はてなキーワード: 孤立とは
仕事がおもんない。いつのまにか時代がかわってた。アドビしね。
なにやってたんだおれ。気がつけばいいとしじゃねえか。社内で孤立。
もうやり直せない。このまま一生実装するだけのつまらん人生でおわりそうだ。しにたい。やめるか。
やめてどうする。こんなくそみたいな実装おっさんになんの価値がある。求められるのはリーダーシップ。
実装しかできない人間は所詮つかいすて。としとればオワコンなんだ。
おれも上流でもの作りしたい。
てかなんでおれより上のたちばになってるのあいつら。なんなのおれより優秀なの?実績あるの?
いままでやってきたことはいったいなんだったんだ。
めのまえの仕事をひたすらやっつけつづけ、気がついたらただの時代遅れ。
このままつくりつづけても未来がひらけない。つらい。
本当に孤立してる奴を描写しても、そうそう面白くはならないからな…
「中二病でも恋がしたい!」「僕は友達が少ない」あたりは結局ハタから見ればリア充路線だし、
「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」みたいにギャグでやるしかないよね
就活生が、就職するなら大企業かベンチャーか?というので迷うというのがあるが、だれかいい加減その区分けに意味ないことを教えてやればいいのに。
2択で考えるなら、オーナー経営か?組織経営か?の方がよっぽど意味ある。
従業員1万人居てもオーナー社長に全員が右向け右の会社もあるし(というかそれしかない)、10人でも大人が集まって議論しながら運営している会社もある。
勘違いしてはいけないのは、社員皆が納得するやり方をやって倒産することもあるし、社長だけが孤立爆走してても事業好調になることもあることだ。
働く側の視点で考えれば、オーナー企業は究極論、トップがすべてなので、トップの近くに行かないと生きようが死のうが正直その会社の中ではどうでもよい存在。神様のきまぐれでクビにもなるし、飛ばされる。評価の公平性なんて最初から期待してはいけない。
とにかく、トップに陶酔しトップに気に入られ、トップのひらめきという名の妄想と気まぐれに付き合いながら可愛がられることを目指すゲーム。
対する、組織経営は、「組織経営」と書けば聞こえはいいが、単なる責任感が弱いサラリーマンの集まりが会社を動かしている感じ。同業他社や前例を見ながら意思決定。経営幹部は大株主だったり、親会社だったり、金融機関だったりより上位の組織の顔色見ながら、都度の失敗の詰め腹切らせる人間を探している感じになる。
休み明けに職場で旅行のお土産とかお菓子を配ったりするのがめちゃくちゃ嫌いなんだが、もう2014年だしあのクソ慣習やめないか?
まず「体験」を目的としているはずの旅行で、いちいちお土産という「モノ」を買って帰ることを強制されるのが不条理だし、だからといって買ってこなかったら悪者扱い。
会社でも毎回オレにだけお土産のマンジュウやクッキーを配らない派遣の女がいるんだな。
10人の部署に9個のオヤツを用意してるのよ。で、「ごめん1個足りなかったw」とか。
数が足りてても、来店したお客さんに「余りあるんで食べて」とか。
これは敵意なのか、構ってアピールなのかどっちだろう。
去年のGW明けまでは「私はいいから増田さんにあげて」って言ってくれたアシスタントリーダーの30過ぎの女がいたおかげで俺もお菓子食えた。
未だに子供みたいな事続けてるってことは愛の裏返しで構って欲しいのかもしれないけどね。
いまの日本社会の本質的な問題点は、社会の内部が分断されていることにあると思う。
立場の異なる者同士のあいだを埋めるものがなく、異質な者同士では共感が生まれない。以前にはカップラーメンの値段がわからないと揶揄された首相もいたし、いまの安倍晋三君もひもじい思いをして暮らしたことがあるのか、私は寡聞にして知らない。
例えば、御法川氏が朝にテレビで「庶民」の立場でキレていたし、夜には古舘氏が、というのも結局は、「庶民」が自覚している孤立感を代弁してウケを取ろうとしているのだと思う。実際には、「庶民」だとか「官僚」「天下り」「公務員」「東電社員」だとか、そういったカテゴライズでは語れないものだと私には思えるのだが。
47都道府県あれば47通り、さらに市町村はもっと多いし、人口は1億3000万くらいあって、それだけの相違があるのにもかかわらず、その相違を包摂して溝を埋めようとする努力がなされているのだろうか。例えば、ニュース報道は、47都道府県分の各地のニュースを流しているのだろうか。おそらく地方版はその地方にしか載っておらず、在京キー局や在京新聞社などは最大公約数的なニュースを流しているだろう。例えば、共同通信社や時事通信社というできるかぎり無色透明で最大公約数的ニュースを配信する通信社があって、そのニュースに多くの新聞社は依存している。
例えば東京にいても、福島県民や宮城県民や北海道民や沖縄県民や高知県民や(以下略)の「声」が日常的にはどれほど聞こえてきているのか。あまり聞こえてこないと、私は思う。全国に流すための最大公約数的マスコミだからだ。
明治時代以後、そして戦後以降もなお、マスコミや広告代理店も国家機構も最大公約数的な社会づくりをしてきたのではないか。例えば「流行語大賞」だとかいまだに言っているが、「流行語」というのも結局は、相違する人間同士が、溝を埋めていないのにもかかわらず、共感している「気」になっているだけなのではなかろうか。
むしろ実際には、少数であればあるほど、その人の「声」はかき消されて聞こえなくなる。例えば少数民族(例えばアイヌ)にしても、性別的少数(ISやGID)にしても、あるいは最下層の困窮者(例えば貧困や障害や傷病など)にしても。実際には1億3000万のマイノリティの集積がこの日本社会であり、そこから最大公約数だけ取り出せば「効率」はいいのかもしれないが、まちがいなく取り漏らす。
いま、安倍自民党にしても、いわゆる全体主義的な、あるいは国家主義的だともいうような、社会全体のステレオタイプ化された秩序の押し付けに力を入れているけれど、そうした方法では、社会内部の分断された溝は埋まらないと思う。それで真の秩序が保たれるのだろうか。例えば特定秘密保護法を強行採決したり、唐突に靖国参拝をしたりしたけれども、そういうやりかたは民主主義的でない、話しあいが欠けているわけで、つまり、溝を埋める努力をしていない。
以前、ラグナロクオンライン(RO)を日がな一日やっている奴が大学の職場の同僚にいたのですが、楽しいだとか遊んでいるだとかいうよりもきっと、必死なのでしょうし、居場所を求めているのでしょうね。いまだってソーシャルゲームで日がな一日やっていて必死な人間がたくさんいますし。
パチンコ屋に行ったら、カネさえ切らさなければ朝から晩まで居座れるようになっているし、「無制限」だとかいうのならなおさらに、玉がある限り打ち続けるようなシステムになっています。一日中居続けられるシステムになっています。競艇場や競輪場や、たぶん地方競馬もそうでしょうが、平日からやっていますし、そこで日がな一日居座っている人もたくさんいるでしょう。なかには生活保護でやっているのもいるかもしれないし、年金でやっているのなんかならばいくらでもいるでしょう。それで「経済効果」はあるのでしょうけれども、なんだか虚しいものではあります。経済効果っつっても、その収益がどこに流れているのかっていうと、それもまた役に立っているのか疑わしいものですが。競艇だとかたとえ公益団体に流れていたとしたって、貧困者や精神障害者から取ったカネで公益事業をやって、障害者が障害者を支援している構造になっていて、なんだかバカバカしくもあります。
居場所がないのでしょうね。受け入れられていない。仕事に打ち込みまくるのも、実際にはそんなことしたって地球のためになっているかあやしいものばかりだし、それどころか社会のためにもなっているかあやしいものもあります。けれども、仕事にハマっていたら居場所があるのでしょうね。
家庭があって配偶者や我が子がいたら、居場所があって労働する理由になるのかもしれない。けれど同時に、必死に労働して稼いで、悩みを抱え込んで、悩みを吐き出す先がなくて死んでしまう人もたくさん出ています。
居場所がないんでしょうね。孤独なんでしょう。ヒトは、生態系の一部でもあり、社会的生物でもあるのに、他の生物からもわざと孤立して都会の人工環境で暮らして、そしてさらにはヒト同士も孤立して。
ヒトは元来居場所を求めるものなのでしょうし、だから「夢」だとかももつのでしょうしね。学習もし、社会に適応しようともしますし。本能的に。
人口知能学会誌の表紙が女性差別的であるとして炎上した件について考えた。
結論1.学会誌の表紙が差別的印象を与えかねないという指摘は妥当だが、批判者たちのことばは過激にすぎる。
結論2.その結果、こうした性差別的問題に関わること自体が非常に厄介なものになっている。
俺自身は、当該学会誌の表紙を見ても女性差別的だとは感じなかった。例えば表紙の女性が露出度の高い服を着ていたり、首輪をつけていたりといった明確な性的/奴隷的モチーフがあれば別だが、表紙の女性が虐待されたり奴隷的待遇を受けていると感じさせる描写は特になかったように思う。
そもそも掃除ロボットが人にそっくりな姿形をしている必要があるのか、という疑問はないではないが、人工知能というイメージをわかりやすく表現するためにあのような形になったのだろう。
いずれにしても、俺は、ことさらあの表紙がひどいとは思わなかった。
他方、あの表紙を非難している人の意見には、頷けるところもある。
例えば、女性が奴隷的に家事労働を担わされてきた/担わされているという事実があり、家事労働は女性がするものである、という性別と役割を結びつけるような差別的意識が多かれ少なかれあるという現状を踏まえたときに、ことさらそうした差別的意識を助長するような表紙を掲載することは倫理的に妥当ではない、という主張は、一定の妥当性を持つ。学会側にそうした意図がなかったにせよ、差別的メッセージを読み取って傷つく人がいるかも知れず、そうした人に配慮すべき、という主張は、おそらく"倫理的に"正しい。
とはいえ、そうした倫理的な配慮の欠如は、果たしてそこまで非難されるべきものなのか。特に、学会やイラストレーターに対して「差別主義者」だの「性奴隷を作りたがってる」だのと言うのは言いすぎだ。せいぜい、「配慮が欠けている」くらいではないだろうか。これは炎上案件の多くに言えることだが、犯した失敗に対して制裁が強すぎやしないか。
また、学会誌の表紙に女性のイラストを載せること自体が男性的な欲望の発露で気持ち悪いという意見も聞くが、これについては、今回の表紙で言えば、女性の服装も容姿も姿態も特に萌えや性的イメージを押し出したものではないので、的外れな意見だ。初音ミクが表紙になった学会誌は比較的好意的に話題になったことを踏まえても、今回の表紙がことさら逸脱したということはないだろう。
今回の騒動を見て感じたのは、性差別に関する感覚の絶望的な断絶だった。
何を差別的だと感じるか、どこまで差別的だと感じるかというのは、明確に線引するのが難しく、曖昧な部分というのは多くある。例えば、今回の表紙だって、コミックスや小説の表紙であればここまでの反発を受けることはなかっただろう。そこには、「学会誌の表紙」はコミックスや小説の表紙に比べてより公的であり、それゆえより繊細な倫理的配慮が求められる、という前提がある。少なくとも、批判者はそういう前提があると考えている。
しかし、実際にはあの学会誌はかなり限られた人向けに向けて作られている(人工知能学会誌を購読するためには、人工知能学会に入会する必要がある)。そのため、あの表紙案にそれほど公的な配慮が求められるとは考えていなかったのだろう。表紙を描いたのは女性らしいが、役員構成は22名中21名が男性で、性差別に対する配慮という点では、内部のチェック機能が働きにくかった可能性もある。
つまり、学会側にしてみれば「不用意に歩いていたら地雷を踏み抜いた」といったところで、このような炎上はおそらく青天の霹靂だったろう。性差別に比較的敏感な人達にとってあれだけ問題となった表紙であっても、性差別に鈍感/寛容な人達にとってはその何が問題なのかよくわからない、という状況なのではないだろうか。
ヘイトスピーチや直接的暴力があったならともかく、今回の炎上はむしろ差別意識に対する認識の違いに起因しているように思う。例えば、今回の炎上を受けて、人工知能学会は以下のようにコメントしている。
「ネット上で広く議論をしていただくのは有り難いと思っています。学会としては、女性を差別したり蔑視する意図はありません。ただ、そういう意見もあるときちんと受け止めて、今後の表紙デザインを考える上で参考にしていきたいと思っています」
このコメントは、「私たちに女性差別の意図はないが、差別であるという意見は受け止める」という趣旨であり、やはり認識のズレの問題だとされている。であれば、そのギャップを埋めるための理性的な話し合いの余地はあるし、そうしたコミュニケーションこそが重要だと思う。
トゥギャッターまとめなんかを見ていると、互いの主張が噛み合わないまま、悪罵と中傷を投げ合っているような印象を受けた。それでは、まとまる話もまとまらないと思う。悪罵や中傷や揶揄をしても説得可能性は著しく低いわけで、むしろそうした振る舞いはコミュニケーションのチャンネルを狭める結果にならないだろうか。
差別の問題というのは、なにが差別でなにがそうでないのかという線引きが難しい部分がある。
具体的なヘイトスピーチや暴力であればわかりやすいが、例えばセクハラであれば、肩をたたいたり、容姿や服装についてコメントしたりするとセクハラになる場合がある。黒人の唇を厚く描いたら抗議を受けた漫画もあった。
そういう、「差別」の境界線が見えにくい部分は数多くあるが、特に言及に注意が必要なのはマイノリティについてだ。マジョリティにとって、マイノリティに対する配慮を感覚的に行うことは難しい。例えばセクシャルマイノリティのの中には、履歴書などの性別欄に男と女という選択肢しかないことに悩む人がいる。あるいは、性別欄がある事自体に悩む人がいる。そうした悩みは、マジョリティにはなかなか共感しにくい。
多くの人は、差別などしたくない。したがって、自分の言動が誰かを傷つけないように配慮している。しかし、繰り返すが、どういう振る舞いが差別になるのか、ということがわかりにくいことが多々ある。差別的な意図など全くないのに、それが差別だと受け取られることは起こりうる。
そうして、うっかり誰かの地雷を踏んだときに一瞬で炎上する可能性があるというのは相当にリスキーだ。不用意なひとことによって差別主義者のレッテルを貼られたり、職場などで不利な立場に追い込まれるとしたら、それは地雷原を歩くようなものだ。差別的意図がなくても、一定の確率で地雷を踏む。
それゆえ、比較的賢い連中は、マイノリティに言及すること自体を避ける。言及すれば、一定の確率で誰かの地雷を踏み炎上するおそれがあるから、一切言及しないという対策を取るわけだ。こうして、マジョリティとマイノリティの断絶が拡大する。 マジョリティ側の人間にしてみれば、おそらく断絶は合理的だ。マイノリティに関わる必然性は基本的にないし、必然性があった時だけ、最小限の関わりを持てば良い。しかし、現に何らかの差別に苦しんでいるマイノリティがいるとしたら、こうした対応をされることはおそらく不利だ。マジョリティと断絶すれば、差別をなくすための運動は社会的な賛同を得られず、力を持たない。差別が現にあるならば、その差別はあり続ける。
したがって、マイノリティがマジョリティ側の不用意な発言に悪罵や嘲笑を向けるのは自滅的行動だ。そうして発言者を炎上させれば、マイノリティは怖い存在になり、いわば「弱者という強者」だと誤解される。そうなれば先に論じた断絶は進むし、あるいは在特会のような気持ち悪い連中がでてくるかもしれない。いずれにせよ、マイノリティの地位は決して向上しない。
これは、マジョリティの不用意な発言を批判するなと言っているのではない。批判の方法を考えるべきだと言っている。少なくとも、SNSで悪罵とともに晒しあげるのは妥当な批判方法ではないだろう。
以上の話は、主にセクシャルマイノリティを念頭に置いて書いた。しかし、これは他のマイノリティや左翼一般にも当てはまる。特定秘密保護法にせよ都条例にせよ反原発にせよ、人権を振りかざした絶叫デモを行ったところで、それは彼らの孤立を深める結果にしかならない。
自分は物凄く精神的なダメージを負いやすく、自分が悪いと思うと数週間ほど立ち直れないくらい落ち込み、忘れた頃になってもふとしたきっかけでトラウマがフラッシュバックしてうわああああ、ってなる。
で、鬱になりたくないから無理矢理にでも自分の行為を正当化していくと、それに合わせて価値観を修正していくことになるから、どんどん性格がおかしな方向に進んで行く。
似たような友人を見たことがあるが、絶対に自分が悪いということを認めずに大勢の人に迷惑をかけてどんどん独りよがりな性格に歪んでいき、孤立していった。
でも どうすりゃいいんだよ。ちょっとしたすれ違いさえトラウマになってしまう。
解決策を色々思案してきたが、
・あの人とは考え方の方向性が違うからと考え、その場では和やかに場を収めつつ、以後その人とは距離を取る。
・又は自分が悪いと感じたら素直にすみませんでした、と言って反省し、良い負け方を身につける。
でもなあ、距離をとろうとも仕事の関係上ずっと付き合わなきゃいけないことが多いし、下手に出ると調子に乗ってでかい態度に出てきて自分に有利に進めようとする奴も少なくないから、あまり良い方法とはいえない。
やっぱりあれか、ひろゆき的なやり方しかないか。ヘラヘラ笑いながら平静を装い、「いやー僕バカなんでw」と下手に出つつ言いたい事をハッキリ言って、相手がダメージを受けそうな言葉を笑いながら織り交ぜて相手の出鼻をくじきつつ、最終的には自分のペースにもっていく。たまに「さすがですねえ」とか「いやーやっぱりできる人は違うなあ」と相手を褒めるとなお効果的。
日本でディベートに強い人や、言葉の解釈が上手くて自尊心を保てる人間は大抵こういう人ばっかり。ただこういうのは場数を踏まないと習得できないし、反射神経と知識が必要になってくる。
何より、「相手の言ってることの矛盾や破綻を見つけてひっくり返す事に快感を感じる」ような性格じゃないとまず無理だ。
そんな付け焼刃の対人方法を身につけたとしても根本的な生来の性格が変わらなきゃどこかできっと破綻がくる。言ってることや性格に統一性が無いと人からは信用されなくなる。そうするとやっぱり俺はずっとダメージを負い続ける人生なのか?
最終的には毒親のせいにして、俺は悪くない、この性格はあの毒親から押し付けられたものだ、と考えていた時期もあった。ただ結果は怒りで視野が狭くなり幸せを見逃していただけ。毒親のせいだったとしても、最終的には自分で解決しなければいけないのだ。
ああ苦しい。ああ生きにくい。
ごちゃごちゃ書いてるけど、これが歴史修正の試みってヤツなんだよ。
だけど事実として敗戦があり、その後に東京裁判が行われ、A級戦犯は戦争責任者として死刑が執行された。
この事実は国会や日本政府が後から何をしても変えることはできない。
それに東京裁判を主導したアメリカだってこれを否定することを許容しはしないだろう。
千鳥ヶ淵で献花することが通例になっている。
普段からそういうことを、中国や韓国、北朝鮮に対しても言ってくれてたら、左側の人たちの言い分にも頷けるんだけど……
日本で靖国参拝に騒いでる人の大半が、チベット人が虐殺されてもスルーして興味無しのような顔をしておきながら、ダライ・ラマの失言(誤訳)が出たら喜び勇んで飛びついて騒ぎたてるような人たちだからなー。
「こっちはそれなりに誠意見せてるのに、首脳会談とか出来ないし、むかつくから配慮なんて止めて嫌がらせで参拝しよう」という事です。要は、「もうお前らと急いで関係を修復するつもりはないから」という、中国や韓国への挑発メッセージです。
李明博が、日韓関係がギクシャクしていた時に、敢えて友好的態度に出ず、「竹島への上陸」や「日本の天皇への謝罪要求」を実行したのと同じです。
この挑発が、吉と出るか凶と出るかは、しばらくしないと分かりません。
左翼の人々は「日本が外交的に孤立する」と騒いでますが、拉致問題を引き起こした北朝鮮にすら手を差し伸べるような日本人がいるのだから、そんな事にはならんでしょう。個人的意見ですが。
「アイ アム サム」とは知的障害を持つ青年が幼い子供を育てていたが養育能力が無いとみなされ子供を取り上げられそうになる話です。
「おおかみこども」の花は、サムのように知的障害はありませんが社会で生きていくうえにおいて
なんらかの障害を抱えていると仮定すると、物語上のいびつなところがきれいにまとまると思います。
「父親が『つらいときほど笑っていなさい』と言ったので、葬式でも笑っていたら不謹慎だと怒られた」
一見けなげなエピソードに思われますが、高校生にしては幼すぎるのではないでしょうか。
つまり花は
「言葉を言われたとおりに受け取ってしまう(皮肉や行間が分からない)」
「いったんインプットされたことに強くこだわる」
という傾向があると推測されます。
彼女が大学で親しい友人がいないこともこれが原因と思われます。こういうタイプは
学校や職場など閉じられたコミュニティーならやっていけるのですが、
大学のように自由度の高いコミュニティーでは孤立する傾向が高いのです。
だから彼に惹かれたのでしょう。
また、花は短期的なことは考えられるが中長期的な計画を考えるのは苦手であるようです。
おおかみこどもをどうやって育てるか、病院や学校ははどうするのかなど本来なら雪の妊娠中から
相談しておくべきことなのに、彼女は本当に問題が差し迫ってこないと考えられないのです。
(雪が赤ん坊の時に何度か熱を出しているはずなのですが、おそらく自宅療養で乗り切ったと思われます)
そして同時に二つのことに対処できないのかもしれません。雨に比べて雪は放置されがち
(溺れた雨を助けた雪もびしょぬれであえいでいるのにほったらかし、嵐の日雨を追いかけるのに夢中で
学校の雪は待たせたまま)ですが、一つのことで頭がいっぱいになってしまうともう一つのほうは
お留守になってしまうのでしょう。
あの時ゴミ収集車の職員がなにか訴える花に取り合わないのはおかしいのですが、
花がうまく説明できなかったと考えれば納得できます。
(突然おおかみおとこなどと言われたらとても信じてはもらえないでしょう)
おおかみおとこを失ってしまったので、今までの生活は破綻してしまいます。
これまでのように親子だけで暮らすことは不可能になってしまったのですが、
花にとってはおおかみおとこの「人目を避けて暮らしてきた」という
普通なら最悪の事態を招くところですが、彼女には一つだけ天から与えられた能力がありました。
それは「短期的な目標を与えられればがむしゃらに頑張れる」というものです。
たった一人で廃屋を修理し、畑仕事をこなすのは超人的な能力ですが、
映画「レインマン」でサヴァン症候群の兄が驚異的な記憶力でポーカーに勝つようなものかもしれません。
周囲の人間もそんな花の能力を認めたからこそ共同体の一員として受け入れることができました。
うまく行っているように見えた花と子供たちの生活ですが、しかしやはり破綻はきてしまいます。
花は生活を回すことは出来ても、社会でいかに生きていくかということは教えられないのです。
自分が上手く出来ないことを子供に教えられるはずがありません。
「おおかみになってはいけない」としか教えられず、コントロールの仕方は知らない雪は学校で友人を傷つけてしまいます。
「他の動物をばかにしてはいけない」と雨は教えられましたが、狼の役目は食物連鎖の頂点で他の動物を捕食することです。
だから雪は母親に無断で信頼できる友人に秘密を打ち明け、雨は自分の力で山の先生を見つけ出しました。
そして花は雨にこう言います。
「あなたにまだなんにもしてあげてないのに!」
その時おおかみの雨は驚いたようなしぐさをしますが、あれは
ということではないでしょうか。
田舎の人とは「のんびり」していて流行りにも疎いと、基本的には思われているらしい。
でもそんなうちの田舎でも、ADSLや携帯電話の普及は早かった。
特に携帯電話は、遭難、急病、事故などの際の緊急連絡用という需要があったからだ。
極論かもしれないが、都市部では一時的に通信機器から隔離されても、深刻な孤立状態に陥ることはない。
交番、書店の地図、駅など、頼りになるものがいくつもあるからだ。
林道での行方不明者の発生が防災無線でアナウンスされることもままある。
万一の時、周囲の目をあてにできないのだ。
だから、脱・現代技術のようなムーブメントが起こるのは、いつも都市部からだ。
都市という、巨大な現代技術の内部で生活しているからこそ、個人が技術から距離を置いても生活できるのだ。
その様子は、田舎の人にとってどこか滑稽で、冷めて映る。
http://togetter.com/li/605410 コメント欄より
「不謹慎だ」と怒っていらっしゃる方々は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。社主が大人しくなったら「ザマァ」とか言って笑うんですかね?それこそ不謹慎なんだけど、ブーメランの自覚ないんですかね。
namihei_twit 6 hours ago 4
(´-`).。oO(つまり、というか、むしろ、というべきか、言い訳、開き直り、をしているのは、組織票で真っ赤な人達の方、であろう、と。)
namihei_twit 2 hours ago
ツイッターのTLを見てみると、どういう性質の人が虚構新聞を支持しているのかよく分かる
https://twitter.com/namihei_twit
@namihei_twit
対処療法より体質改善。今、何をすべきか考えるのが好き。悪「者」
捜しは嫌い。■フォローはお気軽に。アンフォローもご自由に。こちら
も気分でフォローさせてもらってます。●固い呟きが多いですが、ユル
くお付き合いください。★突然のリプご容赦ください。
【@kyoko_np の件に思ったこと】「不謹慎だ」といつも何かに怒っていらっしゃる人達は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
言葉の怖さを知ったこと、と、言葉を発することを怖がること、は、くっつけたらイカンよ。ヽ(´ー`)ノ10;皆が思い思いに好き勝手に発した言葉で、皆、日々、励まされたり、傷ついたりしてるんだからさ。10;10;RT @harukazechan いまは文章をつづることも、こわくなってしまった— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
「レイシストを許さない」で、いいの?10;10;「レイシストにはならない」10;「レイシズムを許さない、認めない」じゃないの?10;10;すごく細かいことを言っているのは重々承知なんだけど、違いが分からん、とか言われたら物凄く恐ろしいことなので。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
レイシズムは嫌いだし、レイシズムに反対だけど、レイシスト差別はよくないと思うわけ。10;10;貼りつけられたレッテルが「レイシスト」なら、差別していいの?10;10;それ、自己矛盾で自己崩壊しない?— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
@namihei_twitがRT
マスコミが猪瀬さんを執拗に叩くってのはマスコミにとって「邪魔者」かもしくは金を貰ってやってるってに決まっている。そこには正義などないよ。— ヒトラー総統 (@hitler_soto) 2013, 12月 18
@namihei_twitがRT
私は猪瀬知事の続投を支持します。10;10;なぜなら10;都議員の民主をはじめ無能議員が知事を責めあげ、10;マスコミが相乗りで猪瀬知事を攻撃しているから。10;10;これは10;「自分たちに都合の悪い人物を潰したい」という意図。10;10;この現象は10;マスコミと朝鮮の癒着という10;「暗黒の民主政権で学んだ」からです— sakuhana (@mina005) 2013, 12月 17
@namihei_twitがRT
結局のとこ、マスコミと我々民衆が都知事をやめさせるわけでしょ。で、たかだか5千万円の事で、都知事選で50億円使うと。— 金本茂 Shigeru KANEMOTO (@ssci) 2013, 12月 18
自己暗示をかけて殻に閉じ籠る、浮世離れしてるたぐいの方々が、ネットというツールのおかげで、あちらこちらで殻から漏れ出している、という。これも、可視化?見える化?みたいに呼んでいいのでしょうか?ヽ(´.. http://t.co/H0Snoq4suq— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 16
誰にも負けない強さを持ち、あらゆる相手を打ち負かす人など何処にも居ないと思う。10;10;全てに万能な人間など非現実的だから。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
しかし、あらゆる人から味方をして貰える人に成れたなら、どうだろう。10;誰にも太刀打ち出来なくてもいいのだ。10;10;勝負にならなくたって「敵無し」なわけで。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
相手を打ち負かし屈服させる力とは、自分を蝕んでいく負の力だ。 反撃に怯え、近づく者を拒み、敵を作り続け、自らを孤立させる力だと思う。10;10;適材適所で適度に使う分には構わないだろうが、自らの強さを誇示するため、敵を作っては打ち負かす、というのは愚かと言う他ない。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
メモ(一人言)10;10;性善説、性悪説、「性弱説」10;10;「状況の奴隷」10;10;発想の冒険10;10;未知への挑戦10;10;好奇心10;10;可能性— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
イイワケの域を出ていない。自分を奮い立たせるのは良いけれど、自分をよく見せるため自分が満足するためで、お客に満足してもらうためお客に喜んでもらうため、じゃないよねソレ。満足する部分もあればこそまぁ仕.. http://t.co/kbIAOQLbwZ— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
「こんな思いをしてまで自分では望んでない者になってるのに、アイツ等あんなに好き勝手にやりやがって、ムキー」10;10;(´-`).。oO(望んでないモノかもしれないが、あなたが選んだモノだよ。選ばせてくれなかった?今はもう選んで選り好みしても良いものだと認識してるよね)— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
https://twitter.com/namihei_twit/status/411692962871910400から
だから、人の目が怖くなるんだよ。 10;だから、面と向かって目を見て人と話せなくなるんだよ。 10;だから、相手の話に耳を貸さず、ひたすらまくしたてて逃げるんだよ。10;10;さらには、自分自身すら誤魔化すために「勝ち名乗り」とかあげちゃったりしてな。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
自分が「変な人ですね」って言われることが最高の褒め言葉だなんて思っているようなヤツだから、こんな変なヤツを好きだなんてどんな変なヤツだよ、と好感度が上がってしまうのだが。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
(コメ欄が本題からどんどん遠ざかっていってるけど、遠ざけようとしているのは誰か、遠ざかりたがっているのは誰なのか、目を背けているのは誰か、読んでる人達はちゃぁんと生暖かく観てますからね。シメシメとか.. http://t.co/nnug16JB0L— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
@azukiglg 誰も真相を知らないことをいいことに、見てきたかのようにデタラメを垂れ流す人には、どのように不幸が訪れるのでしょうか。知らないフリをしてはいるけれど、ソイツの言葉に根も葉もないことを知っている人は、しらを切り続ける以外無いのでしょうか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
検証ができずホラ吹きの暴走が止められないと、何も知らない人は成す術なく間違った情報を植え付けられてしまう(信じる信じないはともかく)。秘密になっている情報が、過小評価や過大評価をして勝手に右往左往してくれるのは大歓迎、という類であればそれも良しなんですが。 @azukiglg— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
世界と繋がれない人、が居る。10;誰かの言葉にただひたすら従う人。自分で考えようとしない人、自分の考えで動くことに戸惑う人。10;一見、指示をする誰かの手足になることで繋がっているように誤解されるが、そこに自分という実体が存在していない、つまり、世界の中に自分は居ない、ということ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 7
指示に忠実に動いても、自分の考えを挟むことをためらうことがあっても、自分の意志行動の決定を自分でしたうえでなら、そこに自分は存在している。10;自分の考えとして取り込み、自分の意志として行動する限り、私は私であり、私はここに存在している。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
「~してくれない」って騒ぐこと、騒ぐ人に付き合うことの、空虚さは、「~してくれない」と騒いでいる人の空虚さ、自分の無さや希薄さに通じていると思う。10;10;そこに自分が存在していれば「~してほしい」と言い替えれられる。10;10;そこに他人しか存在していないから「~してくれない」になる。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
誰かが相手をしてくれている間だけ、いや、誰かが自分の望む通りの相手をしてくれている間だけ、心が安らぐ。10;常に、自分に目を向け自分に対して時間を割き続けることを、誰かに求めているわけで、そこに際限は無い。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
保身に走って、自分が痛くならないうちに切り捨てよう、とか、この痛みを押し付けよう、ってするから、反発を受けるんだよねぇ。10;10;自分が相手にそんなことをされたら当然の如く反発し抵抗するのに、自分がそれをするときは反発するな抵抗するなと?10;10;どの口が言うか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 6
国会の勢力が極端に右に偏ってきた。あまりにもバランスを欠いている。
祖父の岸信介氏が始めた太平洋戦争を肯定したい安倍総理の本音が出始め、
それに維新やみんながすり寄ると危ない。
この記事を書くキッカケになったのは、こちらの方が書かれた記事を読んでから。
http://anond.hatelabo.jp/20130517213002
そしてこの記事を書いた目的は、自分がアフィリエイトに携わった約10年間の軌跡を記すことと、
読みづらい文章ですが、興味があれば読んでみてください。
私がアフィリエイトに出会ったのは今から約11年前、当時はブログやSNSなんて媒体はメジャーではなく
個人が情報発信するには、ホームページ作成と呼ばれる特殊な技術を持った一部の人間だけが、それを
許されていた時代です。
当時の私は、どこにでもいる中小零細企業の正社員で、Webの知識など皆無、当然
ホームページを作成する技術や知識すら持ち合わせていませんでした。
しかしそのアフィリエイトの存在を知ってから約1年後、当時勤めていた会社の部長と折り合いが悪くなってから
「こんな会社やめて、もっと大きく成功してやる!」そんな漠然と、フワッとした
野心、野望、甘え、現実逃避を当時25歳位の私は抱いていました。
そしてその当時、常に私の心の奥底にあったのが、アフィリエイトの存在でした。
たいした資本を必要とせず、個人で月収50万、実力次第では月収100万も夢ではない。
「ひょっとしたら、俺にも出来るかも。」
「もし俺にも出来たら、俺の人生は大きく変わって、ビッグに成功できるかも!」
そんな甘ったるい思考を持っていた事を今でも覚えています。
部長との折り合いが悪くなって、すぐ私は当時勤めていた会社を退職し、
派遣社員として、工場勤務の職を得て新しいスタートを切ることになります。
もちろん、その工場の仕事がしたかったから働き始めた訳でなく、
アフィリエイトで稼ぎ独立して成功していく為の、とりあえずの日銭稼ぎの仕事と
割り切って仕事をしていました。
当然、当時はアフィリエイト報酬は月に1000円も稼げていませんが、とにかく勉強し、
ホームページビルダーと呼ばれるソフトを使い、何とかサイトを完成させるまでの
スキルを身につけることができました。
しかし、そのスキルとアフィリエイトで稼ぐスキルはまるで別物。
サイトを作り上げるスキルは日々上達しても、ASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)の
それでも、絶対にアフィリエイトで生計を立てる。
絶対にこれで人生を変えてやる!
そんな、狂った思考を持ち続け突っ走っていました。
当時まだ26歳だったと思います。
昼間は工場で働きながら、そして空いた時間はすべてアフィリエイトで金を
稼ぐ為だけに注ぎました。
そして今でこそ分かるのですが、私は当時働いていた職場での人間関係を積極的に築こうと
しませんでした。
なぜなら、私の心のどこかで、この仕事はそのうち辞める仕事、俺はお前達とは違う。
そういった思考を持ち続けていたので、私は意識的に人との関係を避けるようになったのだ思います。
もし仮にココでアフィリエイトに挫折していたら、まだ人生の選択肢は多く残されていたのですが、
不幸にもアフィリエイト報酬が右肩上がりになってしまいました。
厳密に言うとアフィリエイトではなく、アドセンス報酬だったのですが、月に30万以上を
稼ぐ月が続いてしまいました。
私の交友関係が狭まるのと比例して、今まで稼いだことのないようなカネを稼げるようになりました。
当時28~29歳位の話です。
アドセンスで稼ぎ続ける日々はそう長くはありませんでした。
当時のアドセンスは、クリックさせさえすれば、ある程度の報酬が見込めましたが、
それが通用しなくなったのです。
アドセンス報酬はガタ落ち、アフィリエイト報酬もほとんどありませんでした。
当時、私は個人事業主としてアパートの一室でアフィリエイト事業をしていたのですが、
アドセンス報酬に頼って生計を立てていたので、報酬が減ることはイコール、死を意味します。
「何とかしないと。どうにかしないと。」
心は不安と焦りで一杯でした。
ココで真剣に自分の人生を考えればよかったのに、やはり私の当時の思考は偏っていたので、アルバイトを再開し
その金と少ないアドセンス報酬で生計をたて、今度はアフィリエイト報酬目的でサイトを作り続けていました。
もう気付かなければいけないのに。
しかし当時の私はまだそこまで考えられない短絡的で無計画な男でした。
そして何とかして、この業界で生きていく。
それが、俺の道。
まともに、働いて微々たる金を稼ぐなんて、俺には出来ない。俺には無理。
そんな人生まっぴら御免。
こういった思考を持ち続けていたのです。
当時私が30歳位の話です。
アルバイトをしながら、アフィリエイトで何とか生計を立てる日々は続きます。
しかし、状況は好転し、ネット上ではPPC広告を使いアフィリエイト報酬を得る手法が流行り、
広告費30万突込みアフィリエイト報酬60万~70万程、月に稼ぐことに成功します。
驚くほど稼げる。簡単に稼げる。
凄すぎる世界でした。
日に5万以上のアフィリエイト報酬を得るのも珍しくなく、私は有頂天になりました。
昼間は好きな所へドライブに出かけ、好きな所へ旅行へ行き、日々の生活が怠惰になっていました。
朝は起きたい時に起き、仕事!?(アフィリエイト)は気が向いた時にやり、寝たい時に寝る。
嫌なことは一切しない。
煩わしい人間関係とは無縁。身の丈以上の金を稼いで自由に生きていました。
きっと私の心は気づいていたのだと思います。
足がしっかり地についていないことを。
しかし、私の思考はそれを否定する。
そんな事はない。
コレが俺の道。コレがコレが......。
当時私は31歳~32歳だったと思います。
私は主にサイトアフィリエイトに力を注ぎ、安定して50万~80万程度の報酬を
稼ぐことに成功していました。
金を稼げているうちは、まだ心は安定しているのですが、やはり常に不安があり、
次へのステップ(商売)を考えていたのですが、一歩が踏み出せない。
なぜなら、私にそういったアドバイスをしてくれる同僚、友人、先輩もいませんでしたし、
どこか、何となく金を稼いできた。
そんな自分に自信が持てなかったのかもしれません。
例えば大工の見習いが地道に頑張り、一人前になり工務店を構える、
そういった背景が私にはなかったのだと思います。
ただ何となく、感覚的にアフィリエイトに取り組み、そして金を稼いでいたのだと思います。
成功する為に金を稼ぐ。
私の成功は金を稼ぐこと?
なぜその仕事をして金を稼ぐのか?
もちろんココまで全て自分が撒いた種ですので誰にも文句は言えません。
ただただ自分の考えの甘さに恥ずかしいだけです。
そして2012年グーグルのアップデートが入り、全ては転落へと向かいます。
当時私が35歳の話です。
アフィリエイト報酬は急降下、何とかしなければ、何かしなければ。。。。
もう関わりたくない。二度とこんなモノに自分の人生を預けたくない。
そんな強い想いがあります。
厳しいとは分かっているが、就職し自分の人生を再起動させるしかない。
分かっています。どの選択肢を選んでも厳しい。死ぬほど厳しい。
でもココでもう一度頑張らないと、私には未来はない。
そしてWeb系(デザイナー、CSSやHTMLコーディング)の仕事に応募。
イラストレーターやフォトショップ、プログラムなどが組める訳ではありません。
もちろん、簡単なホームページは作れますが、私自身が自分をWebデザイナーではないことを自覚しています。
しかし、とにかく何かしなければ。
職を転々としていると指摘され、一つ一つ、退職理由を突っ込まれる。
みな若い....。
今まで煩わしい人間関係を嫌がっていた自分が、一から自分の居場所を築くことが
面接官が一通り施設を案内してくれた後、優しく私にこう言いました。
「現時点であなたを正社員として雇うのは厳しい。ただ、うちにはキャリアアップ制度が
あるから、アルバイトとして2年もしくは3年働いてもらい、あなたがうちに貢献できる人材なら、
正社員の道もあるよ。でもだからと言って、かならず正社員として雇用するとは断言できない。」と。
そして、もう一つ見せ付けられた事実。
思考や外見、その他色々なことが堅くなって柔軟性が無くなって来ていること。
心療内科にいくと、うつの症状が出ていますね。と言われ薬を処方される。
しかし、悪いことばかりではありません。
アフィリエイト報酬が0円になったかと言うと、そうではなく、まだ月に7万~10万程度は
見込めるということ。(二度とこの報酬に頼る生き方はしませんが)
もう一つ、過去の職場で取得した工場系や運送系で使える資格を保有していること。
焦ってはいけない。でも急がなければいけない。
自分をしっかり見つめ直し、どうのように今後生きていくか、どの業界でプロになるのか、
それを考えて考えて考え抜いて答えを出そうと思います。
コレまでの約10年間、よくココまでデタラメに生きてこれたと思います。
それまでも、かなりデタラメに生きてきたので(職歴転々)、ある意味私の人生自体がギャンブルのように
なっていました。
しかし今回、自分が自信を失うという一件があり、自分を見つめ直す良いキッカケになりました。
まだ36歳で自分自身の性格、適正なども含め、言葉では言い表せない色々な事に気付けて良かったと思っています。
そして何より、前向きに地道に頑張っていく決意が出来ました。
大切なことは、自分が何をしたいのか。もしくは、どんな風に生きたいのか。
何なら出来るのか。何なら社会に貢献できるのか。
そしてその道でプロを目指すということ。
"金を稼ぐと言うことは、その道のプロになると言うことだ。"
以上。
休み明けに職場で旅行のお土産とかお菓子を配ったりするのがめちゃくちゃ嫌いなんだが、もうすぐ2014年だしあのクソ慣習やめないか?
まず「体験」を目的としているはずの旅行で、いちいちお土産という「モノ」を買って帰ることを強制されるのが不条理だし、だからといって買ってこなかったら悪者扱い。
会社でも毎回オレにだけお土産のマンジュウやクッキーを配らない派遣の女がいるんだな。
10人の部署に9個のオヤツを用意してるのよ。で、「ごめん1個足りなかったw」とか。
数が足りてても、来店したお客さんに「余りあるんで食べて」とか。
これは敵意なのか、構ってアピールなのかどっちだろう。
去年のGW明けまでは「私はいいから増田さんにあげて」って言ってくれたアシスタントリーダーの30過ぎの女がいたおかげで俺もお菓子食えた。
未だに子供みたいな事続けてるってことは愛の裏返しで構って欲しいのかもしれないけどね。