はてなキーワード: 結果的とは
閲覧ありがとうございます。
筆者はケイト&クラウンのDLC実装直前くらいから始めました。古参ではないにしろ初老には入るレベルだと思います。
私は大会運営者でも参加者でもないので、第三者の一般プレイヤー視点と思っていただけたら幸いです。
DBDについてある程度知っていると目にするであろう大会や大会勢という言葉だが、果たしてDBDには大会ができるだけの土壌があるのだろうか。
恐縮だが、私はそうは思えない。
ゲームの大会には「競技性」が重要視されているが、これについて議論すると永久に結論のでない哲学の領域に入ってしまうので省略する。
ただ、競技性について1つ思うところは「参加者全員が同じ目的を目指していて、その過程に至るまでの公平性と運のバランス」が重視されている傾向にあるということだ。
APEXだったら1位、Varolantだったら相手チームに勝利する。と全員の最終的な目的はほぼ一致していて、ゲーム内でも「Champion」だの「Victory」だの表示されて明確に勝利条件が決まっている。
そしてその目的がそのまま大会の優勝条件になっていることがほとんどだ。1番勝った奴が優勝。実にわかりやすい。
またAPEX含むバトロワ系は全員が何も持たないほぼ公平な状態で始まる。そこから序盤に強い武器を拾ってより強くできるか、ヒーローシューター系ならキャラ構成の相性が運になるが、実力や連携次第で覆すことも容易にできる。
大会が多く開催されるゲームほど競技シーンを意識した調整がされていき、環境も目まぐるしく変わっていく。
ではDBDはどうだろう?
まずサバイバーとキラーで人数と目的が全く違う。そしてサバイバー4人の中でも
・脱出できれば満足な人
・ロングチェイスできれば満足な人
等バラバラなのである。言い換えれば、自分で勝利条件を決めることができるのだ。
PvP対戦ゲームでありながら非対称かつ目的が曖昧である。それが奇跡的に噛み合って毎回違うドラマが生まれる。これこそがDBDの最大の特徴と言えるであろう。
脱出したいという人もガチガチに4人PTを組んで、ガチガチにパーク構成や役割を決めれば脱出率は上がるだろうが、そうしている人は果たしてどれくらいいるだろうか。
バランスの議論も毎日のように飛び交っているレベルかつ、DBD運営も調整の内容がパーティゲームにしたいのか競技ゲームにしたいのか二転三転することが常なので、このまま大会を開催することは難しい。
まずサバだったら〇人脱出でXポイント、キラーだったら〇人処刑でYポイント、とサバイバー間とキラー間で目的を一致させ、そのポイントの合計数が一番高いチームが優勝とすることで参加者全員の目的を一致させる。
そしてキャラ、パーク、アドオンに制限を設けることで公平性を生み出す。
運営者はこうしたルールを試行錯誤しながら設けることで、何とか競技性を生み出している。
DBDの大会はほとんどがプレイヤー有志による開催となっている。この人達はDBDをもっと知ってもらいたい・盛り上げたいという気持ちがあるのだろう。
それは素晴らしいことだし、尊敬することでもある。
だが、私がDBDは大会ができるゲームではないと思っている最大の理由は、参加者の質だ。
ここで言う質とはプレイヤースキルのことではなく、参加するにあたる意識や責任のことを指している。この質が他ゲームに比べてあまりにも低すぎる。
SNSを見ているとDBDの大会は比較的大規模な大会でも毎回のように炎上している。あまりにも炎上の頻度が高いので私も苦笑を禁じえなかった。
そういえば数年前に1回だけ開催された公式大会も燃えてたっけ。
炎上の多くはチート・グリッチの使用と煽り行為に起因している。これらを行ってしまう理由として、
・大会に参加する=より多くの人に自分の行いが見られる=DBDのプレイヤー代表として見られる
これらの意識の欠如ではないだろうか。
通常の公開マッチのように仲間内でしか見られていないという感覚のまま大会に参加して迷惑行為をしてしまい、それがリアタイやアーカイブ視聴にてその様が広まって炎上する。
本質的にはつい最近社会で爆発炎上したスシローでの迷惑行為の加害者と何ら変わりはない。
そして最近では、大規模大会の参加者が裁判レベルの不祥事を起こし、それが運営にも飛び火して結果的に大会運営チームを解散する事件が起きた。
こんな事は前代未聞だ。そうしたプレイヤーが参加する確率があまりにも高すぎるのだ。
これを聞いて「そういった人はほんの一部で、多くの参加者はマナー・モラルを守っている」と思われる方も多いだろうが、特にネットではネガティブなイメージの方が記憶に残るものなので、
残念ながらこれがDBDというゲームなのかと広まってしまうのだ。
DBDは調整の度、「これで人口が減ってサービスが終了する」と言われているが、steamの人口はずっと横ばい推移なのでサ終はもう少し先になるだろう。
だが大会に関して今後もこのような事態が続いていけば、ただでさえ競技に向かないゲームなので開催頻度はどんどん下がりやがて身内レベルの小規模大会くらいしか残らないだろう。
プレイヤーの質を上げることが重要だがこればかりは個人のモラルに委ねるしかなく、またここまでの経緯を見るとあまり期待できない。
追記が、差別とは関係ないが、自分の周囲にはあまりいない(まったくいないわけではないが)タイプなのでびっくりした。
この増田にとっては、「サシ飲みに行く≒セックスする可能性がゼロではない」なんだな。
まぁ、でも、それ(俺がサシ飲みする時はセックスの可能性がゼロじゃないんだ、そして俺はヘテロなのでダメだ)と正直に言えば、少なくとも差別だとは言われなかっただろうなとは思う。
でもこれも、ちょっと伝え方を間違えると「こいつ、飲みに行ったら見境なくなるんか?」と思われそう。っていうか私はちょっとそう思った。
増田がサシ飲みに誘うときは、その3m先なのか3km先なのかはわかんないけど少し先にセックスを想定している、ということよね?
念のために確認だけど、当たり前だけど、増田が落としたいと狙っている女の子を飲みに誘ったとして、結果的に彼女に全くその気がなさそうなら当然特に何もなく、まぁそういうこともあるよな、で終われるんよね?
それが可能なら、別にゲイの友人とサシ飲みしても何の問題もないんじゃ、と思うんだけど…。俺は相手がゲイならいやだ、ということは、「増田が落としたくて誘った女の子にその気がなかった」時にすげー怒ったりしそうなんだよな。
増田が自分から飲みの誘いをしない人なのであればいい、首尾よく落とせなかった時でも根に持たない人なのであればいいけどさ、こちらが気軽にオッケーしたけど相手は「あわよくば」と思ってるって、割と気軽に人と飲みに行ったり、飲み屋で同席した人とちょっとしゃべったりするタイプの女なので、そういう人がたくさんいるんなら、割と怖いな。
中身を重視すると結果的に見た目と比例するだけでぇす
女の子はお金をかけてるから奢ってあげて!とかは後付の理由で、なんでそんなことを言ってるかというと、世の中に奢られてる女の子がたくさんいるから。
他の女の子は奢られてるから、あたしも奢ってほしいなーっていう気持ちがまず最初にあるわけなのよね。
ただそれだけなのよ。
それだけなのに、大層なロジックを立てて奢られることを正当化しようとしてるだけなのよ。
で、なんで世の中の男は奢るかというと、カッコつけたいから。経済的に豊か・ケチじゃないって思われたいから。
自分とのデートのためにたくさんお金をかけて準備をしてきてくれたから奢ってあげたいって思ってる人は0人です。
奢るべき理由は別にないけど、奢ったほうが結果的にあなたの評価は高くなりますよって言えば良いだけの話なのを、
変なロジックを立てようとするから、じゃあ全身ブランドで整形に1000万使った男には奢らないといけないのかとか話がややこしくなる。
奥さんがだんなさんとの間に作った男の子と、奥さんがおしゅうとさんとの間に作った女の子が、いつしか親族というよりも大人の男女として惹かれあい、結果的に周囲から祝福されて結ばれて生まれた男の赤ちゃんは、だんなさんから見て何という続柄か。
孫息子(息子の息子) 兼 義理の孫息子(妻の娘の息子) 兼 甥(異母姉の息子)
パートタイムで1時間を800円で売るほうがまだ全然お得じゃん。
ヒント:扶養
つうか答ですね。
扶養に入ってる人がお金を稼ぎすぎると扶養を外れて損をするというバグが日本にはあります。
そのため扶養に入ってる人は
の二択を常に迫られていることになるわけです。
んでもってまあ扶養の条件っていうのがある意味よく出来ているというか、多くの人が「もうちょっとだけ頑張った場合結果的に損をする」のラインに来るようになっています。
そこを超えるように下手に頑張って、そこでちょうど子供の面倒とかが忙しくなると最悪は損だけして終わるわけです。
なので多くの人は扶養の範囲までで労働を留めておいて、節約やポイ活によって利益を得るわけですね。
「そんなんやるなら最初から働いたほうが良いだろ」の言葉を『募金活動のためと称して駅前で箱を持っている暇そうな大学生や高校生』と同じ頻度で言われている『時間メッチャかけて数円単位の安さを求めて遠くのスーパーに行く主婦』の正体はこれだったんですね。
なるほど、ちゃんと考えれば世の中の不思議には答があるものですね。
ちなみに『募金箱を持ってただ突っ立っているだけの生産性のない時間を過ごしているバイト可能年齢の学生たち』の正体は、「バイトをして募金したよりも募金箱持って立ってましたのほうが内申や就活でポイント増えそうという下心の塊」です。
奴らは普通にクソです。
最近SAPIXに廃課金して子どもに難関中学受験させる親たち、という話題をよく見かける。しかし自分が小学校から高校までずっと公立だったため、なぜ中学受験が勝ち組への最短ルートみたいな扱いをされているのかわからない。
高校でそこそこの進学校に行って勉強を続けていれば、指定校推薦で早慶上智ぐらい入れるし、予備校に通ってしっかり対策すれば、東大や医学部だって不可能ではないと思う。
地頭がいいから公立のペースは遅すぎて苦痛という子が、少し試験対策して身の丈にあった私立中学に進学するのはわかる。
でも大切な子ども時代を犠牲にして勉強してまで、難関中学に行くメリットってなんなの?中学によってはエスカレーター式で大学進学できる、親のステータス、他にある?
SKY-HI、もといAAAの日高氏が会社を興し、色々なビジネス誌に顔を出している。
BE:FIRSTというグループは紅白に出ているので聞いたことあるかもしれないが、そのプロデューサーとしてイベントに一緒に参加したりバーター出演させたりする人物だ。
会社を興した目的やボーイズグループのプロデュースをやっている理由はざっくり言うと「音楽業界エンタメ業界を変えたい」ということらしい。
日本からグローバルに活躍する実力派グループを育成したり売り込みたい、というのはわかるのだが、「音楽業界を変える」という文脈で必ず挙げるのが「ファンがたくさんCDを買うの不健全」と言っている。
この話はアイドルで言う「詰む」文化であったり、いわゆるAKB商法と呼ばれるCDに握手券を入れたり総選挙の投票権を入れてCDをたくさん売るやり方に対することだというのは話の内容から自然につながる。
これだけ色々なところでこの話を言っているのだから、もちろん自らこのやり方をやめ、よりファンに金銭的な負担をかけないかつ満足度の高い施策をやっていたり、試したりしているのではないかと思う。
しかし彼がプロデュースするBE:FIRSTでは当たり前のように購入特典のグッズはランダムだし、オンラインお話会抽選券は入れている。
更に最近はセガとコラボしてゲーセンのクレーンゲームの景品に彼らのグッズを置いているそうだ。
いわゆる射幸心を煽る施策という結果的にお金をつぎ込むような「不健全になる施策」をおこなっている。
自分もいわゆるCDを大量に購入する文化であるとか、当たらないグッズのためにお金を異常につぎ込むことは不健全に感じるので、日高氏がこうした「推し」文化そのものを変えるのであれば賛成だし、逆にAKB商法も「モノを売って利益を得る」ためには必要な販促とも思っている。ビジネスとしてどちらもあればよいよね、という考えだ。
けれども彼は一番身動きがとりやすいであろう自分のプロデュースしているグループに対して、「健全な状態」とは程遠いランダム商法やAKB商法に近いものを行っている。
もちろん彼がその施策を決定しているわけではないと思う。
とはいえ、「自分の会社です」と色々なビジネス誌に出ていることや、始まったばかりのベンチャーである=大手企業より柔軟な活動が可能と考えるとあまりに整合性が取れていない。
最初は「まあ資金が足りないのだろう」と思ったのだが、本人がビジネス誌で「CD売り上げの利益は微々たるもの」「クラファンで資金を4億調達した」と言っているので、「お金がないからまずは仕方なくランダム商法をして金を集める」ではないと推測する。
これが例えば始まってすぐであればこれから出てくるんだね、と言うことが期待できるのだけれど、少なくとも自社のメインコンテンツであるBE:FIRSTがデビューして1年経っている。
事業が好調なことは良いと思うのだけれど、こうした「音楽業界を変える」ことに対するマニフェストのアクションがあいまいな状態もまた不健全ではないだろうか。
これを後悔と言われたらそうなのかも
周りには幸せそうな家庭も多いし、子連れも育児は大変そうではあるが多幸感に溢れている
自宅にいる分には全く何も感じないが、出先やちょっと買い物などに出かけた際に一人を感じる
つまり、他者と同じ空間にいたときに「自分だけが一人」「子どもたちと楽しそう」「夫婦がお互いを助け合っている」
という事実に向き合わないといけない、私はそこが辛い
辛いならば結婚しろよと言われるのは百も承知だけれども、今の生活リズムや自分の性格を変えるのは難しい
こんなワガママを他人に押し付ける気もないので、結果的に一人を選ばざるを得ないっていう結論かな
出会った異性から選ばれなかった出来損ないというのも受け入れているし否定もしない、実際そのとおりだから
だから強がって結婚しないわけでもないし、一人が絶対に好きだというわけでもなく、ただ結婚出来ず逃してしまったという人間です
結婚出来た方はお互い妥協点もあるにしろ、それらを受け入れ、お互いを助け合って、愛し合い生きていると思うと素晴らしいなと感じます
だな。
そもそも具体的な、金融政策、財政政策、MMTなどにケチをつけて、反論できなくなったところで声のでかい奴が、敵を叩き潰せば世の中は良くなるというのが新自由主義という側面もあった。小泉とか竹中とか橋下とか。
確かに、政府は無駄なことをしがちだし、どうなるかわからない段階で金を出すのも政府の仕事で、結果的に無駄になることはある。逐次検証は必要だし、検証した場合は鬼として削らないとならないこともあろう。
だけど、近視眼的な費用対効果で、教育・困窮者救済・基礎応用研究投資などを破壊してしまった。さらに、口先だけの評論家の戯言が費用対効果があるなんて勘違いした。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677
新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9
自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。
https://www.tnews.jp/entries/17582
もともとフリードマンは「リバタリアン」と呼ばれる、「人間にとって『自由』がもっとも大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても『自由』にすべき」という考え方の持ち主でした。
それを経済政策に適用しようというのが彼の考え方で、ケインズのような考え方の政策を、自由を阻害するものとして批判しました。
彼はその思想に基づき、規制緩和、減税、関税の撤廃など14の提言を行いました。
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しかし、フラット税制志向は、累進課税を弱める考えだ。さらに近視眼的な費用対効果で福祉・公共福祉サービス削減をすると弱いものは救われない。さらに教育や基礎応用研究も破壊する。
さらに一度金融危機が起きると企業が金を貯め込み設備研究投資をしなくなる上に、法人税減税をするから、致命的に貨幣の流通速度が落ちて不景気になる。そして労働者や起きたばかりの起業家なんかは食い物にされる。
どんな学部や学科でも学生の5〜10%は研究室に来なくなる学生予備軍である.
そういう学生は研究はうまくいかないし,就職に苦労するし,最終的には退学する.
大学院の退学なら大卒だが,卒論時に退学したら高卒である.そういうことを防いであげたい.
学生の5〜10%が退学予備軍であるとすると,10年も研究室を主宰していると何名かはそういう学生が出そうだが,
今のところ一人もいない.また,研究室主宰前にポスドクや助教などでいた研究室にも
一方で2~3年に一人くらいの割合でそのような学生を生み出す研究室もある.
そういう研究室の主宰者は「交通事故のようなもの = ある一定の確率で発生してしまう避けられない事象」と言う.
確かにそういう面もあると思う.人間と人間のマッチングだ.うまくいかないことはある.
でも,事故は避けられないにしても,シートベルトやエアバッグのようなものもあると思う.
私の研究室や私が尊敬する人の研究室はシートベルトやエアバッグが機能しているのではと考えている.
小サンプル事例であり,一般化はできないが,何かに有用であるとありがたい.
一応,旧帝以上の研究大学の事例であり,不真面目すぎて大学に来ないような学生の話ではない.
これをしていない研究室が多いように思う.上から研究テーマを押し付ける.研究室が書く論文を出版することを至上命題としすぎて,
学生を研究を進める駒としか扱っていない.学生がその研究テーマに魅力を感じていないのに押し付ける.
色々と事情もあるのだろうが,このパターンは来なくなる +退学まっしぐらである.
せめてテーマを押し付けるのであれば,その助走部分,なぜこのテーマが重要なのか,自分は大事だと思っているのか,
これができると将来的にどうなるのかといったことを説明しろ.先輩の論文読んどけ,とかはだめ.
飲み会で説教をする先生がいる.説教とまでいかなくても,先生のありがたいお話を学生たちが聞く場になっていることがある.
これはマジでだめ.みんな目が死んでるし,教授が帰ってからの二次会・3次会で愚痴を吐くことになり,時間の無駄だし,体力も金も無駄.
自分が偉いことを認識している人こそ,飲み会では話の聞き手に回るべき.あとは早く帰るべき.
愚痴りたいなら教員以上のみの飲み会でやるべき.学生との飲み会はヤバそうな学生の愚痴を聞いてあげれば良い.
これもだめ.これをやると,上記と関連するが,学生が自分が研究の駒としてしか認識されていない(人間扱いされていない)と感じてしまう.
研究が進捗していなかろうが,飲み込みが悪かろうが,生きていていい人間である.そのことを伝えなければいけない.
私が尊敬する先生は毎週,最低でも1日は研究室メンバーと昼食を取るようにしており,そこで学生の様子を聞いていた.
ゼミや進捗報告会では言えないことも,馬鹿話をするような雰囲気の昼食会では言いやすくなる.
部活やバイトの話,私生活の話なども出てきて,研究が進んでいない理由がわかるし,そのサポートもしやすくなる.
よく理系だと雑談は無駄だと言われやすいが,このような社会的グルーミングこそが研究室の生産性を高めると思う
とても進捗がよく,外部発表や論文投稿をおこなっている学生と上述のような問題学生がいたとする.
卒業できないレベル→卒業できるレベルにしたところで,外部投稿は増えない.
優秀な学生に時間を使えばジャーナルが1本から2本に増えるかもしれない.
ならば同じ時間を使うには…という話である.しかし,これは間違っている.
「とても進捗がよく,外部発表や論文投稿をおこなっている学生」がいきなり何らかの理由で大学に来なくなる,
というのはよくあることなのだ.鬱になったり,家庭環境の問題だったり.
博士課程に進学予定だった優秀な学生がM2の2月の段階で指導教員と喧嘩をして,進学を取りやめ,修士で修了,
たった1~2ヶ月で自身で就職先を見つけてきてその4月から新卒として働いた例を見たことがある.(優秀すぎる)
で,普段から「コスパが悪い」問題学生の相手をしていない教員が「コスパが良い」学生が問題学生になったときに
対処法がわからずに,その優良学生をも社会的にも抹殺してしまうことになる.これは完全に指導力の問題である.
問題学生と優良学生という二つのグループが存在し,通常の学生はその両者の間を行き来するのだという認識がないため,
悪いものはさっさと見切り,いいものだけ掬おうとするのだが,結果的に学生を切り捨てる研究室という雰囲気ができてしまい,
研究室全体の雰囲気がとても悪くなる.コスパが悪い学生に時間を使っていると,優良学生の一部は「なぜあんな奴に時間を使うのか」という不満を持つ学生もいるが,
全体的には心理的安全性が保たれる(この先生は学生を見捨てないのだという共通認識が生まれる)
これはマジでよくわからんのだが,学部時代の成績の良い学生を異常に好きな教員がいる.
しかし,研究大学にいる多くの学生は必ずしもペーパー試験の成績とその後の研究業績に強い相関がないことは皮膚感覚で知っている.
研究は長距離マラソンのようなものなので,短期走である試験では測れない知的スタミナが必要である.
そして,そこでは問題に対するモチベーションや意欲,根性のようなものも併せて重要である.
そのため,成績が良くてもすぐに息継ぎしたくなる学生は研究がうまくいかないし,そういう学生に対する指導の仕方と
成績は悪いが,根性や意欲が高い学生に対する研究指導の仕方は異なる.
にもかかわらず,成績が悪い学生に対して,つまらない研究テーマやアホでもできる作業レベルのテーマを与えたりする.
結果として,嫌になって出ていき,「やっぱり成績が悪いあいつはだめだ」と言い始める.
色々と書いたが,結局,学生一人一人を一人の人間として見ているかどうかのように思う.
とにかく同学科のある教員が退学者を出しすぎていて,嫌になる.
もちろんその教員も知能は高いので,アカハラにはならないよう正しく証拠集めをしている.
(来なくなった学生にメールを毎週送っている,実家に連絡して親も含めて話し合いをした,他の学生と同じように定期ミーティングのスケジュールはされているが来なかったなど)
しかし,結局のところ,怠慢だろうし,指導力不足ではないかと思う.
同じ学科で全く退学者を出さない研究室と異常な確率で退学者を生み出す研究室がある以上,
その研究室が退学者を生み出していると言ってもいいのではないだろうか.
学内での業績評価が論文などの対外発表や学生の受賞に偏っている以上,
このような退学予備軍の学生を救う研究室になるインセンティブはないだろう.
でも,それでいいんだろうか?教員のほんのちょっとの手間で防げることはある.
シートベルトやエアバッグを付ける程度の手間は許容できないだろうか.
その一方で,近年の学生がとても近視眼的に行動し,他責的かつ利己的であることが気になる.
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20230207-4FFXB7VLDZNG3OKKYCOGCRD2SE/
この件な。
要は差別は良くないことだけど、だからと言って禁止規定や罰則だなんだと押さえつけるように罰する事に焦点を持ってくるとお互い憎しみばかり煽ることになるぞ、ということでしょ。
差別は良くないことだけど、現状その認識が十分ではない状況なのでまず必要なのは理解増進であって、罰する話はその次だということじゃないか?
日本は良くも悪くも空気で動く社会なので、まずはその空気感を作るという意味で、結果的にはその方が社会に LGBT への理解が浸透してスムーズに移行できると思う。
(こうやって書くとネトウヨだ差別主義者だ、と言われそうなので先に言っておくけど、オレはリベラルだし LGBT 支持だからな。法律を作ることで逆に社会からの LGBT への反感が高まることが怖いんだよ。)
阪神大震災は笑えた!
死者1000人ごとにカウントしてたのってオレだけ?(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
阪神大震災は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
アホだなーこいつらって思いながら
でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし結果的には良かったんじゃないかな。
たしか知事や市長が自衛隊の救援要請を渋っていたけどさ、あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
今でも仮設住宅に住んでるやつがいるらしいけど、せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところで震災直後はあいつらってトイレどうしてたの?もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
低賃金も、無気力も、多くの人間の場合「選ぶ」のではなく「選ばされて」きたわけだ。
でも結果的に、本人はまるでそれを自分の意志で「選んだ」かのように思わされて生きている。
朝コンビニで、ストゼロを飲んでシャキッとし、まるで目の前の朝日も外の冷たさも周囲の視線も
加害者意識を持つべき人間が客体意識、被害者意識を望んで持っている。
おかしい。
今回の秘書の一件で、LGBTを拒否するなとか、日本は遅れてるとか言われてて、その受け入れを強要するのも違うと思うんだよね。
受け入れられる人もいれば、やっぱり無理だと思う人もいて、様々な人がいる。それが真の多様性なんだと思って生きてたわ。
秘書の人もまあ言っちゃいけないこと言ったとはいえ、直接LGBTを傷つけようと思ってなかった(まあ結果的に傷つけたけど)人の感じ方を受け入れろ!って矯正させようもするのはおかしくないか?
真にLGBTが望むのはバイなんだ、だから?ゲイだかなんかあんの?の世界線であって、バイなんだ!愛おしいな!レズ!それも素敵ね!ではなくね?別に今だって異性愛!素敵!ってなってないじゃん。
LGBTを受け入れられない人を非難する人は、結局は異端を排除する側に回っちゃってない?それってどーなんすかね。まあそういう人もいるよね。って受け入れないと、こっちだけ受け入れてもらうのは烏滸がましくない?
少し前まではオシャレとされていたものが、急にダサいと言われたり、ファッションは言うことがコロコロ変わってルールがわからない。
数年前は「くせのないデザインで、足が長く見える効果もある」なんて説明されていたのに、ワイドパンツ(太めのズボン)が流行りだしたら、急にダサいと言われるようになった。
オシャレ入門マンガ『服を着るならこんなふうに』を読んで、「なるほど黒スキニーを買えばいいのか!」と、正解を知ったはずが、「今どき黒スキニーはない」なんて言われたら、頭を抱えるしかなかった。
なので、30歳までろくに調べもしなかったファッションについて調べた。
やっぱりサイトや動画によって言っていることが違うので、やはり頭を抱えたが、続けているうちに、自分なりに理解が進んできた。「完全に理解した」の段階に至ったのだ。
たとえば「足が長いとかっこいい」のようなものだ。
黒スキニーパンツに、足が長く見える効果がなくなったわけではない。
今でも、引き続きバフはかかっている。
ただ、所詮錯覚でしかないので、全員が黒スキニーを履いていたら、あまり意味はない。
+2cm足が長く見える効果があっても、全員が+2cmされていたら、結局は、本当の足の長さで勝負するしかない。
それに、見続けていたら目も慣れる。
細いのがオシャレだったのに、今度は太いのがオシャレ。
みんなの目が、スキニーに慣れてきたタイミングで、太めのパンツを投入するのだ。
流行をつくりだす側にいるブランドのモデルを勤めているのは、人類で上位1%の足長人間だ。
足長効果なんて、ちょっとした誤差でしかない。太いズボンだってかっこ良く着こなす。
みんながスキニーを着て、少しでも足を長く見せようとドングリの背比べをしているところに、足の長さがわからないダボッとしたズボンをはいて、颯爽と歩くのだから、そりゃかっこいい。
ただ、足が短かったり臭かったりする標準人間は、やはり足の長さをどうにかしたい。
なので、ワイドパンツのなかで、センタープレスのあるものを選んでバフをかける。
つまり、センタープレスワイドパンツは、環境メタとして選ばれたのだ。
有名ブランドが流行をつくり、ファストファッションが真似をして広める。
この流れ自体は変わらない。
ただ、有名ブランドも、毎回正解をひけるわけではないので、独自路線に行ったり、大スベリしたりするので、安易に買うと大怪我をする。
ただ、GUはみんなが買えるので、値下がりするころには、もうみんな目が慣れてそんなにオシャレではなくなっている。
オシャレになるためには、延々と服を買い続けるしかないのだ。
次々と新しいファッションが登場するが、まともなパターンなんて限られている。
もし、片方が長袖で、片方が半袖の服がオシャレだとして、そんなもの、いつどこで着るんだ?
一回みんなが捨てたものを「今はこれがオシャレ」と言って出してみる。
当時の流行を経験していると、目が慣れているので、あまりよく見えなくても、それを始めてみる世代には新鮮に見えるので、また流行ったりする。
オーバーサイズが流行りきって、みんなが飽きてきた頃に、タイトなデザインをかっこ良く打ち出すブランドが出てくれば、みんなそれをオシャレだと認識するし、「次はタイトだ!」と騒ぎ出す。
ファッションに興味のない人間からすると、言っていることがコロコロ変わって、ひどく軽薄に見えてしまう。
実はそこにもルールがあるのだ。
ファッションは、手持ち一匹だけのポケモンバトルのようなものだ。
水ポケモンに、ハイドロポンプを使わせるのが、最も威力が高いとわかれば、みんなそれを使うわけだ。
全員が水ポケモンで戦い始めると、弱いとされていた草ポケモンの有効な使い方を見つける人が現れる。
そして草ポケモンの戦術が一般化するころには、最先端のやつは、ほのおポケモンを中心にした戦術を組み立て始めている。
あまりポケモンをやってない人間は、「あれ? 水ポケモンが強いんじゃないの?」「なんでほのおポケモン育ててるの?」と混乱する。
ポケモンなら「ポケモンをやらない」という選択肢があるが、服は、全員が着る。強制参加のゲーム。オシャレは理不尽。
濃い色のジーンズが好きで履いていたら、それが急に流行りはじめて、カウンターのように「次は薄い色のジーンズ」となり、いつの間にか「濃いジーンズはダサい」と言われるようになる。
それでも濃いジーンズが好き、と思いを貫いて着続けていれば、ジムリーダーになれるかもしれない。
実際、ある程度年齢が高くなってくると、自分なりのファッションが固まってくる。
アメカジジムのジムリーダーは、さまぁ~ずとか、所ジョージとかだろう。
「似合っていれば何でもいい」と簡単に言うが、自分が似合うファッションを見つけて、それを貫くのは、かなり大変だ。
ダサさを貫いてもただダサいだけ。
もし、この強制参加の理不尽ゲーから抜けたいなら、とにかく流行に左右されない服を着るしかない。
色はシンプルで、とにかく清潔に。数年着たら買い換える。
こうすれば、オシャレでもないしダサくもない、服の印象は特に残らない人になれるかもしれない。
もしくはもうひとつ裏道がある、服なんかで評価されないくらい魅力的な人間になることだ。
でも、たぶん、そっちの方がよっぽど難しい。