はてなキーワード: 高まるとは
日本で嫌独感情が強まっているそうな。中央日報はそう報じていたし、ドイツ関係記事のはてなブックマークコメントを見ても厳しい意見が目立つようになっているのは確かだ。
中央日報はこれはメルケルが日韓問題に介入したことから来る、右傾化の現れと言っていたがそう言う面がまったくないとは言えないとしても、それだけじゃないと思う。
それ以前から次第にドイツ人へのあたりは厳しくなっていっていたからだ。
これはインターネットを通して多くのドイツ人に普通の日本人が接する機会が増えたからじゃないかと思う。ドイツ人の「嫌な奴」率の高さは異常だからだ。
1.ドイツ文学者やドイツ語学者などのドイツ学プロパーの人たち。
のおおむね二種類だったが、日本でのドイツのイメージは主に第一クラスタから発信されていた。
こういうプロパーの人たちは、おおむねその国への関心が自分たちの飯のタネに直結するため、実像よりも美化して、好意的に解釈してその国を捉えがちだ。明らかにマイナス要因になるようなこと、たとえばアメリカでの警察官による黒人殺害などでも、「理想へ向けて苦難の道を模索するアメリカ」みたいに、好意的に解釈して描こうとする。
悪意だけで解釈するのが間違っているように、善意だけで解釈するのも実はその実像は歪められている。
こういうプロパーの人たちがいつもいつも対象を好意的に解釈しているわけではなくて、要は周囲の関心が高まるのが目的であるから、実態以上に悪意をもって描かれる場合もある。ロシアなんかはその好例で、実際には何とかして没落せぬよう踏みとどまっている人口1億4000万程度の国に過ぎないのに、冷戦時代の遺物のソ連研究クラスタたちの人たちの声が大きいせいでアメリカ外交政策を歪めている(代表例はブレジンスキー。あの男ほどアメリカにとって害悪を成した人はいない)。
とにかくプロパー研究者が描き出す姿には注意をしなければならないという話である。
日本でのドイツのイメージはプロパーのせいで異常に美化されていたが、実際にドイツ人と関わる一般人、第2クラスタの間では以前からドイツ人の評判は最悪だった。
私の友人は海外視察をコーディネートする、逆に日本に海外からの視察をコーディネートする仕事をしているが、ドイツ人が問題を起こす比率の高さは図抜けているという。こういう話はごろごろあって、それぞれに癖はあっても、アメリカ人やフランス人、中国人、ベトナム人などを友好的に受け入れている組織団体でも、ドイツ人だけは勘弁してという処が多い。
こういう場所でのドイツ人の評判が悪いのは、彼らの性格が単に悪いからだ。それも、そういう人もいる、レベルではなくてそういう人ばかりというレベルでだ。自己中心的なことで知られるフランス人でさえ、ここまで評判は悪くない。
フランス人の自己中心性はあくまで利益レベルでの話であり、そもそも視察に来ているのであれば何かを学ぶのが自分の利益である。
イギリス人は皮肉屋ではあるが、こういうことでは我を張らないし、皮肉は自分自身に向けても行われている。
ドイツ人の自己中心性は、現象を尽く悪意で解釈する、他人を貶めて自分を持ち上げようとする思考態度に由来している。解釈はネガティヴにもポジティヴにもできるのだが、事後の報告書などではほとんど捏造レベルのことも書かれていて、それを発見できた俺は偉い、ドイツは世界一、というような態度が顕著に見られる。
第2クラスタの人たちからすれば、今まで日本にあったドイツへの好感などは幻想そのものだったのだが、ネットで次第次第にこういう実情が知られてきた結果の嫌独感情なのではないか。中央日報も、ドイツで韓国と言えばことごとく悪意を持って解釈されている事実を見れば、考えを改めるのではないだろうか。
まだ起訴前なんで、特定される情報はぼかすけど、気の毒に同じ車両に乗ってた人なら判る程度にちゃんと書く。
ちょっと前の金曜日、会社帰りに帰宅の為に会社最寄駅から電車乗った。
会社最寄駅は始発の駅で、タイミングが良いと並んでても座れる時がある。
混みそうな時間帯にも関わらず、幸いにも端っこの隣の席に座ることが出来た。
出発まで5分ほど、背負っていたリュックを膝上に置き、スマホで技術系ブログなどを漁る。
インターネット中毒なのか、外界の景色が見えなくなる程に熱中して読んでしまう時がある。その時もそうだった。
電車が動き出したのは覚えてる。後、隣の人が若干臭かったことも。
始発駅から1つ目の駅を出た頃、隣に座っていたおっさんが動いた。
一瞬そっちを見るが、立つのか伸びをしているのかと判断して、視線をスマホに戻そうとするその横で、振りかぶって返ってくる肘。
まさか、電車で全く知らん人、ましてや無害だろうと判断した人からの突然の攻撃に備えられるはずもなく、目で追えていたものの、顔面にクリーンヒット。
考えさせてくれる暇も与えられず2発目。
突然脳天を揺さぶれ、顔面にモロにくらい、茫然自失、戦意喪失。
おっさんは更に立ち上がり、殴り始める。
引く周りの乗客。
一通り殴って気がすんだのか、平然と座る男。
俄然高まる緊張感。
その後は、おっさんから引き離す様に立たせて、間に入ってくれた果敢な男の人に全てを任せ、立ち上がり再び威嚇するおっさんが取り囲まれ、駅のホームに取り押さえられる様を他人事の様に見てた。
犯人が暴れてるので、取り押さえ男衆に混じり4人掛かりで抑え、警察に引き渡す。
殴られて顔腫れてるわ、もみくちゃにされて片目のコンタクト失くされてるわ、後頭部の鈍痛がある中、警察官の尋問で、待たされ続ける。
取り敢えず早く病院行きたかったのに、やっと出てきた警察官渋る渋る。
自分で呼んだ方が良いよとか言われたが、上司が応援にきてあっさり承諾。なんじゃそりゃー。
取り敢えず、CT異常なし。
この時点で、23時過ぎ。
一昔の前のアイドル風な風貌に、マル暴で鍛えられた静かな迫力。
不器用にノートパソコンに調書を書いてくれ、2時過ぎまで対応してくれた。
途中、長過ぎてもう適当で良いよーと思ったり、感謝はしつつも調書もAmazonレビューポエム的な、拘りがあるのかなーとか思ったりしてた。
2時半頃、調書も被害届けも書き終わり、送ってくれることに。
本部長さん、今朝5時から働いてるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました。
警察官や刑事さんも、みんな言ってたが、本当に死んでしまえと思った。
あと、何にも出来なかった、やられた後に反撃さえ出来なかった自分が情けなくて、何か本当に悔しい。
・読点の省略と読解すると通らなくはない。
→→「徒党を組んだドワーフ達が何か話し合っている」だと通りがいいか。
・厳密には誤用、と言えなくもないライン。一方で、「まるで作られたもののように美しい」という印象を与える意味では意図的とも思える。
瞳孔が狭窄する p114
・「狭窄」には「狭くすぼまっている・こと(さま)」という意味があり、瞳孔がすぼまることはあるので、誤用とは言えない。「あまり用いられない表現」なだけ。「視野狭窄」が一般的なのはその通り。
静謐な鳥の声 p146
・辞書どおり、「静かで落ち着いた鳥の声」と置き換えなおせば特段おかしくない。
靴を鳴らす楚々とした音 p155
・「清らかで美しいさま」「鮮明なさま」という意味があるので、「靴を鳴らす鮮明な音」とすればおかしくない(一般的な表現かどうかはまた別)。
枚挙に暇が無い人の群れ p224
・「いちいち数えきれないほどの人の群れ」と置換すればおかしくない(一般的な表現かどうかはまた別)。
答えになっていない答えに、僕は汗を湛えてしまった p225
・「湛えた」には「液体がみちる」という意味があるので、漫画的にいうなら「汗がダラダラ」みたいなことだと解釈できる(一般的な表現かどうかはまた別)。
人垣の群れは、絶叫を放ってバラバラに散っていった p252
・重複表現の印象が強い。この中でもっとも誤用っぽいのはこれだと思う。
つまり、一般的な、いわばセオリー化した使い方をしていないことと、誤用は区別したほうがいい、というのが俺の意見だ。よく見かける定型的な結び付け方を採用していないからと言って、「ひどい」と断じるのはどうか。
以下補足。
擁護しておいてあれだが、「誤用じゃないから万事OKなのか」と問われると、それもちょっと……感はある。一般的な使い方(=明らかに世のならい的に「正解」)な表現を用いておけば、読む側に変な引っ掛かりを与えずにスムーズに読んでもらえる可能性は高まるわけだし。ただ、そのへんは文体や作家の持ち味とも近い位置に存在することだと思うから、合わなきゃ合わないでしょうがない部分でもあると思う。
なんかあれば追記します。
タイトルの通り、トイレの話なので食事中とかそういう人は読むのを注意してほしい。
以前、僕は一人暮らしをしていたときに、割と限界までトイレを我慢するのが好きだった。
いきなり何を言っているんだ、コイツ!?……って思うかもしれない。いや、僕ももし同僚からそうカミングアウトされたら困惑するだろう、だから増田でこっそり書いているわけなんだが。
油汗がじっとりと流れるくらいギリギリまでトイレを我慢する、少しでも便意を意識しないように立ったり座ったり、ベットで少し横になって楽な姿勢を探したり、そうして、もう限界だ!となったらトイレに駆け込んで、一気に放出。
やりきった後の達成感も身体全体で味わえるし、身も心も軽くなったように感じられる、ま、実際に物理的に体重減ってるし。
この快感は我慢する度合いが長ければ長いほど、極限のギリギリほど反動で大きくなるので、みんなチャレンジしてみると良いと思う、もちろん自宅でね。
心なしかダムの放水が終わった後は気分が高揚して集中力が高まる気がしていたし、スポーツ選手も試合前に実施したら成績が上がるんじゃないかな?って割と本気で考えていた。
まー、こんな風に、妙な挑戦をやっていたのだけれども、ふと最近になって、そういや今はそんなことやらなくなったなー、って改めて思った。
というのも、僕も一人暮らしではなくなり、いざトイレに行こうとしたら同じタイミングで先に入られることも増えて来たし、それに じっとジブリのDVDを見ているかと目を離したら箱ティッシュの中身を無限に引き出していたり、自分で並べたはずの積み木を踏んで転んで泣き出すような家族が増えてきたことが大きい。
トイレを限界まで我慢していたのに、そんな事態に遭遇したらこっちでもダムが決壊してさらに大惨事になってしまう。
それが普通だよ、っていうのは確かにその通りだけれども。
言ってしまえば、たかがトイレの話なんだけれど、……なんというかな、一人暮らしのときに感じていた、自由気ままさはもう無いんだな、というのがちょっと寂しくなった日曜の午後という。
色々薬変えたり病院変えたりしてやっといい心理士さんとお医者さんに巡り合えたおかげで夜中に不安になって泣いたりビルの屋上目指したりすることもなくなった。しかし、どうにも薬のダウナー感が午後になっても抜けないので診察時に相談して薬を変えてもらった。
そうしたら朝起きれるし、運動や家事も少しはできるようになった。最初はおクスリしゅごいぃ!!って思ってたけれど最近気付いてしまった。
オーガズムに達しないのだ。
薬を変える前まではクリトリスを弄るだけで達することができたのに今は濡れるだけで全くイケる気配がしない。しかしなぜか性欲は高まる一方で、朝方寝てる夫に裸で擦り寄り、少しイチャイチャして慣らすために指を挿れられると声を出さないことなどできない程度に気持ちよく、挿入される時は口がだらしなく開いてしまう。今までは痛くてできなかったバックや足を折りたたむ体位もなぜかできるようになり、ずぷずぷと入れたり出したりを繰り返さらると脳がとろけるほどの快感を感じている。
しかし、イケない。
疲れている夫にずっと挿入し続けろとは言えないので、イキそうと言われたら甘えた声で中に出してってお願いして終了(訳あってピルを飲んでいるので妊娠はしない)。私はイケないまま身体も頭もぐずぐすにされて、ムラムラしたままで、夫が疲れて寝たのを見計らってオナニーに勤しむ。のだが、夫の与える快感のあとのオナニーは本当に本当に本当に盛り上がらなくて、じわじわとこぼれる精液をテイッシュで拭いたあと、
なんでイケないんだよーーーーー!!!!
って心の中で叫びながら枕に突っ伏して悩みながら寝てる。
今飲んでいるうつ病の薬の副作用で性機能異常(勃起障害、射精障害)って文字を見つけたので、女だけどこれに相当するのかなぁと思っている。快感を感じるのは体でなく脳みそなのだと実感した。女だし妊娠を希望している訳でもないので深刻な悩みでもない。でも夫とラブラブでヘトトになるようなセックスでイキたい。もう三ヶ月以上イってない。内容が内容だけにお医者さんに相談するほどのことか?って感じだし、診察に付き添ってくれる実母の前でそんな破廉恥な相談はできない。
自分がよくわからない分野はその道の専門家に頼めばいい、という人がいる。
得意な人がやってくれるなら、わざわざ自分が勉強しなくてもお金でアウトソースすれば時間の節約になる、という論調の人もいる。
しかし、これについては「騙されてしまう可能性が高まる」という問題がある。
病気になってもヤブ医者に当たって治らなかったり、悪徳弁護士から金をふんだくられるかもしれない。
インターネットが発達したこの時代、簡単に調べ物ができるんだから、ごく基本的なところだけでも調べてからサービスを受けよう。
http://anond.hatelabo.jp/20150720190535
の続き
「○○ちゃんのお尻に入れたい」
彼女のペニ○の向こうにつながっている様子が見える
上になって、、、
と、いわれ正常位になる、、、
腰を振る、、、
男性の身体の中でのはじめての射精、、、、感動してしまった、、、、
抜くと、彼女のベニ○が愛おしく感じ、、、
夢中で舐めまくった、、、、
味はない、、、
ク○二よりよっぽど清潔だなと思いながら舐める、、、
もっと練習すれば上手に舐められるかな、、、と、思いながら
奉仕する喜びを感じていた、、、、
という訳で、はじめてのニューハーフのセックスはとてもすばらしい経験になった
おわり
自転車で歩道を走っているときには、クラクションやベルを鳴らしてはいけない、
とはてブで指摘された。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150718010134
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150718010134
だから、それに従って、クラクションもベルも鳴らすのをやめたんだよ。
そうしたら、事故ってしまった。どうしてくれる。責任取ってくれよ。
具体的に言うとだな。もちろんおれは高速で走ったりはしない。
それで別に何も問題はない。相手は自転車を認識しているから、危険はない。
だけど、はてブで言われたから、ベルを鳴らすのをやめたんだよ。
前方で若い母親と幼児がいる。幼児はうろつき回っていて、母親は幼児に気を取られている。
普通ならばベルを鳴らすと、母親が幼児を引き止めるので、何も問題はない。
だけど、はてブで批判されたから、ベルを鳴らすのをやめたんだ。
それで、10メートルぐらいまで近づいてから、「通りますよ」と声をかけたんだが、
少しずつ近づいて、また声をかけたが、やはり気がつかない。
しょうがないので、時速3キロぐらいまで落として、ゆっくり通り過ぎようとしたんだ。
そうしたら、幼児がいきなり母親の裏から飛び出して、自転車にぶつかってきた。
おれはあわててブレーキをかけたので、おれの方からはぶつからなかった。
で、自転車のブレーキのところに顔がぶつかって、血を流して、ぶっ倒れてしまった。
「どうしてベルを鳴らさないのよ! 子供がいるとわかっているのにベルを鳴らさないなんて、
子供を殺そうとしているのも同然でしょ! 責任取りなさいよ!」
おれはあわてて、釈明した。
母親は怒り狂った。
「はてなって何よ! はてなってとぼけないでよ! 自分が悪いなら悪いと認めなさいよ!」
「あなた馬鹿じゃないの? 自動車にクラクションが付いているでしょ。
自動車がクラクションを鳴らしたら法律違反だというの? 馬鹿言わないで。
自転車だって同じでしょ。何のためにベルが付いているのよ。危険を避けるためでしょ」
「だから歩行者のためにベルを鳴らすんでしょ! 誰のためにベルがあると思っているのよ。
歩行者の安全のためにベルがあるのよ。あなた勘違いしているんじゃない?
> 降りて押せって
降りて押しても、向こうからぶつかってくるんだから、避けられない。
むしろ、降りたら道に3列になるから、かえって危険度が高まる。
あと、降りたら、急ブレーキをかけられなくなる。
どう考えても、降りた方が危険。
http://concretism.hatenablog.com/entry/2015/07/04/230101
全部ほかの人が悪い、建築家はなんにも悪くないというだけのひどい記事。
募集側の建築家、応募側の建築家とも、後者(コンセプト側)に寄ったものと解釈するのは当然といえ、3年もの月日を浪費した現在においてその判断を責めるのは酷である。
応募側にとっては、問題があれば募集側が落とせばいいだけだから、どう解釈してもいいだろう。
でも期間や規模が大きければ、それだけコストは大きくなるのだから、コストの重要性は高まる。どっちで解釈するかとはまったく別の問題だ。
さらにいえば、コンペの実施から現在まで、民主党から自民党への政権交代とそれに伴うアベノミクスの実施、日銀による大規模な金融緩和、東京オリンピックの開催決定など大きな経済イベントが続けざまに、かつ国立競技場の発注者である「国」の主導のもと起こっている。
そもそも経済はどうかわるかわからない、発注者の国にもいろいろな省庁があり、国立競技場のためだけに経済政策を変えるなんてばかげたことができるわけがないことを考えれば、発注者である国が主導することとの関係を強調すること自体が異常だ。
そもそもオリンピックは決定していないにしても、それにむけての新国立競技場という側面もあったはず。
オリンピック招致にむけて新国立競技場をつくるが、オリンピック開催決定は想定していませんなんていいわけが通用するものか。
国は特に民間に発注者支援業務を要請することもなく、施工者が参加しない詳細設計業務を先行させたり、技術提案のみで施工業者を決めた上での随意契約へ持っていこうとするなど、建設費抑制に対する適切な対応が取れていない。これらについて、当然ながらコンペ当時の関係者に責任はない。
これはそのとおり。
極めつけはこれ
ザハ、安藤忠雄の両者をはじめとする当時のコンペ関係者は、閉塞感が漂っていた当時の日本、特に「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権下における建設・建築の関係者の鬱屈した気分を晴らすというその責を十分に果たしており、ここまで述べてきた論理的な部分のみならず、感情的にも彼らを咎めるようなことは、この世界でメシを食ってる人間として、できようはずもない。
身内が鬱憤を払うために税金を湯水のごとく浪費することを肯定している、建築業界の人でもここまでひどいのはほとんどいないと信じたいが、もし多くがこんな意見ならば、日本の建築業界は滅んでほしい。
最初に提示された情報がそれ以降に提示される情報に対する印象に影響を及ぼす現象。
たとえば「東京の平均気温は50度より高いか?」と訊かれたあと「では平均気温は何度だと思うか?」と訊かれると高めの気温を答えてしまう。
たとえば選挙の事前予想で「A党が劣勢」と報道されるとA党への票が増える。
自発的にやっていることに他人から報酬を与えられるとやる気が低下する現象。
「好きなことを仕事にしてはいけない」などと言われる理由かも。
本人から直接言われるよりも第三者から噂として聞く方が信じてしまいやすい現象。
たとえばAさんから「綺麗だよ」と言われるよりも「Aさんがあなたを綺麗だと言っている」と聞かされるほうが嬉しい。
世界中から強豪を集めて大会を盛り上げようとするほど地元の選手が活躍できなくなる現象。
2013年にウィンブルドンでアンディ・マレーが優勝したのはイギリス人選手としては実に77年ぶりの快挙だった。
自分と同じ意見を持った集団の中に身を置くことにより偏った考えが助長されてしまう現象。
たとえば「青木まりこ現象」など。
カクテルパーティーのように大勢の人が会話している中でも、自分に関する言葉や興味のある言葉は聞き取れる現象。
相手の表情や仕草を真似て接していると相手から好意をもたれやすいという現象。
ある物事を意識した途端にそれに関する情報が目に付くようになる現象。
たとえば知ったばかりの言葉が急に世間でよく使われるようになったように感じたりする。
「見てはいけない」と言われると見たくなる現象。映画『カリギュラ』に由来。
以前に名前を聞いたことがあるというだけで有名人だと錯覚してしまう現象。
気分が良い時には良いことを、気分が悪い時には悪いことを覚えやすい、という現象。
過去に本で読んだり人から聞いたりした話を、まるで自分自身が体験したかの様に思い込んでしまう現象。
動物が周囲の人間の顔色を窺ってその期待に応えるように振る舞う現象。
「計算ができる馬」として有名になったハンスという馬が、実は飼い主や観客の動きを見ていただけだったという出来事に由来。
さっと視線を動かしたとき、その直後に見たものがわずかに止まって見える現象。
たとえば時計を見たときに秒針がなかなか動かないように感じる。
たとえば「捨て猫を助けるヤンキー」など。
何かの形をじっと見ていると、そのうちに「こんな形だっけ?」と元の形が分からなくなってしまう現象。
途中で失敗に気付いても、それまでの投資が無駄になるのが嫌で、やめるにやめられなくなる現象。
たとえば「鉄1kgと綿1kgはどっちが重い?」と言われると「鉄」と答えてしまう。
デパートの上層階の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
ある情報を隠そうとするほど、その行動によって逆に目立ってしまう現象。
女優のバーバラ・ストライサンドが自宅の映った写真を取り下げさせようと訴訟を起こしたことに由来する。
たとえば赤色で『青』という字が書かれていると意味を把握するのに時間がかかるなど。
蛇に咬まれることはめったにないが一度でも咬まれてしまうと蛇を恐れるようになるということに由来。
信頼できない人から聞いた情報を時間経過と共に信じるようになる現象。
「情報」だけを覚えたまま「信頼できない人から聞いた」ということを忘れてしまうため。
達成できたことよりも達成できなかったことのほうを忘れない現象。
自分の名前や誕生日などにまつわる言葉や数字を無意識に好んでしまう現象。
幸運により金を得ると「無くなってもプラマイゼロ」という心理が働いて金遣いが荒くなってしまう現象。
たとえば予想以上のヒットで儲けた金をハイリスクな投資に突っ込んでしまうなど。
切りの良い数よりも中途半端な数の方が信頼性が高く感じられる現象。
たとえば「100%の人が高く評価した」よりも「99.8%の人が高く評価した」のほうが宣伝効果が上がるなど。
誰にでも当てはまるような曖昧な評価を自分によく当てはまっていると感じてしまう現象。
何かを評価するときにその特徴的な部分に印象が引きずられてしまう現象。
たとえば「身体能力の優れた人は性格も優れているだろう」と思い込んでしまうなど。
たとえば選挙の事前予想で「B党が優勢」と報道されるとB党への票が増える。
たとえば「5000円」と「4980円」とでは後者のほうが実際以上に安く感じられる。
酒に酔うと異性が魅力的に見える現象。
ロボットやCGモデルなどの容貌が人に近づくほど気味が悪く感じられる現象。
あらかじめ聞かされた情報がそのあとに聞かされる情報に影響を与える現象。
たとえば車について雑談した後にしりとりをすると車に関する言葉を思い出しやすくなる。
サッカーのオフサイドの判定などに影響を与えていると言われる。
デパートの地下の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
その人の性格や特徴、職業まで思い出せるのに名前が思い出せない現象。
「誰かが通報するだろう」「周りの人も何もしていないから」「他人の目が気になる」などの心理の複合。
たとえば医師の期待を感じた患者が、実際にはそうではないのに「病気が良くなった」と報告してしまうなど。
悪い変化が起きていても、それがゆっくりとしたものだと、何もせず受け入れてしまう現象。
個々人は穏健であっても集団で協議を行うと極端な結論になってしまう現象。
積極的になりすぎるのがリスキーシフト、消極的になりすぎるのがコーシャスシフト。
何かのリストの内容を思い出すように言われたとき、手がかりを与えられたほうが逆に思い出しづらくなる現象。
共同作業を行うときに全体の人数が増えるほど一人一人が手抜きをしてしまう現象。
たとえば3人vs3人で綱引きをすると全力を出すのに、10人vs10人のときは無意識に力を抜いてしまう。
広瀬すずさんをdisったり、追い打ちをかけたりする意図は毛頭ないんだけれども。
近頃、謝罪をする際に「誤解を与えた」という表現を安易に使いすぎではなかろうか。誤解ではなく、発言の真意をしっかりくみ取った上で、それに腹が立ってるというケースも多々あると思うのだが。
「誤解を与えた」という表現は、「こちらの言い方が悪くて誤解を与えてしまったが、発言の真意はそこにはないのだ」という場合に限るべきだ。
そして「誤解を与えた」と言ったからには、発言の真意がどこにあったのか、きちんと説明してほしいところだ。
例えるなら「逆に」と冒頭に言ったものの、話の内容が全然逆になってない時のような、そんなあやふやな使い方が増えているのではないか。問題発言を謝罪するときはとりあえず「誤解」と言っておけ、みたいに。。。
ここまで書いてみて、「お世話になっております」という挨拶に「別に世話してねーよ」と返すような、そんな偏屈っぷりを自分に対して感じないこともない。
が、「誤解」という表現には、「私はそのような意図で話したのではない」という若干の自己弁護が混じっており、それは非常に鼻につくことがある。
※一生独身でいいと思っている男女のケースについては考えないものとする。
彼女がアラサーだけど、今は結婚したくない、するとしても他の子とする、と公言する男性が多くて辟易している。
そして彼女のほうも、今はこんなこと言ってるけど、そのうち結婚する気になってくれるかもしれないとか言うので、目を覚ませとビンタしたい気分である。
結婚する気のない彼氏に、20代後半~30代前半の貴重な時間を使ってしがみついたあげく、別れをつげられてその時にはもう取り返しのつかない年齡になっていた…みたいなケースをしょっちゅう聞く。弁護士になりたいという彼氏を20代から8年支え続けて、彼氏が合格したとたんに若い子と浮気して破局とかもうね。
女性は35歳から妊娠し辛くなるし、当然30を越えると次の彼氏を捕まえるのもまた苦労する。つまり30前後でつきあっている彼氏に、本当に人生をかける価値が有るのか見極める必要がある。
はっきり言う。1年以上つきあった彼女が30になろうとしているのに結婚や人生計画を曖昧にしている男はクズである。彼女の人生などどうでもいいのである。そのクズにあなたの人生をかけていいのか。いかんでしょ。
「最低5年は付き合ってからじゃないと~」「結婚する気はあるけどもう少し年収があがってから~」とか、今すぐハゲてほしい。
最低5年は付き合ってからじゃないと~って、恋愛のときめきが続くのは3年が限界だという説がある。彼女を見極めようと5年付き合ってる間になぜ自分が見限られる可能性を考えていないのか。見極めの期間なんて1年で充分。早く恋愛フェーズを終えて、世間を乗り越えていく上での戦友フェーズに移るべきである。こっちは長続きする。だいたい男だって年をとるのに、5年後のお前がまだ若い子と結婚できる可能性がどれほどあると思ってるんだというね。35歳の独身男性が5年後に結婚出来る確率は3%だからね。データで出とるからね。あと、男の精子も普通に年齡で衰えるからね。
もう少し年収が~のケースにしたってそう。お前らの言うとおり、女は年収で全てを判断するようなら、アラサーの貴重な時間を使ってお前とつきあっとりゃせんわ。今すぐしろ。苦労させるかもしれないが、助けてくれ、と言え。涙を流して喜ぶ。ダブルインカムになるのだ。生活は楽になるぞ。
とにかく男性には、今は考えられないと言い訳して逃げるなと言いたい。考えろ。考えた上で、「結婚はしたくないけど彼女としてはいいから別れない」と本気で思っているなら、数年後刺される覚悟をしろ。
そして女性には、今は考えられないと、つまりボクちんの気持ちが高まるのがあなたの人生よりだいじですーとか言っている男を見限る覚悟をしろ。決して「それでもいい!だって好きだから…」「その気になるまで待つよ!」とか言ってはならない。ゴリ押しで結婚したって、幸せにはなれない。あなたの人生を大切にしてほしい。