はてなキーワード: 叱咤とは
ネットの世論は商業漫画家の失敗にどんどん厳しくなっていると感じる
プロの癖にこんな事も分からないのか!プロの癖にこんな漫画を描くのか!プロの癖に言動がしっかりしていない!
これが口だけの「無産様」なら精神的勝利法でしのげるだろうが、プロクラスの画力で商業漫画を添削して見せる匿名も珍しくない
昨日は意識高い系に叩かれ、今日は同業者に叩かれ、明日はフェミに叩かれ、明後日はオタクに叩かれる無間地獄じゃん
一方同人漫画家には値段を吊り上げろ!お前が正しい!客を選べ!と甘やかす声が目立つ
どんなに総理大臣を支持していなくても、仮に彼らがどんなひどいことを政治で行っていたとしても、国民がやってはいけない非難の仕方というものはある。
①国際会議などでの日本代表としての存在を否定すること。その場ではただ一人の日本人で国民の代表なので「ダメな総理ですよね〜」みたいなdisりは絶対ダメ。それは他国民への自国民の卑下、見苦しいこびへつらいにすぎない。「私達の代表なんだからしっかりして下さい!」という批判、叱咤なら前向き。
いくら強大な権力をもってでも、本人の努力をもってでも必ずしもなんとかなるものではない。これをネタに攻めるのは卑怯の極み。
やっと肉を焼けるところまできた。
皿洗い3年はマジだった。
要領の悪い俺が、料理が好き、食べることが好き、なんで理由で来ていい場所じゃなかった。
二回だけど、怒られて皿ぶつけられた事ある。
怖い。
辞めたいけど、俺、高校中退の中卒だし、頭も悪いし、仕事ない。
料理人の世界、異常。職人だとか、なんとか持ち上げれら出るけど、おかしいと思う。
飲み会もしんどい。彼女と別れて2年経つけど、毎回童貞弄り(?)される。前に童貞だったA君に彼女が出来たから代わり。風俗に行くぞーって連れて行かれそうになってきつい。興味ないっていうとホモ弄りされる。
初めは料理の話もしてるけど、一時間経つとすぐに下ネタを大声で連呼する。お店の人に悪いし、恥ずかしい。安居酒屋に行く癖に、見下した態度を取ったりするのも、やめてほしい。
時々、管理栄養士の資格を取って、給食の献立を考える仕事につきたいと思う。でも、料理好きなんだよな。ゆくゆくは自分の店持ちたいんだよな。
夢のために何でも出来る奴だけが生き残れる厳しい世界なんだぞ、って自分の中で叱咤が飛ぶけど
夢のための努力と、上司に怯え続けるのは違うだろうと思う自分もいる。
だけど、今の職場が自分の成長にとって良いことも確かで、でも、そのためにブラック職場に加担するのは違くない?とも思う。
頭悪いからまとめられない
もう少し要領が良かったらこんなこと思わないのかな
10年以上前になります。友人Aが自殺を図りました。結果は未遂です。
Aとは高校時代にあるアーティストを通じて知り合い、以後お酒を飲める年齢をすぎる頃まで友人でした。
お互い初めての社会人生活に悪戦苦闘していた時期でもあり、時々飲みに誘い合っては楽しいこと辛いことを語り合い、まあ良い関係で過ごしていたと思います。
ありがちな表現になりますが、「そんな素振りはなかった」というやつです。
それでもAは私の与り知らないところで追い詰められ、勤め先の屋上から飛び降りたそうです。
病院へ見舞いに行ったとき、頭部はなんともなさそうでしたが車椅子すがたで、足腰を相当に砕いたようでした。
私は報せを受けてからも、病院で顔をあわせてからも、「馬鹿野郎」という気持ちしかありませんでした。
本人にも言いました、この馬鹿野郎がと。こんな馬鹿の見舞いなど時間の無駄だったとまで言い放ちました。
最低最悪です。当時の私は「自殺の否定が叱咤激励になる」と信じていたのです。書いてて頭いたくなってきた、馬鹿は私だよ。
Aは怪我と心の療養を経て社会復帰しましたが、もう私とは友人ではなくなりました。
ただ否定するばかりの私に友情など感じなくなって当たり前です。
元気になったAは「こっちだってお前みたいなやつに見舞いにこられて迷惑だった」と言い残し去っていきました。以後お互いどこでどうしているかは知りません。
そんな経験があったからこそ、三浦春馬さんの選択を否定したくない……などと180度回転できるか。
春馬さんと友達になりたかった!(※一般人なので可能性のかの字もない)
悲しい最後を選びおって、と同時に、彼は30年を生き切ったのだブラボー!という気持ち。
どうやら頭の情報処理能力が低いようで、理解力も低く頭の回転も遅い。学生時代から勉強も出来ず、学校へ通うだけで疲れ果てて家帰ってからずっと寝てたっけ。
ニートでもポテンシャルが高めなら高卒で職歴なし20代後半でも社会復帰と社会適応が可能なんだろうけど、頭の悪い人間は毎日社会生活を送るのが辛すぎて、仕事辞めたり転職したりして、なんとか片手で社会にぶら下がってるけど、仕事も1覚えると2忘れるし、いつもやってる業務すら頭から抜け落ちてきて俺は昔から駄目だったけどもう今は本当に駄目になっちゃったんだなって思った。こうなると社会にしがみつく握力もなくなってきて、1人宇宙に放り出された気分になってくる。周りには数多の星が見えるんだけど、はるか遠くで、どれだけもがいても星に近づけないので、思考を放棄してボーっとしている。最近生きてて楽しさを感じることが無くなってきた。てか俺って今まで何を楽しみにして生きてたんだっけ。社会的に能力の高い人間が疲れきったら周りは「少し休め」となるけれど、能力の低い人間が疲れ切ると「やることやれ」と叱咤されるだけなんだよな。
高卒28歳、転職しても地獄だろうし、今の職場にいても地獄。転職か現状維持か自殺か。1度だけワガママを聞いてくれるなら早く安楽死さそてくれ。
ヘビーリスナーです。
4月30日深夜のオールナイトニッポンで岡村君は
最初の40分間は申し訳ない気持ちで反省、謝罪の言葉を何度も繰り返し
大変落ち込んでいた。ダイジョブカ・・
その後、結婚を機にオールナイトニッポンを辞めていた矢部君が登場、
矢部君はやさしいな。2010年に岡村君の頭がパカーンしてしまったような
2010年にも岡村君がヤバい状態のとき「休め」と言ったのは矢部君
だったと聞いたきがする。
矢部君はまだ子どもも小さいだろうに深夜の1時からの番組に現れ、
ヘビーリスナーにとっては、ラジオ最後の「ワーワー言うております。お時間です。さようなら」
は懐かしい思いがしたであろう。
岡村君も年を取り、いつのまにかお笑い界でも、その発言が大きくとらえられてしまう
岡村君にとって、オールナイトニッポンはとっても重要な場所なのだろう。
高校の同級生の話や正月に実家に帰ったときの話がよく出てくる。
普段であれば気を付けてトークしていたと思うが、コロナの影響で
よく反省してもらいたいが、
ラジオは続けてほしい。
何事も中途半端以下、努力も才能も、納期に間に合わせる力もないクズ。
そんなままこれまでの人生を生きてきた、自他ともに認めるクズ系クズ、それがわたし。
小学校の頃はまだまじめだった。いや、真面目の皮を被って生きていけた、というのが正しい。
合唱コンクールのピアノ伴奏で、本番にも関わらず二小節ほど停止した。
すぐ復帰はしたものの、「伴奏すら満足にできないクズ」「一生懸命練習しろよカス」と揶揄された。
「こっちだって十日前に突然任されたんだから」という思いでごまかしていたのが、クズの思考だったんだと思う。
高校の頃もひどかった。文武両道を語る、自称進学校にしか入れなかったのも原因の一つかもしれない。
だけれど、そうやって他責を真っ先に思いつきそれに縋るのも私がクズゆえの思考なんだと今になって自覚する。
夏休みの宿題を「明日出す」と一週間繰り返して出さなかった結果、生徒指導室行きになった。
テストは一夜漬けで、英語の赤点なんてザラだった。クズなので高3になってもベクトルの基礎がボロボロで「お前、やばいぞ」と叱咤された。
そうはいっても復習もしない、中身もない、自分に甘いクズなんだから仕方ない。
部活では、インターハイの三日前に怪我をしてキャプテンに詰め寄られてキレられた。
「本気じゃないだろ」「士気が下がる」「お前来んなよ」
重々承知してるけど、体面を気にするクズだから来るしかないんだ。ごめんなさい。
サークルでは技術の上達しないクズ部長を任された。指導は先輩に全部投げたし、全国大会ではわたしの凡ミスで奇跡的な逆転負け。
後輩を入れた以外は部室の置物として生きていた。これが本当の役立たず。
趣味の小説も電撃文庫に応募した。二次選考落選。それでプッツリキレて、投げ出した。
他の人たちは血のにじむ努力をしているのにさ、あーあ自分に甘いしメンタルが弱いドクズだこと。
研究室なんてひどさの塊だった。研究の報告会で、自分の研究をあまり理解していない始末、教官に顔をしかめられる状態がずうっと続いた。
ゼミの論文紹介なんて、内容が大したことないのに基本的なことすら上手く説明できずひたすら燃えて時間が終わった。
それを次に生かせれば良いものの、三年間ずうっと同じ感じでゼミは終わっていき。
最終的にドクターの先輩から「炎上商法」「ゼミの質問で、他の人が答える部分が多いのはM2としてどうなの」と御叱りをもらった。
修論なんて、実際完成度はめちゃくちゃ低いし、追い出され枠のお情けで卒業させてもらったんじゃないかと今でも思う。
修論とは別に論文化で必要なデータなんかも、わたしが責任もって行うべき部分を、残った人たちに押し付けて、逃げた。
正真正銘のクズ系クズ。そうやってこれまでの人生、生きてきた。
そして社会人になって、一か月。同期を数十~百人単位でとる企業に、文字通り『潜り込んだ』。
研修で、まだボロは出ていない。と思いたい。
しかし、この思考が頭に侵食されている時点でクズ系クズはまだ終わっていないし深く根付いていると思う。
それが社会人になって表出して、これまでとスケールの違う規模の失敗、負債を抱えてしまうことがたまらなく怖い。
そして今日、夢を見た。今まで迷惑をかけた先生やら同期やらいろいろな人が出てきて責められる夢。
全部元をただせば自分が悪い、出るとこ出れば10:0で負けることばっかやってきたので勝手にトラウマ負ってるだけなのだけれど。
実際甘えなのは分かっているが、このトラウマの数々を拭い去りたい。そして、人として多少はマシな状態になりたい。
藁をもすがる気持ちで、ここに吐き出して、書いている。
弊社は広告代理店だ
社員数は500名以上で、本社は東京、北海道から九州、海外にまで支社がある
詳しくは忘れたが、ワークライフバランスに関する賞もいくつか取っている
正確にいうと、子供のいる社員などはリモートワークの相談ができるらしい
先日、今回の騒動を受け全社的にリモートワーク応相談の書面が下りてきたが、未婚単身者の私に対する上長の答えは
だった
「新型肺炎に罹患してなおリモートワークで仕事をすべき」と思っているのか尋ねるべきだったが、脱力感に襲われ、聞く気が失せてしまった
朝礼・夕礼でわざわざマスクを外し、かわるがわるマイクを取っては、営業ノルマを告げ社員を叱咤している部長陣
と言いながら
「コロナに負けず頑張ろう!」
と叫ぶ上長たちを見て
「この会社を辞めよう」
と思った
猫は駄目なところもイイよねぇみたいに慰めてくれる。犬は駄目な部分を叱咤激励してはげましてくれる感じがする。
先日知り合いに副業の引き継ぎについて気をつけることはないか、という相談を受けた。
ご縁だったからと受けたらしいが、結論から言うと当人の人の良さを悪用したエンジニア搾取といっても過言ではない。
エンジニアを実質最低賃金レベルで依頼するなど、自分ができないことの敬意にかけている。
副業先はファッションスタイリスト出身の社長によるベンチャー企業だ。
今回引き継ぐことになったきっかけは「人を大事にしない対応をされた」とのことだった。
突然メールで通告され、夜な夜な電話で感情的に叱咤され本人もとても参っており、想像以上に大変なことをしてしまったと言っていた。
なるほど、本人の失態だから契約解除は仕方ないと最初は思ったが、
話を聞いていると実際100%本人の失態ではなく先方も悪い五十歩百歩だといえる。
加えて、本当にその社長が「人を大事にしない対応」で怒る人なのか甚だ疑問である。
本当は「自分が大事にされなかった対応」で怒る人なのではないだろうか。
前者と後者は似ているようだが、前者は関係者全員、後者は自分のみである。
本当に前者の考え方なのであれば、副業として携わっていた知り合いも含め大事にする対応をする必要があったのではないだろうか。
知り合い100%が悪かったなら譲歩の余地があるが、ましてや先方にも失態があるとなれば、
一方的に相手を攻めるようなことをするのは「人を大事にしない対応」に怒る人が一番嫌悪感を示すものではないだろうか。
給料が低いことに慣れているファッションスタイリストが社長をやっていては、
相手にも給料が低いことを強要させる「人を大事にしない対応」で、
相手から嫌われ、ネットに悪口を書かれ、と、損のスパイラルに入っていくのであろう。
相談を受けた後当該企業に知り合いが訪れ話し合った結果、なんと10月分の給料はもらわないことにしたとのこと。
これ以上話すのは時間と精神のコストが高いと判断した結果とのこと。もう戦う体力がなかったのだろう。
近年成長めまぐるしいGoogleが充実した福利厚生を提供するブームを牽引しているからか、
日本のベンチャーであるメルカリがSick Leaveやmercanなど多くの福利厚生を社員に提供したり
様々なベンチャーで男性の育休も取ることが推奨され始めている。
儲かるベンチャーは、文字通り「人を大事にしている対応」で優秀な人材を魅了している。
知人が今回出会ってしまった、自分たちを棚に上げて感情論でお金を支払わない決定を下すような「人を大事にしない対応」をする企業が、
デービッド・アトキンソン先生の本を読んで思い出しました。
僕が根暗になるまでの話です。
僕には年の離れた兄がいます。
学校でも人気者の兄は僕の自慢でしたし、憧れでした。
そんな彼が地元のサッカークラブに所属していたこともあり、僕もサッカーを始めます。
が、これがてんでダメ。
僕はサッカーが全く上手ではありませんでした。
するとどうでしょう。
とりあえず試合には出してもらえるのですが、ベンチのコーチからは試合中に大きな声で幾度となく叱咤を受けることとなります。
『あ~、だめだよ、だめだよ、〇〇ちゃ~~ん…』
という具合に。
初めこそ「上手いプレーで見返そう!」と何とか食らいついていました。
しかしそれすらも上手くいかず、徐々に心がすり減ってゆき、結局は委縮してしまいました。
常にコーチに見られている。
正直、試合の勝ち負けやなんてどうでもよかったです。
そして"その場しのぎ"を覚えたのもこのあたりです。
とにかくコーチに怒られたくありませんでした。
理解してもらえないかもしれませんが、これに関して印象的なエピソードがあります。
一度だけ、どうしても試合中にウンチに行きたくなってしまいました。
普通ならば「おなかが痛いです」ってベンチに駆け寄って一旦交代で済む話なんでしょう。
でもコーチの性格上、『試合前に行っとけよ...』なんて言われるのは目に見えていたので、どうしても言い出せなかったんですよね。
言っている側の内心では「まぁしょうがないか」程度に考えての言葉でしょうが、当時の自分はその一言を受け止められるだけの余裕がありません。
そんなダサイ状況ですから、普段の学校生活なんかにも影響が出てきます。
一度でも他人が自分をどう思っているのかを気にしだすと、何もできなくなっちゃうんですね。
今までは大好きだった体育の時間、ウケたくて熱心な準備をしていた帰りの会での一分間スピーチも。
この頃にはだいぶ日本人らしくなってきましたね。
そうしてだんだんコミュニケーションが下手になっていくのを感じてました。
自分が殻に閉じこもってる様子がはっきりと自分で見えていました。
そうして時間を無為にしている自覚と共に、その場しのぎを繰り返してきました。
何もできないし、とことんネガティブな自分にどんどん嫌気が差していきます。
特筆すべき特技なんかありません。
ちょっとできた勉強でさえも、大学ですっかり自信を失ってしまいました。
自分の場合はサッカーでしたが、他の根暗達は運動会やいじめなんかがキッカケだったんだと思います。
なんで経済系の本を読んでこんな事を思い出すのか。
家事とかやってくれなくていいんだ。
ただね。
酔って帰って、化粧を落とすとか入浴とかそういう最低限のことすらやる気がしない時、
「こんな所でダラダラしてないで早くお風呂入って寝なさい」って叱ってくれたり、
疲れて、精神的にダメージを受けて、帰宅して何もする気になれない時、
「今日も頑張ったね。いっぱい不安なことはあるだろうけど、あなたなら絶対大丈夫だよ」
って否定せず駄目な私を丸ごと受け入れていたわってくれて(だっことかしてくれるといいな)、
家事とか入浴とかやるべきことをちゃんとやるように優しく諭してくれて、それができたら、
「つらいときでもちゃんとできてえらいね」って言って(なでなでして)くれたりする
ママがほしいなあ。
家政婦みたいに家事やらなんやらを何でもやってくれなくていい。ただ、駄目な私を受け入れて、時に叱ってくれたり励ましてくれたりするママがいてほしいと思う時がある。
内科の病気はどうにもならないと言われるが、叱咤激励され、がんばろうと決める
その後、受験も成功して当初の余命より長生きはするけど、やっぱり死ぬ
最後、主人公の元担任がBJとすれ違い、主人公は満足してたと伝えるが、
BJは「冗談じゃない、死んで満足なやつなんているもんか」と言って去る
「のりこえてもいくらでも前に立ちはだかってるって感じ・・・」
「きっとえんえんと壁が死ぬまでつづくのね・・・・・・それが人の一生なんだわ」
「ぼくなんか一年たったら壁は一つだけ・・・それでおしまいなんだな」
子どもから大人まで、読んだときによって受ける印象が変わってきそうな話だった
あ、BJは手術しなかったけど、こころの手術をしたんだな、とふと思った
今でも通用するかわいさ