2015-07-06

ひどすぎる建築家擁護

http://concretism.hatenablog.com/entry/2015/07/04/230101

全部ほかの人が悪い、建築家はなんにも悪くないというだけのひどい記事

募集側の建築家、応募側の建築家とも、後者(コンセプト側)に寄ったもの解釈するのは当然といえ、3年もの月日を浪費した現在においてその判断を責めるのは酷である

応募側にとっては、問題があれば募集側が落とせばいいだけだから、どう解釈してもいいだろう。

でも期間や規模が大きければ、それだけコストは大きくなるのだからコスト重要性は高まる。どっちで解釈するかとはまったく別の問題だ。

さらにいえば、コンペの実施から現在まで、民主党から自民党への政権交代とそれに伴うアベノミクス実施日銀による大規模な金融緩和東京オリンピックの開催決定など大きな経済イベントが続けざまに、かつ国立競技場発注者である「国」の主導のもと起こっている。

そもそも経済はどうかわるかわからない、発注者の国にもいろいろな省庁があり、国立競技場のためだけに経済政策を変えるなんてばかげたことができるわけがないことを考えれば、発注者である国が主導することとの関係を強調すること自体が異常だ。

そもそもオリンピックは決定していないにしても、それにむけての新国立競技場という側面もあったはず。

オリンピック招致にむけて新国立競技場をつくるが、オリンピック開催決定は想定していませんなんていいわけが通用するものか。

国は特に民間発注者支援業務を要請することもなく、施工者が参加しない詳細設計業務を先行させたり、技術提案のみで施工業者を決めた上での随意契約へ持っていこうとするなど、建設抑制に対する適切な対応が取れていない。これらについて、当然ながらコンペ当時の関係者責任はない。

これはそのとおり。

極めつけはこれ

ザハ、安藤忠雄の両者をはじめとする当時のコンペ関係者は、閉塞感が漂っていた当時の日本特にコンクリートから人へ」を掲げた民主党政権下における建設建築関係者鬱屈した気分を晴らすというその責を十分に果たしており、ここまで述べてきた論理的な部分のみならず、感情的にも彼らを咎めるようなことは、この世界でメシを食ってる人間として、できようはずもない。

身内が鬱憤を払うために税金を湯水のごとく浪費することを肯定している、建築業界の人でもここまでひどいのはほとんどいないと信じたいが、もし多くがこんな意見ならば、日本建築業界は滅んでほしい。

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