2021-04-30

嘘をつくのは他人を騙すためじゃなく、自分が話したいように話すため

私が何の悪気も無く嘘をつくのは、事実が会話文を強く制約するからだ。

まり事実というもののふところの狭さが原因なのだ。私が悪いんじゃない。

私は事実事実のまま話そうとするのが苦手だ。

そういう場合自分がよく知りもしないのに、事実関係を延々と話さなくてはいけないことがある。

○○って●●だから■■じゃん。でも、▲▲は□□だし、結局○○は△△なんだよ…みたいな。

そんな時、自分としては、細い管の中を壁にガンガンぶつかりながら、なかなか前に進まないような気持ちになる。

結局、○○は△△だとだけ言いたいのに、その長々とした理路に、何を話してるのかだんだんからなくなってくる。

から、その理路を自分が話しやすい形に置き換えることがある。

○○は☆☆だから△△だよ、と事実でないこと(☆☆)を経由して、話を短くまとめたりする。

私のつく嘘はそういうものなのだ。理路の置換え時に、事実じゃないこと=嘘の場合があるというだけ。

まり、会話に嘘が混じるのは、会話の都合上たまたまなのだ別に、誰かを騙そうという目的じゃ決してない。

それはいわば、小説が語りやす物語形成して、その虚構的理路によって話を進めるのと同じようなものだ。

虚構なら、会話の自由度が許されるのだ。自分の語りたいルートで話すことが許されるのだ。

正しくしゃべるのが面倒で、端折るついでにシナリオを一部作り替えてしゃべってしまうというのが、たまたま「嘘」になっているだけなのだ

自分が話しやすいと思う理路は、事実の成り立つ理路とは全く別の形態存在している。

話が上手でない自分には、前者の通り話せないことに強い窮屈さを感じるわけだ。

それは目の前にゴールがあるのに、間に深い谷が横たわっていて遠回りを強いられるような感じなのだもどかしい

しかし、虚構なら空も飛べるので、その谷も飛び越えられる。そして、話は短くなって相手にもスマートに映る。

そして嘘であれば、そもそも間違いなんてもの存在しないのだ。何でも自由にしゃべれる。

から私はホラ話をたびたびしてしまう。例えば、今回の話のように。

繰り返すが、私の嘘は他人を騙すためじゃなく、自分の話したいように話すためだ。

他人への危害じゃなく、自分の会話の自由度を確保するために嘘をつくだけなのだ

から、私の嘘には罪はなく、当然のように罪悪感も感じないというわけだ。

うそう、それに会話内容が嘘であれば、他人にその内容を否定されても傷つかないという特典も付く。

これも大きい。他人自分否定することほど気分を暗くするものは無いのだから

から、私は今日も嘘を通じて事実を話す。話しやすくするために、そして否定されても傷付かないように、嘘をつく。

  • わかるかも。 正しくしゃべるのが面倒で、端折るついでにシナリオを一部作り替えてしゃべってしまうみたいなことでしょ。

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