フェミニストからは概ね、諸手を挙げて歓迎されてるように見えるけれど個人的にはそこまで良い映画だとは思えない。
何が気になるってこの映画の黒幕を羊の副市長という「女」にしたところ。せめてライオン市長と羊の副市長がどっちも女だったらまだよかったんだけど。最初の警察学校の場面では白熊の声が女性(トイレも女子トイレだった)だったから見た目では雄っぽく見えても女性の動物もいるのかなと脳内補完できるんだけどライオンだけは無理。ライオンは鬣で容易に雌雄がわかるから、鬣のあるライオンは全て男とわかる。市長がオスライオンなのに警察にもオスライオンがいるって被っててバランス悪いと思うし。
とにかく、黒幕である羊の副市長の行動がまるっきり『痴漢冤罪』のメタファーにしか見えなかったんだ私には。本国アメリカだとどうなのか知らないけれど。
オスライオンの市長にいいように使われてきたメス羊の副市長という、虐げられてきた『女』を黒幕にし、痴漢冤罪のような形の陰謀をやらせるってさあ…しかもラストのダンスシーンでは同じく刑務所にいてもライオン元市長はそこそこ寛いでるのに羊の元市長は険悪な表情のまま、改心もしてないし。
それにさ、ベルウェザーの姿って要するに未来のジュディでしょ?
警察や政治という崇高な仕事に夢を見て実現させたはいいが現実は雑用を押し付けられるのみ、って。そこでジュディが腐らずに頑張った結果成功したならいいんだけど実際にはたまたま誘拐事件が起きていてそれを解決したからというだけ。真相の解明も家族が偶然ヒントを与えてくれただけで、あまりにもスピード出世すぎる。ジュディだってあのまま何十年も同じ環境にいたらベルウェザーと同じようになっていたとしか思えないんだ(種族がどうとかじゃなく、新人に重要な仕事を任せないのは当たり前なのにそれで被害者面するってメンタルが未熟過ぎでしょ)。それなのに未来の自分の姿とも言えるベルウェザーとは何ら精神的な和解はなし。
アナ雪の後のディズニーで女主人公、女黒幕にしたならジュディがベルウェザーを改心させる展開の方がよかったんじゃない?
ジュディとベルウェザーの描写を見ていると、若いフェミニストはジュディのように明るく前向きでいなきゃなりませんよ、ベルウェザーのように男を恨む高齢フェミニストになってはいけませんよ、お利口さんでいなさい…ってメッセージを感じ取れちゃうんだけど。
つまり増田自身がベルウェザーっぽくなってしまっているのを自覚していて、それが悪役にされてしまったからイヤってこと?
そういう問題じゃない、あくまで映画としての作劇上の話だ。
肉食動物は全体の10%しかいないところを見ても、必ずしも男の暗喩ではないと思います。草食ー肉食の対立は民族人種の対立を表しているのでは。