はてなキーワード: 同性愛とは
○ご飯
朝:松屋のソーセージエッグ定食。昼:カラムーチョ。たけのこの里。夜:ベーコン、にんじん、エノキ、玉ねぎのコンソメスープ。だし納豆豆腐。目玉焼き。バナナヨーグルト。間食:アイス。
○調子
○ FatalTwelve
・はじめに
突然のテロに巻き込まれて死んでしまった女子高生の獅子舞凛火は、同日同時刻に死んだ12名の内たった一人だけが死の運命を覆すことができる「女神の選定」に巻き込まれる。
そのルールは、週に一回日曜日に氏名、死因、未練の三つ指名することができ、指名されそれが当たっていると脱落し一時的に覆されていた死の運命が遡ってしまう、そしてたった一人になるまで12週繰り返すというもの。
勝者が一人だけのデスゲームものという味わいもあるにはあるものの、主題は不意の死に巻き込まれてしまった主人公の獅子舞凛火がどうそれと向き合うのか、そして同じく「女神の選定」に巻き込まれた友人の未島海晴との関係値はどう変化していくのかにあると感じた。
毎週日曜日に他のプレイヤーから氏名、死因、未練を当てられたら死んでしまう極限状態ながら、主人公の獅子舞凛火の通学、祖母の経営する喫茶店の手伝い、友人達との遊び、テスト勉強などの日常描写がたっぷりある。
先手必勝で他のプレイヤーの情報を調べた方が絶対有利なんだけど、かなりまったりしている。
もちろん物語が進行していくにつれそうも言ってられなくなる展開もあるにはあるものの、学校に通うことは最後までやめない。
特定の人数を明記した登場人物に、明示されるゲームじみたルールながら死を強制する恐怖と、デスゲームっぽい導入ではあるものの、知略を張り巡らす緊張感のある展開はかなり控えめ。
勿論それが良い悪いではなく、この作品の目指すところはそのような極限状態であっても、日常を過ごすことの尊さを書こうとしているのは明白だったので、これはこれで楽しめた。
特に喫茶店の描写、コーヒーを飲んだり軽食を食べるシーンが多くあるのも好み。
この辺のスチル絵に差分が多めなのもやろうとしている趣旨がそこにあることの証左だろうか。
日常描写だけで話を引っ張っている訳ではなく、そこに花を添えるのが獅子舞凛火、未島海晴、日辻直未の女性だけで構成された三角関係だ。
主人公の獅子舞凛火はぶっきらぼうながら根は優しく、一つ年下の後輩でドジっ子メガネの日辻直未が失敗するとフォローしてくれる。
そんな二人の微笑ましい関係を不機嫌そうに眺めるのが、長髪ロングで清楚系ながら僕っ子の未島海晴。
海晴は明らかに凛火のことが好きなのに、鈍感な凛火は気付いておらず、海晴より直未を優先する姿に、関係が拗れていく。
この三角関係描写にはかなり文量がさかれており、主に海晴と凛火の二人の視点から恋愛模様が楽しめる。
特に「女神の選定」に巻き込まれながらも、最初から覚悟がガン決まりの海晴のストーリーは面白かった。
はっきりと恋愛の話であると断言されているのも好印象で、かつそれに対して強い否定的な意見を言う人がいないのもノンストレスで楽しめて良かった。
そんな三角関係を陰ながら支えている小熊真央が風格ある良い役で、僕は彼女が一番好きなキャラだ。
鈍感な凛火に気づきを与え、海晴のメンタルをフォローし、直未の真意を探ると縦横無尽の大活躍。
「女神の選定」とは一才関係ないにも関わらず登場頻度とその重要度合いが高く、優れた人間性を魅せる場面が多々あった。
特に海晴のメンタルが限界なことを察知しつつも、ベッタリと距離感を詰めるのではなく、あえて距離を置きつつも、いつでも電話に出られるように臨戦体制を取り続ける様は今作屈指の名場面だった。
異常な生死をかけたゲームだけじゃなく、彼女が日常を送りながらギリギリのラインで友人達の関係値のバランスを取るのに一生懸命なシーンがあるのも、このゲームの主題がどこにあるのかを示唆する一端だった。
メインキャラ達以外にも「女神の選定」の参加者はおり、彼ら彼女らも視点人物になりそれなりの出番がある。
とはいえ「女神の選定」と関係ない恋の鞘当てに一生懸命な女子高生達をさっさと片付けられない時点で、ガチ勢と呼んでいいのかは怪しいかもしれない。
そんな面々の中でも僕が気に入ったのは以下の2名。
まずはイタリアの元マフィアながら、ヘタレで序盤から負けが続くも男を魅せるシーンもあるフェデリーコ。
コナをかけていた海晴が女性同性愛者であることを知ると、それならそれの遊び方が提案できたのにと遊び人らしい最後の言葉を残すシーンは、ヘタレな女好きキャラとしての一貫性があって、良くない行いをし続けてきた彼らしさがあった。
もう一人は、ジャーナリストで正義のためにしか行動しないと誓っているスケールさん。
まあこういう生死がかかったゲームをやってる中で正義とか言い出す奴がどんなやつかは想像しやすいんだけど、ちゃんとその想像通りのキャラ。
大言壮語が過ぎる上に自身の死が迫ると表れる人間らしさが、物語を彩ってくれた。
このゲームのらしいところは、生死がかかったルールを設定しておきながら、もう生死について腹を括っているキャラが何人もいることだろう。
覆された死の運命をただの幸運、ロスタイムと捉えて、他人を蹴落とすことよりも人生をエンジョイする時間に使う面々も何人かいた。
家族のいない孤独な老人牛塚さんと持病による死が延期になっただけで直近の死は変えられないソーニャについては、その意識が強かった。
だからといって面白くないわけではなく、彼らの生き様が他の面々に影響を与えたり、日常を過ごすことの尊さを再認識させてくれたりと、物語としての役割がちゃんとあるのが面白かった。
・おわりに
生死がかかったルールのあるゲームに巻き込まれた極限状態と、女性三人による恋の駆け引きとが同列、あるいは後者の方が重要に扱われている構成の妙が面白かった。
この極限状態だからこそ恋愛の様相が変わってくると、それぞれのエピソードのリンクはしっかりしているので、通して遊ぶと違和感は薄い。
デスゲームに巻き込まれていないにも関わらず、めちゃくちゃ頑張った小熊真央さんにはキャラクタ全員感謝を示すべき。
小熊真央さん本人の幸せについては一切触れられていないので、是非とも彼女が恋人を見つけるなり、何か趣味で良いことが起きるなりの、ハッピーな後日談を見たい。
自分はとある作品が好きで、人目を忍んで細々と黒字にならない程度に同人誌を作らせてもらっている。
メインに書いているキャラクター2人は公式で同性カップルなので、創作内容も必然的にそうなる。
夏コミで自分のスペースにおじさんがやってきて、本を見てこう言った。
「こういうのを書くってことは、君も同性愛者なの?」と。
とてつもなく気持ち悪く感じた。
自分が同性愛者なのではないかという疑念を抱かれたからではない。
初対面で仲良くもないおじさんに、自分のセクシャリティについて面と向かって聞かれたからだ。
生まれてこの方、他人にそんな疑問を投げかけたことも、投げかけられたこともなかったから知らない感情だった。
そういうことを聞く人は、
海賊王になる漫画を描いている作者は海賊で、巨人になる漫画を描いている作者は巨人だとでも思っているんだろうか。
今は令和だし、令和になる前から”十人十色”という言葉もあるのに。
そもそもコミケは"人や作品の多様性を求め、それを認める"場所でもあるはず。
おじさんからの質問は気持ち悪かったし、とても悲しい気持ちにもなった。
新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行して、4年ぶりの通常開催で
今までのコミケには楽しい思い出しかなかったのに、今年初めて嫌な思い出ができてしまった。
できればもう一生あのおじさんには会いたくない。
次もスペースがもらえると確定しているわけではないけど、冬コミの参加申し込みを躊躇っている。
性同一性障害について。いろいろ分からないことがあるので箇条書きにしてみる。
雑多なメモ書きだが疑問に思うことを書いてみた。
同性愛への特別視に対する感情以外は、あなたの所感とほぼ同じですよ。
過剰攻撃の是非は棚上げするとして…
今回の騒ぎで同性カプだけ変に延撚するのは、
現実に結婚制度まわりで同性カップルが抱える不平等の問題があるからだよ。
解消し難いとは理解してるんだけどね...割り切れない。
特定の人種や同性愛者をテーマにした「あの人達はこんなに差別されていました!本当に許せませんね!」っていう映画結構出てるじゃん?
あのノリで「昭和・平成の時代オタクはめっちゃ差別されていました!」っていう映画がそろそろ出てきてそうな気がしてね。
でもこういうのってどういう単語で検索すりゃええのか分からんし人力検索にかけたいわけだよ。
オタクが一昔前のオタク迫害時代にタイムスリップする作品や、オタク差別が激しかった時代のオタクの独白みたいな漫画はちょこちょこある。
「オタクでもイケメンで清潔感があって現代テレビで主流の価値観に媚びへつらうことが出来るやつは美男美女と恋愛させてやるよ」みたいなのしかない印象。
「気持ち悪いオタクは悪人だとテレビで差別されていました」っていうのが登場人物の過去として描かれている漫画やアニメは結構あるけど、それを歴史的な事実として描いているのはあんまないかな。
ぶっちゃけ「10万人の宮崎勤」自体はマリー・アントワネットの「パンが無ければ」や池田勇人の「貧乏人は麦を食え」のような、悪意を持った他者による発言の捏造だったという説が強いわけだが、『それぐらいの事をいつ口にしてもおかしくないような人間だったという共通認識』がその時代にあったのは間違いないんだよな。
その時代の空気感を描いた作品、まさにオタク版「シンドラーのリスト」のような映画が実は既にこの世界にもうあるのではないかと。
流石にまだないか?
オタクを差別した人間が記憶喪失を起こして「そんな奴らがいたのか。俺がもし近くに居たらぶん殴ってやったのに」とタイムスリップセルフ暴力宣言をぶっかますにはまだまだ本人たちの記憶力が元気過ぎるかな。
でも同性愛みたいに、クィアだ!とか圧力だ!とか過剰攻撃するやつは出ずに、作者がそう表現したいならそうなんだろう・明確にしないのもありだよねってのに最終的にはなる
もしくは黙って離れる
BLはたとえやねん。
巨乳AVでも、メキシコ料理でもなんでも、SL列車でもなんでもええんやけど「そのジャンルに興味がないけど評価が凄い高いから試してみた。でも全然良くなかったね」みたいなのマジでなんなん?
界隈における評価の高さと入門向けかどうかは別でしょ。
逆に界隈ドップリのやつが「この分野の初心者の間でめっちゃ評価高いからニワカ向けと馬鹿にするのもなって試したんだけど、やっぱニワカ向けでしかなかったわ」みたいに言うのもなんなん?
あれよねカレー屋に来て甘口頼んで「コクがねえなあ……やっぱ辛くないと」って文句つけたり、10辛頼んでおいて「これ痛いだけでもう味なんて分からんわ」って言い出すようなもんじゃね?
「俺はバカなのでバカみたいなことをしてしまいイライラしています。今から八つ当たりをするので優しく受け止めて下さい」って宣言でしかねえのか?
故・石原元都知事は、エロ漫画読者を「DNAの狂った変態」と言い、同性愛者を「どこか足りない。遺伝とかのせい」と言った。
私は多感な思春期にそれを見ていたから覚えている。フィクトセクシュアルという言葉は知らなかったが、「3次元には興味がない」という自認が確立してきた頃だ。
それらの発言は同じ文脈の同じ意識から生まれた差別発言であると、多くの人がうっすら理解していたはずだと思う。少なくとも当時は。
周りの人が、面白かった、と言っていたので観に行きたいとずっと思っていて、もうすぐ終了ということであわてて観に行った。
観た結果、面白かったし、観に行って良かったのだが、なんかめちゃくちゃダメージを受けている。心が弱っているのかな。
とにかく人生の苦しみのオンパレード。特に、発達障害、いじめ、虐待など学校関係や家庭環境にトラウマがある人にとっては大変つらい内容ではないかと思う。
・なんでもっと上手く立ち回れないんだ、お前も弁護士雇え、と思ったがこの人も発達障害なのか。
・母親視点の先生と、先生視点の先生が全然違ったが、正しい(客観的な)評価は母親視点の方なのか。
・明らかな落ち度は、クラスで湊が暴れた時によく事情を確認しないまま、湊に皆の前で謝らせたことだけど。にしても先生が酷い目に遭いすぎてつらい。
・クラスでアンケートとった時に、湊が暴れた時の状況とか依里がいじめられていることとか、本当のことを書く生徒はおらんのか。アンケートが記述式ではないからか。
・先生が、なんで自殺をストップしたのか分からなかったが、ネットの考察で、楽器の音が聞こえたから、とあった。そうなんだ。
依里
・発達障害、同性愛、暴力父、イジメをする馬鹿なクラスメイト、と不幸のオンパレード。え、しかも、最後死んだの?勘弁して。
・クラスでキスを強要されそうになるイジメを受けていたが、キスの相手がいじめっ子の男子で、ちょっと違和感があった。つまり、いじめる方も依里のことを可愛いと思っているんだろうなあ、と。
・家庭内で虐待を受けていて、そのために、学習に影響出ていて、ホントは発達障害ではないみたいな考察をしているものがネットであった。コミュニケーションや受け応え能力は高そうなのでそうかも。
・でも依里が同性愛者ということを周囲(父やクラスメイト)は分かっていそうで、その点を周囲にわかる形で出してしまっていることや、ビル放火に対する罪の意識が低いことから、設定年齢よりも子供っぽく見える。
・父親に虐待され風呂場に沈められていたところを湊が助けたシーン、「湊、警察通報しろ!」と思った。でも通報しても湊も住居侵入だし、なんで家にいるのか話せないだろうから無理か泣
・最後2人とも生きていて、依里の転校で離れ離れになっても(イジメや虐待の解決のためにも祖母のところへ転校した方がいいとは思う)、連絡はとり合っていて、お互い励まし合って、大人になって一緒に住めるようになる、そんな未来でありますように。
叩かれるの承知だから増田に書く。障害や同性愛を全面に出す最近の多様性もっと主張していこうや(笑顔)の風潮苦手。ちな私は無性愛者で障害者。じゃあ生きやすい世の中になったんじゃないの?って言われればそうでもなくて、変に世の中に単語だけ浸透したせいで「増田さんってADHDなの〜?」とか「アラサーなのにまだ独り身なの?」とか言われて疲れる。ちなみにADHDではない。統合失調症だよって言っても何それって言われる。ADHDとか繊細さんばっかり認知されて本来の病名や特性を勘違いされるのが当事者として嫌。最近BLドラマが流行ってるけどアレも結構ヒヤヒヤしてる。電車の広告とかで流れると。そんな子供が見るかもしれんとこに濡れ場があるもの置かないでください…。いやこれはヘテロでも同じか。でもヘテロは当たり前じゃん。私は1人にでもBLが嘲笑されるのが怖いよ。理解ある世界を!って言うならなんかもっとこう上手くやってくれないかな、メディア。
セクシャルマイノリティ関連で私が大嫌いなのは「クィア」という言葉。
クィアの意味は下記のとおり。要は「変態」という、直球ストレートな差別語でしかない。
なのに何故かこの「クィア」という言葉は、性的少数派の権利を主張する人達からやたらと好んで使われる。
一体何故「ホモ」や「レズ」は差別語だと憤る、ポリティカルにコレクトネスな人達は「クィア」は積極的に使っているの?
言葉そのものの意味で言えば「ホモ」は「同一な」という意味でしかなく、「レズ」もレスボス島の略語だ。言葉自体に差別的な意味はない。
なのに何故「ホモ」や「レズ」は全面的に否定され、「クィア」は積極的に用いられるのか……理解不能で不愉快でしかない。
人権尊重の見地からは、性的少数派であってもただの一市民に過ぎないと考えるべきなのでは?
わざわざ「クィア=変態」という用語を使って、異常性を強調する意味が分からない。
もともとは、英語で「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」といった意味合いを持つ言葉だった。性自認といえば「男か女」、恋愛といえば「異性愛」以外への理解がなかった時代では、変態という意味を込めた同性愛者への蔑称でもあったのだ。しかし現在では、性的マイノリティ当事者が自分から、ポジティブな意味でクィアという言葉を使うことが増えている。
水星の魔女の炎上を快く思っている節があり、自己分析のためにも。
予防線張っておきますが、一個人のお気持ちと憶測のオンパレードです。一般化しないでね。
同僚には小さい嘘をつくことが多く、隠れるのがちょっとしんどい。
最近は、彼女におるふぇんちゅを見せられた後、オルフェンズ本編を見せられようとしています。
助けてください。
百合に釣られて見始めて後半はみんなの成長に、大きくなったねぇッ〜〜;;マルタン〜〜〜;;
とキモオタの涙を流しながら毎週二人で楽しんでいました。
満足の最終回、ガンダムエースでの結婚明言で祝砲挙げられているのも何を今更と思っていましたが、
その後の電子版修正→小火→お詫び, 解釈の余地→炎上で、なかなか芸術点高いなと思い知らされました。
Twitter上で炎上の経緯を追っていたこともあり、モヤモヤがエコーチェンバー的に怒りの方向に向かっていった節もあります。
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1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収された
2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ
3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望
1)現実で同性婚ができないのに、公式の表明で作品での結婚の表現が没収された
フィクションでくらい結婚のお祝いさせてくださいよ〜〜〜!そっちじゃ全然アリなんでしょ?
きっと、男女カプだとここまで燃えていないですよね。この一因には同性同士で現実で結婚できないからがあると思います。
そもそも男女カプだとここまで明確な結婚表現をすれば、雑誌での文言修正もなかったのでは?憶測にすぎませんが。
同性愛者・両性愛者の中でも同性婚については意見分かれるかと思いますが、私は同性婚認められてほしい派です。
なぜそこまで結婚にこだわるのか。
結婚が分かりやすく祝福される関係であることに加え、強い社会保障のセットであり、
彼女と大きな共有財産を持とうとしたとき、結婚してないと法定相続人になれないんです。
良識的で娘を愛する親御さんが、娘の幸せを願っても同性パートナーと一緒になることを渋るには、
そんな法的な立場の不確かさがあるんじゃなかろうか。
現実には少なくない人が合理的かつ愛情深い判断で、男女カップルと同性カップルの
祝福のハードルを分けている、それが差別につながっているのだと感じています。
2)お詫びが由緒正しい同性愛差別の文脈に乗ってしまい、これを出してしまう無神経さ
同性愛差別の文脈にガッツリ載ってしまったために爆炎あげとるんかなと思います。
炎上前、作品内でスレッタとミオリネはすっかり家族になっていたと解釈していました。
お詫び文から、彼女らの関係を匂わせだけで売り出そうとしていた!?→クィアベイティングだ!と爆発した次第だと。
正直、マイノリティでなければ・マイノリティの問題に関心がなければ、匂わせが火種になるとの考えには至らないかも。
クィアベイティング批判自体も、ものによっては言いがかりでは?という立場です。
でも、女同士が花嫁花婿というセンセーショナルさで売りながらこんな脇の甘さ、これが燃えないとお出しすること自体、
ほんと当事者には興味ないんだなと思わされたのがイライラポイントです。
そもそも、狂ったオタクどもは何をせずとも推しカプを醸造できるのだから、
他カプで商売したかったら結婚は撤回せずに、何食わぬ顔で全カプに媚び売っとったらよかったんや。
なんでそこ変に誠実になってるの?その誠実さは怖いんよ。
3)超大型IPで同性婚・同性愛を扱ってくれるという期待からの失望
大袈裟ですが、ガンダムで堂々と同性カップルハッピーエンドを扱うことで、世界が変わると信じていたんです。
あわよくば他のエンタメに波及して、悲恋や考えさせられる止まりの作品だけじゃなく、
(アニメに詳しくないので、今どき全然アリますよってのならごめんね)
頭お花畑ですが、エンタメの力を信じているので娯楽作品全体での雰囲気が変われば、
現実世界の同性愛者もほんの少し生きやすくなると信じているんです。
それほど水星の魔女のラストは最高でしたし、ガンダムの威を借りたかった。
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以上、感情的に書いてしまいました。稚拙な文章で伝わったか不安です。
ピンと来てない方はそもそも差別じゃないでしょと思うかもしれませんが、
一当事者としては差別的な流れだと、根底にホモフォビアあるでしょと受け取っています。
声をあげても社会は変わらないし、これだから声の大きいLGBTはと思われて終了。
虹やピンクのフラッグなんてダサくて掲げたくない等々思いもします。
実際にはほぼ声上げずに、楽しくひっそり生きています。
でも、静かにしていることで、10年後も若い同性愛者が同じようなモヤつき、
同じような肩身の狭さを感じていると嫌だし、申し訳ないとも思います。
正直溜飲を下げるためですが、願わくば、喉に刺さる小骨のような生きづらさを少なくしたい。
怒ったところでこの先生きやすさを獲得できるのか、不安ではありますが。
今回の炎上に私も乗っかりましたが、
たくさんの人が差別的だと怒ってくれるとは思っていなかったです。
SNSの特性上都合の良い意見が見えがちでしょうけど、心強かったです。
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一オタクとして「もしかして、”配慮”から表現が抑制されているのでは?」という疑念が芽生えてしまったのが残念でならないです。
ほんと、この炎上がある前は1000億点満点に楽しめて、作品自体は今も最強です。
オタクのレズとしてすっごく嬉しかったのが、ミオリネとエリクトとの関係が良好だったこと。
パートナーの家族に家族として受け入れられるのが、どんなに心強くて嬉しいことか。
制作者はそれを分かって表現していたんじゃないかと思っています。
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火も落ち着いたかと思ったら、乾いた松ぼっくりがくべられましたね。
なんですが、完全に公式がまいた「解釈の余地」で悪い方にも捉えられるのが残念。
まきびしかな。
「結婚に固執」「【結婚】という表現じゃなくて【パートナー】」とツイートしてパチパチと爆ぜていました。
大野氏自身は、公式スタッフの同人誌に対する反応に苦言を呈しているだけのつもりと思うのですが、言葉選びがやばいですわ。
黒人主人公の映画制作スタッフが、文脈を知らずにAll lives matterを掲げちゃうようなアホさだろうか。
大人数で仕事していれば、悪意の有無に関わらず差別的な表現をお出ししてしまう人は発生するでしょう。
会社なりが建前でも”政治的に正しい”姿勢をとっていることで、作品・スタッフが差別に加担のレッテルから守られるのですが。
そもそも、今回の騒ぎは順序が逆ですね。
ほんと、なんでこんなに脇が甘いんだ…
これ脇が甘いんじゃなくて、作品を売り出す側の芯が無いのかな?
みたいなツイート(今はもうツイートじゃないんだっけ??)見たけど、大多数は無関心だとおもうよ?
特に思想を表明しない=反対、ではないっていうのは大前提で自分の考え。
好きあってるならできるようになるといいよね(ただし積極的に動くことはしない)みたいな消極的賛成、法律で認められてないからなあ…っていう現状維持、婚姻に伴う税とかの優遇は次代への期待可能性への投資だから同性婚はちょっと…という制度面故の反対、同性婚とかきめえんだよざっけんなっていう積極的反対、そしてもちろん愛し合う二人がたとえ同性でも認められるようになるべきという積極的賛成。
色々な考えを持っているだろうさ。
ちなみに私は制度面故の反対、だから同性はもちろんちゃんと扶養とかできるんなら一夫多妻・一妻多夫も認める準婚姻みたいなのができたらいいんじゃない派。
少なくとも現状創作を発表できる年齢の人間は、恋愛の一つのゴールとして結婚というものがあるわけじゃん。
それ故にBLGLの物語の終着点…というよりはその後のセックスを盛り上げる前座として結婚する描写があるってだけでそこまで深く考えてないんじゃない?法律も憲法も知らん、どうでもいい。推しが結婚!可愛い!幸せ!さあ結婚初夜エロエロックス解禁スタート!!!あ~今までは抑えてたんだ~~うわーほぉぉ~~エッチですね~~~ってだけでしょ。少なくとも私はそう。
法的に禁じられているからこその背徳、絶対に叶わないからこその美を感じているからこそ現実で認められるのが嫌!って人も中にはいるだろうけど、そういう人は少数派か、いてもそれを表に直接的には出さない理性を感じるんだよ。
創作では認めてるのに現実では認めない!これは同性愛の消費!みたいに言う人が避けられてるのは、その選ぶ言葉が敵を作りやすいのもある。
一次なら合わない人だなって離れるけど、二次という他人の成果を勝手に使ってる人だと自民党とか壷とかのワードくっつけるから余計にうわ…ってなるんだよ。少なくとも私はそうだよ。
でも第一はなんていうかな、積極的にこっちの考えを探ってそれを定義して気にくわなければ差別や消費、自分の思いと合致してれば仲間扱いっていうのがただただ不快。個人的には毒親に類する不快感と嫌悪感がある。
仮面舞踏会というか昔の盆祭りというか、身分も考えも探らないし探られない、ただ今ある情熱に従ってヤりましょうっていう場なのに、仮面なり笠なり剥ぎとられて顔面さらされて、身分階級しがらみ諸々責め立てられてる不快感じゃないかな。
どんな人間でもそのバックボーンを気にせず、ただ共通の目的で自然と集まって自然と離れる場だったのに、その思想に至るまでのことを根掘り葉掘り聞かれたら離れていくし嫌われる。
制度には積極的に反対はしていないけれどアレと同類になんて見られたくもない→だからそっと離脱→離脱理由を正直に言わない程度の理性はある→「私から逃げたってことは差別主義者!」「えっ?!」……みたいな感じなんだよね、こっちとしては。
避けられてるのは同性愛を消費していることを指摘される恐怖や後ろめたさからじゃなくて、暗黙の了解をぶち壊して快適な泥沼をぐちゃぐちゃにしていくお前らが嫌だからだよ!やめろ!この快適な泥沼に精製水をぶちこむな!いやこれ精製水じゃねえ開封して口つけて飲んでから常温放置3日後の水素水だきったねえな!!って感じだよ言語化すると。言語化が下手すぎて嘆かわしい。
少なくとも私は単純に現実はほぼどうでもよくて強いて言うなら準婚姻制度ができてらいいねで、創作物ではBLGLその他もろもろのエッロイセックスが見たい。
それだけ。
25人も彼女がいるのにその中に男が1人も居ない。
コレは流石にどうなんだ?
25人もいるなら1人ぐらいは「体は男だけど心は女」もしくは「体は女だけど心は男」ないしは「男だけど男が好き」がいてもいいだろ。
彼女同士がイチャイチャしている描写はあるが、それも恋愛感情ではなく友情、家族愛、同性愛以外の性癖由来の愛情ばかりである。
同性愛者が25人の中に1人も居ない。
若干距離感が近すぎる組み合わせの彼女はいるが、プラトニックラブにすら辿り着いておらず友情もしくは特殊な性癖の域を出ていない。
結局好き嫌いの延長で全部決めてるんだよね。
同性愛者が許されない世界では段々締め付けが強くなってジャニーズやAVが規制されそうだから同性愛差別に反対してるとかそういうノリでしょ?
そもそも同じ国内で「維新の巣窟になるのは関西人が元からああいう人格だから」「東京湾が💩なのはトンキンの倫理観が終わっているから」みたいな事言い合ってるのに外人が「ちょwwww平和なバービーの世界にキノコ雲がwwww」ってしただけで不謹慎だなんだ言うの意味不明すぎるんだよね。
論理でも倫理でも計算でも知性でもなく、何らかの政治的思惑があるでもなく、何らかの道徳規範があるわけでもなく、単にその場のノリでしか決めてないでしょ。
感情と呼ぶのさえも怪しいような脊髄反射の連鎖で善悪を0.01秒で判断して、その後100年間その無意識レベルの反射を肯定するための材料集めをひたすら続けるんでしょ?
別にいいよ?
その通りですって逆ギレとかしないで素直に認められるなら。
でも出来ないんでしょ?
じゃあ辞めなよ。
みっともないよ。
アマプラで配信されてるグッド・オーメンズってドラマを見てるんだけど
このドラマって主要人物に黒人や中年女性がかなり多かったり、女性同士の同性愛が何の説明もなくごく普通に出てきたり
神の声も女性だったりして、かなり「ポリコレ」に寄った作品ではあるんだよね
(天使や悪魔に関しては性別がないって設定らしいけれど、それでも見た目の人種や性別はかなり多様)
こう思うのって全体の雰囲気がオサレだからかなー、と思う。このドラマはファッションや背景美術、音楽、台詞運びなどがとにかくオサレ。
太った白人女性とドレッドの黒人女性のカップルも、悪魔がグラサンしてたり天使が蝶ネクタイだったりするのと同じように単なるキャラデザのバリエーションとしか思わなくて
ディズニー映画のストレンジ・ワールドはポリコレって言われて叩かれていたけれど(映画自体は観てない)、
特に意味もない「ポリコレ」でも、全体的な雰囲気がオサレにまとまっていればそういう世界観として違和感なく楽しめる気がする。