はてなキーワード: 安田講堂とは
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
諸外国では結構やってるのに、氷河期世代はそういうのをバカにちゃんとやらなかったから高齢者になったら切り捨てられるよ、ああいうのちゃんとやらなかった氷河世代の“自己責任”だよね…みたいな意見があって、はてなーの琴線に触れてるようだが。
“アンポ・ハンターイ”っていっても、もし日米安保がなかったらその後の日本の平和も安定も経済発展もなかっただろうし、そのへんの運動が先鋭化いった先が“あさま山荘”だったことはみんな知ってるとおりだし。
まあ、東大紛争で“無給のインターン”が改善されたのは良かったんだろうが、その後の安田講堂とか今となっては意味わかんねえし。
国鉄のデモなんて利用者の怨嗟を買って上尾で乗客の暴動がおこったりしてる。
最終的に中曽根は国鉄を解体したわけだけど、JRになってしばらくは“やっぱり民営化してよかった。サービスも良くなったし”って評価が圧倒的だったと思う。
最近になって、JR北海道の惨状とかがクローズアップされてきて、“分割民営化は間違いだった論”が出てきてるけどさ。
氷河期世代が育った自体は、そのへんのデモやらストやらがすっかり下火になって(下火になったお陰で)、バブルに向かって邁進し、やがて日本経済が世界の頂点を極めたんじゃないか?という幻想に酔った時代だったと思う。
それは文字通り、バブル=あぶく銭に乗っかった幻想だったわけだけど。
その後、失われた○十年(まだ現在進行系なので、最終的に○にどんな数字が入るのかは見当がつかない)に入ったのは皆さんご存知の通り。
でも、氷河期世代の育った時代の背景をみると、失われた時代を取り戻すための手段として、デモやストに希望を託す、という芳香にもなりにくいと思う。
そして、そんな時代を生き抜いた勝ち組であり、いまネット論壇でやたら注目を集めて若い世代に支持されてるのが、デモやストを冷笑する男、“ひろゆき”であったりするのである。
もちろん戦後の天皇制の維持に関する点で出てきたように覚えている。
子どもながらに、天皇がいようといまいと、日本の土地があり、そこに日本人が住んでいて、生活をするのであれば、天皇制が続こうが続くまいが、そんなに市井の人には関係ないのではと思った気がする。
なんとも腑に落ちない国体について、京大の友人に尋ねてみた。彼女は言った。
「もし明日から強制的に東大の全職員と学生が京大に異動となり、京大の全職員と学生が東大に異動したらどうなると思う?」
「うーん、研究するのも教育するのも結局は人だから、京大は東大っぽくなるし、東大は京大っぽくなるんじゃない?」
「うーん、人が中心って言ったけど、安田講堂や赤門だったり、キャンパス周辺のお店やこれまでの歴史もいろいろ含んで東大って感じだから、京大にある東大が東大かと言われれば微妙な気がするなぁ」
「そうだね、東大にある京大っぽいものも京大とは言い切れないよね」
「今回の場合はキャンパスや建物、周辺の雰囲気が東大や京大っぽさを意味づけするものとして機能してるわけ。だから、京都にある東大はこれまでの東大とはほぼ同じなんだけど、連続的に繋がっているものか?と言われるとなかなか悩ましいね。それの国バージョンが国体。」
「あーなんかわかってきた」
「当時、大日本帝国と戦後の日本を連続的なものだとみんなが捉えられるものが必要だったわけで、そのマクガフィンが天皇制だったって考えると理解しやすい」
「なるほどなー、日本はこれまで長い間、天皇の輔弼機関が実質的な国家運営者という歴史があるし、そうすることで政府の正統性が保たれるってわけね」
「その通り。まぁ、専門家から言わせるとこんな雑な話じゃないだろうけど、異なるものを連続的に繋がっていると錯覚させるための何か、みたいな理解でいいんじゃない?京大生がわざとアホなことやるのもアホなことをやる京大生という歴史を引き継いだ我らこそ正統な京大生ですよってイキってるわけ」
「あ~東大生がやたら東大ブランドを使って本を出版したがるようなもんね。」
「そうそう、我こそは東大生なり~ってやってるわけよ。当時の日本は我こそは日本なり~ってやるための天皇制維持だったってこと。」
で、ふと思ったんだけど、お笑い第7世代とかそういうのも同じなんだな、と気づいた。
もちろん霜降り明星のせいやが冗談で言ったのが広まったというのもあるけど、
そこには我こそはお笑いメインストリームの後継者なり~っていう宣言だったわけ。
もちろんお笑いの場合は天皇制のような聖杯はないので、有吉のようなどう位置づけたらいいのかわからない人もたくさんいるし、
言ったモン勝ちなところがあって、結果として機能している。
会社でもそういうところあるな。
安田講堂:https://www.travel.co.jp/guide/article/27305/
あさま山荘:https://818-news-blog.com/asama-genzai/
朝日新聞阪神支局(3Fに赤報隊事件の資料室がある):https://www.asahi.com/topics/word/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E9%98%AA%E7%A5%9E%E6%94%AF%E5%B1%80%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6.html
順調に観光地化しているのでは。
私には彼が総理をやっていた間の国会に褒めるポイントが果たしてあるのか?というくらいに評価していない。
一方で彼の政治で恩恵を被った人もいるだろうし、彼の人柄が好きな人もいるだろう。
安倍総理に対する見方、考え方、好き、嫌い当然色々あってよい。
表明したっていい、心の中にそっとしまっておいたっていい。
安倍総理が大好き、彼の政策は最高、日本は彼のおかげで発展した!やめないで!カムバーック!
そんな人がいたって別にいい。
だが、そんな人にはこの世からご退場願いたいくらいに激しく感情をかき乱される人もどうやらいるらしい。
あなたが安倍総理のことが好きなことには私は全く同意できない、私は彼が大嫌いだ
までは言っていい。だが、
そんなこと言うお前はとっととこの世から退場すべき、まで言うと、まぁそういう思想の人なんだな、と思ってしまい、二度と絡みたくなくなる。
最悪なのはそういう人たちがおりにふれてブクマやSNSて注目されることだ。
自分と異なる思想の持ち主にはリンチOK、弾圧OK、なんて言う思想は半世紀前に安田講堂を占拠して機動隊にこっぴどく怒られたあたりでなくなったと思ってたけど、結構残ってるんだなぁ。
同じこと言ってそうだが、自分たちの意見をこれっぽちも調整する気なんかないばかりか、自分たち以外の意見を言う人たちがこの世からいなくなれば平和なんだがなぁとか無邪気に思ってる人たち、そんなに戦争したいのかなとか少し思ってしまうし、民主主義の良心が彼らを押さえつけ続けてくれることを祈るのみだ。
twitterとかfacebookで書きたくなかったのでこっちで書く。
台湾・香港の人は「大陸」「大陸人」と呼ぶのでその方が自分の中では書きやすい。
https://www.facebook.com/hk.nextmedia/?epa=SEARCH_BOX
https://twitter.com/search?q=%E9%A6%99%E6%B8%AF&src=recent_search_click
https://s.weibo.com/weibo/%25E9%25A6%2599%25E6%25B8%25AF
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・なんでデモ起きたの?
ざっとは
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48618554
https://toyokeizai.net/articles/-/297263
この辺読むとわかりやすい
遠因が多く....
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・そもそも警察がヤクザ(黒社会)に協力してもらっているように大半の香港人が感じている
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・実際に中国の公安とかも香港に来て取り締まりを行っていることも事実
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・警察事態のやり方も、地下鉄ホームに催涙弾打ち込んだりとか至近距離でゴム弾撃ったりとか、並のデモの鎮圧方法では無い
・そもそも逃亡犯条例だけ切り取ったら普通なのになんで怒るんだ?
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・多くの大陸人から見たら「いや普通のことだろ、俺らの法律と同じで扱うわけで」と見える
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・香港台湾から見ると「今まで普通に暮らしてた人が政治犯としてしょっぴかれる可能性がある法律」に見える
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・実際しょっぴかれた人が数年前に出ており、香港人は皆覚えている https://twitter.com/hashtag/%E9%8A%85%E9%91%BC%E6%B9%BE%E6%9B%B8%E5%BA%97
↑
・そうでなくとも文化大革命とかで大陸から逃げてきた人が親・親族に居る香港人は多数。中国の政治に対して良くない印象しか持てない
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・そんなことは香港台湾にある程度詳しい人ならわかっており、中国中央政府が把握できていなかったというわけにはならない
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・法的には「YES」だが、イギリスからの返還後50年は「一国二制度」を保つということになっている
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・大陸の人はメディアの影響もあり「香港は中国の一部」と思っている人が多い(そうじゃないと思っている人はごく少数。ウイグル族とかは知らん。)
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・香港の人は「国としては中国なことは認めるがアイデンティティとして香港人」となっている
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・50年かけて(つまりあと30年ぐらいかけて)なんとか「色々と」進めていく、という玉虫色の政策が現在の状況
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・香港は未来永劫中国の領土、とか大陸人が言い出すからさらに話がややこしくなる... じゃぁどうして過去は香港島はイギリスの領土だったのか説明してみろよとか思う
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・さすがにそれは無い。悪人しか居ない国なんか無い。北朝鮮だろうが戦前の日本だろうが「国が悪」という意見には私は賛同しない。
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・ウイグル人の弾圧とか、一部の宗教への弾圧が善とはとてもいい難い。しかしアメリカや日本で同じことが本当になされていないかお前ら言い切れるのか?少なくともアメリカはイラクに言いがかり付けて戦争して侵略しとったぞ?アブグレイブ刑務所とかあったやろ?
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・悪名高きアヘン戦争でイギリスが奪い取った所から。しかも100年借りるという名目で半島側を「借りた」
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・香港島側とかは「借りた」場所ではなかったことになっており、返却の義務はなかったが当時の中国政府が強烈に変換を求めてイギリスが受け入れた
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・返還後50年は一国二制度、という玉虫色の解決策はまぁ間違ってなかった気はする
・んで台湾は?
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・なぜなら台湾のほうが「反大陸」の文化が根強い。国連での台湾いじめとか露骨に中国はやってたし
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・にもかかわらず「香港式の一国二制度での統一」が現実的じゃないのか、という話も出ていた
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・この状況で「やっぱこうなのか」と思わせる取り締まりぶりがメディアで報道されてしまっている
・なんでそこまで中国は強行するの?
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・一言で言うなら「文化の違い」。日本だって学生運動とか安田講堂とか革マル派とかを取り締まってたのはそんな昔じゃない
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・大陸の一般人からすると「いやだって反体制派が取り締まられるのは当たり前やろ。日本だってそうだろ?」ぐらいの感じに見える
↑
あああああああ
もう終りが見えねぇ
いくら書いても書き足りないがtwitterとかでこういうこと書きたくないんだよ。
書いたら香港人からも大陸人からも「お前は何もわかってない。どっちの味方だ」みたいな話しされるのも嫌なんだ。
ただ一言俺が言いたいのは「アホの行政長官をとっとと理由捏造して更迭してでも事態の早急な解決を図らなかった中国中央政府の失策だ」と思う
体調不良だろうがスキャンダルだろうがなんかで更迭して、適当に話をウヤムヤに一度戻すとかなんかできたと思うんだよ。
第二の天安門みたいな話は勘弁してくれ!
強硬策を取ったら、台湾との中国の統一とかが遠ざかるんだから、中国中央政府にとってもマイナスやんけ!
1960,70年代の安保デモ/学生運動では暴動や略奪が起きているが、略奪先は大学食堂や生協等、選んでる模様
wikipedia:安保闘争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
「闘争」の時代⑦ ~東京大学安田講堂事件(2)~ (だれかのブログ) https://ameblo.jp/ei-bou/entry-10606804475.html
wikipedia見る限りでは略奪は第9次(1970)、第11次(1971)、第22次(1990)
wikipedia:西成暴動 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%88%90%E6%9A%B4%E5%8B%95
たぶん、ここ数十年で幾度となく繰り返されてきたであろう話題。そして、これからも何度となく同じ話をして行くであろう話題。だけど、この先に幾星霜の年月を重ねようとも、決して人類が回答を得ることはかなわないであろう話題。
「このような増田を書く際には適度な自分語りが必要である」との先人の教えに倣い、私も自身の人生を少し顧みる。
とは言え、特にこれといって語れるような、起承転結、栄枯盛衰の激しいエピソードはない。期待に沿えず申し訳ない。
私は、凡庸な働き者である両親の下に産まれ、大学まですべて可もなく不可もなしと言ったレベルの国公立で通し、東証一部ではないが倒産寸前でもないと言ったどこにでもある企業に就職し、今に至る。要は平和を謳歌していたわけで、「幸せかどうか」という尺度で測れば、私は十二分に幸せなのだろうと思う。
先日、同級生の友人らと一席設ける機会があった。私の交友範囲は、狭いようでいて結構広い、まあ所謂「普通」の範囲内だ。私ほどの年齢になると、このような場でだいたい出てくる話題と言えば、増田諸氏にもお馴染みの「子供の話」である。
子供の習い事は何がいいか、今どきは中学受験をさせるべきか、保育園になかなか受からない、・・・語らいの場を彩るには事欠かない。
私自身は独り身だが、そう言う話題は端的に言えば好きである。同級生の、愚痴のような自慢のような我が子の話を聞くのも好きだし、独りやもめが一丁前に進言することも吝かではない。
だが、そう言う話題をしていると避けて通れないのが「増田は結婚しないの?」「増田の子供、見てみたいよ」等の友人の無邪気な言動である。
もう何度となく聞かれたので回答が半ばトークスクリプト化しているが、私自身は結婚する気が全くない。子供を作る気もない。
友人らの結婚式に持参した祝儀袋は50枚ではきかないし、友人らの華燭の典の末席に私の椅子を加えてもらえるのは悪くない。幸せのおすそ分けがあった数年後に、友人らの間に生まれた新しい命に触れる栄誉に浴した機会も両手両足では足りないだろう。
そんな友人達の子供の相手をするのも、また楽しい。先日も友人宅で友人の子供たちとゲームで盛り上がった。そういった私の姿を見てきている友人達はいつも怪訝そうな顔をして、お決まりの言葉を投げかけてくる。
しかし、残念ながらそんな姿を友人たちに見せる機会は、永遠に実現する事はないだろう。なんだかこちらが申し訳なくなってくるが、こればかりはどうしようもない。
結婚出産をしない事の仔細については伏せさせていただくが、私自身はLGBTという訳でもないし、病気等によって子供が作れない身体という訳でもない。過去に交際した異性がいない訳でもないが、結婚するというビジョンは当初から皆無だった。
・・・さて、長々と私の宴席話を綴ってしまったが、ここまでが枕詞である。以下より表題の件となる。
最近発生したとある些事によって、私は自身の今後の人生を考える機会を得た。それは老後の事であったり、貯蓄の事であったり、人間関係の事であったりする。
不思議と不安はない。「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と言ったのは太宰だったか芥川だったか。或いは川端だったかも知れない。
老後を一人で支えていく貯蓄は作れる。今現在のところは十分な資産が無い為「ある」とは胸を張って言えないが、仮に70歳定年制度が導入されようとも、食べていけるだけの資産を形成するだけの資力はあるものと自負している。
加齢による孤独との付き合いも、それなりにこなしていくつもりだ。とは言え、老境に達した事もない若輩が悟ったような事を口にするのも軽々しい。鋭意努めるといった表現に留めておこう。
そのような事を独りごちること数日、ようやっと私は「自身に生きている理由がない」と言う平々凡々な結論に至った。
却説そうなると困ってしまう。理由もないのに生きていくには、あと数十年という年月は些か長すぎる。排泄物を生産する装置として延々と過ごしていくには動機づけが心許ない。
人生に対しての意味を考えるのは、数多く存在する宗教という団体が約二千年ほど前から継続して取り組んでいるようだ。詳しくは知らない。
彼の団体が世に出している成果物を拝見したこともあるが、私には意味を見出すだけのものはなかった。
理由も無い、意味もない。そうなると次の段階として「可及的速やかに、かつ周囲の迷惑を最小限にとどめる形で自殺する方法を考察する」ということになるが、私にはそれを実行するだけの胆力が備わっていなかったようである。自ら命を絶つという行動を想像するとき、自身の玉袋が萎びていく感覚が如実にそれを証明している。
安田講堂で演説をぶった後に割腹して果てたのは誰だったか。筋骨隆々とした当時の写真を見るに、グラビアモデルか何を生業としていた人だと推察しているが、どうだろうか。職業はともかく、その胆の据わりようはまさに驚嘆に値するが、私には到底真似のできない所業である。
理由も無く、勇気も無い。理想も無かった。願望もこれといって無かった。意味のある無しは私自身が決定するものではない。後世の人間が理由付けしたものが意味だ。
かと言って「無い」状態を維持していくのも据わりが悪い。回答でも解答でも一向に構わないのであるが、「ある」状態にしたい。ふとそう思い至って有休申請をしたのが昨日の午後、目の前のキーボードを叩いては嘆息する作業に飽きてきたのがつい先ほどの話だ。
先人の知恵を生かす事こそが人類であり、その事を辞書で引くと即ち「英知」である。ならば私も人類の英知の恩恵に与ろうと「はてな匿名ダイアリー」なるサイトの中に設置されている検索窓で「人生 理由」と入力してENTERキーを叩いたところ、検索結果は0件だった。平日の昼間から「人生 理由」や「人生 意味」といったワードで検索をかけている中年男性という絵面も大変に珍妙ではあるのだが、ここで膝を折るわけにもいかない。
Google検索で「人生、宇宙、すべての答え」で検索すると「42」という解が得られるというのは割合に有名な話ではあるが、できれば証明過程のほうも見せていただきたいので、「人生 理由」や「人生 意味」などのワードでGoogle検索をかけても、有象無象が多くて選り分けるのに四苦八苦しているうちに時間だけが過ぎ去っていく。回顧するに到底建設的な所作とは言えない。
※ちなみに、「人生 理由 anond」等とGoogle検索すると、先人への英知に到達する作業が捗ったという事実も申し添えておく。
・・・結局、特段の進歩もなく、たまっていた有休を消化して終わるだけの一日となりそうだが、髪の毛一本分、まさに寸毫ほどの厚さだけでも遺物があれば、後進増田諸氏の灯台となり得る可能性はあると考えた。
可能性に賭けることは好きではない。そもそも賭け事が嫌いだ。だが、この愚かな人間がしたためた理由も意味もない駄文が、誰かにとっての灯火となれば幸甚である。
大海原の中のマッチ一本分にも満たない、本当に小さな灯り火であるが。
ここまでお付き合い頂き、かつ増田諸氏の人生の貴重な時間をも少々頂けた事に深謝する。増田諸氏の人生に幸多からん事を祈念して、ここで筆をおく。
でも、どうせデモしたって家でうんこしてたって、いずれにせよ法律は改正されてしまうんだと思ってしまうから、なにもする気がしない。
はるか昔から、国会を包囲して安田講堂を占拠しても日米安保条約は未だ続いているし、原発だって動いたし、沖縄には基地がある。
デモをやって市民運動が社会を変えた例なんてあるのか?名古屋の藤前干潟は割りといい線いったのかな。
成功事例が思いつかない。
だから結局何をしたって無駄なんだと思う。大いなる力には逆らえないんだ。
難しいコト考えずに今を楽しく生き、自分の頭で考えるなんて面倒くさいことせず流されて生きればいいや。戦争が起きればみんなで殺されればいい。
東大の教養学部英語コースに合格した海外の学生の7割近くが東大入学を蹴ったそうですね
http://www.47news.jp/smp/CN/201503/CN2015032801001115.html
しかし東大の滑り止め化は2007年度にはすでに始まっています
京大が2007年度に保健学科以外の後期入学試験を廃止して以来、一部の京大生は東大後期を滑り止めにしました
「自宅から通える」
「東京が嫌い」
「京大の方が楽しそう」
という意見が返ってきました
私は権威が好きだったので、親が下宿を許すなら間違い無く東大を目指していました
しかし京大に入学してなんとか卒業し、就職して東大生出身者と交流するうちに、東大よりも京大を選ぶ人間の気持ちがわかりました
私が見てきた範囲なので偏っていることを前提にしますが、京大は次の点で圧倒的に東大よりも勝っていると思います
フェルミ推定はできても分析哲学や認識論の話はできない、ハイカルチャーなどの教養がない学生の割合が京大より高い気がします
東大には受験と就職に関係ないことはわからない学生が多い印象があります
しかし官僚や東京の有力者や名家の子息がごろごろいるのが東大で、そういう人は教養あることが多いです
吉田寮など家賃が月々千円未満の安い寮に入れば、かなり金銭的負担は小さくなります
思修館の院生だと専用の寮にタダで、しかも奨学金付きで住めます
また、授業料申請も半額免除までなら通りやすく、うまくいけば学生支援機構で借金しなくて済みます
それに図書館では名作と言われるクラシック音楽、映画、文学がほとんど揃っています
学生証を見せると入館料がタダの美術館・博物館も近隣にあります
お金がないけどハイカルチャーに飢えている人は是非来てください
なお、東京の某芸大の教授のご子息が「東京には文化がないけど京都は文化でできている。だから僕は京大に来た。」といっていました
そもそも東京より京都の方がのんびり暮らせますが、京大は特に時の流れがまったりした、おおらかさのある独特の空間だと思います
変人が多いのではなく、変人がのびのび暮らせるから自分を抑えない、もしくは普通の人が普段は隠している個性を発揮しやすい環境なだけです
東大はよくも悪くも真面目で、アンチコスプレ卒業式派の私からしたら「安田講堂に入れなくてもこんなに姿勢を正して粛々と式辞を聞いている東大生は真のエリートだなあ」と惚れ惚れします