はてなキーワード: 関西とは
元増田だが、関東人のために解説すると、このボケ突っ込みは元増田へのネイティブチェック&意見表示だ。
「バカ/アホ」の用法が関東・関西で異なるというのは、有名なネタであり、この話者は自分が関東圏の人間であることを「過剰に」強調している。おそらくネイティブ関東人ならこの一文に「バカ」をつける必要はないと感じられるだろう。なぜか? ネイティブ関東人にとっては「関西人」と呼ぶこと自体にナチュラルに侮蔑の意がこもるからである。「なに関西人がイキってんの」だけで充分すぎる侮蔑である、と関東人は思う。ちなみに、この侮蔑のニュアンスは関西人には理解しがたい(自分の出身地域に対して原則引け目を感じることがないから)。しかしたとえば関東で「東北かよ」みたいに言われることにどういう意味があるかを想像すれば、関東人でない人間を関東人が○○地方の人と呼ぶこと自体に、どのくらいのニュアンスがあるかは想像できるかと思う。おそらくこの書き手はそれも踏まえた上で「過剰に」関東人を演じてみせた、とここから推測される。
「道頓堀」というやけに具体的な地名をあげることで、話者はむしろその地域を具体的にイメージしている、と伝えてしまっているが、それがこの文の仕掛けである。相手を「田舎」と非難する場合、やけに詳しい内容を言うことは本当はおかしいわけで、この発言は、一見元増田を非難している風に見せかけながら、この書き込みが「ボケ」であることを雄弁に物語っている。突っ込んでいる風に見せながらボケているわけだ。つまり、自分を「落とし」ながら、何か別のことを伝えようとしている、ということが伝わる。
これは、関西人同士なら基本に属する軽いジャブのやりとりだが、この解説で、「喧嘩しているようにしか見えない」と言われる関西ネイティブの会話の内実の一端を、関東の方にも感じとっていただけたことと思う。この増田は、このボケ突っ込みを「本当に元増田が関西ネイティブだったら受けきれるはず」と信頼した上で、「こんな話を丁寧にしてもおそらく伝わらないから、さっさと店じまいした方がいいよ」という意見を、自分を「アホ」に仕立てながら(配慮)やんわりと元増田に伝えてくれているのである。関西ネイティブの同士である増田には、せっかく関西人らしいハイコンテクストなやり方でご意見をいただいたのに、それを全部ネタバラシするようなことをして誠に申し訳ない。が、それがあまりにも面白かったのでついつい解説してしまった。今は反省している。
アメリカでは「文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館のキモノ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体が差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムをテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代に存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人が着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。
(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)
だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東圏言語話者による恣意的な方言使用」である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉は標準語で訳されるが、農夫の言葉は東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方を舞台にしたドラマで登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方の言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアルに使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。
たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける「関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHKの朝ドラ(関西弁指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である。
そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎「細雪」。戦前の作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブと結婚して緻密にその文化、所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典の時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHKの朝ドラ等の会話が、いかに醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。
NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西に配慮しているつもりなのか。関西は東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あんな関西人おらへんねん。ほんまに。
関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルでナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョークで構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス、疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分の意志を相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブは一見感情豊かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレートな物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味の自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。
真顔で、正論を、熱弁するヒロイン! これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出が朝ドラのスタンダード」という歪んだ認知をもつことでスルーしていることを、NHK関係者は理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言や文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨な結論を生んでしまうのだ。
いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である。
国内最メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化にカジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的に国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパン」の現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たちは自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。
「文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たちは自分たちのオリジナルな文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化に接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアルな感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流もスムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクションが制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ)
備忘録程度に
一般に、日本社会学において査読論文は重視されます。特に、若手にとって査読論文を出すことは研究業績を重ねる上で、非常に重要であると考えられています。
ただ、以下の三点が一般的な「アカデミア」のイメージとずれているため、わかりにくいところかなと思います。
日本社会学においては雑誌の格が明確に決まっておらず、これがIFやh-indexで論文の格がある程度自動的に決定される理系(+経済学)と違うところです。
たとえば、おそらく日本社会学で一番格が高い雑誌は日本社会学会が発行する『社会学評論』でしょうが、これに掲載が決まったからと言って、マーケットにおいてダントツに評価が高くなるということは無いですし、掲載率も25%程度とそこそこ高いです。
一方、関東社会学会が発行する『年報社会学論集』や関西社会学会が発行する『フォーラム現代社会学』なども掲載率は同程度ですし、評価もされると思われます。つまり査読論文の質がジャーナルの格によって決定される、という仕組みが弱いです。これは社会学の領域の多様性+手法の多様性+後述する国際意識の弱さに起因していると思われます。
また、『思想』『現代思想』といった一部商業雑誌や、『ソシオロジ』『ソシオロゴス』といった同人誌に近い形態を取る査読雑誌が、ある程度の評価を受けているという点も特殊かな。
依頼論文が査読論文より偉いというのはまず無いと思いますが、一方で依頼論文が評価されないということもないです。一般に依頼論文は査読論文と同程度の評価を受けているかと思われます。
エライ社会学者ほど査読論文を書きたがらない、というのは事実です。というのも、彼らは自分の考えたことを本にしてまとめてしまうからですね。
ではなぜ本にしてしまうのかというと、査読を受けたがらないというのも確かにあるのですが、概ね①社会学ギョーカイは一定程度の市場があり、エライ教授がまとめた(キャッチーor教科書になる)本は出版社としても出したがる傾向が依然としてある②査読プロセスが長い(半年-2年)ため、自分の考えをとっとと出せる本のほうが魅力的③先述した社会学の領域の多様性+手法の多様性により、査読による集合知が先駆的研究の場合働きにくい場合があるという点のほうが大きいかなと思います。
特に特殊なのは①ですね。この日本社会学の市場の大きさが与えたアカデミズムへの影響は、無視できないと思います。
日本社会学がどちらかというと内向きな傾向にあることは否定出来ないと思います。比較的国際化が進んでいるのは計量分析が盛んであり、アメリカ社会学と親和性が強い家族・人口・ネットワーク社会学の一部と、伝統的に留学風潮の強い学説史・理論でしょうか。とはいえ後者はいわゆる「国際化」とはずれてますが。いずれにせよこれら以外の領域では、英仏独語で論文を書くという行為はあまり一般的ではないです。
ではなぜ内向きなのかというと、前述したように社会学が比較的まだ「売れる」学問だから、というのが大きいように思います。つまり国内マーケットの中で、研究にせよ知名度にせよ院生にせよある程度獲得できてしまうという現状が、外に目を向けない元凶かなと。
もちろん社会学という学問が、もともと世界的な共有知を探求するというよりも、個別特殊的事例や、異なる側面からの理論体系を構築する研究を好む傾向があるということも大きいでしょう。
ただ、国際化されてないからと言って国際化が評価されていないかというとそういうことはなく、IFを持つ海外査読誌に論文が載ることは、希少故に非常に意義があるものとして認められています。
上記したように、社会学においては論文の格は雑誌によって決定されず、査読論文と依頼論文の区別は曖昧であり、内向き志向である。とすれば一体研究者評価はどのようになされているのでしょうか?
この問に答えるのは容易ではないですが、平均的な回答をしておきます。
まず重要なのはこれで、博論で単著が出せるか、出したあと評価されるかは、研究者個人の評価に決定的な影響を及ぼします。
一部大学院で未だに課程博士をなかなか出したがらないのは、これも影響しています。つまり単著で出せるような博論でないと、そもそも就職が覚束ないという考えなんですね。
査読論文の格が特に決まってないとはいえ、査読論文が重要な評価対象とみなされているということは、先述したとおりです。ですので、いきおい査読論文の数は、若手研究者の就職にあたって非常に重要です。いくら良い博論を単著で刊行できたとしても、査読論文がない研究者が就職することは(比較的)難しいでしょう。
ではどのくらい必要なのかということですが、だいたい就職までに3~4本(紀要除く)書いているのが一般的なようです。
なお、海外著名ジャーナルや『社会学評論』に載っていると、当然その分評価されますが、評価が格段に良くなるということは無いように思います。これが「格がない」という言葉の事実であります。
どういうことかというと、結局いくら査読論文が重要とはいえ、それ以外の仕事というのも社会学では評価の対象となります。つまりムラのネットワークの中で、いかに仕事(ブックチャプターや非常勤講師など)を貰えるかが、結果的に研究者評価において非常に重要なファクターとなるんですね。コネで採用されるというのはほぼなくなったと思いますが、未だに特定の大学の院生が比較的就職しやすいのは、あるネットワークに所属していると、比較的研究業績を増やしやすいということもあると思います。こうした状況の中で若手研究者は業績を稼ぐために媚びへつらい、顔を売り、己が付き合っていて気持ちがいい人間であることをアピールするために、愛想笑いを浮かべながら査読論文の抜き刷りを配り歩くのです。
とはいえ、これは一般的な「社会」でも一緒ですからなんとも言えないですね。とかくこの世は世知辛い…アカデミアがコミュ障の楽園だと思っていたら、実はベンチャー企業の営業と類似のスキルが必要であることを痛感するのは、博士課程進学後になってからなのです。
ちなみに一部の大学ではこうした制度を公的に備えているところもありますが、これは先述したネットワークが発達した大学への対抗実践として見ることもできるでしょう。
なお社会学ムラ内でのふるまいのコードは、一般的な民間企業とも、いわゆる「アカデミア」の無縫さとも異なる独自の体系があるのですが、それは省略
東京以外の都会で考えてみればいいじゃん。
横浜とか東京ではない文化もあるけど東京が必要ならすぐ出られる。
ここ最近、ポリコレがどうの男女差別がどうのとよく言われているけども、そんなに若い女の子が頷き役で添え物になってるテレビ番組って多いかなあ…と考えてみると、それらの番組はたいてい東京のキー局の番組なのだった。
完全な印象論でしかないけど、関西のローカル番組って「へー!そうなんですか!?」「えっ!?すごーい!!」「おいしそー!!」っていう役は関西ジャニーズJrや若手の(時にはベテランの)芸人さんが担ってるんですよね。
可愛い若いだけの女の子ってさほど需要ないんですよ。可愛い若い女の子が来ると、「えっ普通の感想やな」「はーよろしいなあ可愛い女の子はそんなコメントでギャラもらえて」みたいな反応されることもあったりして、なにかもうひとつ求められる。そもそも美しいモデルさんや女優さんは関西にはいない。
実際、実力を認められた若い女の子や女性アナウンサーは結婚しようが子供を産もうが普通に産休育休をとって戻ってきており、それでレギュラーを去ることも非常に少ない気がする。お天気お姉さんが産休とっているケースもある。そして年をとったからといって退職もしていない。ちなみに「おもろい女の子」の需要が他の地域よりはあるので、女性芸人さんも普通にモテるし結婚してる傾向にある。
関西のテレビ番組って、ひょっとして一番テレビを視てる層である関西のおばちゃんの声がすごくデカいんかなあと思う。そもそも関西テレビ界の女帝として上沼恵美子がいて、すぐ下にハイヒールがいて、やすとも、なるみちゃんがいるわけで。
つまり関西でテレビを視聴する分にはそんなに男女差別を気にする必要ないんですよね。だからポリコレ棒で殴るべきは東京のおっさんだと思うんですよ。
昨日退職して、しばらく暇なのである程度長いエンターテーメントが見たい。
好きなやつを羅列するから、これも好きならこれも好きなはず!みたいなのがあったら教えてくれないか
図々しいけど
★好きな漫画
・げんしけん(5年生とかジゴプリも好き
・かげきしょうじょ
★好きなアニメ
・血界戦線
★好きなゲーム
・俺の屍を超えていけ
・アンダーテイル
▼追記しました---------------------------------
全然聞いたことないこれから見る予定が無いやつがあってワクワクしている。
出してもらったやつで、やったことあるのはだいたい私が大好きなやつだったので
皆見る目がありますね。
すまん、こういうのダメだったのか。以後気を付ける。
アマプラで見れるようだったので今見てます。「銀河英雄伝説 Die Neue These」
戦争物ってあんまり見ないので新鮮で面白い。時代がかったセリフ回しがよいね。
めっちゃ好き。システムとストーリー世界観がマッチしてるゲームが好きなんですよね。
これが好きならアトリエシリーズが好きなのでは?私がすきなエスカ&ロジーのアトリエをお勧めする。
まさにイクニラインは追って行っていて、ピングドラムは好きだけど思うところあり、ユリ熊は普通に好き、さらざんまいに期待という感じ
細田はサマーウォーズは劇場で三回見た、おおかみこどもはまあ好き、ばけもののこは落ち着けって思った。ミライは見る気がない。
出崎統はあんまり意識してなかった。キルラキルとかの演出してる人なんだね。これから意識しておく。
>嫌いなやつだせ
嫌いなやつなんか覚えてないよ…
強いて言うならグロいやつかな。多重人格探偵サイコとか古屋兎丸はいけるくらいのグロ苦手
おお、それがあった。ただ、四畳半神話体系は行けたけど、夜は短し歩けよ乙女はいまいちだった。
湯浅政明が好きってわけじゃないのかなあ。でもまだわからないから見るね。
ぐうの音も出ない
>蟲師
読んだことあったけど、コメントがあったから今日読んでる。やっぱおもしれえわ。
旅する一話完結ものいいよね。キノの旅とかもそうだけど、絶望の話と希望の話がごった返してる感がよい。
>小説
本好きの下剋上気になってた。
>おススメを語ってる人はいっぱいる…
確かに。そういうのも見てるけど、誰かにおススメされたかってん。さみしかってん。
ガラカメとか、かげきしょうじょを出してるので分かる人は分かると思うんだけど
舞台ものが好きなんですよね。ちょっと違うけど累とかボールルームへようこそとかも好き。
>ガンダム
>神戸在住
(同じ作者の)巨娘がすごく好きだったんですよね。
木尾士目的なのか…。
本当!?私この人好きかな!?ロボものはガンパレしか上げてなかったと思うけど
三国志とか、西遊記、水滸伝、封神演義は読んだ(訳されてるやつ)
★書いてなかったけどやって(見てて)て好きなやつ
ハルヒ・ポプテピ・この世界の片隅に・蟲師・スポフラ・ローゼンメイデン・キルラキル
昭和元禄落語心中・ペルソナ5・鬼滅の刃・ガンスリンガーガール・プラネテス・NEWGAME
攻殻機動隊(押尾より神山作品好き。009も東のエデンも好き。もっと活躍してほしい)
パプリカ(今敏もすき。妄想代理人>パーフェクトブルー>パプリカ>ゴットファーザーズ>千年女優くらいの感じで)
シリアルエクスペリメンツレイン(いいよね。ゲームがやりたいけど出回ってないんだよなあ)
押見修造作品(ほとんど読んでると思うけど、血の轍は読んでなかった!)
逆転裁判1(普通に好きなんだけど2~はやってないのでやろう)
プリティーリズム(RLからキンプリキンプラは見た。押しはベル様)
映像研には手を出すな!(ものを作る仕事だったので泣きそうになった)
動物のお医者さん(佐々木倫子作品は全部好き。HEAVEN?が一番好き)
いくえみ綾(あなたのことはそれほど、とかおやすみカラス好き!)
森見登美彦とそのメディア派生作品(ペンギン・ハイウェイが…たまりませんでした…)
★やったけど途中で投げ出したやつ
はたらく細胞(頭が悪くてついていけなかった)
善人シボウデス(3Dがいちいち動くのでテンポがしんどかった…)
スプラトゥーン(ゲーム好きだけど、人とやるゲーム苦手なんだ)
★興味あったけどやって(見て)なかったからやりたいやつ
Civilization(絶対好き。AoEとか好きだったな。シュミレーションは時間を溶かすよね)Portal
428、シュタインズゲート、life is strenge、GRAVITY DAZE(すごく興味があるんだけど多分酔う)
タクティクスオウガ(SRPG好きなんで絶対好き。)ペルソナ4ゴールデン、銀河英雄伝
市川春子(宝石の国のアニメはみた)、吉田秋生、テレプシコーラ、吉野朔実作品、岡崎京子、岡崎まり、氷室冴子、夏目友人帳
フリクリ、ヒストリエ、 解体屋ゲン、カイジ、キングダム、寄生獣
重版出来、電脳コイル、レヴュースタァライト、アクタージュ、サイコパス、コードギアス
★全く知らんかった絶対好き、やり(見)たい!
5等分の花嫁、ダンスダンスダンスール、昴と絢爛たるグランドセーヌ、ランドリオール、
多すぎないか?
「日本の昔の首都は奈良なんだから日本人なら奈良に詳しくなれ」
とよく言われて育ってきた。
俺はそのことになんの疑問も持ってこなかったし、日本人だし当然のことだと思ってる。
ちなみに生まれも育ちも奈良だし関西だ。むしろ関西から二十歳になるまで出たこともない。
休日によく奈良県内へ連れて行ってもらい、近鉄沿線や駅名、道の駅、奈良健康ランド、谷瀬の吊り橋、昔そごうがあった場所、せんとくんは当然ながら、ピンクルというゆるキャラがいることまで、奈良の隅々まで教えてもらった。
もし母親に教わってこなかったとしても、当然日本人として自分から奈良の勉強はしていただろう。
就職は奈良県内でしたが、同僚に奈良のことを全然知らない人が多くて驚愕した。頭の悪そうな若者がピンクのプーマのジャージを着て徘徊することをやたら気にしてた。それでも人数比率に対する、東大京大合格率ナンバーワンの県だ。
学生時代友達とそんな話をしたことがなかったから気付かなかったが、これが現状とは。
有名な観光地くらいしか知らず、南北朝時代の天皇の名前や京終や帯解の駅名を読めないものや、マント君というゆるキャラすら知らない者もいた。近畿地方の地図を書かせたら奈良が無いこともある。
たまたま職場の人が教養のない者ばかりだったのだと信じたいが。
この記事を見て胸に刺さった人。
ラジオの交通情報や電光表示板も交差点ベースだからなあ。最初はさっぱりわからんかった。もともと関西出身なのもあって道と道で覚えるほうが性に合ってたのはある。「烏丸四条西入ル」みたいな。東京に応用すると環状+国道の蜘蛛の巣メッシュだったんだ。東京ではほんとこの覚え方は通じないね(笑)
はてな は御池(通り)間野町(通り)東入ル、だが、主要大通りだけでいけば烏丸御池東入ル、でもだいたい文字だけで位置はつかめる。
冷静に考えて東京の少子高齢化の速度やばすぎる。最近やたらめったらビルやマンション立ててるけど東京人はそれが将来もたらす影響について考える頭を持ってないのか?
関西の都市計画は観光による実需に基づいてるけど東京の計画はあまりにも投機的ではないか?
私は、運動嫌いでも動くことになる趣味を探した結果、美術館巡りにたどり着いて、
関西在住の身として京都国立博物館、奈良国立博物館、兵庫県立美術館、国立新美術館、神戸市立美術館、京都市立美術館、天保山ミュージアム、東洋陶磁美術館、堺市ミュシャに、
寺社仏閣の特別拝観などなど手当たり次第に見に行って、結果一日の平均歩数が1万歩を超えることができています。
さて、個人的には昨年、京都国立博物館120周年記念で行われた「特別展覧会 国宝」が、展示替えのたびに拝見させていただいたほどよかったのですが、
その開催と、展示替えに合わせて行われたニコ生が同じようによかったのです。
(多くの博物館、美術館、個人所蔵の品などを集めて行われたためか、視聴期間が会期と同じで、現在期限切れとなっています。)
その道の専門家が、目を輝かせながら担当範囲の魅力を思う存分語ろうとするものの、
時間不足で押され、先輩の圧で揉まれながらねじ込んだ結果大幅に時間が過ぎる、
映像はテレビと比べたら荒いけれど、それは実物を見ればいいわけで、現地で貸し出される音声解説をはるかに超える深い話、
なつやすみ子供科学相談のようにさらっと、今の研究ではそうなっているんですがと言い出したりするのを聴けるすごい番組だったわけです。
そして今年は、「京のかたな」が開催されます。今週末、9月29日からです。
こちらも今までになかった刀に集中した展覧会で、かなりの国宝、重文、作刀が少なく格を定められていないだけの希少で優れたな作品などがたくさん出展されます。
現在は、6月に行われた展示予定の記者発表のニコ生がアーカイブで残っていますが、
この時点でもどの時代のだれの作品がなぜ重要で、どのように技術がつながって、どの博物館から集めたのかが語られていて、
すでにわくわくしながら前売り券を二枚準備しています。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv313659246
【出品刀剣 発表】京都国立博物館 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」記者発表会 生中継
当時はまだ固まっていませんでしたが、現在は公式ホームページに、展示替えの時期を含めて掲載されています。
ここまでは前段、京都博物館の皆様ありがとうございますというPRですので、読み飛ばしてもらって結構です。
解説のようなことも書いていますが、全て素人目線、ただの高卒おっさんの感想を書いているだけですので、
的外れなことが書かれていた場合は突っ込みを頂けるとありがたいです。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296737289
みんなで巡ろう「ミュシャ」展 【niconico×国立新美術館】
ミュシャさんのお名前が、日本一有名な錬金術師兄弟の弟にも使われているアルフォンスで、それきっかけで私は見に行きました。
アルフォンス・ミュシャで検索してみてください。絶対に見たことがある絵があるはずです。
多くの方に影響を与えていて、初期はポスター、舞台衣装と多くのデザインをされた方で、
北斎漫画が動きを抽象化して書いていたように、草木を抽象化してデザインに取り入れていて、
抽象化がうまかったのは、当時のポスターも浮世絵も複数人により量産される作品だったからかもしれないと思っています。
そして、生涯最後の大作「スラブ叙事詩」が世界初チェコ国外に出ると話題になったのが今回のニコ生の展覧会ですが、
日本が最初に選ばれた理由の1割くらいは、ミュシャ作品の世界一の所蔵数が土居君雄さんが寄贈したミュシャ美術館で、
多くの作品を丁寧に保管されてきたことで文化功労章をもらったことも影響していると思います。
こちらは500円で入館できるので、JR大阪駅からでも、先日何とか復旧した関西国際空港からでも、関空快速で乗り換えなしで約40分、堺市駅に直結ですので、ぜひお立ち寄りを。
(スペースが小さいので、展示内容は時期により異なります。季節ごとくらいのペースで展示替えあり。現在は挿絵中心の展示ですが、白い象の伝説は絶版なのが惜しいほどに美しいんですがkindleで完全収録されているようです。未見)
スラブ叙事詩はヴェレトゥルジュニー宮殿にあるので、プラハ城の聖ヴィート大聖堂のステンドグラスと一緒にチェコに見に行きましょう。写真はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
https://www.travel.co.jp/guide/article/17165/
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296734542
みんなで巡ろう「海北友松」展 【niconico×京都国立博物館】
カッコイイ龍が見たいなら、とにかく見てください。
龍が嫌いな男の子はまずいないと思うのですが、
わざと暗くした部屋で闇夜に浮かぶように見せるなど、
どうすれば一番格好よく見せられるのかを追及した展示で、
たらふくかっこいい龍をたくさん見られます。
最高傑作の一つは建仁寺にあった本坊大方丈障壁画の雲龍図(京博所蔵)ですが、
同じかそれ以上にと学芸員の方が絶賛している「月下渓流図屏風」が日本に帰ってきたのもすごいこと。
アメリカ・ミズーリ州のネルソン・アトキンス美術館所蔵ですので、次に日本でみられるのはいつになるか。
最後の最後の展示がこの図屏風で、思わず立ち止まって10分は呆けていました。
そのあともう一度龍を見に行ったんですが。
雲竜図は大きすぎてなかなか展示できないようですが京博所蔵ですので、他の方の龍との比較など、国内の他の企画展で展示される機会があるかもしれませんし、
迫力は万分の一ですが、高精細複製画像がWebで見られます。実物大の複製でしたら、建仁寺に展示されています。
Canonさんはほかにもいくつかこの事業をされていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/08.html
東京は実物見れてないのが多いのと、力尽きたので以下は気が向いたときに。
タイトルで検索すれば、プレミアムなら今でもご覧いただけますので。500円でも十分元は取れるはず。
東京国立博物館 特別展「名作誕生―つながる日本美術」を巡ろう ...
東京都美術館「プーシキン美術館展――旅するフランス風景画」を巡ろう 【niconico美術特集】
国立西洋美術館「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展を研究員たちが自由奔放に語り尽くす生放送【niconico美術特集】
横山大観 大作「生々流転」日本一長い画巻40.7mノーカット放送 ~東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展より~【niconico美術特集】
京都国立博物館 「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」を巡ろう
葛井寺の秘仏・国宝「千手観音菩薩坐像」と対話する24時間放送 ~ 東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」より~
特別展「深海2017~最深研究でせまる“生命”と“地球”~」を巡ろう~解説生放送
【niconico×大兵馬俑展】みんなで巡ろう大兵馬俑展 解説付き
新発見があったパブロ・ピカソ『海辺の母子像』だけど何か質問ある?【ポーラ美術館】
世界遺産・国立西洋美術館を巡ろう! ~無限成長美術館とル・コルビュジエの夢~