今思えば、パワハラを受けていた。
そのとき自分はまだ新人社員だった。転勤で職場環境が変わるまで、その状況が異常だと気づかなかった。全部自分のせいだと思っていた。
そこには、「26連勤目。今日は上司に『お前は人間じゃない!』と罵られた。死んでしまえばいいのだが、こんな人生でも愛着があるので死ぬことができない」などと書かれていた。
その他にも、「お前は病気だ」「恥ずかしい人間だ」と大勢の前で罵られた日々、新人には荷が重い仕事を課されながら、周りに見てみぬふりをされ、一人で連日深夜まで作業をして、日中上司が出勤してくれば罵られ続けた日々について書かれていた。
…私が変なのかもしれないが、最近思うのは、現在の自分がどうあれ、過去の自分は永遠に傷つき続けるのだということだ。
何を言っているのかわからないかもしれない。もちろん今の自分は何にも傷ついていないし、恵まれた人間関係のなかで働いている。成長もしたと思う。しかし、過去に戻ってあのときの自分を救うことはできないのだ。上司の席で首を吊りたいなどと本気で思っていた過去の私は、永遠に救われることはない。うまく言えないが、いまでもまだ、6年前のその事務所に、追い詰められていた自分がいて、なのに助けられない。いろいろな助言をして苦しみを和らげたい。叱咤激励もしたい。けど救えない。
そんな辛い日々があったからこそ、成長し、今の自分がいるのだと、前向きにとらえようともした。が、やはりあの仕打ちが新人の私を育成する上必要不可欠だったとは到底思えない。人格を否定するのではなく、具体的な指示とアドバイス、確認があればもっと要領よく業務を飲み込めたと思う。だから、あんな目にあう必要はなかったし、あんな目にあわなくても今の自分はいた。
災害と同じだ。起こらないほうがよかったし、起こったことに何か意味を見いだすことなんてできない。かといって今さら謝ってもらったり、同情してもらったりしても、過去の自分は救われない。
そんな自分の体験を他人に話し、他人が何かを言うたびにますます愕然とする。私の味方も敵も、同情的な人も批判的な人も、やはり遡って過去の私を救うことはできない。過去はただ苦しみ続けるのみなのだ。
なんだか本当にやりきれない。
誰かがパワハラで死んだことが伝えられるたびに、このようなことを思い、言われ続けた日を思い、きっと死んでも誰にも何も伝えられなかったであろう過去の自分と誰かのことを思い、悲しい夜を過ごす。