はてなキーワード: 孤立とは
釣りではありません。
単純作業の業務にある日突然異動を命ぜられました。
PCは持ち込めていますが、社内ネットワークから隔絶されており、
長年勤めていた社員もいればこないだ採用したばかりの新卒もいます。
嘘みたいですが、本当に本当なんです。
辞めることに「迷い」があるなら辞めないでいたほうがよいと思う。
長幼の序じゃないけど、長く生きてる人のことはちょっとは聞いといても損はないかもしれない。
相談めいてやめることを話している時点で迷いがあるのだろうから
その迷いの本質であるところ、辞めたい理由がなんなのかをはっきりさせてから辞めてもいいんじゃないかな
1社目は経営状態がやばくなってきてて、あるとき経理数字見てこれはいよいよやばいなと思って辞めた。
2社目は酷い上司にあたってパワハラ(仕事を取り上げる、社内で孤立させる)等のめんどい嫌がらせにあって、
人事に何とかしてほしいと訴えたが、取り合ってもらえず、さらには産業医とかいうのが絡んできて
それでも出社してたら、休業命令を無視しているとかいって難癖つけてきた。
要するにこちらの話は一切きかないようにしたかったんだと思う。
当時の上司や同僚、先輩後輩のほとんどがリストラにあって、相当ひどい状況にだったらしい。
それを聞くと酷く悲しい気持ちになる。
もちろんそれは俺が一人だから、土日に同期と遊んだことなんて一度もないから、同じ場所に半年も住んでいるのに。
仕事上の関係は友達同士のそれとは違うんだから気にすんな、みたいな意見はあるよ。
もちろんそれは俺もそう思う。
っていうか実際その思いが同期との密接な関わりを阻害してる。
利害関係者と仲良くなんて出来るはずないだろう。
ただでさえ俺は所属している組織の悪口を言いたがるタチなんだから。
そんな感じでどんどん孤立している気がする。
LINEとかいうソーシャル的なものの極地を使って俺の知らない間にどんどん進んでく。
まあそりゃそうなんだけどそれが出来れば苦労しない。
無論何もしない。
知らない。
ただ早く世界滅んでくれとは思ってる。
なんのために俺は生きているんだろうか。
究極的には、視界に他人が入るのが気になってウザイんだけど、といわれた。
そんなの仕方がないと返す必要が有るように
『いきなり飯食ってる最中に対面に他人が座るのが耐えられない』というのを常識にしてはいけない
=それを許容すると社会で孤立化する人が増えるから、この対応で合ってる。
必要なのは、相席で気分が悪くなってしまうんですけど、相席で気分が悪くならないように練習するにはどうしたら良いですか?という質問だ。
社会生活に対応させるためには、ボッチ席を作るのではなく、ぼっちが相席になれるようにしないとダメ。そのためにどうしたら良いかと考えるべきでそもそも元増田が変。
ボッチは社会生活に慣れろ!とボッチの俺が言う。俺達は社会生活にも対応しなくちゃダメ。むしろ、ボッチのまま孤独死しろと言う今の社会にこそ異議を唱えたい。
ボッチには練習する場所が少ない!
むしろ、リア充が100人いるところに放り出して、平気だから、仲間作ってみ!というほうがはるかにイジメだ。相席なんて1人なんだし、話しかける必要性もないんだから最高の練習場所じゃないか。
私は、頭のスペックは決して低くないとは思うのだが、低収入に甘んじているのは、認めたくないが集団生活がぜんぜんできないからだ。特に日本のネチネチした体質の組織はダメ。
誤解してほしくはないが、べつに私はどもって人と話せないわけではない。ルックスだってごく普通で、普通以上に愉快に人と会話をかわすことはできる。だけど「組織の論理」にはまったくついていけない。だから、一つの組織に長く属することができず、いつもアルバイトとかフリーランスとか、組織の周縁でひっそり仕事をすることしかできない。ダウンジャケットの表面にかろうじて引っかかった羽毛みたいに。
思えば、兆候はあった。私は小中高大と学校というものがまるで苦手だった。学校を卒業して心からほっとしたものだ。いまになってみると、成績が悪くても学校で楽しくやれた連中のほうが社会に適応してまっとうに暮らしているよね。ほんと、学生時代の成績なんて長い人生の中じゃさして重要なものじゃない。
とはいえ、いまさら学校時代のリア充みたいに、本音と建前を使い分けて、複雑な組織の中を泳ぎ回るなんて無理だよなあ。たぶん、その方向で努力しても実を結ばないと思う。人間って、苦手な分野をややましにすることはできても、得意にするのはほぼ不可能。人それぞれ得意不得意があるからね。
私は別に死にたいとは思わないから、生きていく上で自分のメシの種だけはなんとかしなければならない。だから、これからもフリーランスとして、少しでも収入を増やす努力をしていくしかないんだろうな。たとえ、やるのが組織の狭間で生み出されたつまらない半端仕事だとしても。自己欺瞞かもしれないが、そこにわずかな面白味を見つけて耐えていくしかないんだろう。
私のような孤立系の人間には、かえって組織の問題がよく見えたりするので、ますます半端仕事の無意味さに虚しさが募ったりもするが…。仕事は仕事。カネを稼ぐ手段と割り切るしかあるまい。
「中二病」かもしれないが、これも個性と思って、人様に迷惑をかけないよう、なんとか苦しさの少ない道を選び取っていくしかないのだろうな。やれやれ。面倒だがこんな自分とこれからも付き合っていこう。
私は、ずっと IT 技術者として飯を食ってきたが、仕事が楽しいと思うことがあまりなかった。その原因について考えてみる。
私は、中学生のときにプログラミングを始めた。いまは40代なので、だいたい30年前からプログラムを書いていることになる。ただ、中学時代の私は、とんでもない「ぼっち」でプログラミング話で盛り上がれる友達がいなかった。しかも、書いていたプログラムも、開発ツールというマニアックなもので、ゲームとか楽しげなものに関心があまりなかった。プログラミングをすることは、ある種の修行のようなもので、決して楽しいことではなかったし、またそれは自分にとっては社会的な孤立の象徴であった。
社会人になった後、ひょんなきっかけで、IT業界に足を踏み入れ、気がついたら職業プログラマになっていた。才能があるのかどうかは不明だが、子供の頃からプログラムを書いてきた私は、まちがいなくデジタルネイティブであるとは言える。まあ、とにかく、コードを書くことを覚えるのに時間はかからなかった。
ただ、私はどうにもチームで仕事をするのが苦手だった。ITの仕事は、調整が多い。仕様変更は日常茶飯事だ。厳しい納期の下、ソースコードに変更を次々と加えるのはリスキーな行為で、関係者に深い信頼関係がないと、人間関係がギクシャクする。
私は、プログラムを書き始めた時、ぼっちであったので、「プログラミング=独りの作業」という思い込みがあったのかもしれない。それがゆえか、ソフトウェアの設計等に関して、他のプログラマと調整したり妥協したりすることが非常に難しかった。自分がいちばんうまくやれる、という思い上がりもあった気がする。そういうわけで、人間関係が険悪になることが非常に多かった。
最近のいくつかのプロジェクトで、喧嘩別れに近い体験をいくつかしたために、プログラミングの仕事をすることにトラウマに近い思いを抱くようになってしまった。
しばらく仕事を離れて休んでみて、いま思うのは、もうちょっと自分が柔軟になれないだろうか、ということだ。答えは決して一つではないはずだ。もう少し、他者の意見を尊重できる人間になりたい。そしてプログラミングの仕事をもっと楽しめるようになりたい。
プログラミングは、人間とコンピュータの間を取り持つ作業で、コンピュータのもつ潜在能力をこの現実社会で開花させるという重要な仕事である。時には、コードが社会を変えることもある。そういう意味でやりがいがあって然るべき仕事だとは思うんだよね。いまの私の課題は、この仕事をストレスをあまり感じずに楽しむことだ。
いったいどうしたらいいんだろうね。ペアプログラミングでもやってみるといいのだろうか?
こんな嫌がらせのかたちは初めてでした。
対象といじわるした人は面識なんてないんです。
それなのに悪意をもつなんて理解できそうにないです。
ゲームがうまいやつ,スポーツができるやつ,話がおもしろいやつ…
そんな奴らを横目に見て,没個性的な自分を呪った.なにか自分にも秀でたものがあればと…
いい成績をとれば,皆から質問とかされるだろうし,きっと仲良くなれるに違いない.
そう考えた.
でも,そうはならなかった.
もともと天才肌でもガッツリ努力するタイプでもなかった自分の成績は,せいぜい上位10%(地方の学校なので,そんなにすごくない).
トップには程遠かった.誰も自分のところに質問に来ることはなかったし,自分のポジションも変わらなかった.
それでも,僕はあきらめなかった.というか,あきらめることができなかった.
もっともっと頑張れば,いつかトップになってみんなから認められるだろう,本気でそう考えていた.
でも,やっぱりそうはならなかった.
周りの人たちがグループを作って楽しそうにしている傍らで,僕はひとり勉強に打ち込み,孤立していった.
このころには,薄々感じ始めていた.
周りを見れば,成績上位と下位の人が仲好さそうにしてるのなんて普通に見かけるし,
おそらくは成績が良くなっても誰一人として自分を見向きもしないだろう.
それでも,後に引けない気持ちが強かったので,愚かにも僕は勉強をつづけた.結果は,いうまでもないことだが.
結局のところ,学業なんていくらおさめても僕に友達なんて一人もできやしなかった.
きっと,自分が勉強している分野を本当に好きでいたのなら,その分野つながりで誰かと仲良くなれたのかもしれない.
でも,僕が勉強をするモチベーションは,好きだからではなく良い成績を残したいからだった.
そして,それは何も生み出さないモチベーションだった.
さらに悪いことには,僕は何年も,つい先日までそのことに気づくことができなかった.
学生のあいだに自分の失敗を帳消しにすることは,おそらく不可能だ.
長年孤立して生きてきたから,今更勉強以外のことをしようとしても,何をすればいいのかわからない.何がしたいのかもわからない.
さて,これからどうしよう.
何年もかけて頑張ってきたつもりだが,何も手に入れることはできなかったな.
この苦しみが苦しみのままで終わらなければいいのだけど.