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2016-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20160103021134

さぁ、そこでして。絵画文字記号以外の本質も山ほど持っているんじゃないでしょうか。

文字を読むだけでしたらモリサワフォント上質紙に打ち出したものを読んでも、死ぬ間際に床に書かれた血文字を読んでも、「リンゴ」という文字は「リンゴ」です。

◇◇◇

で、絵画はそうした「手前に描かれている人物は誰々という人で、背景に対してこういう構図にあるから、こういう意味を持っている」という文字的な読み方以外に、

ちょっとここの絵具がざらついてるのが、超かっけぇ」とか「下地麻布を消し切らない石膏地がいい」とか「画布の張り方が超几帳面」とかそういう箇所も面白がるやり方もあるのです。

『それは本質じゃない、そんなものは描かれた意味とは別の話だ』という意見もあるかもしれませんが、こうした「物自体の質感」も絵画本質の一つです。

◇◇◇

簡単に言うと、コンビニでもらうレシートが血文字で書かれてたら怖いでしょ。記述されてる「代金とお釣り」という記述内容が合ってても、血文字だとさすがにちょっとそれ以外の色んなこと考えてしまう。このコンビニ大丈夫か、とか。普通に刑事事件じゃねぇか、とか。

絵画が持つ「物自体の質感」というのもこういう次元の話です。

しかにこれは、「文字的な記述内容」とは別の次元の要素かもしれませんが、古今つうじて絵画プロは、本気で全力であらゆる手段を使って、何かを表現しようと試みています。それが本質だろうと外道だろうとお構いなしです。

こうした場外乱闘的な工夫はさすがに写真だけでは読み取りにくいです。

◇◇◇

あるいは部屋とも言い換えられるかもしれません。

ちょっと部屋でも飾りたいな。この棚置いたら、ソファはさすがに革はないな。ヤクザ事務所じゃねぇんだし。カーペットは、あえてなしで行くか」

いうなれば画家はそんな感じの試行錯誤を続けて、いい感じに飾った部屋にお客を招くわけです。

「どう?」と

いいねぇ。わかってるねぇ。でも俺だったらここに革張りのソファ置いてヤクザ事務所っぽくするけどな!」

ここには文字的な記号のやりとり以外のコミュニケーションがあります。ここではソファの質感や、棚の色、床板の素材、といった要素それ自体本質です。

◇◇◇

から、まぁあれです。引っ越しの部屋決めを写真だけで済ますと思わぬ見落としがあったりするものです。実際に現場に足を運ぶと、写真に写ってないものが見えたりするもんです。そして住んでみるとまた違う。

絵画美術も、きっと似たようなものなのです。そういう需要があるから美術館てのが存在してるんでしょう。

俺はあんま行かんけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20160103014143

それはそうなんですけど、絵画に絵の具の厚みなんてほぼ不要情報じゃないですかね?あの凸凹を見るのが好きという需要はあるかもしれませんけど、例えば小説を読む時のフォントの種類程度の、拘らなければ特に意味のない、本質とは違う情報しか自分には思えない。

http://anond.hatelabo.jp/20160103012627

展示物にもよりますが、絵画といえど完全な二次元ではなく、厚みと質量を伴った造形物なので、その質感を観察するには実物を見るしかないと思います

写真になった時点で、色も絵具の厚みも光の反射も情報量が減ってしまます

対象物の立体としての凄みを写真という二次元に変換するのが難しいから21世紀の今もプロ写真家、というのが存在しています。逆にいうと、プロですら再現が難しいくらい、物質のものもつ情報量というのは多種多様で膨大です。

なので、そうした質感や物質としての強さを手掛かりに、展示物の文脈を読み解いていくことが、美術を鑑賞するいちばん醍醐味なのではないでしょうか。

つーか、まぁ、俺もほとんど美術館行かねぇんだけどな。

2015-12-31

デザイン教育必要だと思う

今年はエンブレムの件が燃え燃えてすっかりデザイン業界が信頼を失ってしまった一年だったけど、そんな流れの中で伊勢志摩サミットロゴが出てきて「プロのものよりよい」とコメントする人も相当数いて、年末なのに惨憺たる気持ちになった。

日本人はなぜここまでデザインに興味がなく、軽視や蔑視を続けているんだろう。自分なりに考えてみたんだけど、その原因の一つに「日本人殆どデザインについての教育を受けていない」というのがあるんじゃないかと思った。自分は今30歳だけど、小学中学高校とまともに「デザイン」や「デザイナー」について学んだ記憶が無い。美術先生絵画科や彫刻出身デザインについて積極的に語るようなことは少なかったし、そもそも美術時間殆どが実技に割り当てられていて、デザインデザイナーについての講義を受けた記憶殆ど無い。同様に建築についても殆ど教えてもらえなかったように思う。(うちは進学校だったので余計そういう傾向が強かったのかもしれないが、使っていた美術教科書現代デザイン建築についての記載が少なかったので他の学校も同じようなものなのかなと思う。)

そんな状況下では「デザインとは何か」なんてことは殆どの人には無関係な話になるし、ましてや「デザインについて理解しよう」「いいデザインとは何かを考えよう」なんて土台無理な話だと思う。日本人デザインを軽視して当たり前なのかもしれない。プロになるようなデザイナーは、学校教育があろうがなかろうがデザインに強い興味を持っていたような人たちなわけで、そりゃ「デザイナー」と「非デザイナー」のギャップは埋められないよなとも思った。

でも、いいデザイン社会をよくすることが出来ると自分はまだ信じている。いいデザインに囲まれ暮らしは心地よいと思う。だから多くの人にもっとデザインについて興味を持ってもらい、理解をしてもらって、社会全体が「よりよいデザインを選んでいこう」という空気になってほしいと思っている。無邪気で子供っぽい意見だろうけど、本当にそう思っている。

からデザイン業界は、今回の反省とともに将来への種まきとして「デザイン教育」にも力を入れていくべきではないかと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20151231082341

そりゃあなた

別にソフトを作る気もないのにプログラムの本を読んで捗るはずもないし、

絵を描くつもりもないのに絵画の教本を読んでも楽しいはずがないし、

起業もしないのに企業家が語るノウハウ本を読んでも役に立つわけがない。

最終的なアウトプットの形が見えているからこそ、難解なインプットを楽むこともできるんですよ。

アウトプット手段を持ち合わせていないなら、娯楽として楽める小説映画を嗜むべきだと思います

過去の名作だけを集めても、死ぬまでに消化できるかどうかわからない量が得られますよ。

2015-12-27

Webデザインって難しいんだなぁ。

絵画とかイラストとか3DCGだと凄い作品見たときは一目見て「すげぇ!」

ってなるじゃん?

でもさ、多分GoogleとかTwitterとかAmazonとか、

そういう大きなWebサービスデザインしてるデザイナーって

多分その界隈だと超一流の部類に入ってる人がやってると思うんだけど、

この手のものを見て「すげぇ!」ってなることはなかなかないと思うのよね。

Googleトップページなんて超シンプルだし、

そもそも生活に馴染みすぎててデザインとか深く意識することすらあんまりないと思う。

最近たまに趣味範囲で個人で企画してWebサービス作ったりしてるんだけど、

当然だけどデザイナーとかじゃないからデザイン結構躓くんだよね。

本当にびっくりするほどダサくなる。

2000年前後に公開された個人ホームページみたいにならなくするだけでも

難しいんだなぁっていうのと何気なく使ってたWebサービスデザインって

結構凄いんだなぁって思ったっていう話。

2015-12-26

感情表現方法

何か素晴らしい作品(小説漫画アニメ映画絵画など)に触れた時、

身体の奥の更に奥の方に、冷たく重い感情の鉛が沈殿する。

鳥みたいにペリットできたら、どんなに楽か。

小さいときから、こういうことがよくあって

どうしたら吐き出せるか、絵を描いたり言葉を紡いだり曲を書いたりしたけど、

どれも違う気がする。

どうすれば、この感情を誰かと共有できるのか。

今はただ、自分の中にある黒い塊の重心をずらすことで、なんとか日常生活は送れている。

2015-12-24

榎本俊二先生おすすめ漫画ランキング

増田アドベントカレンダーもあと2日。

今日は、僕の敬愛する榎本俊二先生漫画についてランキング形式で書きます

本当はベスト100にしたかったんですが、全部で10コくらいしか作品が無かったのであきらめました。

5位 えの素

榎本先生代表であるえの素。全7巻

エログロ下ネタを煮込んで作ったプリンのような作品

あそこまで気軽に死んだり脱糞したり射精したり去勢したりする漫画はそうそうないだろう。

この順位に甘んじている要因として、ちょっとキャラクター性に頼ってしまっている、と言う点が挙げられる。

葛原さんとかすげぇ良いキャラだと思うんですよ。でもこの漫画萌えかいないじゃないですか

エログロ下ネタをディフォルメして描くことで逆にそれを感じさせない、という絶妙バランスで描かれていたのに、たまにちゃんとエロい、っていうのはよくないと思うんです。

キャラクターを好きになってしまうとこの漫画にもドハマりできると思うんですが、それは榎本先生漫画本質ではないような気がしてしまうんです。

4位 反逆ののろし

デビュー作の短編集。全1巻。

実験作品の集まりであり、一昔前の手塚作品すら思わせる。

特に最後の「風前の灯火ジョニー」は奇跡20世紀最高作品の1つと語られています。(僕の中で)

単調なコマ割り(4x4が並んでいるだけ)。シルエットだけのキャラクター。全てのコマがほぼ同じ構図。

はセリフだけでストーリーが進んでいるのか?というわけではない。

単調なコマ割りだからこそ生まれる単調なリズムによって生まれる「先読み」がゾワゾワとした恐れを生み、シルエットで単調な絵柄だからこそ怖い。

漫画しか表現できない恐怖がそこにある。

この作品は一度読んだだけだとちょっと怖いだけの話に見えますが、あの男がなぜあの行動をとったのか、さらFinの後なにをしていくのかを考えるとさらに恐怖が深まっていくことでしょう。

すごいとおもいました。

3位 火事場の馬鹿IQ

現在連載中の作品IKKIは無くなってしまいましたが、またどこかで連載が続くことを切望しております

今のところ2巻まで。

分かりやす面白い話、ばかばかしい話、意味が分からない話、怖い話、がごちゃごちゃになっています

最近榎本先生精神状態を表しているようで心配になります

怖い話に関しては、榎本先生どうしたの?って思うくらい、社会風刺的でわかりやす怖い話です。(携帯、もあみ

が、個人的には、あまり好きではないです。

他の作者の作品であれば、ふぅん、っていうくらいなんですが、榎本先生がわざわざこんなわかりやすい話を書いちゃうなんて!って思ってしまます

昔の榎本先生だったら、一度話を分解して、全てのパーツをちょっとずつゆがめて、無理やり組み立て直そうとしてぐちゃぐちゃになった状態にしてくれてたと思うんです。

イモ軍団パワーズのような意味が分からない系の話は、カオスストーリーの上に純粋な恐怖がそっと置いてある感じですごくいいです。

ルチンシリーズはただただばかばかしく、合間に読む分にはちょうどいいと思います。少しくらい風刺な要素があってもいいのにね。

と、様々な方向からアプローチを見せてくれる馬鹿IQ

更なる風景を見せてくれることを期待しています

2位 ゴールデンラッキー

初期連載作品4コマ愛蔵版で3巻。

初期は絵も安定しておらず、ちょっととっつきにくいところもありますが、週刊ギャグ4コマ作家が徐々にこなれていきつつ壊れていく様が垣間見え非常に楽しい

後半、キャラクターに頼ってしまっているところもありますが、何とかひねり出しているであろう4コマに底知れないモノを感じさせる。そんな感じです。

あと、最終回のもうどうでもいいや、っていう感じがすごい。でもその中でもルールを徹底していたりと、几帳面さがうかがえる。

どれだけナンセンスに見える作品でも、理詰めで作ってるんだろうなぁ、というのがわかります

1位 ムーたち

面白いとは何か」を考えすぎちゃって、いつのまにか「考えるとは何か」までたどり着き、面白いかどうかわからなくなってしまった系漫画

天才。全2巻。

主人公小学生ムー夫の日常的な疑問に対し、ミノル(父)や身の回りの人と話しながら考えていく、というような平和世界

が、疑問もそれに対する受け答えも常識的ではないが間違っていない、というギリギリを攻めていてスゴイ。

常識にとらわれず、作品の中のキャラクターの考えを理解することが出来れば、その深い世界観に感銘すること間違いなしでしょう。

エログロも無く、女性にも安心してオススメできます

そして、ストーリー面白さもさておき、絵の独特さもかなりのものです。

ミノルが出てくるコマに顕著なんですが、とにかくおかしい。パースがズレているとかそういうレベルではなく。

おそらく、常識無視しつつ、反面論理的である父親、という概念表現しているのでしょうか。

でも、気にならない。

ストーリーが会話メインで進んでいるというのも理由の1つかと思いますが、絵のおかしさがディフォルメのギリギリ許容できる範囲になっているのでしょう。

また、規理野くんが出てくるエピソードでは、ビッグデータとは何かという視点を非常に鋭く描いています

8年以上前の時点でここまでの考察をしているのは本当にすごい。

テーマ哲学的ものが多く、文化とは何か?科学とは?言葉とは?意識とは?1つ1つ、常識を疑っていく。

そんな漫画です。

総括

榎本先生作品は全体的にナンセンスに見えますが、SF思考実験に近いものもあり、組み立てられたものなのか完全なナンセンスなのか、深く考える楽しみがあります

その一番わかりやすモノがムーたち

解のない問いかけに対し、全てが組み立てられた世界が構築され、わかりやすく読み解くことができます

榎本先生作品には実はナンセンスものは1つもなく、全て組み立てられたものなのではないか、とすら想像してしまます

深い。シュルレアリスムにも通じるものがあると思います

特に榎本先生の描く「人間」は、マックス・エルンスト絵画にも非常によく似たものがあります

榎本先生が影響を受けたのか、あるいは偶然合致してしまったのか。

後者だとすると本当に奇跡である可能性があります

というわけで、この冬休みはみんな榎本先生作品シュルレアリスムしましょう。

2015-12-22

17世紀北海周縁の絵画

光と影絶妙バランスと、荘厳な感じがとても美しい。最近毎日見てるのだが、その緊張感に引きこまれしまう。しかしなぜか美術館などでは人足が少ない気がする。ルネサンス期と違って派手さ、明るさが無いからであろうか。

2015-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20151106110943

まあ本気でプログラミングをやるならオブジェクト指向正規表現ポインタ、参照透過性くらいは習得してもらわないと困るし、その全てにセンスが問われるので、それらを義務教育で教えるのは無理だろうなあ。

でもさわりとして手続きプログラミングっぽいことに触れる機会があるだけで、システム開発に対する無理解は相当軽減されるんじゃないだろうか。

楽器演奏しなかったり絵を描かない人でも、音楽絵画の良さを理解することは可能だし、それは多分義務教育さわりだけとはいえ触れていることが大きいと思う。

2015-10-05

大村智氏はイベルクチン特許権放棄

っていう話が出てるみたいなんですがこれのソースが見つからない

探してるんだけど2ちゃんみたいな信用出来ないとこしか出てこない

感動ポルノ的なデマもしくは不正確な情報ぽいんだけど誰か知らない?

せっかくの良いニュースに嘘をかぶせられるとちょっと嫌なんだけど

http://ghitfund.yahoo.co.jp/interview_04.html

大村の功績は、化学にとどまらない。エバーメクチン特許料で埼玉県北本市建設された北里研究所メディカルセンター病院は「絵のある病院」。大村は「行き詰まった時は、絵をみている」というほど、絵画への造詣が深い。

この記事だと貰ってるみたいだし・・・

2015-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20150920235810

いやそれ「文学」が「芸術」に、「文学性」が「芸術性」に変わっただけですやーん。

>絵や絵画写真と同じで、誰かが芸術性があるといえば、芸術だし、文学であると言えば、文学だ。ただそれだけだ。

それって誰かが「芸術性がある」と言って他の誰かが「芸術性ない」と言った場合はどうなるの? どちらが正しいの?

どちらかが大学教授でもう一方がほとんど文学読んだことも無い一般人だったら?

そもそも「ラノベ文学じゃない」と言ってる人もいるよね、その人は間違ってるの? 馬鹿なの? その間違いをどうやって証明するの? 自分の正しさをどうやって証明するの?

結局「人それぞれ」以上の結論に落ち着くの? 落ち着かないの?

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150920232501

そもそも、「文学」のとらえ方が間違ってるぞ。

文学」とは、文字を使って表現された芸術作品、すべてを指し示すのだ。ただし、文字形態フォント)には依存しない。なので、書道は、文学ではない。

新聞文学ではない。なぜなら、芸術作品ではないから

小説と呼ばれるものは、フィクションであろうとフィクションでなかろうと、文学ひとつに入る。ラノベも「文学」だ。

文学」に価値があるとか、無いとか、「文学性」があるとか、無いとかは、すべて芸術的要素が含まれいるかどうかによる。絵や絵画写真と同じで、誰かが芸術性があるといえば、芸術だし、文学であると言えば、文学だ。ただそれだけだ。

2015-09-08

過去の何かに似ないデザインなんて作れる訳ねーだろ、ぼけ

ちゃんとしたグラフィックデザイン歴史なんて百年やそこらだけれど、毎年何万人っていう人間が何作品作ってきたと思ってるんだ。それ以前には人類が始まってから人間創作活動してきた。

 

「他のなににも似ていないデザインを作れ」なんて無理だよ。あほか、くそが。

 

佐野氏の五輪ロゴの話でいえば、モジュール化という今回のコンセプトをグラフィックに落とし込んでいれば問題ない、極端な話、佐野氏がベルギーロゴを知ってたとしても問題ないというのがデザイン業界では雰囲気な気がする。結局どれだけ、それらしい能書きが作れて、それをグラフィックとして落とし込めているか、なんだよ。そして、すくなくとも佐野氏は、デザイン業界言語では、ベルギー差別化できるくらいの論理武装は出来ていて、それがデザイン業界にいる人なら「ああ、こうしたかったのね」というのがコンセプト文なしで大体伝わるものが作れていた。だから佐野氏案は採用された。仮に審査中にベルギーロゴが出てきていたとしても、審査員は「よいデザイン」と判断していたんじゃないかな、と思う。

 

けど、それが市民乖離してるんだとしたら、どっちかがすり寄るしかない。ただし、もしデザイン業界側がすり寄ることになったら、それはデザイナーは何も作れなくなる。ほんとに。だって手を動かした瞬間、その手の軌跡は人類数千年の歴史のうちの誰かが動かした手の軌跡に似てしまう。どうしても似てしまう。ちょっと考えれば分かることだろ。

似てることが罪なら、もう本当になにも作れなくなる。

 

そんなこと言っていると、いやそうじゃない「態度」が市民に受け入れられなかったんだという反論になっていない反論がくる。それ気持ちは分かるけど、それならそれで徹底的に「態度」に対して批判を加えるべきで、「ロゴ類似性」を責めるべきではない。能書きぐだぐだ書いて剽窃だ、だから佐野氏は駄目だ、と言ったところで、佐野氏態度がむかつくんだったらその能書きは「ごまかし」だろ。素直にお前の態度がむかつく、って言えば済む話じゃないか。

 

それならそれで佐野氏も「ごめんぴー、調子載ってたよ」って謝って済むじゃない。それで手打ちだよ。トートバッグとか展開例の写真のみそぎは別にまた必要だけれど。

 

いまはデザインの話だけだけど、根源的には音楽にも絵画にも彫刻にもマンガにもアニメにも小説にも料理にも何にでも言えちゃうよ。そんな息苦しい世界は私は嫌だよ。

 

http://twinavi.jp/topics/news/55ed5ffc-0a30-4ffc-a057-3b8eac133a21

これを読んで、あと、これのブコメを読んで。思ったことを書きなぐりました。

2015-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20150902083219

「抜けるかどうか」ではなく「性的な面のみを強調しているかどうか」だろう。

抜けないポルノはもはやポルノじゃなくないですか。

ポルノって「性的興奮を もたらす目的で,エロティック行為を書物,絵画彫刻写真映画などの形で表現 したもの。」でしょ。あの絵は「性的興奮をもたらす目的で」作られているの?

作られていると証明するのは難しいと思うけど。

2015-09-01

なんでも鑑定団

なんでも鑑定団、私の大好きな番組だ。歴史文化勉強になる。良い値が付くかも重要だが、どうしてその品を手に入れたのかというストーリーも値段抜きにして面白い。人の営みと、歴史の流れのリンクがたまらなく興味を引き起こす。慣れてくると死亡フラグというか、残念な品だろうと想像つくような要素を持つ依頼人・依頼品が解ってきたりして面白い。思文閣の田中氏が好きだ。

なにより楽しみなのはアシスタントのお姉さんだ。モデルだったり女優だったり、スタイルの良い目鼻立ちの整った大人っぽい美人のお姉さんがアシスタントで登場する(私の好みの顔のタイプである)。注意すべきは練達のコメディアン今田の「依頼人の登場ですッッッ!」の一言。お姉さんが二人一組になって扉を開ける。このときお姉さんの美脚の、すねからふくらはぎにかけてのライン絶妙ともいえる角度で拝むことが可能になっている。まず扉の前でカメラに対して横向きにたたずむわけで、膝からふくらはぎ~足首のラインが強調される。それから後ろを振り向きながら扉を開けることになるのだが、ここではふくらはぎヒラメ筋を完全ともいえる姿を我々は拝見することができるのだ! そしてお姉さんは扉を閉めて歩いて去る(当然カットされることも多い)のだが、こういうお姉さんの奇麗な脚を立体的にダイナミックに観測できる番組は他にない点は指摘しおきたい。次に他のお姉さんが依頼品を持ってくる…のだがこの際通常では高さの低い展示ケースで持ってくる。この場合お姉さんは見れるけどほとんど脚はみれねえ。たまに、軸や大判絵画和服など掛けて展示する品の場合。引きでカメラが依頼品を映すので、すなわちお姉さん方が品を運ぶ姿が引きでテレビに映る。すなわちふくらはぎを見ることができる。モノを運ぶ際の脚の動きは本当に奇麗で流麗であり眼福の一言の外にない。滅多にないことだが扉を閉めるお姉さんと依頼品をを運ぶお姉さんが上手いこと画面に納まっていい感じになることがある。奇麗なお姉さんがたくさん出てきて私はとっても嬉しい。そして番組作ってる人は絶対フェチ! 衣装可愛いし良い仕事してますね。その感性、大切になさってください。

特に好きなアシスタント新妻さとこさんだ。出張鑑定で高額なのが出てはしゃぐ青木さんもかなり好きなんだけどやっぱり新妻さん。二十歳のころからアシスタントとして、今年三十三歳。アシスタントのお姉さん方は皆だいたい30代前後なんだけど、スタイルを維持したり頑張ってるんだろうなって思う。途中、脚のことばっか書いてふざけてしまったんだけど(私は脚フェチです)本当に良い番組で、番組自体長寿だし、紳介の件はあったがアシスタントタレントも長く同じ人を使ったりと、じっくりしていてとってもいい番組だと思う。

2015-08-29

趣味「ゲーム」世間地位の低さ

趣味ゲーム

ゲームしてる時が一番楽しいと言うと「なんて寂しい人生wwww」みたいに言われるんだけど、スポーツを見たり音楽を聞いたり映画を見たりしてもゲーム以上の楽しみは得られない。

まあ旅行も好きだけど、ゲームの楽しみとはまた違う、ゲーム楽しい

ゲーム以外で好きなものといえばパズル

他人が作った仕掛けや謎を解くのがとにかく楽しい。なので今もう30代ですが未だに趣味ゲーム、そして死ぬまで趣味ゲームだと思う。

世の中、アウトドア賞賛されてインドアは貶される。

そのインドアの中でも「絵画」や「音楽鑑賞」は崇高な趣味になるし、「手芸」や「料理」は尊敬される。

なのに「パズル」「ゲーム」は貶される。

高校時代ゲームよりパズルのほうが好きだった。が、「趣味パズル」と言うとドン引きされ、ゲーム以上にバカにされたのであまり話していない。

数独面白いのに、ピクロスも大好き。

趣味に没頭している時間が一番楽しい。だと微笑ましく見て貰えるのに

その趣味は実はゲームでした。ゲームパズルに没頭してるのが楽しいですと言うと途端に「寂しい人生」の烙印を押されるのは何故なのだろうか。

年齢を理由卒業を迫られるのは何故なのだろうか。

2015-08-20

その世界評価されているものを総否定する時点で、自分感性を疑え

これらのジャンルは、そこそこ権威のある賞やコンペなどがあり、そのジャンル内外で凄く評価されているプロと呼ばれる人々がいるが、

ネット上では「こんなのが評価されてるっておかしくねwwwww 俺が作ったヤツの方がカッコイイしww」「マジだwwww」みたいなやりとりが往々にして繰り広げられている。(勿論、自分だってプロの作ったものが全部カッコイイと思うわけじゃないよ)

しかし、上に挙げたジャンルで高く評価されている作品製品、全部が全部おかしいって感じるのであれば、逆説的に「自分感性の方がおかしいのではないか?」という結論に至るはずなんだけど、そうならないのが凄いなって思う。

自分感性を疑わずに、プロを叩き続ける人々があまりに多いのにビックリする。

2015-08-19

実はパクリなんていうものはない。何故かというと完全オリジナルものなんてこの世にないから。どんな創作物も作者がこれまでの人生で得てきたインプットパクリ。その組み合わせ方でわかりやすいわかりにくいがあるだけ。たまたまわかりやすいと誰かに因縁付けられて、金取られる仕組みが著作権

まり著作権というのはガメつくて盗人猛々しい奴らが不労所得のためにでっち上げ方便。具体的にはディズニー社が悪い。それをみんなマネした。見事にその目論見は成功し、著作権を守るのは良い事、守らないのは犯罪者みたいに良識ある人々まで信じ込まされてしまった。

なんの情報も得ず言語絵画手法発明したのでもない限り、全ての創作物パクリである人類は本当に先人から恩恵尊重するなら、著作権というおこがましい概念を捨て去るべき。

以上正論なのだ洗脳された人々には支持されない。この記事にも有効反論は付かないだろうと思われる。

http://anond.hatelabo.jp/20150819071419

2015-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

たとえば北斎も肉筆だと

http://fast-uploader.com/file/6995210605446/

こういう写真かよ!っていう絵を描いているんだ。

なんで生首?

うーん、ほら、生首の絵の扇子で扇いだら涼しくなりそうじゃん(笑

単体ならっていうのは、透視遠近法みたいな絵がないっていうことかな?

有名な冨嶽三十六景は70代の作品だが、30代で既にたとえばこんなやつがある。

http://fast-uploader.com/file/6995210740539/

カンペキだね。

これと似たような構図を年代順にならべてやる。

40代

http://fast-uploader.com/file/6995211010479/

かなり透視遠近法に忠実。

消失点は水平線の彼方にある一点透視

枠の中に時間を切り取ったカメラのような絵。

70代

http://fast-uploader.com/file/6995211188891/

これ、よくみると、消失点が1点にならない。

左右の橋の梁の平行線を伸ばしてぶつかる消失点は水平線の彼方、両脇の屋敷屋根平行線を伸ばしてぶつかる水平線は橋の下かその少し奥。

これが、忠実な一点透視だったらつまらない作品だったとおもわん?

絵の中に動きがあるのは、ちょっと崩れてきてるおかげ。

80代

http://fast-uploader.com/file/6995211441686/

もう解説不可能

ぱっとみ同じ構図の一点透視のようで、二点透視にも見え始め、仰ぎ見てるようにも見えたり見下ろしてるようにも見え、ってことは三点透視かとおもいきや、そもそも透視図法(平行線がいつか交わる)じゃなくて投影図法(平行線はどこまでも平行)なんじゃないかと見える。

番手前の人物にフォーカスを合わせるとそういう絵になり、その奥の人物にフォーカスを合わせても絵としてなりたち、人物を辿ってるうちに奥に奥にと視線誘導され、そのたどる先には富士山

多重視点に近い技法

多重視点というのは、「ピカソの絵は右から見た絵と正面から見た絵が合成されていて」みたいな説明をされるあれ。

ピカソ作品はそれだけじゃなくて、いろんな意味で工夫させすぎてて、話が脱線してしまうので、わかりやすキリコ

http://www.geocities.jp/syu_58jp/we2/1.JPG

この絵のようなやつ。

これを分析すると、消失点が狂っており

http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/251.JPG

遠近法的に忠実に描くと、

http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/252_4.JPG

こうなる。

人物やモノ画中にたくさん配置して、奥のモノ、人物は小さく、手前の物を大きく描くことで絵の中の遠近を表現するっていうのは、基本ではあるが、

それをやめて、横一列に均等に配置することで、絵にリズムが生まれ

1905のホドラーという画家作品がこれだ。

https://cakes.mu/posts/7599

これについても、似たようなことを既にやってる北斎

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-94-64/otyaken_suki69/folder/1050996/44/47018044/img_8?1382279701

なんというリズム感。

次、北斎富士をバックにシャチホコがある絵

http://yukiwochannel.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_f71/yukiwochannel/E6B19FE688B8E381AEE4B88DE4BA8C-7fa87.jpg?c=a319

これ、どこがおかしいかわかる?

シャチホコってさ、近くで見ると当然巨大じゃん。そうしたら、本当は

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg

波をシャチホコに置き換えたら富士山はこのくらい小さくないと絵としておかしい。

この構図になるのは、望遠レンズズームで覗いてるという設定の絵だっていうこと。

望遠鏡!そんなのおかしい!」って?

いや、まあ北斎からね。科学技術マニアだし。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201011/22/10/b0111910_1061561.jpg

http://tenkijuku.com/qa/kisyoudai/hugoku.jpg

当然もう残っていないけど、百二十畳の巨大な紙に、高いところからみないとなんだかさっぱりわからん巨大な絵とか描いたっていうんだ。

そういう高いところからみないとなにを描いているんだか本人もわからない絵というものは、「この座標でこの角度で線を曲げて」っていう座標の概念がないとどうやっても描けないわけで。

北斎というと、80過ぎてるのに110歳くらいまでの人生設計(当然自分画力について)を立てる貪欲さで、当時の平均寿命の倍くらい生きてるのに死ぬ間際に「まだまだ描きたりねぇ(意訳)」といって死んだというエピソードが有名なので、描いて描いて描きまくったというイメージが強い。

しかし、その実際は、それプラス数学物理幾何学も絵に応用して、古今東西、みたこともないものだろうと文献調査だけで描き(中国くらいならまあ、古代インドとかどうやって描くんだよ!!見たことないはずの象を右からも左からも正面からも後ろからもかけるとか、どうかしてる。)、漫画効果線やトーンのかなりを発明し、その後の絵画歴史発明された技法をその100年前に実験しつくし、鎖国時代なのに西洋の銅版画や油絵解説書をつくり、中国画の技法日本画技法も操り、いうなれば、異星人。

写実的な絵の話からすこし話が逸れたな。

まあつまり、線遠近法北斎より少し前の時代に入ってきたんだが、カンペキ理解をしたのが北斎

自在に使いこなし、それを捨て去り、違う境地、もう前衛芸術実験のようなレベルに高めたのが北斎

そのネクストジェネレーション広重、その次が国芳

その後は幕末文明開化西洋画が入ってきて、もう一回遠近法ブームが起きて、

日本画はもう古い!これから西洋画!遠近法!陰影表現!」

みたいなムーブメント

油絵が始まり浮世絵(版画)の絵師たちもそれに近い木版画を作った。

初めてやったのは小林清親って人で、水彩画風の版画、ついには油絵風の版画まで辿り着くが、結局彼の画風はいわゆる浮世絵的な絵に戻る。

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%B8%85%E8%A6%AA&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIg9bKrtGrxwIVYcamCh0Kcgg-&biw=1920&bih=955

写実的(性格遠近法、陰影表現)ってのは、いちどはそれに熱中する麻疹みたいなもの

おっと、また今回も北斎の話しかしてねぇや。

追記

その後の時代だと、吉田博、川瀬巴水とかが水彩画のような木版画で有名だが、小林清親浮世絵の構図、モチーフ水彩画手法油絵手法で再構築した感じなのに対して、吉田博、川瀬巴水洋画木版画しましたって感じだから浮世絵日本画の子孫じゃあないと思う。

吉田

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8D%9A&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMI4bGkztGrxwIVwh-mCh1rBg6P&biw=1920&bih=955

川瀬巴水

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%9D%E7%80%AC%E5%B7%B4%E6%B0%B4&es_sm=122&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMI97yT-NGrxwIVCSOUCh3qogIQ&biw=1920&bih=955

2015-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20150813151101

浮世絵しかからないので、浮世絵がいかに衝撃的だったか、どう世界を変えたかちょっとだけ。

ところで、少し脇道から入っていくが、まずこの写真をみて欲しい。

http://img.allabout.co.jp/gm/article/20016/image2.jpg

俺はすっかり大人になっていて、南国にはこういう景色、すなわち澄んだ空と海、強い日差しがあることを知っているけれど、もしもこれを予備知識なくみたならば

「なんて美しい場所だ!本当にこの世なのか?」

と思うと思う。

これをみて、「海と小屋が映ってるだけだろ。なにが綺麗なのかわからん。」

という人はそれでけっこう。わかりあえないので、この先は読まないでいい。

北斎武州玉川

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8C%97%E6%96%8E+%E6%AD%A6%E5%B7%9E%E7%8E%89%E5%B7%9D&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMI6Nm87_OoxwIVgbWUCh0URw4t&biw=1920&bih=955

これを西洋人が初めて目にした時の衝撃は、たぶんそれに似てる。

「なんと澄み切った空!見たこともないブルー!ただ青が広がるだけの空がこんなにも美しいのか!影が映らないほどの明るさ!」

「澄み切った水!そして水面がキラキラと光ってる!」

しばらく、その美しさにトリップしたあとに、正気に戻ってみてこの美しさはどこから来るのかと絵を探るといろいろと気付くのだ。

「見たこともない構図だぞ!風景を上から見下ろして描くなんて!!」

「紙が布のようだぞ!紙そのものが上等なシルクのような輝きを放ってる!」

「波打つ水面は、ただ紙に描かれているのではなくて、エンボスになっているぞ!」

「遠い異国の景色であるのに、聖書物語の一節でも歴史の一部でもないのに、馬を引く人や船を漕ぐ人のドラマが頭のなかで再生されるぞ!」

「表面にインクは残っていない!触ってもインクが手に付かない!光に透かせば光を通し、光に当てれば輝く反射!ありえない!ありえない!ありえない!」

日本という国では、カラー印刷一般的なのかッ!!!包み紙に使うほどにッ!!!貴族でも大商人でもない一般庶民が、絵を楽しむというのかッ!!」

「こんなにも簡素表現で、こんなにも訴えかけることができるのかッ!!!いや、極限までエッセンスを削ぎ落としたからこそ心のドアをノックするのだッ!!!

「絵とは魔法だ!丸に点を二つ描くだけで、顔に見える!そこに手足を描くだけで動いて見える!我々は見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める術を手に入れた。しかしどうだ?心をノックするために、見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める必要などあったのか!?

日本人は、我々が陰影、凹凸、光源の方向、そんなことに執着して、方向を間違えている間に、一瞬の煌きや感動を絵に閉じ込める術を手に入れていたッ!!!

こうして、浮世絵西洋絵画を変えた。

それから西洋絵画教科書でも読んでくれ。

芸術進化させるとは、価値観を変化させることだ。

価値観の変化は、生活の変化のきっかけだ。

例えば、もしも浮世絵がなかったら、テレビドラマ映画登場人物の会話を真横から映し続ける退屈なものだったろう。

それまでの舞台を描いた絵も、物語を描いた絵も、常に真横からの構図だ。

こうした俯瞰物語を描くことはなかった。

また、主人公は常に画中にいて、主人公視点はない。

仰視、俯瞰、物陰から登場人物一人称視点、あらゆるカットで切り取っていくのは、浮世絵アイディアだ。

葛飾北斎が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしたのは、そういう理由だ。

春信、歌麿広重国芳、そのへんの偉業についても長々と書きたいけど、寝たいので今日はこれまで。

浮世絵以前と浮世絵以後、確実に進歩している。

2015-08-14

デザイナーの身内褒め

現役美大生です。

いろんなまとめサイトやそのブコメなどで「多摩美ムサビは同じ出身校同士の結びつきが強い」「電博(電通博報堂)とのつながり」というコメントがちらほら見受けられました。それを一言で「身内褒め」でピシャリと言い切ったものもありました。

今まで僕はギャラリーでサノケン佐藤可◯和、森本千◯、長◯りかこなど、美大生の間では名の知れたデザイナー作品を数多く見てきました。その作品を見るとたまに、またか…と思ってしま自分がいました。まだデザイン仕事に深く携わっていませんのではっきりと言い切ることはできませんが、色々な人達が指摘した通り、身内褒めは存在すると思いました。

まず電博エリート派閥にいるのはほとんど芸大ムサタマです。そして電博就職したいと思っても面接を受けられるのは学校が決めた成績上位者の極一部だけです。ゾシビやゾーケーが電博にいないわけではないと思いますが、芸大ムサタマ以外でドカンと売れるデザイナー(野田凪、吉◯ユニなど)は電博出身ではなく、電博出身独立したデザイナー事務所所属したのちフリーになるという流れです。だから電博芸大ムサタマの結び付きが強いと言われるのです。

またエンブレムの件で言えば、前作の亀倉雄策デザインが圧倒的というのもありますが、美大芸大専門学校とかの美術的な素養がある人達の間だけでウケるグラフィックってやはり存在します。ではなぜ芸大や五美大にいる人達が見たものが良いとされるのか。一目エンブレムロゴなどを見て「ここが良い、ここにメッセージが含まれてる、ここが足りない」といった、デザインに隠された欠点メッセージを読み解く訓練をしているからです。「デザインが分かる人」のイメージは概ねこれだと思います美大生の間でもそれは同じです。

しかしこの目が肥えていくうちに、美術素養がない人の作品見方に大きく差が開いてきます。これが身内褒めを促進させるのではないかと思っています

デザイナーや専門の批評家同士、ワカッテル人達に絶賛されたりお墨付きも貰えたりする。この身内褒めがあってこそデザイナー自身にとって簡単には揺るがない評価を手にすることができますデザインに詳しい人が良いと評価すればデザイナーとしての評価に直結するでしょう。これは絵画でも同じです。(他にそういう例えができるものがあるかどうか探してみてください)こうしてデザイナーキャリアは作られます

今回みたいにとことん目立つところで、美術素養がない人達に発表するということがそもそも少ないのです。一般人にはどうせ分からないだろうけど、凄く良いんだよこのデザイン、と褒める人達美術が分かる人達、つまり身内に限られてきます。わかる人が分かればいい!という独り善がりのデザインに向きやすいのです。

美術素養がある人達でも、良いと言われているものが何故良いとされているのかを見抜けない、また理解できないことは多々あります。例えば大◯卓也がデザインしたHungry?というキャッチコピーとゾウを使ったカップヌードルCMはとにかく業界内で絶賛されていますが、僕にはよく分かりませんでした。更に見抜く力が少ない一般人が「見る側」として圧倒的な人口を誇る中で、素養ある人達けが分かる世界を見せてこれが優れたものですって言われてもねって感じかと思います

もちろん十人十色で感じ方は違います。だけど美術素養があって各々評価基準見方を分かってる人にはいデザインだと見抜けても、まったくそういう知識もなしに初めて見たときには物足りなく見えたりするデザインはどうしたらいいのか。考えているデザイナーはいるでしょうか。コンペで選ぶのはみんな素養のあるサラブレッド達だから尚更です。

「 Sapokanikan /サポカニカンタバコ畑)」

オジマンディアン*1のせいだね

タバコ畑の地図

砂に埋もれてくしゃくしゃ

地は侘しく平らかに均された

跡なき力強い御手によって

遺跡に遊び

ポリ袋を叩いて鳴らした

勇敢なる男たちと女たちは神を敬愛

朽ちた襤褸たちの知るところとなった

口ずさむ:私を愛していますか?

私をおぼえていますか?

私のうえに雪がつもる

幾重にも幾重にも層を成して:

これも神の掌のうちなのか

パッチ・オブ・グラス』の下に、彼女

オランダ巨匠*2の骨は隠されている

どこか他の場所でトビアス

ラファエル変装しているのを

学者たちが母と子と見破るあいだ*3

他の娘たちは埋葬される

無縁墓地*4の土のなかへ

彼女たちの上ではパレード

日々を刻んで通りすぎる

大理石と鉄でできた純白のアーチの建つ公園*5を抜けて

二万の死者たちがあなたの歩みに寄り添うところ

だるい鳥達のさえずりのなかで失われていった彼らの死因

彼らの残した記録はどうしたって謎めいている

すべては廃れて消えた

文字は織られない、X線は何も映さな

蛍光なしではね

御手が始まりと終わりを司る場所ではね

私もがんばってきたんだよ でも

私の愛していたものを思い出して、私を抱きしめて、なんて言わない

なんどもなんども医者を呼んだ

でも雪が私をフローリー・ウォーカー*6ごと飲みこんでしま

そして絵の中に生きる

彼は言った:

大丈夫

「もう終わったよ」

そして飛行機に乗った

ベルトを締めずに

彼はとんでもない向こう見ずで有名で

“ぼうや”と呼ばれ

市長としてタマニー・ホールタマナ首長混同しながら

落下へと突き進んでいった*7

そして私たちは水準をあげる

賢く健全な魂を回復するために

狩人たちは

百年前からずっと見て、そして絶望してきたのかも*8

そして驚きをもって見つめて

私たち公園に捨てて錆びつかせてきた捧げ物を

私たちの髪をピンと逆立てると誓って

ジョン・パーロイミッチェルを見送るために

私たちの働きが不可欠なのかもしれない西部戦線

慈悲を! 神よ!

出て行って、狩人が石碑を解読するのを待って*9

この街の下に何が横たわり、去っていったのか

見よ、そして絶望せよ

見よ、そして絶望せよ

---

1 シェリーの詩『オジマンディアス』より。古代エジプトの「王のなかの王」オジマンディアスを詠った詩。このあと続く砂漠遺跡イメージシェリーの詩に準じている。全体をつらぬくモチーフでもある。

2 ゴッホ絵画パッチ・オブ・グラス』のこと。

3 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の絵画についてのエピソード。この作品は長いあいだ、旧約聖書外典トビト記を下敷きにしたポピュラー宗教画モチーフ「トビアス大天使ラフェエル」の絵だと信じられてきたが、のちの研究でもともと「母親子供」の図として描かれたものティツィアーノ弟子宗教画へ改変したものと判明した。

 ちなみに「トビアス大天使ラフェエル」はこんな話。ユダヤの盲人トビトの息子トビアスは、父親から昔貸した金を回収するように命じられてメディアの地まで旅をする。そのとき同行者として大天使ラファエルがトビアスについてくる。トビアスは旅から帰るまで、自分の同行者がラファエルだと気づかなかった。

4 歌詞では「potter’s field ポッターフィールド」。無縁墓地を指す。語源新約聖書マタイ福音書銀貨三十枚でキリストを売ったユダ自責の念からクビをつって自殺ユダから押し付けられた銀貨のあつかいに困った祭司長たちは陶器職人(potter)の地所を購入し、行旅死亡人墓地に定めた。

5 ワシントンスクエア公園のこと。パリ凱旋門モデルにしたワシントンスクエア・アーチが建っている。もともとは貧困者用の無縁墓地で、今もその下には2万人以上の遺体が埋まっているという。

6 オーストラリア人画家アーサー・ストリートンの絵『Spring』の元ネタになった人物のこと。ストリートンの恋人だったらしい。

7 「ニューヨーク市長坊や」の異名を取ったジョン・パーロイミッチェル1914年から17年までの三年間、ニューヨーク市市長を務めた人物。彼は当時ニューヨークを仕切っていた悪名高き集票マシーン一種政治団体タマニー・ホールと激しく対立し、17年の選挙落選するや第一次世界大戦に参加するため空軍へ入隊した。入隊の翌年、彼は飛行訓練中の事故で死亡。原因はシートベルトを締めなかったことによる落下事故だったという。

8 シェリーの詩『オジマンディアス』の「全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」から引用

9 ホレイショ・スミスの詩『オジマンディアスから

お前の思考は多分本当にただの電気信号以外の何物でもないんだろう

この手のことが何も言ってないことに気づいてないバカ一定数いるよね。

女なんてほとんど水と不純物の塊なのに..

絵画なんて紙に絵の具が載ってるだけなのに..

太陽なんて水素ヘリウムの塊なのに..

and so on

http://anond.hatelabo.jp/20150813032839

お前の思考は多分本当にただの電気信号以外の何物でもないんだろう

この手のことが何も言ってないことに気づいてないバカ一定数いるよね。

女なんてほとんど水と不純物の塊なのに..

絵画なんて紙に絵の具が載ってるだけなのに..

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