はてなキーワード: 剣術とは
YouTubeを見ていたら何故かおすすめに鞭杆(べんがん)の動画が出て来たので見ていた
投稿日が13年前で一体どうしておすすめに出て来たか不明だが套路と用法を見ているとなるほどなぁと思った
ちなみに鞭杆(べんがん)とは中国の山岳地帯の羊飼いが長さ120センチ前後の杖を武器として使い始めた中国山西省地方の伝統武術の粋らしい
套路を見ていると上段の受け方に何通りかあって突き、下段にも同様の攻防があるようだった
ただ剣術だとその受け方はしないので120センチの棒での攻防が前提条件であるようだ
2017年に使用期限が切れているパブロンを部屋の中から発掘し、適当に飲んで誤魔化してみる
総合感冒薬なので発熱以外にも咳や鼻水などを抑える副作用がある。
副作用というと語弊がある。パブロンとしては風邪薬なんだから主要な薬効を発揮しているだけに過ぎ無い。
横着して新しく解熱剤を買わなかったのは私本人である。自業自得であり、この程度の副作用ははなから受け入れるつもりでいた。
しかし発熱くらいどうにかなるという楽観的な予想に反して、発熱は38度台をキープし続ける。
発熱によって体力を消耗するのは悪手である、本来ワクチン摂取後の休みの期間の大半は寝て過ごすことを前提に考えていたのだが、純粋に睡眠欲求が感じられ無い。
全ての症状が睡眠をするべきだという主張を叫んでいるが、脳内のホルモンバランスはこれらに相反して、睡眠は不要であると切り捨てる。
私は寝る前に軽く空想をして楽しむ趣味がある。趣味というよりは日課。日課というよりは習性とか性質といった類のものである。
一つの妄想にはメインヒロインと、それを取り巻く空想世界、多くの場合は異世界などが含まれる。
昨日は各ヒロインをティーパーティーの空間に拉致して、合わせてみようという試みの妄想を展開した。
女の子は三人、異世界転生で獲得した剣術を使い、幼い頃から剣の手解きをした女騎士。お兄ちゃんである私のことが大好きなアイドルの妹、悪魔をレイプして産ませた、羊のツノを持つ娘(12歳)。
彼女らを話し合わせ、その背後に私という男がいることを認識させて、私たちおんなじ人のことが好きなんだ…といった情景をニヨニヨしながら愛でるといった、趣味の悪い妄想である。
ちなみに、女剣士とアイドルちゃんは物語世界で私と死別をしている。
このお茶会で、私という男との関係を語るには、私との死別した経験を語らなければなら無い。
彼女たちとの交流や死別の仕方は、いくらでもディテールを掘り下げて語る事ができるが、長くなるのでここでは割愛する。
そしたら、もう彼女たちはボロボロ泣いちゃって、本当に愛おしいんだよね。
最悪の別れ方、殺され方、死に方をしているから、心に傷を負ってしまってるんだよ。
そこに颯爽と死んだはずの私が登場して、彼女たちの心労を労うわけ、顔をグシャグチャにして強く抱きついてくる反応は、本当に心のちんこに響く。
彼女ら本当にいい子なんだよ。そんな子にこれほどの悲痛な経験をさせてしまったこととかを考えると、私も布団の中で嗚咽を噛み殺して泣いていました。
そんなこと言い出したらハムレットは「王が急死する。王の弟クローディアスは王妃と結婚し、後継者としてデンマーク王の座に就く。父王の死と母の早い再婚とで憂いに沈む王子ハムレットは、従臣から父の亡霊が夜な夜なエルシノアの城壁に現れるという話を聞き、自らも確かめる。父の亡霊に会ったハムレットは、実は父の死はクローディアスによる毒殺だったと告げられる。
復讐を誓ったハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに憂慮するが、宰相ポローニアスは、その原因を娘オフィーリアへの実らぬ恋ゆえだと察する。父の命令で探りを入れるオフィーリアを、ハムレットは無下に扱う。やがて、王が父を暗殺したという確かな証拠を掴んだハムレットだが、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたポローニアスを、王と誤って刺殺してしまう(「ねずみかな」という台詞があるが、本当にねずみと思っていたわけではない)。オフィーリアは度重なる悲しみのあまり狂い、やがて溺死する。ポローニアスの息子レアティーズは、父と妹の仇をとろうと怒りを募らす。ハムレットの存在に危険を感じた王はレアティーズと結託し、毒剣と毒入りの酒を用意して、ハムレットを剣術試合に招き、秘かに殺そうとする。しかし試合のさなか、王妃が毒入りとは知らずに酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズ両者とも試合中に毒剣で傷を負う。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を殺して復讐を果たした後、事の顛末を語り伝えてくれるよう親友ホレイショーに言い残し、この世を去ってゆく。」
だしグレートギャツビーは
「舞台は1922年、狂騒の20年代のアメリカ。語り手のニック・キャラウェイは、イェール大学を卒業後ほどなくして戦争に従軍し、休戦の後に故郷の中西部へと帰ってきたものの、そこで孤独感を覚えた。証券会社で働くことを口実に、彼はニューヨーク郊外のロングアイランドにあるウェスト・エッグ(英語版)へと引っ越してくる。
隣の大邸宅に住むジェイ・ギャツビーなる人物は、毎夜豪華なパーティーを開いており、ある日ニックはそのパーティーに招かれる。しかし、パーティーの参加者たちはギャツビーについて正確なことを何一つ知らず、彼の過去に関してさまざまな流言飛語が飛び交っている。
やがて、ニックはギャツビーと親交を深めていく中で、彼が5年もの間胸に秘めていたある想いを知ることになる。」
じゃん?
天然理心流の太い木刀か居合刀で稽古してる奴こそベストだと思う
スポチャンや竹刀振り回すのは技術体系からして軽い棒を振り回す技術でなんかイケてねえなって
軽い棒振り回すなら杖道かカラリパヤットでも習った方がマシやで
そもそも有効打を与えなければポイントにならないのなら鍔迫り合いに持っていって相手の手首掴んで投げてこかして防具の隙間を刺すか鍔迫り合いでかち上げで防具の隙間狙うとか色々あるけど防具の上から打って有効打です!ってアホかと
一寸斬られたらその時点で有効打じゃっつうの
何のために防具付けてるのか?防具の上を撫でて有効打ってアホだろ
仮想敵の警備員や警官はプロテクターや防具つけてんだからそれに対抗するなら防具を切るんじゃなくて隙間を制する稽古した方がよっぽど近代剣術として使えるものになると思うんだがな
物心がついた頃からずっと、二次創作は私にとって身近な存在だった。
シンデレラ、白雪姫、ラプンツェル。気に入った話があればすぐ「続きは?」とせがむ私に母はよく即興の続編を聞かせてくれた。
本を読んでくれるのは昼間だが、続編を聞かせてくれるのは眠る前の布団の中だった。
お話をしてもらえない日の夜は、仕方ないので自分の二次創作妄想で眠りにつくまでの時間を埋めた。母の語る話には遠く及ばないが、神が書いてくれない日は自分で書くしかない。私は今でもそう思っている。
お気に入りの妄想は、シンデレラや白雪姫が王子様に嫁いだあと、隣国の王子が姫を奪いに攻め込んでくる話だ。
自軍が不利な戦況になり、さらわれそうになったシンデレラが、果敢に剣術で立ち向かい隣国の王子を斬り捨てるシーンが特に好きだった。
隣国の王子を殺したあとは、隣国の家臣から銃殺されることも少なくなかった。
母のお話では主人公は死なないので、軽率に死ネタ妄想ができるのはひとりで寝る日だけの特権だった。
まあ、そうやってお話で寝かしつけられていた私は、下の子が生まれると今度はお話をしてあげる立場になった。
内容は好きなアニメや絵本、漫画のキャラクターがよその世界に遊びに行ったり、冒険をしたり、無人島に漂流したりする、雑多なクロスオーバーだったように思う。
小学生の発想力なんてそんなもんだ。
私がおはなし上手だったのか、それとも下手なのか、今となっては確認するすべもないが、当時はそれなりに喜ばれていた。
もうお話してあげないよ!と言って下の子を脅したり、言うことを聞かせたりしていたかもしれない。最低がすぎる。界隈でROM専相手に横暴きわめる同人女かよ。
「あの…そういう方に私の作品をお見せすることはできません。これからはリスト限定公開とさせていただきます。」「こんにちは!〇〇さんの繊細でありながら大胆な絵柄が大好きです!よろしければリスインお願いします💦」「初リプ失礼します。いつも〇〇さんの作品に元気をいただいています。昨日上げられていた✕✕の△△も、なんと申し上げて良いのか…すごいの一言です。もしご迷惑でなければリスインしていただけないでしょうか。」「初めまし
いやまあなんでも良いけど。
私はほぼ毎晩のようにお話をした。家族で伊勢海老を食べに行った日は、セーラームーンが無人島で釣った伊勢海老をエビグラタンにする話をしたし、幼稚園の運動会が近いときは、テレビで見たキャラがみんなで運動会をやる話をした。
大玉転がしの玉の下敷きになるハム太郎の話に、かけっこで水の上を走るバジリスクの話。応援テントで酒盛りをしているアガサ博士と毛利小五郎の話。バジリスクはダーウィンが来たに出ていたのを一度見ただけだが、かなり気に入っていたのでどの話にもちょいちょい出した。
いくらでも作れたし、思いついた話を笑って聞いてもらえるのはとても楽しかった。
しかし私がどんなお話をしようと、界隈の神は揺るぎなく母であった。
特別な夜にだけしてもらえる母のお話は、いつも夢中になるくらい面白くて、私なんか台詞、ストーリ、構成。どれをとっても母には敵わなかった。
私の話はキャラ萌えと勢いの良いギャグだけが売りの、とっ散らかった話だ。毎日連載し続けた根性はともかくとして、行き当りばったりで筋の通ったストーリーが一つもない。
まあしかし、特に私は母に嫉妬するでもなく、たまに母のお話が聞ける日をとても楽しみにしていた。
そんな私がジャンル撤退するきっかけになったのは、別の神との出会いだった。
10歳の頃、初めて使ったインターネットで、なんとなく好きなアニメについて検索していたら、同人サイトに入ってしまった。
同人サイトの主は原作によく似たきれいな絵を描く人で、私はたちまち彼女の虜になった。
そこから私は「寝る前のおとぎ話界隈」という平和な世界に彼女の解釈や妄想をそれとなく持ち込むようになった。
下の子は世界観のアンバランスさに文句を言いながらも、はじめは許容してくれていた。
でも私が「同人サイトで出会った神」から得たネタを使う割合が増えるに従って、「寝る前のおとぎ話界隈」はどんどん崩壊していった。
それまでハリーポッターにもおじゃる丸にも濱口優にも等しく見せ場があったはずなのに、私が「新しい神」に毒され好きなキャラばかりを贔屓し始めたからだ。
やがて、「寝る前のおとぎ話界隈」は、かつて神であった母からの「あんたたちいつまで一緒に寝てるの?」という言葉により終了した。
そのとき既に私の関心は新しい「神」に移っており、特に未練はなかった。
産まれてから10年。私に二次創作の楽しさを教えてくれた本当に長い付き合いの界隈であった。
まああれから十数年経った今も、私は好きなジャンルの同人界隈に属し、二次創作を書き散らかしている。
下品なエロを書くこともあれば、原作のほんの一コマを補うなんでもない話を書くこともあるし、昔みたいに推しをシンデレラにする日もある。
しかし「寝る前のおとぎ話界隈」にいたときほど自由に、のびのびと活動できることはもうないと思う。
性欲とか、原作レイプとか、解釈違いとか、神への嫉妬とか、スランプとか、評価とか、感想とか、ネタ切れとか、文才とか、表現力とか、完成度とかそんなことは一切考えずにただ思いついた話を語り、それを聞いてもらうだけで楽しかった「寝る前のおとぎ話界隈」
二次創作は全部オタクの戯言だとか、他人の褌で相撲を取る下劣な妄想だとか言われると、まあ今の私は怒らないけど、10歳の私はきっと怒るだろうなと思う。
あの頃の私は原作を神だなんて思ったことはなかったし、世に出されたキャラクターは読者みんなのもので、ルパンも桃太郎も鉢かつぎ姫もひとたびお話に出してしまえば全部自分のものになった。
キャラクターはみんなのものだと言いたがらないミッキーマウスは嫌いだった。絶対お話には出さなかった。
マイナーな話題だから反応って言うかブクマもトラバも無いと思うけど(って予防線張ったけどめっちゃあったわ。ありがとね)
ドラゴンクエストの漫画作品って色々とあるじゃないっすか。俺、基本、(電子書籍中心に)全部買ってまして。
スライムもりもり
スライムドーン
ゆうべはお楽しみでしたね
で、全部買って読んだ結果一番おもしろい漫画が何かと考えた結果
まず、敵が超頭いいのよ。敵には「復讐の月(イシュ・ヤンカル)」という大魔術だか魔導兵器だかの発動という勝利条件があって
その勝利条件を人類(アストルティアの5種族)達に知られないように達成しようとしている。
その魔族側が持つ余裕の範囲内で、研究をしたり復讐に動いたり。敵として考えられる範囲内で理性的に行動を起こしていて
一枚岩ではない魔族側をうまい事まとめている国家の長としての魔公王イシュマリクが超かっこいい
魅力的な物語は超魅力的な敵あってのものだと思うので、敵が作中で最高に魅力的なキャラクターというのがまず最高。
それを倒すべく立ち向かっている我らが主人公のソウラもすごいキャラクターで
最初はチートとも言えるエクステンションライン(ドラゴンの紋章)頼りのキャラクターだったけど
自分がライン以前から持っていた剣術への理解を深める事で新たな境地へたどり着いたり
ネームドキャラクターみんながやりたい事や目指している事が違っていて、それぞれが「作者に動かされている」のではなく
「生きている」って感じのキャラクターなのが素晴らしい
あと、ドラクエ10の世界なので、今行われている海底魔城攻城戦は100名の読者投稿キャラクターが活躍しているんだけど
流石にドラクエ10の勇者ほどのパワーは無いという描写は守りつつ、メドローアのような呪文や
魔術を極めた者によるハッキングだったり、旅の扉の建造による補給路作成作戦だったり
全編にドラクエ11~10にいたる全てのドラクエの要素が網羅的に使われていて
他のドラクエ漫画はだいたいが「主人公達が作品世界内で最強」なんだけど、ソウラは全然そんな事なくて主人公達の実力はその世界の中でも低い所からスタートしていて、主人公よりも強い冒険者が山程いるっていう層の厚さも個人的に好き。
ドラゴンクエストという超有名ブランドでもスピンオフとなると追う人はあんまりいないんだなぁって思った。
ドラクエ10で遊んでたらスマホアプリ経由でタダで全話読めるからドラクエ10遊んでる人はだいたい読んでいるんだが・・・。
この作品は面白すぎるのでドラクエ10を遊んでない人にもおすすめできてしまう。
と言うかVジャンプ、今、全ての漫画雑誌の中で一番おもしろいまであると思う。
ダイの大冒険の前日譚も連載中だしな。
【追記】
「タダで読めない」については1日10ジェムもらえるからコツコツ溜めれば年間3650ジェムになるログボで買ってるって人が多いのよ。(そのおかげで紙の売上そんなに無いのに8年以上連載続けられてる。スクエニ様様)
この漫画の何がいいって「バイシオン」「スカラ」「ズッシード」なんかの補助呪文が効果的に使われてる事だったり
キラキラポーンやHPリンクやビッグバンやギガスラッシュのような特技がカッコよく使われてる事だったり
他のドラクエ作品よりもドラクエ要素を当たり前のように作品に取り込んでるのが好き
10に出てないモンスターも平然と登場させてたりするのには賛否両論あると思うけど
作中人物がさらっと流しているアレやコレやの中に大好きな世界観の延長線上にあるドラクエが見えてくると思う。
例えばエスコーダ商会の船の名前が「パトリシア級8番艦ミーティア号」なんだけど
船首にミーティア姫が象られていたり、パトリシアって4の馬車馬の名前じゃん!船のサイズの基準になってるんだ!ってなったり
あと、天空物語は電子書籍無いから未履修だわ。電子書籍発売されたら買うね。
他のドラクエ作品も面白いの多いけど、読んでる作品は人それぞれ違うんだから人それぞれの「個人的最高傑作」があっていいと思うのよ
ただ、2つ言うことがあるなら、ダイの大冒険好きには今連載されてる「勇者アバンと獄炎の魔王」は買ってほしいし(作画変わってるけど気にしないで。原作あり漫画の魅力は原作者が8割だと思ってるので)。
ロトの紋章好きは続編のもんつぐまで読んでほしい(完結したばっかり)。
1番好きな作品なら食わず嫌いせずに最後まで付き合うと楽しいよと、ダイ好きとロト紋好きには伝えたい。(最強ジャンプ買ってるからクロスブレイドも読んでるけど、こっちは素直におもんないですね…)
あ、スライム冒険記については、今連載しているスライムドーンでは人間になったヨーゼフ(スターシステム)が出たり、モシャス変化のカメオ出演だけど勇者スラきちが出たり、蒼天のソウラのキャラクターがスライムドーンのレギュラーになってたりするのでかねこ先生好きにはこちらもオススメ。
「ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説」ってアニメをこないだabemaTVの一挙放送で全話観たんですよ。
すっげー面白かった。
観る前は評判悪かったんで敬遠してたんだけど、確かに序盤つまらないけど後半面白いって言うか
「ダンジョンを踏破するワクワク感」「新しい街に到着してホッとする感覚」「パワーアップは基本的にアイテムの入手」だったり
何よりも原作BGMが使われている事だったり、身内と実況してツッコミ入れながら楽しんだから面白かったって要素が1番大きくはあったんだけど(1人で観てたら序盤で脱落してたかもしれぬ)
なんにしても自ジャンル作品の食わず嫌いって良くないなって思った。
今はドラクエライバルズエースっていうドラクエのデジタルカードゲームやってるけどすごい面白いので、ドラクエは令和も現役コンテンツだなぁって思う。
「斜に構える」という言葉は、もともと剣術から生まれた言葉で「改まった態度を取る」という意味だったが、
「皮肉めいた不真面目な態度を取る」という誤用が広まってしまったため、今ではそちらの意味でも辞書に掲載されている。
「すべからく」という言葉は、「当然●●すべき」という意味だが、
「すべて」「総じて」「おしなべて」という意味で使われがちである。すべてと音が似ているからだろうか。
文章を書くときでも会話するときでも、こうした誤用の多い言葉は避けることができる。
誰もがわかる表現に変えることで、意思疎通のすれ違いを防止可能だ。
一方、そうじゃない言葉がある。
誤用が多いとまでは言わないけど、稀に誤用している人がいる、という言葉。
例えば頻度を表す言葉。
「しばしば」という言葉は英語でoften、それなりの高頻度を表す言葉だが、
「時々、少し、稀に」という意味だと認識している人もいる。本当にいる。
「5分弱」と言った場合、4分50秒とか、いわゆる「5分足らず」を意味するのだが、
「5分とちょっと」という意味で使う人もいる。これは結構多い例かもしれないが。
ああ、この人間違ってるな、こういう意味で使ってるんだろうなと脳内変換してスルーすれば済む話だ。
だが、例えば仕事中にこういう人に遭遇すると、なかなか困ったことになる。
正しい意味で使った自分の言葉を、その人特有の誤用で解釈されると厄介だ。
先に上げた頻度や時間の程度を表す言葉に関しては、ギリギリ避けられるかもしれない。
具体的な割合で伝える、秒単位で伝えるということも可能だろう。
だが、いつもいつもそこまで気を配ることはできない。
というか、「しばしば」問題は実際に起きた。
「取引先が使ってきた正しい意味での"しばしば"という言葉を、自分の上長が間違った意味で指摘する」という状況だ。
幸いその上長が話しやすく、人の意見を受け入れてくれる人だからなんとかなったが、
私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。
その名を五月雨郷という。
五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家、徳川美術館所蔵となった刀である。郷義弘が作刀、江派の打刀だ。
チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推しの実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。
でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。
『越中国の刀工、郷義弘作の打刀。景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。
行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21
北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である。黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀か江戸かである。
私は俳句に明るくない。必死に松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。
中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり、10以上残しているらしい。私が適当に地元の図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。
忍どっから出てきた?
犬耳なんだ?
『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
五月雨を使った句は素人が適当に図書館行くだけで10以上見つけられる。
集めて早しがダメなのは艦これにいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨も関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?
※この俳句の意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)
ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである。
この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨と意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。
そして顕現セリフもまたひどい。
『郷義弘が作刀、名物、五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの。
それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』
これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である。
犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。
だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。
義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者。全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑うクズ男士になってしまうから。
また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたことからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述が確認できるものはない。由来は
・五月雨の頃の極められた
・五月雨のように美しい刃文
創作というか嘘をつくな。
もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術の指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良と伊賀の間辺りなので本当に五月雨郷関係ないぞ。
さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である。
松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句に関係する何かがあると思うだろうか?
刀剣乱舞のログイン画面には「この作品は創作であり、史実等とは異なる場合がございます」とある。
だから史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間は史実厨と呼ばれ嫌われる。
史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である。
行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。
閑話休題。
五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまりに史実からかけ離れている。
その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。
もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装は2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。
何故犬で忍者で松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。
五月雨郷という刀は犬のおしっこも関係なけりゃ元の主を犬公方とバカにもしない。
男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有の深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣の五月雨郷だ。
全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいものを勝手に創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。
いっそ関係のない刀だと明言しろ。徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分の推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。
私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。
人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。
私が求めているのは、五月雨郷という実在の刀剣の名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである。
何度も言われた。刀剣乱舞は創作なんだから。刀剣乱舞は史実とは違うから。私自身も何度も何度も創作だから仕方ない、創作と史実は違うのだからと必死に自分に言い聞かせた。
でも、やっぱり、許せないのだ。
刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近は文化の担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当なキャラメイクでキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。
今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称を体現するものとして認識させるのどうかと思う。
創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。
私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である。
キワモノだからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀であると認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。
五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?
信長も秀吉も家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?
もう一度言う。
五月雨郷の美しさを知ってくれ。
五月雨郷は本当に美しい。
でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作は免罪符ではない。
Twitterを見た。
様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。
1.他の刀剣もだろ。
A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣が推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?
生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉と五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。
3.犬の尿は汚くない
汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?
第一印象で俳句の意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。
知ってるよ。でも今出した意見は松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。
柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者は伊賀の町おこし壊すからやめてくれ。
五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったときに松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。
私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。
6.とうらぶやめろ
やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから。