はてなキーワード: 絵画とは
芸術って自分たちが住んでる時代、社会がどういう価値観を持っているか。を、
だから、現代の絵とラスコーの洞窟壁画とか、昔の絵画とか比べてもあんまり意味ないと思う。
それができないよりはできる方が有利なのは確かだけど、別に必須ってわけでもない。
サッカーやるなら足が速い方が有利ぐらいのものだと思うんだよね。
ウォーホルの価値って、いち早く現代の大量消費社会、世界の均質化を表現して見せたことだと思うし、
ベラスケスを理解するのに、封建社会とキリスト教の関係を理解せずには語れないだろうし、
印象派は近代的な市民社会、個人の自由とか人権という概念抜きにはありえなかっただろう。
芸術家が時代を越えた、万人が感動できる究極の美を目指してるというのは幻想だと思うんだよ。
日本だと芸術は個々人が心の赴くままに見て、素直に感動を受け止めればいいとか、
今回の飛び火パクリ騒動。
どうも巨額や高い地位(博報堂)が絡むとそれも相まって炎上具合が凄まじい。
数難前、某絵画のコンクールで大賞とった人がトレース疑惑で叩かれまくっていたけれど
これも賞金うん百万が絡んでいたのがかなり大きいと思っている。
結局、妬み辛みが絡まないとデザインも絵画も世間ではほとんど見向きもされない存在で、
美術・広告業界と世間との恐ろしいまでの乖離を感じたのと同時に
元々表立って世間(ネット含むマスメディア)に認知されない業界だから、沈静化したら
業界の内々感に支えられて、難なく生き残っている可能性は高い。
先にあげたトレス疑惑作家も、その後色んな賞をとってて、業界内では悠々と生きている現実。
トレスやパクリの時だけネットがやいのやいのしても、「門外漢はわかってないなぁ 笑」と業界内から
助け舟を出す人間は五万といるので、さほど傷を負わず復帰できる。
結局普段から関心持たれなきゃ欠点だけあげ吊られても、業界全体がへっちゃらになっちゃうのかも。
ネットの袋だたき具合も気色悪い反面、業界での常識感覚で悪意なくパクっている
気もするので、俯瞰しながら追っていきたいと思ました。
彼女諦め男子、ってのが結構いるみたいだ。
男の35%は生涯未婚だと予想されているが。未婚の内5%くらいは結婚できるけどしなかったり、障害持ちだったりあるんだろう。
だが、のこり30%の男達がいる。
そいつらも、おおよそ30歳くらいまでは頑張るのかもしれないが、そこからはダイブ確率も落ちるらしいし、次の一手が必要となる。
最近はエロ産業や風俗の発展が目覚しく、手段は色々ある。どうすればいいのか、自分でも考えてみた。
結構こういう分野でも恋愛養分を摂取できる。音楽は馬鹿にしてる奴も多いが、結構本能で感じられる部分は強い。昔、音楽でオナニーというのは意味不明だったが、あるなって思う。
②エロゲー
馬鹿にできないくらい、1週間とか楽しめる。毎日、デートできて楽しいぞ。1キャラだけ攻略して、積むみたいなプレイスタイルだと、ずーっと恋愛分を供給できる。完璧に終わらせてしまうと虚無感があるので、やめておこうw
③AV
リスキーすぎる。
⑥風俗
前に付き合っていた彼女も音楽やら映画やら漫画の好みが似ていたけど、最終的には「合わない」って言われて別れたのを思い出した。
この記憶を思い出すたびに、自分と似た人を好きになるってことは、他人を通して自分を好きになっているってことなのかなと考える。
なら自分と全然違う人を好きになるかというと、そうはならないんだよね。付き合っても長続きもしないし。
そんなことを思うと、なんか自分なんて人を好きになる資格はないのかな、いやいや人を好きになるのに資格とかねーから、なんてぐるぐるする。
補足:
誰も求めていないだろうけど読み返していて言いたいことが表現しきれていなかったので。
言いたかったのは、好みが同じだと最初はそれが嬉しくて、これも同じ、これも同じ、好みが合うね!たくさん同じものが好きで嬉しいやった!なんてなるんだけど、
その分だけ好みが合わないものが出てくるとそれが通常より著しく合わないように見えてしまうんだよね。
そしてそれが少しずつ多くなってくると、なんか合わない方が強調されてしまうようだった。
まるで好みが同じであるということの完璧度を求めているようになってしまっていて、それで最終的に「合わない」ということになってしまったようだ。
それが結局は自分を好きになっているのと同じなんじゃないかなと。
なんだか理不尽な別れ方だったな。冷静に考えれば合っている方が断然多かったと思うのだけれども。
まあそれが全てではないということなんだろう。
これ以来合うとか合わないとかは割とどうでもよくなって、合っていればそれもいいし合っていなくてもそれはそれでいいかな、
と思えるようになったいうことが彼女が俺に教えてくれたことだと思うようにしている。
誰にも言えないし、どこにも書けないのでここに吐く。
夫が好き。考えるだけでニヤニヤする。
付き合って六年で結婚した。結婚前に二年一緒に暮らした。一緒に暮らす前も、ほぼ毎週末会っていた。
付き合った時から大好きで、今もそれは変わらない。
夫は誰に対しても優しい。私に対しても、同じくらい優しい。
夫は良識がある。引っ越しで家を明け渡す前に、隅々まで掃除したりする。
どうせクリーニングが入るんだから簡単にでいいんじゃない、と言っても、お世話になった家だから、と言う。
夫は仕事が好きだ。週末も含め、よく働く。仕事の話を活き活きとする。
夫と私は好きなものが一緒だ。音楽、映画、漫画、本、写真、絵画、洋服など、付き合う前から好みが似ていた。
付き合った後にお互い影響し合って、今ではほぼ同じものが好きだ。
私達は金銭感覚も似ている。育った家庭の経済状況が似ていたことが大きいと思う。
夫は私を尊重しようとしてくれる。私の行動に100%同意するわけではないけれど、なるべく尊重しようとしてくれる姿勢がわかる(唯一止められたのは金髪とかなのだけど)。
夫は私の言うことを素直に受け入れてくれる。お腹が出てきたから筋トレせい、と言うと、そうかな〜なんて言いながら毎晩筋トレを続けたりする。
コンビニ弁当ばかりじゃ身体に良くない、と言うと、毎晩自炊したりする。私も夫と一緒に筋トレしたり、ご飯をつくったりする。
夫には時々怒られたりもする(諭すの方が近いかも)。そんな時は反省する。もちろん納得できない時もある。多少のことなら大体我慢する。
どうしても我慢出来ない時は、自分の意見を言ってみる。大体はそれで夫もわかってくれて解決するのだけど、どうしてもわかりあえないこともある。
そういう時は、この人はこういう考え方なんだな、と思って諦める。で、以降、それを迂回するようにする。
夫はいわゆるイケメンではない。でも、最近は夫の顔をかわいいと心から思う。
夫はおっちょこちょいなところがある。疲れていたり、時間がない時はとイラッとする時もある。
でもそんな時は、私がドジした時でも平常心で優しい夫を思い出す。逆に夫がイラついた雰囲気を出している時は、優しくする。
夫の好きなところをあげるとキリがない。
嫌いなところが思い当たらない。夫の弱点は、何だか愛おしいなと思う。
よく二人で、お互い幸せだね、と言い合ったりする。
これから何があるかわからないし、子供ができたら状況が変わるかもしれない。これから壮絶に憎み合うかもしれない。
でもその時はその時。生きている間にこんな幸せな気持ちになれたことが嬉しい。
この人と結婚できて本当に良かった。
あーーーすっきりした。
【追記】
コメントがたくさんついていて驚いた。祝福してくれた方々、ありがとうございます。
子供ができると夫婦関係が変わる、というコメントを何件か見かけたので、追記です。
子供のことは、私も少し不安です。こんなに仲が良いのに変わってしまうのが怖いし、寂しい。
これで二人の仲が悪くなったら悲しい。でも二人とも子供好きなので、子供は欲しい。
こういう不安を夫にはちょくちょく伝えていて、そのたびに夫は、新しい生活もきっと楽しいよ、とか、
大変なことも一緒に経験出来て乗り越えられたらもっと仲が深まるね、と言ってくれる。
この人となら大丈夫だなあ、とは思う。でも、何があるかはわからない。
子供が生まれた後も仲の良い夫婦は、お互いの努力があってのことなんだな、って尊敬する。
私達に子供ができて夫婦関係が悪化してそのまま破局したら、そういう運命だったのかなと思う。
これから何があっても一人で生きていけるように、別れたいと思った時も経済的な問題がネックにならないように、仕事はこれからも頑張ろうと思う。
何かあったら、その時また考えよう。
とりあえず今は夫が大好き。
【追記2】
コンビニ弁当のくだりなんですけど、私も夫も帰宅が遅いので、平日の夕飯はほぼ別々にとってます。
特に私は、夕飯は職場で軽く食べて、家では果物だけ、とかが多いです。夫のほうが帰りが早いので、お弁当を買って帰ってきたりします。
夫が私のぶんをつくってくれていることもあるし、私の帰宅が早い場合は、その逆もあります。
女。28歳独身。
都内在住実家住み。仕事はIT企業広報。S女子大英文科卒。中高は神戸の女子校
愛読書はFitzgeraldの「Tender Is the Night」、
Calvin Tomkinsの「Living Well Is the Best Revenge」
容姿は三十路近いというのにノースリーブのワンピースを気張って
武装してまんねん。
ほんでな、職場の仲間と一緒に、バーベキューか何かをしている写真を撮ってやな、
たとえばWantedlyにでも上げれば、リア充女子やんか思われて、高学歴エンジニア氏や
渋谷、六本木のIT業界界隈で有名な営業マン氏からのつながりコンタクトが
あったりなかったりする今日この頃やで。
すまん。標準語に戻す。
んで、ある知人男性がいるのだけれども。まあ元彼というやつだ。
この男、東大出の金融関係勤務で3年前に半年ぐらいセックスする関係があり、
彼の海外赴任とともに別れたが、1ヶ月ほどまえに東京に帰ってきており、
それで連絡が復活した。一度会って当然のようにセックスに誘われたがそのときは断った。
しかしまた会うことになっていて、今度強引に誘われたらわからん。
あて、意志弱いし快楽に流されるタイプやもん、やってしまうかもしれへん。
あ、すまん、標準語に戻す。
ところで主題の件。
「ぼくは愛を証明しようと思う。」
という本が出ていて、藤沢数希という方がお書きになったご本である。
面白いよと、その男性から教えてもらった。職場の同期入社の女子(コンサバ女性雑誌で、
それなりに有名な読モだった女だ)に話したら彼女も知っていて、
その本を持っているというので借りてみた。
尼のレビューをざっと読んでみた。あと、この本の感想を書いてる
が。
つまらない。
レビューには恋愛工学信者による賛美か、恋愛工学を批判するdisしかない。
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/money/1403901468/l50
====
94 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:31:10.79 0
>昔からヤリ手の男は日替わりでハイレベルな女を運用しまくってたし、ヤリ手の女も男を運用しまくってたしね。
まあ、それは正しいんだろうけど。
どんどん逸れていくリスクがあると俺は思う。
自分、知り合いを介しての知り合いで、何度かお会いしたことがある。仕事がらみで。
で、俺にとって、実際に会ったことのある「いい男」の象徴ってヒデなんだ。
で、会社の同僚(男)の匿名ブログで恋愛工学なるものを知り、ぼく愛っていう本の
存在を知って、その知り合いの男が傾倒して実際にナンパもしているというので
興味があり本屋で立ち読みしたんだけど。最初の数ページで棚に戻したよ。
ヒデさんは、イタリアで、いい女たちと無数につきあったかもしれないが、
こういう手法で女と仲良くなっただろうか?そんなはずがない。
俺はこの本を最初の数ページだけ読んで「自分には無関係」と無視する
ことができた。
だが他人のことは知らない。なぜなら、
「いい男」と聞いて具体的に誰をイメージできて、そのイメージから
どのように情報を取捨選択できるかというスキルには個人差があるからだ。
95 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:45:33.10 0
お前わかってないな。
そりゃ中田はかっこいいよ。あたりまえだろう。
自分から物欲しげに女に近づくようなナンパなんかするはずもない。
といったところで誰もくいつかない。
でも
「(ぼく愛に出てくる)永沢みたいなのを目指そう」
といえば大衆はついてくるんだよ。
これは自分を傷つける可能性がある
つまり「男ならヒデを目指せよ」的なメッセージは今の時代売れない。
お前らもセックスにありつけるぞ
と言って彼らに寄り添ってくれ、彼らのコンプレックスを癒してくれる。
だから売れるんだよ。
この本が売れたらいいなと思っているし、実際に売れている。
96 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:54:17.65 0
94だけど。
===
引用は以上。
ちなみに、私の今所属している会社は、ある有名IT企業が出資していて
めざせIPOで勝ち組万歳モードでやっているんだが、その有名IT企業の
って、そんなことはどうでもえーねん
私が快適に生きていければ、それでえーのや。
とりあえず会社を上場させたい。そしたらウチもプチ成金やでえ。
ほなな。
小学生~高校生を対象にした絵画コンクールの優秀賞を眺めるのがすごく好きだ。
世界児童絵画コンクールの優秀作品集を手に入れたときには涎が出た。
なんだろう。ああいうのはだいたい学年か年齢を併記してある。なんというか、その絵を描いた子供が今、何歳かを計算をする事も快感がある。
もう、その絵を描いた子供は子供ではなかったりするとなおいい。
上手くは説明できないのだけど、絵を描くという行為が反吐が出るほど嫌いで苦手だった自分のコンプレックスの部分を刺激するのかも知れない。
自分で描くのはずっと嫌いだったけど、子供の絵は子供の頃から好きだった。校内コンクールの優秀賞は張り出されたら何度も見に行った。
絵が上手い人は僕の中でかなり肯定的に見てしまう。絵が上手い女の子はそれだけで好きになった。そして、絵が上手い子にはなぜか手を出せなかった。一種の敬意か。
いい年をした大人になって、それでも未だに絵が下手な少年時代の僕が陳列された絵の前で惚けながらそれを眺めている。
写真ノウハウ的な記事を最近やたらと目にしたのだけど、どこにも触れてなかった(ような気がした)のがダイナミックレンジという尺度だった。
これはカメラの持つ性能によって顕著な差がでるわけだけど、一番明るい部分から一番暗い部分までを再現できる性能だと思って欲しい。
人間の目には明暗の差こそあれど外の風景も室内の窓の周辺も同時に認識することができる。
窓の外を写そうとすれば室内は黒く潰れてしまい、室内を写そうとすれば窓の外は白く飛んで写ってしまう。
この、最も明るい部分と最も暗い部分の落差をダイナミックレンジと呼び、その中で写すことのできる明暗差の広さがそのカメラがもつ性能の一つであり価格に色濃く反映される部分でもある。
あなたは人物を撮影するときに逆行と順光のどちらを選ぶだろうか。
この質問は、その人の写真に対する理解度を知る上でとても有効だ。
何故なら、ある程度の成熟した腕を持った人間であれば、よほどの状況を除いて逆光と答えるからである。
逆光で撮影したら人の顔が影になって何も写らないと思ったあなたは、露出に対する理解を深めて是非写真技術の向上に努めてほしい。
Hyper Dynamic Rangeのそれぞれ頭文字を略したもので、文字通り超越したダイナミックレンジを表現するための技法だ。
一枚の写真からそのような表現をする場合もあるが、主に露出の異なる複数の写真を合成することで、白飛び・黒つぶれなく広い明暗差を再現しようという技術だ。
時にそうした明暗差が収まっている様子や色彩がデフォルメされることなどから絵画的な表現をするときにも用いられていたが、あくまで目的はダイナミックレンジを広げようということが根底にある。
昨今ではセンサーが改良されてきたことで、エントリー機においても以前では想像できないようなダイナミックレンジをもつ機種も登場するようになってきたが、基本的にはセンサーサイズに比例しやすい技術のため、コンデジやスマートフォンカメラにおいてはまだまだダイナミックレンジの限界を痛感する場面が多い。
さて、ここまでダイナミックレンジとは何かを書き連ねてきたが、写真技術の習熟度における白飛びと黒つぶれのなさは非常に重要だ。
最近ではレタッチソフトによって撮影後でもいくらでも修復が出来てしまえるように思えるのだが、残念ながらそこで失われてしまうのは豊かな階調だ。
とくに人間の肌ではちょっとしたノイズが作品の出来を左右してしまう。
後で無理矢理にレタッチするにしても、もともとの露出を理解できているのといないのとでは大きな違いがある。
写真技術をいまより向上したい、とくに濃淡や階調の豊かさをもっと表現したいと思うのであれば、このダイナミックレンジという言葉をよく理解して欲しい。
それはカメラの性能によって大きく異なるものであり、それの傾向を理解することができればカメラの性能に合わせた撮影が可能になるからだ。
その手始めとして、日中の人物を逆光で撮影するにあたって身につけて欲しい技術に日中シンクロというものがある。
日中の日が照りつける中、人物に向かってフラッシュをたいて撮影するという技術だ。
これを身につけることで、逆光の人物の顔が黒く潰れてしまうことを回避することができる。
つまりは黒つぶれしてしまうだろう部分に光をあてることによって背景の明るい部分との明暗差を減らしダイナミックレンジに収めてしまおうというテクニックなのだ。
この説明でピンときたあなたはもうダイナミックレンジという言葉の半分を理解できたようなものといっていいだろう。
完成度の高い写真は、どれも当然のようにダイナミックレンジを理解した上に成り立っているといって過言ではないだろう。
そこにある被写体にただがむしゃらにシャッターを切るのではなく、被写体を取り巻く光と影に目を向けることでダイナミックレンジに収まるように撮り方を工夫することだってできるのだ。
手ブレ・被写体ブレを恐れるがあまり、思考停止状態でフラッシュを使ってしまってはいないだろうか。
ダイナミックレンジを理解できてはじめて、あなたのフラッシュはあなたの写真をよりよく演出する素晴らしい道具へと進化してくれることだろう。
自分にとってはこのダイナミックレンジを体感的に理解できた時が写真品質向上の大いなるブレイクスルーポイントとなったのだが諸先輩方においてはいかがだったのだろうか。
自分にとって感動するようなそれらに触れるたびに、
自分はなんでそのようなものを生み出せるような人間でなかったのだろうか、
この手に入れることができないのだろうかと泣きたくなる。
それらの一端に触れることはできるけれども、私のものにはならない。
あの美しい音楽を奏でることはできない、
あの美しい文章を紡ぐことはできない、
あの美しい絵を描くことはできない、
あの人の顔にはなれない、
あの人の生き方はできない
あの人といい仲にはなれない。
彼らの才能や彼女たちの美貌は私のためには用意されなかった。
そのことについてみんなどう考えてるの?
自分は自分でしかありえないわけでそこからは逃げられないわけだけど、
みんなどうやってそのことを了解してるの?
どうだろう。
西洋の場合、(演劇に限らず、たとえば絵画でも音楽でも小説でも)テーマに序列があった。
歴史、宗教、古典(ギリシャローマ)をテーマにしたものは上流、社会風俗をテーマにしたものは下流、という具合に。
人気度という意味だと娯楽の王様だったけど、格式でいうと相撲や落語、神社のお祭りとかと同列。
テーマも、その当時ホットな話題だったり、コメディだったり、異国(インドや中国の話)だったり、お堅くなかった。
西洋では、小説というものの登場が遅くて、文学というと詩から派生した修辞学、それから演劇や、演説などから派生した弁論学がメインでだった。
そういう意味だと、基本教養の根幹に演劇があるのかもしれない。
自ら演じることはないまでも、基礎知識として。
テーマも宗教や歴史で、演劇でも小説でも、社会風俗を描くことってあんまりなかった。
近世になっても、啓蒙目的で書くことはあっても、本当に庶民の目から庶民のありふれた話を描くってほとんどなかった。
下層の人間は字を読めなかったしね。オペラハウスに来たりはしないし。
日本だと、江戸時代にもなると、冒険活劇、ドタバタコメディ、ドロドロ恋愛、かなりフリーダム。
すこし長くなるので、長文にがてな人は無視してくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150513013343
いろいろ誤解を与えそうなんだよねー、これだと。
俺もちびっと文学かじってたんだけど、たとえば、
太宰が好きだーっつってるピースの又吉にやきもきする程度には。
あれはヤク中で人生ダメにして人を道連れに自殺しただけの人だから。
文学を摂取して毒にかかって心身を崩す人は、文学に向いてないんだよ。
文学を摂取して薬として癒しを感じる人は、おそらく文学に向いている。
だけどそれはね、感動があるからではないのさ。
そしてその特質は、「文章」つまり「文字」での表現であることにのみある。
また絵画やイラストが、非言語的な図形や色から構成されるものであるように。
こんなことは、大言壮語するまでのことじゃない。
教科書をちゃんとそれなりに読んできてれば、わりとわかる。
たぶんはファッションとして芸術を楽しむ人を責めちゃいけない。
それは芸術が人を選ぶんじゃなく、
「俺のほうが芸術を、文学をわかってるんだ!」と自分を慰めてるにすぎない。
太宰の言葉を借りれば、
というものだ。
あえて言葉を重ねるなら、
それは「情けは人のためならず」のような、
一部のファンたちが「どんな扱いでも映してくれるだけありがたい」
どんなに些細でも、芸術が、
鑑賞者にとって一滴でも輝きを残すなら、
そして愚かにも、これは元増田がすでにいっていることだ。
文学は時空を超えて俺たちの心に突き刺さる何かを運んでくる。
これ以外に余計なこと書いてなけりゃ、俺がちんたら書く必要もたぶんなかった。
ただ空しいのは、
という喚きだ。
ちゃんとしろよ。
ちゃんと呪えよ。
ちゃんと呪い殺せよ。
なんだよ、死ねって。
お前の全身全霊の一撃はそんなもんか。
ほんとうに心に傷おわせる自負あんのか。
毒にも薬にもなんねえよ。
(深呼吸)
死は、多く、人を狂わせるような恐怖であるとともに、
一部の人にとっては救いたりえるように、
文学は毒であり、薬たりえる。
それを限定して処方するのは、ですぎたまねだとは思いませんかね。
世紀 | ||
---|---|---|
前6 | 孔子(前551・儒教の祖) 孫子(前544・『孫子』著者) | |
前5 | 釈迦(?・仏教の開祖) ヘロドトス(前484・歴史の父) ヒポクラテス(前460・西洋医学の父) プラトン(前427・哲学者) | |
前4 | アリストテレス(前384・万学の祖) アレクサンドロス大王(前356・マケドニア王) | |
前3 | アルキメデス(前287・古代最大の数学者) 始皇帝(前259・最初の中華皇帝) 劉邦(前256・漢の高祖) ハンニバル(前247・包囲殲滅戦術を確立) | |
前2 | 司馬遷(前139・『史記』著者) | |
前1 | カエサル(前100・ローマの終身独裁官) ウェルギリウス(前70・ローマ最大の詩人) オクタウィアヌス(前63・ローマ帝国の初代皇帝) イエス(前4・キリスト教の開祖) | |
1 | プトレマイオス(83・天文学者) | |
2 | ガレノス(130・古代医学を確立) 張仲景(150・医聖) 曹操(155・三曹の一人) | |
3 | ||
4 | 王羲之(303・書聖) アウグスティヌス(354・古代最大の神学者) | |
5 | アッティラ(406・フン帝国の王) | |
6 | ムハンマド(570・イスラム教の開祖) 李靖(571・『李衛公問対』) 李世民(598・唐の第2代皇帝) | |
7 | ||
8 | アブー・ムスリム(700・アッバース革命の立役者) 李白(701・詩仙) 杜甫(712・詩聖) カール大帝(742・フランク王国) | |
9 | ||
10 | フェルドウスィー(934・『シャー・ナーメ』著者) イブン・ハイサム(965・光学の父) イブン・スィーナー(980・アラビア医学を体系化) | |
11 | ||
12 | 朱子(1130・儒教の中興者) サラディン(1137・アイユーブ朝の開祖) インノケンティウス3世(1161・教皇権最盛期のローマ教皇) チンギス・ハン(1162・モンゴル帝国の初代皇帝) | |
13 | トマス・アクィナス(1225・『神学大全』著者) ダンテ(1265・イタリア最大の詩人) ジョット(1267・西洋絵画の父) | |
14 | 羅貫中(?・『三国志演義』『水滸伝』編者』) イブン・ハルドゥーン(1332・『歴史序説』著者) ティムール(1336・ティムール朝の建国者) ヤン・ジシュカ(1374・マスケット銃を使用) グーテンベルク(1398・活版印刷の発明者) | |
15 | ジャンヌ・ダルク(1412・百年戦争の聖女) コロンブス(1451・アメリカの再発見者) ダ・ヴィンチ(1452・万能の天才) ヴァスコ・ダ・ガマ(1460・インド航路の開拓者) マキャヴェッリ(1469・『君主論』著者) ミケランジェロ(1475・芸術家) マルティン・ルター(1483・宗教改革) スレイマン1世(1494・オスマン帝国最盛期の皇帝) | |
16 | エリザベス1世(1533・アルマダ海戦に勝利) セルバンテス(1547・『ドン・キホーテ』著者) ガリレオ(1564・科学革命の中心人物) シェイクスピア(1564・イギリス最高の詩人、劇作家) グスタフ・アドルフ(1594・三兵戦術を確立) デカルト(1596・合理主義哲学の父) | |
17 | ルイ14世(1638・絶対王政最盛期の王) ジョン・ロック(1632・イギリス経験論の父) ニュートン(1642・科学革命の中心人物) 康熙帝(1654・清の第4代皇帝) バッハ(1685・音楽の父) | |
18 | オイラー(1707・数学者) 曹雪芹(1715・『紅楼夢』著者) アダム・スミス(1723・経済学の父) カント(1724・哲学者) ワシントン(1732・アメリカ初代大統領) ワット(1736・蒸気機関の改良) ラボアジェ(1743・近代化学の父) モーツァルト(1756・音楽家) ナポレオン(1769・初代フランス皇帝) ベートーヴェン(1770・音楽家) ガウス(1777・数学者) クラウゼヴィッツ(1780・『戦争論』著者) スチーブンソン(1781・鉄道の父) ファラデー(1791・電磁気学の父) バベッジ(1791・コンピュータの父) | |
19 | ダーウィン(1809・進化論を提唱) ポー(1809・ミステリの父) マルクス(1818・共産主義を提唱) ヴィクトリア女王(1819・帝国主義最盛期の女王) パスツール(1822・近代細菌学の父) ヴェルヌ(1828・SFの父) モネ(1840・印象派の祖) ロダン(1840・近代彫刻の父) エジソン(1847・発明王) フォード(1863・自動車の大量生産) ライト兄弟(1867・飛行機の発明) アインシュタイン(1879・相対性理論を発表) ピカソ(1881・画家) ケインズ(1883・マクロ経済学を確立) グデーリアン(1888・電撃戦を確立) ヒトラー(1889・ナチス指導者) |
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150315102738
私にとっては否です。
よくよく考えていただきたいです。
職場において、女性の性的魅力と給料の問題が結びつき、あるいは選考過程において性的な事柄が関係する事態。
現実なら決して許されないでしょう?
性的な視線が、強者から弱者へと注がれていることが共通項です。
・それは、ありふれたことである。
この2点についてはもちろんわかっています。
しかしながら、創作として受け入れられるものにはそれなりに価値がなければならないと私は思います。
美しさ、社会的な意義、世に問うべき平凡ではない発想、など。
そのような表現を実現した小説、漫画、映画、随筆、絵画はたくさん存在し、私もそれらを享受してきました。
http://anond.hatelabo.jp/20150314203749のエントリや昇給関連の数々に、にそれがあるでしょうか?
おもしろい?
「おもしろいからいいではないか」と言う人たちも、それほど真実おもしろいとは思っていないでしょう?
何かをしながら、通勤電車の中で、食事をしながら、あれらを片手間に読んで「ふふ」と笑ってブックマークやコメントをするのでしょう?
等しく労働の上に対価を得る場において、性的な視線を面白半分に手すさびに書くこと、それにのっかってなにかしらを発信すること、それはネットに出した限り確実に他者に届くこと、その意味の重みを少しばかり考えてもいいのではないでしょうか。
ある人々にとっては、昇給関連の表現は重く不快な意味を持つ、そう思うのです。
ゆわれなくてもするわボケってかんじですよね。
自分より5歳年上だったんだけど、スレンダーで清潔感があって質問にも的確に答える美人さんでした。
ただちょっと、ほんとうにちょっとだけ人より感情的になりやすいなって思えるくらいところ以外、本当に普通の人って印象でした。
その会社辞めてからしばらくしたある日、酔っ払った勢いで電話をかけたら思いのほか好感触で食事に誘うことができたんだ。
高嶺の花だと思ってた人からの思わぬ好感触で浮足立ってたのはあるんだけど、結局楽しい時間を過ごせたしと思い切ってデートに誘ったらそれもOKもらってこれなんてエロゲ?とか思ってたんだけど怖かったのはそこから。
次の日お礼と一緒にデートのプランを相談しようと電話したら、すでにものすごく緻密に計画が立てられていた。
分単位でどこに行くとかっていう緻密さももちろんなんだけど、例えば”絵画展見に行ってちょっと芸術的気分に浸った後にプラネタリウムに行ってロマンチックな気分になる”というような、心情の移り変わりまですでに計画されていたわけよ。
しかもその話をしている最中はこっちの意見とかを挟む間もなく、ひたすら楽しそうに喋ってるの。
その時は彼女なりの冗談かなって思ってたんだけど、いざデートに行くとその通りの気分にならないとすごい機嫌が悪くなるんだよね。
機嫌が悪いというかもうヒステリック状態。
電話の最中は途中から冗談だと思ってたから最後の方普通に聞き流してたんだけど、「次どうしようか?」とか聞くと、「わたしの話聞いてなかったの?デート楽しみじゃなかったの?」みたいに泣き出す始末。
それでもその後もしばらくお付き合いをしたのだけど、とにかく妄想というか自分の中での考えが膨らむし曲げないし、ずれると人目をはばからずに怒るは泣くはで機嫌が悪くなるしで大変で、いつの間にか家族全員参加の食事会に呼ばれてて義理兄さんに「妹を幸せにしてくれてありがとう」って言われたのをきっかけに別れる決心をしました。
それからというもの、予定の話をするときに人のことと考えないで話を進めようとする人とか、あんまり共感できないことに対してすごく怒ったり悲しんだりしている人をみると全員メンヘラに見えて話するのが怖くなってしまいました。
だって気づくとその人の人生計画に組み込まれてそうじゃないですか。