はてなキーワード: 叱咤とは
この二人の空手の動画を見て、川村さんに共感するという声がしばしば聞こえる。それは別に良い。
ただ周りが笑っているのは川村さんが不細工だからではないことは知っておいてほしい(川村さんの顔や表情が笑いの足しになっているのは否定しない)
動画を良く見よ。川村さんは、打ち返してこない相手にビビって腰が引けている。おっかなびっくりに打ったと思えば、終始「怖い」と嘆いている。打つ前から気持ちが負けている。いやだいやだと消極的だ。状況から逃げたくて堪らない。
一方の滝沢カレンさんはどうだろうか。最初からしっかりと打とうとしている。前に行って、競技に積極的に参加している。手数も多く、嘆かず、実直だ。どちらも同じように素人なりの柔柔な打ち方をだが、しかし、違いは一目瞭然である。これは滝沢カレンが美人だからそう見えるのではないのだ。
それが終わって川村さんの号泣である。もうそれだけでも十分に面白いが、男性陣に叱咤されたのが「不細工だから」と勘違いしているのが、ことさらに面白いのだ。違う。そうじゃない。臆病だからだ。男性陣は、特にノブコブは終始励ましていたのだが、それが叱咤に聞こえたのだ。
興奮している時というのは自分の体や動きを客観視しにくいものだ。だから滝沢カレンさんとの差を、川村さんは認識できなかったのだろうと思う。自分も彼女と同じようにしていると思ったのかもしれない。それで男性陣が滝沢カレンに肩入れしているものだと思ったのだろう。その乖離が、余計に滑稽なのだ
折口信夫への旅 第1部 ~小説「身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家・山本吉之助)
http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm
という折口信夫『身毒丸』解説文の中に、日本の師弟関係がなぜ理不尽で暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、
もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。
例えば最も古い感情を残している文楽座の人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。
そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。
なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)
それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠は身毒丸 を自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます。
しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます。
「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います。
身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸の脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。
一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。
春琴の教え方は 非常に厳しく、
「あかんかかん、弾けるまで夜通しかかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、
時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います。
『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである
本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、
摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた
それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという
また文楽座の人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある
玉次郎若かりし頃「阿波の鳴門」で彼の師匠の大名人吉田玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、
その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない
「阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである。
しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。
彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した
「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります。
世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。
ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。
そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。
自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。
つまり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます。
(中略)
神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります。
だから理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。
それは神に対して意地を張るということでもあ ります。
折口信夫は座談会「神道とキリスト教」において次のようなことを語っています。
神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。
神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。
既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。
しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。
『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)
そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しかも唐突に発しました。
例えば地震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。
このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。
みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。
そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。
古代人の 生活というものは、風雪災害や飢饉・病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。
そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまことに殉教者以上の経験をしたことになるのです。
貴種流離譚というものが民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。
民衆が貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。
神は別に何もするわけではないのです。
しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜の贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。
これが古代人が神に対する時の態度です。
源内法師は身毒丸に無慈悲な折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに、無辜の殉教者の姿を見たのです。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。
まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。
それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
折口がこのように語る時、折口は日本伝来の師弟関係のなかに、理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜の民衆の絶対的な関係をそこに重ねて見ているのです。
神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちをします。
我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽なものに思えます。
しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。
過酷な仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。
折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。
つまり、
神の理不尽な怒り(地震・台風・洪水・旱魃・冷害や飢饉・病気など)
→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む
「神よ、この清い私を見てくれ」
これが、古代の神と民衆の関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。
なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマや物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代からの宗教的な感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。
次に俺は片方だけ足を上げ、クルリと回ってみせる。
「な、なんて機敏な!? まるで自分の足のように動いているぞ!」
『鍛錬は心を包み込む』
アノニマンの教訓その6の通りだった。
「弟くんに、あんな特技があっただなんて……」
「いや、練習したんだろうさ……俺たちの知らないところで」
そうして一通り動きを見せていく頃には、俺はすっかり調子を取り戻していた。
今なら大技もできるという確信を持てるほどに。
「よし、次だ!」
俺は目の前にある階段を勢いよく駆け上る。
その勢いを殺さず、次は駆け降りてみせる。
「マジかよ!? 技術だけじゃなくて、勇気がなきゃあんなの出来ないぞ」
「これで最後だ!」
最後の一段、俺は大きく跳んだ。
そしてバランスを崩さず、綺麗に着地する。
当然、ここまでの間、俺の足はカンポックリから一度も離れていない。
完全に一体化していた。
「うおおお!」
「すごいな! いつの間にあんなことが出来るようになったんだ」
みんなが俺のもとに駆け寄ってくる。
カンポックリで感心してくれるか不安だったけど、杞憂だったようだ。
アノニマンの教訓その10、『スゴイことに貴賎はない』ってことなんだろう。
間違いなく俺はここにいる。
「それが今のマスダを形作ったルーツってわけね」
「あれ? でも今はカンポックリやってなくない?」
「そりゃあ学童に行かなくなってからは、わざわざそれをやる理由がなくなったからな。でも、あの時の経験が無駄になったわけじゃない」
俺はそれからも、様々な場所で自分を表現することが自然に出来るようになった。
何かに熱中して、上達する喜びも知ったんだ。
「へえ~、イイ話だねえ」
「いや、それそんなにイイ話じゃねえって」
同じ部屋にいた兄貴が水指すことを言ってくる。
兄貴はこの話を何度も聞かされていたので、ウンザリしていたんだろう。
「野暮ったいこと言うなよ兄貴」
「え、どういうこと?」
兄貴の言うとおり、アノニマンというのは昔の特撮ヒーローが基となっている。
その映像を見たことがあるけど、見た目、言動といい、確かにそっくりだった。
彼はそれに強く影響されていたってことなんだろう。
それは、しばらく後になって分かったことだけど、別にショックじゃなかった。
「そいつはこのアノニマンを真似ていただけ。ただのゴッコ遊びだったんだよ」
「そんなの関係ないね。俺と手を握ったのは“あのアノニマン”なんだ」
アノニマンの教訓その11、『私が尊敬されるような人間かどうかは関係ない、キミが私を尊敬できるかどうかが大事』。
それへの答えは決して変わらない。
「だったら、せめてその話は周りにはするなよ。お前はともかく、そいつにとっては黒歴史っつう可能性もあるんだからな」
「それっぽい理由を盾にしてケチつけんなよ。俺とアノニマンのことについて何も知らなかったくせに」
「……まあ正体なんて誰にも分からないだろうし、大丈夫……か」
どこかで惨めに 泣く人あれば
横槍気味に やってきて
啓発じみた 教訓で
好き嫌いは 分かれるけれど
自愛の心は 本物だ
アノニマンは 誰でしょう
アノニマンは 誰でしょう
小さい頃から厳しめに怒られる家庭で育った。怒られる原因は些細なことだが、水をぶっかけられたり、反抗期の頃は殴り合いもよくあった。
大人になった今、自分としては怒ってもらえて良かったと思っている。
なぜなら、箸の持ち方とか、口調とか、礼儀とか、謙虚であるべきだとか、社会人になってから躾けてもらえて良かったなと思えていることが多いから。今両親ととても仲が良いというわけではないが、恨んでなどいないし、まあまあの仲だと思う。
新卒で入った会社は歴史があり、社内政治や昭和的な文化が色濃く残っていた。メールの書き方で別の部署の管理職に怒鳴られたり、締切を過ぎて激怒されたり、接待の振る舞い方で怒られたり、呼び出されて歩き方を怒られたりした。
辞めて数年が経つが、自分としては怒ってもらえて良かったと思う。なぜなら、指導されたことは社会で生きていく上で求められることがあるからだ。あの時注意された所作は、些細なことだったかもしれないが、その些細なことを出来るからといって損はしない。出来なくて損をすることはある。たくさんのエネルギーを使って叱咤してくれた当時の先輩方には心の底から感謝している。
周りの人に怒られることで、「次は怒られないように頑張ろう」と思って成長してきたつもりである。
男女の家事比率を給料に合わせて4:6とか3:7にすれば?とか。
私は下方婚したが、他の人に勧められない。
一経験談としてご参考に。
正社員でガンガン働いていると、周りに専業主夫希望の男性はいなかった。
代わりに、私よりももっと収入が低い企業で働いている人はたくさんいた。
私は、たまたま好きな人の収入が自分より下だったがその人と結婚した。
実際には家事負担はこっちが多かったけど別に特に不満もなかった。
産前産後は給付金的なものもあり、入ってくるお金はゼロではないが
仕事ができなくなってる女性は、収入が激減しているんだけどね。
正直なところ、仕事ぶりを見ていると無駄が多く効率的ではない。
夫は裁量労働制で年俸が決まっており、残業しても年俸は変わらない。
だからこそ、結婚前は家事も負担できるって早く帰れるから子育てもやると言っていたのに
ぜんぜんできる状況じゃない。ワンオペ育児になってしまってる。
裁量労働制でも入ってくる仕事は調整できなくて忙しいって本人は言っている。
出産前には収入の多い少ないにかかわらず対等に、協力してやってきたが
夫が働くより私が働き続けた方が良いのになあと思ってモヤモヤする。
こんな不満が内側から湧き上がってくるとは思わなかった。
たとえば、妊娠出産、産後育児は自分の計画通りいかないことが多く
胎児の状況や生まれた乳児の体調など一切コントロールできないことが多い。
そして生物学的女性にしかできないことが出産前後の女には沢山あり
夫に代わりにやってもらうのは無理なことばかりだ。
そんな時に金銭面の心配をしなきゃならないのは結構ストレスである。
上昇婚であればこのようなモヤモヤは一切生じないと思われる
男が専業主夫になればいいんじゃない?って意見には賛同できません。子供持つまでは、それもありかな?と思ってましたが。
私の年収が1000万であってもです。
年収が高いと、産休育休中、収入が減るのに住民税は高いままです。夫が主夫で産休中の収入がないのは問題外です。
出産は命がけです。妊娠中に仕事して流産した友人も多くいます。私も早期胎盤剥離で死にかけました。子供もかわいそうです。
だから、子供を持つなら女性が仕事をセーブしても安心できること、出産を機に身体を壊し前のように働けない場合でも安定して生活出来ることが重要です。
上方婚で男性が働いている場合にはこれらの点がクリアできるので安心でしょう。
私は子供を不幸にしないように夫を叱咤激励し折り合いをつけて生活していこうと思います。
個人として上方婚の方がいいなんて当たり前だろ(笑)。「批判」ってのは社会全体では辻褄が合わないって話だよ。ここまで純度100%の馬鹿は久しぶりに見た。笑いすぎて腹痛い
笑っていただけたようで、なによりです。
社会全体で辻褄が合わないので、女性の上昇婚は困るという意味、だけではなく
多くの女性に改めて、下方婚について考えていただきたく思い経験を記載しました。
あくまで仕事を給料に変換するスキルが低いという意味と捉えていただいて構いません。
『個人としては上昇婚の方がいいなんて当たり前。批判ってのは社会全体では辻褄が合わない』
という意味で決して上昇婚を目指す個人を非難している訳ではないようですので
女子のみなさんは、ぜひご自身のために遠慮せず上昇婚を目指してください。
こんな文章書く人は管理能力低い。他人を見切ったようなこと言える頭とは思えんな。/ 下方上方関係なく、激務同士が結婚したって相手にはタッチできないというただそれだけ。心も技術もないのは結婚に向いてねーよ。
「下方上方関係なく、激務同士が結婚したって相手にはタッチできない」
「相手にはタッチできないという」言葉は日本語としての意味がよくわかりませんし、
他人を見切ったようなこと言える頭とは思えんです。笑います、すみません。
閑話休題。
激務同士でも、夫が私以上の給与、お金を稼ぐ能力があれば私は自分の仕事に全力を注ぐことを諦め、
時短で勤務時間を最大限減らすことを検討してもいいと思います。
しかし、下方婚では申し上げた通りそれは難しいので家事も育児もやって仕事もする必要が出てくるのですよ。自分の自分が出産する側でないなら、別になんとも思いません。
また、コメント見ていると、私の夫評価をご自分に言われたかのように捉えて
反応している方が多いように見受けられます。
そうとらえないでいただきたいです。
皆さまを下方であるとか、皆様の給与がやすいのは能力が低いからだと
もうしあげたいわけではありませんので!
数年前に結婚したが、手本となるような女性はいない。私は誰を参考にする事もなく、一人で決断した。私が期待しているのは「長姉として責任を負わせ過ぎてしまったね、申し訳ないね」という言葉。男なら、まだ頼りに出来る、参考に出来る人が周囲にいた。それなりに稼ぎがあって、奥さんを支える力がある人。しかし私は違う。男ではなく、女。職を捨て、夫の為に支えとならなければならない。年の近く同じ状況の者がいないというのは大体理解していたが、それでも生き辛さが拭えない。要領や愛想の良い、二番目の子なら違ったかも知れない。私はいつでも兄弟の手本となり、失敗が許されない立場だった。誰かの手本として立派に生きられている自信はない。
例えば私に姉がいたら、もう少し冷静なアドバイスを貰えただろうか。そいつは愛する価値がある人間かと、面倒臭い叱咤や反対があっただろうか。そういう上から目線、客観的な立場に立ってくれる人を求めていたのかも知れない。自分の行動に裏付け、動機が欲しい。
結婚適齢期とはいえまだ余裕がある従姉妹達。苦しい受験期間も誰かを頼らず努力していたようだ。
彼女らにもいずれ、婚姻する時が訪れるのだろう。その時私は何の手助けも出来ずにただ悩める彼女達を見守る事しか出来ないのだろう。何名かは妊娠し、出産するだろう。それを当たり前の事のようにやり過ごしながら私の人生は閉じて、終わりを迎える。
ヒプノシスマイクには期待していた。私はもともと、ライトにではあるが英語のラップミュージックを楽しんでいたからだ。
でも期待はずれだった。なぜかというと、ラップ音楽をテーマにしているのに曲が本当につまらないからである。ラップってあれでしょwww 韻踏んでwww YoYo言っててwww言葉づかい悪いやつwwwというメインユーザー層のイメージどおりのクソでしかない。
ラップとは言葉と音の芸術である。一見言葉づかいが悪いように見えるのは、ちゃんと歌詞を聞くと弱い自分への叱咤だったり不条理な社会への痛烈な皮肉であったりする。言葉遣いの悪さは、その気持ちが生半可なものではないことを示し、だからラップはリスナーの心を打つ。なのにヒプマイときたら。本当にがっかりだった。
子供がどーしようもない事例の全てが親のせいとは限らないが、本件の場合は全面的に親のせいな可能性が高いんじゃないかなぁと私は思う。
引きこもりの人の生まれ持った、社会に適応し難い性質が少なからず影響しているとしても。
要は親の期待が過剰だったんだろう。
引きこもりの人がよちよち歩きかそれ以前から、この月齢ではあれが出来てないとダメ、これが出来てないとダメっていう強迫観念に駆られて育てて来ちゃったんじゃないの?
今もアラサー男子たるもの一人前に会社に勤めて結婚もし、孫の一人や二人こさえてくれるのが普通だと、思ってるんじゃないの?その親達。
つうか、そう思ってなかったら取引先の会社の社員まで動員して息子を外界に引っ張り出そうとは思わないよね。
アラサー引きこもり男に必要なのは叱咤激励の類いでも社会的強者になれそな職の資格でもない。無条件の承認、ただ生きている事自体への祝福、そういうものだ。お父さんお母さんにとって掛け値なしの宝物だという事だ。
前置きしておくと、この文は後ろ暗い心持ちから生まれた文です。なので、読んでスッキリ、なんて読後感をお求めの方は別のページへと向かう方が良いでしょう。
この文の目的は、復讐…とまでは行かないけれど、私の知らないところでいいから、あの人に報いがあればいいな、という小さな期待。それと、結局、一体誰が正しかったのか?という答え合わせをしたいという願望です。
だから、もしお読み頂けるようでしたら、叱咤でもなんでもお言葉を頂けると幸いです。
まとめると、全てのタイミングが悪かった、という話です。
部署異動のタイミングで、家族の介護をせざるを得なくなり、やむなく退職を願ったが上司に引き止められ、一ヶ月後、無理がたたって自殺未遂をして辞めることになった、と。
私の昔の職場は、日本でも有名な観光地です。都心としては少し外れたところにあり、昔はそこまで発展はしていなかった場所のようです。ですが施設が出来てからは、大きく様変わりし多くの人で賑わうスポットになった…そんなとある観光施設です。今では交通の便も悪くありませんしね。
観光施設、というと明るく朗らかなイメージがあるかもしれません。実態は日本有数の観光地、という看板を背負えども、小さないざこざが絶えない職場でした。
それと、世の中どこもそうですがここも慢性的な人手不足。なので、応募があると即雇う。なので少し問題がある人でも雇うため、さらに人間関係がこじれるこじれる。
接客の案内部門にいた私は、前々職の経験を生かせるかも、と軽く話していた別部署に急に異動することになり、急遽販売部門に異動になったのです。
まあ、前職の経験もあるし、きっとやっていけるだろう。
そう思ってたんですが、ここで2つ問題がやってきました。
異動先があまりにもギスギスしていて、私はそこに溶け込めなかったんですね。
教わっていない事を聞くとなぜ知らないのか詰問されたり…なんというか、新人を受け入れるだけの余裕も無く仕事が忙しい、という部署でした。
それと私自身、ミスも何回かしたりして…本当に申し訳ない日々でした。ただ、そこから虚偽の失敗の報告を入れられたりするようになり、職場でどんどん孤立していきました。
噂では、職場の圧力が強くて退職していく人が多い、とは聞いていましたが、それを実感するとは、思ってもみませんでした。
そしてもう1つが、そう、介護です。
父方の祖父が急にボケ始め、体も衰え寝たきりに。共に住むのは叔母ですが、私も流石に手伝いに行かねばならなくなりました。
介護って聞くよりも本当に大変でした。
なので、ここでは詳しくは書きませんが、介護士というのは本当に慈悲深い方にしか出来ない仕事だと実感しました。
それと、父が祖父の姿を受け入れられなかったのか荒れるようになり。前から粗暴な人でしたが介護を強制するために暴力を振るうようになったのも困った点でした。
そんなわけで急に介護をせねばならなくなったのですが、仕事の都合があまりにも悪すぎる。
ざっくり早番と遅番の2パターンのシフトで出勤せねばならないのですが、
早番だと始発で家を出て、夕方に帰る。
遅番だと昼頃に家を出て、終電で帰る。
しかも契約社員だからバイトのように選択権がない。なので、どうしても休みたい日3日以外は選ぶ余地もなく、上司の采配次第、という状態でした。
もーこれはあかん、そもそも仕事だけでも体内時計狂いまくりなのにそこに介護なんて無理だ。こんな職場もう辞めたいし、もう無理。
そんなわけで上司に相談をしたところ、その上司の方からのお答えはこうでした。
私だって子育てして仕事して、二足の草鞋を履いてるの。他の人だってそう。でもみんな普通に生活してる。介護ぐらいのこと、どうしてできないの?このくらいのことを普通に出来ないの、本当に心配だよ?
それは心配の皮を被った、もっとおぞましい何かだと思いました。
私は普通に満たせていない。その言葉がどうしても怖くて、私は辞められませんでした。
心配なのは、私のことではなくて、人手不足な職場の方なんだろうな、とはわかっていても、普通に生活が出来ていない、という言葉がどうしても怖かったのです。
そういって退職は取り下げたものの、結局は、その一ヶ月後に退職をすることになります。
睡眠不足の朦朧とした頭で、祖父の崩れていく姿と、介護を強制するために受けた父の暴力と、職場の陰口の数々と、そして、普通に生活すらできないのだという烙印。
全部が入り混じれば、なんだか、簡単だったのです。
腕に、切れ込みをスルリと入れるくらいは。
あんなにまとまらなかった退職が、腕の傷一つでこんなにスルスルまとまるなんて。
ホッとする反面、ああ、これでついに私は普通の人間にはもうなれないんだ、という諦めがやってきました。
この職場で働くことを夢見てたのに。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
自殺未遂、だと人に知られると辛いよね?だから、あくまで君からの依願退職って体にしておいてあげるね。
その上司の優しさもなんだか申し訳なくて、何もかも裏切ってしまったようでいたたまれなくて。
そんな失意の中、私は前職を後にしました。
あんなに辛かった職場から離れ、今は穏やかな社員に囲まれた、緩やかな仕事で生計を立てています。
私がその後、父の暴力に耐えかねて、家を出たことで介護人員がいなくなり、仕方なく父も祖父を施設に入れることに了承。叔母の負担も減り、祖父もきちんとした処置を受けることができるようになり、丸く収まりました。
金銭負担がかかるため、父は私を探しているようですが、警察と役所に保護されているため、私の戸籍や住民票を、父は見れません。私は父からすればほぼ失踪したことになっているのです。
あんなに辛かった仕事とも、家族とも縁を切り、今、ようやく穏やかな生活を手にしました。
何も過不足ない日々。けど、ようやくそこへたどり着けたからこそ、今になって昔の日々への怒りや疑念が募ってしまって仕方がないのです。
どうして、私は職場であんなに冷遇されなくてはいけなかったんだろう。
どうして、普通ではないとまで言われなくてはいけなかったんだろう。
あの日々は、自分ばかりを責めてたけど今になって周りも十分におかしかったんじゃないかと思えてきて、腹立たしくて仕方がないんです。
冷静に考えると依願退職にされたのも私のためじゃなくて職場の問題だと思うし。
接客運営を業務委託されてる身だから、クライアントに自殺未遂した社員がいることを知られたくなかっただけじゃねーか、と今になって気づいてそれも腹立たしい。
何もかも捨てた私は、やっぱり、ダメなやつなんでしょうか。
それとも、周りもどこか、おかしかったんでしょうか。
私サイドの話しかしてないから、中立的に見ることは困難だとしても、何かしら他の人の話を聞いてみたいんです。
昔はずっと私が悪いんだと自分を責めていただけだったし、今になっておかしかったのでは?と疑念を持ったので、何が正しくて何がおかしいのか、自分でもわからないんです。
それに、今でも前の職場がやっぱり好きだったから、辞めざるを得ないほどに弱かった自分を今でも時々責めてしまうのが辛いんです。
もっと、日本有数の観光地という稀有な場所で経験を積みたかった。
そう思ってしまうのです。
毎年十数人ほどスタッフが心を病んで退職していく、とは聞いていたけどまさか自分がそれに当てはまるとは思ってもなかった。
時折、東京の街を歩いていると、前職の建物が目に入ることがあります。
その度に、期待を裏切ったこと、職場の悪意、介護への負担、自分への落胆、あの辛い日々の全てをないまぜにした得体の知れない感情が心の中に生まれるのももう嫌なんです。
私、どうやったら楽になれるんでしょう。
私、どうやったら元に、普通に戻れるんでしょう?
もうしんぼうできないので、早起きして速攻で掃除を終わらせ、サービスしてもらえる的なお店に電話をしてしまった。
なので、このゴールデンウィーク前半、後半も少しかなを使った、オナ禁日記は終わりです。
ありがとうございました。
みなさんの熱い応援や叱咤激励がなければ、ここまで我慢することはできませんでした。
心の中のツッコミニスト「いやお前、遺書をそうやって揶揄いの対象にすなや!
けど、とろろと精液が似てる辺りがネタとしての成立度をあげているので、セーフ?
そんなわけあるかい! もうやめさせてもらうわ」
ありがとうございましたー。