はてなキーワード: 白熊とは
作品の売り方がどうよかっただの、どういう点が新しいだの(よく調べると大概前例が見つかる)じゃなくて、作品が心に刺さった点を書けよ。
流行ったのは周りに流されてるだけの連中もいるだろうが、コアなファン層はそれがメチャメチャ面白いと思ったから支持してるんだろうが。
なんで経営者目線でアニメの宣伝の仕方やら成功について語ってるんだよ。なんで「成功プロジェクトに学ぶ」みたいな意識高い系ビジネスマンの読み物を求めてるんだよ。
(まあ一番ムカつくのは自分が好きな作品を〇〇はなぜ失敗したのかとか、勝手に失敗認定されることなんだが)
あまり検証せず現在のアニメのダンスシーンはハルヒが源流ではとか言った白熊先生はハルヒファンなんでまだいい(ファンが雑に作品を持ち上げるのはよくある話)、あと雑なアニメ論ぶち上げてた元ネタのブログも若いのにハルヒ見て楽しんでくれたようでまあ許す。
だがこれ↑に関しちゃいいまとめだとは到底思えない。
面白かったけど流行りに一番大事なのは外的要因でしょとか言っちゃうか。
逆に自分にとって面白いすごいいい作品だと思っても流行るとは限らないんだが、でもハルヒでも10年経つとこんなまとめにされちゃうかと感じると同時にやっぱりわかってないよなと思う。
堕天翅族がアトランディアの地(南極)に高度な文明を築いていた(創聖のアクエリオン)
プレデター南極に降り立つ。人類に建築技術を与え神として崇められた
神殿を建造させ100年ごとに成人の儀式のために地球を訪れ、エイリアンの宿主となる生贄を求めた。しかしある時繁殖しすぎたエイリアンによって敗北し、全てをリセットするため自爆装置を用い南極の文明を消滅させた(エイリアンVSプレデター)
全盛期のキスショットが南極大陸から日本に渡る。衝撃で南極大陸を破壊しかける(鬼物語)
アーサー・ゴードン・ピム、友人オーガスタスの協力のもと帆船グランプス号に密航する
様々なトラブルを乗り越え辛くも南洋を目指す貿易船ジェイン・ガイ号に救出される
そのまま南極探検に向かい「テケリ・リ」と鳴く動物に遭遇する(ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語)
ノーチラス号は資材補給のため南極の秘密基地へ向かう。基地は南極の地下にある大空洞に、2万年前に古代アトランティス人が建造した巨大なドックだった(ふしぎの海のナディア)
ミスカトニック大学のダイアー教授率いる探検隊、南極大陸に向かう
生物学者のレイク率いる分隊が狂気山脈を発見。「古のもの」の化石を数体発見するがショゴスの襲撃を受ける。最終的にたった2名の隊員のみが帰還する(狂気の山脈にて)
ナチスの残党が宇宙人との戦闘に勝利し、遺跡から聖杯を手に入れ新たな帝国を南極に築く(ADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜、難局!ED)
昭和30年代、敗戦からの復興を進める日本は戦勝国を中心とした国際地球観測年による南極観測への参加を表明する。しかし、他の参加国からは敗戦国であることを理由に罵倒される。そして日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」とされていたプリンス・ハラルド海岸であり日本は全く期待されていなかった。その中で倉持たちは日本が世界と肩を並べる時が来たとして南極観測のために尽力する(テレビドラマ「南極大陸 」)
第二次越冬隊を乗せた南極観測船・宗谷が例年にない悪天候と氷河に阻まれ立ち往生してしまう
その4ヶ月後、往生したままの観測船から飛行機が基地に降り立ち本日中に全員が昭和基地から撤退し帰国するよう命令が下る。しかし犬達を連れていくことは許されず、潮田達は苦渋の決断で数日分の餌を与え南極に犬たちを置き去りにして帰国する
犬達は鎖から逃れ、1年後に生き残っていた兄弟犬タロとジロに再会する(南極物語)
南極に生息する怪獣ペギラが南極観測隊の基地を襲撃したが、南極の苔から取れる物質ペギミンHが弱点であることがわかり、それを搭載した気象観測ロケットで迎撃されると黒煙を吹きながらどこかへ飛び去る(ウルトラQ)
イギリスの細菌研究所で開発されたウイルスがスパイによって盗み出されたが、スパイの乗ったセスナはアルプス山中で吹雪のため墜落しウィルスは流出してしまった
ウイルスは全世界に蔓延し半年後には35億人の人類を含み地球上の脊椎動物がほとんど絶滅してしまう
わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し絶望の中から再建の道を模索する(復活の日)
南極の奥地にある機械の城ネオグラードを拠点とする、メカ人間の帝国「新帝国ギア」が人類への攻撃を開始する(超電子バイオマン)
「私」が氷男と結婚、南極旅行を持ちかける(村上春樹「氷男」)
学会で使うテープを間違って娘たちに送ってしまった江崎教授のために両津勘吉と中川圭一が協力して世界中を駆け巡る。冬子がいた南極で両さんは制服のまま海に落ちたり白熊と格闘する(こちら葛飾区亀有公園前派出所「絵崎教授80時間世界の旅の巻」)
西村淳、昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドームふじ基地に料理人として派遣される(南極料理人)
セカンドインパクトで南極大陸が消滅する(新世紀エヴァンゲリオン)
南極の氷山から生まれた極寒爆竜コンビを、アバレンジャーと正義の爆竜たちが迎え撃つ(爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!)
新人サファーのペンギン「コディ」がサーフィン・ワールドカップで優勝を目指す(サーフズ・アップ)
オルタンス、南極のフランス観測基地で料理人となり1年間の任期を無事に終える(大統領の料理人)
碇ゲンドウ・冬月コウゾウ両名が南極に出向きロンギヌスの槍を回収。NERV本部地下のリリスに零号機によって刺された(新世紀エヴァンゲリオン)
18歳のジン・カイザワは、南極海の氷山曳航を計画するシンディバード号にオーストラリアから密航する。乗船を許されたジンは厨房で働く一方、クルーや研究者たちのために船内新聞をつくることに(氷山の南)
戦士としてヒイロとの決戦を望むゼクス。ノインはヒイロとトロワを連れゼクスの待つ南極へと向かう(新機動戦記ガンダムW 第15話「決戦の場所南極へ」)
一般には知られていない闇の歴史となるのだが、この地球の支配種族はクーラーなのだ。
この猛暑の中外回りをしている勤勉な増田には理解してもらえると思うが、地球と呼ばれるこの惑星において最も偉大な種族はクーラーであり、俺たち人類は、彼らの吐き出す冷気に寄生していっときの安らぎを得る未開の番おくにすぎない。
日本以外でもそれは完全な事実なのだ。クーラーなんて使わないよ? とうそぶく北欧国家はもう完全にやばい。
あれは山脈の頂上近辺とかに、巨大クーラー様が鎮座してて国家どころか地域ごと冷房しているから一年中快適気温なのだ。夏の間だけクーラーに面従腹背しているような、半端な文明国とは違う。国家ぐるみでクーラー様を信奉しているのだ。万年雪ツアーとか聖地巡礼みたいなものだ。
古代種族クーラーの本拠地は南極だ。狂気クーラーが地球を凍結させようと、白熊あいてにシロクマアイスを量産している。地球温暖化がいまのようなペースでとどまっているのも、この古代種族の偉大なる英雄が南極でかき氷を作ってるからなのだ。
人類の最後の牙城だと思われていたアフリカ諸国も最近きな臭い。茶色くて乾いたぺんぺん草しか生えていなかった荒野が灌漑されて、近代的な大学やオフィスビルが立ち並び始めた。言うまでもなくそれは古代種族クーラーのテリトリーだ。
世界経済の発展やグローバリズムというのは、クーラー族がその勢力範囲を拡大するために人類に授けた叡智なのだ。いいや、それを叡智と呼ぶのは矮小なる人類の価値判断でしかなく、本当は空調機械がこの地球の表皮を覆うための生存戦略めいたただの自然の帰結なのかもしれない。人類のちっぽけな知能では、古代種族の深い考えなどわかるはずもないからである。
賢い増田は、偉大なるクーラー様の支配を拒むことはないと思うが、世間では(特に市役所とか?)が設定温度を28度とかにして、結局室温は30度超えてるじゃんなどという、文明人にあるまじき反抗作戦を繰り広げていると聞き及ぶ。
愚かなことだ。
古代種族は人類のことなど気にもかけていないのだ。クーラーは何も奪わず、与えない。熱交換はただの交換でありエントロピーは増大するのみである。支配種族に逆らうことに意味はない。彼らは人類に悪意は(あえて言うならば、もちろん好意も)ないのだから。
この秘められた事実が露見した場合、僕は反クーラー主義者たちの凶弾に倒れるかもしれない(彼らは長い間義務教育の教室にはクーラーを設置させないという差別を行ってきたことに注意すべきだ)。
白熊が自由について言及している。自由を誇示することは不自由だという論旨だがそもそも人間は存在自体が自由ではないことを忘れているのではないか?
親につけられた名前さえ自由ではない。未成年の被教育コストも愛情も自由ではない。自由とは独立自尊という意味においては大人になって初めて発揮される概念であるが人間がその存在においてそもそもが自由ではありえないのだ。
自由なんかありえない。そう書くとディスとピア感がすごいが人間は共同体なくしては存在すら不可能で性欲も食欲もましてや承認すらも他者が存在しないかぎりにおいては発生しない価値観なのだ。
つまり独立、自律なんてものは社会的、経済的な話であって自由なんつう思想的なものを担保するものには絶対にならない。深夜にこんなこと書いて申し訳ないが。
独立という概念は多様性というものを担保にして成立するのはアメリカがその歴史において証明してきたがそれは国の形であって個人がその幸福を形成するにあたって大切にすべき概念ではない。よく考えてみればいい。
人が人と接するときに真に相手に触れようとする時は相手の話に触れて影響を受けたいと思うから聞くし、相手に話す時には自分の価値観とすりあった時にこそ喜びを感じるはずだ。それは一様性であって断じて多様性なんていうエクスキューズではない。
多様性というのは社会の潤滑油なだけであって商談や取引などなら忘れてはいけない概念だが人間関係を標ぼうするものでは断じてない。
フェミニストからは概ね、諸手を挙げて歓迎されてるように見えるけれど個人的にはそこまで良い映画だとは思えない。
何が気になるってこの映画の黒幕を羊の副市長という「女」にしたところ。せめてライオン市長と羊の副市長がどっちも女だったらまだよかったんだけど。最初の警察学校の場面では白熊の声が女性(トイレも女子トイレだった)だったから見た目では雄っぽく見えても女性の動物もいるのかなと脳内補完できるんだけどライオンだけは無理。ライオンは鬣で容易に雌雄がわかるから、鬣のあるライオンは全て男とわかる。市長がオスライオンなのに警察にもオスライオンがいるって被っててバランス悪いと思うし。
とにかく、黒幕である羊の副市長の行動がまるっきり『痴漢冤罪』のメタファーにしか見えなかったんだ私には。本国アメリカだとどうなのか知らないけれど。
オスライオンの市長にいいように使われてきたメス羊の副市長という、虐げられてきた『女』を黒幕にし、痴漢冤罪のような形の陰謀をやらせるってさあ…しかもラストのダンスシーンでは同じく刑務所にいてもライオン元市長はそこそこ寛いでるのに羊の元市長は険悪な表情のまま、改心もしてないし。
それにさ、ベルウェザーの姿って要するに未来のジュディでしょ?
警察や政治という崇高な仕事に夢を見て実現させたはいいが現実は雑用を押し付けられるのみ、って。そこでジュディが腐らずに頑張った結果成功したならいいんだけど実際にはたまたま誘拐事件が起きていてそれを解決したからというだけ。真相の解明も家族が偶然ヒントを与えてくれただけで、あまりにもスピード出世すぎる。ジュディだってあのまま何十年も同じ環境にいたらベルウェザーと同じようになっていたとしか思えないんだ(種族がどうとかじゃなく、新人に重要な仕事を任せないのは当たり前なのにそれで被害者面するってメンタルが未熟過ぎでしょ)。それなのに未来の自分の姿とも言えるベルウェザーとは何ら精神的な和解はなし。
アナ雪の後のディズニーで女主人公、女黒幕にしたならジュディがベルウェザーを改心させる展開の方がよかったんじゃない?
ジュディとベルウェザーの描写を見ていると、若いフェミニストはジュディのように明るく前向きでいなきゃなりませんよ、ベルウェザーのように男を恨む高齢フェミニストになってはいけませんよ、お利口さんでいなさい…ってメッセージを感じ取れちゃうんだけど。
幹事である俺があたりまえのように会場の予約を忘れたため、集合後の流れで適当な居酒屋を探すことに。
おっ、徒歩二分の場所にワタミがありますね、とみんなを導こうとすると「あんなブラック会社で飲む酒がうまいはずはない」とみんな不満顔。さすがみなさん、公共性が高い。というわけでワタミのとなりにあった温野菜なんとかいう居酒屋に入りました。
「いらっしゃまいませ。何名様ですか?」
案内係のお姉さん(メガネにウェーブがかった長髪。ちょっと人間を人間と思っていないような目をしている)に人数を伝え、「白熊や犬も混じっているんですけど、大丈夫でしょうか?」とおそるおそる尋ねると、満面の営業スマイルで「大丈夫ですよ! はてな村では五族協和人類みなサラダボウル!」
しめやかに満座が着席するや、「ご注文は〜?」とにこやかに聞いてくるお姉さん(さっきの案内係と同一人物。感情の一切こもらない、抑揚のない口調でしゃべる)にみんな我先にと「ビールビール!」「生中生中!」とまるで社会人とは思えないがっつきかたを見せる。
俺が誰の頭にも残らないような薄っぺらい乾杯の辞を述べると、あとは無礼講無礼講。
「なーんで持ってるの?
なーんで持ってるの?
は〜い、おそろしいおそろしいおそろしい♪」
「のーんでのーんで どんどん飲んで♪
飲むのは?
\ サバー /
飲むのは?
\ カレー /
あー!
いー!
うー!
梅田望夫って結局今どこにいるの?
えー!
笑顔です!
おー!
おーつねさんもパコパコパコパコ♪」
皆飲んでいる。
皆酔っている。
皆吐いている。
俺は限界だとおもった。
運営が必死になってマネタイズしている中で、そのインフラを勝手に使ってはてなの中心を気取っているだけの悪質ながん細胞だ。
さっさと荷物をまとめて出て行ってくれ。
なによりその証拠が最初の一言に全て言い表されているではないか。
【おことわり】この文章は、ハイコンテキストな“はてな村”的な何かです。この言葉にピンと来ない人にはなんら意味を持ちません。スルーしてやってください。
なんだそりゃ。
ヘビーユーザーが3年の時を経て重い口を開くともなれば注目が集まらないわけがない。
当然はてなのトップページにだって現れることは予想できたはずだ。
それを3年以上遡って事情を知っている人だけ読めばいいという姿勢は何ごとだ。
3年間コツコツとはてなが集めてきたユーザーを全く無視とはどういうことか。
3年かかってもかかる事案をエンターテイメント化できないほど根に持っているということを吐露しているだけのクソ文章じゃないか。
某はてな村奇譚は、そんな過去のはてなの事情すら知らない自分にも十分にコンテンツとして楽しむことができた。
なんかよくわからないけど、なんかよくわからないことがあって、結局お姉さんの正体もなんだかよくわからなかったけど、キャラが面白いし会話が面白いしなんだかよくわからないけど面白かったんだ。
すくなくともこんな胸糞の悪い断り書きはなかった。
最初に胸糞悪い断り書きを書かれたものの、くだんのコンテンツをわからないなりに目を通してみた。
なんだかよくわからない青二才って人が道化師だってことが言いたかったみたいだけど、本当に道化師なのはどちらだ?
はてな村奇譚で猛獣のイメージに祭り上げられて、古参ユーザーに各所でXデーの期待を煽られて、しまいにゃブコメで神話的と褒めちぎられて、かけられたハシゴにまんまと登っていった曲芸白熊以外なんだというのだ。
それはさぞかしお高い存在級位ですね。
なにより許せないことは、それでいて自分ははてなのコンテンツを生み出していると勘違いしていることだ。
青二才って人が誰だかまったく分からないが、少なくともはてなを1年使ってきた中ではそんなに悪目立ちするような人ではなかった。
この人はtwitterやらなにやらで生活を監視してたみたいだからそうでもなかったようだが。
そんな状況だったにも関わらず、ここにきて数年前のいざこざをさらに再燃させるような記事しかどうして書けなかったのか。
周りの人間が過去の神話的笑い話に変えようとしてたことにどうして気づかずに、まんまとまともに言及してしまったのか。
すくなくともこれだけははっきりとしておきたい。
あなたは真の悪を、自意識に栄養を与え続ける連中としたがそれは違う。
こうしてくだらない記事を書いては、その栄養をことごとく食い尽くそうとする自意識にこそ存在しているのだ。
そうしてがん細胞よろしくこうして忘れた頃に現れては悪性の古参ガン細胞を呼び集め、特効薬もなくはてなというサービスを死に追いやっていくのだ。
すくなくともそれだけは自覚するがいい。
余りにも胸糞がわるかったからこんなくそエントリー書いてしまった。
十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。
九歳で、夏だった。幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
引越そうと思う。
八月のある日、男が一人、行方不明になった。 県営プールの水泳競技場。 兵学校出身者や予備学生から成る飛行学生や、飛行予科練習生(予科練)は、茨城県の土浦や霞ヶ浦での練習機による教育を終えると、戦闘機や陸上機要員を除く多くがここに来て、急降下爆撃を行なう艦上爆撃機(略して「艦爆」)や、同じく水平爆撃や雷撃を行なう攻撃機(略して「艦攻」)などに乗り組んでの訓練を短かい期間に集中的に受ける。
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
飛行機の音ではなかった。 街を眺めながら鈴木は、昆虫のことを考えた。
「ばあちゃん、もう春は来とるんかな」
今は夏。
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これは私の知る限り、最も不思議な事件だ。
つい先だっての夜更けに伊勢海老一匹の到来物があった。 メロスは激怒した。 花の木公園にはうさぎが棲んでいる。 ふと気づいたときには部屋は赤に染まっていた。 目を覚まして最初に目にはいったのは、やけに高く見える天井だった。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。 パン屋襲撃の話を妻に聞かせたことが正しい選択であったのかどうか、僕にはいまもって確信が持てない。
北京の空は紺青に澄みわたり、秋の陽が眩く地面を照らしつけている。 風は全くない。
百人一首を全部暗記している、と得意そうに宣言した少女に対し、周囲の生徒がすげ-、うそ-っ、と驚嘆の声を上げるのを、光紀はきょとんとした顔で不思議そうに見回していた。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
放課後の校舎は、静かでなにかしらさむざむしい。 音楽室でラヴェルの『亡き女王のためのパヴァーヌ』を弾いていると、ドアが乱暴に開いて、背の高い男子生徒が入ってきた。
「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。
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ある日の暮方の事である。 薄曇りの空には、数多くの鳶やカラスが、乱舞していた。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。 この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
越後の国に枝折峠という難所がある。 越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。 美国が暮れに松籟館に残る決心をしたのは、別に大層な理由があったわけではなかったが、寛司が残ると聞いたのもその一つであることは確かだった。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。 駐車場には、約束の時間よりも早めに着いた。
関東生命の相模原本社への最終便は、東京本社を六時十五分に出る。 おろち峠を越えると、山の斜面には、まだ雪が残っていた。 電車が綾瀬の駅を離れたところで、雨が降り始めた。
慶応四年旧暦一月七日の夜更け、大坂北浜過書町の盛岡南部藩屋敷に、満身創痍の侍がただひとりたどり着いた。 とてもいい気持ちだ。 明治十年の二月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。 彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。
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鉄三のことはハエの話からはじまる。 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 私はその人を常に先生と呼んでいた。 正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。
私は此れから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのまゝの事実を書いて見ようと思います。
始まりは春休みにはいったばかりの月曜日。 野島が初めて 杉子に会ったのは帝劇の二階の正面の廊下だった。
夕暮れの盛り場には期待が満ちている。 玄関の扉を引くと、いかにも作りものめいた芳香剤の香りが鼻腔を刺激する。 いちばん好きな花はフリージアだった。 厚い雲が月を隠すと、江戸の夜の闇は、ずしりとのしかかるように重かった。
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たった二十六文字で、関係のすべてを描ける言語がある。 「最初の機会で恋を感じないなら、恋というものはないだろう」と言ったのは、イギリスの劇作家マーローだ。
或春の日暮です。 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。 恋は人を壊す。 第一印象は信用できない。 完壁な文章などといったものは存在しない。
今夜、死んでしまいたい。
いい金づるが見つかった。
(完)
今回の引き金になったのはこちら
インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - グダちゃん日報
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/133844
国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130628/p1
その再反論がこちら
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/232556
この上記の論争を引き起こしたid:gudachanは過去にも地方に関するこのようなエントリーを書いている。
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/03/28/160727
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/04/01/213654
引用はしないで置くが、この二つのエントリーから読み取れるのは、id:gudachanのある種の権力性への無自覚、そして地方民(と途上国の人々)への「疑問に似せた蔑視」(及び都会の人々の称揚)である。
ちょっと元増田の話とはずれるんだが。
白熊先生は、アニメやラノベで少女が増えてい事実を指して「消費される少女」としてブログ記事を一本書いている。
けれどね、肝心なことには触れない。
実際に市場が存在し、法律で規制しなければならないほどに顧客が多いこと。
中小企業(特に建設業界で多いらしいが)の社長なんかが、中学生や小学生を買う事実や、その裏で自分の娘を可愛がる事実。
そういうことは置いておいて、仮想の少女を消費するオタクの異常性を説く。
面白いよね。