はてなキーワード: もどかしいとは
その夫氏の気持ち、めちゃくちゃわかる。俺かと思ったわ。自傷行為こそしないけども。
「旦那が主夫になって妻の自分が働き始めたら男の責任からくる大変さがわかった」
というような内容の投稿があったけど、まさしくその男の責任っていう部分じゃねえかなあ。
そういう状況って多分女の人が思ってる以上にプレッシャーは掛かるんだよね。
家を建ててない俺ですら「家ほしい」って言われるたびに胃がキリキリするもん。
で、その状況で「辞めていいよ」って言われても、じゃあ生活どうすんねんっていう。
自分が働き続けなきゃ今の状況を維持できないのに、そんなこと言われても愛想笑いしかできないんだよ。
どれくらいの収入があるのかわからないけど、生活に余裕がないと余計にね。
プレッシャープレッシャーって言うけど、だからと言って妻や子が枷になっているのかというとそれは違う。
あくまで俺の話だから話半分に聞いてほしいんだけど、妻や子どもってもちろん大変な面もある。
だけどやっぱり精神面を支えてくれる大切な存在だから枷だとは思わないんだよね。
家族を幸せにしたい、美味しいもん食わせたいし、楽しい思いもさせたい。
枷ではないけど、家族を支えなきゃ、ローンを返さなきゃっていうプレッシャーはある。
だからこそ、やり場のないストレスを自傷行為として発散しちゃうんだろうなあ。
だけど簡単には辞められないし、転職だって様々な側面から考えるとうまくいくとは限らない。
職場環境なんかは入ってみないとわからない部分もあるしな。くじ引きみたいなもんだ。
しかもこのご時世だからな。比較的転職が多い方な俺も、今はちょっと避けたいと思うもん。
だから、多分その夫氏からしたら現状は八方塞がりなんだと思う。
せめてそういうプレッシャーから解放される時間が少しでいいから欲しいんだよ。
もちろん、毎日夜一人にしてとは言わない。週に1回、あるいは2週に1回でいいから、
一人でいられる時間があるだけでもだいぶ心に余裕ができるんじゃないかな。
家族に内緒で有給を取っちゃうっていう方法もあるにはあるんだけど、
例えば妻が体調不良で子どもの世話をしなきゃいけないなんていうことも想定すると、
なんつーか、頑張れって月並みなことしか言えないのがもどかしいんだけどさ、
話聞いて、要望を受け入れてあげてほしい。
もちろん、なんでもかんでも無条件で全部受け入れるんじゃなくてね。
それくらいなら平気そうだなっていう範囲でさ。
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/5230903.html
http://himasoku.com/archives/52137451.html
http://world-fusigi.net/archives/9732146.html
このスレ何個かのまとめサイトに上がってるんだけど、半分素人の俺から見ても、讃岐直島三宅家の史料だとわかる。
瀬戸内海歴史民俗資料館から1978年に史料目録も出てるから、この史料の近いところで調査の手が入っている史料なんだと想像できる。
だから大切に伝えていってほしいんだけど、なかなか1にこの気持ちを届ける方法がなくてもどかしい。
どっかで1が見てくれたらいい。
何個かまとめサイト上がっているからどのサイトにコメントしていいか迷うけど、この史料、讃岐直島三宅家の史料だよ。天領の村役人の家。
『讃岐国香川郡御料直島三宅家文書目録』って本が瀬戸内海歴史民俗資料館から1978年から出てるけど、1があげた史料の三宅岡右衛門とか出てくるんだよね。如上の『讃岐国香川郡御料直島三宅家文書目録』が瀬戸内海歴史民俗資料館の収蔵史料の目録なのか、三宅家所蔵の史料の目録なのか知らないんだけど、史料の状態見る限り未整理(史料番号などが確認できない)だから、1978年の調査に漏れてる史料なんだと思う。
こういう史料は、来歴がわからないとコメントされている通りちり紙になっちゃうんだけど、この史料は40年ほど前に調査されている。だから調べようがあるし、他の史料とも突き合わせて調査できるいい史料。もし1が見てたらなんだけど、大切にしてほしいと思います。また困ったら瀬戸内海歴史民俗資料館に聴いてみるといいかも。
ガッチャのMVに殴られて死んだ。金銀クリスタルしかやったことなかったのでHGSSを中古で揃えて進めていたのが10~11月。最高だった。ワカバタウンの風が吹く音、草むらと地面を歩くときの音が違うこと、マタツボミの塔の柱が揺れる度に軋む音。あとポケモンがのっけから後ろをついてきたときの可愛さ。時間帯で細かく違う明るさ。最初の感動がほんとに忘れられない。レッドを倒すところまでめちゃくちゃ時間をかけて楽しんだ。旅を進めるのが楽しいエンジョイ勢なので終わってしまうのは本当に本当に悲しかった。他のシリーズ、マジで興味なかったけどあまりに寂しすぎたのでポケパルレがよさそうなXを買ってやってみた。地方が1つしかないのですぐ終わった。エピソードは重いけど良かった。でも、やっぱりHGSSの感動を超えられない。
これからいろんな人に進められたBWを買う。それが終わったら多分スイッチ買って剣盾もやっちゃうと思う。でもそれはHGSSの素晴らしさを再確認する作業になると薄々気付いている。
思い出補正で完全に主観。自分の貧相な思考が記録を更新したくないだけ。そう分かっているけど言わせてほしい。金銀からのHGSSは本当に最高なんだ。
ジョウトの街並みは歴史を感じられて好き。元になった都市が明らかに分かるのが良い。奈良と京都がモデルの町は、景観保護で渋い色の建物になっている。良い。ライバルは正統派のライバルで好き。物語の中で人と関わりながらちゃんと成長しているのが本当に良い。彼はもう一人の主人公だと思う。他の登場人物もキャラクターが立ってていい。有名なカリンさんの台詞のあとに、ワタルがいかにも趣味全開のパーティ組んで待ってるのがいい。正義感強くていかにもチャンピオンなワタルすごくいい。アカネもマツバもミカンもシジマもイブキも、カントーのジムリもみんないい。殿堂入り後にそれぞれで交流しているのを見れるのがいい。
EDが好き。ポケモンが可愛い。ポケモンが可愛い。登場人物の演出も個性があってすごくいい。切ないような名残惜しいようなメロディーがすごくいい。ラストで駆けていく主人公と赤緑アレンジを組み合わせるのが終わらない旅を示していて本当に好き。
物語もすごくいい。イベントは他の作品と比べたらミニマムだったけど、あのくらいの身の丈にあっているのがちょうどいい。私たちは一般人だから、世界を救う話は遠すぎる。大都市が占拠されて地下を探し回るくらいの非日常がよかった。何よりクリア後の展開が、本当に、本当に好きすぎる。新しい土地を開拓する、旅は終わらない形をとってくれたのがいい。そして、裏ラスボスのレッド。私はHGSSをやるまで他の作品でもラスボスとしてレッドがいるものだと勘違いしていた。それくらい当時の私にとって「前作品の主人公がラスボス」という展開は印象的だった。どのゲームを見てもあのレベルのポケモンを持つ人物はいないらしい。勝手にレッドが全世界で最強のトレーナーだと思っているので、その男の相手をするという展開が最後に置いてあるのが、本当に、本当に興奮した。最高だと思う。
連れ歩きはもちろん良すぎる。大型ポケモンは施設内に入れないところ、場所とタイプによって反応が違うところ、特定のポケモンと特定のしぐさがあるところ、細かく分かれていて本当にすごいと思うしすごい楽しかった。私が一番感動したのは、ポケモンリーグに来たときの「ゆっくりとうなずいた」の反応。他のどんなに可愛いしぐさよりこれが一番心に響いて、最初見たときに泣きそうになった。鳴き声が出ていないから無言で目を合わせて頷いているポケモンを想像したら、何もかも信頼してくれているように思えた。
キャラクターデザインもいい。男の子はなんとなくレッドをリスペクトしている形があっていい。二人とも絶妙に地味なのがいい。
ポケモンのデザインも全部がいい。伝説・準伝説、御三家、全部かっこいい。本当に究極体だと思う。いや、初代のそれぞれにはやっぱ負けるけれども……でも二作目としてあのデザインが置かれているのは正解だったと思う。初代の人相悪そうだけど愛嬌がある雰囲気を、見事に踏襲していて、かつモンスターさがまったく薄れていないあのデザイン。もう本当に、あそこ以外の御三家が考えられない。
もう他にもいいところはいっぱいある。全部がいい。46・47番道路の音楽がいい。ヒワダタウンのヤドンのチョイスがいい。君は今!の台詞がいい。ぼんぐりが自然採取できる特別感がいい。鈴音の小道の色彩がいい。可愛いもの好きな暴走族がいるのがいい。サカキのトージョウの滝のイベントがいい。全然出てこないのがもどかしい。でも本当に小さいネタを見ては良いと思ってしまう。本当に全部いいんだ。
こういうこと言ってると、どうしても他sage発言をしてしまうのが嫌 そういうつもりは一切ないけど、別のものをやってみて、やっぱりこっちが…と思ってしまう。
多分これは昔自分が最強だった話を何度もする大人と同じ感じなんだと思う…昔の思い出が強すぎて、今を受け入れてなくて何度も同じ部分を懐かしむというか…
HGSSは最高。それは変わらない事実だけど、その前後にある自分の思考は良いものとは限らないんだよね…。その思考を変える努力をしていない自分はダメだと思う。精進します…
https://www.nintendo.co.jp/ds/interview/ipkj/vol1/index6.html
"それから、今作ではトレーナーとポケモンがどう向き合っていくか、どう関わっていくかを大きなテーマにしていて、それをシナリオにも入れています。”
泣いた
とある過程で興味を持ったんだけど、作品によっては物凄い品質の良いドエロイものだったりそこカバーしてるんかってくらいニッチな作品有るじゃん?
で、買ってみたんだけどこれどう聞くのが正解なの?
ジャケ絵を見ながら堪能する感じ?
ジャケ絵がすごい良い作品結構あるからコレ見ながら音声聴いてイメージ固めていけばいいの?
目を閉じて聞くのが良いかなと思ったんだけどいまいち座ってる状態だと没入感が無いから横になって聴いたら寝落ちしちゃうんだよね。
あなたが寝てる間に…みたいな寝取られジャンルすごい好きだからいまいちのめり込めないのがすごくもどかしい。
それとバイノーラル録音されてるからイヤホンして聞くのは当然なんだけど、無線のほうが良いかな?
幼いころに観た、「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツがエッチなものと認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである。
もう少し大きくなってから、とある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチな気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒な妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議なもので、その時に出会ったものとタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。
文学でベリーダンスに出会ったのはオルハン・パムク、2006年のノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージや社会的な意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である。
今回はかなり日英のウィキペディアの記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。
そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的な地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである。
衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートかハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズやスパンコール、クリスタルやコイン、ビーズや刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。
ベリーダンスの起源は諸説存在するが、地中海世界、中東、アフリカと関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操の姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい。紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。
健全な精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在のスペインや小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。
そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンスの描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアはリンクを貼っていない。やれやれ。
ちなみに、アンダルシア地方でロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。
エジプトのベリーダンスは西洋人が最初に見た様式とされる。ナポレオンがエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人や音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石と髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。
現在のエジプトのベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源はナイトクラブにある。多くのダンサーはエジプトの映画に出演し、エジプト様式のダンスの発展に寄与した。
プロのダンスはエジプト人に限られていないが、2004年に当局は外国人のダンサーがパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的な雰囲気は残っているようだ。
エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品の検閲に関する法律第430号によると、ダンサーは乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実、衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。
と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則を無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけである。しかし、外国人のベリーダンサーが衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。
ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。
エジプトのダンサーは伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。
子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。
トルコのベリーダンスの衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。
多くのトルコの衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形のベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーとベルトの両方に多くの装飾やビーズのフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプトの対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンやベルベットで作られている可能性が高い。
1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装が採用された。何があったのだろう?
今日のダンサーはエジプト・スタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルのスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールとプラットフォーム・シューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュ・スタイルである事を強調する。ト
トルコのベリーダンスはオスマン帝国のスルタンの宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日のトルコのベリーダンスは、エジプトやシリア、レバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人の様式により強く影響を受けている。現に、現在のトルコのダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコの法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式や衣装に制限を課さなかった。
エジプトとトルコの様式の中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的なオリエンタルダンスをベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ、体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。
衣装については、腹部を見せることを禁じる規定は存在しないため、bedlahスタイルが一般的である。スカートはエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサーの身体がよく見える。ヴェールはエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒールも一般的。レバノンのダンサーはエジプトよりも衣装の自由を享受している。
アラビアの様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブのダンスと呼ぶ。
その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的なスタイルのブラに着けられたコインは中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶ(インド洋交易の歴史はもっと古いが)。
ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオン・ジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家は空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]
の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿とモスクを適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。
普通、ベリーダンスの衣装としてまず想起されるものは、1930年代のエジプト・ダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズかコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズかコインが飾り付けられている。下半身はハーレムパンツ、ストレートタイプのスカート、サーキュラー・スカート、パネル飾りがあしらわれたスカートである。
20世紀のバーレスクや映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプト人ダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージの払拭には時間がかかった。
今でもカイロにあるナイトクラブのオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレスを採用している。身体の輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであるエジプトの民族衣装とは異なるのである。
https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]
踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。
たぶん、日本のゲームでベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東のベリーダンスは伝統的にはここまで脚を出さない。
【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画
現代の漫画でオリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。
ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]
英語版のウィキペディアでアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハルの作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画は深夜アニメなだけのことはある。
しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来が舞台だから文化が混交しているのかもしれないが。
Intimate parts in Islam - Wikipedia
で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?
上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。
とはいえ、トルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に異教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。
実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから、戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市と農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地の部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人と日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。
いやほんとにね。
周り見てて思うけど、男でも女でもやるヤツはやるし、やらない人は絶対しないよ。
そんで、やるヤツには碌なヤツいねぇぞ。
「既婚男性はみんな不倫してるって!」とかいうヤツいるけど(大抵不倫中の男女か、サレたけど別れられなくて自分を正当化したい女)、ぶっちゃけ既婚男性の不倫率って30%程度だよ。
その「不倫する30%」が複数人に股掛けするor時間差で複数人と不倫するから世の中には不倫が溢れてるように見えるだけで、半分以上の既婚男性は真っ当に生きてるし男性ってそんなクズばっかりじゃないよ。
あと結婚前に浮気するヤツは死んでも治んねぇから結婚生活地獄行きになりたくなければ切るべき。
「もうしないって言ってたもん!」
「私となら大丈夫!」
とか言う女はせいぜい後から再度浮気されて泣けばいいんじゃない?
あと、1回だけしか不倫してないヤツは体感10%程度の更生可能性有りだけど、2回以上やるヤツは死んでも治らない。これは断言できる。3回目やらなかったヤツ見たことない。100%再犯する。いや、1,000%と言ってもいい。絶対またやる。やらないわけがない。
既婚上司と不倫真っ最中の友人がいるけど、ズブズブと底無し沼に嵌っていく様子を見守ることしか出来ないのがもどかしい。
そいつは下位3割のクソ男だぞ目ェ覚ませ
真夏の屋外オールナイト開催のフェスが今年は10周年!のはずがやはり一旦は延期になり、昼から夜まで×2days開催@屋内となったのが先日三連休の話。
色々考えたけど行きたかったので行ってきた。(2日目のヘルシンキ〜フジファ。)
密集、密接対策としては、ふつうスタンディング席であろうところの半分以上を椅子の席(ちどりに使用禁止の張り紙)にしてあり、スタンディング席もバーでこまめにエリア分け&ひとりぶんのエリアのグリッドが線引きされていて、近接は無いようにしてあった。後述するが観客側のマナーとしてもも大きい声を張る行為は一切なかった。
ケバブ等の軽食はあったけれど、飲食用のテーブルは無し。アルコール類も無し。通路や物販列も空いていて、端的に言って日々のJRの方がよっぽど密接密集している…。
ドアノブ等もダスキンがまめに拭いているらしい。換気の具合ばかりはわからないが、ちょっと涼しかったし酸欠感も無かったしで、きっと良いのだろう。
総じて、「これで駄目ならもうどうしようも無いだろう」「首都圏近場でのおでかけや外食、日々の勤務よりも安全だろう」という印象だった。
会場入りした時にやっていたのはヘルシンキラムダクラブのリハ。「しゃれこうべしゃれこうべ」、たぶんそういう他意はなくただヤンデレっぽい歌詞だと思っているけど、それでも「死なないで」「地獄でワルツを踊りましょう」に乗せて客席がビジョンに抜かれ、2mピッチで棒立ちな観客や一面の背もたれの「使用禁止」のチェック模様を突きつけられると、失われたものを突きつけられるようだった(このご時世にそもそもフェスなんてまるごと失われるべき、という意見もあるだろうけど。)
いざ本番が始まると、色んなことを忘れさせてくれるような素晴らしいステージだった。
ドミコ、リーガルリリー、オーサムシティークラブのあたりがそうだろうか、バンドの世界観がしっかりしていて、それを垣間見て味わうようなタイプだと、純粋に生音やステージに熱中させてくれるようだった。
ただ、フロンティアバックヤードが「こっちから見ると異様な景色で、おじちゃんびびってるよ」みたいなことを言っていたが、ステージから客席を見た光景こそが異様なのだろう。しかし、客席からステージを見る限り、無心に熱中できる瞬間もあった。
モノノアワレはMCで飄々と状況を受け入れていおり、らしく、面白かった。
「今回、私達は発声できる形で、皆様は発声できない形でやらせていただいており、人間は声に出さずとも心で話すことができ、それが悩むと言うことですが、人間は生物で唯一悩むことができるといわれており、それは置いておきまして、…」からの早口言葉ソング。
モノノアワレは完成度高かったな…ただ曲間の沈黙の瞬間に何度も隣のリハのドラムスがなっちゃってたのだけが邪魔だったけど、最後のそういう(曲間で一瞬シンとなってとなりのリハの音がにわかにとても響く)タイミングでボーカルがもっとおっきい声で「せーのっ!」て叫んで最後の曲に入ったの格好良かった。
四星球は音源ではなくライブこそが本番のお祭り屋、盛り上げ屋なので、どうするんだろうと思っていた。いざステージが客席から堪えきれないしのび笑いを誘い、内心を盛り上げ、(腿上げは息が上がるのでグレーだと個人的には思うけど…まあ短時間か)盛り上がりを表明できずもどかしい観客に「みんなが心で一緒に歌っているのが、心でわかります」「フェスなんか来て罪悪感はんぱないでしょ?」「でもその罪悪感が皆を守ってるんです」「皆が守っているのはガイドラインなんていう堅苦しいものじゃない、エンタメ業界です」の語りはアツかった。
冷笑したくなる陳腐な熱いセリフを、本気のように聞かせる、本物のアツい思いに感じさせる四星球は、これを言うのは恥ずかしいしなんだか負けたような気がするけど、やっぱりすごい。四星球が言う「10周年おめでとうございます」はなんだか重く聞こえる。
で、ヒリついたタイマンバトルのような、いっそ客席を無視してるようなマジで痺れるドミコを挟んで(なんだこの順番は。)ポリシクスも盛り上げ屋だけど、対称的だった。
「みんな〜盛り上がってるか〜い!」みたいな問いかけに返ってくるのは、どこまでも、拍手。いつもだったら客席からマイクとアンプに負けないくらいの歓声が上がるのに。
声が裏返ったボーカルの絶叫コール、アンド、キャパシティ50%未満の歓声も口笛もない拍手のレスポンス、は何度か繰り返された。
ステージの上は「新しい生活様式」を噛み締めているようにも打ちのめされているようにも見えたけれど、本心はわからない。
正直言って四星球がいなかったら我慢ならなくなって叫び返してたやつが出たと思う。隙のない三密回避(&ノンアルコール)の運営と四星球の演説があって、やっと、何度呼びかけられても拍手だけが返せたのだと思っている。
途中からステージに「観客のレスポンス」のSEのボタンが登場して観客はジェスチャーでタイミングよくボタンを押そうぜ、となった。「このボタン、いいね、いつでもアリーナ級のレスポンス返ってくるんじゃん」と笑いを誘ったけど、こっちはちょっと泣きそうだった。
フジファの途中で帰ってしまったけれど彼らも「マイペースに世界観を見せつける」というよりは真摯に受け止めて寄り添って悩んでみせるタイプ。初代ボーカルが急逝しているのでどうしても古参ファン的にはシリアスな色が強い。(11年前なので知らない・実感のないファンも多いだろうけど…今回ポリシクスとストレイテナーの間では年齢層高そうだ。)
初参加、夏にやりたかったなあ、という話からの夏のノスタルジーどまんなかソング「若者のすべて」はしんみりした。盆踊りのような振り付けの曲があり、これが良かった。いちばん動けたし、夏だったし。しっかり楽しめたし、揺さぶられて、良いステージだった。
全体として、三密回避で無発声だとどうしてもお祭り騒ぎはそりゃあできなく、内心ムチャクチャ盛り上がってるのに地蔵化させられているように思う瞬間もあって、仕方がないけどももどかしかった。いまヤバくなってるこの思いをステージに返したいのに…みたいな。
熱狂できない、集団催眠みたいにヤバくなることはない。仕方がないけれど…
良い点として、立ち位置や座る位置を工夫すれば、過去最高にステージが良く見えたのと、私も年なので座って見れたのはラクだった。大きめのカバンのままでも邪魔にならないのも楽ちんだった。
光る棒とか公式アイテムであったらまた少し発散できたかな? マックスのぶち上げ盛り上がりは盆踊りのような動きになるので、お祭り屋タイプのバンドにはそのつもりでステージ組み立てて貰えたら新しい楽しさがあるかも知れない。
最後になるけれどもあらためて、日頃の暮らしよりもよっぽど三密回避なフェスを開催してくれて感謝。叫んだりたむろったりも無かった観客に感謝。ライブってやっぱ良いね。
女が女を叩いて終わったとか、フェミがいつも通り暴れて終わったとか、某区議はそこまでやることだったのかとかで話題が着地してるのがもどかしい。
そもそも今回の件だって最初は特に攻撃的ではなく、これはちょっと気持ち悪いという気持ちの表明だけだった。
その気持ち悪さってのは二次元で可愛く(エロく)描かれるタイツと三次元で実用的に履くタイツは全く別の物であることを
タイツを利用する人が感覚的にわかってるから、そこの線引きがされてないことへの気持ち悪さがあったのだと思う。
この件で性的犯罪を助長するとか性的搾取だとかそんなこと思ってる人は私の観測内ではほとんどいなかった。
絵は可愛いものもあったけどそれを公式がやるのはちょっと・・・というスタンスの人たちばかりだった。
スク水の広告や幼稚園の広告に快楽天の作家を使うのはちょっとなあって感情に近いんだと思う。
(そういう意味でいうと絵師の人たちはおおむね実力を出し切って絵を見た人たちに自分の絵の魅力を伝えられたともいえる)
対立したいわけでも謝罪してほしいわけでもない。ツイッターの中の人を攻撃したいわけでもない。善悪で語ることでもない。
でも終わってみると結局はそこに着地している。不毛すぎる。
今回、ちょっとこれは不快だなって思った多くのタイツ利用者達は・・・だと主語が大きいので、少なくとも私はそんなことを望んでるわけじゃない。
なのになんでそこに着地してしまうんだろう。謝罪はしなくていいんだよ。これがいいと思った企画なんだから企業として自信を持って出し続ければいい。
そのうえで私たちタイツ利用者がそのPRに対してYESとするかNOとするかきちんと企業が見極めて欲しい。それがマーケティングってやつじゃないの?
炎上したから消火しなきゃいけないなら、企画意図をきちんと説明するとか(まあ興奮している人たちがきちんとそれを受け取れるかは別として)
謝罪以外のなんかはないのかな。一部の過激な人たちの大声とアツギ製品ヘビーユーザーではなさそうな人たちとの応酬で何も解決せずに臭いものには蓋で終わってしまうんだよこれじゃあ。
だから同じことを何度も繰り返すんじゃないの?結局いっつもこれで終わりじゃん。
違うんだよ。そうじゃないんだよ。どうしたらいいんだよこの気持ち。メールで伝えればいいのかなぁ。大企業に伝わるのかなあこういうのって。
普段は楽しめていたはずの動画鑑賞、Netflix、Twitter、ゲームなどもすぐに頭がぼんやりしてきて集中が続かない。
人と通話などする機会があるとその時だけは元気で楽しくなれるが、通話を切った後にドーンと虚しい気持ちに襲われる。
なんかやばいかなと思って、でも会える人もいないしとりあえずめっちゃ歩いてみることにした。
熱中症だけは気をつけねばと思い帽子や水は用意して家を出発する。
06:30くらいに家を出た。既に太陽はまぶしくて目につくものがやけにくっきりして見える。
歩きながらいろんなものが見えた。
古い団地のベランダに見える室外機は早朝からうなりをあげていた。
60代くらいだろうか、日焼けしたグラサンおじさんが黙々と走ってる姿は素敵だけど同時に少し切ない気持ちになった。
そんなんでゴールはできないぞと叱られてしょんぼりする少年の目線は白い花に向けられていた。
ずいぶん平べったくなった信号機はなんだか威圧感がなくて、もっとごつくていいのではと思った。
乱反射するペットボトル、謎の生き物の鳴き声、遠くで聞こえるなにかの番号を読み上げる声。
様々な現象が周りに溢れかえってるように感じた。俺はなにかキメているんだろうか?妙に明確で華やかだ。
一番良かったのは凸凹の砂利道を歩いた時だった。
舗装された道と違って、歩くことそのものに気を配る必要がある。
それまで歩きながら周囲のいろんなものに気を取られていたのが、足元にフォーカスが移る。
なんとも心地よかった。足の裏で形を感じるのっていいなと思った。
うまく表現できなくてもどかしいのだがコケかけて咄嗟に足が出た時のようなハッとする感覚、あれの小さいのが1歩ずつにあった。
家に帰ってからも穏やかな気分でいられている。
いつもある焦燥感が薄れているのがわかる。
なにが良かったのかよくわからないが(単に運動するだけではなかなかこうなってくれないので)
もう少し効果を確かめるために条件を変えてまた歩いてみようと思う。
学生時代の友人がよく「時々自然の中にいかないと気が狂いそうになる」と言っていたのを思い出した。
まあそんなもんなのかもしれない。
大学進学を機に上京し、勉強や部活の傍ら、生活や趣味に遣うお金のために様々なアルバイトをしていたが、どれも長続きしなかった。
一昨年のこの頃は飲食店に勤めていたが、ある日バイト中に社員に手を上げられ、そのまま店を辞めてしまった。
勢いでアルバイトを辞めてしまったが、働かないと生活が苦しくなる。
飲食以外でアルバイトを探していたところ、隣町の小さな本屋の求人を見つけた。
時給は低かったものの、仕事が暇そうだったのととても雰囲気がよかった事もあり、そのまま応募した。
無事に採用され、先輩からレジ周りの仕事から教えてもらうことになったのだが、その先輩は高校生だった。
「私もそう思いました。」
私の名前は増田、先輩の名前は曽田だったので同じことを考えていたが、先に言われてしまった。
これが曽田さんとの初めての会話だった。
曽田さんは私より年下なのにとてもしっかりしていて、明るくて芯のある人だった。
キャラクターで例を挙げるなら夜は短し歩けよ乙女の黒髪の乙女が近いかもしれない。
シフトは曜日固定なので、毎週曽田さんと同じ時間にバイトに入っていた。
その頃私は大学から課される大量の実験レポートに忙殺され、心身ともに疲れ切っていたが、
曽田さんのしゃきっとした態度を見るだけで疲れなど忘れ、私はだんだん曽田さんを好きになっていた。
私と曽田さんは、アルバイト数人でご飯を食べたり遊んだりする仲ではあったが、
私が二人で食事に行こうと曽田さんを誘っても、曽田さんは決してその誘いに乗ることはなかった。
食事の誘いには乗らなかったが、曽田さんに勧められた飲食店でご飯を食べた感想を伝えると、
「どうして私を誘ってくれなかったんですか」と言われることもあり、私はカンチガイしていた。
募る思いだけが日に日に増していった。
曽田さんは高校を卒業して近隣の大学に進学したため、去年の四月以降も曽田さんとのシフトは続いていた。
今まではバイト終わりに「お腹空いたね、ご飯行かない?」と食事に誘っては断られてを繰り返していたため、
曽田さんは私に気は無いんだろうなとは薄々気付いていた。
食事は断られるが、仲は良かったので今の関係のままでもいいかなと考えもしたが、
どうしても諦めきれず、関係が壊れることも覚悟してその日は「君のことが好きだから、今度一緒に食事しませんか。」と気合を込めて誘った。
むなしくもまた、断られた。
曽田さんは幼馴染の浪人生が好きということと、勉強の邪魔をしないため、浪人生活が終わるまでは告白しないと決め、
もどかしい思いをしていることを私に教えてくれた。
完全敗北を喫した私は、しばらくの間は曽田さんとぎくしゃくしていた。
曽田さんを諦められない気持ちもあったが、曽田さんは曽田さんでバイト中に好きな人の話を私にしてくるため、
さすがにこれ以上曽田さんのことを追いかけていても曽田さんの迷惑になるなと思い、身を引くことにした。
去年の暮に、私も私で別の人から告白され、付き合うことにした。
曽田さんへの思いを吹っ切るためだったのかもしれない。
そんな気持ちで付き合い始めたのは恋人に失礼だったなと今は反省している。
曽田さんとは相変わらず同じシフトだったが、その頃には曽田さんともだいぶ打ち解けていた。
「私、振られちゃいました。」
曽田さんはそれから幼馴染の話をしなくなり、私と私の恋人の話を聞くことが多くなった。
私と恋人との関係は順調だったが、曽田さんのことを吹っ切れたかというとそうでもなかった。
この頃から曽田さんはバイト後にバイクで帰宅する私を見送ってくれるようになり、
「増田さんが恋人と別れたら後ろに私を乗せてくださいね。」なんて言われたりもした。
バイト後に曽田さんが私を食事に誘うこともあったが、断っていた。
曽田さんを吹っ切れなかったが、恋人に対して失礼な事をしたくなかった。
新型コロナが蔓延し始め、世間でも騒がれ始めた頃、本屋も一時休業することになった。
「お互い元気なままで再会しような。」
休業前の最後のバイトで曽田さんとそんなやり取りをした後に「次に会うときはバイト後にラーメン食べに行きましょう。」と約束した。
バイト後のラーメンとはいえ、恋人以外の異性と二人で食事に行くことは恋人に申し訳なかったため、恋人にはちゃんと報告した。
休業が明け、久しぶりに会った曽田さんとバイト後にラーメンを食べているとき、月日の流れを感じた。
「八月で閉店します。」
一時休業が明けて少し経った頃、店長にそう告げられた。
その日はあまり眠れなかった。
恋人との関係も続いているが、曽田さんと会えなくなることを考えるととても辛かった。
恋人と別れて曽田さんにもう一度告白することを考える自分もいたが、
恋人に対してなんて酷いことをしようとしているのだろうという思いの方が強かった。
最後のバイトでは「振られた後もずっと曽田さんのことが好きだった、今までありがとう。」なんて伝えようかなと考えていた。
そして先日、本屋も閉店し、曽田さんとの最後のバイトを終えた。
退職の手続きを済ませ、本が無くなった本屋で簡単な打ち上げをした。
その日は徒歩だったので、曽田さんと並んで帰っていた。
とくにこれといった話はしなかったが、曽田さんに別れ際に「増田さんの恋人によろしく言っておいて下さい」と言われた。
その言葉を受けて何も言えなくなってしまい、別れた後は放心状態で帰宅した。
全部見透かされていた。
曽田さんは私の好意に気付いており、曽田さんも少しは私のことが好きだったのかもしれない。
私と私の恋人の関係のためにも、私に「曽田さんが好きだ。」と言わせなかったのかな、なんて考えたりもする。
どこまでが合っているのかは分からない。
id:bearcubです。一介のブクマカにお返事ありがとうございます。
ブクマコメントでは文字数が足りないのでここに書かせていただきます。
私のコメント、怒りに任せて書いたひどいものでしたがあえて再掲します。
この自称「やさしい」学者の方も数百人の「米国在住の『黒人』」と個人的に交流を持ってみたらいいかもね。他人がまるで自分のゼミの学生のように格下だと思ってふるまう学者ってたまにいるよね。
先生は「交流を持っても意見は変わらないと思います」とのことですが、まったく同意です。
私は先生の書いた文章に対して、違う位置から違う方向へ反応してしまいました。
自分は十代の頃、米軍基地で『黒人』の友人と二人で歩いていた時に、複数の『白人』の同世代の少年達に囲まれて脅されたことがあります。
その時に(リンチされかねない状況だったので)恐怖感で彼らに反撃などできるわけもなく、なんとか大事に至らず背中から暴言を受けながらも脱出し、その後友人と一緒にずっと悔しい思いをしながら無言で歩きました。(しかもこの時友人が「これはもう(暴力で)やるしかない」と私にささやいたものの、当時日本の刑法の適用対象年齢に達したばかりの私は、「そ、それはだめだよぅ~~」と怖気づいてしまって逃げるしかなかったのです。)
今回のジョージ・フロイドさんの動画を見て、真っ先に思ったのは、かつての友人の事です。
友人は今頃どうしているだろうか。少なくともこの動画を見て怒るか、あるいは恐怖を感じているのではなかろうかと。
浅沼さんの記事に共感を感じたのも、「まあ、親しい人に『黒人』がいたら、こう考えるよね」というものでした。
一方、先生の記事の表現に反感を感じたのは、「ああ、なんであの怖い状況を、こういうある種反感を呼び起こす表現で議論するかな」というもどかしさでした。
私の反応は議論とか意見とかではなく、あくまでも個人的な体験に基づく感情的なものです。
そういう意味で、先生の学者としてのものの見方は、これまでの文書の蓄積で解釈・検証できるということや、学会での多数の議論に耐えられるということで成り立つものでしょうから、私やその他多くの方の個人的な体験に影響を受けるべきではないのだろうと思いますし、そうであるからこそ価値があるのだろうと思います。
ということで、要は私の反応は立場も方向性もすれ違ったものであり、意見や「論」を示唆するものでもないということです。
先生はいくつかの論点を提供した、自分は枝葉の表現に感情的にかみついたという状況です。
ここから以下は自分の(特にあまり多くの勉強・調査にも裏打ちされていない)意見です。なんなら「なんとなくそう感じている」レベルのものです。
『黒人』『白人』さらには『黄色人種』のような言葉で世界を切り取ること、その切り取り方(と、それで生み出される構造的差別や差別感情)を一層強めようとすることは自分も反対です。
しかし、これは差別に立ち向かう二つある方法のうちの一つだと思います。(これは自分があるマイノリティに属しているため日々痛感している個人的な考えです。)
一つは、先生のいうような「ものの見方を変える」。それにより根本的に構造的差別や差別感情を解消することになると思います。これは哲学的戦いだと思います。
もう一つは、まず差別によって生じている「実害をなくす」。それにより差別感情は残るものの、ひとまず当事者の安全は確保されます。これは法の整備や、嫌な言葉で言えばいわゆる「ポリコレ」での強制だと思います。
私は『黒人』ではありませんので、あくまで自分のマイノリティの属性の立場からの連想でしか考えることができませんが、BLM運動は後者の色合いが濃い状況で始まったと思います。(ここらへんは本当に素人考えなので、先生的にはツッコミどころもいろいろあろうかと思います。)
当事者としては両方が進んでほしいです、是が非でも。
しかし、ジョージフロイドさんの動画を見せられたりしたら、どうしても後者の「実害をなくす」を優先したくなると思います。
しかも感情的にもなると思うし、浅はかな論を展開してしまうかもしれません。だって明日この差別によって自分や友人が死ぬかもしれないんだから。
その時に学者の方々には浅はかな点はぜひ指摘してほしいし、暴走を止めてほしいし、前者の構造的差別や差別感情の解消への道を見つけてほしいと思っています。(学者の影響力は素晴らしいというのは4月にコロナ封じで西浦先生を見て改めて思いました。)
そういう意味で今回、先生にあの記事を公開してもらって本当に感謝しています。
『黒人』でも『白人』でもない多くの人にとってBLMをきっかけに考えるべきことの多い良記事だと思います。
特に今まで何の気なしに黒人/白人/黄色人種と世界を区分していた人に(枝葉の表現にとらわれず)ぜひ読んでほしいし、黒人というものがあるという前提で話しを進めがちなマスメディアにも目を通してもらって、できれば今後注意して用語を使ってもらいたいし、西洋中心主義とこれまたなぜか西洋で発展した脱・西洋中心主義から漏れて何かもどかしい感じがしている国に住んでいる自分にとっても良い論点を提示していただきました。(例えば、華人/マレー人を「人種」ととらえる社会があるというのは自分も知らない事実でした。知るべき事が多いことに驚くばかりです。)
今後もこのはてなから茶々を入れるとは思いますが、実は記事を期待しているはてなーも(私のように)多いと思います。暖かく見守っていただければ幸いです。
コメント後半の嫌味「格下だと思って振舞う」(←ひどいですね)これはすいません、冗談にステレオタイプてんこ盛りの中傷で返してしまいました。
200年まえって言ったら1820年じゃん
そこと比べてすげえ技術の変化じゃあないすか
社会もまあ全体としてマシになってる感じはある
じゃあ2220年なんてどうなってるんだ 凄そうじゃん
働かないでいい可能性もかなりある 勉強すらしないでいいかもしれん 脳にチップ入れて知識がバシュッとインストールされてさ、でもその知識は別になんかに役立てないでいいわけ 「教養があるといろんな作品が楽しめるから」くらいの理由で与えられる知識なんだよ
で、労働はロボットが全部やってるんで義務なんてものはない 毎日遊び暮らせばいいだけ ときどき2000年代の古典に触れて、このころの人たちは大変そうだなと思うんですよね
でもまあ2200年まで人類残ってるのか、残ってるとして進歩は続いてるのか?というのはけっこう疑問だったりする どうなるんだろうなあ今後
世界大戦ってホントに起きないのかな?ジワッと水面下で暗闘したり途上国で代理戦争したりするだけで、日本人的にはなにも起きてないまま第三次世界大戦終戦!みたいな感じになったりするんだろうか ガッツリ核戦争起きて全部無茶苦茶になったりしねえかなあ
(追記)
おい!おれが200年後は今より良くなるに違いないと無邪気に思ってる、と読めるブコメがあるぞ
思ってねえよ!!!!
アレあんじゃん「夏への扉」、あれの最後の方でさ、人類は常に前に進んでるから明日は常に今日より良いのだみたいなこと書いてあったじゃん、おれあの辺読んで一回本置いて考え込んだからな、ポジティブなメッセージとしては素敵だけどそうはいかねえだろ、コンニャローと思ったからな
おれはステキな200年後もヒドイ200年後もどっちもありうるなあと思ってるわけ でね、その上でこうやっぱもうちょい先に生まれたかったというか、先を知りたかったと思うんスよ いまってもどかしいじゃない、量子コンピュータとか強いAIなんかのクソでけえパラダイムシフトが見え始めて、でも届かないみたいな感じでさあ
おれはその先が気になるんだよ (科学者的な知的好奇心なんていいものじゃなく、漫画の先の展開を知りたいと思うようなもっと俗な気持ちだというのは言い添えておきたい) ここから200年経ってまだシンギュラリティ来ないっすわって雰囲気だったら諦めもつくじゃん でも今ってまだシンギュラリティは概念としてすらある程度新しいじゃん 希望が残ってるといいますか
半端なんだよお 200年後なら形はどうあれ絶対決着はついてるというか、少なくとも一般人目線からみての印象は固まってると思うわけ 200年も前から言ってるシンギュラリティってやつは多分来なくて人類はずっとこのままなんだろうと思ってるか、すでにシンギュラリティを謳歌してるかのどっちかじゃん
今だけなんだこのどっちつかずの感じは どっちなんだ?どっちなんだよオイ
つか200年といわず50年でもいいよお 2045年遠いんですよね あと25年かよ
コールドスリープだけでもありゃいいのにね
このご時世に、長期であれ短期であれ東京に赴任させるような会社はろくでもない会社なのではないかと思うのだが、本人はあまり気にしていないらしい。
恋人は「赴任期間中、東京に遊びにきてよ」と言う。東京自体には行ったことがあるが、確かに未だ恋人とは東京には行ったことはない。良い機会であると考えればそうなのだろうし、一度は恋人に会うために東京に行くだろう。ただ、悲しいことにこの安月給では、そう何度も飛行機でないと行けない距離の東京に行くことはできない。
1年間の期限付きとはいえ遠距離恋愛である。遠距離恋愛なんてしたことがなかったから、突然の赴任の連絡に驚いているし、困惑している。1年間の赴任期間が長いのか短いのかもよくわからない。東京は魅力的な場所だと知っているし、恋人はとても魅力的な人だから、とても不安だ。
恋人は赴任期間中こちらに帰ってきたりするのだろうか。飛行機でないと行けない距離であることがもどかしい。新幹線で互いの中間地点で落ち合うこともできない。