はてなキーワード: 貴女とは
ちはやふるに感化されたの巻.
覚える順に書く.
上の句の先頭一文字が「むすめふさほせ」のものは1句ずつしか存在しないそうで.
(村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ)
意
にわか雨のしずくがまだ乾かずにとどまって輝いている針葉樹(杉や檜)の葉に、霧が谷間から涌き上がってくる秋の夕暮れの光景よ。
(住の江の 岸による波 夜さへや 夢の通ひ路 人目よくらむ)
意
住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないけれど、夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道でさえ、どうしてあなたはこんなに人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。
(めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな)
意
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。
(吹くからに 秋の草木(くさき)の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ)
意
山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ
(寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ)
意
あまりにも寂しさがつのるので、庵から出て辺りを見渡してみると、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れがひろがっていた
良暹法師
(ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明(ありあけ)の 月ぞ残れる)
意
ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。
(瀬を早み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の われても末に 逢はむとぞ思ふ)
意
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。
自覚すらないの?
すでにこのコメント欄ですら
>キモくて金のないおじさんはテロリストになって社会に復讐するのよ。だから最低限の手を社会が差し伸べないと貴女たちや家族が傷つけられるのよ
こんな見下しコメントがあって★もたくさんついてるよ
「事案発生」で検索してみたら?
http://matome.naver.jp/odai/2135368717890713101
"男が立っている事案が発生"
平成24年6月18日(月)午後6時5分ころ、倉敷市上富井地内で女子高校生3人が電車を待っていたところ、不審な男が立っていたもの。
"女子中学生が帰宅途中、自転車に乗った男が女子中学生を追い抜き立ち去る事案が発生"
概要:女子中学生が自転車で帰宅中、自転車の男がついてきた。男は、女子中学生を追い抜き、立ち去った。
まあ、都合の悪い意見は見えない聞こえない、が劣等女脳の基本だから期待してないけどw
女って被害者意識は過剰で異常だけど
脳に障害があるんだろ
8年付き合っていた彼氏と別れた。正直訴えたい。30過ぎた女捨てる事とか犯罪にしてほしい
http://kijosoku.com/archives/38607787.html
http://girlschannel.net/topics/15906/
現実を見ろよ
まず、相手の年収がどうでもいいというのは、相手の社会的地位もまたどうでもいいとみなすのと同義ですのでやめましょう。
男性の皆さんは歯を食いしばって仕事して、そのうえ貴重な余暇の時間を消費して婚活市場に出てきています。
我慢してこなしている仕事で稼いだ収入額と得た肩書を、釣り書に記入して、それを武器に婚活してるわけです。
「結婚したら仕事は続けたいか辞めたいか」「子供は欲しいか欲しくないか」「どこに住みたいか住みたくないか」
要望を出していけば、自然と相手も限定されてきますし、マッチングミスも発生しにくくなります。
また、要望を出していくのは別に贅沢とかじゃありません。差別じゃなくて区別です。
「私はこれこれこういう人です」じゃなくて、「どういう相手が欲しいです」とわかりやすく伝えましょう。
ロックフェスやスポーツ観戦に行くのはけっこうなお金と時間がかかりますね?
仮にそれを自分で払う気がないのであれば、収入がそれなりにあって休みもしっかり取れる相手が貴女には望ましい、という事になります。
相手も限られた時間を消費して貴女を見るわけです。まず相手の立場に立って、訳してから喋りましょう。
頑張って下さいね。
30歳までには結婚したいと言う話をしてた。
単純に考えて1年間の土日の数は100日しかなく、
30歳までに土日はあと200日しかない。
恋に落ち、手をつないでちゅっちゅしてとか考えてるらしいけど
まず彼氏がいない状態をなんとかしなければいけなんじゃないかしら。
ちがうな。彼氏がいない状態を打開出来る行動を取っていない状態を
なんとかしなければならないのではないか。
土日は彼氏なしの女3人と飲んで近況報告しあったり、
撮り貯めたドラマを見てるらしいが、
貴重な1/200をそんな事で消費してしまうのか。
いろんな形があるけれど学生の頃は、サークルやバイト、ゼミで仲良くなった子と
付き合うってのがほとんどじゃないだろうか。
その頃の感覚で恋人を作ろうとしても普段接する職場にイケてる男がいなければ
たちまち選択肢が無くなるしまともな男は35までには結婚しているから
後は地雷だけになる。
動け、30手前の女どもよ。
増田には、そもそもいないかもしれないけど、オタサーの姫として悩めるみなさまこんにちは。
大学時代に2度ほど壮大なサークルクラッシュをさせ、未だに同窓会へ参加しづらい元オタサーの姫です。最近、20代後半に突入しました。
最近は仕事で海外を飛び回るようになり、プライベートも充実しています。ふと振り返り、「あの時、頑張って自分を変えて良かったこと」を書いてみようと思います。
もし貴女が、"オタサーの姫になりかけてる"または"オタサーの姫になってしまい人間関係に疲弊している"としたら、ちょっと読んでみてください。
私の場合は、学校の課題やテストにおける自信の無さ・甘えが、周囲の人間を"うっかり"釣ってしまう材料でした。
一緒に課題やテスト勉強する場合には、教えることよりも教えられることが多かったです。
そこから、先輩・同級生から助けてもらう必要がそこそこ無い程度まで、基礎学力を引き上げていきました。
基礎学力の上げ方は、予習にて教科書内の理解不能な単語・数式を全て潰す。
この潰し3点セットの徹底です。
目安としては、自分の学科の試験にて上位3-5%を保てるまでやり込めるといいと思います。
基礎学力を引き上げた状態で、何かしらの研究テーマへチャレンジしてみましょう。
まだ研究室へ配属されていない場合は、気になったテーマを持つ教授へ相談し、研究会or査読なし学会での発表を1stゴールに設定し、ゼミ参加などしていきましょう。
すでに配属されている場合は、査読ありの国際学会1本はマストで挑んでみましょう。自信をつけるためなので、1つ目は国際会議でさえあれば、難易度は問いません。
調べれば調べるほど、結構出せるところはありますよ。(ちょっと怪しい学会もあるけど)
研究という単語が難しくなさそうとか、挑戦してみたい、とかそういうポジティブなノリの習得。
そして、"成果を出す"という楽しさを見出すのがゴールです。
もし自分がぽっちゃり体型という不安を持っているのであれば、簡単な筋トレをしてみましょう。
食事制限は、身体にも心にもよろしくないです。
そして、化粧でブスをごまかすより肉体作りをした方が外見に関しては良く効いてきます。
食べずに痩せるではなく動いて痩せることを意識してみるといいと思います。
大体3ヶ月くらい頑張って続ければ、オタサーの姫っぽい服を着たとしても、"単なる普通にお洒落な人"的な体型になると思います。
基礎学力・研究業績が積み上がると、奨学金(日本学生支援機構じゃないもの)や留学のオファーを見つけて挑戦してみましょう。
留学や奨学金団体の晩餐会など、新しいコミュニティへステップアップし、新しい友人関係を積み上げましょう。
ステップアップしながらコミュニティを転々とするスキルを身につけると、そのうち依存しなくても良い場所が見つかります。
出来ないこと、分からないことがあっていいんです。
失敗してもいいんです。
悔しく感じたら、とっても素敵です。
「今はいいんだよ」と自分自身に微笑んであげながら、少しずつ乗り越えていきましょう。
被害者の素振りで近づいてくる男性陣もいますが、笑顔で避けましょう。
助けるフリをして、根掘り葉掘り聞いてくる女性陣には、一言「気遣ってくれてありがとう」とだけ返しましょう。
笑顔で「そうなんだね」とか返しておけば適当になんとかなります。
そんな感じで案外生きていけるというのが、私の後から学んだことでした。
好きな服も、着ちゃって大丈夫です。
貴女には残念な話だが、彼女がレイプされる可能性は低いと思われる。
まず容姿の問題。中学前半でいじめられるくらいというので顔は中の下以下、
男にモテるように努力したとか書いて無いし、オタ向けのマンガや小説に命を救われたくらいの重度のオタなので普段はオタクファッションでしかもハレの時はロリ服。
おまけに10kg痩せようと軽く書ける位の体型。レイプを考える男からみて射程圏外のルックスである。
二つ目に周りの環境。メディアミックスの展開が早い現代で10年もミュージカル化に時間がかかったニッチなジャンルに身を置いてた。
少数派のオタクは環境が壊れることを恐れる。故に人間関係や礼儀作法は誰に言われることもなくまともにやる人が多い(例外はあるが、それでもまともな方。)
女の子同士は仲がいいし、男も礼儀正しい。レイプとか考える奴はそのジャンルが好きじゃなくそこに集まってる女子が目当てなニワカだろう。こういう奴らは何故か行動力があっていつの間にかに目立ってて、だがトラブル起こして糞撒いて消えてく。
少し前はボカロ、今はイケボでイケメンの声優とかが人気で今のニワカのターゲットはこれらが好きな女である。
声優のファンってだけならいいけど、彼氏にもイケメンイケボを求める。ニコニコ大会議とかツイッターやスカチャンでそういう彼氏作ったはいいけど、数回会って捨てられてるの見て馬鹿女だなーとしか思えない。
猛獣の檻に若くてスタイル良くて男ウケする格好して男の価値がイケメンだの金持ちだのというステレオタイプな女という美味しそうな餌が入ったら喰われます。でもそんな餌そこら中にあるから一口かじって捨てます。それが貴女ではないか?
実はというと彼女みたいな人が結婚するのはむずかしい。私もニッチなジャンルに身をおいてるが、結婚してる女の子は30代になってもそう多くない。でも彼女は一緒に結婚を考えれる人ができた、ほんの少しの運と彼女の心構えが奇跡を起こした。
貴女も10kg太って、遊び人についていかなければレイプなどされなかったのではないか?
1人のオタが幸せになった。いいことじゃないか。
大学時代の相談員の女性の方から「話をこうしてしていて、貴女はとっても素敵だから、大勢で仕事をするというよりも1対1でその場で対応して終わる仕事が向いてると思う。」って言われた。「貴女は素敵」は臨床心理士が言う常套句みたいな「お世辞なんだな」と自覚しているけれど、やっと私の適職は何か?に近づいたと思う。けれど、一体…「1対1でその場で対応して終わる仕事が向いてる仕事」何?って思う。
例えば、「携帯ショップ」?とか「役所」や「銀行窓口」とか色々あるんだろうけれど…年齢的に30だと厳しい。そもそも正社員でそう言った「1対1でその場で対応して終わる仕事」って何があるんだろうって思った。
学生時代の友人(A子)と再会のアポを取った時点で、何となく「乗り気じゃないな…彼女」と思った。
A子は地方で老舗料亭の4代目。社長兼女将として店を経営する忙しい同級生だった。だから、社畜な私としても、A子の都合を考えて会う日も慎重だった。
「都合の良い日や時間帯はある?」「私はいつでもいいから、日にちと時間が決まったら教えて。」
「じゃあ、〇〇日の御昼か、〇〇日の御昼、どちらが良い?」「どっちでも良い。」
凄く素っ気なかった。そんな子じゃなかった。その後、前日にドタキャン。「ああ、やっぱりな」という気分だった。
何故、私がA子と再会しようと思ったのかというと、A子が初出産をしたからだ。結婚したっけ?寝耳に水だった。詳細は省くけれど、兎に角おめでたい事には変わらない。A子の仕事柄、そう簡単に会える感じでも無かった。だから、この際出産祝いを兼ねて是非会いに行こうと思ったのだ。同級生とは言え、実家は料亭でお高いし、正直言って気軽に会える感じでも無い。だから出産祝いを兼ねて再会出来るきっかけが出来た事はとても嬉しかった。
思い立ってから私も仕事が立て続けに忙しくなり、そうこうして行く内に月日が経ち、その子が1歳の誕生日を迎えた。そして、再会のアポを取るも、先ほどのやり取りの通り。素っ気ない対応のあと、前日にドタキャンだ。A子の赤ちゃんにプレゼントを渡したかったのに。
ドタキャンされる1カ月前から私はA子の赤ちゃんの為にプレゼント探しに躍起になってた。SNSを使い情報収集したり、同僚のママ・パパ社員に尋ねたり、おもちゃ売り場で遊ぶ子どものお母さんに事情を伝えて尋ねると皆気さくに答えてくれた。「1歳なら〇〇にこの子はハマってましたw」「音のでる本が好きだったなあ」中にはその場には無い商品とか商品名を色々教えてくれて、本当に嬉しかった。コミュ障な私が自分自身を信じられない位。そして、デパート中を駆け回った。
漸く買った、プレゼント。気に入ってくれるのかな…。心配だった。そして迎えた前日ドタキャン。
何としてでも、プレゼントだけでも渡したかった。最早意地だった。
リスケの為、またアポを取り付けた。一連のお互いのあいさつの後、私は「〇〇日か〇〇日はどうかな?」と斬り込んでみた。レスが止まり、連絡が来なくなった。
その後、FBには遊ぶ写真が上がるも、連絡は無く。コメント欄には私と同じような人達が居たみたいで。彼らは「当日連絡が来ないから心配したよ~」「御免ね、中耳炎になったり、ノロになったりと…」と、FBで尋ねてようやく事情を把握する有様だった。私も、彼らのやり取りを第三者の立場から見る事で、「あ、だから連絡が無かったのか。」と知る感じだった。
もう大丈夫なのかな、と思い、「FB見たよ~!ご病気だったんだね、大変な時にリスケの連絡してしまって御免ね!」「ううん、もう治ったから大丈夫!いつでも遊びに来てね!」「ほんと!よかった!なら、〇〇日か〇〇日はどうかな?もし難しかったら大丈夫だからね。」また連絡は来なかった。
そしてFBで遊ぶ写真と、同じくコメント欄に私と似たような立場の人達とのやり取りで、またも風邪をひいたという事で…。状況把握。
何で、直接連絡くれないんだろう。
「赤ちゃんの具合はどう?会えなくてもいいから、治ったら教えてね。心配。」連絡は来なかった。
その後、ようやく、彼女と会う事が出来たのは、もう半年が経ったころだった。既に赤ちゃんは1歳半!ようやく会えた!そこで、A子の出産事情を知る。きっと、プライベートの事を聞かれたくなかったのだと思う。学生時代からの相変わらずの私のコミュ障っぷりに、A子は安心したのかもしれない。私がプライバシーについては口が堅いと踏んで、そこからは、遊ぶ日のアポはスムーズになった。
初めて再会出来た時「うわ~!お姉さんになって!綺麗になった~!本当にもうお姉さんになって!美人さんよ!」ってビックリされた。学生時代のマドンナにそう言われて嬉しかった。その後、
「貴女は絶対に着物が似合うから。私の衣装はもう、着れないから、全部あげる!だから住所教えて?箪笥にしまっておくよりも、着物は喜ぶと思うんだ。」
「ねえ、お芝居すき?私はこの子が居るから、もう行けないんだけど、毎年貰うんだけど、もしよければお母様と一緒に行かない?着物送る時にチケット同封するよ!」
凄く嬉しかった。A子の事は尊敬してたし、学生時代からマドンナ的な存在だったA子からそんな気遣いをしてくれるなんて、本当に嬉しかった。私も母も嬉しくて、母は公演日の日は有給をとった。だけど、待てど暮らせど、着物もチケットも届かず。ついに、公演日も過ぎてしまった。御厚意で「送るね」と言ってくれたものに対して催促なんて出来ず…。公演日当日まで待ったけれど、結局、その日は母と二人で地元の温泉に行った。今頃は…はあ…。
「口約束…にしては住所も聞いてくれたし、おかしいなあ…。ウソだったのかなあ。社交辞令だったのかなあ」
母は言った。「金持ちの気まぐれだったのよ。富裕層同士、付き合いもあるだろうし、お着物の件はもっと差し上げたいと思える方が現れたのかも。チケットの件もそうかもしれないし。商売柄、ご贔屓にしなくちゃいけない人は優先しなきゃ。でもあなたは友達で、ご贔屓さんではないでしょ?もう、忘れましょう。」
そうこうしている内に、学校の同窓会のお知らせが届いた。A子に「行く?」と尋ねると「私は、この子もいるし、難しいな。あ!そうそう。チケットの件だけど、御免ね。今年に限って届かなかったんだ。当日まで私も届くのを待ってたんだけどー。今年に限って来なかった。御免ね!」と、連絡が届いた。「そっかあ。連絡くれて有難うね!楽しみにしてたけど、残念!また今度遊ぼうね!」「うん!」「母がね、公演日に合わせて有休を使ったんだ。その日は二人で地元の温泉に行ったよw」すると態度が急変。
さっきまで、サラーっと流していたのに「私、どうしよう。酷い事しちゃった。本当にどうしよう。このお詫びは必ずするね。お母様に本当に御免なさい。どうしよう」と態度が全く変わったのだ。私に対しては、「御免。届かなかった。」と軽く流してたのに。
「ううん、A子もさ、当日まで待っててくれたんでしょ?ドキドキして待ってたのはお互い様さあ!気にしないでよ!それよりまた、遊びに行こうね!」
すると、次の日、お詫びの別チケットが届いた。お高い系の。
何なんだ。この対応の早さ。着物の件も、チケットの件も、何だかもう、全てが胡散臭く思えてきた。
すると、後日、FBで、A子のFBにコメントを残した他の友達が「A子、お芝居のチケット有難う!無事に行けたよ~!凄く楽しかった!」とのコメントが。その日程は、正に私と母が有休で明けて置いた日だった。
別の機会で、A子に会う事があったけれど、それとなく着物の事を何度か触れてみたけれど、ノーリアクション。丸で記憶がスッポリ無くなったかのようなキョトンとした表情だった。
優先順位が変わると、咄嗟に落ちた順位の人間の事を忘れるのだろう。記憶の上書きではないが…。今目の前にある事が全て。という感じ。
そう言えば、「私がしっかりしてないから…従業員や社員さんたちがテキパキ段取りを指揮ってやってくれるんだあ…。」とこぼしていた事があった。
でも、自分で言った事に責任は持ってほしいなあ。ぬか喜びしちゃうし…。というか、社交辞令なら、住所なんて聞かないでよって思う。手の込んだ社交辞令だなあ…。
大切にしたい友達に、そんな幻滅する様な事はしないはず。それが一気に露呈した。
友達だ、と思ってたのは私だけで、信じる気持ちが強すぎたのだ。重いというか。
父は「自分の店の〇〇というブランドに胡坐をかいてるんじゃないの?」とも言った。プレゼントのお礼も、特に何も…言われなかった。
古畑曰く「自分の事を嫌ってるんじゃないか、と不安に思う時、有りますよね。安心して下さい。確実に嫌ってます。」と言う言葉を思い出した。その言葉には続きがあって、「問題なのは、自分が嫌われているという自覚が無い人…」というくだりだ。
私は、A子と距離を置こうと思う。着物をくれる、という言葉を聞いて、着物が似合う、という言葉を聞いて、私は凄く嬉しかった。着物に対する文献は勿論、写真集や画集、着付けをネットで観たりした。流石に、お店には足を運べなかったけど…趣味になっていた。その位、美人のA子に「お姉さんになった!綺麗になった。美人になって」など外見を褒められたり「着物が似合うと思う」と言われて嬉しかったんだ。
けど、もう、A子とはお終いかな。友達で居たい、と思えるような素敵な人間に私はなっていない、という事だという点は理解した。
乱文になって御免。ここまで読んでくれて有難う。
私は変にプライドが高く、黒髪、メイクに抵抗があるスッピン喪女だった。外見に関しては世間の人様が私と一緒に歩いてる所を「誰かに見られたくない」と思われない程度の「清潔感」や「小奇麗」なスタイルをしていた程度だった。因みに腫れぼったい一重。コンタクトレンズも怖くて出来ない人間だったから授業中だけ眼鏡。
勉強を頑張ったり、何かしらの成果物を残す方向で、皆に認められようと努力し、クサイ言葉だけど「ありのままの自分」の姿で生きてきた。
メイクに抵抗があるのは、中学の頃からずっと。何だか顔に美術を施してるみたいで…何よりもメイクしたら最後。まるっきり自分の顔じゃあない。本来の自分はどこ?
正直顔面詐欺だ。詐欺な顔で友達を作っても(釣っても)、この顔で寄ってきた子達と友達になっても真の友達じゃないし、何か仕事をしても正当な評価じゃないから。だから、不細工だけど小奇麗にしていて数字を残していれば、私はそれで良いと思い込んでいた。
それは、非常に浅はかな考え方だった。それに気が付いたのは、進学してからだ。
1個上の先輩を好きになった。電車の窓に映ったスッピンの私の顔がどこか「女」の顔になっているのが、自分でも解った。ほっぺたはどこか赤いし、表情が違う。変な言い方をすると、世界中の人達を愛せる様な、今なら何でも許せる、そんな大らかな気持ちを抱いてた。体中がポカポカして、無意識にスキップでもしちゃうんじゃないかって位。
先輩に告白したい。でも出来ない。しちゃいけないって解ってた。理由は2つ。
好きだったけど、偏差値も人として(既に先輩は大人と対等に会話できる人だった)色々スペックが違い過ぎて。お呼びでない感はもう空気感で伝わった。私は告白なんてする土俵にすら上がれない事は、本能的に悟った。だから、告白できなかった。
それから、先輩は煌びやかな造形美な女性が好きだった。北川景子や佐々木希、滝川クリステル。同級生や学内に居る女子に対しても、そう言った華やかな女子に対する態度と、素朴な女子に対する態度とはあからさまに違っていた。
私は自分のちっぽけなプライドをへし折って、メイクしたり垢抜ける事は出来なかった。結局は自分の個性を、私は取ったんだ。初恋だったのに。今ある自分の素材の範囲内でのオシャレと減量(163cn 46kgになった)。私のプライドと折り合いを付けた努力は、その程度だった。案の定、造形美な華やかな女子や先輩方とは、足元にも及ばなかったし、一緒の空気さえ吸えない程の外見。
そうこうしていると、私は某男子から告白された。外見が太ってて背も低くてキモい男子だった。例えるなら、銀魂の「ハタ皇子」そっくりだ。性格は社交辞令を真に受ける様な、それでいてナルシストな男子。学校の皆は彼を茶化しちゃいけない相手として接してきた。何か茶化したら、ちょっとした一言で自殺しちゃうんじゃないか。そんな様な男子。
どこかのブログで「僕は性の対象として観てない女子から、性の対象として見られていたと知った時ゾッとした。好きでも無い女子から告白された時、「死ね」と思った。精神的にもダメージが大きかった。だから、不細工と自覚している自分からは絶対に告白しない。正直言って、相手の女性からしてみたらテロの被害者である。」というのを読んだ事がある。
まさにその通りだった。私は彼から告白された時、丸で末期がんを診断されたかのような、奈落の底に突き落とされた。
私の事が好きな事は何となく解ってたけど、クラスメートとして、適度な距離を取りつつ、挨拶をする程度にしていた。私は彼に対して決して誤解を招く様な発言も行動もしてなかったと思う。害はないと、思っていた。だから、ノーガードだった。突然呼び出されて、告白された。
「何で私なの?」
「だって、〇〇さんは美人だし、△△さんは可愛いし、僕には到底告白なんて無理だから。でも、貴女は僕とあいさつしてくれるし…」下を向いたまま、何故かコーヒーのストローの紙でずっと折り紙?をしている。
つまり、私は彼にでさえ「コイツなら嫌とは言わないだろう。素直だから、自分の意見を持たない良い子だから、自分にも手が届きそう。」と思われていた程度の存在だった。
自分の市場価値というものを、痛いほど実感した。先輩に好かれたいとか告白なんて、もう絶望的なレベルの人間である事も、十分痛感した。
こんな精神的に病む事を、先輩に経験して欲しくない。だから、今の私は、先輩を好きになる事すら迷惑がかかる存在。一方、ハタ皇子の気持ちもよく解る。だから丁重にお断りした。それでも毎日毎日、距離を縮めてきて「友達だから、良いよね?」と昼食を同席してきたり、フィールドワークの際もついてきた。終いには、「昨日、忙しそうだったけど、なんのイベントだったの?友達なんだから聞いても良いよね?」とやたら詰め寄ってきた。
「友達」という大義名分で、どんどんとハタ皇子が近寄って来て、気持ち悪いという気持ちがやがて、「ウザイ」になった。
「いい加減にしてよ!」と叫びたかった。でも、言えなかった。私も、一歩間違えれば絶対に先輩に盲目になり猛アピールしてたと思う。そうなったら先輩は私を再起不能にするまでに一喝するだろう。それを想像すると、背筋が凍った。だからハタ皇子の気持ちも解るし強い口調で「いい加減にしてよ!」だなんて言えなかった。
私は、考えるに考え、笑顔を作りつつも、徐々にフェードアウトして、なるべく同じ授業を取らない様に、気を使いながらニアミスしない様に、学校生活を送った。
そして7年が経った。
私は卒業してから、アイプチに手を出し、都内の有名美容院巡りを経て出会った女性スタイリストさんが独立して経営する小さな美容院に通っている。
お堅い仕事柄、スーツだけれども、私服も、シンプルながらも地味すぎない、小物を使ったファッションを採り入れて、無理のない、背伸びをしない、オシャレを楽しむ女性になった。雑誌は買わないけれど、オシャレな女性を見ては真似をしたり、服の配色や自分が絶対似合う服を把握。女を楽しんでると思う。
アイプチの効果は偉大だった。周囲の人たちの態度がまるで違った。人扱いから、贔屓扱いしてくれるようになった。「可愛くなったねえ」「お姉さんになっちゃってまあ」。苦手だったコンタクトも克服できた。因みに、つけま・カラコン無し。アイメイクもアイプチだけ。と言うか出来ないよね、アイプチノリだし。
社会に出てから、男性から告白されるようになったし、「美人」とか「班のマドンナ」とか言われるようになったり、視線も多く浴びるようになった。周囲から見返りを求めずチヤホヤされる事も初めてされた。女扱いが初めてばかりので必然的に私は、しどろもどろで腰が低くなる。「調子に乗らない良い子」「付け上がったり高飛車じゃないから良い」とか。
人間ってここまで私は変われるんだ…プライドをへし折った、それだけで。別世界な社会人生活を送っている。
人間ってここまで外見が違うと扱い方が変わるんだ…。人間不信じゃないけれど、人間の心って不思議だな、と思った。同じ「私」なのに。
漸く、軍資金も、経済基盤も、社会人としての生活も、衣食住も、整った。
けれど、卒業後から同窓会などには一切出ていない。例の先輩に私が何故か告白しフラれた事になっている様だ。そしてハタ皇子からはリベンジをされそうなので(実際FBに友達申請が来た)恐いし、正直行けない。先輩の件も、ハタ皇子の件にしても、その二つを考えると、どうにも腰が重くなった。
経済的にも精神的にも女としても、成長したら、先輩に告白するつもりだった。今がその時だと、思ってた。腰が重い…でも、その思いはムダだった。
既に先輩は就職して赴任先で出会った、同業他社の女性と結婚したみたい。去年から東京に戻ってきたみたいだけれども、もうパパなのかな。
「遅かったか」と思ったけれど、不思議とショックはそこまでなかった。だって、好きならお互い自然にそうなってたはずだし。それに、社会人になってから「人を好きになる事」という事を改めて実感した。身が焦がれるような恋が、この世にこんなにあるんだって事も知ってしまったから。素敵な男性が、沢山いるんだって、知ってしまった。
だったら学生時代に、告白してればよかった?という思いがよぎる度に、ハタ皇子からの告白の精神的ダメージを思い出し「私は正しかったんだ。」と思えた。
何よりも、このプライドの高い私が、メイクに手を出し、自分を変える・捨てる、なんて一新させ、今の生活があるのも、ハタ皇子のおかげなのだ。
ハタ皇子が私の市場価値の低さを、結果的には教えてくれた、目を覚まさせてくれたんだ。
いつか、私が好きになる男性に、失礼のない様に、見た目も可愛くなる様に、ほどほどに気を配るつもり。
因みに、二重になったので、今はアイプチを卒業。今は普通に昔の同期と会ったり、先生と会ったり、コミュ障も大分なくなったかな。
私にとって、自分を見つめる事は、とても大きな壁だったけれど、強引な形で向き合わざるをえなかった事で、喪女的外見から卒業できました。
でも、矛盾しているけれど、今でもスッピンで勝負している女性達にはエールを送りたい。私は負けたけれど、彼女たちの「ありのままの姿」で家族を持ち生活を送る方々には敬意を示したいと思っている。
乱文で御免。ここまで読んでくれて、有難う。
大学時代の相談員の女性の方。お世辞だと自覚してる。けど、私の一体どこが素敵なんだろうって、思った。
なるべく肯定的な言い方をするのが臨床心理的にセオリーなのは解るけど、心にも無い事パっと言える辺りが、プロだなーって思ったから。「一体どこをどう見たら私を『素敵』という発言が出来るんですか?」って思った。
「貴女は直ぐに就職できるタイプよ」(就職出来ても、直ぐにクビになるから、問題は長続きするかなんだよ)
「貴女は素敵だし、対面やカウンター越しで人と接する仕事が似合うと思う」(水商売的な?というか喪女なのに何で素敵に見えるの)
第一印象は、皆が私を好意的な態度を示してくれる。感じの良いお嬢さん、みたいな。でも、皆次第に私の症状にイライラして去っていく。「感じの良いお嬢さん」から「貴女と話してるとまるで高校生みたい。重い。生真面目。不用意な発言で誤解を与える。不愉快だ。素直だけど頑固で我が強い。頭が弱い。理屈を言うな。」そして「変な奴。ちょっと変わってる。ついていけない。疲れる。」
相談員の人は勿論私の症状を知ってるから、世間の人たちが私の態度にイライラして「見放す」「距離を置く」という行為も、相談員のその女性は、そこまで露骨にはとらないだろう。
おお! 自称女代表、全ての女は自分と同じ意見と信じて疑わない方!お初にお目にかかります!
すげーね、顔も見えなきゃどんな人間かもろくに分からねぇテメエなんかに自分の意見を勝手にまとめられたくない『女』山ほどいると思うけど、貴女は全ての女が自分を肯定するし味方でいるし正しい意見だって言ってくれるって信じてるんだ? それは全能感なの? 自分の個人的な感想ごときじゃ攻撃力が足りないから、主語広げて全ての女の意見って事にして攻撃力上げてアタシ強えええ感に浸ってる感じなんです? 微笑ましい! 初めて遭遇した! 大丈夫、個人的意見でもちゃんと罵りは届くよ、自信持って!
ちなみにこれは八つ当たりなので嫌がられてナンボです。貴女がウザいと思ったのは理解した。で、貴女のその不快感を取り除く為に私が何かをしてあげる義理やメリットはある?メリットを提示した上でご要望があるなら検討しますのでご意見どうぞ!傷付けって要望には応えられなくてすまない、正直草生えるレベルでノーダメージだ。今度は個人の意見でお伝えくださいませ、お待ちしてます。
おー、返事サンクス
「失われるのは、全体としての○○家という概念」これがまだピンとこない。
(1) 書類上の概念として、山田-鈴木夫妻を「山田家」あるいは「鈴木家」という単一のラベルで扱えなくなる、というのはわかる。だが事務手続きの話ではないという。
(2) 結婚式や親戚づきあいの場面で、「山田家に嫁ぐ」「貴女もこれからは山田の人間だ」みたいなとらえ方をする人はまだ多いだろう。そこで改姓が一種のコミットメントとして機能していることもあるだろう。だけれど日常生活でそれが顔を出す場面なんて、盆暮れに親戚で集まるときくらいで、しかもそれが顔を出すコンテキストというのはあくまで山田一族の内輪の話だ。外の人間が山田-鈴木夫妻を呼ぶラベルが失われて困る、というのとは全く別の話のように思える。コミットメントの話を除けば、集まった親戚は誰もが山田-鈴木夫妻が山田家の親族であることを知っているわけだから。
(3) それらを除いた、日常で「◯◯家」全体を呼称するラベルということを考えた場合、それは現状でも「家族の誰かを起点とした関係」で完全にカバーされている話であって(山田-鈴木夫妻の息子の保育園の人は△△君のお父さん、お母さんという認識であって、現在でも親が事実婚で姓が異なる場合はあるが、そんなこと気にしないだろう)、従ってコンテキストにより「山田家」「鈴木家」を呼び分けることに余分なコストがかかるように思えない。
サザエさんはもちろん、制度としては夫婦同姓を守っているわけだけれど、日常で「◯◯家」が必要となる文脈においては「家族の誰かを起点とした関係」で全て済んでるように思えるので、コストが増加しない例として出した。他の実例として、俺の親の代くらいまでだと兄弟で親戚の家に預けられて育てられたとか子連れで戻ってきた姉が同居とか、複数の姓からなる家族というのが珍しくないってのもある。
何か具体的なシチュエーションで、「◯◯家」全体を呼称する唯一のラベルが失われることによる不具合ってのを出してくれたら、俺も理解できるんじゃないかと思うんだが、例えばどんなケースがあるのかな。
乗り合わせたエレベーター。
扉が開くと「開」ボタンを押して全員が降りるのを待っている人がいる。
そういうことをしてくれるのはだいたい女性だ。
おとなしそうな、つつましい女性。
そのつつましさに甘え、さも当然のように降りていく人々。
きっとこういうことをしてくれる女性は、
いつもエレベーターで乗り合わせた人たちを先に降ろしている。
顔見知りでも、顔見知りでなくても。
私はそんな女性に、先に降りるよう促す。
[Chorus]
Womanly Modesty?
そのつつましさ、ありがたい、けれど
俺は甘える訳にはいかない
[Chorus]
Womanly Modesty?
その奥ゆかしさ、ありがたい、けれど
少なくとも俺は求めてないZE!
エレベーターの扉が開くと「開」ボタンを押して全員が降りるのを待っている人がいる。
そういうことをしてくれるのはだいたい女性だ。
そのつつましさに甘え、さも当然のように降りていく奴ら。
Bye For Now せめて会釈くらいしたらどうだ?
俺はそんな女性に先に降りるよう促すんだ。
[Chorus]
Womanly Modesty?
そのつつましさ、ありがたい、けれど
俺は甘える訳にはいかない
[Chorus]
Womanly Modesty?
その奥ゆかしさ、ありがたい、けれど
少なくとも俺は求めてないZE!
ふと目が合うと貴女はかるく頬を染めて
But...そんな目で見られると心が痛むんだ
少々長いタイトルで申し訳ない。パリのテロを受け、できるだけ多くの人に考えてもらいたいことがあり、要素を詰め込んでしまった結果である。下記では、冷静な文章が残せるように努めたい。また、IDをつい1時間前に取得したばかりのはてな新参者であるため、慣例のようなものをスルーしてしまっていたら何卒ご容赦願いたい。
つくづくFacebook社は行動が早い。 LGBTへの支持を表明するレインボーと同じように、今回のテロへの哀悼を示すトリコロールへプロフィール写真を手軽に変更できる機能がリリースされた。
ユーザーは続々と自らのプロフィール写真をトリコロールに変え、一方でそうしないユーザーはそれに対して続々とアイロニーを寄せている。自分の観測範囲内だと、「どうせ何も考えてないんだろ?」「お気軽すぎるんだよな」「で、その写真はいつ元に戻すの?」「承認欲求も大概にしろ」などなど。
レインボーブームのときから、自分はそれを「冷笑主義」と呼んでいる。これについて掘り下げればキリがないから簡潔に済ますが、「何かをする人」と「それをバカにする人」の二項対立になってしまった日本社会の象徴のような光景だと思う。「何かをする人」を下に見て、その背景や動機に何があるかを考えようとせず、一様に冷笑する行為が蔓延しているのである。
このようなソーシャルムーブメントに対する「冷笑主義」について、自分は「いい加減にしてくれよ」と思ってしまう。民主主義というのは、いつもこういう未熟なところから発展するものなのではないだろうか?小さな波が世論となり、それが政治を動かす光景を、われわれは何度も見てきたはずだ。むやみにアイロニーを飛ばすことは、民主主義の停滞につながるとさえ思う。
そもそも、SNS上でアイロニーを飛ばしたって、なんのプラスにもならないのではないか。「憎しみの連鎖を断ち切らなきゃ」とは、プリキュアも名言を生んだものである(聞きかじりゆえ、諸兄には何卒ご容赦願いたい)。
自分は前述したとおり、このようなソーシャルムーブメントには賛成の立場をとる。これだけ冷笑主義が満ち溢れている時代に、アクションを起こした人の勇気はけなされるものでは決してないと思う。
ただ、レインボーとトリコロールについては、分けて考えなければならない。レインボーを表明することは、すべての人の幸せにつながる(「傷つく人がいない」といった表現は控えるが、つまるところそうだと思う)。しかし、トリコロールを掲げることで傷つく人は、世界中にいるからだ。
下記のツイートを見てほしい。
@SaeedSato
「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」 シリア出身UAE在住の女性アナウンサー
つまりは、こういうことなのだ。イラクやシリアで「100人が亡くなる」といった悲惨な出来事が、この1年に何回起きたか。そしてなぜ、それらの国の国旗がFacebook上でプロフィール写真にならないのか(Facebookがアメリカのサービスであることをおいておいても)。なぜ、「#prayforsyria」や「#prayforiraq」がTwitter上でトレンドに入らないのか。
自分自身も今回テロについて調べるなかで、アフガニスタンやパキスタン、ナイジェリアなどで多くの人が亡くなっていることをはじめて知った。無知を恥ずかしく、恐ろしく思った。
「Facebookのプロフィール写真をトリコロールにする」という行為は、個人の自由だ。一個人の「哀悼の示し方」についてアイロニーや批判を飛ばしたりしてはいけないと思う。加えて、先述したように、それは民主主義の問題にもつながる。
けれど自分には、そのアイコンが、欧米世界と中東世界の分断を深めているように思えてならないのだ。
今回の事件が発生してから24時間、(日本の)ネット上で主に見られた議論は「マス・メディアに対する不信や批判」。そして次の24時間は、先述した「トリコロールブームに対する違和感や批判」であった。
本当にそれでよいのだろうか。われわれが今、情報収集し、考え、話し合うべきことは、本当にそれでよいのだろうか。自分は、そうではないと思う。この事件の本質こそに、目を向けなくてはならない。
ー軍事力行使でテロが封じ込められたとしても、それは新たな憎しみと悲劇を生むだけではないのか。かといって、平和的な対話でテロが封じ込められるのか。
ー難民を受け入れた場合、欧州は政治的にも経済的にも混乱するだろう。それがテロの温床を生むとの意見も否定はできない。しかし、受け入れないという選択肢はさらに世界を混迷に陥れるだろうし、そもそもそれは「人間として」正しいのだろうか。そして日本は、どのように行動すればよいのだろうか。
ーオバマ大統領の演説にあった”the universal values that we share”、この”WE”とはいったい誰なのだろうか。
誰も正解は分からない。政治家や学者でさえも、正しい道を示すことができない。それについて考えることは難しい。自分も、上記のような問題について情報を集めれば集めるほど、考えれば考えるほど、絶望のようなものを覚える。
繰り返すが、今われわれが見つめるべきものは、「トリコロールブームへの批判」でもなく、「メディアへの批判」でもない(これについては長期的に考えるべき問題だ)。この事件の本質について考えるのが難しいからこそ、わかりやすい別の何かに怒りをぶつけたくなってしまうが、そこで諦めたり逃げたりしてはいけない。
そのことを伝えたいという想いで、キーボードを打っている。書きたいことは山程あるが、長くなっても意味がないので、このあたりで終わりにしたいと思う。とはいえもうずいぶん長くなってしまったが、このような長文駄文を最後までお読みいただいたことに心より感謝を申し上げる。ありがとうございます。浅学菲才な部分も多くお恥ずかしいが、その点はぜひご指摘をいただければ幸いである。