分の外部の原因を探すことだってあるのに、自分の内面の問題にされてしまうと、甘んじてこの辛さを全て引き受けなければいけないような気持ちになる。
つらいことや失敗があったときに、自分でね、これは自分の責任だって自己帰属するのはいいんです。
ましてや疲れているときなんかは正常に思考が働かないのだから、自分の責任、他人の責任、環境の責任、などをきちんと分けて考えることなんてできやしないんです。
そんなコンディションで「自分で選んだじゃん」なんて言われると、それを無条件に受け入れざるを得ない瞬間だってあるんです。
ということで、自分が嫌だったことはなるたけ人には言わないようにしよう、の精神で、「自分で選んだことじゃん」をなるべく言わないようにしよう、言うにしても状況をきちんと考えようと思ってるよ、って話でした。
この言葉で奮起できるパーソナリティの人や、状況なんかもあるんだとは思うんだけれど、叱咤激励にならないんだとしたら建設的な声かけには微塵もならないような気がしている。
さほどひどいいじめではない。たぶん大して理由もない。相手の虫の居所が良くないときにちょっと無視されたり、部活で叱咤激励の皮を被った罵倒を浴びせられたり。その程度だ。世の中にはもっとひどい目に遭っている人がたくさんいる。
しかしそのいじめは、当時の私にとっては世界に否定されたと同義であった。だって、私にはそのコミュニティにしか居場所がなかったのだ。なのに、そこからはじき出される。いらない、死ねと言われているんだと思った。
結果として、私は部活で使う体育館に足を踏み入れるだけで過呼吸を起こすようになったし、人と関わることが怖くなった。それは中学を卒業してからもずっと続いた。特に、高校生活は灰色だ。保健室で、口にハンカチを当ててゼーゼーヒーヒーいっていた記憶しかない。
自分は誰からも嫌われる、この世にいらない人間なのだと思った。その気持ちは大学生になっても、社会人になっても、ずーっと消えなかった。
社会人になって、すぐの頃。仕事がうまくこなせなくて、同期や先輩とのコミュニケーションも上手にできなくて、私は自己否定がやめられなくなった。過呼吸を通り越して不眠症になり、やがて抑うつといわれる状態になってしまった。
入ったばかりの会社を休職した。人生ではじめて心療内科に通った。さほど医者に助けられたとは思えないけれど、とにかくいろんなことを考えた。
私の人生にはなんの希望もない。親ですら私を見て、こんなに困っている。苦しい思いをして生きるくらいならもう死にたい。どうせ誰にも求められていない。
はじめは、そんな感じ。だけどだんだん、私は腹が立ってきた。自分にではない。世界のほうに、だ。
私をこんな風に生んだ親が憎い。私をこんな風に育てた親類や先生が憎い。私をいじめた奴らなんか特に憎い。死んでしまえと思う。私の人生がめちゃくちゃになってしまったのは私のせいじゃない。好きでこんな風になったんじゃない。世界が悪い。世界が、世界が、世界が……。
ああ私はずっと怒っていたのだな、と、正常ではない頭で薄ぼんやりと思った。考えてみればいじめなんて、いじめられている側からすればひどく理不尽な理由で起こるものだ。どういうわけか私はその理不尽に、無理やり理由をつけて自分を納得させ、怒りを抑え込んでいたらしい。タンブラーにそのときの気持ちを書き殴っている。読み返すとあまりにも憎しみがむき出しで、気分が悪くなる。でも、それほどまでに怒っていたのだ。そしてそれに気づかずにこれまで生きてきた。病気になるわけである。
散々怒って泣いて、一ヶ月後、私はひとまず正常に戻った。
そのあとも何度か危うい橋を渡り、薬でどうこうするだけでは根本的な解決にはならないと思い至り、現在はカウンセリングに通っている。
いままで書いてきたような話を洗いざらい聞いてもらって、なんだかずいぶんと楽になった。こんがらがった感情を解いていく中で思うのは、私はやっぱり怒っていて、多分一生怒り、憎み続けるのだろうなということである。
それも、いいんだよ、と先生は言った。許せないことは許せないことでいいんだよ、と。私にはそれが正しいアドバイスなのかどうかが分からない。全部許せるのが本当はいちばんいいんじゃないかと思う。
でも、許さない。
以前主夫はつらいよという記事を書いて、自分の予想以上にみなさまからコメントや叱咤激励を頂いた。
https://anond.hatelabo.jp/20180323070849
思っていた以上に親身なコメントが多くとても励まされたし、ああなるほど、確かにそうかもな、と反省する点も多く、色々と考えるタネにもなった。
結局以前の記事を書いたあたりがいろいろな意味で山場で、その後は比較的生活も落ち着いた。
半年以上経って、今振り返るとあの時のしんどさはお互いの余裕の無さが大きかったのだと思う。
妻にも私にも余裕が無かったし、妻の愚痴を聞いても私は他に吐き出す先が無かった。仕事の愚痴は家庭で言えるが、家庭の愚痴を家庭で言うのは簡単なことではない。
対応としては、まず例えばしんどい時は食事をデリバリーで頼むなど、金で片付けれるものは金で片付けるようにした。
幸いデリバリーや家事のアウトソースはアプリで簡単に頼めるお国柄なので、この点は大変助かった。
また、妻とは話し合い、妻もなるべく仕事を早く終えることが出来、かつストレスが少なくなるよう、多少のチームやタスクの変更を行ってもらった。
お互い余裕が出来てくるにつれ、私が負担に感じていたことをポツポツと伝えることもできるような状況になっていったし、そもそも妻の愚痴自体も自然と減っていった。
私自身、会社の同僚等と仲が良くなるにつれ、多少プライベートなことも話すことが出来るようになった。
自分に余裕が無ければ他人に余裕をもって接することは出来ないというのはわかってはいたが、それを強く実感するとともに、自分が余裕のある状態をキープすることは相手のためでもあるのだと考えるようになった。
なお、私が以前書いた記事について、性別による問題としてコメントしてくださった方もいたのだが、自分自身としては特段そういった捉え方はしていない。
今回のことについても、私が妻の立場であれば結局妻と同じような行動を取っていただろうと思っている。実際、私自身も自分の愚痴や気持ちを吐き出して、それを誰かに相槌を打って聞いて欲しいと思っていたのだ。だから匿名日記を書いたし、そこで共感してくれるコメントを見るととても精神的に助けられた。
そもそも、性別による一般的な傾向が仮にあるとしても、それは私たち夫婦の個別具体的な関係を考える際にはどうでも良い話だ。
ただ単純に、パートナーとして生きていくと決めたのであれば、お互いが幸せに生きていくために何が最適かということを追求すればそれで良いと思っている。
コメント頂いた皆様には、本当にありがとうございました。
メンヘラです。
メンヘラってなんだよって感じもするけど、とりあえずここではメンヘラの定義は重い女、ということでひとつ。
こんな時間に起きてて投稿してること自体、そもそもメンヘラのメンヘラたる原因なのかもしれない。
ああ〜〜
好きな人っていうか、元彼?セフレ?みたいな感じで、関係に名前がなかった。
友達ではなかったと思う。
たぶん感覚的にはセフレに近かったのかもしれないけど、何せセフレはおろか彼氏もいたことがなかった純情処女(当時)にはとんと検討もつかぬ。
話も面白いし、優しいし、そこそこイケメンだし、何より私のことを何度もかわいいといってくれた。
自己肯定感の極めて低い単純メンヘラ純情女(24歳)はそれだけで出会って間もない男に簡単に股を開くのだ。世の中の処女厨の人は参考にしてください。そして世の処女はそういう男に股を開いてはいけません。
それでまあ流されるままわりとノリノリでセックスしたわけだけど、その後のお作法なんて知らないし、だけど初めてだったからもう気持ちは舞い上がっちゃって「私たち、付き合うってことでいいんだよね?」なんて月並みなセリフでおそらくお付き合いが始まった。
かに思えた。
というのも、一応付き合うというテイはとったものの、会う前と会った後の温度差が激しく、連絡はよくて3日に1回、1週間全く連絡をしてこないこともザラだった。(こちらから連絡をしても反応なし)
まあそりゃそうですよね。
マッチングアプリで出会った身元がハッキリしない女で、しかもセックスどころか交際も未経験なんて重いしめんどくさい。
一応付き合うって体裁は取るけどフェードアウトしたいっていうのが本音だったのかもしれない。しらんけど。
それでもこっちはそんなこと知らなくて盛り上がってるわけなので、なんとかもう一度デートをこじつけて会ったわけです。
会えたー!やったー!嬉しいー!と思ったのもつかの間、セックスの流れになった時、ゴムなしでしたいって言われてドン引き。さらには生出したいからピル飲んでほしいな、とか。
マジかー…と思いつつそれだけは断固として断ってもやもや抱えたままその日はお別れ。
そもそも自分には交際経験が本当に全くといっていいほど微塵もなかったので、普通の世間一般の恋人たちがゴムをつけるとかつけないとかすらもよくわかってない。
いや、普通に考えたら妊娠する可能性が非常に高いししないんだろうけど、安全日とかなんかそういうのあるじゃん。耳年増で目年増だからそういう知識だけはおらいっぱい持ってんだ。
でも、常識的に考えて彼女に自分の快楽のために直接的あるいは精神的な負担をさせるのか?と思い至った時、あ、この人とは付き合えないな。好きだけど。と思った。
それで、そのデートのあと次の機会を待たずしてこちらからお付き合いの辞退を申し出た。
弁解されたけどなんかもう他のこともいろいろ降り積もって悲しくなって、ゴメンナサイ。って感じで。
それでしばらく平和に過ごしていたんだけど、ちょっとしたきっかけでまたわりと最近連絡を取るようになって、なんか色々あって一緒に旅行に行くことになった。
今思えばほんとにこの時点で「???」だったんだけど、まあ正直忘れられなかったんだよな。
再三になるけど自己肯定感が極めて低いこと、それから年明けから夏ぐらいまで私生活が非常に苦しくて仕方がなかったことから、特別甘い言葉をかけられたわけでもなかったのに、燻ってたらしい気持ちがまた燃えてきてしまった。
正直、メンヘラで重いことに定評があるので、はじめての人が忘れられなかったし、自己肯定感が低いのでかわいいとか会いたいとか言われると抑えが効かないんですわ。なんだこれ。救いようがないアホだな……。
それで、のこのこ2人っきりで旅行に行ったわけだけど、まあ現実は甘くない。
前と同じことの繰り返し、もしくはそれより悪かった。(心象的に)
明らかに1日目(使用前)と2日目(使用後)の態度が違うんだよね〜〜〜〜!
もう私、困っちゃうゾ★
途中から明らかに私に興味をなくしているのがわかって、何度も何度も泣きそうになるのをこらえながら、たまらず、バスで泣いたけど、なんとか最後まで自分をある程度限界までは保ったままお別れした。
別れ方も最悪だった。
流石に私の不審な態度は気づいていたのか、その日は連絡がきたけど、それ以降はまたそれまでと同様梨の礫。
かと思えばSNSで遊びに行っている様子をなんの臆面もなくアプロード。
あーそっかー。
言いたいこと直接一言も言えなくて、だけど会いに行く勇気すらもなくて、悶々、悶々とやることないときはずっと彼のこと、彼とのこと、自分が何をやらかしたのか、そうでないか、自問自答。
で、悩みに悩み抜いて友だちに泣きついては叱咤激励されて、もうほんとに最後!て思って自分でもドン引きする文章量のメッセージを送りつけてブロック→削除かました。
て、思うじゃん。
自分でそういうことやったとはいえ、結局そのメッセージを彼が読んだのか読んでないのかで悶々悶々。
メッセージを読んだあと返信をくれたのかもしれないで悶々悶々。
そもそも全てが私の早とちり、早合点、独り相撲で、彼にとっては恋人との通常営業だったのかもしれないで悶々悶々悶々悶々。
ああ〜〜メンヘラ。
しばらく忙しくってちょっと忘れてたけど、忙しさがちょっとひと段落したのと生理前のいらいらとで今日もまた思い出してしこしこ文章を書いてるわけ。
こういうところもメンヘラという所以なのかもしれぬ。知らんけど。
とりあえず、自分から見切りをつけたんだからさっさと次行けよ!次!と自分でも大いに思うしそうしたいのも山々なんだけど、このなんとも言い難い後悔というか執着というか懺悔というか……なんかね。遣る瀬無いです、ボカァ。
諸々こじらせるとめんどくさいですね!!というのが最近の所感。
ああ〜〜メンヘラ。
そこだけ貼っても面白くない
いま、たかじんを見ているけど
田母神さんたちが「言論のチカラ」で国を変えていくことが大切だと説いている
「言論のチカラ」こそオレたちネットを中心に活動する戦士たちの一番の武器なんだ
このスレのひとり一人がもっと自分の武器を磨いていくことが肝心だ
そういえばオレは少し前に知り合いの若いコにキタ(大阪)のクラブってところに
初めて連れて行かれた
DJが流す音とメッセージの乗って踊り狂う若者たちを見て思ったんだ
曲の合間のラップとかで来場者にメッセージを語りかけてみたらどうだ?
♪ヘイ、メーン
♪に・に・に 日本が滅びる
♪守ってくれるのは じ・じ・じ 自民だけだYo! Yo! Yo!
あといつもフロアで踊ってるヤツは
踊りながら目が合った女のコがいたら
近づいていって耳元で「民主の正体知ってる?」とか
「オレは日本を守るために戦ってるんだけど」とか囁いてみるとか
とにかく、告示までもう日にちがない
いまは考えられるあらゆる方法を実行してみることが大切なんだ
ひとりでも多くの国民に伝えようぜ
今思えば、パワハラを受けていた。
そのとき自分はまだ新人社員だった。転勤で職場環境が変わるまで、その状況が異常だと気づかなかった。全部自分のせいだと思っていた。
そこには、「26連勤目。今日は上司に『お前は人間じゃない!』と罵られた。死んでしまえばいいのだが、こんな人生でも愛着があるので死ぬことができない」などと書かれていた。
その他にも、「お前は病気だ」「恥ずかしい人間だ」と大勢の前で罵られた日々、新人には荷が重い仕事を課されながら、周りに見てみぬふりをされ、一人で連日深夜まで作業をして、日中上司が出勤してくれば罵られ続けた日々について書かれていた。
…私が変なのかもしれないが、最近思うのは、現在の自分がどうあれ、過去の自分は永遠に傷つき続けるのだということだ。
何を言っているのかわからないかもしれない。もちろん今の自分は何にも傷ついていないし、恵まれた人間関係のなかで働いている。成長もしたと思う。しかし、過去に戻ってあのときの自分を救うことはできないのだ。上司の席で首を吊りたいなどと本気で思っていた過去の私は、永遠に救われることはない。うまく言えないが、いまでもまだ、6年前のその事務所に、追い詰められていた自分がいて、なのに助けられない。いろいろな助言をして苦しみを和らげたい。叱咤激励もしたい。けど救えない。
そんな辛い日々があったからこそ、成長し、今の自分がいるのだと、前向きにとらえようともした。が、やはりあの仕打ちが新人の私を育成する上必要不可欠だったとは到底思えない。人格を否定するのではなく、具体的な指示とアドバイス、確認があればもっと要領よく業務を飲み込めたと思う。だから、あんな目にあう必要はなかったし、あんな目にあわなくても今の自分はいた。
災害と同じだ。起こらないほうがよかったし、起こったことに何か意味を見いだすことなんてできない。かといって今さら謝ってもらったり、同情してもらったりしても、過去の自分は救われない。
そんな自分の体験を他人に話し、他人が何かを言うたびにますます愕然とする。私の味方も敵も、同情的な人も批判的な人も、やはり遡って過去の私を救うことはできない。過去はただ苦しみ続けるのみなのだ。
なんだか本当にやりきれない。
誰かがパワハラで死んだことが伝えられるたびに、このようなことを思い、言われ続けた日を思い、きっと死んでも誰にも何も伝えられなかったであろう過去の自分と誰かのことを思い、悲しい夜を過ごす。