はてなキーワード: 酷評とは
プレゼンターは鯖の良い側面ばかり紹介するけれども、悪い側面・苦手な側面にまで言及しているプレゼンが少ない気がする。
苦手な面について語ると鯖dis扱いされるリスクもあるので書きたくない気持ちもわかるけど、
きちんと苦手要素についても語らないとあなたのプレゼンを見て鯖を取った人が後で後悔しますよ?と思ってしまう。
さらに添えるならコスパ面について語っていないプレゼンも多すぎると思う。
プレゼンで書かれている通りにスキルマすれば強いけれども、そのためには骨を216本捧げなければならないとかはザラ。
時間と資金が無限にあるなら無限に周回して骨を集めるかもしれないけれども、そんなことは不可能なので…育成の手間についても書いてくれませんかね?
追伸:
色々なプレゼンで「0点」「レアプリ」「絶対取っちゃダメ」と酷評されるフィンさん。
彼がdisられる理由には、スキルマしないと避けるか当たるか不明な女難のタゲ取りがあると思う。
確実に回避して敵の攻撃を凌ぐなら壁として使えるし、確実に攻撃が命中するなら戦闘不能になって控えのメンバーに戦線を託す事も出来るのだけれども
かれこれ、艦これを4年近く続けている。
ランキングに載るための周回なんてやってられないと思ってるし、遠征だって1日13回やらないことだってザラにある。
嫁艦と呼べるほど好きな艦娘もいないので、指輪も使わずじまい。
そんなこんなしていたので、最初の内はイベントでは甲勲章を取っていたが、
今回のイベントもキツいと言われたE-4とE-7は難易度乙でクリアしたが、それ以外は甲でクリア出来た。
久々に楽しめたイベントだった。
一つ楽しめなかった部分と言えば。
勿論フォロワーやフォローしている人にも艦これをプレイしている人がいるわけだが、
その中でイベントの際にしか艦これにログインしなくなっている人が何人か存在している。
普段は艦これの事を喋らず、イベントの新艦目当てで参加するわけだが、
その人達は、漏れなく、イベントに対するヘイト・ツイートをしまくるのだ。
曰く、PTがクソ。
曰く、ギミックがクソ。
この辺はまだ分かる。私だってめんどくさいと思ったことがなんどあった事か。
だが次第に。
曰く、勝てないからクソ。
そして攻略をやめて、「今回のイベントもクソだった」という評価をする。
これが前回もあった。前々回も。
なぜこの人達は、イベントの前に準備しないで攻略できると思っているのか。
だがこの人達は、過去に何度もイベントだけは参加してきた人達だ。
艦娘が足りなくなることは前回のイベントでわかっていた。ならば使ってない艦娘のレベルを上げて使えるようにしてやればいい。
勝てないなら装備や編成を見直さなければならないだろう。
資源が足りないなら、最低限遠征を回さなければ。連合艦隊や基地航空、支援部隊など、イベントは消耗が激しくなるし、堀を考えると、余計に資源の確保が必要になる。
私もめんどくさいと先に述べた、輸送作戦や対PTだって、大発を装備できる艦娘を増やすなり、装備改修で命中を上げることだってできるのだ。
分かりきっていることなのに、彼らはやらない。
そして次のイベントを待つ。なにもしないで。
漠然と次のイベントもクソなんだろうなと思いながら、なにもしないで待つのだ。
はたしてクリックしているだけで自分の目的が達成されるものを、ゲームと呼べるのだろうか。
パンチボタンを押しているだけでベガを倒してしまうスト2を、彼らは神ゲーと評するのだろうか。
だが、彼らの、努力をせず、うまくいかないからゲームそのものを酷評するスタンスは、
そんなゲームを真面目にやっている私たちを、どこか馬鹿にしているようにしか感じられない。
だが、その前に。
クソゲーと叫んでいいのは、万全の準備をした上で、無駄な時間と労力を払い、もしかしたら課金したかもしれない、艦これを楽しもうとした我々だけなのだ。
そんな事を感じた、夏イベントでした。
酷評されていますね!「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
これだけの製作陣が集まって、何よりあの伝説の映画のアニメ化ということで、どこをどうするとこんなに酷いレビューになるのかと興味を持って観に行きました。
この記事のスタンスとしては、この映画は誰にでも勧められるわけではないけど、ここまで酷評されていると「観に行くべき人」が行かなくなるのは可哀想だなあ、、という曖昧な感じで書いています。
観る前「どうせ脚本の大根仁氏がわかりやすく書きすぎて、薄っぺらい映画になったに違いない」
↓ ↓ ↓
観た後「なんだこれは、、、微妙なところ付いてきたな。。。」
でした。
(ちなみに、それらを踏まえた上での「正しい見方」は後半にあります。)
映画レビューサイトなどは匿名ということもあり責任が無いため極端なレビューや部分的なレビューが多い感じがしました。
そこでYoutuberの皆様による参考レビューを見てみたところ、年代やレビュアーの特徴も出ていて面白かったので、まとめました。
映画の良し悪しに関わらず、どういう種類の人が、どういうことを言っているのか、というのは参考になりました!
https://www.youtube.com/watch?v=ImsZEy_5Q0U
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・その他
・総評
https://www.youtube.com/watch?v=h_TvQse51E4
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・ストーリーについて
https://www.youtube.com/watch?v=8L3zGz5O7-E
・レビュアーについて
・総評
・絵について
・音楽について
・ストーリーなど
・声優について
さて、、、、
そんなわけで「正しい見方」、、、
少し長いです、、、
を求めている人はいないわけです。
さて、原作とこのアニメ映画の関係ですが、意外にも大根仁氏は原作をベースにしながら独自の解釈で、魅力を増幅させようと脚本を書いたようです。
結果的に、
という作品となりました。
タイムリープの展開をより哲学的な形にまとめあげたりしています。
そんなわけで、岩井俊二の世界観が理解できない、好きではない人にとっては、
単なる「よく分からない話」で終わるのかもしれません。
プロモーションが「君の名は」を想像させたんでしょうねえ、、、
という前向きに捉える人ももちろんいるでしょう。
それにしても大衆向けという意味では「打ち上げ花火〜」はちょっと難しすぎたのかもしれません。
そんなわけでプロモーションの失敗ということは確実に言えそうです。
原作ではタイムリープは1回でした。あのとき違う行動をしていたら未来は変わっていた、という2つのストーリーを描いた映画です。
このアニメではタイムリープは何回も行われます(4回だったかな?)。タイムリープするための石という新たなアイテムも出てきます。
石のアイテムの効果で、現実感を薄くさせてしまって想像の世界という感じがもちろん強くなりました。
そのため、原作が好きな人にとってはちょっと不満はあるでしょう。
ただ、これによってアニメが好きな層にアプローチできると思って新たなストーリーを作ったのでしょう。
結果的にはそれでも良く分からなかったということで、アニメ好き層には響かなかったような感じがします。
原作では、完全に2つの世界があって、それらは別々でした。ただ、観客はその2つの世界を客観的に見ることによって、ノスタルジーや非現実感を感じて楽しむのが「打ち上げ花火〜」の醍醐味です。
のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。
(この辺りが、若年層には全く伝わっていないっぽい、、、、)
詳しくないのでわかりません。
ただ、声優は別に違和感は無いです(あまり期待していないというのもある)
詳しくないのでわかりません。
あと「君の名は」もそうですし、横田守細田守氏、ジブリ系のものと比べても書き込まれていない部分が目立つのはその通りと思います。
→岩井俊二氏が描きたかった人間を全然理解できていないというか、世代の違いなんでしょうか、、、
人って素直になれない時は変なこと言っちゃうっていう、そいいうことが理解されない時代になったんでしょうか、、、
→ある程度、知見を持った人が映画作ってるわけなんで、理解しようという視点も必要なんじゃないかなんて老婆心的に思います、、、
→この映画は恋愛は真ん中に置いてあるけど主題では無くて、子供の頃の気持ちとかノスタルジーが主題なんだと思うんですが、、、
「原作が好きな人が、原作をすっぽり忘れて観に行くと、爽やかな夏の午後のような気持ちになれる」
(どっちやねん!)
大衆的ヒットが得意な大根仁氏を擁立しながら、なぜこうなった、という話について少し言及を。
https://www.youtube.com/watch?v=4TeLnGkyCL0
この中で、原作・脚本・監督を一貫して行う理由を聞かれた岩井俊二氏は、こんなことを語っています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
この本のあとがきで、岩井俊二氏自身がこんなことを書いています。
こういうことを踏まえると、大根仁氏は依頼が来た時に単純なリメイクや大衆受けする脚本ではなく、
そこに新しい世界を作りつつ原作を超える、新しい作品となるような脚本を作ること目指したのではないかと思われます。
(完全な推測)
小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずなの事が好きだった。しかしなずなの両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずなは、プールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介か? 典道か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/打ち上げ花火、下から見るか%3F_横から見るか%3F
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
(未確認)
ストーリーがわかりにくいし、ネット上で酷評されているのもわからなくないけど、個人的にはこう解釈しながら見たらめっちゃ楽しめた。
以下、ネタバレ。
冒頭の主役二人が水着を着て水の中に沈んでいくシーン。
以降の本編とは完全に世界線が切れていて、宙に浮いている。ラストに水着姿でプールで泳いでいたのは、岩井俊二版のドラマの方だし。
この「心中」にも見える描写がもともとの世界線で、この映画自体が死の間際に二人が見ている走馬灯の世界、「もしも」の世界なんじゃないかとも思える。
まどマギの新房監督が手掛けているんだし、こう解釈してもおかしくはないと思う。
海で死んでいるなずなの父親の手に握られていたシーンからして、誰かが死ぬときに「もしも玉」が生み出され、世界をやり直すような、いわば魔女化させる力が生まれる…のかもしれない。
海の上を電車が走った後、もともと乗ってきた駅に戻ってきて、電柱をはじめとした世界が歪んでいたシーンは明らかにまどマギの魔女の世界そのもの(イヌカレー演出?)。
隣の駅にたどり着くことはなく延々と地元に閉じ込められてしまうのは子どもの行動範囲の限界ともいえるし、魔女の世界の再現にも見える。
じゃあ、もしも玉=ソウルジェム(グリーフシード)を作り出した魔女は…って考えると、なずななんだろうな。
最後になずなが消える際の「次はまたどんな世界で会えるかな?」というセリフは、「またこの1日を一緒にやり直そうね」という魔女からの愛のささやきであり、もはやホラー。
引っ越したくないなずなが生み出した「もしも」の世界に典道は囚われてしまい、夏休みが終わっても学校に来ることもなく、典道はなずなと一緒に延々と1日を繰り返している。
…というのが、この短期間に2回も見た自分なりの解釈。この背景を想像しながら、二人の会話を聴いていると、なかなか面白い。
最初に見たときはなんとなくまどマギっぽさは感じられたぐらいだけど、見直したらガチだった。
まぁ、わかりにくいよね。
シャフトのファンが求めるようなアニメらしい過剰ともいえる演技の代わりに映画的な控えめの演技が用意されていること
邦画ファンにはシャフトの肉感的な描写や世界観描写がオタク的すぎて拒否感があること
君の名は。を期待する人たちにとって岩井俊二の描いたキャラクターやストーリーが暗く重い、あるいは痛々しさを感じすぎてしまうこと
かといってチグハグなつくりの映画というわけではなく、きちんとまとまりのある作品だったと私は思います
物語の改変部分も、原作を知っている身からするとギョッとする部分もありましたが、アニメで表現するならばこうするべきといった解に辿り着いているような確からしさを感じさせるものでした
雰囲気があって好ましい
20年前、KinKiは尋常じゃないくらいテレビに出ていた。月曜は負けたらアカン!というくだらない対決番組の司会で、ダウンタウンの松っちゃんにも酷評されていた。火曜は確かバリキン7賢者の選択、というこれまたくだらないバラエティ対決番組で、元CCガールズなどのB級タレントばかり出演しており、上原さくらにビンタされた光一さんにファンが噛み付いてたのを覚えている。水曜日あたりにTOKIOと出ていたトキキン急行というバラエティ。これはKinKiがピンクレディや寺尾聰、ジュディオングなどになりきって歌うコーナーがあり結構面白かった。金曜はかなりの頻度でMステに出演し、土曜日はLOVELOVEあいしてる、日曜日はそれいけKinKi大冒険。豆マンや資格ゲッターピカイチが登場した番組だ。ラジオは週1のキンキラキンキワールドに、帯番組のどんなもんや。これに加えて、CDが発売されたら歌番組にも出演し、その頃はドラマでも主演クラスだったし、紅白こそ出ないものの、今の嵐よりも消費され尽くしていて、長く持たないだろうなと感じていた。
KinKiはデビュー以降、曲に恵まれてCDは今でも連続1位を更新し続けギネス登録されているものの、ここ10年くらいは世間の多くが知らないシングルばかりになってきた。同じくドラマや映画でも主演を務めることはなくなり、バラエティも今は嵐や関ジャニがジャニーズの主力。光一さんは舞台やソロ活動に注力して実績も重ねているので、ゆくゆくは少年隊のニッキみたいなポジに行くのかと思ってた。剛さんはこれまた独自性の強いソロ活動を持って、他のジャニーズができない活動(平安神宮Liveとか)が許されている。よって、KinKiでの活動は限りなく縮小して、コアなファン向けに細々と活動して、そのうち地味な結婚でもするのかなーと勝手に思ってた。
しかし、この20周年を迎えての様々なテレビ出演や薔薇と太陽などの周年シングルを聴くと、KinKiまだまだいけるんじゃない?と思えた。コアなファン向けの活動だけでなく、一般大衆向けにも魅力があるのではないだろうか。さすがにTOKIOと岡田くんには敵わないものの、ジャニーズの中ではかなり良い中年ポジションなのでは。これはひとえに、
LOVELOVEあいしてるに出演したことが彼らの運命を大きく変えたと思う。吉田拓郎からギターを教えてもらい、錚々たるバンドを従えて毎週歌い、作詞作曲ができるようになり、口パクでなく生歌でコンサートや歌番組に出るようになったことは、他のジャニーズと一線を画している。キムタクかがLOVELOVEあいしてるに出演したとき、KinKiのことを本気で羨ましがっていたのをよく覚えている。
マッチさんには皆辟易しているし、少年隊はヒガシだけだし、光GENJIも男闘呼組もSMAPも解散してしまったし、TOKIOは副業が主力だしV6はグループ内格差がシャレにならないし、その中でKinKiファンは割と幸せなファン活動ができているように感じる。すごいスキャンダルもないしね。
その点、嵐はどんな中年ポジションになるんだろう。バラエティでわちゃわちゃしてればいいのもあと数年だから、ソロ活動が増えていくのだろうか。櫻井くんには司会や知性があるし、ニノは演技と世渡りでなんとかなるんだろう。大野くんは植草かっちゃんみたいになりそうだけど、歌とダンスと釣りがあるから大丈夫だろう。相葉くんと松潤がアラフォーになったらどうやって生き残るのか心配。嵐はスキャンダル多いしね。その他のジャニーズは全てグループとして良い中年期を迎えるのは厳しいように思う。司会とバラエティと演技ができる子がピンで生き残るだけでは。グループで生き残るには、KinKiのようにもう少し音楽に力を入れたほうがいいのに。
途中から何が言いたいかわからなくなったけど、ジャニーズの中でKinKiファンは幸せに見えるってこと。20周年おめでとう!
ちょっと前のカリおっさんのイベもよかったけど、俺たちのレンジャーサインは歴代イベどころかメインシナリオより良かった
誰得と思われたウェルダーメイン、メインシナリオで余計な異物にしかなってないロキフェンが出る、可愛くないマスコットのジェイドetc...
開始前は正直どこ見ても酷評だった 割とシナリオ読んでる俺も「これは全スキップしかねーな」と思ったくらいだ
あのウェルダーをしっかり掘り下げつつ不快感などはまったくない王道展開、ロキフェンもメインとはまた違った顔を見せる流れ、タイガーアイのつーん。
「勇敢なるジェイドの親友!」のシーンなんかちょっと泣いた。ああいう今までの流れに意味がある展開に弱い。
ウェルダーとジェイドを最初に助けに来たのが、敵対してるはずのフェンリルとかずるすぎる。
ウェルダーってそもそもグラブルをはじめると誰もが必ずもらえるキャラで、でもレア度や性能の関係でまったく日の目を見ないキャラだった
それどころか季節イベにでしゃばるわ、ポーズはだっせぇわ、かっぺーの声がやかましいわで正直いらない子だった。
噂だけどどうやら新人ライター?らしいので、もしそうならサイゲは絶対このライターを逃してはいけない。
そう思うくらいよい話でした。
6月の上旬。既に書かれている通り、入口で誓約書を書いて中に入ってもただ暗いだけで中には何もない。暗闇の中でこれは何なのか?自分が何かを見落としているのか?って考えて釈然としないまま出てきたところでネタばらし。嘘を含めた拡散OKという紙があって、ああ、そういうことかと。
なるほどな、とは思った。ネットで虚実混ざるレビューが書かれることで、実際にあったことはよくわからないまま評判だけが膨れ上がる。酷評または絶賛を書くことという条件があって、まとめに絶賛意見しか載っていないという反応も完全に掌の上だったのかなと思った。アイディア自体は悪くない。とはいえ、拡散に協力する義理まではないかなと思ったので、特にコメントや拡散はしないで終わった。翌週になって金を取るようになったと聞いて、それはどうかと思ったが。無料だからギリギリ許されるところだろうと。
その時は痴漢の存在をまったく気にしていなかったが、言われてみれば対策がなかった点は本当に駄目だ。今回の趣旨からいえば、もっと安全な方法でやることもできただろう。
「展示」の本旨は嘘を含めた拡散OKにあって、これが全てと言っていい。そこを踏まえていない短絡的な批判(ダイアログインザダークのパクリとか)が目立ったのには、もやっとした。
本作のレビューをする前に、踏まえておいて欲しいことがある。
評価基準の是非についてだ。
あれも出来は悪くないのだが、はっきり言ってアニメに抵抗感がない人は素直にそっちを観ることを強く推奨したいのが本音である。
ミュージカル一つとってもアニメのほうが歌唱力や演出、どれをとっても上だといわざるを得ない。
そもそも何十年も前の作品と優劣で勝負しなきゃいけないレベルの時点で、この実写化を手放しで褒めることはとてもじゃないが無理がある。
だが、そもそもアニメと実写を完全に同じものとして評価することも無理があるというのも確かだ。
ましてやアレは“翻案された作品を更に翻案したもの”であるから尚更だろう。
いくら原作だとか翻案元があるとはいえ、それはそれとして割り切って観ることも一つの評価の仕方だ。
当然、受け手の中には翻案元にそこまで思い入れのない人や、日が経ち過ぎて記憶が薄れてしまった人、そもそも観ていない、把握していない人だっている。
受け手側の前提に幅がある以上、評価に幅が生じることも当然で、そこに是非を求めることは難しいだろう。
とはいえ、評価する人間の中にはそれぞれ何らかの“基準”があり、だからこそ優劣を判断できることは踏まえておかなければならない。
でなければ、あらゆる作品は個人にとっても全て傑作になるか、全て駄作になるかのどちらかにしかならない。
他作品と比較する手法を毛嫌いする人もいるが、評価とは得てして相対的なものである。
比較対象があり、自分の中に評価基準がある以上、それを無視して評価することこそ無理な話なのだ。
何を言いたいかというと、今回のレビューもそういった部分を理解して読んでいただきたいということだ。
いくら客観的に見えるような書き方や評価方法をしたとしても、あらゆる感想は最終的には主観に収束する。
自分がいくら酷評しようが絶賛しようが、他人にとっての傑作、駄作は脅かされない(もしも脅かされたと感じたのなら、それは被害妄想である)。
また、書いても大丈夫な範囲で内容を説明していくつもりだが、念のためネタバレ注意も喚起しておく。
読んでいる途中だったが、ヤキモキしたので指摘せずにはいられなかった。
「なあ、前置きクドくないか? 今回のレビューとは直接関係のなさそうな話だし……」
「レビューだとか感想というものが何かってことを深く考えたことがない人や、それらの距離感のとり方を自覚していない人もいるんだよ。それくらい書いておかないと、“ウブ”な反応をする人たちが出てきてしまう」
なんだか、俺にはオサカのその気配り自体が無駄なようなものに思えて仕方がなかった。
特定の読者を想定して書いたものを、不特定の人間が見れる可能性のある場所に公開すれば、必然的にそういうことだって起こりうるだろうし、恐らくそれは不可避だ。
そもそもオサカのいうことを理解している人間ならば語るまでもないだろうし、理解していない人間ならば説明したところで理解できないだろう。
「そういう“ウブ”な人間を、お前の裁量でどうにかできるとも思えないんだがなあ」
「そりゃそうだろうけどさ。例えば説明書に書くまでもないようなことを『書くまでもない』といって書かず、それでポカをやらかした人間が出てきたら、そこに多少の落ち度はでてくる可能性があるんじゃないか」
どうやらこの長い前置きは受け手への気配りであること以上に、書き手の保険のようなものも多分に含まれているのか。
オサカに諭され、俺は気を取り直して読み進める。
少し前に友人が『ゴースト・イン・ザ・シェル』の映画が見たいというので、それに付き合って見てきた。
原作の攻殻機動隊は自分は全く知らないし、原作を知らないのに原作の実写版を見たってつまらんだろと思って渋々付き合ったものの、まあ面白かったよ。原作を知らんから、公安9課のポジションがよくわからんとか、原作由来のネタがちっともわからんってのももちろんあるけど、終盤の真相が明らかになる辺りは素直にわくわくしながら見られた。
でもこの映画、やたらと評判が悪いのが悲しい。大抵はアニメ映画版と絡めての論評になっていて、アニメ映画版は素晴らしいけど、実写版はダメ、みたいな感じで。そんなに酷評するような内容でもなかったと思うんだがな……。
自分はアニメや漫画の実写版映画はそれなりに好きで、どうしようもないゴミ映画でも最悪原作を知ってれば、原作をどこまで再現しているか(またはどこまで破壊しているか)ということを確認できる楽しさがあるんです。そういう意味では、知らない原作の実写版を見るのは好きじゃないけども、今回に限って言えば知らない方が良かったのかもなーと思う。妙なバイアスが掛からずに素直に楽しめたしね。
海外からの観光客向けICカード乗車券「関西ワンパス」の利用状況が4/18に発表され、滞在時間(中央値)では奈良県の4.7時間が関西一短かった。
これを聞いて思い出すのが、2014年~2015年に奈良市長の発言としてあっちこっちで取り上げられた「海外のガイドブックは奈良は3時間で十分と酷評」報道。
仲川市長は「奈良は外国のガイドブックには『3時間で十分』と書かれ、通過する観光地になっている。『シカと大仏しかない』とされる現状を脱却したい」と意気込むが、効果的な打開策はまだ見えない。
(読売、All About News Dig、週刊東洋経済、日経、WebComputerReport、TOブックス、まぐまぐニュース、KAWADE夢文庫、中国人観光客の奈良インバウンドに向けた調査研究も同様)
いったい本当なのか。産経新聞への公開質問状に対する回答によると、市長は奈良県の古い調査書を見ただけで、ロンリープラネットなどに書いてあるらしいとしかわからないという。
奈良市長の発言の根拠は、平成18年の「奈良県外国人観光客実態調査結果報告書」に書かれた内容に基づいていると確認しています。報告書では、『ロンリー・プラネット』等には、奈良観光旅行の紹介を滞在3時間程度あれば可能と紹介されており、これを払拭するために観光ルートを紹介した情報発信の取り組みが必要と指摘されています。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=232107930333531&id=126514210892904
しかし、実際にはロンリープラネットにそのような記述はなく、市長が根拠としている県も新聞で見ただけ。
報告書が名前を挙げた有力な案内書の当時の版を「奈良の声」が確認したところ、「2日かけるのが望ましい」となっていた。県によると、当該の記述は新聞記事からの引用で、案内書そのものは確かめなかったという。(中略)県観光プロモーション課によると、引用元の新聞記事は残っておらず、当時の担当者はどの新聞にどのように書いてあったか具体的なことは覚えていないと話しているという。
そこで、奈良県立図書情報館協力のもと、産経新聞大阪府下版、日経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞奈良面、奈良新聞、奈良日日新聞を調査したところ、該当する記事は見つからず。仕方がないので、地道にガイドブックを一つひとつ確認していった結果、唯一Frommer's Japanには3時間の記述があったけど、時間が十分でなければ3時間であって、3時間で十分ではなかった。
If you don't have much time, the most important sites to see are Todaiji Temple, Kasuga Shrine, and Kofukuji Temple's Treasure House, which you can view in about 3 hours.
http://www.frommers.com/destinations/nara/attractions/overview
あなたは、教養はあるのだねー。藤原竜也が酷評されたの?彼を育てた演出家が悪いんじゃないの?
なんで、ビートたけしがハリウッド版の攻殻機動隊で採用されたのかな。人気があって観客動員が見込めるからだよね。
創作の世界やコメディの世界は、各国や地方でツボが違うと思うので、まー、そうなんでしょうね。
一つ前の具体例よりも、そうだなー。スポーツは、底辺層が見るんだろうな。だから、それは
私はは、先日、『トランプを大統領に選出してしまったことを残念に思っている』的な発言をしたアメリカ人を知っている。
また、EUから英国が、ヨーロッパの中では比較的マシな国だと思うイギリスでさえも、なんか、国民投票になると、目先のことに囚われて、つまり、一時的な感情に囚われて判断を誤ることが良くないのでは?
少年達が世界を変えることはなく、目指していた場所はすでに手に入っていた
というのが結論なのだろうか。
劇的な革命による世界変革ではなく、中庸を保ちながら無事着地させる終わり方でよかったと思う。
アニメや小説にはどうしても伏線だったり物語性が欲しくなるけど、現実社会には偶然に偶然が重なって進んでいくのだから、現実性と任侠話を重視するとこの終わり方は仕方ないかなとも思う。
が、個人的にはあくまでフィクションなんだから、現実社会と同じでダメな奴は報われないまま終わって、居場所はもともとそこにあった…って最初からなにも成長してないってことかと、スッキリしない。
最終回予想で言われてた、マクギリスがバエルのチート能力を発動させつつガンダムに飲み込まれて三日月に仕留められるか、MAを起動させて三日月に仕留められる展開を見たかった。
二期で気になったことが背景描写不足。
なぜキャラがそのような行動をとるのかいまいちわからなかった。
シチュエーション的になんとなくわかるのだが、前からそんなこと言っていたかな?というパターンが多かったような。
話の展開上ご都合的に動かされている感じが否めなかった。
マクギリスについてはアグニカカイエルのことをもっと早く言っておくべきだった。
特に二期登場キャラは描写不足を感じる。
ジュリエッタ、(石動も)なぜ主人にあそこまで仕えるのか不明。
(ジュリエッタは作中まともなキャラなのに、なんで蝶々食べた)
ラスタルが民主的なシステム構築をもともと目指していたような終わり方だったが、マクギリスのクーデターに便乗して美味しいところだけ持って行ったようにしか見えず、実はそんなこと考えてたの⁉という印象。
もし、マクギリスがクーデターを起こした本当の理由が、人心掌握権謀術数に長けかつ民主的な社会を目指しているラスタルに自分を打たせることで、ギャラルホルンの膿を出し、自分の理想の社会を構築することだったのなら
逆にラスタルがマクギリスを利用して…という展開もあるが、どちらも描写がないので違うと思うけど。
あと、ライドがノブリスを暗殺する場面は蛇足。
わざわざ見せたのはイオクに次いでカタルシスを生み出すために入れたのだと思うが、クーデリアがライド達がいない&ノブリスが暗殺された…と伝聞調に話して推測させるので十分伝わったのでは。
酷評もあるけど、伊藤悠のキャラが動くのを見るのはとても嬉しかったし、ガエリオがとりあえず幸せになってくれたから2年間楽しかったです。
菊地成孔“ラ・ラ・ランド酷評”の動機を吉田豪が解説。「あれは菊地ジャズ警察による町山智浩への攻撃なんですよ」
吉田豪の見解は結構正しい。菊地成孔は世界を敵に回したかったのではなくて、町山智浩と戦いたかっただけだ。
上の記事だけだとなんのこっちゃな感じですけど、以下簡単な流れを解説。
背景: 町山智浩と菊地成孔が『セッション』(デイミアン・チャゼル監督の前作)を巡って喧嘩した。
町山智浩「『セッション』マジでヤベー。ボクシング映画みたい」
菊地成孔「チャゼルはジャズ好きとか言ってるがそのジャズ描写があらゆる点でクソ。業界でこれ褒めてるやつ皆無」
↓
1. 町山智浩が『ラ・ラ・ランド』をラジオで絶賛。「今回もすごくいいですよ。でも相変わらずジャズ警察(笑)の方々には叩かれてるらしいんですけどね」
*この時点では日本公開されていなかったため、『ラ・ラ・ランド』を叩いている「ジャズ警察」とはアメリカ本国の人たちを指している…‥ように見せかけて、前回の論争時の菊地成孔が念頭にあったのは明らか
↓
2. 菊地成孔が映画・音楽情報サイトに一回目の『ラ・ラ・ランド』叩きを掲載。論調としては『セッション』の時と一緒。
↓
3. だが、今回は町山側が沈黙。ラジオでも重ねて『ラ・ラ・ランド』を紹介し、褒めまくる。
↓
4. アカデミー授賞式で『ラ・ラ・ランド』が作品賞を逃す。この時の中継で町山が解説を務めていた。
↓
5. 菊地が補記としてさらなる『ラ・ラ・ランド』叩きを展開。
町山に無視されたのが応えたのか、「WOWOWの授賞式中継に出演していた映画評論家」とほぼ名指しで当てこすりみたいなことを書く。内容は「ホントはあんたも『ラ・ラ・ランド』が大したことないってわかってたけど、世論の流れに気圧されて本音言えなかったんでしょ???」。
山本一郎との抗争を見ればわかるように、町山智浩は売られた喧嘩はダースで買う人間なので、引きずり出す戦術としては正しい。
↓
6. が、やはり町山は無視。twitter で「(菊地のララランド記事を受けて)観客叩きはよくないよね」とコメントしている他の人を賛同RTしたりはしているが、直接菊地に対して言及はしてない。至現在。