2022-01-23

本業作家 副業公務員  本業収入がなくなってN年経過

最近作家公務員の2足のわらじに対する世の中の風当たりがやたら厳しい。

仕事で知ったことを平気でバラすようなやり方をしなければセーフだと私は思う。

そもそも金を貰えるにしろ貰えないにしろ私達は文章を書きたくてたまらないわけで、むしろ書かなければ体調を崩して公僕としての機能が落ちるのだから

言ってしまえば排泄と同じなわけで、仕事に専念するために書くのをやめろなんて我々に言うのは、ウンチをしないアイドルになるために肛門に栓をしようと提案するようなものなのだ

実際、私の作品市場需要を満たせないと判断されて仕事がなくなった今でも私自身は適当な書き散らしは好き放題にやっているわけで。

締め切りという概念から開放されたと思われるかも知れないが、私のやり方は連載作家のそれではなく完成してから納品してそれを編集が見て売れるものかどうかを調べるやり方なわけで。

結局の所、収入公務員一本になっただけで時間の使い方に大きな違いはない。

お役所仕事は相変わらず嫌いなままだし、組織への忠誠心は文筆業を退いたからといって増えたわけでもなく10年以上前から続く空っぽが今も続いているだけだ。

気持ちの上では作家本業だっただけで、時間を使う割合で言えば間違いなくフルタイム副業が上回っていた。

収入についてもなんかの賞を取った瞬間に月収の内訳を比較してようやく作家業が勝つ状態である

一度でいいから本当に作家本業にしたかった。

私と同年代作家大学を出てすぐプロになった話を聞くたびに、単純な経験値比較でどれほど差がついているのかを計算してしまう。

こっちが役所のボロっちいパソコンに向き合っている間、あっちは作家として研鑽を積んでいる。

週50時間、月で200時間、年で2500時間、その上向こうにはこちらにないようなサポート体制がある。

10年なら25000時間、よっぽど両者の才気に差がなければ埋めきれない。

そして才能がないのはコチラの方だ。

才能があれば学生の間にデビュー出来ていたはずだ。

才能はない、積み上げた時間は違う、モノが違う、それでも負けたくない。

なんで負けたくないのかと言えば、他に自信があるものがないから。

アイデンティティ能力の優劣に委ねるような幼い人間性を成長させることより、能力によって自分存在証明する方が楽だと見誤って生きてきたから。

言い訳をさせてもらえば、存在意義を人間社会存在価値に委ねるような人類全体の幼さに付き合わされなくていいならこんな事に悩む必要がないのだ。

今や本業収入ゼロだが本業作家であると言い張ることを辞めたくはない。

公務員として立派に働くことに人生意味見出ししまえば、あのねばついた組織空気同化してパワハラを繰り返す怪物の一員となるのだから

それだけは避けなければならない。

ただ醜いだけでなく、自分の醜さから目を逸らすために他人を傷つけるような存在にだけはなりたくない。

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