はてなキーワード: 研鑽とは
分かりたい、覚えたい、が最初に来るわけがなく、人と打っているうちに面白さが分かってくるものだと思う。対人ゲームなのだし。自己の研鑽を突き詰めるなら、もっと偶然性の低いパズルなどの方が合っている。詰碁はそういう面もあるが。
コミュニティが紹介されているが、質問できるとかより棋力の合う人と打てるかが重要。将棋はある種のコミュニケーションツールとして普及しているから、駒の動きは分かるって人は多く、子供の最初の相手は多い。
碁は興味が湧いて覚え始めた人に、碁会所には行かないようにお願いするんだよね。碁を嫌いにならないように。
常駐している人の中にタチの悪い人がいるからって。飽くまでも一部の人ではあるが、どこにでもいる。新しく入って来た人をマウンティング対象として扱う。ルールが覚えにくいから碁を打つ自分に酔いやすいが、頭ひとつ抜けるのは難しく天井は高く、歪んだ承認欲求の行き場が無いのだろうか。
少し昔の話なので今は違うのかもしれない。せめて禁煙になっているといいなと思う。
ただの日記なので読まないでください。ご不快になると思います。
衣食住足り傷病もなく、温かい人間関係の中で過ごすことができました。本当にありがとうございます。
肌に触れる布類も清潔で、布団は柔らかく、床暖房を使わせてもらうこともできました。
子猫が甘えてくるようになりました。ふわふわで、どこの匂いを嗅いでもビスケットのような香りがします。抱きしめると喉を鳴らして喜ぶので、自分はなんて幸せ者なんだろうと思います。
今日は暖かくなったら食べようと思っていた、フレッシュサルサを自分で作ることができ、家族みんなで頂きました。
〇が食べたかったナムルや太巻きを用意してくれたので、ありがたくいただきました。〇のために苺を切ってあげられてよかったと思います。
とても美味しかったですが、まだトマトの季節ではないので、おそらくガス暖房ハウス栽培でしょう。いま空気中の二酸化炭素濃度が世界平均420ppmを超えていますが、このような食生活もいつまで続けていけるのかなぁと思いました。
露宇戦争の影響でエネルギー価格も高騰していくでしょうし、空気中の二酸化炭素濃度が更に上がれば、地球は砂漠化するでしょう。
食欲があまりなかったので肉類は食べませんでしたが、アメリカ産の植物性プロテインとニュートリショナルイーストで調整しました。
これも蝗害でいつまで入手できるかわかりませんね。自分はできれば昆虫食は遠慮したいので、今から肉食は減らし植物食に慣れていこうと思います。時代が来たら食べるかもしれませんが、今のところその勇気はありません。
40代の男女の誕生日プレゼントを検討中です。お互い予算は2500円と相手から言い渡されているのですが、そこまで絞ると逆に何がいいのかわからないですね。
〇〇さんには虹の積木、自家製の酵母パン、南国土産のアクセサリー、いくらでも思い浮かびますが、〇〇〇さんにはなにがいいのか皆目見当がつきません。でもがっかりさせたくないので腕が鳴ります。カンナビアもよさそうですが、もう生産終了ですからね。ハンドクリーム、使ってなさそうです。
当初目星をつけていた、parks projectのキャップは5000円だったので予算オーバーでした。一体どうしたら良いのやら。
でも、学生時代を終えて新しく気の合う人に出逢え、しかも友人たりえたのは本当にありがたいことです。気持ちの良い尊敬できる方々で、自分は人に恵まれています。ありがとうございます。
最近爪先が気になるので、NailsIncの45秒速乾タイプを買うか検討中です。
色々試しましたが、何も塗らないと爪の筋が目立つのでエチケットとして磨かなければならない。しかし磨くと薄く折れやすくなる。SNSで見かけたCHANELやOSAJI、ドラッグストアに売っている数々のベースコートも試しましたが、異臭が辛い。ジェルネイルも爪の違和感と異臭が辛い。水性のものはアルコール除菌で剥がれ落ちる。何をすればいいのかもうよくわかりません。
すこし〇〇というゲームもしましたが、あまり楽しめませんでした。なんとなく、自分には向いてなさそうです。
南国の〇〇の〇〇をモチーフにした〇〇を描こうというアイデアが浮かびました。なぜなら、自分にはどうしても読みたい〇〇がないのです。どれを手に取っても、浸りたい世界観がマッチしない。なら、自分で〇〇を描くのはどうだろうと思いました。
〇〇〇と〇〇〇〇で発表して、〇〇〇を狙うのがいいでしょうか。ゆくゆくは〇〇〇〇の〇〇もできれば良いなと思っています。
ということで、〇〇朋子さんの最近出版した書跡を資料として購入します。
今日は全く他人に会いませんでした。疲れてしまうので全く自分には向いていません。
参加しなければならないズームもありましたが、任意なので取りやめました、人と会うと疲れてしまう自分に、今の仕事は全く向いてないと思います。なぜできると思っていたのだろう。結局定期的に体調を崩すことになっています。
なんのために働いているのかわかりません。周りからは破格の扱いを受けていますが、自分にできないことを求められるので、別にそれが当たり前だとは思いますが、向いてないという結論にしかなりません。どうしたら周りと同じように振る舞えるのか、わからない。
アドバイスをもらっても全く活かせないので歯痒いです。せっかく良いご縁をいただいたのに、お役に立てることができず申し訳ありません。
でも、少しずつですが収入は上がってきているので、まだ暫く試行錯誤しようと思います。
別れた〇のことを思い出しました。結局あの方は介護者を求めていたのだなぁと、今になって思います。そして、あまりにも多く嘘を吐く人だったので、自分に対してさまざまな言葉を言っていましたが、あれも全部嘘だったのだろうなと思います。
などと会いたくありませんし、関わりたくありません。縁が切れてよかったです。
アルコール中毒だからうつ病で、レイシストで批判愚痴暴力を愛していたから孤独で、努力を嗤うから進歩がなく、そのために卑屈になり精神的不安定に陥る人でした。自らご自身の幸せを捨てていることを早く自覚して、悔い改めて欲しいと思います。
でも、自分自身はあの経験があったので、危険人物はすぐに離れることができるようになりました。ありがたいことです。
そういう人が幸せになるように、手を差し伸べなければいけないのだと思い込んでいました。全肯定をしなければならないと。でもそうではなく、そう言った方々ご自身の問題は、自ら解決する力があるのだとわかりました。
そして、自分は自分自身の目的のために時間を使うことが罪ではないと学ばせてもらいました。
〇〇さんに連絡しませんでした。なんだか嫌な感じがするので。そのうちします。ごめんなさい。
10億稼いで5億納税して3億寄付して2億で〇〇〇〇保護の活動がしたい。
今〇〇〇は送金できました。残り〇〇です。泣き言言わずに達成します。
そういえば、体重がとうとう〇〇kgになりました。げっそりとしていた部分は無くなりました。
これまでの違いとして、下半身はそれほど問題はありませんが、上半身に皮下脂肪がついた感じがします。
まずは背中を重点的に鍛えて、健康的な体型に近づけようと思います。
体重は、気をつけていたら一日で1kg減っていたので、明日から3日間は-1kgを保持し、4〜6日目は-1.5kgを保持。と言ったふうに、恒常性が働かない範囲の緩やかさで筋肉を増やしむくみと不要な脂肪を削っていこうと思います。
明日は抹茶ラテ、カプレーゼ、納豆麦飯を食べようと思います。〇〇さん、に連絡します。
理由あってこちらを利用していますが、人に読んでいただくために書いておりません。ご感想は不要です。推敲研鑽はしませんので、お手を煩わせるだけの結果になるでしょう。
【追記】追記編と初手編、日常用語編、国際編、人物編、二眼の説明を加えた。
anond:20220131231934にインスパイアされてやってみた。
省力のために一部wikipediaからの引用も交えながら独自の解説を記した。
一手で隅をほぼ専有できてしまう反面、中央から遠く発展力やスピードに欠ける。
江戸時代以前の古くから打たれている手であり三々よりは中央に近く、星よりは地に近いバランスの取れた手。
隅を占めるのに二手かかるのが欠点。
4・4の地点で碁盤の目印のある部分のこと。
後述の昭和の新布石時代からよく打たれるようになった手。それ以前は置碁くらいでしかあまり見られなかった。
地に甘いというのは、相手に三々に入られるとほとんど地を奪われてしまうためである。
碁盤において、この地点がもっとも高い地点であり、端は地面という概念となっている。
後述の厚みが確定地ではない未来への投資であるのに対し、序盤から陣地になる可能性が高い場所を実利という。
実利をとれば厚みを作られ、厚みを作ると実利をとられるという表裏一体な関係にある。
盤上において影響力を及ぼすことのできる、しっかりと連絡して眼形の心配もない強力な石の集団である。
「厚み」は「薄み」に対する対義語である。囲碁で「薄い」というのは連絡が十分取れていない形、眼に不安がある石のことであり、相手に攻撃される可能性を持っている状態を指す。
これに対して強力な「厚み」は相手からの攻撃を受ける可能性が低く、周囲に近づいた敵の石に対して攻撃するための基盤となる。また、相手が近づいてこなければ大きな模様や地を形成する拠点となる。
大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。
手の順番や形を変え、定石等と比べることで本来の形に対して余計な石があることなどを評価し、効かし効かされを判断する。
1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
またAlphaGoの台頭以後、新布石時代に負けるとも劣らない布石の変化が囲碁界を席巻している。
例えば星への三々入りを序盤に行うの「ダイレクト三々」は相手に厚みを与えるため不利と言われていたがそれが平然と行われるようになった。
隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。
安永流ともよばれる。星・小目・辺の星脇を組み合わせた配置である。
小目からシマリを省略して星脇へヒラく手法は、江戸時代初期に本因坊道策が使用している。
本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された。
右上空き隅、小目、相手の星へのカカリから星脇へのヒラキまでの一連の配置を指す。下図下辺の黒の配置がミニ中国流である。右上隅の着点は必ずしも決まってはいないが、星との組み合わせが最もよく打たれる。平成期に流行した構えだが、すでに400年ほど前に本因坊道策が試みていた。このため道策流とも呼ばれる。
序盤早々、周囲にまだ石がない段階で、相手の星に対して直接に三々に打ち込んでいく手段を指す。かつては全く考えられていなかった戦法だが、AlphaGoなどの人工知能がこの手を打つことから注目され、人間の棋士の間でも広く採用されるようになった。ダイレクト三々の名称は、2018年5月から河野臨によって週刊碁の連載のタイトルに使われ、定着した。
囲碁の基本的な手筋のひとつである。アタリの連続で、逃げる側は盤がある限りは逃げることができるのだが、盤の端まで到達してしまうとどうにもできず、石を取られてしまう状態をいう。逃げきれるつもりでこの手順に入ると非常に大きな被害を受けること、シチョウアタリという攻守が全く逆転する危険な変化があることから、「シチョウ知らずに碁を打つな」という格言もある。
シチョウの追いかける先に相手の味方の石がある場合シチョウが成立しないので、この手を選ぶことが多い。
相手の石にフタをするように斜めに置き動きを封じる。
一旦相手のふところに石を打ち、一度は取られてしまうが取った後の姿がアタリになっていてすぐに相手の石を取り返すことができる。
漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。
相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。
相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。
相手の石をアタリにし、自分の石を相手に取らせた上でもう一度相手をアタリにする一連の打ち方を指す。途中、さらに捨て石なども交えることもある。多くの場合、相手を凝り形にし、自分が形を整える目的で打たれる。また、攻め合いの場面で相手の手数を詰め、攻め合い勝ちに導く手筋としても用いられる。また、あまり効果のないシボリを「西洋シボリ」と称することがある(前田陳爾の造語)。
ある石のダメが詰まることで、各種の不都合が生じる状態を指す。「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁格言があるように、不必要にダメを詰めてしまうことは身の破滅につながり、碁において戒められる事柄のひとつである。
駄目については後述。追記編を参照。
ヨセ(終盤のこと)において相手の陣地を侵食するための鮮やかな手筋。
一見繋がってないようなところに打つのだが、見事に繋がっていて相手の地をかなり減らすことができる。
盤上にある石の一団は二眼(空間が2つ)ないとゆくゆくは駄目(呼吸点)が詰まり必ず取られてしまう運命にある。
これはルールとして定められているというよりは、石は呼吸点を有してないと取られる、着手禁止点には打てないという2つのルールから導かれる定理のようなものである。
2つ眼があると、駄目が最低でも2つある状態と着手禁止点が2つある状態が存在するため、着手禁止点を同時に2つ塞ぐことはルール上できないので必ず取られない最強の存在となるのである。
この取られない石の状態のことを「生きている」と言い、この「生きている石」の内側の領域が陣地となる。
この石の生き死にさえ理解できれば、初心者の、どっちがどっちを囲んでるのか、これは内側も外側も囲んでると言えるのではないか、という疑問は消えるだろう。
相手にそこを継がれると眼となる部分に先行して打って欠け目にすること。
「打って欠く」(打ち欠く、あるいは内欠く)の意
相手にそこに打たれると完全な二眼ができてしまう部分に先行して打てなくする、相手の石の一団を殺す必殺の手。
隅に打った既存の石から陣地を確保するためにもう一手かけて領域の守りを固める手
ふたつ隙間を空けて打つ手
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自分の石の斜めひとつ空けた場所に置くこと。●から見て★の手のこと。
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相手の石の隣にくっつけて置くこと
相手の石を挟むように置くこと
相手の石の斜めに置くこと
相手の石のつながりを断つように斜めに打つこと
相手の石がそれ以上侵入してこないようにせき止める位置に置く石
相手の石を押すように平行に打たれる石
目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された
小目への一間高ガカリに二間高バサミして生ずる一連の変化を指す。難解で未解明部分も多く、また変化型が多いために誤ると自らも傷を負うところから、村正にちなんでこの名が付いた。大斜、大ナダレとともに三大難解定石とされる。
竹の節のような並び。
一間空けて2:2で平行に並んだ形で、その間をどちらかを相手に打たれたらもう片方で繋がれるので絶対に切られることがない。
仏教用語ではひとつの宇宙が始まって終わるまでの途方も無い長い時間のこと。
囲碁においては、どちらかが譲らない限り永遠に循環してしまう特別な形があり、その形をコウと呼ぶ。
コウの形で石を取られた側はコウをすぐに取り返してはならず、一手別の場所へ打つ必要がある。
通常、白石はハマグリのくり抜きによってできているがそれが語源か。しらんけど
冒頭で説明。
限られた局面、特に序盤においてある程度決まった一連の手の応酬のこと。
定石は手練の碁打ちの長い研鑽、研究により成り立つもので、お互いに必然の手を打ち、双方ほぼ互角のワカレとなるのが定石の前提である
どちらの陣地にもならないどうでもいい地点の事を指すことから日常用語に転じた。
または、石から出ている呼吸点(全部塞がれると相手に取られてしまう)のこと。
囲碁において死活問題とは、相手の石を殺す、あるいは自分の石を活かすための問題(クイズ)のことである。
現代では上手(うわて)が白を持つが平安時代期には強いほうが黒を持っていた。
そのため
と転じたと言われている。
自分が第三者となった視点で戦いを見ると手がよく見える、あるいはそう錯覚すること。
一目は一子(石ひとつ)の意。
囲碁においては強さに差がある場合、相手より多く先に石を置いた状態で始めることから、相手の実力を認め敬意を示す意味に使われるようになった。
手を省くこと。
力を抜くことではなく、相手の打った手に付き合わず、その場所よりも価値の高い場所へ向かうことを言う。
囲碁にはいくつかルールがあり、基本的には江戸期~昭和期まで囲碁の第一人者であり、世界に囲碁を広めた日本のルールが用いられている。
日本ルールは盤上の囲った陣地(目)のみをポイントとするのに対し、中国ルールではそれを含め置いた石の数もポイントになる。
この2つの大きな違いは、日本ルールが自分の陣地に自分の石を置くことがマイナスとなるのに対し、中国ルールではマイナスにならない点である。
このことが死活に関わる局面や終盤の局面での手入れ、手抜きにおいて大きな違いを生む。
日本ルールでは曲がり四目と呼ばれる形が出現した場合、手を入れるのがマイナスになるためそれが死であることの証明を用いないと議論が生じる。
そのため中国ルールのほうが初心者に優しく、コンピューターにも優しい。
他には日本ルールでも中国ルールでも禁止されている自殺手がOK!というルールもある。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。(日本棋院表彰ページより引用)
永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日)
江戸幕府における囲碁の最高位だけにとどまらず、将棋の最高位も得た二刀流。
大橋宗桂との将棋対局は将棋の現存する最古の棋譜でもあり将棋界においても重要な人物の一人。
正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日)
手割りや布石など、数々の発明を生んだ天才棋士。史上最強という呼び声も高い。
文政12年5月5日〈1829年6月6日〉 - 文久2年8月10日〈1862年9月3日〉
ヒカルの碁で著名。
1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日
またタイトルとなる前の、「名人は一世に一人」の終身名人制時代の最後の名人でもある。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。2008年囲碁殿堂入り。
「オマ●コ」発言など、昭和の棋士らしい数々の破天荒なエピソードが有名。
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
天元 1期 (1975)
「下駄を履いた男性医学部受験生/不利な状況で受かった女性医学部受験生」
って構造をそのまま
「下駄を履いたが故に相対的に劣った男性医師/不利な状況で受かったが故に相対的に優秀な女性医師」
ってみなしてるコメントもあって尚更アホやなって思った
それが許されるのは
「大学受験における試験の点数の優越」→「医師の臨床能力の優越」
「東大理三から医学部に進級して卒業した東大医学部卒の医師」が最も優秀な医師ということになる。(東大入試で男女差別はありえないのでこの場合医師の性差をないものとする)
つまり女性受験生を差別してた私立医卒の医師は(問題になった大学のうち順天堂以外はだいたい中堅から底辺なので)男女問わず医師としては劣ってることになるだろと
実際はそんなことなく、本当に不出来ならば医学部6年間+国試で淘汰されるし、そもそも医師としての臨床能力は臨床に出てからすなわち医師になってから磨かれるものであるから、それなりに良い教育環境の中で医師として研鑽を積んでいれば実力はプラトーになるんよ
そんなことも考えずに大学入試ごときでヤブがどうとか思えるの、思考が素朴すぎるわ
もちろん私は入試で女性というだけで減点するようなクソ私立医はクソofクソと思っているし、入試は入試問題の解答能力の評価としてはフェアであるべきと考えているから、今回の結果は歓迎している
最近は作家と公務員の2足のわらじに対する世の中の風当たりがやたら厳しい。
仕事で知ったことを平気でバラすようなやり方をしなければセーフだと私は思う。
そもそも金を貰えるにしろ貰えないにしろ私達は文章を書きたくてたまらないわけで、むしろ書かなければ体調を崩して公僕としての機能が落ちるのだから。
言ってしまえば排泄と同じなわけで、仕事に専念するために書くのをやめろなんて我々に言うのは、ウンチをしないアイドルになるために肛門に栓をしようと提案するようなものなのだ。
実際、私の作品が市場の需要を満たせないと判断されて仕事がなくなった今でも私自身は適当な書き散らしは好き放題にやっているわけで。
締め切りという概念から開放されたと思われるかも知れないが、私のやり方は連載作家のそれではなく完成してから納品してそれを編集が見て売れるものかどうかを調べるやり方なわけで。
結局の所、収入が公務員一本になっただけで時間の使い方に大きな違いはない。
お役所仕事は相変わらず嫌いなままだし、組織への忠誠心は文筆業を退いたからといって増えたわけでもなく10年以上前から続く空っぽが今も続いているだけだ。
気持ちの上では作家が本業だっただけで、時間を使う割合で言えば間違いなくフルタイムの副業が上回っていた。
収入についてもなんかの賞を取った瞬間に月収の内訳を比較してようやく作家業が勝つ状態である。
私と同年代の作家が大学を出てすぐプロになった話を聞くたびに、単純な経験値の比較でどれほど差がついているのかを計算してしまう。
こっちが役所のボロっちいパソコンに向き合っている間、あっちは作家として研鑽を積んでいる。
週50時間、月で200時間、年で2500時間、その上向こうにはこちらにないようなサポート体制がある。
10年なら25000時間、よっぽど両者の才気に差がなければ埋めきれない。
そして才能がないのはコチラの方だ。
才能はない、積み上げた時間は違う、モノが違う、それでも負けたくない。
なんで負けたくないのかと言えば、他に自信があるものがないから。
アイデンティティを能力の優劣に委ねるような幼い人間性を成長させることより、能力によって自分の存在を証明する方が楽だと見誤って生きてきたから。
言い訳をさせてもらえば、存在意義を人間社会の存在価値に委ねるような人類全体の幼さに付き合わされなくていいならこんな事に悩む必要がないのだ。
今や本業の収入はゼロだが本業が作家であると言い張ることを辞めたくはない。
公務員として立派に働くことに人生の意味を見出してしまえば、あのねばついた組織の空気と同化してパワハラを繰り返す怪物の一員となるのだから。
それだけは避けなければならない。
副業がしたい。
新卒からエンジニアとして働いて苦節11年、2回の転職を経て年収が800万を超えた。去年のことだ。
今年、仕事にもずいぶん慣れた。リモートワークも肌にあっている。子供も小学校に入学した。
学生時代は恋愛などにうつつを抜かすことなく努力を続けたことで、コンピューターサイエンスの基礎を身につけ、希望の企業から内定がいただけた。
社会人になってからはエンジニアという職業が想定とは違い、エンジニアリングより対人コミュニケーションが重要であるギャップに苦しんだ。
しかし技術が好きなことは変わらずその道の研鑽を怠らなかったことで、紆余曲折ありながらも居心地のよい職場に巡り会うことができた。
妻とは今時珍しい両親から強烈プッシュされたお見合い婚だったが、落ち着いた人柄で一緒にいても穏やかな気持ちでいることができる。
一人でいるよりも、二人でいる方がリラックスできるという感覚は今まで想像したことがなかったので驚いた。
子供は、私が大好きだった祖父の面影をどことなく持っていて、時折かわいいという感情と懐かしいという感情が入り混じる不思議な感覚になることがある。
イケてる人たちを横目に黙々と生きてきたつもりだったが、気づけば公私ともに恵まれた環境にいる。
技術以外にはさほど欲がなかったので、今新たに何を求めて生きていけばいいのかわからなくなってしまった。
その幸せを生み出す事業か、幸せを損なうものを排除する事業に自分の力を使いたいと考えた。
こんな自分でもなんとか生きていけている社会に対して貢献したくなった。
今の会社は業績的にも安定しているし、エンジニアとして長く働けそうないい環境なので転職は考えていない。
「副業 サイト」「副業 マッチング」でググればいくらでも候補が出てくる。
しかしそこで辿り着くサービスはほとんど採用時に成果報酬がかかる。かなり高額の。それは不本意だ。
自分がどれくらいマッチするか、作業時間を確保できるか、パフォーマンスを発揮できるかは働き始めなければわからない。
そして働くのはきっと私が惚れ込んだ社会の役に立とうとする気概をもつ企業だろう。
その企業に私がジョインするだけで数十万円の負担をかけたくない。だから成果報酬がない副業マッチングサービスを探したい。
wantedlyは企業を探すのには良さそうだがスカウトが来ない。自分から応募するほどの情熱はないというか、情熱を持てるほどの事業かチームかというのを見分ける術がない。
PayCareerはいくつかスカウトをいただけたが、残念ながらマッチするプロダクトではなかったので友人を紹介した。面談して報酬を貰えるサービスというのは素晴らしい体験だった。
友人・知人の紹介だと、断る時に断りづらそうな気がして敬遠している。
これリアルタイム処理だぞ?リアルタイムでボーンへ反映してエンターテイメントとして成立させる処理があらゆる意味で"軽い"と思ってるのか?
この技術は昔から漫画やSF小説の世界で描かれたいた人々の空想、妄想、夢想、理想の一端なんだぞ!?
これが発展すりゃどれだけの連中の仕事が捗るようになると思っているんだ?
これが進化すりゃどれだけの障害者が健常者と同じ様に動けるようになると思っているんだ?
もっともっと多くのユーザーやデベロッパーが参加して、一般化して、当たり前になって、そこにあって当然になるまでのたったの一歩が今見ているVtuberなんだよ。
Vtuberをたかが自由の旗頭程度に評価を小さくしてんじゃねぇよ。
将来のお前が年食って足腰立たなくなって、それでもエンターテイメントを、旅行を、思い出を観たくなったときに体験するバーチャルリアリティの技術の先祖にVtuberは居る!
なんか時代に取り残されてる人って感じ。
時代は政府といかに距離を取るかだと思うんだけど(利用できるところは利用するけどね)、ネトウヨや左翼は政治に時間使いすぎじゃね?
今時は政治や政策に影響を受けづらい所謂多国籍企業に就職して、年金に頼らず投資して老後の資金やお金を増やして、ルールに則った範囲で節税して…等とにかく国から離れるのがトレンドじゃん?
もちろん、それでも国の影響は受けるよ、受けるけどその影響を最小限にする方法を考えるのが今の賢い生き方じゃない?
コロナだって国に文句言ってる人いるけどマトモな企業なら在宅勤務を進めてたり、マスク配ったり、ワクチン(これは国を利用できるパターンね)打てたりするじゃん。
マトモな企業に勤めていれば、国と距離を保ちながら生活できるんだよね。
だから、ネトウヨや左翼みたいに政治に時間を使ってる人たちがなんかしょうもないことに労力使ってるなーって気分になる。
その労力を自分のために使えよ、と。
マトモな企業に就職するために学生のうちから勉強して、社会人になってからも研鑽した方が国を変えるより簡単だし建設的だし金も儲かるし今の時代に合ってると思う。
なんでそういう生き方をせずに国がーとか政府がーって言っているのだろうと思うと、なんか気持ち悪い。