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はてなキーワード: 美術とは

2023-08-05

anond:20230805085212

国立大教育学部美術とかなかったっけ

そっちなら良いんじゃない

あと自分が出た大学工学部なんだけどデザイン工学科っていう同じ理系なのに理系とは思えない学生が多数いる学科があったな

そういう方面もアリじゃない

あと授業料年160万って私大だと別に普通じゃない

画材なんかはともかくそれでだめってのは国立以外ダメって言ってるようなもんだし

2023-08-03

ポリコレオサレだと違和感がない

アマプラ配信されてるグッド・オーメンズってドラマを見てるんだけど

このドラマって主要人物に黒人中年女性がかなり多かったり、女性同士の同性愛が何の説明もなくごく普通に出てきたり

神の声も女性だったりして、かなり「ポリコレ」に寄った作品ではあるんだよね

天使悪魔に関しては性別がないって設定らしいけれど、それでも見た目の人種性別はかなり多様)

でもドラマを見ていてそれが特に気になる事はない

こう思うのって全体の雰囲気オサレからかなー、と思う。このドラマファッションや背景美術音楽台詞運びなどがとにかくオサレ

太った白人女性ドレッド黒人女性カップルも、悪魔グラサンしてたり天使蝶ネクタイだったりするのと同じように単なるキャラデザバリエーションしか思わなくて

特にポリコレだと意識しないで見れるっていうか。

ディズニー映画ストレンジワールドポリコレって言われて叩かれていたけれど(映画自体は観てない)、

特に意味もない「ポリコレ」でも、全体的な雰囲気オサレにまとまっていればそういう世界観として違和感なく楽しめる気がする。

2023-08-02

仕事帰りに映画見にいってちょっと飲んで帰るって田舎だとマジできないんだよな〜

転勤で倉吉に住んでたけど、映画見に開くために仕事終わりに1時間運転して、2時間映画見て、現地で余韻に浸る余裕なくまた1時間運転して…

都内戻った今は、いつでも飲みに行けるし、映画帰宅路上だし、金曜とかちょっと遅くまでやってる美術館で「ほうほうこれがなんかバズってる美術展ですか(眼鏡クイッ」とかできる

都会最高〜!倉吉嫌すぎて転勤のない仕事転職した!

散々倉吉DISったけど地元米子

日吉津にイオンシネマできる前の駅サの前の人の頭が邪魔になる昔ながらの映画館をうっすらと覚えている。

もう2度と帰んねーけどなぁ!!!

2023-08-01

anond:20230731103637

福島文化を書いてみた。書いてて悲しくなった。そりゃ地方文化がないって言われるわ

1 演劇

無い気がする

2 美術建築

世界に誇る東京電力原発がある。

あれは遺産にすべき。

3 メセナ

ない。

4 伝統芸能

特に目立ったものはない。どこかから輸入したものばかり。

5 サブカルチャー

無いですね。

6 漫画アニメ

アニメ聖地になってるのは暗い作品ばかり。

漫画家は結構いる。

7 音楽映画

引っ込み思案な性格が多いか歌手とか芸能人がすくない。

8 食

果物はおいしいよ。お米も美味しい。

震災評価が地に落ちたが

9 歴史

幕末会津しか誇れる歴史は無いですね。

彼女のことが好き

回折するから大丈夫っていわれたところが好き、頭がいい

タバコ吸ってるのかっこいい

見た目ほんまにかわいいかわいい女すぎる

腕細い、肌白い

美術かに関する含蓄、博物館などを楽しめる教養の深さ

けど見るの疲れた時とかは言って肩肘張らないところ

頑張り屋さん、資格とかも積極的に取ってるところ

多分デートで細いって思われたくて朝と昼抜いてきたところ

めっちゃ甘えてくるところ

好きぴ〜!って言って抱きついて来た時かわいすぎてびっくりした

朝こっちが寝ちゃって話せなかったから少ない休み時間電話かけてきてくれたところ

結婚できたらしたいなぁ

2023-07-31

anond:20230731103637

時間並んで見る若冲の絵、覚えてる?

見れないよりは見れる方がいいけど、流行りに乗っかって大衆が大挙して押し寄せまともに鑑賞もできない美術展はあんま自慢できるものではないよ

個人的都内に住んでた時、文化〜て感じたのは殆ど無名の小さな美術コーナーがあった事

空き時間でじっくり見れた事、古本屋の充実ぶりかな 大きな美術展なんて地方も回るんですわ

日常文化の断片が転がってるのが良かった

関西文化追記

anond:20230731103637

こういう棚卸し面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないかエリア京阪神+αで許してや。

1 演劇

あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場京都劇場オリックス劇場あたりかな。

それから、生き残ってる大衆演劇阪神地域が中心なんちゃうかな。

京都学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田ヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。

2 美術建築

建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城法隆寺京都奈良百舌鳥古市古墳や。

建物の中にも美術品がたくさんあるから重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。

曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。

伝統建築だけやのうて、近代建築京都大阪神戸の中心地に点在してるな。京都南禅寺水路閣大阪中之島日銀神戸旧居留地増田の好みや。

もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビル原広司代表作やな。

国立美術館博物館やと、京都奈良博物館大阪の国際美術館、それから万博記念公園民族学博物館や。みんぱくはいいぞ

3 メセナ

さすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?

ローム京セラ竹中工務店神戸製鋼あたりが有名なんかな。

4 伝統芸能

落語上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪独自芸能や。歌舞伎南座大阪松竹座で盛んにやっとるで。

能楽明治期に東京に行ったけど、華道茶道はほぼ京都文化ちゃうか?

5 サブカルチャー

関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーお笑いを外すのはありえんな関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。

増田経験から今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋めっちゃあったで。

6 漫画アニメ

出版社テレビ局東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。

同人イベントコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。

7 音楽映画

元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。

増田クラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪シンフォニーホールフェスティバルホール西宮兵庫県立芸術文化センター京都京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。

ポピュラーやと大阪ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。

ジャズ神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。

映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。

8 食

関西でこれを書かんと片手落ちや。

京都大阪懐石京都精進料理そばラーメン大阪粉もんスパイスカレー神戸鉄板焼き芦屋洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。

追記

トラバブコメのおかげでいろんなこと知れたか増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!

トラバでも書いたけど、ゲーム活動範囲関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてなあかんあかんお茶の一杯も出してから出直しや!

スポーツ野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!

エリア東京と比べるために京阪神+αに絞ったか滋賀和歌山は入れてないし奈良世界遺産しか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエア高野山パンダも大好きや!

猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!

東京が持っている文化を細分化してみた

1.日比谷有楽町周辺に集まっている西洋式演劇劇場

東京けが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか

帝劇日劇(今は無い)、東京宝塚日生劇場などが該当する。

有楽町の近くには銀座繁華街もあり、演劇繁華街文化を楽しむことが出来る。

有楽町観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。

ちなみに帝劇は数年後に取り壊されて再開発が行われるらしい。

2.国立公立美術館博物館

台東区にある上野恩賜公園美術館博物館の宝庫となっている。

東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館東京美術館上野の森美術館民間)など。

2016年に東京美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。

ちなみに若冲展の動員数は近年では過去最大だったらしい。

また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。

3.大企業が行う文化活動メセナ事業

メセナ事業とは、企業資金提供して直接的な見返りを求めず、文化芸術活動支援することである

東京には大企業が多いので、必然的企業運営する文化施設が多い。

サントリー運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館

東武鉄道創設者が作った根津美術館など。

4.大相撲歌舞伎落語・能・狂言などの伝統芸能

伝統芸能に関しては、東京一極集中状態と言っていいのではないか

大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪名古屋博多は1回ずつ。

落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。

能と狂言についてはよくわからない。

5.秋葉原文化サブカルチャー

はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である

黎明期においては、演劇美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。

転換点の一つとして、2014年に政府クールジャパン戦略採用したことだろうか。

政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。

6.JR中央線沿いの漫画アニメ産業

秋葉原オタク文化と被るかもしれないが、あえて分けておく。

漫画家やアニメクリエイター人材も、東京一極集中状態である

中央線沿線中野杉並武蔵野周辺には漫画家が多く住んでいて、アニメスタジオも集中している。

東京に住んでるだけの人って、どうやって文化享受してるんだろう。

西日本のよくある地方都市に生まれて。

大学だけ関西マンモス私大に通っていた。(院は京都)

関西は、文化的趣味(美術音楽、古伝を基礎にした先端の感性に触れる)機会があって、けっこう楽しかった。

大阪京都神戸。どこも自分の住んでいた古い町よりも深くて大きくて驚いた。驚くことで調べて地元の深さ広さ高さ長さも知った。「大阪」や「東京」という一語にくくれない。どんな都市文化だってそうだ。自分の街も関西についても0.4%だって知らなかったなってイキり散らした間抜け自分ダメージ

最先端のものを追いかけて、日本上陸サムシングに群がる有象無象クルクルパームーブって虚しいなと思った。彼/彼女らは、たいてい東京に3店舗くらい来て3年待たず撤退する不良債権みたいな事業ばかりを追いかけてる。殺虫灯に走っていく夏の夜の虫みたい。

もちろん、東京しかないものもあるだろう。人口が多いから成立する商売だ。たしかに5%くらいは東京のものかもしれない。でも5%なら、その他の市町村にも固有性はあるんじゃないだろうか。語彙「文化」は、まさに、そういった普遍性固有性を汲み上げるための教養であり、それを支え、そこに参与していく主体性と不可分ではないだろうか。

から東京に住んでいることだけで、自分たちを文化の中心にいると勘違いしてる人を見ると哀れだなと、としみじみ思った。

それで、社会人になってからだ。

出張に行くことも増えてきた。

そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市の豊かさに心打たれるようになった。

ここには、東京でやった展覧会巡回展も来てくれない。海外アーティストライブだってやらない。でも国会図書館にはアクセスできる。

こういう場所暮らしている人々もまた、それぞれに趣味を楽しみ文化をつくっている。自分のいる場所が中心じゃない。

大人になると誰でも、この程度は判る話だ。

辛くならないんだろうか。東京に住んでるだけ、海外文化消費者第一人者自称することで、文化つくってる気になるなんて。

まあ、地方だって展覧会には行列ができる。でも東京で数時間ならんで観るくらいなら、その時間で、もっと文化的で豊かなことできそうだけど。

寂れた東京痴呆民の戯言だけどね。

なんか、悲しくなってきた。

追記

地方文化なんて単なる消費じゃないか!みたいな意見が大きな釣り針で垂らされていて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

海外から東京地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは深く長く高く広い伝統文化と、そこから湧出する人類普遍文化的性質との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが人間醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

文化」は東京に住んでるだけでつくれるモノじゃ、ないんです。

海外で生まれ文化を、周回遅れで東京享受する。

そんな受け身体験は、消費であって文化ではない。

または、京都奈良のような古都について。

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかける人々にも出会えない程度の人脈と教養しかなかった君のどこが文化的なの?

まあ東京4世代から住んでいて、かつての東京の深みのようなものを、ある程度まで理解してるなら別だけど、住んでるだけなら、もはや首都神話観光業界が生み出したファンタジーだってかると思うけど。

東京サロン文化だなんて言うけど、どこでももサロン文化あるからね。明治維新の頃に、日本近代化したの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

東京の雑踏に住んでいたら新しいもの出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの。そして人類の多くが集まって暮らしてる。

あと、蛇足だけどガルシアマルケス翻訳をみたの?原文を読んだの?

2023-07-30

やはり地方の人は東京文化というもの理解できていないのでは?

都心3区出身の本人だけど。

東京文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは海外から異文化との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが都市生活醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

美術美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかやすく書いただけだよ)

東京"で"生まれ文化を、周回遅れで地方享受する。

そんな受け身体験こそ、消費であって文化ではない。

もしくは、京都奈良のような古都

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?

まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。

京都サロン文化だなんて言うけど、東京サロン文化からね。明治維新の頃に、華族は皆東京に移り住んだの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

田舎の畦道を歩いたら蛙に出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの

あと、蛇足だけどガルシアマルケス短編集読むと過大評価だってわかるよ。

2023-07-29

東京って何もないよマジで

何もないって言ったら語弊があるけど、歴史的建造物施設関西圏に比べて本当に少ない

近代建築はそれなりに残ってるけどそれ以前の時代の遺構って言ったらいきなり弥生とか古墳に飛ぶから

おまけに再開発でそういうモダニズム建築も地下の埋蔵遺跡も全部破壊されるし

歴史文化へったくれもない、今が持つ輝きを凄まじい勢いで消費する街

この新陳代謝の速さが良くも悪くも東京の特徴なんだろうけど

 

 

京都奈良大阪はふらっと遊びに行ける距離寺院仏閣があるのがいい、羨ましい

建立が奈良飛鳥時代まで遡る寺があんなに集中する場所なんて日本のどの場所を探してもない

大規模な木造建築が街中に残ってたり、歩けば重文国宝級文化財にぶちあたるのが京都奈良

東京だって色々展覧会やってるけど貴重な仏像みたいなもんは秘仏だの御本尊だので基本所有してる寺から出ねえんだわ、だから現地行くしかない

日本古美術文化財に触れるという意味では東京ある意味砂漠地帯

もちろん日本美術東洋美術に特化した美術館は少なくないけど、そこにあるものって既に美術品として収容されてしまって、ものが作られた当初の目的文脈からは切り離されてる

美術館の展示が悪い訳じゃない、だけどやっぱり作品本来持っている魅力みたいなものはいくらか損なわれていると思うんだよなぁ

展示ケースを覗きこむより日本家屋の中自然光の下で見る障壁画や屏風絵の方がずっと綺麗だよ

そしてそんな場所都内にない

 

 

西洋美術とか現代アート作家展覧会を見るぶんには東京はいいかもね

でもそれはそれでパリNYと比べた時の文化的な乏しさに目が行くんだよな

ルーブルやMETには勝てねえもん

やたら印象派展覧会ばっかやってるのだって日本にまとまった数ある西洋美術がそれぐらいしかいからだし

 

東京って面白い街だけどつまらん街だよ、少なくとも美術館の有無を文化享受基準にするならマジで物足りねえ

じろじろしてても不審うつらないのは美術女子と車の運転手くらい

観察とは不審でない人がするものである

不審な人は鏡すら見ない方がいい

2023-07-28

anond:20230728153026

美術の実力ってなんなんや

なんによって定義されるんや

暑すぎて君たちはどうすべきかをみる気がおきない

やばくない?経済活動大丈夫

毎日37°超えの暑さで全然外に出る気がしない

宮崎監督の新作だし見たかったのにこの灼熱の中を歩くと思うと映画館もいく気がおきない

涼しくなってからでいいかな…みたいな気になってる

暑すぎるとアイスは売れないみたいな話があったとおもうけどあれもみんな出かけなくなるからなんじゃないか

どこそこの新作スイーツだとか推しの子ラボキャンペーンだとか美術展だとかも絶対のがしたくないものじゃなければ別にいかなとなってる

友達と遊ぶのも「暑すぎるから秋にしよっか」ってなる

みんなそうなってない?

これってやばくない?

みんな家にこもってお金を使わなくなってる

絶対いくって決めたものはいくだろうけどそれ以外のそこまででもないもの面白いかどうかわからないものいかなくなる

温暖化?なのか知らないけどやばいのは環境なんかより経済へのダメージなんじゃないか

東京東京文化マウントがやばそう

東京文化が〜とか自慢してくる奴がこんなにいるってことは、つまり都民内でも文化マウントの取り合いをしてると思うんだ

バズってる増田雰囲気だと

「〇〇美術展観に行った?」

とか

海外アーティストライブ行った?」

とか

こういうのはまだわからなくもないが、

コミケ行った?」

「ちいかカフェ行った?」

ゲームの某イベント行った?」

とかインドア趣味すらこういう文化マウント世界に引き摺り込まれてそうでめんどくさそう

もはやアニメゲームインドア趣味と呼べなくなってそう

マインド・ザ・ギャップ

かに海外美術館博物館で、東京のものとはスケールが違うものがある。

イギリスフランス大英博物館、テート系美術館ルーブル美術館オルセー美術館、ポンピドゥーとかを見た時は、そのボリュームとともに美術界において蓄積されてきた西洋美術中心の歴史の厚み(そしてその傲慢さの一端)をみた気がした。

物量や歴史の蓄積は覆しようが無い。海外主要都市東京でもそうだし、東京地方でもそうだ。同じものを後から手に入れようとしても、蓄積の差は簡単には埋まらない。

から独自価値を探す必要が出てくる。海外主要都市になく東京にあるもの東京なく地方にあるものは何か。その辺りを考える方が有益かもしれない。

anond:20230727214057

釣りとわかってても東京最先端って思える感覚がすごく面白く感じた

もしかして東京に住んでなくて“東京”ってイメージだけなんかな?

最近は知らんけどだいたい最先端技術文化ローンチって札幌とか福岡とかじゃない?

そんでそれが人口の多い東京にやってくるってだけじゃん

ライブ美術展は増田の言うこともわからんではないが、日本にくる美術展ってなんかぱっとしないのしかこなくない?

ほんとにいいものって美術館側が貸し出さないよねえ、まあ仕方ないけど

現代アメリカヨーロッパがいいよやっぱ、持ってるものの質の桁が半端じゃないか

増田みたいに文化享受必須な人は東京なんかにいちゃだめだよ

古いものは別として、本当にすごい近現代美術館にはないよね

コレクターの家にあるんだよ

彼らの家に行ってみせてもらうしかないんだよ

すごいのあるからねまじでびっくりしちゃうよね、東京にきてる展覧会の騒ぎじゃない、腰抜かすよまじで

増田や私みたいなのが気軽に金払っただけでみれる機会なんてないんだよ、悲しいね、ほんと、それは同意するよ

東京文化マンの謎

必ず博物館美術館の話をするんだけど美術の具体的な話を聞いたことがない

どの作家が好きとかどの時代のどのジャンルが好きとかないの?ただ美術館に行くのが好き?クソにわかでは?

あと博物館とか美術館ていうても過去じゃん

現役の作家交流を持つとか個展に行くとかそういう話がないのはなぜだろう

そこが文化最先端では?

anond:20230727214057

新幹線の駅まで2時間近くかかる田舎にいたけれど、周囲の人はかなりの頻度で「トーキョー」に出かけていましたよ。出張など仕事だけでなく、コンサート美術目的に。

東京でも文化に触れる人は人口のほんの一部だし、田舎でも興味ある人は日本中何処へでも出かけていきます

2023-07-27

東京に住んでない人って、どうやって文化享受してるんだろう。

都心3区に生まれて。

大学だけ京都の某大学に通っていた。(院はやはり東京)

関西でも、文化的趣味(美術音楽最先端海外文化など)って、けっこうキツかった。

大阪京都神戸を合わせて、東京の4割くらいのイメージ

最先端のものはほぼないし、日本上陸サムシングも、たいていは東京に3店舗くらい出来てから関西に来る。

もちろん、趣味の95%はカバーできるんだと思うけど、上澄みの5%は東京しかない。

言ってみれば、京都首都だった頃の一級品は京都しかないのと同じだ。

から東京に戻ってきたときは、ああこんなに恵まれてるんだな、としみじみ思った。

安くて美味しいご飯は多いんだけどね、関西は。

それで、社会人になってからだ。

地方出張に行くことも増えてきた。

そうすると、福岡だったり、仙台だったり、札幌だったり、熊本だったりと、それなりに栄えた地方都市に行くわけだ。

ここには、東京でやった展覧会巡回展も来てくれない。海外アーティストライブだってやらない。国会図書館だってない。

そういう場所暮らしている人って、どうやって趣味を楽しんでいるんだろうか。

大人になると誰しも、尖った趣味の一つや二つはあるだろうに。

辛くならないんだろうか。

まあ、東京だって印象派展が大行列

寂れた世界地方都市だけどね。

なんか、悲しくなってきた。


追記

東京文化なんて単なる流行りモノじゃないか!みたいな意見が多くて、すこし驚いている。

聞いてみたいんだけど。

いい?

地方の人たちのところまで降りてきた"文化"が、最初から"文化"として存在していたと思ってるの?」

まだ評価が定まっていない、新しいモノ・若いモノの中から未来コンテクストとなるような本物を自分の目で見つける。

自分と同世代の人たちのあふれる才能にビビりながらも影響を受けていく。

もしくは海外から異文化との邂逅。

そのスリリングさ。

文化って、そうやって生まれものでしょ?

そんな文化の創出を支えていくのが都市生活醍醐味だし、現場にいないと、感じとれない大切なモノってあるでしょ?

美術美術館だけで見るモノじゃ、ないんです。(巡回展の例えは皆にわかやすく書いただけだよ)

東京"で"生まれ文化を、周回遅れで地方享受する。

そんな受け身体験こそ、消費であって文化ではない。

もしくは、京都奈良のような古都

評価の定まったもの、枯れた文化の上であぐらをかくことの、どこか文化的なの?

まあ京都に4年住んでみて、かつての京都の深みのようなものが、ある程度までは現存していても、あとはもはや観光業界が生み出したファンタジーだって分かったよ。

京都サロン文化だなんて言うけど、東京サロン文化からね。明治維新の頃に、華族は皆東京に移り住んだの知ってるかな。

最後に、ちょっと他の人の記事に反応するようだけど。

田舎の畦道を歩いたら蛙に出会う。

素敵だけど、それは個人的体験であって、文化とは別の価値

文化とは、人の集まるところにしか成立しないもの

あと、蛇足だけどガルシアマルケス短編集読むと過大評価だってわかるよ。

2023-07-26

anond:20230725121700

国語が主要教科であるから、各方面から不満がでる

国語教師の多くは文学が好きで、文学芸術だと自負している

文学を、美術音楽みたいな芸術科目として選択制にすればいい

詩や俳句古文漢文にいたるまで好きなことをやれるけど、大学入試プレッシャーはない

文学をやりたい生徒や教師も満足できると思う

2023-07-25

コンクリートから人へ美術から人へ

コンクリートから人へ」が正しいのなら、「美術から人へ」も正しいのでは?

なんで、「コンクリートから人へ」を正しいと思ってそうな左派大阪維新批判してるの?

美術品って”人”ではなく、コンクリートに近い”モノ”ですよ?

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-21

anond:20230721114940

楽しみのツボを増やさないと変わらんよな。

以前の自分効率重視、より多くの観光スポットを巡ったら勝ち、みたいな旅の仕方をしていたけど、今はより深く心に残る時間の過ごし方ができたらヨシ!に感覚が変わった。

美味しいものを楽しむのはもちろん、そのおいしさはどこから来ているのか?料理材料は現地で生産されているものなのか、その土地料理はいつどのように生まれたのか、知識的な面から補完することでより記憶に残ることもあるし。

あるいは、観光名所でもなんでもない地元感の強いスーパーで、見たことのない商品を眺めてみるとか、早朝や夜遅く人気の少ない通りを歩いて、その土地空気感を味わうのもよし。

美術歴史に興味を持って観光スポットを訪れてみると、見え方が変わったりするかもしれない。

その場所を楽しめるかは、常に自分たちの受け取り方が試されている。大げさか。

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