はてなキーワード: 萌えアニメとは
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
巷で話題の萌えアニメのオタクは害悪だと主張する記事を読んだ感想である。
私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。
ジャンプやサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東のゴールデンタイムで毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケをテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメの世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。
視聴作品数は、履歴書に書けば人間性を理由に採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想をブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラの茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。
簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。
以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。
主に作品ごとのアニメーションが持つ性質、役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。
過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。
それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。
アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。
例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。
『氷属性をもつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間の四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』
数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。
これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。
「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。
例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)
おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。
ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである。
むしろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女の性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女は主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。
さらにここに、
『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動しやすいよう周りの空気を自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女が腰掛けているステンレス製の巨大三角柱からは温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手を冷凍保存しようとしている』
と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女の攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDなキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである。
要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現は千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいからキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いからキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。
この時萌え絵かどうかはあんまり本質的な問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感があるかないかの話に過ぎないと考える。
これより先は趣味指向やトレンドとしか言えない領域に突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪の判断軸が及ばない空間である。
もしそれに対して「過去多くの作品で萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまったことで不当にも市民権的なモノを得てしまったからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪でしかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。
ひと昔前にギャルゲーを原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作のアニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。
ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。
当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず、立ち絵と差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的に作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。
その原因は、アニメに萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台が比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写のカットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしまう可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。
つまりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかにアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品のジャンルがアクション主体なのかコメディ主体なのかリアルな恋愛が主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。
実際のギャルゲー原作の作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。
画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤーの存在にすぎないとも言える。
絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品の価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。
だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情に自分がリーチできるかどうかに関心が向いてしまうものだ。
昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆どの人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算や工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当な表現だと個人的には思う。
昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界転生モノアニメのブームが続いているように見える。
少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。
ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界転生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。
この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。
ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。
2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロインの少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校に入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれた世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。
ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。
社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。
何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画の原画を制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。
今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。
端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命そのものだ。
そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオがクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火の魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。
間違いなく時代やトレンドに関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。
だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。
だが、予算や制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。
製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。
コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。
もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。
けれど、
あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。
私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである。
知ったのは今年の春くらいなんだけども、最近自分の中でキてて検索する手が止まらん
元々チル系好きで聞いてたんが、lo-fiのダウナーなトラック聴いた時にチルよりドンピシャ好みで髄液漏らすかと思った
サムライチャンプルー好きやからNujabesは知ってたのに今までスルーしてしまっていた 悔しい 亡くなってるってのも今更知った 悲しい
やたら90年代アニメをフィーチャーしてるのもたまらん 著作権侵害は悪だが
今のなろうやハーレム系アニメのパリッとした萌えアニメ絵が個人的にあまり萌えず、逆に平成初期あたりのアニメ絵の肉感がドンピシャ好きなのでそのアニメにバックでlo-fi流されたらMAX好きに決まっとるやろ 情緒バグるわ
ああいうのはマイルドヤンキー向け。ちょっとエッチなコミック系とかもそっち向け。縦スク文化もケータイ小説みたいなもんで、オタクの本流には入れないヤンキー向けでは?つまりオタクリテラシーが染み付いていない人だから奇抜な方式を受容できる。
スマホゲームで中国・韓国産の影響力が、なんてのは、PCオンラインゲームが90年代ゼロ年代に通ってきた道。でもその流行ってるスマホゲーム、どれも日本のオタクリテラシー極めてる海外のオタクによるものじゃない?
オタクが目を向けてるオタクコンテンツ、たとえばVtuberとか萌えアニメとかは世界中のオタクがもっぱら日本のスタジオが作り日本の声優が声当ててるものを称賛し追いかけてる状況。
それは当分変わらんと思う。
なかなかイイ大学のウンチ学部に滑り込み、それなりに学部横断的に人が集まるサークルに入ったんですよ
周りの人はみんな賢くてさ、話しててスゲーなあと思わされることも多々あったわけだ いろいろ考えてるなあ!ってさ
俺はわりとノンポリというかなにも考えんと生きてるし、高校までは偏差値50前後のところにいたから、政治の話なんてされたらそりゃ尊敬ですよ
ほんで卒業後、その尊敬できる友達のうちの2人がみごとに右翼と左翼に分かれた まあTwitter観測してるだけなんだけども、どっちもすげー典型的な感じで面白いんだよなあ
黒瀬深とかをファボり萌えアニメなんかも好む感じの右翼サイドと、津田大介とかをファボりつつヴィーガン生活にシフトしていく感じの左翼サイド
どっちも俺としては行きすぎ判定を下したいあたりにいる人の言説を好んで読んでるっぽくて、見ててちょっと怖い
その2人はわりと仲が良くて、2人きりじゃないにせよ旅行に行ったりもしてた仲なんだよな
同じ大学に通い、同じサークルを選び、合宿では同じ釜の飯を食った仲間なわけですよ
それが社会に出たらどっちも特定の側に身を置き、前衛には出ないにしろ思想戦争に参加している
ファイアーエムブレム風花雪月なんだよな
頑張って2人が会うような会をセッティングしようかな
戦闘会話が見られるかもしれない
いや見たくねえなあ
Paに好きな子偏ってるからタイプセレクトPaだけ回そうかと思ったけど全部引いちゃった。
昨日は妹が担当の限定SSRちゃん引いてて一緒にはしゃいどきました。いいなあ…
中居正広がダミ声で「お願いシンデレラ」を歌うあのCMは、最初に観た時の感想は
「このゲームよく知らんけど、とりあえず中居くんなんでこの仕事受けたんだ?でも面白いからええか」だった。
ソシャゲどころかゲーム自体あまりやってこなかったので、その時は「あー、スマホアプリね〜」くらいで受け流していた。
私は小学生の時からSMAPのファンで、特に好きなのは中居くんであった。
他のジャニーズやアイドルにはさほど興味なくて、お世辞にも上手いとは言えない歌も、バラバラのダンスも、コントも面白くて全部好きだった。
高校生になると所謂お茶の間ファンに落ち着いて、小学生〜中学生時代のようには騒がなくなったし、レギュラー番組を毎回追うまではしなくなり(スマスマは毎週観てた)、他の趣味や服やコスメにお金を使うようになる。普通のJKっぽいな
ただやっぱり2年に1度の彼らのライブはお祭りのようで楽しかったので、夏の楽しみにしていた。
アーティストのライブとかも行ったけど、SMAPのライブは本当に祭りって感じでちょっと特別感があった。
家族とも友達とも行ったSMAPのライブ。彼氏ともそのうち行きたいねーなんて話していたのに
お゛〜゛ね゛がい゛〜゛シ〜ン゛デレ゛ラ゛〜♪
アイドルは、やめらんない!の文字を見て、「そうだよね、解散なんかしないよね」と思いを馳せた。
家庭用ゲーム昔から興味なし、スマホゲームは某D社の積み系パズルゲームしかやったことなかった私が
はぁー?
ふぁーー???
(大和田常務)
えっなにこれ中居くんがこんなに可愛いミニキャラになって…40超えのおっさんがこんなにかわいく……
よくわかんないけどやってみようかな…ソシャゲとかやったことないし、リズムゲームなんて太鼓の達人しか経験ないけどできるかな…
可愛い女の子いっぱい出てくるなら良いかも?萌えアニメ好きだし…
中居くんを眺めるだけならとりあえず大丈夫だよね、うん、私にもできる…!
デレステはやってないけど普通のゲーム好き程度(?)にゲームできる知人に手ほどき受けながらチュートリアルを終えて「スターのドア」を設置。
チュートリアルで卯月ちゃん、凛ちゃん、未央ちゃんの中から一人選んで…って所から思い出が始まっている。
え〜!?!?一人!?一人選ぶの!?!?みんな可愛いじゃん…選べなくね!?!?!?一人じゃなきゃダメ〜〜???とりあえずこの島村卯月ちゃんって子にするか…
リハーサル→なにこれ難しい〜!!フリックってなによくわかんない!!!あっあっライフ無くなっちゃったけどリハーサルだからできる〜! ※debutです
親愛度上げて特訓→なにこれ可愛い〜!!なんかさっきより絵がキラキラしてんぞ!!!?
ガシャ→わーーーこの緒方智絵里ちゃんって子可愛いーーーーー三村かな子ちゃんって子も可愛い〜〜〜ってあれ?この声ゆるゆりの歳納京子じゃん!面白!!(萌えアニメ好き)
は!?3DCGってこんな可愛くなる!?!?ア○雪みたいな絵じゃないだと…!?やばいな技術…
てな感じで進めた。ゲーム自体のクオリティの高さに驚きながら…しかし知人と喋りながらプレイするとdebutですらゲームオーバーにしてしまうナメクジっぷりであった。
チュートリアルを一通り終えて、ぷちデレラになった中居くんを見た時の喜びは計り知れない。かわいいじゃんッ…なにこれ!!
解散騒動でSMAPファンが苦しんでいる中で、こんな癒しくれるこのゲーム只者じゃねぇな…とその時感じた。
レッスンとかユニット編成とかスコアとかよくわかんないけど、ゲーム自体は面白いしとりあえず中居くん愛でられればいいや…
キャラクターもみんな可愛いしね。スマホアプリに課金はしないだろうけど(笑)
そう思っていた時期もありました。
その時やっていたイベントは確かLive GrooveのBeyond the starihgtだったと思う。
えーなんか良い、顔が良い、何この子達???????ちょ、欲しいんですけど…
担当が出来た瞬間であった。
そしてやってくる担当ガチャ。DLしてから結構間髪入れず来た気がする。
前述した某D社のガチャで引いた時よりも、アドレナリンの脳内分泌がやばかった。
ゲーム音痴過ぎてSSRに衣装つくの知らずに「担当の絵がめちゃんこかわいいのとSSRって書いてあるから多分なんかつよい」ってだけで回した。馬鹿だな
その後もどんどんデレステにハマる。
リズムゲームも最初はナメクジだったけど、なんとかノーツ速度変えたりして回復入れながらMasterもできるようになって、色んなアイドルがドロップして来てくれて…
最初の印象とコミュの印象が全然違う子がいたり、イラストでそうでもなくても3Dモデル見るとすごく可愛くて好きになったり。
非ヲタの友達とカラオケでデレ曲歌うと、「これゲームの曲っぽくないね〜!おしゃれ!」とか言われることもあったり(わかる!)。
私のデレステのめり込みっぷりにドン引きしていた妹も、今では仲良くプロデューサー。
きっかけはアニメ。私が部屋でアニメ観てたらなんとなく一生に見始めて、終盤の卯月ちゃんにやられたらしい。
中居くんがルームを去った後も、デレステは続けることになった。
そしてその後、また担当ガシャがやってきた。
その前までは比較的爆死とかすること無く引けてたのに、初めての壁。
あの頃は青天井だったのでじゃぶじゃぶ課金した。いくら使ったかは数えたくない…
ここのアイドルはうちの事務所にずっといてくれる…と一人アホっぽい事を考えつつ
デレステに使いました。
こんなに可愛い女の子ばかりのアイドルゲームにおじさんの中居くんが急に飛び込んだりして、嫌な思いをされた方もいたかもしれない…
それでも炎上みたいにならずに穏やかに契約期間を全うできたこと、先輩Pの皆様にも感謝です。
きっかけは少し違えど、
私は成立しないと思ってる、というか経験として成立しなかった。
私は女なので男性に聞きたいんだけど、恋愛感情も性欲も一切絡まない友情だけの関係って本当にあるの?
別に特別男友達が欲しいという訳では無かったんだけど、趣味があったり話してて楽しかったり何かをやる時の熱量が同じだったり、でも別に恋愛感情は無い、(お友達として)いい関係築けそうと思った相手が異性だった事が何度かあった。
楽しく過ごせれば友人の性別には拘らないのでそういった相手と遊ぶことに抵抗はなく、軽率に誘い軽率に誘われて遊び、良いお友達だと思っていた。思っていたんだけど、そう思っていたのは私だけだった。
「オタサーの姫」なんて言葉が今でこそあるし、今のオタサーには女の子もたくさんいるんだろうけど、私が学生の頃にはそんな言葉もなく入ったオタサーは男9割の女1割で今思えば私は「オタサーの姫」だった。誰とも肉体関係はなかったけど。
私は萌えアニメも特撮もGLもBLも何でも楽しく見れたし可愛い女の子が好きだったから、今週みたアニメの話や女性声優やアイドルで盛り上がる男性陣の輪に入りたかったし、同じ熱量で活動したかっただけなんだ。
それだけだったのに、裏では自分の事をネタにセクハラトークが繰り広げられていたり、恋人はいるのか、ワンチャン狙うかみたいな話をされていたという事を知って、私と話してくれていた彼らに下心があったという事実がとてもショックだった。
まあ、何を思おうと勝手なんだけどさ、お互いに。相手からしてみれば恋愛対象に見てた私がそんな気は一切なくて思わせぶりもいい所だ裏切られたぜって思ってるのかもしれないし。ごめんねそんなつもりなくて。
でもこっちだって何だか裏切られた気持ちで悲しくて寂しかったんだよなぁ。
結局そんな感じのことを社会人になってからも何度か経験して私の中で男は(ごめんね主語がでかくて)恋愛もしくは性欲無しでは女のことを見ないという結論になっているんだけど。
まあ、女にもいるよね。そういう意味でアリかナシかでしか人を見ない人。でも私はそういう意味だけで人を見たりしないし、男性にもそういう人がいてもおかしくないのかと今やっと気付いたんだけど、実際どうなんですか?
一昨日オフ会で出会った特撮オタの人(この人は陽キャで既婚)からとても面白い話を聞いたのでこちらにまとめておく。
最近はオタクが市民権を得てきたとか調子に乗りすぎだと言われる。確かに一部のオタク界隈は間違いなくそうなのだが、オタク全体が解放されたわけではない。
市民権を得たのはソシャゲやってるライトオタクやアニメや漫画などが好きなやつらだけ。その他のオタクは相変わらず隠れることを余儀なくされている。
その代表格が「独身の」特撮オタクとフィギュアオタクだ。特撮オタクは直にイベントにいってはじめて一人前と呼ばれる。仮面ライダーを欠かさず視聴しているだけでは輪の中に入れない。特撮系の5ちゃんねるでジゴワットレポートの人の陰口をたたく数の多さがそれを物語っている(らしい)。
アニメなら共通話題を出しやすいが、特撮ものはそうはいかない。必然的に孤独を強いられるし、フィギュアなどを買っている人間は特にそうなる。彼ら彼女らにとってみればオタクというのは未だに隠れるべきものであり見つかれば叩かれるものなのだ。
特に同志を得られなかった特撮オタは自由にふるまうオタクを見ると嫉妬の意識だとかオタクの鉄のおきてを破った人間への嫌悪感で狂いそうになるらしい。そしてアニメオタクを叩きたいという欲望を強烈に募らせるのだ。俺様がこんなに我慢してきたのになんでお前らは自由にふるまっているんだ。許せない、というわけだ。
また、特撮オタクは金がかかる。そのため、薄給の人間が特撮オタをやっているとそれ以外のごらくがなにも持てない。その結果、独身で、特撮以外何も持たない限界オタクが出来上がる。こうした限界オタクは、自分の精神を保つために選民意識を持ちやすい。そして「我々特撮オタクこそが真のオタクである」というトンデモ理論が生まれるのだ。特撮はただでさえ正義を訴えるコンテンツが多く、特撮を見すぎると悪と戦うヒーロー願望を持ってしまうのだという。陽キャさんは半分冗談ぎみに「萌えアニメよりは有害度が高いかもしれないなw」と言っていた。
そんなわけで、オタクへの嫉妬と、陰キャをこじらせて我こそは真のオタクという選民意識を持った特撮オタクが一定割合で誕生する。素直な人間は、その嫉妬心や憎悪をそのままむき出しにする。しかしこれにあれこれと理屈をつけ始めるやつがいてそういうやつらがネットでオタクを自称しながらオタク叩きをするらしい。
この選民意識に同調しやすいのが「BL」界隈の腐女子のうち、友達が少ない陰キャである。これまた腐女子と一口でいってもいろいろいて、多くの腐女子はBLだけが好きなのではなく多趣味であり友達も多いそうだ。ところが、どっぷりBLにはまった結果リアルに友達がいない類の腐女子は特撮オタと同じように選民意識を持ちやすい。また、一定年齢以上の腐女子は、長年の迫害の結果オタクは隠れているべきであるという意識が特撮オタ以上に強い。その結果として隠れてないオタクたちを見ると嫌悪感をむき出しにするのだという。言われてみると、はてなブックマークでオタク叩きをしている人間の多くは年配の腐女子であるな。
こうして陰キャ独身男性特撮オタと陰キャ腐女子は「陽キャオタクが憎い」という理由で結託しているのだという説明だった。